逃げるあの人、追いかけるアタシ
放課後の教室には赤色の西日が差し込んでいました。
時刻は終業時間間近、廊下や校庭を見回っている教師が残っている生徒たちに帰宅を促し始めており、学生たちの一日の終わりが近付きつつあります。
教師の声が遠くから聞こえる最中、その教室では。
「ふぅ、これでよし」
トパーズは教室の後ろにある棚の上に花瓶を置いていました。
既に花が活けてある花瓶を眺め、ホッとしたような小さな息をこぼすと、
「お前もマメだな」
その後ろで、呆れるような関心しているよう声で言うバムにゆっくりと振り向き、苦笑い。
「あはは……でも、最初に“教室って殺風景すぎるから花とかあったら彩りよくなるかも〜”って言い出したのはアタシだから、最後までやらないとね」
「……」
バムは無言のまま、トパーズを見つめていました。
パーティ結成当初こそはディアボロスの迫力というか威圧感に少しだけ怯えていたトパーズでしたが、同じパーティで探索と冒険を長く続け、仲を深めた今となってはすっかり慣れたもの。
無言の彼は何を考えているかよく分からないという欠点はありましたが、断じて不機嫌でもなければこの状況に不満を持っているということもありません。恐らく、彼がそうしたいからそこにいるのだろうと、トパーズは思っていました。
「最後まで付き合ってくれてありがとうね、バムくん。お花探しまで手伝ってもらっちゃって」
「……ああ」
短く答え、目を逸らされました。
お礼を言われて照れているなぁ……なんてちょっとだけ可愛らしく感じつつ、決して言葉にはせずにクスリと笑って。
「お花の世話はアタシがやるよ! むしろやらせてほしいなぁ」
「妙に張り切っているんだな」
「もちろん! 何かを任せてもらえるのってちょっと嬉しいから!」
「自分から負担を被っただけだろう」
「意地悪な言い方だなあ……自分からやりたいことを見つけてやっただけだもん」
「そうか」
短く答えた彼の表情は全く変わりませんでした。
「じゃあ、もう遅いし寮に帰ろっか。早く行かないと先生たちに怒られちゃうよ」
「…………」
「明日って授業に行かずに朝から探索するんだよね? 集合場所って校門前であってたっけ? バムくんは何か聞いてる?」
「……トパーズ」
「ん? なあに?」
改めて名前を呼ばれたので何かと思って首を傾げた時。
「お前が好きだ」
告白でした。
本当に、唐突に、愛の告白が彼の口から、出ました。
「…………え?」
――今の、告白? いや、そっちの意味のはずなんてないよ絶対に、だって相手はあのバムくんなんだよ? 作家さんの卵で実家だって大金持ちでルンルンちゃんと同じような上流社会で生きているから、この学校に入らなかったら絶対に友達になるようなことがない人で、将来の目的もこの学校に入学した理由もしっかりしていて、無愛想だけど根はすっごく優しくてちょっと可愛いところもあって、ルンルンちゃんは犬猿の仲でいつも口汚く罵り合いをしていて、アタシよりも成績優秀でそれでそれでそれでそれで
一瞬の間に思考が高速回転し現実が現実でないと思い込もうと必死。それによりトパーズは完全にフリーズ。まるで石化した時のよう。
「……………………」
絶句したままの彼女にバムは言い放ちます。
「尋ねられる前に言っておくが、友人としての好きではない。それ以上の意味合いの好き……だからな」
「……………………」
「……返事は、すぐじゃなくていい」
そう言い残し、教室から足早に出て行ってしまいました。
ひとり残されたトパーズは、見回りに来た教師に声をかけられるまで、その場に立ち尽くしていたそうな。
その日の夜。女子寮にあるトパーズの部屋にはパーティ内女性陣全員が集まっていました。
彼女の実家で使っていたというローテーブルを囲み、お茶菓子まで用意してちょっとした女子会のよう。いつもなら、ルンルン主体の恋バナやら学校のことやら探索の愚痴やらでお話に花が咲くのですが。
「えーっ!? バムくんに告白されたのです!?」
「う、うん……」
放課後に起こった告白のことを伝え、トパーズは下を向いて小さく肯定しました。
「告白?」
いまいちピンときていないことりは首を傾げ、
「世も末ですね」
大嫌いなバムの話題により、目つきを鋭くさせたルンルンは紅茶を飲むのでした。
驚きの渦中から戻ってきたネネイは少しだけ身を乗り出し、トパーズに言います。
「だから明日の探索はお休みしたいと言ってきたのですね! バムくんが告白してきたから! なのですね!」
「う、うん……ごめんね……」
冒険大好きなネネイにとって探索の中止とは、心からお楽しみにしている時間を奪われるようなモノ。申し訳なくなったトパーズは下を向いたまま、弱々しく謝罪しました。
怯える彼女の心配とは裏腹に、ネネイは座り直してから何度も頷きまして。
「いいのですよ。さっきバムくんからも“明日の探索は行けなくなった”と連絡がきたのです。理由を教えてくれなかったから不思議だったのですが、やっと疑問が解けたのです」
「そ、そっか……」
安心はしたものの気まずさは抜けず、トパーズは顔を上げつつも目は逸らしたままでした。
「んで? どうするのです? バムくんからの告白は」
ストレートに切り込みを入れてきた言葉にトパーズの肩はびくりと震え。
「悲劇的かつ一生のトラウマになりそうな失恋のシチュエーション演出であればお任せください! トパーズさんのご期待に添えられるような悲壮な場面を作り出しますよ!」
心からウキウキしているルンルンが当たり前のような口ぶりで言ってきたので、
「断る前提で話を進めないで……」
トパーズは弱々しく抵抗し、ルンルンは理解できずに首を傾げたのでした。
「じゃあ、おっけーするのです?」
「そ、それは……まだ、わからない」
「どうして?」
ことりに尋ねられ、トパーズはようやくパーティメンバーたちの顔を見ます。
戸惑いが抜けきっていない気弱な表情のまま。
「バムくんのことは悪い人じゃないっていうのは分かってるよ。でもね、アタシなんかで良いのかな……って、思っちゃって」
「悪い人ですよ奴は」
ルンルンの意見は全面無視され、話は続きます。
「バムくんみたいなすごい人が、どうしてアタシのことを好きになってくれたのか分からないんだ。世の中にはもっと魅力的な女の子がたくさんいるはずなのに、どうして、平凡なアタシを選んでくれたのか……考えても考えても分からなくって……」
