追憶は夢の中で
――お父さん。
――ねえねえ、お父さん。
「はっ!」
目が覚めたオズは、誰かの家の中にいました。
本当にごくごく普通の一般的な家、自分の実家よりも広いな……と少しだけ思うぐらいで、他は特段目立ったとこもない、質素すぎず豪華すぎない一般家庭の家の中。
そこに彼は、半透明の姿でふよふよと浮いていました。
「これは……」
静かに驚きつつも冷静さを失わず、まずは自分の肉体を余すことなく確認します。
「なるほどな……相手の夢の中に入ったら自分はこうなっちまうのか。ってことは、姐御は上手くやってくれたってことか……あれで成功するのはちょっと複雑だけど」
痛むはずもない腹をさすりつつ、まずは周囲を確認します。
家の廊下でしょうか、玄関から入ってきたノームの男性に少年が一生懸命声をかけている姿が見えます。
少年は、オズにとって憎たらしい以外の他でもないノーム、スイミーでして。
「ってアイツいるじゃん! ちゃんと夢の中に入れてるな、よしよし成功だ!」
つまり現状抱き合って眠っているということですが、そこは考えずに現実逃避しておくことにしました。
このようにオズが独り言を炸裂させていても、スイミーも男性も気付きません。
「状況からしてあの男はアイツの父親か……ふーん」
ぼやきつつ二人に近づき、その間に入って様子を伺ってみます。
スイミーは持っている画用紙に書かれているモノを一生懸命父親に見せていまして。
『お父さん見て! 魔道回路の新しい術式を作ってみたんだ!』
なんて、目を輝かせてはしゃいでいます。依代は現在と変わっていないようですが、若干ながら精神年齢は低そうです。
「お? 自分が作ったやつを親に見せて褒めてもらおうってか? 俺にもそんな時代があったな〜懐かし〜、アイツにもそういう純粋で無垢な時代が……」
『これを剣に落とし込んだらね! 剣が爆発するんだよ! 面白いでしょ!』
「あーこいつは間違いなくクソノームだ。変に尖った面白さを追求する姿勢は今と何にも変わってねーのかよ」
純粋で可愛い場面が見られるかもと期待した気持ちを少しだけ返してほしいと息を吐くと、父親が言葉を発します。
『スイミー』
ただし、その目はスイミーも画用紙も見ようとはせず。
『この程度で満足するな。もっと上を目指せ』
冷たく言い放った後、廊下の奥へ足を進めてしまいました。
『…………うん』
玄関に取り残されたスイミーは、画用紙を握りしめたまま、その後ろ姿を寂しそうに見つめていました。
「……アイツ」
次の瞬間、オズの目の前で急に場面が切り替わりました。
「おっとぉ?」
場所は家の中で変わりありませんが、窓から差し込む光はないため、おそらく夜になっているのでしょう。
薄暗い廊下にスイミーはいました。
少しだけ空いているドアの隙間から、息を殺し、真剣な眼差しで中を覗いています。
「何してんだお前?」
声をかけても当然、返ってくる言葉はありません。
首を傾げつつ、オズは実体がないことを利用して壁をするりとすり抜け、ドアの向こうの部屋に入ります。
そこは、ダイニングでした。
今は大人が一息つく時間なのでしょうか、ソファーに腰掛けた父親は本に目を通しています。
その側にそっと現れたのは、ノームの女性。
『少し、あの子に厳しすぎではありませんか? あなた』
状況的にはスイミーの母親でしょうか、女性はそう言いながら、男性の前に飲み物が入ったマグカップを置きました。
『……』
父親は何も言わないため、母親はため息を吐きました。
『あなたに褒めてもらいたくて、毎日一生懸命に研究をして……今日の魔道回路も自信満々に書いていましたよ? お父さんを絶対に驚かせるんだって』
『……』
『今日、一週間ぶりにあなたが帰ってくるって知った時からずっとワクワクしていたのに……あの言い方は少し、どうかと』
「そーだそーだ! 子供が頑張ってたんだぞ! 内容はともかく努力は褒めるべきだろ! それが親の勤めってもんだろうが!」
聞こえてないことを良いことに茶々を入れるオズですが、当然無視されます。
父親は本を閉じ、それをローテーブルの上に置くと重い口を開きます。
『……実力も才能もあることは、私も認めている』
『でしたら』
『しかしね、周りの大人もお前も、あの子に少しばかり甘すぎるのだよ』
「は?」
声を上げたのはオズです。母親は目を丸くして首を傾げていました。
『年相応を優に超えた才能や能力を皆は過大評価しすぎていると常々感じている……それは、少し危険ではないかと私は思う』
『そうでしょうか?』
『飛躍した能力を活かしたことで何をしても認めてもらえる、肯定してもらえる……そういう状況はとても恐ろしいモノだ。それが続いてしまうと、いつか善悪の区別が付かなくなってしまうかもしれない。君だってそれはわかるだろう?』
『は、はい……』
『褒めることも大切かもしれないが、厳しく接し現実を教える大人が一人ぐらいいた方があの子のためになる。増長を未然に防ぐことができる……これは必要なことだ』
『…………』
『優しい君が彼を想い、心を痛めてしまう気持ちは分かる。だが、彼の将来のためには必要なことだ。分かってほしい。私が厳しく接する分、君がフォローしてあげたらいいんだ』
途中から黙って話を聞き入っていたオズはゆっくりと、母親の方を見ます。
悲しげな表情を浮かべていましたが、意を決したのか顔を上げ、呆れたような苦笑いを浮かべました。
『……全く。分かりましたよ。ではあなたの言う通りにします』
『そうか』
『でも。本当にたまに、時々でいいですから、あの子のことを褒めてあげてくださいね? 努力を認めてもらえないほど、寂しいことはありませんから』
『……まあ、考えておこう。他ならぬ君の頼みならな……』
そう言った父親はマグカップを手に取ると、ココアを飲み始めたのでした。
「……意外と愛妻家か……?」
ぼやきつつもオズはスイミーの元に戻ります。そう、この会話、こっそり覗いていたスイミーには全て筒抜けだったのです。
それを踏まえつつ壁をすり抜け、ドアの隙間を除いたままの彼を見ます。
水色の瞳はキラキラと輝いていました。
「へ?」
「なんで?」と首を傾げていると、声が流れ込んできます。
――お父さんは僕のために、厳しくしてくれているんだ。お母さんが言ってもすぐに頷かないぐらいに、固い決意なんだ。
――そのお父さんが僕を認めて、褒めてくれるようなことって何だろう? とっても面白いことなのかな?
――わからない、知りたい、見てみたい! それが分かれば! お父さんは僕を褒めてくれる! 認めてくれるはず!
彼の想いが、純粋な気持ちが頭の中に響いてきます。
親に褒めてもらいたい、子供なら誰もが抱く当たり前の感情を。
「…………」
それからのスイミーは、尊敬している父親に認めてもらうため、褒めてもらうため、研究に没頭しました。
人付き合いなどは全くせず、自分が「面白い!」と直感したアイディアの全てを実行してたくさんの結果を出したのです。
色々と犠牲にした甲斐もあり、研究の数々は多くの人に認められ、賞賛も浴びました。
それでも、肝心の父親だけは褒めるどころか興味も抱きません。
認めてもらえない寂しさを抱えつつも、それをバネにして探究心とやる気を燃やし続けました。
たった一人で情熱の炎を燃やし続けたある時、ふと気付きました。
『そうだ。いい道具を作ってそれを誰かに使ってもらって実用性を証明できれば、現実主義かつ結果論を大切にしているお父さんも認めてくれるかも!』
自室でアイディアを練っている最中、ふと思いついたアイディアをぼやいたのです。
彼の横でふよふよと浮きつつ、自分ではさっぱりわからない魔道回路を眺めていたオズはその発言に目を丸くします。
「へえ? 良い着眼点じゃん」
『身体能力とテンションをちょこっと向上させる装飾品があったなあ。ボツにしかけたけどもう一度見直してみるか……問題は、どうやって実証させるかだ。自分でやってもいいけど、もっとたくさんの検証データが欲しいところ』
「協力者を募ってみるのはどうだ? お前ずっとひとりなんだから、いい加減誰かいい友達でも見つけておけよな? 母親が心配してたぞ? 知ってんだろうけど」
『んー……』
隣で色々とお小言を垂れ流すオズは当然見えないのでないものとして扱い、スイミーは腕を組んで考えます。
「おう悩め悩め、お前ぐらいのガキは毎日悩んで頭を一生懸命動かした方がいいんだぞ? そうやってたくさん選択して時々間違えて……そういうのを繰り返して大人になっていくってもんだ」
『あ! そうだ! ぴったりなのがあった!』
ジジ臭い発言はさておき、スイミーはぱっと明るい笑顔を作り、
「なんだなんだ? とうとうお前の昔の交友関係が明らかになるのか?」
オズがわくわくしながら発言して。
『町長選に使っちゃおう!』
「は?」
意味が分からずぽかんとしました。
疑問しか持てなかったオズに応えるように、情報が頭の中に流れ込んできます。
当時、スイミーが住んでいた街では次期町長を決める選挙が行われようとしていました。
町長候補は二人の男。
ひとりは町長の実の息子、もうひとりは町長の妾の子。
二人は非常に仲が悪いことで有名でしたが、父親である町長は二人の息子を等しく愛し、どちらかが町長を継いでも良いようにと、平等に教育も行っていました。
その甲斐あってか息子たちは将来は父親の跡を継ぐとという意思を固めたものの、話し合いなどうまくいくはずがなく……最終的には街の住民たちによる投票で決着を付けようという話になっていました。
もちろん、それは表向きの話。
仲の悪い兄弟の争いは水面下で激しさを増し続けており……大嫌いな奴の首を取って不戦勝してやる! という野望のため、表沙汰にできない組織の手まで借りる始末。
街では敵対しているギャング同士の抗争だと思われているようで、大問題になっていました。
実際は激化し続ける兄弟喧嘩の一端であるとは夢にも思わずに。
「……なんでそれをお前が知ってんだよ」
全ての情報を知り得たオズが淡々と言えば、スイミーは独り言。
『いや〜音だけを拾うことはできるけど、保存はできないからリアルタイムで聞くしかない魔道具って実用性ないかと思っていたけど、捨てないでよかったな〜テキトーな場所に置いたらとんでもない情報をゲットできちゃうんだもん』
「つまり盗聴してたってことか! やってることただの犯罪じゃねえか馬鹿野郎! これだから常軌を逸した天才ってやつは倫理観が欠けてるって言われんだぞ!!」
怒鳴り声など聞こえるはずもなく、
『とりあえず売り込みから始めてみよっと! でもどう接触するかが問題だなあ、ただの十代の子供の言葉なんて大人が聞く耳持つはずもないし、プレゼン方法から考えてみるか……そうだ、たくさんデータ欲しいからもうちょっと抗争を激化させておこう!』
