世界樹の迷宮X

「お金がない」
 マギニアの夜にある女の嘆きが生まれ、すぐに消えました。
 ここは、いい加減でちゃらんぽらんで雑で不真面目といった言葉に定評のあるクワシルという男性が経営している酒場。マギニアが冒険者たちの拠点になってからは、毎日のように老若男女問わず冒険者が集まり、掲示板に貼り付けられたクエストを受けたり、味も量も普通の料理を食べて腹を満たしたりしています。
 朝も昼も夜も冒険者たちが奏でる騒音は鳴り止むことはありません。その音のひとつひとつに冒険者たちの物語が刻まれてあるのでしょうが、この話には関係ないので全て省略しましょう。
 この物語において一番重要なのはコキというシノビの嘆きです。
『…………』
 五人がけの丸テーブル席で晩御飯中だったスオウ、カヤ、クレナイの三人の手が完全に止まり、金がないと嘆いたコキへと視線が向けられます。
 元狂戦士のワカバだけは食事の手を止めず目の前のおにぎりを頬張り続けていますが、女五人だけのギルド「キャンバス」が結成されてそこそこ長い付き合いの中で、食べ物のことになると周りが見えなくなるワカバの言動には慣れてしまっているため、誰に気に留めません。
「ない、ないの……マジで金がない……いい稼ぎのクエストがないから……採集したり魔物を退治しても……薬代とワカバの食費だけで全部消えるから……ない……」
 それ以降俯いて何も言わなくなってしまったコキ。その背後からは哀愁のオーラのようなモノが漂っていると、誰にでも分かってしまいます。
 しばらく黙っていた彼女たちの内、お箸でカツ丼のカツを掴んだまま停止させてしまっていた聖騎士のカヤは、恐る恐る声をかけます。
「え、あの、その……ここの支払いは……」
「それは確保してるから大丈夫……ワカバが追加で食べ過ぎなければの話だけど」
「う?」
 不意に名前を呼ばれたワカバ。両手におにぎりを持ってテンポよく口に運んでいる真っ最中でしたが、コキに呼ばれたため手を止めていました。
「ワカバ、今日の晩御飯はそれだけだから」
「え」
 突如告げられた残酷な言葉に、おかわりする気満々だったワカバは目を見開いて固まってしまい、更には、
「お金がないなんて大変ねー」
「まあ、いずれ何とかなりますわ」
 元星術師のスオウと現将軍のクレナイの二人は、お茶を飲みながら遠い世界の出来事のような感想をぼやくだけでした。
「なんで他人事みたいに言うのよアナタたち!」
 危機感の欠片もない態度にコキは絶叫、周りの客は二度見です。
「資金不足はギルド存続に関わる深刻な問題なんですよ? 自分には関係ないといったような態度は謹んでください」
 他人事のような態度の女たちに対してカヤも鋭い目付きでしっかり嗜めます。そのタイミングでワカバが再びおにぎりに食い付き始めますが、日常的な光景のため誰も気に留めませんでした。
 少しだけ空気がピリピリし始めるもスオウは空気など読まず、あからさまに退屈している様子でウェーブのかかった長い髪を右手人差し指に絡ませながら、
「私はポケットマネーがそこそこあるから、ギルドの家計が炎上しても全く問題ないのよ」
「そのポケットマネーをギルド資金に充てることは」
「無用な金銭トラブルを避けるためにもギルドの金と個人の金は個別にしておくべきでしょ〜? というか、最悪ここが破産しても私はお金を貸すつもりはありませ〜ん、残念でした〜」
 言い方は気になるものの内容は至極まともなのでコキは反論できず、悔しそうに歯をギリギリ鳴らす程度の反抗しかできませんでした。これにはカヤも口を閉ざしたままです。
 スオウ同様に危機感を抱いてないクレナイといえば、その様子をうっとりしながら眺めていまして、
「お金を稼ぐ方法なんていくらでもありますわよ。例えば……その辺りにいる有害物質の首を取って身ぐるみを剥ぐという手がありますわ」
「ゆーがいって?」
「ここに沢山いるではありませんの、あの憎き男共……この世に存在する価値すらないゴミクズカス以下の燃やせるゴミですわ。本当は酒場に行くのも嫌ですけど、私たちが宿泊している宿は食事が出ないタイプですから、仕方なく汚れた場所に身を寄せていますの」
「ボロクソに言うんだなー」
「本当はこれぐらいでは物足りませんけど……今日は自重しておきましょうか、貴女のためにも」
「そっかぁ」
「……ちょっと待て」
 コキは冷静でした。
 驚くほど冷静に、声を荒ぐことなく、クレナイを見据えます。
「あら? どうかしましたの?」