「マジで好きとしか言われてないのですね、バムくんに」
トパーズは頷きました。そして思い出してしまう、つい数時間前に起こった突然の告白。
いつも無愛想で恋愛だとか誰かを好きになるとか……“そういう話題”と縁遠そうな相手から、突然愛情を向けられてしまった、非現実的のような現実のことを。
思い出すだけで、自然と顔が熱くなる理由はまだ考えたくありません。
ネネイとことりは静かにそれを見守るだけ。とりあえずポテチをひとつまみしておきました。
「なんという致命的な情報不足……それによりトパーズさんを戸惑わせることが奴の目的でしょう。巧妙な手口に惑わされてはいけませんよ」
全く別のモノが見えているルンルンが的外れな励ましをしてくれましたが、トパーズは顔を引き攣らせるばかり。
「て、手口って……そんな悪意に溢れた感じじゃなかったよ……?」
これにルンルンが反論しようとした時、
「はい、ルンルンちゃんキャラメルだよ」
「ありがとうございますことりさん! ことりさんからの愛を頂きますね!」
ことりがすかさずキャラメルを手渡したことで、ルンルンは歓喜のままそれを口の中に入れ、じっくり味わい始めました。
厄介なセレスティアの動きを封じたことりは、改めてトパーズに問います。
「バムくんがトパーズちゃんのことを好きになった理由を聞いたら、トパーズちゃんは告白にいいよって返事するの?」
「……わからないよ」
再び俯いたトパーズからは元気のない答えが出て、ことりは何も言わなくなりました。
続けてネネイが、
「でも、バムくんがトパーズちゃんじゃないとダメな理由っていうのは絶対にあるはずなのです」
「……そうかな」
「そうなのです。その理由をトパーズちゃんが知る権利はあるのです。それを聞いてからバムくんの告白をどう返すか決めるのは、いいアイディアだと思うのですよ」
「うん」
ことり納得。トパーズも顔を上げてネネイとことりに笑顔を向けました。
「ネネイちゃん……ことりちゃん……」
「そうですね。では、なんと言って奴のプライドをへし折りましょうか?」
幸福のキャラメルから戻ってきたルンルンが失恋確定の方向へ舵を切ろうとして、
「ルンルンちゃんはいい加減に黙れなのです」
ネネイに淡々と叱られました。
それを見ずにことりは、トパーズに再び問いかけます。
「トパーズちゃんは、バムくんのこと、好き?」
「……嫌いじゃないよ?」
弱々しく始めたトパーズは、続けて、
「愛想が無いように見えるけど、ああ見えてすごく優しいし……ストレートで皮肉じみた物言いはよくしてくるけど、それは決して間違いじゃないから、気付かされることもあるっていうか……信頼、してるって、感じ……」
「そっか。じゃあ、何がきても大丈夫だと思う」
「そう、かな?」
「たぶん」
ことり即答。肝心な時に締まらないのはマイペースで穏やかな彼女らしいと言いますか、正直者すぎるとと言いますか。
それでも、彼女の言葉の節々にある友達を気遣う優しさは、トパーズにしっかり伝わっていました。
「ありがとう、ことりちゃん……」
ここに来て初めて浮かべるホッとしたような柔らかい笑み。ひとりだけでは決して辿り着けなかった答えと言葉を得て、不安の種は少し取り除かれたのです。
それに便乗するようにネネイも頷いて。
「うんうん。トパーズちゃんはバムくんともう一度お話をする必要があるのですね」
「え? 話すまでもありませんよね?」
「だからお前」
己のペースと思考を崩さないルンルンはさておき、トパーズは立ち上がります。
「アタシ、明日バムくんともう一度話してみる!」
翌日。授業が始まる前、朝日が登り大地を照らし始めてしばらく経った時間帯。
クロスティーニ学園の屋上は、当たり前ですが閑散としていました。
「…………」
バムはそこのベンチで、ひたすらレースを編み続けていました。服の裾とかに縫い付けるような小さくて可愛らしい紐上のレース編みです。
彼は校門が開いて学園に入れるようになってすぐ、ここにきて黙々と作業を続けていました。
このまま始業チャイムが鳴る直前まで過ごそうと、考えていたのですが……。
「やあおはよう! 聞いたよバムくん! トパーズちゃんに愛の告白をしたんだってね!」
どこからともなくスイミーが発生しました。
彼はバムの前に立つと、いつも通りテンション高めに話を始めます。
「前々から好きだとは言っていたけど、とうとう男を見せたと……で? で? 返事は? もうお返事もらった?」
「…………」
「あらまだっぽい……そうそう、この情報はことりちゃんから聞いたんだ! 昨日は女の子たち全員で女子会しつつ話し合ってたみたいだよ! これもことりちゃん情報ね!」
「………………」
「その話し合いの場にルンルンちゃんは相応しく無いような気がするんだけどね僕、それも気にせずあの子を話に参加させてあげることがことりちゃんの優しさとゆーかー」
「うるさい」
目にも止まらぬ速さで布団針を出したバムは、間髪入れずにそれをスイミーの膝に刺しました。ぐっさり。
「ギャーッッッッ!!」
屋上に哀れなノームの悲鳴が響きましたが、登校中の生徒たちは誰も気に留めなかったそうです。
痛みのあまりしゃがんでしまったスイミーの悲鳴は続きます。
「痛い! 布団針はひどい! 布団針は容赦ないって! ぶっとい針だよそれ!? 僕が依代じゃなかったらどうするつもりだったの!?」
「膝に矢が刺さるよりはいいだろう」
「そう、かも、だけど……痛い……」
膝に刺さったままの布団針を抜き、すぐさまヒールで治療開始。
治療している最中、バムは言います。
「ああそうさ、告白したさ、トパーズに。昨日、ストレートに好きだと伝えた」
少々やけになりつつありますが、ハッキリと答えてくれた後、治療を終えたスイミーは立ち上がります。
「そっかあ……あのバムくんが告白とはねぇ……あんまりそういうのは言わないタイプだと思ってたからびっくりよ。はい針返すね」
布団針を返そうと手を出しましたが、バムはレース編みを続けるばかりで受け取ろうとしません。
少し黙ったスイミーは彼の手が止まらないことを悟ると、差し出した手を下ろしました。
「……で? 今は告白のお返事待ちと」
「…………」
「え? 本当にお返事まだなんだよね?」
「……正直」
「ん?」
「正直、勢いだった」
「ほえ?」
間抜けな声が出て首を傾げます。
