世界樹の迷宮X

 ある昼下がり。
 ネイピア商会に武器の鍛治を依頼しに行った帰りにそれは起こりました。
 聖騎士、ナギットは見てしまったのです。
 朝早くから探索に出て行ったアオたち第一パーティがマギニアの街に帰って来ていたところを。
「すー……なー……は、ふー……かくー……て……おぼれて……いーくー……そー……こー……は、きー……いっと、くらくて、こー、わー、い……」
 頭のてっぺんから靴のつま先まで緑色のネバネバとした液体まみれになっている、自称宇宙一可愛いヒーローのルノワールのあられもない姿を。
 そのままアオに襟首を掴まれて引きずられながら、短調のメロディに乗せた自作ソングをか細い声で口ずさんでいる光景を。
「えええ……ちょ、は、え?」
「おお〜なんだろアレ」
 ナチュラル女装ブシドーのキキョウは当たり前のようにナギットの隣で関心した声を上げながらルノワールを眺めています。何があったのかとか、どうしてこうなったとかは聞こうとしません。あまり興味がないからです。
 ほとんど無関心の従者(仮)とは対照的にルノワールにほのかな恋心を抱いているナギットは血相を変えて駆け出し、アオたち一行の前に立ち塞がりました。
「ちょっとすみません!?」
「おおナギくん! ただい!」
 通称幼女のお医者さん、シエナは彼を視界に入れた途端に手を振って元気な挨拶をしてくれますが、ナギットはそれに対応できるほどの余裕はありませんでした。
「あの、あの!? ルノワールさ……ルノワールはどうしたんですか!?」
 もはや絶叫とも言えるほど声量が飛び出し、ただでさえルノワールの異様な光景で注目を集めていたクアドラ第一パーティが更に注目を集めるハメになります。しかし我らがギルマス鬼畜外道邪道のリーパー、アオは全く気にしていない素振り。
「ああ……ちょっとメデューサツリーに食われかけただけだ。大したことじゃない」
「全っ然大したことあるんですけど!? ってかメデューサツリーって肉食でしたっけ?!」
 動く魔樹、メデューサツリーが生息している枯レ森にはあまり踏み込んだことのないナギットでしたが、オーベルフェで不思議のダンジョンを探索している最中に何度も遭遇した経験はあるため、それがどういった魔物なのかは知っています。武器を錆びさせるほどの悪臭を放つ魔物という認識程度ですが。
「あ、えっと……今朝ね、探索ついでに何かクエストを受けようかって話になって……メデューサツリーの突然変異種を退治してきてほしいって依頼があったからそれを受けたんだ」
「人間を襲い肉を喰らう異常種らしい、既に何人かの冒険者が消息不明になっていて早急な対応が求められていた」
「へぇ〜」
 状況の説明をしてくれたのは現役暗殺者ヒイロと元スナイパー兼ナチュラル女装野郎のギンでした。
 彼らの話を聞いていたのはいつの間にか横に立っているキキョウで、生返事を聞いても分かる通りあまり興味がない様子。
「…………」
 絶句しているナギットが次の言葉を探している最中、アオはルノワールを掴んでいた手を離して彼女を解放します。
 支えられる力を失った女は足元でぐったりと崩れ落ちて後頭部と地面がごっつんこ、死体のようにぴくりとも動かなくなります。かろうじて歌だけは口ずさんでいる様子ですがあまりにもか細い声のため聞き取るのは困難です。
「突然変異種メデューサツリー御一行様はコイツの味が心底お気に召したらしい。一匹に食われかけた所を助けてやったと思ったらすかさず二匹目が現れてまた食われて……助けようとしている最中に三匹目が現れた。そしたら絶品ヒーロー女を巡って内輪揉めが始まったからまとめて燃やしたんだ」
「一から十まで全部悲惨じゃないですか……」
「溶かされる前に助けたから大丈夫だろ」
「ルノワールの現状が大丈夫じゃないことを物語っていますけど!?」
 出で立ちも最悪ですが近くに寄れば鼻を摘みたくなるような刺激臭まで漂っています。視界を広げれば石畳の地面には引きずられた跡が湿っており、道行く人々が哀れみの目で彼らを眺めている姿も見えてきます。目が合った瞬間にはバツの悪そうな顔をされて逃げ去られてしまいました。
「タオルで拭いても全然取れねーんだよなぁ」
 言葉を失ったナギットにシエナが声をかけますが彼の返事は無言となりました。
 すると、ルノワールの即興短調ソングがピタリと止まり、その頭がゆっくり上がります。
「…………あ、ナギット、だぁ」
 ダウナー状態でナギットがいることにすぐ気付かなかったのでしょう、その表情は彼が知っているルノワールとは思えないほど暗く、微笑んでいるのか悲しみに暮れているのか判断が難しい。声もか細く、今にも事切れてしまいそうです。