 視線の先にいる彼女は微笑みながら、膝の上に座らせている少女の頭を撫でました。
「その子は?」
 視線をクレナイから少女へ移したコキの問いかけは、とても落ち着いた声だったとか。
 目前の異常事態に気付いた他三人の仲間たちもクレナイと少女を凝視。とはいえ愕然としているのはカヤだけで、ワカバはおにぎりを食べ続けていますしスオウはのんびりお茶を飲んでいました。
 あっという間に視線を集めた少女は満面の笑みを浮かべており、
「良い子強い子明るい子! メディックのシエナだぞ!」
 自信満々に名乗ったメディックはウィンクしながら元気よく名乗りを上げました。
「ね? ね? 可愛いでしょう? そこで胡散臭そうな男に絡まれてたから助けてあげたんですの!」
 クレナイがまるで我が子を愛でるようにひたすら頭を撫で続けても、シエナは嫌な顔ひとつしないまま受け入れているのでした。
「クワちゃんにクエストの素材を渡しに来ただけなんだけどなー」
「ウチのギルドはメディックがいませんし……シエナちゃんに来てもらえれば薬代も少しは浮きますわよね?」
「俺もう違うギルドにいるんだけどなー」
「その程度の問題は関係ありませんわ。これからちょっとウチに持って帰って……」
 桃色の瞳が怪しく光った刹那、
「拉致ぃ!」
 椅子を蹴飛ばして立ち上がったコキが爆発しました。
 実際に炎を上げたのではなく、クレナイの行為に憤慨したせいで感情が大爆発を起こしたのです。
「拉致? なんのことでしょう?」
「真顔でとぼけるな! よそのギルドのお子様を許可なく持ち出して膝に乗っけないの!」
「何故ですの? 私は汚らわしい男だらけのギルドに身を寄せている小さな女の子を助けてあげただけ、これはれっきとした人助けですわよ?」
 毅然とした態度で言い切ったので、とっさに膝の上の少女を見やれば、
「俺のギルドは男だらけってことはねーし、助けてほしいなーって思ったことはねーぞ?」
 純粋無垢と称すのに相応しい灰色の綺麗な瞳を向けて、首を傾げていました。
「…………そう」
 呟いたコキは静かに近寄ると、シエナの脇の下に手を入れて軽々と持ち上げ、クレナイから引き離します。
「おお! 力持ち!」
 感動して声を上げた最中に、そのままゆっくりと床に降ろされたのでした。
「ああん、酷いですわよぉ」
「酷いのはそっちでしょうがもう! 誘拐未遂起こして!」
「コキ、おかわり」
 騒ぎなんてなんのその。空気を読もうとすらしないワカバがコキのポニーテールの先をぐいぐい引っ張り始めます。
「誘拐未遂とは人聞きの悪いことを仰いますのね。私はシエナちゃんを助けただけだと何度言えばわかりますの?」
「本人の合意があれば認めざる得ないけど、アンタのそれは違うでしょうが!」
「コキ、おなかすいた」
「ただ単にウチに可愛い女の子が入って来てほしいだけでしょ! ロリが欲しいだけでしょ!」
「ぎくり……な、なーんのことだかサッパリわかりませんわー?」
「ウソつけぇ!!」
「コキ、ごはん」
「クレナイさん、コキさんを怒らせるのはやめましょうよ」
「大丈夫ですわよカヤちゃん、浮気ではありませんから」
「私が心配してるのはそこじゃありません!」
「コキ、食べたい」
「浮気ってなんだー?」
「細かく考えちゃダメよ。ウチはそこそこ特殊だから」
「そっかー! 俺らのところと同じだな!」
「あー……そうね、そうみたいね」
「もぐもぐ」
「ワカバ! お腹が空いたのはわかったから私の髪の毛を食べないの!」
「あう」
 おにぎりをたらふく食べたワカバが空腹のせいでコキのポニーテールの先をかじり始めたので、額を押さえつけられて無理矢理引き剥がされたのでした。
「とにかく、シエナちゃんはウチで引き取りますわ、それでよろしくて?」
「よくない!」
 何度目かの怒声と共にテーブルを強く叩く音が鳴り響きます。これで怯まないのは怒られ慣れている人間ぐらいです。つまりはクレナイだけ。
「あーあーもう、迷惑な連中だこと」
 呆れてぼやくスオウの言う通り、状況は混沌を極めていました。
 怒鳴るコキ、平然と受け流すクレナイ、時々割って入るカヤ、お腹が空いたワカバ……目前は荒れに荒れた嵐のような状況に陥っていて、他の冒険者たちが巻き込まれないようにとなるべく気配を消して逃げて行くのが見えます。
 奥のカウンターでのんびり料理をしているクワシルが何も言わないのは、キャンバスに話しかけようとする度に親の仇のごとく睨んでくるクレナイがメチャクチャ怖くて関わりたくないといった個人的な理由です。これ以上は本筋には関係なので略します。