「おいおい……犯罪行為の斡旋じゃねえか……やめとけって」
『忙しくなっちゃうぞ〜!』
「だからやめろって! なんで楽しそうなんだよお前!」
これはただの記憶、オズの制止など聞く耳持たれなくて当然でした。
こうして、ひとり孤独なスイミーは大人の問題とギャングの抗争に首を突っ込んでいくことになります。
素性を隠して装飾品を適正な価格で売り捌きつつ、偽の情報まで流して兄弟を挑発して煽りに煽って。
結果、兄弟の殺意がピークに達するのにそう時間はかからず……町長選を前にして、本当に殺し合いが始まってしまったのです。
街の中ではなく、郊外の廃墟で抗争が始まることになったのは多少の理性が残っていたからでしょうか。兄弟はギャングたちの中に紛れ、憎き奴を抹殺するため悲願を叶えようとしていました。。
その光景を、スイミーは遠くの誰もいない民家跡から双眼鏡を使って見ていました。
『うまくいったうまくいった! これだけ大きな争いになれば十分すぎるデータが取れるねえ!』
誰もいないことをいいことに独り言炸裂。遠くから見ているギャングたちのほとんどが彼が作った装飾品を身につけており、自身のプレゼン結果を物語っていました。
その姿をオズは愕然としながら見つめているだけ。
「お前……なんつーことを……」
『これで結果さえ出せばお父さんも僕のことを認めてくれるはず! もうちょっとの辛抱! がんばるぞー!』
夏休みの宿題を片付けているような気分かもしれませんが、現実に起ころうとしているのは人同士の殺し合いです。とても、子供一人で責任を負えるような出来事ではありませんでした。
スイミー自身は全く自覚がない様子ですが、現状を眺めることしかできないオズの内心は焦りと恐怖に支配されつつありました。
「認めてもらうとかじゃねえだろ!? このままだとお前のせいでマジで人が死ぬ! 一人二人の話じゃなくて大勢の人間がな!? 分かってんのかよ! 分かってんのかよお前!」
『さてさて……あとどれぐらいで始まるのかな〜? まだかな〜?』
「おいバカクソノーム! 父親に褒めてもらうって目的に盲目的になりすぎて、倫理観を忘れてんじゃ」
記憶を「見ているだけ」という現状も忘れたオズが説得を続けている時でした。
スイミーが覗き込んでいた双眼鏡がひょいっと、奪われたのです。
『え?』
「へ?」
オズまで一緒に振り向くと、そこにいたのは青年でした。
二人には見覚えがありました。彼は町長候補のひとり、現在兄弟と壮絶な争いを繰り広げている血の気の多い男。彼は妾の子の方ですね。
『……え?』
顔を引き攣らせているスイミーに、彼は言います。
『お前が首謀者だな』
この日、血は一滴も流れませんでした。
たった一人の少年の「褒められたい」という純粋な想いにより多くの大人は翻弄され、多大な損害を出し、中には社会的な信用まで失った者もいました。
加えて命が失われる寸前まで事が進んでしまっていたのです。未然に防がれたのは不幸中の幸いではありましたが、多くの大人をそこまで導いてしまった罪はあまりにも重く。ひとりの子供にはとても背負いきれるものではありませんでした。
当然、一家は人々に責められました。
酷い言葉、聞いているだけで耳を塞ぎたくなるような棘のある言葉の羅列に痛めつけられました。
優しかった母親が心を病んで倒れてしまっても、心無い行いが収まることはありませんでした。
父親が関係者各位への損害賠償という責任を果たした後、一家は長年暮らしていた街から遠くの地に引っ越すこととなりました。
追放という名目で済んだのは、国内でも有数の錬金術師だった父親が街に多く貢献してきたからでしょう。そこは、スイミー本人が記憶していないため、分かりませんでした。
引っ越した先はある住宅街。一軒一軒の家の距離がそれなりに離れている、静かな田舎町でした。
「……なるべくしてこうなったって言えば、話は早いけどよ」
小さくぼやいたオズは、やるせない気持ちを抱えたまま、大きなため息を吐きました。
この頃、あれほど滅多に帰ってこなかった父親はずっと家にいました。愛する妻の治療のために、錬金術師の権威でもあったその地位を一時期的に放棄したのです。
引っ越しを終えて落ち着いた頃、スイミーは父親の部屋にいました。
『……何故、あんなことをした』
書斎の椅子に腰掛けている父親の淡々と発した声に、感情は欠片もありません。
俯いたままのスイミーは、答えます。
『僕は、僕はね、お父さんに認めてもらいたかっただけ、なんだよ……』
『……』
『だってお父さん、僕のこと一度も褒めてくれない、認めてくれないから……僕は、一度でいいからお父さんに褒めてもらいたかった、認めてもらいたかったんだ……』
『……それだけのために』
『錬金で作ったものに実用性があって、それが優れた結果を収めることができたら結果論を大切にするお父さんも認めてくれるかもしれないって思ったら、止まらなくなってたんだ……あのやり方は、良くなかったけど』
恐る恐る言葉を述べるスイミー。あれほど尊敬していた父親の顔は一度も見ていません。
オズは黙ったまま親子の重いやりとりを眺めていました。それしかできないから。
すると、父親は突然、立ち上がります。
「え?」
オズだけでなくスイミーまでキョトンとしていると、父親はスイミーの腕を掴みました。
『え?』
そのまま引っ張るように部屋の外に連れ出し、階段を上がり、二階の廊下へ辿り着き、奥へ奥へと進みます。
廊下の最奥にあるのはスイミーの部屋です。乱暴にドアを開けた父親はそこに彼を放り込みました。
『あいてっ』
床に倒れてしまったスイミーの背で、ドアが閉まる音がしました。
『お父さん……?』
なんとか立ち上がったものの、呆然としてドアを見つめるしかできないでいると、オズも壁をすり抜けて部屋に入ってきました。
「へー前の家と比べるとだいぶ質素な感じになったなー」
のん気に感想を述べていると、ドア越しに父親の声がします。
『スイミー』
『な、なに?』
『お前はもう、何も、しないでくれ……』
懇願するような、絞り出すような、切羽詰まった声色。
スイミーは父親のこの声を生まれて初めて聞きました。
家族に対して感情を大きく動かすこともなければ、弱っている場面も見せたことのなかった気難しい父親が、始めてそれを彼に見せてしまった。
自分はそれほどまでに父親を追い込んでしまったということ。もう何度目かになる罪の重さを実感し、俯いてしまいました。
オズも黙ってそれを眺め続け、親子の次の会話を待ちます。
次に言葉を発したのは、父親でした。
『お前が何かをしたところで、私がお前を褒めることも認めることはない……未来永劫、永遠にだ』
人生の目標にしていたことが、目の前で音を立てて崩れ落ちていきます。それは、自身の「全て」が消えて無くなってしまうことと同義。喪失感や絶望は計り知れないことでしょう。
「お前……」
心配そうにオズが声を上げても、スイミーは静かに受け入れていました。
『……僕が、あんなこと、したから、だよね……。分かってるよ、そう言われて当然だってことぐらい……』
『違う』
「へ?」
オズとスイミーの声が重なって、父親は、弱さもなければ感情もない淡々とした声色で、返すのです。
『私は、お前のことが心からどうでもいい』
スイミーから言葉は、出ませんでした。
「はぁ!? テメェの実の息子だろ!」
その反面、即座に反応したオズが怒鳴りつけていましたがその声は届きません。
父親は同じ声色のまま続けます。
『私は妻がいればそれでよかった。妻さえいれば、彼女が私の隣で微笑んでくれたら、他には何もいらなかった、それ以上のことを望むこともなかった』
「だ、旦那としては満点だなお前……」
『だが、その妻が“二人の子供が欲しい”と言い出した』
「ほんほん、結婚してしばらくしたら子供が欲しくなるのは自然な流れだよなあ」
『その時から、私の人生は大きく狂い始めた』
「ん?」
『妻の望みは全て叶えてやりたかった。しかし、子供など……私と妻の生活において邪魔な存在でしかない。私にとって全く必要ないモノだ。妻の願いと私の気持ち、両方を天秤にかけ悩み続け……結局、妻に私の本当の気持ちを伝えることができないまま、お前を生み出してしまった』
「…………」
『育てていく内に、愛着が湧く可能性があるかもしれないと期待したが……結局、お前は生み出されてから今日まで、私にとって邪魔な存在でしかなかった。他のノームと異なる、半端な魂を持つ“普通”ではないお前が、どれほど目障りだったか』
「テメェ! 言っていいことと悪いことの区別も付かなくなっちまったのかよ! なんで余計なことばっか言いやがるんだよ! もうやめてやれよ! じゃないと、アイツ……!」
激怒の声も、届きません。
『お前が目障りな存在だとしても、妻のためにと父親を演じてきたが、その結果がこれだ。私は長い茶番の末に妻の心に一生癒えない傷を刻んでしまった……お前のせいでな』
『…………』
『妻が壊れかけてしまった今、お前はもう必要ない』
期待しないと言われ、見捨てられてしまうだけならどれだけ良かったか。
誰よりも尊敬し、憧れていた存在には最初から拒絶され、不要物だと烙印を押されてしまった現実は、まだ生まれて十数年しか経っていない子供にとって、あまりにも重く、命すら奪われてしまうような感覚に陥ってしまうことでしょう。
「…………」
オズは、意味がないと分かっている言葉をかけることも、できなくなってしまいました。
『私の許可なく、この家から出るな』
吐き捨てた父親の足音はすぐに遠ざかってしまいます。追いかける気力も、弁解する精神も今のスイミーにはありません。
足音はあっという間に聞こえなくなって。オズは再び口を開きます。
「なんだよあのクソ親父! 嫁のために〜とかなんとか愛妻家みたいな綺麗事を並べてたけどよ! 子供を持つって決めたのはテメェだろ! 命を預かる選択をしたのはテメェだ! なら! 本音は隠して最後まで責任を持って親であるべきじゃねぇか! ノームはうっかりデキちまうような種族でもねえんだから! 覚悟と決断のために考える時間はいっぱいあっただろうが! クソ! 殴りてぇあの顔!」
憤慨し続けるオズの横で、何かが崩れ落ちました。
彼の足元では、床に座り込んでしまったスイミーがいて。
『……無駄、だっ、た……』
呆然としたまま、声をこぼしました。
――僕が今までやってきたことは、夢見ていたことは全部、意味の無いことだった
――あんな父親のために、たくさんのものを犠牲にしてしまった。
――僕の人生って何? 生まれてきた意味ってある?
――僕って、なに……?
