ととモノ3D

 最初に目覚めた時、私は闇の中にいた。
 生命が産まれた時、最初に聞くのは祝福らしいが、私が「産まれて」初めて聞いたのはそんな優しいモノではない。
 響く言葉は人々の怒り、嘆き、恨みの、憎悪に満ち溢れた声。
 それらに祝福されながら、意思が肉を持ち、形になり、生き物となり……私は私になった。
 生き物として生を受けることは喜びのはずだが……私はどうだ。
 肉体は酷く重く、常に痛みが付き纏う、産まれた喜びなんてあったものじゃない。
 人の負の感情に押しつぶされそうになっていることが、本能で分かった。
 命とは、生きることとは、こんなにも辛く苦しく、耐え難いモノなのか。
 こんなことなら、産まれない方がよかった。
「おーおー、なんかあるなあと思ったら変な神が生まれとるやないか」
 かみ……?
「なるほど。見た感じ、人の恨みや怒りや憎しみっつー負の感情を糧に誕生したみたいやな。こんなに苦しそうにしてなあ……可哀想になあ……」
 誰よ、あなた。
「おれ? 俺はまあ、簡単に言うたら破壊がモットーの神、破壊神やな! 俺に壊せへんもんはなーんもないで? 例えばこんな風にな」
 ぱきん。と、音がして、体が軽くなった。
 周囲の闇が消えていき、破壊神と名乗った神が見えた。
「はあ、俺ら以外の神は人の感情や祈りを元にして産まれるから、こんな可哀想なのが出てきて当然やのに、アイツはなーんも分かっとらん」
 今……あなた、何をしたの?
「ん? お前がなんか苦しそうにしとって、産まれることを諦めそうな感じがしとったから放っておけへんなー思てな? 溢れ出してた負の感情を取り払ったんや。テキトーにやけど」
 どうして、そんなことを……負の感情を司る神が生まれたら、あなた達が困るんじゃないの?
「深い理由なんてないで? ただ俺が“そうしたい”って思ったからそうしただけや! 負の感情によって起こる問題とかそんなもん俺は知らん!」
 は? つまり、単なるワガママ?
「ただの気まぐれってことや! 折角生かしてもらったんや、ちょっとは自分の生を楽しんどき!」
 頼んでも無いことを強引に……。
「ええやろ死なずに済んだんやから。ほら、お前も神々の都に行くんやろ? ここをまっすぐ歩いたら半刻ぐらいで辿り着くから、さっさと行ってき。世話焼きな神か眷属が面倒見てくれるはずやで」
 …………。
「おん? なんや? どないしたんやさっきから黙って突っ立って。こう見えても俺な、今ピンチやねんで? 創造神の奴を怒らせてもうて追われとる立場で……」
 ……私を。
「うん? どしたん?」
 私を、連れて行って。
 気まぐれでワガママで強引だけど、私を救ってくれたあなたの側にいたい。
 破壊神様。





「人の肉体を得たことだし、やってみたいことがあるわ」
 モーディアル学園廊下。四時間目前の休み時間に、リーヤは隣を歩くオズを見ずに言いました。
 次の授業は選択授業、専攻している学科によって分かれてそれぞれ別の授業を受ける冒険者学校ならではのカリキュラムです。
 今回は四つの専攻学科ではなく、戦士専攻と魔法専攻と大まかに分けた中でそれぞれ別の場所で授業を受けるため、二人は少しの間道中を共にしていたのでした。
 その節にリーヤがぽつりとぼやいた言葉に、今は人間サイズのオズは軽く返事をします。
「へー? なんすか?」
 長らく行動を共にしたことから、リーヤのこういった提案はろくでもないことか、心底くだらなくてどうでもいいかの二択に分かれることはすでに想定済み。できれば穏便に住むモノが良いとこっそり願っていました。
 彼の願いなど聞き届けることもなく、リーヤは答えます。
「伴侶を作る」
 と。
「へー? 伴侶ってことは恋人ってことっすね? へー姐御が恋人、恋人かあ……」
 軽く受け流そうとして適当に言いつつ、頭の中で「伴侶を作る」の意味を反芻。

 ――伴侶を作る。
 ――はんりょをつくる。
 ――ハンリョヲツクル?