 嵐のような混沌の中、すっかり台風の目のような状態になっているスオウとシエナの二人は、
「シエナだっけ? アナタはもう帰りなさい。ウチのれ……じゃなくて赤毛のアホが犯罪行為に手を染めてマギニアにいられなくなる前に」
「んあ? よくわかんねーけどわかった!」
「わかればよろしい」
「あっ! でも待って!」
 シエナは肩掛け鞄のボタンを外すと、中に勢いよく手を左手を突っ込みます。
「うーとんーと……たしかこの内ポケットに…………おっ! あったあった!」
「何が?」
「ちょっと手ぇ出して!」
 言われた通り右手を差し出してやると、掌の上に小さなブローチが置かれました。
「これやるよ!」
「あら、綺麗なブローチ……カメオかしら?」
「そーそーそんな名前!」
 得意気に胸を張る少女は続けます。
「魔物の素材がいっぱい出てくるようになるお守りだ! 運も良くなるらしいぞ!」
「ふーん……」
 全く信用してないスオウはカメオを左手でつまみ上げ、じっくり観察してみます。
 楕円型の銀枠の中に収まっているのは天然の貝を掘り込んで作られた彫刻。ミクロ単位の細かな創りをしているそれは、穏やかな風に煽られる麦を描いていました。
 宝石や装飾品の類にあまり興味のないスオウでも、このブローチの価値は容易に想像がついてしまい、レモン色の目を白黒させます。
「装飾品としての価値はありそうだけど……本当に貰っていいの?」
「いいぞ! 予備はいっぱいあるからな! 騙されたと思ってそれ着けて探索してみてくれ!」
 勢いと元気だけは百点満点ですが信憑性はゼロに近い数字です。それを告げるほど鬼ではないスオウは黙って受け取ることにしました。
「じゃあなー!」
 やるべき事を全て終わらせた少女は、手を降りながら酒場の出入り口に向けて駆けていきますが、
「ああっ! シエナちゃん!」
 コキとカヤと言い争っていたクレナイがようやく愛しいロリ……ではなく、メディックの逃亡に気付いて高い声をあげました。
 悲鳴にも取れる声に気づいたのか、シエナは足を止めて振り返り、
「ごめんなー。俺だってもっとねーちゃんと話とかしたいけど、そろそろ帰らないとリーダーに叱られちまうんだよ。門限あるし」
「そんな……私たちのギルドに来てくれても構わないんですよ……?」
「掛け持ちはダメだってリーダーが」
「そんな……」
 ショックだったのか俯くクレナイ。しかし、慰める人物はいません。彼女の今までの言動を振り返ってみると当然でしょう。
 すると、シエナはとても軽い足取りでクレナイの元まで戻り、髪をぽんぽん撫でます。
「落ち込まないでくれよ、ねーちゃんのギルドには入れねーけど、何か手伝って欲しいこととかあったら何でも相談してくれていいからさ!」
 自分を誘拐しようとした相手にも関わらず優しさに満ち溢れた言葉。なんて感動的な場面でしょうか。
 静観しているコキとカヤは、シエナ自身はクレナイに誘拐されかけていたとは微塵も思っていないのでは……という疑念が脳裏を過っているのですが、真相が暴かれる時はこないでしょう。
「シエナちゃん……」
 頭を上げたクレナイの瞳は今にも泣きそうなほど潤んでいます。この辺りからカヤの顔が引きつり始めていました。
「俺のギルドはクアドラって言うんだぜ!」
「クア……はっ、私が所属しているギルドはキャンバスと言います、私はキャンバスのクレナイですわ!」
「おっけー! じゃあなークレちゃん!」
 満面の笑みで手を振りながら、シエナは走り去っていきます。
 他の客が釣られて手を振っている微笑ましい光景を生み出しながら酒場のドアを開ければ、上部に設置してある鈴が綺麗な音色を響かせます。
 そして、外に出る前にもう一度クレナイたちに手を振り、今度こそ酒場から出たのでした。
「ああ……なんて愛らしい子なの……シエナちゃん……」
「…………」
 顔を引きつらせたままのカヤに気付いたクレナイが、きょとんとして首を傾げます。
「ってカヤちゃん? どうしてそんな複雑な顔をしていますの? 浮気じゃありませんよ?」
「いや……クレナイさんにロリコンの気まであるなんて……」
「ロリコンじゃありませんわ! ただ幼くて可愛い女の子をひたすら愛でていたいだけですわよ!」
「それを社会ではロリコンと呼称するんですよ」
「あらまあ……嫉妬ですの?」
「違いますってば!!」
 全力で否定しました。
「ワカバ、テーブルを食べようとしないの。椅子もダメだからね」
「う……」