悲痛な感情と想いが、オズの頭の中に声となって流れ込んできて。
「……あるに、決まってんだろ」
『僕は、何の……ために……』
「……」
『うう……ああ、あああああああ……!』
部屋の中に響くのは、ひとり寂しく泣き続ける声。
見ることしかできないオズは、大嫌いな彼のその姿を悲しげに見つめ続けることしかできません。
見ることしかできない、何かをしたところで意味を成さないと分かっていても。彼は。
「……やり方は間違ってたかもしんねーけど、認めてもらいたいって気持ちは本物だったぞ。それは俺が保証してやる」
届かない、届くはずがないと分かっているというのに膝を付き、肩にそっと手を置いて声をかけ続けます。
「お前は間違ってねえよ。お前の努力もひたむきさも俺が全部知ってる。本当に頑張った、頑張ったんだよ……大したもんだって。結果は散々であの毒親父は認めようともしなかったけどよ、お前が努力したことは最初から最後までずっと、俺が見てたから……大丈夫だ。だからさ、そんな寂しいこと考えんなよ……」
触れることはできない。触っているように優しく肩を叩いているように見えても実際は触れている感覚もなければ、触れられていると気付くこともないのでしょう。
これはただの記憶の羅列。スイミーの記憶を見ているだけ。記憶に声をかけても、慰めても、意味がないとオズ自身が一番分かっています。
それでも、何かしなければ彼自身の気が収まらなかったのです。
「……自己満足だけどよ」
歯がゆい気持ちを噛み締めていると、ふと、目の前が真っ暗になりました。
「は?」
突然のことに素っ頓狂な声を出していると目の前に光が現れたと気付くと、それはどんどん大きくなっていくではありませんか。
「なんじゃこりゃ? 目覚めの兆候?」
目も開けていられないほど光が大きくなり、オズを包み始めていき。
「なっ、これは……マジで……い、意識が……」
同時進行で意識が朦朧としてくる中、声が響いてきました。
『あのさ、僕、この家から出ようと思う』
『アンタに一年も閉じ込めらた間、ずっと考えてたことがあるんだ……僕、この家にいる意味って全然ないでしょ?』
『僕はもうアンタにとって用済みだから置き物のように放置しておくだけ……でもアンタはいつまで僕をこうしておくつもりなの? 母さんが回復するまで? 僕が死ぬまで? アンタが死ぬまで?』
『……答えられないよね、何も決めてない、決められないから。僕の存在を“なかったこと”にしたいけど、できないんだもん。母さんのことともそうだけど自分自身の体裁のこともあるもんね? これ以上僕のせいで堕ちたくないもんね? だから、僕自身が消えて“なかったこと”にしてあげるんだよ? 最高の提案だとは思わない?』
『ここから去って、遠くへ行こうと思う。二度とアンタの視界には入らない。二度とここには帰らない』
『行く場所はもう決めてあるんだ。実は進学したいんだよね? ちょうど良い歳だしさ? 将来のことも考えて手に職をつけておきたくってね。入学手続きとかは自分でどうにかできるからさ、学費だけ出してくれない? 手切れ金だと思ってさ? ね? いいでしょ?』
『だからさ、行かせてよ。クロスティーニ学園に』
「……んが」
芝生のベッドの上でオズは目を覚ましました。
視界がクリアになって見えてしまう、嫌いなアイツの寝起き顔。
バチっとぴったり目があった刹那。
「ギャッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!」
同時に悲鳴を上げて同時に起き上がり、同じ距離を同じ速度で後退しました。
「あら、起きたのね」
傍に座り込んでいたリーヤは自伝を書く手を止めると、ノートとペンをしまってから立ち上がります。
芝生の上に尻餅をついたままのオズの顔は引き攣っており。
「ビビった……いや、分かってたことだけどやっぱビビるわ……ってか姐御、ずっとここにいたんすか?」
「事の顛末は見届けたいと思ったのよ。私も関与してしまった身だし」
「あー、そりゃあそうっすねぇ」
簡単かつ雑に返事をして立ち上がり、お尻についた草を軽く払っていると。
「…………おい」
同じく座り込んでしまっていたスイミーが、今まで聞いた事ないぐらい低い声でそう言い、ゆっくりと立ち上がっているのが見えます。
いつもの彼とは異なる雰囲気にオズは怯みも驚きもしません。自分で蒔いた種なのですから。ただ冷静に、見据えていました。
「やっぱ気付くか……姐御、ちょっとしばらく口を挟まないでくださいね。お願いしやす」
「ケリは自分でつけなさい」
興味があるようなないような淡々とした口調で言ったリーヤはしばらく口を閉ざすことにしました。
スイミーは黙ったまま足を前に進めていき、オズは静かにその姿を眺め続けていて……。
「お前なあ!」
胸ぐらを掴まれても無抵抗のままでした。
「人のことを探って! 知られたくない過去を見て! 楽しいかぁ!? あぁ!?」
初めて見た剣幕に怖気付くこともなく、オズは真っ直ぐ見つめて、答えます。
「よく気付いたよな」
「直近の記憶を見たらお前の目論見全部暴けるに決まってるだろ! なんでこんなことした! なんで!」
「正直に答えてやる。お前のことがムカつくから弱みのひとつやふたつ握ってやろうと思った。だからやった、それだけ」
嘘偽りは何一つない。今にして思えば子供じみた馬鹿みたいな動機を正直に、彼の目を見つめて答えました。
「はあ!? そんなことで!? そんなことのために!?」
「そうだな」
悪びれもせず、オズは淡々と肯定しました。
すると、胸ぐらを掴む手の力が緩み、ぷつんと糸が切れたように下ろします。
スイミーは愕然としたまま、立ち尽くしてしまいました。
「そんな……子供じみたことの、ために……僕の、あの過去を……見たの……?」
「おう。動機は馬鹿みてえに軽いものだったけどよ、お前のそれは……簡単な気持ちで踏み込んじゃいけねえよな。つーか、人の過去を勝手に見るだなんて馬鹿としか言いようがねえ。一時的な感情で俺は馬鹿みてえなことをしたんだよ。ほんの少しだけ、口喧嘩の勝率を上げるためにな」
「……」
「殴りたかったら殴ればいい。お前の気が済むまで俺を好きにすればいい。ここでくびり殺されても文句は言えねえ。俺は……それほどのことをしちまったんだからな」
「…………」
黙り込んでしまったスイミーが拳を振り上げようとして、結局力が入らずに下ろしてしまいました。
そのまま俯いてしまっても、オズは何も言いません。視線も逸らそうともしません。
「……はっ」
すると、スイミーから乾いた笑いが出て、
「人の、弱みが知れたね? 目的達成でしょ? 良かったじゃん……」
「……」
「笑うなり何なりさ、すれば、いいでしょ……? それが本来の目的だったんだから……」
「できるわけねーだろ」
即座に答え、彼の肩が震えます。
「なんで……なんでそんな……どうして、僕のこと、嫌いじゃ……」
「確かに嫌いだけどよ。弱りきってるお前を馬鹿にして踏み躙るほど、俺は外道に堕ちちゃいねえんだよ」
「なんで……だよ……人の記憶を見た癖に……僕のこと、好きに晒せばいいのに、なんで、そんな、どうして……」
「…………」
「どうして……優しいんだよ……?」
絞り出すような弱い声は引き攣っていました。
色々な感情がごちゃ混ぜになってしまいパニックと怒りに支配されながらも、感情に囚われず大嫌いな彼を理解しようとしているのでしょうか。
過去を暴き、陥れる準備を整えられているというのに、実行しようともしない誠実さを理解できないから、説明がつかないから、問いているのか。
彼の記憶を見たオズにもそれは分かりません。だから、疑問の声に応えます。
「……優しくねえよ。俺は。後悔しないように生きてるってだけだ。ここでお前と正面から向き合わなかったら絶対に後悔するって分かってるから、そうしてるだけだよ」
「……」
スイミーは無言で返しました。
それでもオズは、彼から出てくるはずの次の言葉を待ちました。
何分かかっても、何時間かかっても、日数がかかっても……待ち続けるつもりでした。
やがて、待っていた言葉はすぐに現れます。
「……さっき見た、僕の過去のことだけど」
「おう」
「馬鹿にしてもいい、僕の弱みとして使ってくれたらいい、僕に何をしても、いいから……だから……」
拳を握り締め、
「お願い……みんなには、ことりちゃんには……言わないで……」
絞り出すような声で、懇願したのです。
芝生の上に落ちる透明な粒が、彼の必死さと感情を物語っていました。
俯いたままで表情は見えませんが、オズは、自分が何をしてしまったことを痛感するしかありません。
誰にも見えないところで下唇を噛み締めるしか、できませんでした。
「お願い……お願いだから……こんなの、知られたくない……みんなが知ってる僕じゃない。そんなの嫌だ……嫌だから、僕はどうなってもいいから……だから……」
本来だったら聞いてて気持ちの良かったはずの懇願も、ちくりちくりと小さな針のように心に刺さってしまいます。
オズは今、人生で一番後悔していました。
自分の軽薄さに怒りと呆れしか出てきません。今すぐ自分自身を殴り倒したい衝動に駆られていました。
暴力に訴えたところで誰も救われないことぐらい分かっているので、拳を自分に向けることはしません。
そんなことよりも、やらなければならないことが今の彼にはあります。
「馬鹿が。簡単に自分を差し出そうとしてんじゃねえよ。懇願されなくっても誰にも言わねーっての」
素直な気持ちをぶつけることを。
「……嘘」
「嘘なもんかよ。俺は人の弱みとか恥ずかしい場面をからかって愉悦に浸ることはあるけどな、トラウマに土足で踏み込んだ日にそれを利用して、相手を支配するなんぞまっぴらごめんだっつーの。頼まれてもやんねえよ」
「……」
「そんなカスみたいな所業してたら、あの世にいる爺ちゃんと婆ちゃんに顔向けできないからな。俺の記憶を見たなら分かるだろ? お前だって」
「……」
「……見ちまったことはなかったことにしようぜ。俺もお前もな」
「…………」
無言を貫くスイミーにオズは、小さく息を吐いてから、こう言います。
「……ごめんな。スイミー」
「……うん。ありがと……オズ」
袖で目元を拭いて、スイミーは顔を上げました。
オズがムカついてしまうほど、心から安渡した笑顔を浮かべて……。
「なるほど、お互いの全てを知ってしまったからこそ、上部だけの言葉だと判断せずにすぐに和解できたのね」
最初から最後まで全て見ていたリーヤが腕を組んだままぽつりと述べれば、二人はとっても渋い顔。
「やめてリーヤちゃん、その言い方なんかちょっとイヤだ」
「ってか姉御、絶対に途中で余計な茶々入れてくるかと思ってたけど、ずっと静かにできてたな」
「アナタは私を何だと思っているのよ」
「幼児?」
以下、割と正当性のあるけどよく考えたら理不尽な暴力。それは脳天から垂直に落とされた硬い拳でした。