 三回ほど繰り返したところで真の意味が脳を直撃したオズはぴたりと止まり、抱えていた筆記用具と教科書とノートを全て足元にぶちまけて。
「伴侶を作るぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅううううううううう!!???!」
 絶叫。
 数歩先を進んだリーヤは足を止め、迷惑そうな顔で彼を見ます。
「なによそのオーバーリアクションは」
「は、はははははははははははは伴侶!? 姐御が!? えっ!? こ、恋人!?」
「人にはそれが必要なんでしょ? 神にはそんなモノはいらなかったけど今は違うワケだし」
「い、いるっちゅーか絶対に必要ってワケでもないけど!? だ、だだっ、誰と……!?」
 小刻みに震えながらも大切な姐御が「伴侶」と呼ぶかもしれない相手について訪ねます。
 できれば自分が知っている奴がいい、知らない奴なら姐御のことをイチから教えないといけないことや、破壊神崇拝による破壊衝動や暴力的な一面や世間知らずな面等々を説明しなければならないと、頭の中で色々とシュミレートを初めています。頭の回転が非常に早いですね。
 彼の動揺など知ったこっちゃないのか、リーヤはため息を吐きまして。
「アタリは付けているけどまだ決めてないわ。オズじゃないから安心しなさい」
「お、おっす……」
 異性に恋愛対象として見られていないことについて残念なような、相手が姐御だから安心したような……複雑な気持ちに苛まれつつも生返事。
 すると、リーヤはふと明後日の方向を見て、
「混沌を好む破壊神様を崇める私でも、人の想い人を掠め取るような真似はしたくないのよ。痴情のもつれって人の世はもちろん神の世界でも厄介だったから……」
「いや俺にそういうのいないんで。え、誰を想定してるんすか姐御? 俺って姐御にそういうの見せてたっけ?」
「アナタにはスイミーがいるじゃないの」
「だからなんで変に誤解されてるんすか!? 全然マジでそんなんじゃないからな!?」
「で? 早く教室に向かわないといけないんじゃなかったの?」
 抗議の言葉を完全に無視して言い放ちました。意見など知ったこっちゃねえという彼女なりの意思表示です。
 続けて文句をぶちまけようとしたオズでしたが、寸前で言葉を飲み込んでから、ため息に変換して溢しました。
「へいへい……じゃあ俺はもう教室に行くっすけど、変な男とか捕まえたらダメっすよ! 学生結婚とか以ての外だから! 学生期間中に妊娠出産なんて例外にも程が」
「はいはい、わかったわかったから。さっさと行け」
 まるで羽虫を追い払うように手を振られて、オズは苦い顔をしつつも落とした筆記用具たちを拾い上げてから早足で教室に向かって行ったのでした。
 後ろ姿が完全に見えなくなったところでリーヤはホッと息を吐きます。
「最近、妙に心配性ねアイツ」
「リーヤちゃーん!」
 元気の塊のような明るい声が廊下に響いた瞬間、すぐに振り返ります。
 友人を見つけたことで嬉しそうに手を振って駆けてくるネネイの姿がそこにありました。
「あら、ネネイ」
 古来より廊下は走っては行けない場所ですがこの猪突猛進冒険大好き生き物フェルパーは全く気にしていません。というよりも友達に会えた喜びが先に来ているせいで常識がすっぽ抜けている様子。
 リーヤはそれを、心底楽しそうに眺めていました。
「四時間目の戦士学科の授業ってリーヤちゃんも受けるのです?」
 辿り着くなりそんなことを聞いてきました。
「ええそうよ。その様子だとアナタもそうでしょう? 一緒に行きましょうか」
「はいなのです! ことりちゃんとトパーズちゃんもいるのですよ!」
「そう」
「リーヤちゃんのパーティメンバーの人はいないのですか?」
「クラスが違うからいないわ」
「ほーん? そうなのですね?」
 なんて会話をしながら、二人は運動場へ向かうのでした。



 四時間目の授業が始まりました。
 魔法を専攻している生徒は多目的室で本格的な魔法の授業を受けます。基礎知識から専門知識、いざという時に使える重要な魔法もここで教わることができます。
 賢者学科を専攻しているオズはもちろんこの教室で魔法学の授業を受けるワケですが。
「……姐御……」
 教壇で話す教師の声など耳に入れず、顔を覆っていました。
 今まで想像すらしてなかった、彼女の口から「伴侶」という言葉が出てくることに。ほぼ毎日、寮にいる時以外はほとんど同じ時間を過ごして来た中で、そういった話題に興味を持つ素振りなど全く見たことがなかったため、衝撃とショックは計り知れません。

 ――急になんで恋人なんて……アタリをつけてるって誰と? 誰に? 姐御の“そういった”好みなんて分かんねえから想像がつかねえ……つーか何で俺に一言も相談もなく勝手に進めてるんだよこんな大事な話……あれ、つまり俺って姐御にとって取るに足らない存在ってこと? マジでコバエってこと? で、でも姉御は自分が分からないことはなんでも俺に聞いてきて頼ってくれてた……なんだかんだ言いながら信頼してくれているんだって思ってたのに……プライベートなことは言いたくないってヤツ? 距離近すぎて逆に遠いみたいな? ああダメだもう訳がわからなくなってきた……。