レース編みの手を止めないバムは視線もそのままに、話だけ続けます。
「この気持ちを伝えるのは、もっと適切なタイミングがあったはずだ。あんな土壇場で急に言うものではない」
「でも告ったんでしょ? もう後戻りできなくない?」
「だから……後悔している」
「どして?」
「急に想いを伝えてしまったから、アイツを困らせてしまった」
レースを編みつつ考えてしまいます。気持ちを伝えた直後、明らかに戸惑ってしまっていた彼女の表情を。
教室から逃げるように帰った後、恐ろしいほどの後悔に苛まれてしまったことを。
何度、一日をやり直したいと願ったことか。
「急に告白したのは、どうして?」
スイミーは尋ね、バムは答えます。
「……気がついたら、秘めていた気持ちが口から出ていただけだ」
理由になっていないかもしれませんが、バムにとってはこれは、秘めていた気持ちを吐露してしまった確実な原因に他なりません。
非現実的な答えを受け、スイミーは頷きます。
「そっか。隠しておこうとしていたことが隠せなくなっちゃうぐらい、バムくんが抱いてるトパーズちゃんへの気持ちは大きかったってことだね。抑えていたその気持ちが昨日、とうとう弾けてしまったと……」
すらすらと言葉が出てくるものですから、バムはレース編みの手を止めてやっとスイミーを見ます。
「……恋愛経験、あるのか?」
「ないない!」
即答したスイミーは手を振って明るく返しました。
「あるわけないし、これから先もそういうのきっとないよ! 恋愛と縁ないもん僕って」
「そうか」
納得したのかレース編みを再開させました。
「とりあえずさ、トパーズちゃんにその辺り諸々も伝えた方がいいんじゃないかな?」
「……そうか?」
「そーよー? だって、今のバムくんってっちょっと心配なんだもん」
「お前に心配される筋合いはない」
「君にとってはそうかもしれないけどさあ」
言葉を濁した後、スイミーはベンチを見やります。
永遠と編み上がっている紐状のレース。それは彼の横でとぐろを巻くように積み上がり続けており、その大きさ兼長さを伸ばし続けているのでした。
「……こんなに長いの、どうすんの?」
「…………」
「ちょっと、バムくん?」
「………………」
それから数十分経って。
「バムくん!」
屋上にトパーズは飛び込んできました。
クラスメイトや色々な人に聞き込み、彼が屋上にいるという情報を得てここに辿り着いたのですが、そこにいるのはベンチに座って足をぷらぷらさせているスイミーだけ。
「おや、トパーズちゃん。おはよー」
和やかに挨拶しつつ、手を軽く振りました。
挨拶も返さず、辺りを見回して探し人がいないか確認してから、スイミーのいるベンチに向けて足を進めていきまして。
「す、スイミーくんだけ? バムくんは……」
「さっき屋上から飛び降りたよ」
軽く言ってすぐ近くの柵を指せば、トパーズは瞬時に顔を青一色に染め上げまして。
「ギャ――――ッッ!?」
最悪の想像をしてしまい悲鳴も上げてしまいましたが、スイミーはへらへらと笑うばかり。
「心配しなくても大丈夫だよ〜、あそこの木に華麗に着地してたから怪我はしてないはず」
そう言うとおり、指し続けている柵の先をよく見れば植え込みに根を張り、天に向かって伸びているごく普通の木が見えます。三階までの高さはありそうですね。
これによってひどく安心したトパーズはホッと胸を撫で下ろし、
「そ、そっか、よかった……でも、なんで急に飛び降りたりしたんだろう……?」
「僕もわかんない。急に逃げるようにして行っちゃったからね? しかも、トパーズちゃんがここに来る直前ぐらいに」
「…………」
黙り込んでしまい、柵の方へ足を進めます。
柵に手を置き、彼が飛び降りたであろう木を眺めます。目を凝らして見ても人の影も形もなく、葉や枝が風によってちいさく揺れているだけでした。
「どうして……」
「トパーズちゃんはバムくんに何の用事? やっぱり告白のお返事?」
急に“その”話題を振られたことでトパーズの肩がびくりと震えました。
慌てて振り向けば、反応が面白かったのかニヤついているスイミーが見えましたが、特に気分を害することもなく、正直に答えます。
「お返事する前に……バムくんともう一度、ちゃんと話がしたいんだ」
「話って? 何の?」
「どうして、アタシに告白してくれたのか……バムくんがアタシじゃないといけない理由が、どうしても知りたいから、教えてもらいたいんだ」
「…………」
スイミーは会話を続けず、言葉を止めてしまいました。とても真剣で真面目な表情で。
そこそこ長い付き合いの中で、ノームらしい表情を初めて見たような気がして、少しだけ身構えてしまいましたが。
「……ここで僕が言っちゃうのは、やっぱり違うよね」
小さくぼやいた後、いつものノームらしくない陽気な笑顔になって。
「なら、急いだ方がいいよ! さっきまでバムくんと話してたけどさ、なんか彼、いつも通りって雰囲気はあったけどちょっと変だったもん。ほらコレ見て」
ベンチに上に置きっぱなしになっていた紐状のレースの山を持ち上げました。これにより、トパーズの顔は引き攣ります。
「なに、この長いレース編み……」
「ざっくり測ってみたけど四メートルは超えてたよ。何に使うんだろうね?」
「ホント、何に、使えるの……? これ……」
この数分後、始業のチャイムが鳴り響きました。
告白の動機を、自分を選んでくれた理由を彼の口から聞き出すため、暇さえあれば声をかけようとするトパーズでしたが。
「バムくん!」
休み時間に声をかけたらチャイムが鳴るギリギリまで逃げられてしまい。
「ねえバムくん!」
移動教室の際に突撃したら瞬時に姿を消してしまい。
「バムく」
昼休みに席に行こうとすれば、彼は窓から飛び降りて逃走を図りました。
お昼休み。
トパーズは教室でパーティ内女子メンバーたちと一緒にお昼ご飯。今日の昼食はネネイ手作りのお弁当です。エビフライ弁当。
いつもなら喜んでメインのエビフライに箸を伸ばすのですが。
「……何故」
バムに逃げられ続けてしまったトパーズは弁当箱の蓋すら開けず、手で顔を覆ってしまっていました。
「どうしてだろうね?」
白米の付け合わせの漬物を食べながらことりは首を傾げ、
「すげえ勢いで逃げてたのです。あんなに俊敏なバムくんは見たことがないのです」
フォークにプチトマトを刺してネネイは関心し、