「うぎゃん」
結果、オズの肉体のほとんどが地面に接触してしまったのでした。ぶっ倒れました。
「なんでそう口を滑らせるんだか。面白いからいいけど〜」
「それにしてもアナタも大胆ね。自分の全てを差し出してまで口止めしようとするなんて」
ぶっ倒れたオズなど気にも止めず、何故か拳を握ったままのリーヤが淡々と言えば、彼も淡々と返します。
「つまり、どんな手を使ってでもバレたくないってことなんだよアレは。特にことりちゃんには」
「どうして?」
拳を下ろしつつ尋ねたら、スイミーはどこか暗い表情を浮かべ。
「……ことりちゃんってすっごく優しいでしょ? それでもって友達想いでみんなことが大好きで、僕もそんなことりちゃんのことが大好きなんだけど」
「ルンルンに絞め殺されない?」
「恋愛的な意味じゃないから」
即答で否定していると、オズが頭部を労わりながらよろよろと起き上がるのが見えます。
「相思相愛だもんなお前ら、一部を除いて……イテテ」
倒れていても話は聞いていたようでしれっと会話に混ざっても、誰も変な顔をせず、スイミーもそのまま続けるのです。
「人の邪な側面について鈍くても“大好きな人が傷つけられた”っていう事実は事実のまま受け止めることができることりちゃんが、僕がされた仕打ちを知ってみ?」
「おう?」
「ええ?」
オズとリーヤがそれぞれ別方向に首を傾け、
「……怒るどころじゃ済まないよ」
真顔で、今までにないぐらい真剣な表情で答えてくれました。おふざけもギャグも一切含まれていない、警告にも似たシリアスな口調でした。
心当たりがあるのかオズは黙ったままでしたが、リーヤは表情筋ひとつ動かさないまま言葉を続けます。
「あのことりがそこまでするかしら。暴れたら強いってことは認めるけど」
同パーティではないものの、同じ戦士系学科を履修しているリーヤは授業や手合わせの一環でお互いの実力はある程度把握できています……が、スイミーがここまで真剣に警告することに納得できないため、首を傾げてしまうのでした。
そんな様子でもスイミーは感情を乱すことなく、真剣な口調で答えるのです。
「するよ。ことりちゃんはする。冒険者になってずっと一緒に行動したしずっと隣で見てきたんだもん。まだ善にも悪にも染まっていない純粋さを持ち合わせているだけじゃなくて、制御とか自重を知らないから、暴走でもしたらどれだけの被害を出すかまるで想像がつかないんだ。付き合いが長くても想像ができないっていうのは、とても恐ろしいことなんだよ」
「思春期なら性格ほぼ固まってるはずでしょ? あの子本当に同年代?」
誰もが疑問に思う点については無言で返答されました。
短い沈黙の末、オズのため息により会話は再開します。
「つーかよ、お前らのパーティって一部除いてめちゃくちゃ仲良いじゃん? 誰もお前の過去について何も知らないままだったのかよ?」
「知らないよ。誰にも教えるつもりはないよ、今までもこれからも」
「何でだよ。ことりは大前提として、ネネイやルンルンは言いにくいとしてもよ? バムやトパーズならちゃんと受け止めてくれるんじゃねえの? まだまともな性格してるじゃねえか」
「まだ」のところで妙に強く発音していたのは気のせいではありません。
このような疑問に対しスイミーは首を横に振って、
「言わない」
なんて返したものですからオズは引き下がらず、
「なんでだよ? 逆に何があったか聞かれたもしないのか?」
「しない。僕が家族のことを拒絶しすぎたせいで、みんな空気を読んで何も聞いてこないから……」
少し気まずそうに視線を逸らしてしまいました。嬉しいような複雑なような、優しさが垣間見れてくすぐったいような、仲間たちの想いを思い出しながら……
すると、オズはすぐさまスイミーの肩を掴み。
「お前マジでアイツらを一生大事にしろよ!?」
「言われなくても」
どこか必死感のある様子にも怯まずすぐに返したのでした。
それらをつまらなさそうに眺めていたリーヤでしたが、ふと、ポンと手を叩き。
「あ。話は変わるけど、スイミー、アナタはオズの過去を見たのよね?」
「え? うん」
「じゃあオズの実年齢を知ることができたってことでしょ? 教えなさい」
冷たい青色の瞳を向けて命令すれば、スイミーの体がびくりと震えます。殴られたトラウマがまだ残っているのでしょうか。
実年齢不詳のオズはスイミーの肩から手を離すと、バツが悪そうに目を逸らし、
「けっ、こればっかりは仕方ねえよな。こっちも覚悟の上だったし……」
なんて諦めたように言いますが、スイミーは小刻みに震えるままで、いつまで経っても次の言葉を発しません。
「ん? どうした? さすがにお前がドン引きするような年齢じゃねえと思ってるけど」
「どうしたのよ」
それぞれが言葉をかけてから数秒、ようやく震えを止めたスイミーが呆然としたまま、口を開きます。
「…………忘れた」
と。
「は?」
表情筋を一切動かさなかったリーヤの眉間にシワが寄りましたが、スイミーは臆せず続けます。
「実年齢、確認するの、忘れてた……ああ、忘れてた、忘れてたぁ……僕と、僕としたことが!!」
自分の過ちを完全に理解してしまったのか、大声を上げて頭を抱えたではありませんか。
「おっしゃラッキィ!! って痛え!!」
指を鳴らして強めに喜ぶオズの足に蹴りを入れ、リーヤは腕を組んで不満たっぷりなご様子でスイミーを睨みつけまして。
「なんでそんな大切なことを忘れるのよ」
「記憶を除かれたことによるストレスフルだったからとしか言いようがないよ! あー! やっちゃった! 本当にもったいないことをした! あーもー! 僕のバカ! バカバカバカバカバカバカバカ! 最悪! 最悪! 最悪!」
自戒の意味も込めて頭をポカポカ叩いてから、必死の形相でオズを凝視。
「ねえ! もう一回あの魔道具を使おうよ! 年齢確認のために!」
「使うかクソボケ! テメェの過去再放送なんて御免だぞ俺は! つーかまた抱き合って寝ないといけねぇってことになるだろうが! お前はそれでもいいのかよ!」
「一回目がイケたから二回目は余裕」
「ドヤ顔で親指立てんな! 俺は無理だぞボケぇ!!」
怒鳴り声が中庭に響く中、リーヤは自身の拳を合わせてポキポキと音を鳴らしまして、
「焼きそばパンを奢ってくれるならまた協力してあげてもいいわよ」
手法が分かりきっている協力を提案すれば、男二人顔面蒼白。
「い、いやだ! それだけは嫌だよリーヤちゃん!」
「姐御の協力は痛みを伴うから却下!」
「チッ。仕方ないわね」
諦めて舌打ちと共に拳を下ろしました。暴力による問題解決という道は消え失せたのです。
それでもスイミーの気は晴れず、大きなため息。
「はあ……人生で一番勿体ないことをした気分……」
「俺としては首の皮繋がったような気分だけどな」
「僕のあんなところやこんなところ……なんなら恥ずかしいところまで全部見た上で、自分の一番恥ずかしいところは隠すんだ……ずるいなぁ、大人ってずるいなあ……」
「誤解を招くようなこと言ってんじゃねえ!! 誰かに聞かれたらどうすんだ!!」
オズ、必死の絶叫。
「とうとう大人って部分を否定しなくなったわね」
「姐御はちょっと黙ってて!」
雑にリーヤを黙らせている間にも、スイミーは口を尖らせ足元にある小石を蹴飛ばしいじけながら。
「教えてくれないならもういいよ。年齢を一桁誤魔化しているフェアリーのオズは、人の恥ずかしいところをこっそり見るのが大好きな変態虫野郎って設定で今後接していくから」
本気か冗談か判断に困るテンションで言ったものですからオズはもう真夏の海のように真っ青です。
「やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ! つーか一桁は誤魔化してるって何だよ!」
拒否しつつ訂正も忘れませんが無視されるだけ。スイミーは「呼び名変えなきゃな……何がいいかな……変態虫野郎は語呂悪いしな……変虫とかでいいかな……」とかぼやいています。彼ならやりかねません。
黙っていたリーヤはオズの肩をそっと叩き、
「ヒントぐらい与えたらいいじゃない。そうでないとアナタ、明日から変態虫野郎って設定で生きていくことになるわよ」
「ぬぐぐ……」
悔しそうに歯を食いしばり、どこまで妥協するか思案中。相手の全てを見たのなら自分の全てを教えてもいいかもしれませんが、ここまで年齢を明かさずに過ごしてきたプライドと、明かした後に発生するであろうストレスを考慮すると、簡単に話せないのは当然でした。
悔しさのあまり歯にヒビが入りそうな勢いですが、スイミーは気にも止めず。
「ことりちゃんたちにはどう説明しようかしら……僕の純潔は一匹のフェアリーによって汚され、踏み躙られ、めちゃくちゃにされてしまったって言おうかな……みんな、怒ってくれるかな……」
「待て待て待て! やめろって! 俺はアイツらを敵に回したくねえ!」
「じゃあ実年齢」
なんと分かりやすい等価交換か。ニヤリとほくそ笑むスイミーに数分前の悲壮感はミリもありません。人って短時間でここまで変貌するものなのですね。
ストレスが瞬時に上昇したオズは奥歯を噛み締めます。たぶん今ヒビが入りました。
そして、観念したのか大きなため息を吐いて。
「……ヒントならやる」
自分ができる精一杯の妥協を提案すればスイミーだけでなく、リーヤの目も輝きます。
「あら」
「ヒントね! わかった! 少ないヒントから確実に正解を導き出してみせる!」
やる気と期待に満ち溢れているスイミーに、オズは言います。
「お前、歳いくつ?」
と。首を傾げたスイミーは疑問に思いつつも。
「へ? 十六だけど」
簡潔に答えました。「私よりかなり若いわね」というリーヤのぼやきはスルーして。
オズはそっと視線を逸らすと。
「…………じゃあ、その、一回り以上は、ある」
「じゃあ?」
引っかかる言い回しに目つきを鋭くさせましたが、オズはさっさと背を向けてしまい。
「以上! ヒント終わり! これ以上の手掛かりは与えん!」
逃げるように早足で立ち去ってしまいます。真珠入りの枕を回収するのも忘れません。
「は!? ええっ!? 少ないのはわかってたけどいくらなんでも少なすぎない?! ねえ!」
これで納得できるほど良い子ではないスイミー、急いで追いかけます。
「ねえもう一声! もう一声ちょうだいよ! 下一桁とか言ってくれてもいいじゃん!」
「教えねえよ! これ以上の譲歩はしない! 後は自分で考えて探すなりしろ! お前好きだろそういうの考えるの!」
「だからって手掛かりほとんどないじゃん! 僕より一回り以上ありつつフェアリーの平均寿命とか考えたら該当範囲膨大じゃん! もっといるって! もっともっと!」
「だからこれ以上は与えねえっつってんだろ! しつけえんだよバカクソノーム!!」
「おっさんのショウジョウバエ!」
「黙れぇ!!」