 コキに叱られ、ワカバはテーブルから口を離すと悲しげに頭を少し下げたのでした。





 その翌日もお金稼ぎのために樹海に挑むキャンバス一行。
 まだ行ったことのない地を歩き、採集活動を行いつつ襲ってくる魔物を蹴散らす……クエストのない日のいつもの流れ…………ですが、
『………………』
 魔物の気配のない開けた地で、彼女たちは愕然としていました。
 目の前に広がっているのは今日の活動の結果、採集は悲しいものとなりましたが異常なのはそれ以外、魔物を倒した時に得る素材たちが彼女たちの前で山になっていたのです。
「……え、これ、なに?」
 最初にぼやいたコキの顔は引きつっており、想像以上の稼ぎに喜びは吹き飛んで驚愕も忘れています。
「いくら雑に斬っても素材だけは無傷ですの」
「ふしぎ、ふしぎ」
 前線を切って戦っているクレナイとワカバは顔を見合せるばかりですが、その言葉にコキはハッとして、
「いつも雑に斬ってるから素材不足からの資金不足になるんじゃないの……?」
「そう言われましても。魔物がこちらの殺そうとしているのであれば、こちらも全力で抗い、互いに命の炎を燃やしながら死力を尽くして命の奪い合いをする行いこそが、命をかけて戦う相手に対する最大限の礼儀であると師から教わりましたの。だから素材を気にして戦う余裕はありませんわ」
 ハッキリと断言したクレナイを見て、資金不足の原因が見えた気がしました。
「あの、些細な疑問なんですけど、相手が男の人だったら……?」
「心配しなくても有無を言わさずスパッと殺りますわね」
「……クレナイさんって、本当に男の人を殺したこと、ないんですか?」
「ありませんわ……残念なことに」
「残念って……」
 本当に残念そうに語るクレナイが男を手にかけたことがないのか、カヤはまだ半分以上も信じられません。
 素材を眺めながらヨダレを垂らし始めるワカバが暴走する前に、カヤは迅速に彼女の口に携帯食料を突っ込んだのでした。
「……もしかしなくても、シエナって子がくれたこれのお陰……?」
 スオウは昨夜貰ったカメオを取り出して愕然としています。
 未来が視える彼女でも、自分の身に起こる出来事を視ることができないため、このような一同がドン引きする状況になるなど想定外だったのです。
「さすがシエナちゃんですわ、荒んだ世界に舞い降りた一人の黒衣の天使……」
 うっとりするクレナイの横で、コキは顎に手を当てて考えています。
「クアドラ……クアドラ……どこかで聞いたことがあるのよね……どこだったかしら」
「しょうきのまじょ?」
「それよ!」
 ワカバの一言に手を叩いて叫びました。樹海での大声は魔物に自分の位置を知らせる愚行ですが、引っかかっていたモノが取れてスッキリした彼女はそれに構わず、興奮気味に続けます。
「クアドラよクアドラ! 最近怒涛の勢いで樹海を踏破しまくってる凄腕ギルド! 司令部からのミッションも難なくこなしてて、レムリアの秘宝に一番近い存在だとも言われてるわ!」
「へ、へえぇ……そうなんですか……」
 ここが樹海だというのも忘れて叫び続ける勢いに圧倒されたのか、カヤは少しだけ引きつつも尋ねます。
「そのクアドラと“しょうきのまじょ”は何の関係があるんですか?」
「ギルドマスターの子がそう呼ばれているの。聞いた話だと特殊な瘴気を使うリーパーで、マギニアの各地で“瘴気ノ魔女”って呼ばれているそうよ」
「魔女……ということは女の人なんですね。女の子で凄腕ギルドのギルドマスターなんて、すごいなぁ……」
 ほんの少しだけの尊敬の意を込めて、カヤは呟いたのでした。






 ひっかきモグラの首は胴体から離れ、真っ赤な血を吹き出しながら空へ空へと上がっていきます。
 緑色の草や葉を赤く汚しながら宙を舞ったそれは、やがて近くの木の枝に引っかかって止まったのでした。
「うっわビックリした! ちょっと小突いたら倒れそうなほど弱ってたひっかきモグラの首を天高く上げちゃってどうしたの? 僕の可愛さを祝福する花火代わりかい?」
「アホか……ただ、ついさっき強烈なストレスを感じただけだ」
「それだけでトドメに死の鎌を使っちゃうのかい?」
「別にいいだろなんだって。さっさと次に行くぞ」
「はいはーい」
 リーパーの不可解な言動を軽く流したヒーローの少女は、剣を鞘に納めてから彼の後を追いかけるのでした。


2019.5.29
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