「前回の小テストを返すので、名前を呼ばれた生徒は前に来てください」
 オズの心境など誰も気づかず、教師はテスト返却を始めました。
 テストを受け取り名前横に記載された点数を見た生徒たちは、顔を赤くしたり青くしたりとそれぞれリアクションをしつつ、肩を落としたり落とさなかったりして自分の席に戻っていきまして。
「ルンルンちゃ〜ん、テストどうだった〜?」
 既にテストを受け取っているスイミーは振り向きつつ、後ろの席に戻ってきたルンルンに明るく声をかけていました。
 彼女からの返事は苦笑いから始まります。
「少しニアミスをしてしまいまして……迂闊でした。スイミーさんは相変わらずですか?」
「まあね〜僕ぐらいになれば楽勝よ〜」
 軽い口調で返した彼がひらひらと仰いでくれたテストはしっかり満点。五十点満点中五十点です。
「さすがですね」
 そう返したルンルンの目は満点の小テストではなくスイミーの前の席、会話に全く混じって来ないバムの背を見ていました。
「…………」
 やや不機嫌そうに指で机を叩く彼の顔などルンルンには見えませんが、長年の付き合いか察するものがあったらしく。
「あらあらあらあら……お察し……」
 煽るような口調で小さく言えば、即座に振り返ったバムは宿敵を睨みつけます。
「黙れ」
「あらあら可哀想に、自分の不甲斐なさを認めることができず私に八つ当たりをするしかできないとはなんて哀れなディアボロスか……慈悲深く慈愛の化身とも名高いこの私が、アナタよりも成績優秀なこのわ・た・し・が? 特別に教鞭を振るってもいいですよ?」
「お前に教えを乞うぐらいなら自ら首を吊って死を選ぶ。それとも何か? お前だけ魔法壁の恩恵から外してやっても俺は一向に構わないが? 口に効き方には気をつけることだな」
「アナタに守られなくても私にはことりさんが! 愛することりさんがいますから! そもそもアナタの魔法壁は、最近は強度に問題があるのではありませんか? つまりそれはアナタの存在など不必要なモノであるということでは? もうぬいぐるみだけ出陣させておきます?」
「……物事の本質を見抜けない愚か者はこれだからタチが悪い……」
「減らず口はどうにもなりませんか? なりませんねぇアナタですし」
「は? お前の方が」
「僕を挟んで喧嘩するのやめてって何回言ったら分かるの君たちぃ」
 スイミーが淡々と抗議してくれたことで口論は一時的に止まり、睨み合うだけに留まってくれました。なお、彼の中に「喧嘩を止める」という選択肢は存在しません。面白くないからです。
 すると、丁度真横を通ろうとしていた一人のフェアリーが彼の目に留まります。
「あ! コバエ〜じゃ〜ん!」
 それはそれは嬉しそうに声をかけました。オズに向かって。
「……」
 とりあえず足は止めたものの、テストを持って俯いたままです。
 その様子により何かを確信したのか、ニヤリとほくそ笑んだスイミーは、
「小テストどうだった? ねえねえどうだった? ま? 僕には? 何をしても勝てないと思うけど? 一応聞いておこうじゃん? 具体的な点数は言わなくてもいいよ〜? 僕より下ってことは紛れもない事実だから!」
 誰が聞いても煽っているような言い草。いつものオズならすぐに怒鳴り散らして返すのですが。
「…………」
 この日の返答は無言。全く異なるリアクションにスイミーから不敵な笑みが消え、そのままキョトン。
「あれ? どしたの?」
 いつもと異なる様子にルンルンとバムも威嚇行為を止め、不思議そうにオズを見つめ始めます。
 教室のど真ん中で立ち尽くした一人のフェアリーはやがて、ぽつりぽつりと、
「誰も、誰も……」
「だれも?」
 スイミーが首を傾げた次の瞬間、オズの手から小テストがひらりと落ちて、
「誰も俺の気持ちなんて分かってくれないんだああああああああああああああああああああああああああ!!」
 絶叫しながらその場に崩れ落ちたではありませんか。
 周囲の生徒は呆気に取られつつも、彼がこうなってしまった原因であろうスイミーに視線を向けます。若干の軽蔑が籠った眼差しで。
 無言の訴えを見るまでもなく、申し訳なさでいっぱいになった彼は。
「え? え、えっと……え? あ、そのごめん、ごめん……ね?」
 動揺を隠せないまま謝罪しましたが、嘆き続けているオズの耳には届きませんでした。
「スイミーさん、いくら気に食わないとはいえ、煽って泣かせるとは関心しませんよ」
「加減しろ馬鹿者」
「ふっ不可抗力! 不可抗力だよぉ!? 泣かせるつもりなんてなかったんだってぇ!」
「そこ、静かにしなさい」
 教師にぴしゃりと叱られても、オズは嘆いたままだったと言います。