ギャアギャアと騒ぎながら中庭から出ていく二人。
完全に置いてけぼりにされたリーヤはその後ろ姿を、心からつまらなさそうに眺めていました。
「……記憶を覗いて得た情報を使って脅迫すれば要求なんてすぐ通るのに……本当に平和的でつまらない連中ね、あの二人」
そうぼやいてから、二人が去った方角と逆方向へと歩いていくのでした。
2025.10.5
――ねえねえ、お父さん。
「はっ!」
目が覚めたオズは、誰かの家の中にいました。
本当にごくごく普通の一般的な家、自分の実家よりも広いな……と少しだけ思うぐらいで、他は特段目立ったとこもない、質素すぎず豪華すぎない一般家庭の家の中。
そこに彼は、半透明の姿でふよふよと浮いていました。
「これは……」
静かに驚きつつも冷静さを失わず、まずは自分の肉体を余すことなく確認します。
「なるほどな……相手の夢の中に入ったら自分はこうなっちまうのか。ってことは、姐御は上手くやってくれたってことか……あれで成功するのはちょっと複雑だけど」
痛むはずもない腹をさすりつつ、まずは周囲を確認します。
家の廊下でしょうか、玄関から入ってきたノームの男性に少年が一生懸命声をかけている姿が見えます。
少年は、オズにとって憎たらしい以外の他でもないノーム、スイミーでして。
「ってアイツいるじゃん! ちゃんと夢の中に入れてるな、よしよし成功だ!」
つまり現状抱き合って眠っているということですが、そこは考えずに現実逃避しておくことにしました。
このようにオズが独り言を炸裂させていても、スイミーも男性も気付きません。
「状況からしてあの男はアイツの父親か……ふーん」
ぼやきつつ二人に近づき、その間に入って様子を伺ってみます。
スイミーは持っている画用紙に書かれているモノを一生懸命父親に見せていまして。
『お父さん見て! 魔道回路の新しい術式を作ってみたんだ!』
なんて、目を輝かせてはしゃいでいます。依代は現在と変わっていないようですが、若干ながら精神年齢は低そうです。
「お? 自分が作ったやつを親に見せて褒めてもらおうってか? 俺にもそんな時代があったな〜懐かし〜、アイツにもそういう純粋で無垢な時代が……」
『これを剣に落とし込んだらね! 剣が爆発するんだよ! 面白いでしょ!』
「あーこいつは間違いなくクソノームだ。変に尖った面白さを追求する姿勢は今と何にも変わってねーのかよ」
純粋で可愛い場面が見られるかもと期待した気持ちを少しだけ返してほしいと息を吐くと、父親が言葉を発します。
『スイミー』
ただし、その目はスイミーも画用紙も見ようとはせず。
『この程度で満足するな。もっと上を目指せ』
冷たく言い放った後、廊下の奥へ足を進めてしまいました。
『…………うん』
玄関に取り残されたスイミーは、画用紙を握りしめたまま、その後ろ姿を寂しそうに見つめていました。
「……アイツ」
次の瞬間、オズの目の前で急に場面が切り替わりました。
「おっとぉ?」
場所は家の中で変わりありませんが、窓から差し込む光はないため、おそらく夜になっているのでしょう。
薄暗い廊下にスイミーはいました。
少しだけ空いているドアの隙間から、息を殺し、真剣な眼差しで中を覗いています。
「何してんだお前?」
声をかけても当然、返ってくる言葉はありません。
首を傾げつつ、オズは実体がないことを利用して壁をするりとすり抜け、ドアの向こうの部屋に入ります。
そこは、ダイニングでした。
今は大人が一息つく時間なのでしょうか、ソファーに腰掛けた父親は本に目を通しています。
その側にそっと現れたのは、ノームの女性。
『少し、あの子に厳しすぎではありませんか? あなた』
状況的にはスイミーの母親でしょうか、女性はそう言いながら、男性の前に飲み物が入ったマグカップを置きました。
『……』
父親は何も言わないため、母親はため息を吐きました。
『あなたに褒めてもらいたくて、毎日一生懸命に研究をして……今日の魔道回路も自信満々に書いていましたよ? お父さんを絶対に驚かせるんだって』
『……』
『今日、一週間ぶりにあなたが帰ってくるって知った時からずっとワクワクしていたのに……あの言い方は少し、どうかと』
「そーだそーだ! 子供が頑張ってたんだぞ! 内容はともかく努力は褒めるべきだろ! それが親の勤めってもんだろうが!」
聞こえてないことを良いことに茶々を入れるオズですが、当然無視されます。
父親は本を閉じ、それをローテーブルの上に置くと重い口を開きます。
『……実力も才能もあることは、私も認めている』
『でしたら』
『しかしね、周りの大人もお前も、あの子に少しばかり甘すぎるのだよ』
「は?」
声を上げたのはオズです。母親は目を丸くして首を傾げていました。
『年相応を優に超えた才能や能力を皆は過大評価しすぎていると常々感じている……それは、少し危険ではないかと私は思う』
『そうでしょうか?』
『飛躍した能力を活かしたことで何をしても認めてもらえる、肯定してもらえる……そういう状況はとても恐ろしいモノだ。それが続いてしまうと、いつか善悪の区別が付かなくなってしまうかもしれない。君だってそれはわかるだろう?』
『は、はい……』
『褒めることも大切かもしれないが、厳しく接し現実を教える大人が一人ぐらいいた方があの子のためになる。増長を未然に防ぐことができる……これは必要なことだ』
『…………』
『優しい君が彼を想い、心を痛めてしまう気持ちは分かる。だが、彼の将来のためには必要なことだ。分かってほしい。私が厳しく接する分、君がフォローしてあげたらいいんだ』
途中から黙って話を聞き入っていたオズはゆっくりと、母親の方を見ます。
悲しげな表情を浮かべていましたが、意を決したのか顔を上げ、呆れたような苦笑いを浮かべました。
『……全く。分かりましたよ。ではあなたの言う通りにします』
『そうか』
『でも。本当にたまに、時々でいいですから、あの子のことを褒めてあげてくださいね? 努力を認めてもらえないほど、寂しいことはありませんから』
『……まあ、考えておこう。他ならぬ君の頼みならな……』
そう言った父親はマグカップを手に取ると、ココアを飲み始めたのでした。
「……意外と愛妻家か……?」
ぼやきつつもオズはスイミーの元に戻ります。そう、この会話、こっそり覗いていたスイミーには全て筒抜けだったのです。
それを踏まえつつ壁をすり抜け、ドアの隙間を除いたままの彼を見ます。
水色の瞳はキラキラと輝いていました。
「へ?」
「なんで?」と首を傾げていると、声が流れ込んできます。
――お父さんは僕のために、厳しくしてくれているんだ。お母さんが言ってもすぐに頷かないぐらいに、固い決意なんだ。
――そのお父さんが僕を認めて、褒めてくれるようなことって何だろう? とっても面白いことなのかな?
――わからない、知りたい、見てみたい! それが分かれば! お父さんは僕を褒めてくれる! 認めてくれるはず!
彼の想いが、純粋な気持ちが頭の中に響いてきます。
親に褒めてもらいたい、子供なら誰もが抱く当たり前の感情を。
「…………」
それからのスイミーは、尊敬している父親に認めてもらうため、褒めてもらうため、研究に没頭しました。
人付き合いなどは全くせず、自分が「面白い!」と直感したアイディアの全てを実行してたくさんの結果を出したのです。
色々と犠牲にした甲斐もあり、研究の数々は多くの人に認められ、賞賛も浴びました。
それでも、肝心の父親だけは褒めるどころか興味も抱きません。
認めてもらえない寂しさを抱えつつも、それをバネにして探究心とやる気を燃やし続けました。
たった一人で情熱の炎を燃やし続けたある時、ふと気付きました。
『そうだ。いい道具を作ってそれを誰かに使ってもらって実用性を証明できれば、現実主義かつ結果論を大切にしているお父さんも認めてくれるかも!』
自室でアイディアを練っている最中、ふと思いついたアイディアをぼやいたのです。
彼の横でふよふよと浮きつつ、自分ではさっぱりわからない魔道回路を眺めていたオズはその発言に目を丸くします。
「へえ? 良い着眼点じゃん」
『身体能力とテンションをちょこっと向上させる装飾品があったなあ。ボツにしかけたけどもう一度見直してみるか……問題は、どうやって実証させるかだ。自分でやってもいいけど、もっとたくさんの検証データが欲しいところ』
「協力者を募ってみるのはどうだ? お前ずっとひとりなんだから、いい加減誰かいい友達でも見つけておけよな? 母親が心配してたぞ? 知ってんだろうけど」
『んー……』
隣で色々とお小言を垂れ流すオズは当然見えないのでないものとして扱い、スイミーは腕を組んで考えます。
「おう悩め悩め、お前ぐらいのガキは毎日悩んで頭を一生懸命動かした方がいいんだぞ? そうやってたくさん選択して時々間違えて……そういうのを繰り返して大人になっていくってもんだ」
『あ! そうだ! ぴったりなのがあった!』
ジジ臭い発言はさておき、スイミーはぱっと明るい笑顔を作り、
「なんだなんだ? とうとうお前の昔の交友関係が明らかになるのか?」
オズがわくわくしながら発言して。
『町長選に使っちゃおう!』
「は?」
意味が分からずぽかんとしました。
疑問しか持てなかったオズに応えるように、情報が頭の中に流れ込んできます。
当時、スイミーが住んでいた街では次期町長を決める選挙が行われようとしていました。
町長候補は二人の男。
ひとりは町長の実の息子、もうひとりは町長の妾の子。
二人は非常に仲が悪いことで有名でしたが、父親である町長は二人の息子を等しく愛し、どちらかが町長を継いでも良いようにと、平等に教育も行っていました。
その甲斐あってか息子たちは将来は父親の跡を継ぐとという意思を固めたものの、話し合いなどうまくいくはずがなく……最終的には街の住民たちによる投票で決着を付けようという話になっていました。
もちろん、それは表向きの話。
仲の悪い兄弟の争いは水面下で激しさを増し続けており……大嫌いな奴の首を取って不戦勝してやる! という野望のため、表沙汰にできない組織の手まで借りる始末。
街では敵対しているギャング同士の抗争だと思われているようで、大問題になっていました。
実際は激化し続ける兄弟喧嘩の一端であるとは夢にも思わずに。
「……なんでそれをお前が知ってんだよ」
全ての情報を知り得たオズが淡々と言えば、スイミーは独り言。
『いや〜音だけを拾うことはできるけど、保存はできないからリアルタイムで聞くしかない魔道具って実用性ないかと思っていたけど、捨てないでよかったな〜テキトーな場所に置いたらとんでもない情報をゲットできちゃうんだもん』
「つまり盗聴してたってことか! やってることただの犯罪じゃねえか馬鹿野郎! これだから常軌を逸した天才ってやつは倫理観が欠けてるって言われんだぞ!!」
怒鳴り声など聞こえるはずもなく、