「トパーズさんはいつの間にバム専用の忌避薬を体に塗ったのですか? 調合レシピをご享受頂きたいのですが」
まだ弁当に手をつけていないルンルンは目を輝かせているのでした。
「使ってないよ忌避薬なんて……もー、なんでぇ……」
状況の意味が分からず、とうとう机に顔を伏せてしまいました。食欲よりも目前の悩みに思考を裂く方を優先させてしまっている様子。
プチトマトを食べつつ、ネネイは言います。
「きっとアレなのです。バムくん照れちゃっているのです! カワイイところもあるのですね!」
「そんなことありません!」
即座に机を叩いて否定したのはルンルン。彼女らしからぬ激しい動作にネネイだけでなく、ことりも目を丸くして彼女を見やります。
ルンルンは強く、続けます。
「奴に限ってそれはあり得ません! 恐らく、何かしらを企て準備している最中なのでしょう……しかし、トパーズさんの積極性により現在は逃走状態になっていると考えられます。つまり、今がチャンス! うまく追い込めば仕留めることができるはずです! これは好機ですよトパーズさん、後一歩です、頑張りましょう!」
「お前だけ別の次元の話をすんなです、黙ってろなのです」
お行儀が悪いものの、フォークでルンルンを指しつつネネイは冷たく言い放ったのでした。
ことりは、次のおかずに箸をつける前に窓の外の青空を見まして、
「今、スイミーくんがバムくんを探しに行ってくれてるから、そこで逃げている理由を聞けたらいいんだけど」
現状をぼやいただけですが、トパーズはやっと顔を上げてくれました。
「うまくいくかな……そもそもバムくんがちゃんと話してくれるかどうか……」
「でも、バムくんから告白したのにトパーズちゃんから逃げるなんて変なのです! 不思議なのです!」
「うん……本当に、どうしてだろう……」
そう、弱々しく言うだけ。
告白された時に無意識に何かをして、嫌われてしまったのではないか……という、最悪の想像すら頭の中に浮かび上がってくる始末。
後ろ向きに考えがちのトパーズの不安は時間が経つごとに増え続けるばかりで、目頭が熱くなり始め……。
「大丈夫」
そっと、頭に手が乗せられます。そして優しく撫でられます。
声の主はことりでした。
「絶対に理由があるはずだよ。バムくんは告白するぐらいトパーズちゃんのことが好きなんだから、進んでトパーズちゃんを傷付けようとするはずがないよ」
頭を撫でて慰めている手はしっかり耳まで進んでおり、しれっとドワーフのもふもふさも堪能しているようですが、トパーズは怒る気にもなれません。
ゆっくり顔を上げ、弱々しくも笑みを作り。
「ことりちゃん、ありがとう……」
大切な友人に感謝の言葉を伝えるのでした。
「知略の一環ですよ間違いなく。ここは奴の裏をかきましょう!」
「だからお前は黙れなのです」
トパーズが教室で慰められているのと同時刻……。
「あーいたいた! バムくーん!」
スイミーは学園の中庭に辿り着いており、木陰に座り込んで何かを縫っているバムを見つけました。
安渡した様子で駆け寄るもののバムの視線は縫い物に向いたまま。彼が近付いてきていることを把握しているのかも怪しい。
それも気にせず、スイミーは言葉をかけます。
「どーしたの? 今日ずーっとトパーズちゃんを避けちゃってるけど」
「…………」
「自分から告白したのになんで避けちゃうのさ?」
「…………」
「バムくん? ちょっと集中しすぎじゃない? その集中力を少しだけ外部に向けても悪いことは起こらないんじゃないかな? というかお昼ご飯食べなよ、ネネイちゃんのエビフライ弁当だよ今日は」
「…………わからん」
「は?」
急に返ってきた言葉につい声が出てしまうも、それ以上は言わずに続きを待ちます。
少し待ってから、バムは話し始めるのです。縫い物を続けたまま。
「俺も、正直、どうしてアイツを避けてしまうのかよく、分からない。答えを聞かないといけないというのに、考えるよりも先に体が動いてアイツから逃げてしまう……そうなってしまう理由が、分からん」
彼らしくもないハッキリしない物言い。皮肉も何もないその言葉は、彼がどれほど戸惑っているのかをよく表していました。
だから、スイミーは、
「うっかり告白しちゃった現実を、まだ受け入れられてないんだよ」
いつもの軽い調子で茶化すことなく、真剣に言いました。
「告白は不可抗力というか自爆に近い感じだったんでしょ。それに一番納得していないのは間違いなくバムくんだから、現実逃避しちゃってるんじゃないのかな。無意識の内にさ」
「そうだろうか」
「たぶんねー?」
なんて言った頃には、いつも通りの軽い調子で返していました。さらに続けて、
「でも現実は告白に成功した世界線でしょ? それを受け入れてトパーズちゃんと話すのがバムくんが真っ先にやらなきゃいけないこと。じゃないとさ、折角告白したのに嫌われちゃうよ?」
「好かれているかも、分からないだろうが」
「そらぁ僕にも分からないよ。でもさ、結果がどうあれ白黒ハッキリさせておかないとお互い前に進めないし、二人がこんな調子だと探索もできないよ?」
探索活動を主にする冒険者にとって、メンバー同士の恋愛のもつれは個人間の問題ではなく、周囲を巻き込んでいる大きな問題に派生するのは自然な流れ。余程のアホな冒険者でもない限り、理解できる問題です。
「今日はともかく明日か明後日は探索行かないとさ、その内ネネイちゃんが暴れ出すよ? マジで」
あえてそれを言葉にしたスイミーの脳裏に過ぎるのは、冒険できずにフラストレーションが溜まり、刀を持って大暴れし始めるネネイの暴走した姿。案外想像に難くない現実的な光景すぎて……考えるのをやめました。
「トパーズちゃんはバムくんと話したがってるんだし、覚悟を決めて受け止めてきなよ」
バムは答えません。
縫い物に視線を向けたまま、ひたすらに手を動かし、黙々と作業を続けるのでした。
石のように黙り、答えようとしなくなった姿にスイミーは小さくため息。
「やれやれ……恋愛って厄介ねぇ。僕はあと五十年ぐらい恋愛しなくていいや……教室に帰ってエビフライ弁当食べよ」
これ以上の説得を諦め、踵を返そうとした時でした。
バムが無心で縫い続けているモノに既視感を感じ、ぴたりと動きを止めたのです。
それはよく見なくても体操服なのですが、どうしても気を引いてしまうのは服の種類では決してなく、胸のところに書かれている持ち主の名前で。
「……それ、僕の体操服なんだけど……」