 オズが悲嘆に暮れている一方。戦術を専攻している生徒たちは運動場に集められていました。
 時間通りに集合した生徒たちの前に立つ教師は全員の顔を見ながら授業の内容を説明します。
「今日は前回も言った通り実戦練習を行うぞ。各自、模擬線用の武器を持って二人以上のグループを作って戦闘訓練に励むように。本気でやってもらって構わないが、大怪我や死亡事故は起こさないようにな」
「グループを作れないぼっちはどうしたらいいですかぁ〜?」
 どこぞかのお調子者がそんな声を上げると、教師は真顔で答えます。
「その時は先生と二人一組のワンツーマンで模擬戦をすることになるぞ」
 刹那、生徒たちは蜘蛛の子を散らすように離れて行きました。教師はちょっとだけ寂しそうでした。
「模擬戦用の武器に斧ってないみたいだから、木で作った大剣を貰ったんだ」
 運動場の真ん中、苦笑いをしながらぼやいたトパーズが持っている武器を見て、ことりは小さく手を叩きます。
 ちなみに、実戦を想定した訓練のため制服姿のままです。期待しないように。
「だから斧じゃないんだね」
「うん。仕方ないとは言っても……あんまり手に馴染まないなあ……重量が足りないっていうか……」
「トパーズちゃんは重い物が好きってことなのですね! 重い女なのです!」
 両手それぞれに木刀を持ったネネイが悪気の一切ない笑顔でとんでもないことを口走り、トパーズはギョッと二度見。
「ち、違う! 違うから!? その言い方やめて!?」
「えー? でもさっき重さが足りないって言ってたのですよ? 違うのです?」
 首を傾げてきょとんとするネネイにリーヤが口を挟みます。
「軽い武器は慣れないってことでしょう?」
「あっ! なるほどなのです! 納得なのです! リーヤちゃん頭良いのです!」
 純度百の笑顔で褒めてくれました。リーヤは何も言いませんが得意げな表情を浮かべているあたり、満更ではない様子。
 トパーズはホッと安堵の息を吐きます。
「ほっ……ありがとうリーヤちゃん」
「別にお礼を言われるようなことなんてしてないわ。それより……早く模擬戦を初めてしまわないと、ことりが運動場の砂でひとり棒倒しを極めてしまうわよ」
 ちらりと横目で見た先には、その場でしゃがんで砂を集めて小さな山を作り、その中央に模擬戦で使う棒を刺していることりがいるではありませんか。
「うわわわわ!? ことりちゃん! 遊んでちゃダメだよ! 先生に怒られちゃうよ!」
「お話おわった?」
「終わった! 終わったから模擬戦しよっ! ねっ!」
「うん」
 あっさり納得。さっさと立ち上がると棒を砂から引き抜いて足で山を崩して軽く平らに戻してから、トパーズに向き直ってくれました。
「トパーズちゃん、模擬戦は私と一緒にしよ?」
「え? アタシ? いいの?」
「うん。トパーズちゃんの攻撃を受け止められるようにならないと、パーティの壁役は務まらないと思うから」
「そ、そっかあ……わかったよ!」
 少しだけ嬉しそうに頷いて返事をすると、後ろから不満げな声が上がります。
「えー! 私もことりちゃんと模擬戦したいのですー!」
 ちょっとだけ頬を膨らませて両手を振り回しているネネイでした。
「あ、わわ……えっと……」
 不満の声を前に目に見えて慌て出すトパーズと違い、ことりは全く動じることなく答えます。
「ネネイちゃんとは前の授業で一緒にやったから。今日はトパーズちゃんの番だよ」
「むー」
「あら、アナタには私がいるじゃない」
 不満でいっぱいなネネイの肩をリーヤが軽く叩くと、途端に明るい笑顔を作ります。
「リーヤちゃん? いいのですか?」
「いいわよ。というか、この状況なら組むのは私しかいないじゃないの」
「あーそれもそうなのですね! じゃあ一緒にやるでーす!」
 快く引き受けてから、ことりたちの邪魔にならないようにと明後日の方向に駆けていくので、リーヤは黙って着いていくのでした。
「ほっ……話が平穏に収まってよかった……このまま普通に授業が終われば良いんだけど……」
 心から安渡したトパーズが独り言をぼやいていますが、これ間違いなくフラグです。
 ことりとトパーズから離れたネネイ、既に模擬戦を始めている他の生徒たちが織り成す戦闘の音を聞きながら歩き続け、適当な場所で足を止めると、
「この辺りなら邪魔にならないはずです! ちゃちゃっとやるのです!」
 くるりと振り返ってリーヤに向けて武器を構えます。侍として二刀流を極めている彼女は二つの武器を使い戦う戦闘スタイル、一応魔法も使えるようですが本人は使いこなす気は全くないため、戦いは物理一辺倒です。
 冒険も大好きで戦うのも好きなネネイは目を輝かせてリーヤを見ています。早く戦いが始まらないかウズウズしているご様子です。
「相変わらず気が早いわね、アナタは」
 表情は心底呆れているように見えますが、その口元は緩んでいました。
「だってリーヤちゃんとはあんまり戦ったことがないのです! だからワクワクして当然なのです!」
「あら、そうだったかしら」
「はいです! 知らない相手と戦うのって面白いし楽しいのですよ! 私、冒険も大好きですけど冒険の中で戦うのも好きなのです! 両方ひっくるめて好きなのです!」
「そう」
 短く答えてから、リーヤは利き手に持ったままだった木刀を構えます。
「ご期待に応えてあげるわ。ただ、模擬戦を始める前に一つだけお願いしたいことがあるの」
「なんですか? リーヤちゃんも二刀流したいのですか?」
「ナイトは二刀流は使えないわ、そもそもそれじゃないし」
「です?」