『とりあえず売り込みから始めてみよっと! でもどう接触するかが問題だなあ、ただの十代の子供の言葉なんて大人が聞く耳持つはずもないし、プレゼン方法から考えてみるか……そうだ、たくさんデータ欲しいからもうちょっと抗争を激化させておこう!』
「おいおい……犯罪行為の斡旋じゃねえか……やめとけって」
『忙しくなっちゃうぞ〜!』
「だからやめろって! なんで楽しそうなんだよお前!」
これはただの記憶、オズの制止など聞く耳持たれなくて当然でした。
こうして、ひとり孤独なスイミーは大人の問題とギャングの抗争に首を突っ込んでいくことになります。
素性を隠して装飾品を適正な価格で売り捌きつつ、偽の情報まで流して兄弟を挑発して煽りに煽って。
結果、兄弟の殺意がピークに達するのにそう時間はかからず……町長選を前にして、本当に殺し合いが始まってしまったのです。
街の中ではなく、郊外の廃墟で抗争が始まることになったのは多少の理性が残っていたからでしょうか。兄弟はギャングたちの中に紛れ、憎き奴を抹殺するため悲願を叶えようとしていました。。
その光景を、スイミーは遠くの誰もいない民家跡から双眼鏡を使って見ていました。
『うまくいったうまくいった! これだけ大きな争いになれば十分すぎるデータが取れるねえ!』
誰もいないことをいいことに独り言炸裂。遠くから見ているギャングたちのほとんどが彼が作った装飾品を身につけており、自身のプレゼン結果を物語っていました。
その姿をオズは愕然としながら見つめているだけ。
「お前……なんつーことを……」
『これで結果さえ出せばお父さんも僕のことを認めてくれるはず! もうちょっとの辛抱! がんばるぞー!』
夏休みの宿題を片付けているような気分かもしれませんが、現実に起ころうとしているのは人同士の殺し合いです。とても、子供一人で責任を負えるような出来事ではありませんでした。
スイミー自身は全く自覚がない様子ですが、現状を眺めることしかできないオズの内心は焦りと恐怖に支配されつつありました。
「認めてもらうとかじゃねえだろ!? このままだとお前のせいでマジで人が死ぬ! 一人二人の話じゃなくて大勢の人間がな!? 分かってんのかよ! 分かってんのかよお前!」
『さてさて……あとどれぐらいで始まるのかな〜? まだかな〜?』
「おいバカクソノーム! 父親に褒めてもらうって目的に盲目的になりすぎて、倫理観を忘れてんじゃ」
記憶を「見ているだけ」という現状も忘れたオズが説得を続けている時でした。
スイミーが覗き込んでいた双眼鏡がひょいっと、奪われたのです。
『え?』
「へ?」
オズまで一緒に振り向くと、そこにいたのは青年でした。
二人には見覚えがありました。彼は町長候補のひとり、現在兄弟と壮絶な争いを繰り広げている血の気の多い男。彼は妾の子の方ですね。
『……え?』
顔を引き攣らせているスイミーに、彼は言います。
『お前が首謀者だな』
この日、血は一滴も流れませんでした。
たった一人の少年の「褒められたい」という純粋な想いにより多くの大人は翻弄され、多大な損害を出し、中には社会的な信用まで失った者もいました。
加えて命が失われる寸前まで事が進んでしまっていたのです。未然に防がれたのは不幸中の幸いではありましたが、多くの大人をそこまで導いてしまった罪はあまりにも重く。ひとりの子供にはとても背負いきれるものではありませんでした。
当然、一家は人々に責められました。
酷い言葉、聞いているだけで耳を塞ぎたくなるような棘のある言葉の羅列に痛めつけられました。
優しかった母親が心を病んで倒れてしまっても、心無い行いが収まることはありませんでした。
父親が関係者各位への損害賠償という責任を果たした後、一家は長年暮らしていた街から遠くの地に引っ越すこととなりました。
追放という名目で済んだのは、国内でも有数の錬金術師だった父親が街に多く貢献してきたからでしょう。そこは、スイミー本人が記憶していないため、分かりませんでした。
引っ越した先はある住宅街。一軒一軒の家の距離がそれなりに離れている、静かな田舎町でした。
「……なるべくしてこうなったって言えば、話は早いけどよ」
小さくぼやいたオズは、やるせない気持ちを抱えたまま、大きなため息を吐きました。
この頃、あれほど滅多に帰ってこなかった父親はずっと家にいました。愛する妻の治療のために、錬金術師の権威でもあったその地位を一時期的に放棄したのです。
引っ越しを終えて落ち着いた頃、スイミーは父親の部屋にいました。
『……何故、あんなことをした』
書斎の椅子に腰掛けている父親の淡々と発した声に、感情は欠片もありません。
俯いたままのスイミーは、答えます。
『僕は、僕はね、お父さんに認めてもらいたかっただけ、なんだよ……』
『……』
『だってお父さん、僕のこと一度も褒めてくれない、認めてくれないから……僕は、一度でいいからお父さんに褒めてもらいたかった、認めてもらいたかったんだ……』
『……それだけのために』
『錬金で作ったものに実用性があって、それが優れた結果を収めることができたら結果論を大切にするお父さんも認めてくれるかもしれないって思ったら、止まらなくなってたんだ……あのやり方は、良くなかったけど』
恐る恐る言葉を述べるスイミー。あれほど尊敬していた父親の顔は一度も見ていません。
オズは黙ったまま親子の重いやりとりを眺めていました。それしかできないから。
すると、父親は突然、立ち上がります。
「え?」
オズだけでなくスイミーまでキョトンとしていると、父親はスイミーの腕を掴みました。
『え?』
そのまま引っ張るように部屋の外に連れ出し、階段を上がり、二階の廊下へ辿り着き、奥へ奥へと進みます。
廊下の最奥にあるのはスイミーの部屋です。乱暴にドアを開けた父親はそこに彼を放り込みました。
『あいてっ』
床に倒れてしまったスイミーの背で、ドアが閉まる音がしました。
『お父さん……?』
なんとか立ち上がったものの、呆然としてドアを見つめるしかできないでいると、オズも壁をすり抜けて部屋に入ってきました。
「へー前の家と比べるとだいぶ質素な感じになったなー」
のん気に感想を述べていると、ドア越しに父親の声がします。
『スイミー』
『な、なに?』
『お前はもう、何も、しないでくれ……』
懇願するような、絞り出すような、切羽詰まった声色。
スイミーは父親のこの声を生まれて初めて聞きました。
家族に対して感情を大きく動かすこともなければ、弱っている場面も見せたことのなかった気難しい父親が、始めてそれを彼に見せてしまった。
自分はそれほどまでに父親を追い込んでしまったということ。もう何度目かになる罪の重さを実感し、俯いてしまいました。
オズも黙ってそれを眺め続け、親子の次の会話を待ちます。
次に言葉を発したのは、父親でした。
『お前が何かをしたところで、私がお前を褒めることも認めることはない……未来永劫、永遠にだ』
人生の目標にしていたことが、目の前で音を立てて崩れ落ちていきます。それは、自身の「全て」が消えて無くなってしまうことと同義。喪失感や絶望は計り知れないことでしょう。
「お前……」
心配そうにオズが声を上げても、スイミーは静かに受け入れていました。
『……僕が、あんなこと、したから、だよね……。分かってるよ、そう言われて当然だってことぐらい……』
『違う』
「へ?」
オズとスイミーの声が重なって、父親は、弱さもなければ感情もない淡々とした声色で、返すのです。
『私は、お前のことが心からどうでもいい』
スイミーから言葉は、出ませんでした。
「はぁ!? テメェの実の息子だろ!」
その反面、即座に反応したオズが怒鳴りつけていましたがその声は届きません。
父親は同じ声色のまま続けます。
『私は妻がいればそれでよかった。妻さえいれば、彼女が私の隣で微笑んでくれたら、他には何もいらなかった、それ以上のことを望むこともなかった』
「だ、旦那としては満点だなお前……」
『だが、その妻が“二人の子供が欲しい”と言い出した』
「ほんほん、結婚してしばらくしたら子供が欲しくなるのは自然な流れだよなあ」
『その時から、私の人生は大きく狂い始めた』
「ん?」
『妻の望みは全て叶えてやりたかった。しかし、子供など……私と妻の生活において邪魔な存在でしかない。私にとって全く必要ないモノだ。妻の願いと私の気持ち、両方を天秤にかけ悩み続け……結局、妻に私の本当の気持ちを伝えることができないまま、お前を生み出してしまった』
「…………」
『育てていく内に、愛着が湧く可能性があるかもしれないと期待したが……結局、お前は生み出されてから今日まで、私にとって邪魔な存在でしかなかった。他のノームと異なる、半端な魂を持つ“普通”ではないお前が、どれほど目障りだったか』
「テメェ! 言っていいことと悪いことの区別も付かなくなっちまったのかよ! なんで余計なことばっか言いやがるんだよ! もうやめてやれよ! じゃないと、アイツ……!」
激怒の声も、届きません。
『お前が目障りな存在だとしても、妻のためにと父親を演じてきたが、その結果がこれだ。私は長い茶番の末に妻の心に一生癒えない傷を刻んでしまった……お前のせいでな』
『…………』
『妻が壊れかけてしまった今、お前はもう必要ない』
期待しないと言われ、見捨てられてしまうだけならどれだけ良かったか。
誰よりも尊敬し、憧れていた存在には最初から拒絶され、不要物だと烙印を押されてしまった現実は、まだ生まれて十数年しか経っていない子供にとって、あまりにも重く、命すら奪われてしまうような感覚に陥ってしまうことでしょう。
「…………」
オズは、意味がないと分かっている言葉をかけることも、できなくなってしまいました。
『私の許可なく、この家から出るな』
吐き捨てた父親の足音はすぐに遠ざかってしまいます。追いかける気力も、弁解する精神も今のスイミーにはありません。
足音はあっという間に聞こえなくなって。オズは再び口を開きます。
「なんだよあのクソ親父! 嫁のために〜とかなんとか愛妻家みたいな綺麗事を並べてたけどよ! 子供を持つって決めたのはテメェだろ! 命を預かる選択をしたのはテメェだ! なら! 本音は隠して最後まで責任を持って親であるべきじゃねぇか! ノームはうっかりデキちまうような種族でもねえんだから! 覚悟と決断のために考える時間はいっぱいあっただろうが! クソ! 殴りてぇあの顔!」
憤慨し続けるオズの横で、何かが崩れ落ちました。
彼の足元では、床に座り込んでしまったスイミーがいて。
『……無駄、だっ、た……』
呆然としたまま、声をこぼしました。
――僕が今までやってきたことは、夢見ていたことは全部、意味の無いことだった
――あんな父親のために、たくさんのものを犠牲にしてしまった。
――僕の人生って何? 生まれてきた意味ってある?
――僕って、なに……?