バムは答えてくれませんでした。
時刻は終業時間間近、廊下や校庭を見回っている教師が残っている生徒たちに帰宅を促し始めており、学生たちの一日の終わりが近付きつつあります。
教師の声が遠くから聞こえる最中、その教室では。
「ふぅ、これでよし」
トパーズは教室の後ろにある棚の上に花瓶を置いていました。
既に花が活けてある花瓶を眺め、ホッとしたような小さな息をこぼすと、
「お前もマメだな」
その後ろで、呆れるような関心しているよう声で言うバムにゆっくりと振り向き、苦笑い。
「あはは……でも、最初に“教室って殺風景すぎるから花とかあったら彩りよくなるかも〜”って言い出したのはアタシだから、最後までやらないとね」
「……」
バムは無言のまま、トパーズを見つめていました。
パーティ結成当初こそはディアボロスの迫力というか威圧感に少しだけ怯えていたトパーズでしたが、同じパーティで探索と冒険を長く続け、仲を深めた今となってはすっかり慣れたもの。
無言の彼は何を考えているかよく分からないという欠点はありましたが、断じて不機嫌でもなければこの状況に不満を持っているということもありません。恐らく、彼がそうしたいからそこにいるのだろうと、トパーズは思っていました。
「最後まで付き合ってくれてありがとうね、バムくん。お花探しまで手伝ってもらっちゃって」
「……ああ」
短く答え、目を逸らされました。
お礼を言われて照れているなぁ……なんてちょっとだけ可愛らしく感じつつ、決して言葉にはせずにクスリと笑って。
「お花の世話はアタシがやるよ! むしろやらせてほしいなぁ」
「妙に張り切っているんだな」
「もちろん! 何かを任せてもらえるのってちょっと嬉しいから!」
「自分から負担を被っただけだろう」
「意地悪な言い方だなあ……自分からやりたいことを見つけてやっただけだもん」
「そうか」
短く答えた彼の表情は全く変わりませんでした。
「じゃあ、もう遅いし寮に帰ろっか。早く行かないと先生たちに怒られちゃうよ」
「…………」
「明日って授業に行かずに朝から探索するんだよね? 集合場所って校門前であってたっけ? バムくんは何か聞いてる?」
「……トパーズ」
「ん? なあに?」
改めて名前を呼ばれたので何かと思って首を傾げた時。
「お前が好きだ」
告白でした。
本当に、唐突に、愛の告白が彼の口から、出ました。
「…………え?」
――今の、告白? いや、そっちの意味のはずなんてないよ絶対に、だって相手はあのバムくんなんだよ? 作家さんの卵で実家だって大金持ちでルンルンちゃんと同じような上流社会で生きているから、この学校に入らなかったら絶対に友達になるようなことがない人で、将来の目的もこの学校に入学した理由もしっかりしていて、無愛想だけど根はすっごく優しくてちょっと可愛いところもあって、ルンルンちゃんは犬猿の仲でいつも口汚く罵り合いをしていて、アタシよりも成績優秀でそれでそれでそれでそれで
一瞬の間に思考が高速回転し現実が現実でないと思い込もうと必死。それによりトパーズは完全にフリーズ。まるで石化した時のよう。
「……………………」
絶句したままの彼女にバムは言い放ちます。
「尋ねられる前に言っておくが、友人としての好きではない。それ以上の意味合いの好き……だからな」
「……………………」
「……返事は、すぐじゃなくていい」
そう言い残し、教室から足早に出て行ってしまいました。
ひとり残されたトパーズは、見回りに来た教師に声をかけられるまで、その場に立ち尽くしていたそうな。
その日の夜。女子寮にあるトパーズの部屋にはパーティ内女性陣全員が集まっていました。
彼女の実家で使っていたというローテーブルを囲み、お茶菓子まで用意してちょっとした女子会のよう。いつもなら、ルンルン主体の恋バナやら学校のことやら探索の愚痴やらでお話に花が咲くのですが。
「えーっ!? バムくんに告白されたのです!?」
「う、うん……」
放課後に起こった告白のことを伝え、トパーズは下を向いて小さく肯定しました。
「告白?」
いまいちピンときていないことりは首を傾げ、
「世も末ですね」
大嫌いなバムの話題により、目つきを鋭くさせたルンルンは紅茶を飲むのでした。
驚きの渦中から戻ってきたネネイは少しだけ身を乗り出し、トパーズに言います。
「だから明日の探索はお休みしたいと言ってきたのですね! バムくんが告白してきたから! なのですね!」
「う、うん……ごめんね……」
冒険大好きなネネイにとって探索の中止とは、心からお楽しみにしている時間を奪われるようなモノ。申し訳なくなったトパーズは下を向いたまま、弱々しく謝罪しました。
怯える彼女の心配とは裏腹に、ネネイは座り直してから何度も頷きまして。
「いいのですよ。さっきバムくんからも“明日の探索は行けなくなった”と連絡がきたのです。理由を教えてくれなかったから不思議だったのですが、やっと疑問が解けたのです」
「そ、そっか……」
安心はしたものの気まずさは抜けず、トパーズは顔を上げつつも目は逸らしたままでした。
「んで? どうするのです? バムくんからの告白は」
ストレートに切り込みを入れてきた言葉にトパーズの肩はびくりと震え。
「悲劇的かつ一生のトラウマになりそうな失恋のシチュエーション演出であればお任せください! トパーズさんのご期待に添えられるような悲壮な場面を作り出しますよ!」
心からウキウキしているルンルンが当たり前のような口ぶりで言ってきたので、
「断る前提で話を進めないで……」
トパーズは弱々しく抵抗し、ルンルンは理解できずに首を傾げたのでした。
「じゃあ、おっけーするのです?」
「そ、それは……まだ、わからない」
「どうして?」
ことりに尋ねられ、トパーズはようやくパーティメンバーたちの顔を見ます。
戸惑いが抜けきっていない気弱な表情のまま。
「バムくんのことは悪い人じゃないっていうのは分かってるよ。でもね、アタシなんかで良いのかな……って、思っちゃって」
「悪い人ですよ奴は」
ルンルンの意見は全面無視され、話は続きます。
「バムくんみたいなすごい人が、どうしてアタシのことを好きになってくれたのか分からないんだ。世の中にはもっと魅力的な女の子がたくさんいるはずなのに、どうして、平凡なアタシを選んでくれたのか……考えても考えても分からなくって……」