 模擬戦を開始してしばらく経って。
 トパーズは木でできた大剣を迷いなく、ことりに向けて振り下ろします。
 力強さの第一人者でもあるドワーフの一撃が迫ってきていますが、ことりは顔色ひとつ変えずに棒を横に持って構えると。
「よいしょ」
 モノを軽く拾い上げるような口調で掛け声を出し、勢いのままに振り下ろされる一撃をそのまま受け止めました。
 刹那、強い力が勢いよくぶつかった衝撃によりことりもトパーズも後方に吹き飛ばされます。
「おっとっと」
「うわっ!」
 ほぼ同じタイミングで尻餅をついた二人。それでも武器は手放しておらず、このまま戦闘の続行も可能ですが。
「イタタタ……びっくりしたぁ……ことりちゃん大丈夫?」
「うん。平気」
 ぶつけたお尻を労りつつ立ち上がります。
「トパーズちゃんは強いね」
「あはは……まあ、ね?」
「色々な攻撃を受け止めてきたけど、トパーズちゃんの一撃より重い攻撃はまだ来たことないなあ」
「そ、それは喜んで良いのか……悪いのか……」
「褒めたよ?」
「あっ!? え、ええっと!? あ、ありがとうね!?」
「うん」
「そういえば、ネネイちゃんとリーヤちゃんは……」
 と、振り向いた時、見てしまいました。
 木刀二刀流のネネイが目にも留まらぬ速さで斬撃を繰り返し、それをひとつひとつ確実に木刀一本で弾いて防ぎ、攻撃を全く通さないリーヤの激戦を。
「わぁぁあ?!」
「おおー」
 トパーズとことりだけでなく、他の生徒たちの注目も集め始めている中、二人の真剣勝負は激化の一途を辿ります。
 防がれることが楽しくなってきたのかテンションが上がってきたのか、ネネイの連撃のスピードは増していきますが、それがリーヤに通ることはありません。
 防がれてしまうのなら更に早く早く、けれどリーヤには全く通じず弾かれ防がれ、ならばもっと早く……というのを繰り返し、もやは模擬戦とは言い難いスピードになってきました。
「早いね」
「いやちょっと速すぎないかなぁ!?」
 ことりとトパーズが自分たちの模擬戦のことを忘れつつある中、防御一辺倒だったリーヤが動きます。
 ネネイは二本の木刀で何度か交互に攻撃した後、二本の木刀で同時に斬りかかろうとすることがあります。恐らく無意識下で行われている戦闘時の癖。
 それを、リーヤはこの短時間で見抜きました。
 連撃と連撃の中、ほんの一瞬、コンマ数秒の世界を見切り、木刀でネネイの腹を突いたのです。
「うご」
 本物の刃ではないため腹部を貫通することはありませんが、冒険者として鍛えられたリーヤの一撃による衝撃は内臓にまで届き、ぐもった声が自然と飛び出します。
 衝撃と勢いのままに軽く吹っ飛んだネネイは背中から落ち、土煙を上げながら地面の上を滑って止まりました。
「イタタ……」
 痛みに顔をしかめた時。
 自分の真上から木刀の先を向け、今にも首を突き刺そうとしているリーヤが逆光と重なって見えました。
 木刀なので死ぬことはないでしょうが、当たればひとたまりも無いのは明白。
 誰かが声を上げる前に、リーヤは木刀をネネイに向けて突き刺しました。勢いのあまりちょっとした衝撃音が響きました。
「ギャーッ!!」
「おー」
 もはや見ていられなくなってトパーズは顔を覆ってしまいましたが、ことりはのんびりと眺めています。
 眼に映るのは授業中に生まれてしまった凄惨な光景……ではなく。
「危なかったのです!」
 首を捻ってギリギリのところで突きを回避したネネイ。余裕そうな声を出し。
「はっ」
 生存を見届けたリーヤが目を見開いた刹那。
「ゴラアアアアアアアアアアア!! なにしてんじゃクソボケエエエエエエエエエ!!」
 教師の怒号が運動場に響いたことにより、二人の模擬戦は強制的位に終了となったのでした。