悲痛な感情と想いが、オズの頭の中に声となって流れ込んできて。
「……あるに、決まってんだろ」
『僕は、何の……ために……』
「……」
『うう……ああ、あああああああ……!』
部屋の中に響くのは、ひとり寂しく泣き続ける声。
見ることしかできないオズは、大嫌いな彼のその姿を悲しげに見つめ続けることしかできません。
見ることしかできない、何かをしたところで意味を成さないと分かっていても。彼は。
「……やり方は間違ってたかもしんねーけど、認めてもらいたいって気持ちは本物だったぞ。それは俺が保証してやる」
届かない、届くはずがないと分かっているというのに膝を付き、肩にそっと手を置いて声をかけ続けます。
「お前は間違ってねえよ。お前の努力もひたむきさも俺が全部知ってる。本当に頑張った、頑張ったんだよ……大したもんだって。結果は散々であの毒親父は認めようともしなかったけどよ、お前が努力したことは最初から最後までずっと、俺が見てたから……大丈夫だ。だからさ、そんな寂しいこと考えんなよ……」
触れることはできない。触っているように優しく肩を叩いているように見えても実際は触れている感覚もなければ、触れられていると気付くこともないのでしょう。
これはただの記憶の羅列。スイミーの記憶を見ているだけ。記憶に声をかけても、慰めても、意味がないとオズ自身が一番分かっています。
それでも、何かしなければ彼自身の気が収まらなかったのです。
「……自己満足だけどよ」
歯がゆい気持ちを噛み締めていると、ふと、目の前が真っ暗になりました。
「は?」
突然のことに素っ頓狂な声を出していると目の前に光が現れたと気付くと、それはどんどん大きくなっていくではありませんか。
「なんじゃこりゃ? 目覚めの兆候?」
目も開けていられないほど光が大きくなり、オズを包み始めていき。
「なっ、これは……マジで……い、意識が……」
同時進行で意識が朦朧としてくる中、声が響いてきました。
『あのさ、僕、この家から出ようと思う』
『アンタに一年も閉じ込めらた間、ずっと考えてたことがあるんだ……僕、この家にいる意味って全然ないでしょ?』
『僕はもうアンタにとって用済みだから置き物のように放置しておくだけ……でもアンタはいつまで僕をこうしておくつもりなの? 母さんが回復するまで? 僕が死ぬまで? アンタが死ぬまで?』
『……答えられないよね、何も決めてない、決められないから。僕の存在を“なかったこと”にしたいけど、できないんだもん。母さんのことともそうだけど自分自身の体裁のこともあるもんね? これ以上僕のせいで堕ちたくないもんね? だから、僕自身が消えて“なかったこと”にしてあげるんだよ? 最高の提案だとは思わない?』
『ここから去って、遠くへ行こうと思う。二度とアンタの視界には入らない。二度とここには帰らない』
『行く場所はもう決めてあるんだ。実は進学したいんだよね? ちょうど良い歳だしさ? 将来のことも考えて手に職をつけておきたくってね。入学手続きとかは自分でどうにかできるからさ、学費だけ出してくれない? 手切れ金だと思ってさ? ね? いいでしょ?』
『だからさ、行かせてよ。クロスティーニ学園に』
「……んが」
芝生のベッドの上でオズは目を覚ましました。
視界がクリアになって見えてしまう、嫌いなアイツの寝起き顔。
バチっとぴったり目があった刹那。
「ギャッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!」
同時に悲鳴を上げて同時に起き上がり、同じ距離を同じ速度で後退しました。
「あら、起きたのね」
傍に座り込んでいたリーヤは自伝を書く手を止めると、ノートとペンをしまってから立ち上がります。
芝生の上に尻餅をついたままのオズの顔は引き攣っており。
「ビビった……いや、分かってたことだけどやっぱビビるわ……ってか姐御、ずっとここにいたんすか?」
「事の顛末は見届けたいと思ったのよ。私も関与してしまった身だし」
「あー、そりゃあそうっすねぇ」
簡単かつ雑に返事をして立ち上がり、お尻についた草を軽く払っていると。
「…………おい」
同じく座り込んでしまっていたスイミーが、今まで聞いた事ないぐらい低い声でそう言い、ゆっくりと立ち上がっているのが見えます。
いつもの彼とは異なる雰囲気にオズは怯みも驚きもしません。自分で蒔いた種なのですから。ただ冷静に、見据えていました。
「やっぱ気付くか……姐御、ちょっとしばらく口を挟まないでくださいね。お願いしやす」
「ケリは自分でつけなさい」
興味があるようなないような淡々とした口調で言ったリーヤはしばらく口を閉ざすことにしました。
スイミーは黙ったまま足を前に進めていき、オズは静かにその姿を眺め続けていて……。
「お前なあ!」
胸ぐらを掴まれても無抵抗のままでした。
「人のことを探って! 知られたくない過去を見て! 楽しいかぁ!? あぁ!?」
初めて見た剣幕に怖気付くこともなく、オズは真っ直ぐ見つめて、答えます。
「よく気付いたよな」
「直近の記憶を見たらお前の目論見全部暴けるに決まってるだろ! なんでこんなことした! なんで!」
「正直に答えてやる。お前のことがムカつくから弱みのひとつやふたつ握ってやろうと思った。だからやった、それだけ」
嘘偽りは何一つない。今にして思えば子供じみた馬鹿みたいな動機を正直に、彼の目を見つめて答えました。
「はあ!? そんなことで!? そんなことのために!?」
「そうだな」
悪びれもせず、オズは淡々と肯定しました。
すると、胸ぐらを掴む手の力が緩み、ぷつんと糸が切れたように下ろします。
スイミーは愕然としたまま、立ち尽くしてしまいました。
「そんな……子供じみたことの、ために……僕の、あの過去を……見たの……?」
「おう。動機は馬鹿みてえに軽いものだったけどよ、お前のそれは……簡単な気持ちで踏み込んじゃいけねえよな。つーか、人の過去を勝手に見るだなんて馬鹿としか言いようがねえ。一時的な感情で俺は馬鹿みてえなことをしたんだよ。ほんの少しだけ、口喧嘩の勝率を上げるためにな」
「……」
「殴りたかったら殴ればいい。お前の気が済むまで俺を好きにすればいい。ここでくびり殺されても文句は言えねえ。俺は……それほどのことをしちまったんだからな」
「…………」
黙り込んでしまったスイミーが拳を振り上げようとして、結局力が入らずに下ろしてしまいました。
そのまま俯いてしまっても、オズは何も言いません。視線も逸らそうともしません。
「……はっ」
すると、スイミーから乾いた笑いが出て、
「人の、弱みが知れたね? 目的達成でしょ? 良かったじゃん……」
「……」
「笑うなり何なりさ、すれば、いいでしょ……? それが本来の目的だったんだから……」
「できるわけねーだろ」
即座に答え、彼の肩が震えます。
「なんで……なんでそんな……どうして、僕のこと、嫌いじゃ……」
「確かに嫌いだけどよ。弱りきってるお前を馬鹿にして踏み躙るほど、俺は外道に堕ちちゃいねえんだよ」
「なんで……だよ……人の記憶を見た癖に……僕のこと、好きに晒せばいいのに、なんで、そんな、どうして……」
「…………」
「どうして……優しいんだよ……?」
絞り出すような弱い声は引き攣っていました。
色々な感情がごちゃ混ぜになってしまいパニックと怒りに支配されながらも、感情に囚われず大嫌いな彼を理解しようとしているのでしょうか。
過去を暴き、陥れる準備を整えられているというのに、実行しようともしない誠実さを理解できないから、説明がつかないから、問いているのか。
彼の記憶を見たオズにもそれは分かりません。だから、疑問の声に応えます。
「……優しくねえよ。俺は。後悔しないように生きてるってだけだ。ここでお前と正面から向き合わなかったら絶対に後悔するって分かってるから、そうしてるだけだよ」
「……」
スイミーは無言で返しました。
それでもオズは、彼から出てくるはずの次の言葉を待ちました。
何分かかっても、何時間かかっても、日数がかかっても……待ち続けるつもりでした。
やがて、待っていた言葉はすぐに現れます。
「……さっき見た、僕の過去のことだけど」
「おう」
「馬鹿にしてもいい、僕の弱みとして使ってくれたらいい、僕に何をしても、いいから……だから……」
拳を握り締め、
「お願い……みんなには、ことりちゃんには……言わないで……」
絞り出すような声で、懇願したのです。
芝生の上に落ちる透明な粒が、彼の必死さと感情を物語っていました。
俯いたままで表情は見えませんが、オズは、自分が何をしてしまったことを痛感するしかありません。
誰にも見えないところで下唇を噛み締めるしか、できませんでした。
「お願い……お願いだから……こんなの、知られたくない……みんなが知ってる僕じゃない。そんなの嫌だ……嫌だから、僕はどうなってもいいから……だから……」
本来だったら聞いてて気持ちの良かったはずの懇願も、ちくりちくりと小さな針のように心に刺さってしまいます。
オズは今、人生で一番後悔していました。
自分の軽薄さに怒りと呆れしか出てきません。今すぐ自分自身を殴り倒したい衝動に駆られていました。
暴力に訴えたところで誰も救われないことぐらい分かっているので、拳を自分に向けることはしません。
そんなことよりも、やらなければならないことが今の彼にはあります。
「馬鹿が。簡単に自分を差し出そうとしてんじゃねえよ。懇願されなくっても誰にも言わねーっての」
素直な気持ちをぶつけることを。
「……嘘」
「嘘なもんかよ。俺は人の弱みとか恥ずかしい場面をからかって愉悦に浸ることはあるけどな、トラウマに土足で踏み込んだ日にそれを利用して、相手を支配するなんぞまっぴらごめんだっつーの。頼まれてもやんねえよ」
「……」
「そんなカスみたいな所業してたら、あの世にいる爺ちゃんと婆ちゃんに顔向けできないからな。俺の記憶を見たなら分かるだろ? お前だって」
「……」
「……見ちまったことはなかったことにしようぜ。俺もお前もな」
「…………」
無言を貫くスイミーにオズは、小さく息を吐いてから、こう言います。
「……ごめんな。スイミー」
「……うん。ありがと……オズ」
袖で目元を拭いて、スイミーは顔を上げました。
オズがムカついてしまうほど、心から安渡した笑顔を浮かべて……。
「なるほど、お互いの全てを知ってしまったからこそ、上部だけの言葉だと判断せずにすぐに和解できたのね」
最初から最後まで全て見ていたリーヤが腕を組んだままぽつりと述べれば、二人はとっても渋い顔。
「やめてリーヤちゃん、その言い方なんかちょっとイヤだ」
「ってか姉御、絶対に途中で余計な茶々入れてくるかと思ってたけど、ずっと静かにできてたな」
「アナタは私を何だと思っているのよ」
「幼児?」
以下、割と正当性のあるけどよく考えたら理不尽な暴力。それは脳天から垂直に落とされた硬い拳でした。
「うぎゃん」
結果、オズの肉体のほとんどが地面に接触してしまったのでした。ぶっ倒れました。
「なんでそう口を滑らせるんだか。面白いからいいけど〜」