「マジで好きとしか言われてないのですね、バムくんに」
トパーズは頷きました。そして思い出してしまう、つい数時間前に起こった突然の告白。
いつも無愛想で恋愛だとか誰かを好きになるとか……“そういう話題”と縁遠そうな相手から、突然愛情を向けられてしまった、非現実的のような現実のことを。
思い出すだけで、自然と顔が熱くなる理由はまだ考えたくありません。
ネネイとことりは静かにそれを見守るだけ。とりあえずポテチをひとつまみしておきました。
「なんという致命的な情報不足……それによりトパーズさんを戸惑わせることが奴の目的でしょう。巧妙な手口に惑わされてはいけませんよ」
全く別のモノが見えているルンルンが的外れな励ましをしてくれましたが、トパーズは顔を引き攣らせるばかり。
「て、手口って……そんな悪意に溢れた感じじゃなかったよ……?」
これにルンルンが反論しようとした時、
「はい、ルンルンちゃんキャラメルだよ」
「ありがとうございますことりさん! ことりさんからの愛を頂きますね!」
ことりがすかさずキャラメルを手渡したことで、ルンルンは歓喜のままそれを口の中に入れ、じっくり味わい始めました。
厄介なセレスティアの動きを封じたことりは、改めてトパーズに問います。
「バムくんがトパーズちゃんのことを好きになった理由を聞いたら、トパーズちゃんは告白にいいよって返事するの?」
「……わからないよ」
再び俯いたトパーズからは元気のない答えが出て、ことりは何も言わなくなりました。
続けてネネイが、
「でも、バムくんがトパーズちゃんじゃないとダメな理由っていうのは絶対にあるはずなのです」
「……そうかな」
「そうなのです。その理由をトパーズちゃんが知る権利はあるのです。それを聞いてからバムくんの告白をどう返すか決めるのは、いいアイディアだと思うのですよ」
「うん」
ことり納得。トパーズも顔を上げてネネイとことりに笑顔を向けました。
「ネネイちゃん……ことりちゃん……」
「そうですね。では、なんと言って奴のプライドをへし折りましょうか?」
幸福のキャラメルから戻ってきたルンルンが失恋確定の方向へ舵を切ろうとして、
「ルンルンちゃんはいい加減に黙れなのです」
ネネイに淡々と叱られました。
それを見ずにことりは、トパーズに再び問いかけます。
「トパーズちゃんは、バムくんのこと、好き?」
「……嫌いじゃないよ?」
弱々しく始めたトパーズは、続けて、
「愛想が無いように見えるけど、ああ見えてすごく優しいし……ストレートで皮肉じみた物言いはよくしてくるけど、それは決して間違いじゃないから、気付かされることもあるっていうか……信頼、してるって、感じ……」
「そっか。じゃあ、何がきても大丈夫だと思う」
「そう、かな?」
「たぶん」
ことり即答。肝心な時に締まらないのはマイペースで穏やかな彼女らしいと言いますか、正直者すぎるとと言いますか。
それでも、彼女の言葉の節々にある友達を気遣う優しさは、トパーズにしっかり伝わっていました。
「ありがとう、ことりちゃん……」
ここに来て初めて浮かべるホッとしたような柔らかい笑み。ひとりだけでは決して辿り着けなかった答えと言葉を得て、不安の種は少し取り除かれたのです。
それに便乗するようにネネイも頷いて。
「うんうん。トパーズちゃんはバムくんともう一度お話をする必要があるのですね」
「え? 話すまでもありませんよね?」
「だからお前」
己のペースと思考を崩さないルンルンはさておき、トパーズは立ち上がります。
「アタシ、明日バムくんともう一度話してみる!」
翌日。授業が始まる前、朝日が登り大地を照らし始めてしばらく経った時間帯。
クロスティーニ学園の屋上は、当たり前ですが閑散としていました。
「…………」
バムはそこのベンチで、ひたすらレースを編み続けていました。服の裾とかに縫い付けるような小さくて可愛らしい紐上のレース編みです。
彼は校門が開いて学園に入れるようになってすぐ、ここにきて黙々と作業を続けていました。
このまま始業チャイムが鳴る直前まで過ごそうと、考えていたのですが……。
「やあおはよう! 聞いたよバムくん! トパーズちゃんに愛の告白をしたんだってね!」
どこからともなくスイミーが発生しました。
彼はバムの前に立つと、いつも通りテンション高めに話を始めます。
「前々から好きだとは言っていたけど、とうとう男を見せたと……で? で? 返事は? もうお返事もらった?」
「…………」
「あらまだっぽい……そうそう、この情報はことりちゃんから聞いたんだ! 昨日は女の子たち全員で女子会しつつ話し合ってたみたいだよ! これもことりちゃん情報ね!」
「………………」
「その話し合いの場にルンルンちゃんは相応しく無いような気がするんだけどね僕、それも気にせずあの子を話に参加させてあげることがことりちゃんの優しさとゆーかー」
「うるさい」
目にも止まらぬ速さで布団針を出したバムは、間髪入れずにそれをスイミーの膝に刺しました。ぐっさり。
「ギャーッッッッ!!」
屋上に哀れなノームの悲鳴が響きましたが、登校中の生徒たちは誰も気に留めなかったそうです。
痛みのあまりしゃがんでしまったスイミーの悲鳴は続きます。
「痛い! 布団針はひどい! 布団針は容赦ないって! ぶっとい針だよそれ!? 僕が依代じゃなかったらどうするつもりだったの!?」
「膝に矢が刺さるよりはいいだろう」
「そう、かも、だけど……痛い……」
膝に刺さったままの布団針を抜き、すぐさまヒールで治療開始。
治療している最中、バムは言います。
「ああそうさ、告白したさ、トパーズに。昨日、ストレートに好きだと伝えた」
少々やけになりつつありますが、ハッキリと答えてくれた後、治療を終えたスイミーは立ち上がります。
「そっかあ……あのバムくんが告白とはねぇ……あんまりそういうのは言わないタイプだと思ってたからびっくりよ。はい針返すね」
布団針を返そうと手を出しましたが、バムはレース編みを続けるばかりで受け取ろうとしません。
少し黙ったスイミーは彼の手が止まらないことを悟ると、差し出した手を下ろしました。
「……で? 今は告白のお返事待ちと」
「…………」
「え? 本当にお返事まだなんだよね?」
「……正直」
「ん?」
「正直、勢いだった」
「ほえ?」
間抜けな声が出て首を傾げます。
レース編みの手を止めないバムは視線もそのままに、話だけ続けます。