「しっかりとお灸を据えられたわね」
「ですぅ……」
 職員室から出てきたリーヤとネネイは心無しかげんなりしていました。
 運動場に怒号が響いた直後、授業中にも関わらず職員室に連行された二人は昼休みが始まるこの時間帯まで教師にみっちりしっかりお説教され……ようやく解放されたのです。
 廊下を少し歩いたことで若干元気を取り戻したのか、ネネイは顔を上げて右手の拳を握り締め。
「リーヤちゃんが“どうせならお互いの命を奪うつもりでやりたいわ”ってお願いしたからそうしたのに! どうしてダメだったのですか! ワケが分からないのです!」
 しっかり不満を吐き出しましたが、リーヤは心底呆れ顔。
「あそこまで言われても理解できていないのは驚嘆に値するわね……授業はあくまで模擬戦、相手の命を奪うことを目的としない手合わせだからあそこまで暴れるなってことよ」
「なあんだ、そうなのですね。リーヤちゃんがまとめてくれた方が分かりやすいのです、先生の話って難しくてとっても分かりにくかったのです」
「教育って難しいのね」
 教育者の苦労を悟った後、改めてネネイを見ます。
「……で、私に何か言うことはないのかしら」
「へ? リーヤちゃんに? 何をです?」
 心から理解できず首を傾げていましたが、リーヤは声色を変えずに続けます。
「私が“殺し合いがしたい”って言い出したことが原因で授業そっちのけで叱られたのよ? 責任転嫁して私に不満をぶつけるぐらいしたらどうなの?」
 まるで挑発するような意味合いを含んだ言葉。まるでと言いますか完全に挑発でした。
 しかし、返ってきたのはあっけらかんとした返事で。
「え? リーヤちゃんが言い出したことかもしれないですけど、私が“そうしたい”って思って決めたから思いっきり暴れただけなのですよ? なのになんで私が怒るのです?」
「…………」
 この返答に対する返答は、無言でした。
 信じられないものを見ているような目で、目の前のフェルパーを見ていました。
「リーヤちゃん?」
「やはり、アナタは……似ている」
「ほへ?」
 意図が分からずキョトンとしましたが、リーヤから言葉の続きは出てきませんでした。
「んー? なんだかよく分からないのですけど……ま、いいのです! そんなことよりお昼ご飯の時間なのですよ!」
「焼きそばパンの時間ね」
 途端にリーヤの目の色が変わりました。彼女が三度の飯よりも愛して止まないもの、それが焼きそばパン。昼休み時にそれを食べることを何よりも生き甲斐にしているのですが。
「でもお昼休みが始まってからちょっと時間が経っちゃったのです。もしかすると焼きそばパンが売り切れているかもしれないのです」
「くっ……今日の昼食は抜きなのね……」
「焼きそばパンしか選択肢がないのは守備範囲が狭すぎなのです」
 呆れ顔のネネイはリーヤの右手首を掴むと、そのまま彼女を引っ張りながらずんずんと進んでいきます。
 やがてたどり着いたのは運動場横に設置されているベンチです。座ると無駄に広い運動場を一望することができるスポットなのですが、今日は運良く誰も利用していません。
 ネネイはそこにリーヤを座らせてから横に腰掛け、
「はい! これ! リーヤちゃんにあげるのです!」
 個人で持っている道具袋(武器防具程度までの物なら生き物以外はなんでも入る、ただし個数制限あり)からお弁当箱を取り出すと、満面の笑みで差し出したのでした。
 突拍子のない行動に巻き込まれ、食事まで差し出されたリーヤは当然、首を傾げていまして。
「何故?」
 当たり前の疑問をぶつけました。
「リーヤちゃんがお昼抜きになったら可哀想なのです。焼きそばパンじゃないですけどそれは妥協してほしいのです」
「…………」
 善意しか感じられない瞳を見て、お弁当箱を受け取りました。
「……ところで、アナタの昼食は」
「同じお弁当があるのです! 予備にもう一個作ってきておいてよかったのです!」
 明るく言い放ってから道具袋から別のお弁当箱を取り出しました。
 それに関しては何も言わず、リーヤは膝の上に乗せて蓋を開けてみます。
 顔を覗かせたのは箱いっぱい、ぎっしり詰まったオムライス。ケチャップで描いた花丸付き。
「……なにこれ」
 ただ、世間知らずなのか焼きそばパン以外の食べ物に一切興味がないからなのか、リーヤはそんな言葉を口に出しました。
 彼女の物知らずっぷりは既に見慣れているのか、ネネイは何食わぬ顔でスプーンを取り出していまして。
「オムライス弁当なのですよ。ケチャップライスの上に薄く焼いた卵を乗せてケチャップで絵を描いただけのやつなのです! シンプルだけど美味しいのですよ! 自信作なのです!」
「ふーん」
 興味無さそうに返してからスプーンを受け取り、弁当箱の角にある薄焼き卵をスプーンで破り、そのままケチャップライスと一緒に掬って口に運びました。
 その瞬間、青色の瞳が輝きを放ちます。
「おいしい」
 落ち着いた言葉でしたがその中には嬉しさがしっかりと詰め込まれていまして、食べ進める手が止まらなくなります。
 静かな喜びを感じ取ったネネイは満足そうに頷いて。
「よかったのです! リーヤちゃんのお口にあってホッとしたのです!」
 大層喜んでから自分の弁当の蓋を開けて、同じオムライス弁当を食べ始めたのでした。
「オムライスなんて初めて食べたけど、米をしょっぱいソースで絡めて卵を乗せるだけでここまでおいしくなるなんて……」
「ケチャップライスも知らないのですね。じゃあ今度作り方を教えてあげるのですよ!」
「いらないわ。食べたくなったらアナタに言えばいい話だもの」
「自分で作るという姿勢もないのですね」
 少し呆れ顔でしたが、オムライスを食べ続けるリーヤの横顔を眺めているうちにだんだんと、その程度のことはどうでもよくなって、笑顔になっていきます。
 それに気付いたリーヤは横目で彼女を見まして、
「そこまで喜ぶ必要なんてあるのかしら」
「あるのですよ! 自分が作った料理を褒めてもらったら嬉しいですし、リーヤちゃんが喜んでくれたならもっと嬉しいのです!」
「……他人の喜びを自分の喜びにするなんて、立派な趣味なこと」
「別に人の喜びだから嬉しいってワケじゃないですよ? 私が嬉しいなって思ったから嬉しいってだけなのです!」
「あくまでも自分本位ってワケね」