「る、ルノワール、大丈夫……じゃ、ないよな? それ……」
「うん……うん……でも、いいの……僕はこれで……いい……これが、最悪……最善……引き寄せる……悪夢……増殖もする……悪夢……」
 後半から何の話をしているのかナギットには理解できませんでした。
 慰める言葉すら思いつかず立ち尽くしている間にもルノワールは力尽き、再び後頭部と地面が衝突するとまた歌い始めたのでした。
「コイツがこんな調子じゃあ探索も満足にできないから早いうちに切り上げてきた。クエスト報告する前に貴婦人亭の風呂にブチ込む」
 足元の悪友が生気を失っていてもアオはいつもと変わらない態度、それどころか倒れたままのルノワールの頭を軽く蹴りながら“とっとと起きろ”と催促までしています。
 メデューサツリー討伐に体を張ってまで一役買った彼女に対する態度とは到底思えず、頭で考えるより先にナギットは叫んでいました。
「アオさん!」
「ん?」
「俺はアンタが人畜有害鬼悪魔傍若無人邪悪見栄っ張り鬼畜外道意地っ張りだって理解していますけど! それでも彼女をこんな雑な扱いをする権利はないと声を大にして言います!」
「……ほう」
「アンタとルノワールは共に何度も世界樹の迷宮を踏破してきた経験がある、だから強い信頼関係で結ばれていることだって分かっています! ですが親しき仲にも礼儀ありという言葉があるじゃないですか! どんなに強い信頼関係があったとしても! やって良い事と悪い事ぐらいあるでしょう!」
「ふむ」
「それに! あんまり言いたくなかったですけど……ルノワールさんだって女性なんですからもう少し紳士的に……とまでは言いませんが! アオさんは男女を区別しなさすぎなんですよ! デリカシーに欠けると言いますか!」
「…………」
 反論もせず静かにナギットの話を聞いていたアオの表情が固まりました。まるで出先で家の鍵を閉め忘れたことに気付いた時のように。
「え……?」
 すぐに異変に気付いたナギットも文句を一時中断させて唖然。
 次の瞬間、怒りと瘴気を纏ったアオから今の百倍近い怨言が飛んで……くることもなく、無言の時間がダラダラと流れていくだけ。
 二人の間に割って入らず様子を見ていたヒイロたちもアオの異変に首を傾げており、一旦声をかけた方が良いかという空気が流れ始めると同時に。
「……お」
「お?」
 小さな声でぼやいたアオは頭を抱え、
「お、おん、な……? コイツが、女……? じ、女性? え、は、へ? え? ウソ……」
「今までルノワールを何だと思って五年も一緒にいたんだよテメェは!!」
 素が出ました。
「何って……自称宇宙一可愛い星人だとしか」
「星人?!」
 耳を疑う発言にナギットは思わずヒイロたちを見ますが、彼らは静かに首を振って言葉もなく“こういうヤツだから諦めろ”と訴えました。すぐ側でキキョウが顔を引きつらせているのも気にせずに。
 この関係はもう改善することはないとメンバーたちに悟られているギルマスは周囲の反応などいちいち気に留めません。反応するのは自分が女だと間違えられた時かお金の話題が出た時ぐらいです。
 そんな彼を腕を組んでナギットを見据え、落ち着いた声色で言います。
「ナギット、お前が俺に何を言いたいのかは分かったが……コイツがこうなっているのはほとんど自業自得なんだぞ」
「……え?」
 一瞬信じられなくて唖然とするナギット、再びルノワールに目をやりますが彼女は歌い続けるだけ。短調メロディの自作ソングを。
「突然変異種メデューサツリーが三体いることは分かっていた。一体ずつ相手にしていくよりも一斉駆除する方が楽だからまとめて討伐することにしたが……三体揃うのを待つのは効率が悪い、肉食という特性を逆手にとって誰かを囮にして、三体が囮に夢中になっている隙に起動符を使って燃やすという作戦になった」
「人食いの魔物に対してとんでもない作戦を立てるんですね……」
「発案者はコイツだぞ」
 アオはつま先で足元の“コイツ”の頭頂部を蹴ります。何度蹴られても動きは見られませんが歌は止まりません。
「はいぃ?」
「満面の笑みで“囮は君が向いている、僕は可愛いけど君は美味しそうだからね! それに君は炎の耐性が高い上に炎の守りも持っておけば起動符の爆炎にも余裕で耐えれるでしょ? イケるイケる!”って言ってきた時は顔面に一発ぐらい拳を叩き込んでやろうかと思った」
「それでも引き受けたんですね……」
「危険ではあったがこれ以上の方法もなかったからな……それにコイツは肉食メデューサツリーに囲まれて慌てる俺でも見たかったんだろう。だったらコイツの思惑通りにならずに悔しがる顔でも拝んでやるか……と決意したら勝手に手と足が動いていた」