「この気持ちを伝えるのは、もっと適切なタイミングがあったはずだ。あんな土壇場で急に言うものではない」
「でも告ったんでしょ? もう後戻りできなくない?」
「だから……後悔している」
「どして?」
「急に想いを伝えてしまったから、アイツを困らせてしまった」
レースを編みつつ考えてしまいます。気持ちを伝えた直後、明らかに戸惑ってしまっていた彼女の表情を。
教室から逃げるように帰った後、恐ろしいほどの後悔に苛まれてしまったことを。
何度、一日をやり直したいと願ったことか。
「急に告白したのは、どうして?」
スイミーは尋ね、バムは答えます。
「……気がついたら、秘めていた気持ちが口から出ていただけだ」
理由になっていないかもしれませんが、バムにとってはこれは、秘めていた気持ちを吐露してしまった確実な原因に他なりません。
非現実的な答えを受け、スイミーは頷きます。
「そっか。隠しておこうとしていたことが隠せなくなっちゃうぐらい、バムくんが抱いてるトパーズちゃんへの気持ちは大きかったってことだね。抑えていたその気持ちが昨日、とうとう弾けてしまったと……」
すらすらと言葉が出てくるものですから、バムはレース編みの手を止めてやっとスイミーを見ます。
「……恋愛経験、あるのか?」
「ないない!」
即答したスイミーは手を振って明るく返しました。
「あるわけないし、これから先もそういうのきっとないよ! 恋愛と縁ないもん僕って」
「そうか」
納得したのかレース編みを再開させました。
「とりあえずさ、トパーズちゃんにその辺り諸々も伝えた方がいいんじゃないかな?」
「……そうか?」
「そーよー? だって、今のバムくんってっちょっと心配なんだもん」
「お前に心配される筋合いはない」
「君にとってはそうかもしれないけどさあ」
言葉を濁した後、スイミーはベンチを見やります。
永遠と編み上がっている紐状のレース。それは彼の横でとぐろを巻くように積み上がり続けており、その大きさ兼長さを伸ばし続けているのでした。
「……こんなに長いの、どうすんの?」
「…………」
「ちょっと、バムくん?」
「………………」
それから数十分経って。
「バムくん!」
屋上にトパーズは飛び込んできました。
クラスメイトや色々な人に聞き込み、彼が屋上にいるという情報を得てここに辿り着いたのですが、そこにいるのはベンチに座って足をぷらぷらさせているスイミーだけ。
「おや、トパーズちゃん。おはよー」
和やかに挨拶しつつ、手を軽く振りました。
挨拶も返さず、辺りを見回して探し人がいないか確認してから、スイミーのいるベンチに向けて足を進めていきまして。
「す、スイミーくんだけ? バムくんは……」
「さっき屋上から飛び降りたよ」
軽く言ってすぐ近くの柵を指せば、トパーズは瞬時に顔を青一色に染め上げまして。
「ギャ――――ッッ!?」
最悪の想像をしてしまい悲鳴も上げてしまいましたが、スイミーはへらへらと笑うばかり。
「心配しなくても大丈夫だよ〜、あそこの木に華麗に着地してたから怪我はしてないはず」
そう言うとおり、指し続けている柵の先をよく見れば植え込みに根を張り、天に向かって伸びているごく普通の木が見えます。三階までの高さはありそうですね。
これによってひどく安心したトパーズはホッと胸を撫で下ろし、
「そ、そっか、よかった……でも、なんで急に飛び降りたりしたんだろう……?」
「僕もわかんない。急に逃げるようにして行っちゃったからね? しかも、トパーズちゃんがここに来る直前ぐらいに」
「…………」
黙り込んでしまい、柵の方へ足を進めます。
柵に手を置き、彼が飛び降りたであろう木を眺めます。目を凝らして見ても人の影も形もなく、葉や枝が風によってちいさく揺れているだけでした。
「どうして……」
「トパーズちゃんはバムくんに何の用事? やっぱり告白のお返事?」
急に“その”話題を振られたことでトパーズの肩がびくりと震えました。
慌てて振り向けば、反応が面白かったのかニヤついているスイミーが見えましたが、特に気分を害することもなく、正直に答えます。
「お返事する前に……バムくんともう一度、ちゃんと話がしたいんだ」
「話って? 何の?」
「どうして、アタシに告白してくれたのか……バムくんがアタシじゃないといけない理由が、どうしても知りたいから、教えてもらいたいんだ」
「…………」
スイミーは会話を続けず、言葉を止めてしまいました。とても真剣で真面目な表情で。
そこそこ長い付き合いの中で、ノームらしい表情を初めて見たような気がして、少しだけ身構えてしまいましたが。
「……ここで僕が言っちゃうのは、やっぱり違うよね」
小さくぼやいた後、いつものノームらしくない陽気な笑顔になって。
「なら、急いだ方がいいよ! さっきまでバムくんと話してたけどさ、なんか彼、いつも通りって雰囲気はあったけどちょっと変だったもん。ほらコレ見て」
ベンチに上に置きっぱなしになっていた紐状のレースの山を持ち上げました。これにより、トパーズの顔は引き攣ります。
「なに、この長いレース編み……」
「ざっくり測ってみたけど四メートルは超えてたよ。何に使うんだろうね?」
「ホント、何に、使えるの……? これ……」
この数分後、始業のチャイムが鳴り響きました。
告白の動機を、自分を選んでくれた理由を彼の口から聞き出すため、暇さえあれば声をかけようとするトパーズでしたが。
「バムくん!」
休み時間に声をかけたらチャイムが鳴るギリギリまで逃げられてしまい。
「ねえバムくん!」
移動教室の際に突撃したら瞬時に姿を消してしまい。
「バムく」
昼休みに席に行こうとすれば、彼は窓から飛び降りて逃走を図りました。
お昼休み。
トパーズは教室でパーティ内女子メンバーたちと一緒にお昼ご飯。今日の昼食はネネイ手作りのお弁当です。エビフライ弁当。
いつもなら喜んでメインのエビフライに箸を伸ばすのですが。
「……何故」
バムに逃げられ続けてしまったトパーズは弁当箱の蓋すら開けず、手で顔を覆ってしまっていました。
「どうしてだろうね?」
白米の付け合わせの漬物を食べながらことりは首を傾げ、
「すげえ勢いで逃げてたのです。あんなに俊敏なバムくんは見たことがないのです」
フォークにプチトマトを刺してネネイは関心し、
「トパーズさんはいつの間にバム専用の忌避薬を体に塗ったのですか? 調合レシピをご享受頂きたいのですが」