 ――“誰かを助けるため”じゃなくて、自分がそうしたいと感じたからわがままを貫く……それが結果として人助けになっているだけ
 ――私は、この優しいワガママを知っている
 ――何よりも愛おしく、思っている

「そういえば、オズくんはいなくのてよかったのですか?」
「別にどうでもいいわ。教室に戻ったら合流できるからわざわざ探す必要もない」
「そーなのですか」
 他愛のない会話を続けて、一緒の昼食の時間を過ごします。
 いち早く食事を終えた生徒が運動場でボールを蹴って遊んでいる姿が見えましたが、リーヤもネネイも特段興味を持ちません。
 少なくとも、リーヤの視線は既にオムライスではなく……。
「おいしかったのです! ごちそうさまでしたなのです!」
 しばらく過ごしている内に、二人はお弁当を食べ終えました。
「美味しかったわよ」
「ありがとうなのです! また今度作ってくるのですね! あ、お弁当箱はもらうのですよ、リーヤちゃんは洗って返すってことをしなさそうです」
「よく分かってるじゃない」
 かなり失礼な物言いにリーヤは怒ることもなく、スプーンと蓋を閉じたお弁当箱をネネイに返しました。
 お弁当箱たちがネネイの道具袋に吸い込まれた後、リーヤは再び口を開きます。
「……さて、ネネイ」
「何です?」
 腰を上げようとしていたネネイが動きを止め、首を傾げつつ視線を向けました。
 リーヤはキョトンとした彼女を見つめて、続けます。
「アナタは、私の一番大切な方によく似ているわ」
「そうなのです?」
「ええ。気まぐれでワガママで、自分のしたいことを優先させる……それが自分のためだけでなく相手のためになっているけどそれを認めない捻くれた善性を持っていて、破壊が好きだけど破壊というマイナスイメージに囚われずに生きているようなポジティブな方だったわ。喋り方も妙だし」
「えー? 全然似てないと思うのです! 私は捻くれてないですし、戦いが好きだけど壊すのは好きじゃないのです! 喋り方は認めるしかないのですけど」
「自覚あったのねそれ」
 新たな発見はともかく。
「ま、でも……本当に似ているのよ。一番似ていると感じたのは……どんな逆境でも笑顔を絶やさないところかしら」
「です?」
 心当たりが全くないと言わんばかりに目を丸くするばかり。
 まるで、何の知識も常識も備えていない赤子のような無垢な表情に、覚えたのは愛おしさかそれ以外か……リーヤは自然と笑顔になっていき、
「あの時、教師に妨害される直前に放った私の一撃。あれが決まったらアナタはきっと死んでいたわ。だって、確実に急所を突こうとしたもの」
「マジモンの殺意を感じたのですよ! ちゃんと避けたのです!」
「ええ、回避したわね。その時のアナタはとても楽しそうに笑っていたでしょ?」
「リーヤちゃんと戦っていた時は楽しかったので笑顔だったかもしれないのですね!」
「殺意を向けられ、本当に殺さそうになってもなお楽しそうにしている天性の明るさ。闇黒の中に生まれた私にはそれが……眩しすぎて」
「眩しすぎて?」
 何を言われるか予想がついていないのか、少しだけワクワクしながら次の言葉を待つネネイの両頬に、リーヤはそっと手を添えて。