「それにしてもアナタも大胆ね。自分の全てを差し出してまで口止めしようとするなんて」
ぶっ倒れたオズなど気にも止めず、何故か拳を握ったままのリーヤが淡々と言えば、彼も淡々と返します。
「つまり、どんな手を使ってでもバレたくないってことなんだよアレは。特にことりちゃんには」
「どうして?」
拳を下ろしつつ尋ねたら、スイミーはどこか暗い表情を浮かべ。
「……ことりちゃんってすっごく優しいでしょ? それでもって友達想いでみんなことが大好きで、僕もそんなことりちゃんのことが大好きなんだけど」
「ルンルンに絞め殺されない?」
「恋愛的な意味じゃないから」
即答で否定していると、オズが頭部を労わりながらよろよろと起き上がるのが見えます。
「相思相愛だもんなお前ら、一部を除いて……イテテ」
倒れていても話は聞いていたようでしれっと会話に混ざっても、誰も変な顔をせず、スイミーもそのまま続けるのです。
「人の邪な側面について鈍くても“大好きな人が傷つけられた”っていう事実は事実のまま受け止めることができることりちゃんが、僕がされた仕打ちを知ってみ?」
「おう?」
「ええ?」
オズとリーヤがそれぞれ別方向に首を傾け、
「……怒るどころじゃ済まないよ」
真顔で、今までにないぐらい真剣な表情で答えてくれました。おふざけもギャグも一切含まれていない、警告にも似たシリアスな口調でした。
心当たりがあるのかオズは黙ったままでしたが、リーヤは表情筋ひとつ動かさないまま言葉を続けます。
「あのことりがそこまでするかしら。暴れたら強いってことは認めるけど」
同パーティではないものの、同じ戦士系学科を履修しているリーヤは授業や手合わせの一環でお互いの実力はある程度把握できています……が、スイミーがここまで真剣に警告することに納得できないため、首を傾げてしまうのでした。
そんな様子でもスイミーは感情を乱すことなく、真剣な口調で答えるのです。
「するよ。ことりちゃんはする。冒険者になってずっと一緒に行動したしずっと隣で見てきたんだもん。まだ善にも悪にも染まっていない純粋さを持ち合わせているだけじゃなくて、制御とか自重を知らないから、暴走でもしたらどれだけの被害を出すかまるで想像がつかないんだ。付き合いが長くても想像ができないっていうのは、とても恐ろしいことなんだよ」
「思春期なら性格ほぼ固まってるはずでしょ? あの子本当に同年代?」
誰もが疑問に思う点については無言で返答されました。
短い沈黙の末、オズのため息により会話は再開します。
「つーかよ、お前らのパーティって一部除いてめちゃくちゃ仲良いじゃん? 誰もお前の過去について何も知らないままだったのかよ?」
「知らないよ。誰にも教えるつもりはないよ、今までもこれからも」
「何でだよ。ことりは大前提として、ネネイやルンルンは言いにくいとしてもよ? バムやトパーズならちゃんと受け止めてくれるんじゃねえの? まだまともな性格してるじゃねえか」
「まだ」のところで妙に強く発音していたのは気のせいではありません。
このような疑問に対しスイミーは首を横に振って、
「言わない」
なんて返したものですからオズは引き下がらず、
「なんでだよ? 逆に何があったか聞かれたもしないのか?」
「しない。僕が家族のことを拒絶しすぎたせいで、みんな空気を読んで何も聞いてこないから……」
少し気まずそうに視線を逸らしてしまいました。嬉しいような複雑なような、優しさが垣間見れてくすぐったいような、仲間たちの想いを思い出しながら……
すると、オズはすぐさまスイミーの肩を掴み。
「お前マジでアイツらを一生大事にしろよ!?」
「言われなくても」
どこか必死感のある様子にも怯まずすぐに返したのでした。
それらをつまらなさそうに眺めていたリーヤでしたが、ふと、ポンと手を叩き。
「あ。話は変わるけど、スイミー、アナタはオズの過去を見たのよね?」
「え? うん」
「じゃあオズの実年齢を知ることができたってことでしょ? 教えなさい」
冷たい青色の瞳を向けて命令すれば、スイミーの体がびくりと震えます。殴られたトラウマがまだ残っているのでしょうか。
実年齢不詳のオズはスイミーの肩から手を離すと、バツが悪そうに目を逸らし、
「けっ、こればっかりは仕方ねえよな。こっちも覚悟の上だったし……」
なんて諦めたように言いますが、スイミーは小刻みに震えるままで、いつまで経っても次の言葉を発しません。
「ん? どうした? さすがにお前がドン引きするような年齢じゃねえと思ってるけど」
「どうしたのよ」
それぞれが言葉をかけてから数秒、ようやく震えを止めたスイミーが呆然としたまま、口を開きます。
「…………忘れた」
と。
「は?」
表情筋を一切動かさなかったリーヤの眉間にシワが寄りましたが、スイミーは臆せず続けます。
「実年齢、確認するの、忘れてた……ああ、忘れてた、忘れてたぁ……僕と、僕としたことが!!」
自分の過ちを完全に理解してしまったのか、大声を上げて頭を抱えたではありませんか。
「おっしゃラッキィ!! って痛え!!」
指を鳴らして強めに喜ぶオズの足に蹴りを入れ、リーヤは腕を組んで不満たっぷりなご様子でスイミーを睨みつけまして。
「なんでそんな大切なことを忘れるのよ」
「記憶を除かれたことによるストレスフルだったからとしか言いようがないよ! あー! やっちゃった! 本当にもったいないことをした! あーもー! 僕のバカ! バカバカバカバカバカバカバカ! 最悪! 最悪! 最悪!」
自戒の意味も込めて頭をポカポカ叩いてから、必死の形相でオズを凝視。
「ねえ! もう一回あの魔道具を使おうよ! 年齢確認のために!」
「使うかクソボケ! テメェの過去再放送なんて御免だぞ俺は! つーかまた抱き合って寝ないといけねぇってことになるだろうが! お前はそれでもいいのかよ!」
「一回目がイケたから二回目は余裕」
「ドヤ顔で親指立てんな! 俺は無理だぞボケぇ!!」
怒鳴り声が中庭に響く中、リーヤは自身の拳を合わせてポキポキと音を鳴らしまして、
「焼きそばパンを奢ってくれるならまた協力してあげてもいいわよ」
手法が分かりきっている協力を提案すれば、男二人顔面蒼白。
「い、いやだ! それだけは嫌だよリーヤちゃん!」
「姐御の協力は痛みを伴うから却下!」
「チッ。仕方ないわね」
諦めて舌打ちと共に拳を下ろしました。暴力による問題解決という道は消え失せたのです。
それでもスイミーの気は晴れず、大きなため息。
「はあ……人生で一番勿体ないことをした気分……」
「俺としては首の皮繋がったような気分だけどな」
「僕のあんなところやこんなところ……なんなら恥ずかしいところまで全部見た上で、自分の一番恥ずかしいところは隠すんだ……ずるいなぁ、大人ってずるいなあ……」
「誤解を招くようなこと言ってんじゃねえ!! 誰かに聞かれたらどうすんだ!!」
オズ、必死の絶叫。
「とうとう大人って部分を否定しなくなったわね」
「姐御はちょっと黙ってて!」
雑にリーヤを黙らせている間にも、スイミーは口を尖らせ足元にある小石を蹴飛ばしいじけながら。
「教えてくれないならもういいよ。年齢を一桁誤魔化しているフェアリーのオズは、人の恥ずかしいところをこっそり見るのが大好きな変態虫野郎って設定で今後接していくから」
本気か冗談か判断に困るテンションで言ったものですからオズはもう真夏の海のように真っ青です。
「やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ! つーか一桁は誤魔化してるって何だよ!」
拒否しつつ訂正も忘れませんが無視されるだけ。スイミーは「呼び名変えなきゃな……何がいいかな……変態虫野郎は語呂悪いしな……変虫とかでいいかな……」とかぼやいています。彼ならやりかねません。
黙っていたリーヤはオズの肩をそっと叩き、
「ヒントぐらい与えたらいいじゃない。そうでないとアナタ、明日から変態虫野郎って設定で生きていくことになるわよ」
「ぬぐぐ……」
悔しそうに歯を食いしばり、どこまで妥協するか思案中。相手の全てを見たのなら自分の全てを教えてもいいかもしれませんが、ここまで年齢を明かさずに過ごしてきたプライドと、明かした後に発生するであろうストレスを考慮すると、簡単に話せないのは当然でした。
悔しさのあまり歯にヒビが入りそうな勢いですが、スイミーは気にも止めず。
「ことりちゃんたちにはどう説明しようかしら……僕の純潔は一匹のフェアリーによって汚され、踏み躙られ、めちゃくちゃにされてしまったって言おうかな……みんな、怒ってくれるかな……」
「待て待て待て! やめろって! 俺はアイツらを敵に回したくねえ!」
「じゃあ実年齢」
なんと分かりやすい等価交換か。ニヤリとほくそ笑むスイミーに数分前の悲壮感はミリもありません。人って短時間でここまで変貌するものなのですね。
ストレスが瞬時に上昇したオズは奥歯を噛み締めます。たぶん今ヒビが入りました。
そして、観念したのか大きなため息を吐いて。
「……ヒントならやる」
自分ができる精一杯の妥協を提案すればスイミーだけでなく、リーヤの目も輝きます。
「あら」
「ヒントね! わかった! 少ないヒントから確実に正解を導き出してみせる!」
やる気と期待に満ち溢れているスイミーに、オズは言います。
「お前、歳いくつ?」
と。首を傾げたスイミーは疑問に思いつつも。
「へ? 十六だけど」
簡潔に答えました。「私よりかなり若いわね」というリーヤのぼやきはスルーして。
オズはそっと視線を逸らすと。
「…………じゃあ、その、一回り以上は、ある」
「じゃあ?」
引っかかる言い回しに目つきを鋭くさせましたが、オズはさっさと背を向けてしまい。
「以上! ヒント終わり! これ以上の手掛かりは与えん!」
逃げるように早足で立ち去ってしまいます。真珠入りの枕を回収するのも忘れません。
「は!? ええっ!? 少ないのはわかってたけどいくらなんでも少なすぎない?! ねえ!」
これで納得できるほど良い子ではないスイミー、急いで追いかけます。
「ねえもう一声! もう一声ちょうだいよ! 下一桁とか言ってくれてもいいじゃん!」
「教えねえよ! これ以上の譲歩はしない! 後は自分で考えて探すなりしろ! お前好きだろそういうの考えるの!」
「だからって手掛かりほとんどないじゃん! 僕より一回り以上ありつつフェアリーの平均寿命とか考えたら該当範囲膨大じゃん! もっといるって! もっともっと!」
「だからこれ以上は与えねえっつってんだろ! しつけえんだよバカクソノーム!!」
「おっさんのショウジョウバエ!」
「黙れぇ!!」
ギャアギャアと騒ぎながら中庭から出ていく二人。
完全に置いてけぼりにされたリーヤはその後ろ姿を、心からつまらなさそうに眺めていました。
「……記憶を覗いて得た情報を使って脅迫すれば要求なんてすぐ通るのに……本当に平和的でつまらない連中ね、あの二人」
そうぼやいてから、二人が去った方角と逆方向へと歩いていくのでした。
2025.10.5