まだ弁当に手をつけていないルンルンは目を輝かせているのでした。
「使ってないよ忌避薬なんて……もー、なんでぇ……」
状況の意味が分からず、とうとう机に顔を伏せてしまいました。食欲よりも目前の悩みに思考を裂く方を優先させてしまっている様子。
プチトマトを食べつつ、ネネイは言います。
「きっとアレなのです。バムくん照れちゃっているのです! カワイイところもあるのですね!」
「そんなことありません!」
即座に机を叩いて否定したのはルンルン。彼女らしからぬ激しい動作にネネイだけでなく、ことりも目を丸くして彼女を見やります。
ルンルンは強く、続けます。
「奴に限ってそれはあり得ません! 恐らく、何かしらを企て準備している最中なのでしょう……しかし、トパーズさんの積極性により現在は逃走状態になっていると考えられます。つまり、今がチャンス! うまく追い込めば仕留めることができるはずです! これは好機ですよトパーズさん、後一歩です、頑張りましょう!」
「お前だけ別の次元の話をすんなです、黙ってろなのです」
お行儀が悪いものの、フォークでルンルンを指しつつネネイは冷たく言い放ったのでした。
ことりは、次のおかずに箸をつける前に窓の外の青空を見まして、
「今、スイミーくんがバムくんを探しに行ってくれてるから、そこで逃げている理由を聞けたらいいんだけど」
現状をぼやいただけですが、トパーズはやっと顔を上げてくれました。
「うまくいくかな……そもそもバムくんがちゃんと話してくれるかどうか……」
「でも、バムくんから告白したのにトパーズちゃんから逃げるなんて変なのです! 不思議なのです!」
「うん……本当に、どうしてだろう……」
そう、弱々しく言うだけ。
告白された時に無意識に何かをして、嫌われてしまったのではないか……という、最悪の想像すら頭の中に浮かび上がってくる始末。
後ろ向きに考えがちのトパーズの不安は時間が経つごとに増え続けるばかりで、目頭が熱くなり始め……。
「大丈夫」
そっと、頭に手が乗せられます。そして優しく撫でられます。
声の主はことりでした。
「絶対に理由があるはずだよ。バムくんは告白するぐらいトパーズちゃんのことが好きなんだから、進んでトパーズちゃんを傷付けようとするはずがないよ」
頭を撫でて慰めている手はしっかり耳まで進んでおり、しれっとドワーフのもふもふさも堪能しているようですが、トパーズは怒る気にもなれません。
ゆっくり顔を上げ、弱々しくも笑みを作り。
「ことりちゃん、ありがとう……」
大切な友人に感謝の言葉を伝えるのでした。
「知略の一環ですよ間違いなく。ここは奴の裏をかきましょう!」
「だからお前は黙れなのです」
トパーズが教室で慰められているのと同時刻……。
「あーいたいた! バムくーん!」
スイミーは学園の中庭に辿り着いており、木陰に座り込んで何かを縫っているバムを見つけました。
安渡した様子で駆け寄るもののバムの視線は縫い物に向いたまま。彼が近付いてきていることを把握しているのかも怪しい。
それも気にせず、スイミーは言葉をかけます。
「どーしたの? 今日ずーっとトパーズちゃんを避けちゃってるけど」
「…………」
「自分から告白したのになんで避けちゃうのさ?」
「…………」
「バムくん? ちょっと集中しすぎじゃない? その集中力を少しだけ外部に向けても悪いことは起こらないんじゃないかな? というかお昼ご飯食べなよ、ネネイちゃんのエビフライ弁当だよ今日は」
「…………わからん」
「は?」
急に返ってきた言葉につい声が出てしまうも、それ以上は言わずに続きを待ちます。
少し待ってから、バムは話し始めるのです。縫い物を続けたまま。
「俺も、正直、どうしてアイツを避けてしまうのかよく、分からない。答えを聞かないといけないというのに、考えるよりも先に体が動いてアイツから逃げてしまう……そうなってしまう理由が、分からん」
彼らしくもないハッキリしない物言い。皮肉も何もないその言葉は、彼がどれほど戸惑っているのかをよく表していました。
だから、スイミーは、
「うっかり告白しちゃった現実を、まだ受け入れられてないんだよ」
いつもの軽い調子で茶化すことなく、真剣に言いました。
「告白は不可抗力というか自爆に近い感じだったんでしょ。それに一番納得していないのは間違いなくバムくんだから、現実逃避しちゃってるんじゃないのかな。無意識の内にさ」
「そうだろうか」
「たぶんねー?」
なんて言った頃には、いつも通りの軽い調子で返していました。さらに続けて、
「でも現実は告白に成功した世界線でしょ? それを受け入れてトパーズちゃんと話すのがバムくんが真っ先にやらなきゃいけないこと。じゃないとさ、折角告白したのに嫌われちゃうよ?」
「好かれているかも、分からないだろうが」
「そらぁ僕にも分からないよ。でもさ、結果がどうあれ白黒ハッキリさせておかないとお互い前に進めないし、二人がこんな調子だと探索もできないよ?」
探索活動を主にする冒険者にとって、メンバー同士の恋愛のもつれは個人間の問題ではなく、周囲を巻き込んでいる大きな問題に派生するのは自然な流れ。余程のアホな冒険者でもない限り、理解できる問題です。
「今日はともかく明日か明後日は探索行かないとさ、その内ネネイちゃんが暴れ出すよ? マジで」
あえてそれを言葉にしたスイミーの脳裏に過ぎるのは、冒険できずにフラストレーションが溜まり、刀を持って大暴れし始めるネネイの暴走した姿。案外想像に難くない現実的な光景すぎて……考えるのをやめました。
「トパーズちゃんはバムくんと話したがってるんだし、覚悟を決めて受け止めてきなよ」
バムは答えません。
縫い物に視線を向けたまま、ひたすらに手を動かし、黙々と作業を続けるのでした。
石のように黙り、答えようとしなくなった姿にスイミーは小さくため息。
「やれやれ……恋愛って厄介ねぇ。僕はあと五十年ぐらい恋愛しなくていいや……教室に帰ってエビフライ弁当食べよ」
これ以上の説得を諦め、踵を返そうとした時でした。
バムが無心で縫い続けているモノに既視感を感じ、ぴたりと動きを止めたのです。
それはよく見なくても体操服なのですが、どうしても気を引いてしまうのは服の種類では決してなく、胸のところに書かれている持ち主の名前で。
「……それ、僕の体操服なんだけど……」
バムは答えてくれませんでした。