 ほんの少しだけ開いていた唇に、キスをしました。

「……………………は」
 一瞬だけの口付け。生まれて初めての柔らかい感触。冒険のことしか頭になかった頭に叩き込まれる色事の情報。
 全てを一度に味わったネネイが言葉を失っている中、リーヤは、ネネイの頬に手を添えたまま。
「愛しているわ、ネネイ」
 誰にも見せたことのない優しい笑みを浮かべて、囁きました。
「アナタの眩しさが、光が、たまらなく欲しい。アナタを将来の伴侶として迎えて、その輝きを永遠に私の手中に収めておきたいわ」
「え……あ、り、リーヤちゃ」
「この高揚感と欲望を人は恋と呼ぶのでしょう? 愛だったかしら?」
「わ、わかんないの、です……? えっと、わ、私はどう、したらい」
 徐々に顔が赤くなっていくネネイの口に、リーヤはそっと指を添えます。
「返事は急がないわ。アナタの決心がつくまではただの友人として接してくれて構わない。ゆっくり決めて、私の想いに応えるか、ずっと友人でいるか……選んで」
 一方的に言い終えてしまうと、手を離してベンチから腰を上げて立ち去ってしまいました。
 ネネイは、その背が見えなくなるまで眺めることしかできません。体が石のように重くなって、動かすことができなくなってしまったから。
 優しい風が慰めるように髪を撫でて小さく揺らすと、ゆっくりと俯いてしまい。
「…………」
 言葉も出せず、喜びと動揺が入り混じった感情のまま……今、起こったことを噛み締めることしかできませんでした。
 顔に熱が回っている意味はまだ、理解できそうになくて。
 遠くで見ていた一般生徒たちが予鈴が鳴るまで唖然としていたことに気付かずに。



 一方、モーディアル学園の食堂では。
「姐御……俺を置いてどんどん先に行っちまうんだよ……姐御……どうして……姐御……」
 食堂の長テーブルに伏せたオズが永遠と嘆き続けていました。ギリギリ泣いていませんが今にも泣きそうな声色です。
「まるで子離れできない親だなお前」
 右隣にいるバムが悪態を吐きつつカツカレーを食べ、
「心配しすぎですよ。リーヤさんはオズさんが考えているよりもしっかりしたお方ですから」
 左隣にいるルンルンがチーズカレーを食べ、
 二人に挟まれいているオズの前に、普通のカレーが入った皿がそっと置かれます。
「ほら、これ僕の奢り」
 頭上からの聞き覚えがありすぎる声に反応して顔を上げれば、そこには呆れ顔のスイミーがいるではありませんか。
「お前……」
「言っておくけど君のためじゃないよ? 今日はカレーが食べたい気分だったからついでに注文しただけだしー」
 悪態を吐きながら正面の席に座り、自分のカレーを目の前に置きました。普通のカレーでした。
「意外とツンデレな面もあるんですね、スイミーさんって」
「ツンデレじゃないもんついでだもん」
「塩贈られたってことにして受け取っておく……でも、俺、姐御に捨てられたらマジでどうしよう……」
「そこは大丈夫だって。君ってまだ利用価値ありそうじゃん?」
「慰めるのかそうじゃないのかどっちなんだよテメェ……」
「今はまず昼食をとれ。福神漬けはいるか」
「まあ、そんな奴が渡すものよりもらっきょうのほうが良いですよ。はい」
「しれっと張り合ってんじゃねえよ……でも、ありがとう……ありがとうなお前ら……」
 若者たちの優しさに心打たれつつ、オズはカレーの味を噛み締めたのでした。


2025/11/17
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