 その結果がコレだ。と言うアオがつま先で蹴る“コレ”は反論する元気はありません。動く元気もありません。
「そ、うだったんですか……すみません、俺はてっきり心身共に犠牲にしたルノワールが労われずに雑な扱いを受けているのかとばかり……」
「何も知らずに見たら誰だってそう思うだろ。気にしてない」
 静かに答えたアオは本当に気にしてない様子だったのでナギットはホッと一安心。そうしている間にも蹴られ続けているルノワールが気の毒ではあるものの、悪友の無様な姿を見たいために悪事を働こうとした天罰であるなら庇えません。好きだからといって何でも許すほど甘い男でもないのです。
「相手に臆せず自分の意見をハッキリ言い、時には暴言まで叩きつけてるお前の度胸には関心したぞ」
「は、はは……どうも……」
 どうも日に日に気に入られているようですが、褒められて微妙な気持ちになるのは何故でしょうか。ナギットはまだ分かりませんでした。
 すると、ずっと静観していたキキョウが腕を組んで何度も頷きながら、
「ナギットさんが言う時は言う男で俺はホッとしたわ……てか、ギルマスが囮になるってなった時にギンちゃんたちは止めなかったのか?」
 投げられた些細な疑問は一瞬で受理されて返されます。
「私は止めたぞ」
「俺も止めた!」
「俺だって止めたよ……無駄だってわかっていたけどね……」
 真顔のギン、手を挙げるシエナ、俯くヒイロ。言葉の内容は一緒でもそれぞれの反応からして当時の心境が伺えます。
「お前らがまともで本当によかったって思うよ、俺」
 アオとルノワールが常識からぶっ飛び、自分勝手自由気まま、時には一国の王女に対しても敬意も払わず横暴な態度でやりたい放題していてもギルドが存続しているのは、他の三人がまだ常識人という部類に足を突っ込んでいるからでしょう。キキョウはそう信じることにしました。
「そもそもルノワールがあんな風に扱われていたというのにヒイロが何も言わない時点で察するべきだ」
「ああ……そういえばそうだわ、さすがギンちゃん」
「こんなことでは一人前のクアドラマスターにはなれないぞ」
「いやゴメンなるつもりないわ」
「そうか」
 やっぱりこの親友は常識人じゃないかもしれないと思い始めたキキョウでした。
「さて、いい加減宿に戻らないとな……コイツの悪臭が酷くなる一方だし」
「なあなあリーダー、俺がクエスト報告に行っておくから、るーちゃんのこと看といてやってくれよ!」
 腕を引っ張りながら提案するシエナに対しアオは怪訝な顔を浮かべて、
「お前が看病しなくていいのか」
「今のるーちゃんは体のダメージより心のダメージの方がでけぇもん、俺は精神科はまだ勉強してねーからお手上げなんだもん」
「そうか。じゃあシエナと……ヒイロも一緒に酒場に行ってやれ」
「う、うん。わかったよ」
 異論もないためあっさり承諾したヒイロはメデューサツリーの亡骸から出てきた“冒険者だったモノ”が入った袋をギンから受け取ると、シエナと一緒に来た道を戻っていきます。平謝りしながら人々の間を抜ける声が次第に遠くなっていきました。
「俺たちは宿に戻るぞ」
「ああ」
 アオはもう一度ルノワールの襟首を掴むと引きずりながら歩き始めます。ギンは何も言わずその横を静かに歩きます。
「い……のち……は……ふびょ……うどー……のー……ろい……はー……きー、んとー……よー……を、のろーえば……あな、みっつー……」
「その意味の分からん短調の歌はいい加減やめろ、俺でも気が滅入ってくるぞ」
「……………………」
 アオからのクレームの返答は無言でした。
 ルノワールは一息置いてからまた歌い始めます。美しい声だというのに歌詞とメロディがネガティブすぎるため、彼女の歌声に惚れていたとしてもあまり良い心地にはなれません。
 ナギットとキキョウを置いて次第に小さくなっていくそれぞれの背中、それに伴って集まっていた野次馬も次第に解散していき、人々は自分の生活に戻っていくのでした。
「…………」
「絶句してる場合じゃないッスよーナギットさん、ルノワールのことが心配なら追いかけるべきッス」
「あ、ああ! そうだった!」
 キキョウの言葉で我に返ったナギットは慌ててアオたちの後を追いかけます。必死になりすぎて何度か石畳につまづきそうになっていましたが、転ぶことはなく駆けていったのでした。
 未来の主人の慌てふためぐ後ろ姿を眺めるキキョウは小さなため息を吐いて、
「……あの女のどこがいいんスか……ナギットさん……」
 ナギットさんが幸せなら俺はそれでいいけど……とぼやいてから、のんびり歩いて彼らの後に続くのでした。


2019.2.24
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