依存的な運命の人

 コキがアーモロードの世界樹の迷宮でウォリアーの少女、ワカバに拾われてから一週間が経ちました。
 冒険者登録を行なった翌日、元老院から言い渡された地下一階の地図描きミッションも問題なくクリアし本当の意味で冒険者と名乗ることを許されました。
 本来であればここでアーモロードから去るべきだったかもしれませんが……純粋すぎる故に色々と危なっかしいワカバを放置することができなかったコキは、彼女の「仕事」を手伝うことにしたのです。
 ワカバの仕事とは、右も左も分からない新人冒険者たちに迷宮での立ち回り方をレクチャーしたり、浅い階層に現れる魔物たち特徴や弱点を伝えること。
 頭も言葉も足りていない彼女に器用な真似ができるのかと不安だったコキでしたが、新人冒険者たちに親切丁寧に助言を行なっている先輩冒険者としての姿を見て、心配は綺麗さっぱり飛び去りました。
 こうした助言の賜物なのか、新人冒険者たちからは感謝が絶えません。
「ありがとうございます! ワカバさんが抜け道について教えてくださらなかったら今頃どうなっていたことか……」
「よかった」
 ある晴れの日は樹海の入り口付近ですれ違いざまに頭を下げられ、
「あの山猫は火が苦手とは驚きましたぁ。夜の探索は松明を欠かさない方が良いでしょうかぁ?」
「いい、でも、くるやつはくる、ゆだんはダメ」
 あくる日の夕方に伐採地点で出会った冒険者グループに対して助言をし、
「あの草が毒を持っているなんて知らなかった……故郷に同じような草があるけどいつもスープの中に放り込んで食べていたから、教えて貰わなかったら同じように料理してお腹を下していたところだったよ」
「にてるからむずかしい、コキもおなじこと、した」
「ワカバぁ!!」
 ある曇りの日には通路の突き当たりでこのような会話をして、コキの怒鳴り声が響きました。
 毎日樹海に潜ることになるため常に命の危機と隣り合わせではありますが、他者から感謝されて悪い気分になる人間が滅多にいないように、コキ自身もこの生活に不満はありません。
 不満はありませんが問題はあります。
 この「仕事」は全て無償で行われているのです。いわばボランティア活動でした。
 正気かと思われるかもしれませんがワカバにはお金の概念がほとんどありません。お金さえあれば街で物を買えるという認識はかろうじてあるものの、そのお金の増やし方を彼女はまるで知りません。
 食いしん坊ゆえの食費はどうしていたかというと、彼女は三食全て迷宮内で補っていると言います。早い話が自給自足でした。
 持っている剣や防具は拾い物。メディカやテントなどの物資はワカバに助けられた新人冒険者が善意で恵んでくれたり、迷宮内で拾ったお金を使って購入しているとか。
 ワカバがひとりで生活できるようになるまで面倒を見ようと考えていたコキは頭を抱えました。抱えても解決しませんが抱えるしかありませんでした。
 冒険者はお金がかかる。薬品やテント、食料といった物資はもちろんのこと、武器や防具といった魔物から身を守るための武具もきちんとした物を買い揃えたり手入れをしなければなりません。魔物の攻撃でそれらが破壊されてしまえば目も当てられないことになるからです。
 お金がいる。しかしお金がない。稼ぐには樹海の資源を採集するか、魔物を殺してその肉体の一部を剥ぎ取って売却するという方法しかありません。
 冒険者専用の酒場で依頼を受けることはできますが「しんじんのしごと、とったらダメ」というワカバのこだわりによりこの手段も使えないものとなっているので、キャンバスは早速「金銭問題」という大きな壁にぶち当たっているのでした。



「ひふうみい……うーむ、これだと宿に泊まれない……」
 テントの中であぐらをかくコキは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべつつ、目の前にキャンバスの全財産を広げていました。
「樹海暮らしの長いワカバがいるから樹海の資源や魔物の素材に困ることはない。むしろ他の冒険者よりも多く、効率よく稼げてる自信はあるけど……」
 事実、現在のキャンバスの全財産は探索物資購入だけでなくコキとワカバの武器と防具を全て新調してもお釣りが出るほどあります。
 浅い階層でここまで稼げるのは非常に珍しい。並の新人冒険者であれば喜び跳ねるレベルの金額が並んでいますが……。
「コキ」
 テントの出入り口に垂れ下がっている布がひらりと開いて、顔を出す少女がひとり。
 名をワカバと言います。コキの命の恩人であり、ちょっと知能が足りていない純真無垢で食いしん坊なウォリアーの少女。十八歳らしい。
「ん?」
 名前を呼ばれたコキが振り向くと、視界にはどこか嬉しそうなワカバの姿が目に映り、
「おさかなとれた」
 意気揚々と発言した少女は魚をテントの中に侵入させました。もちろん、尾の付け根をしっかり掴んで逃げられないようにして。
 テントの中に生魚特有の臭いが漂い、人間に抗おうと全身を揺らして暴れる魚から水滴が飛び散ります。ちょっとした惨事と称しても過言ではないでしょう。
 しかし、コキは嫌な顔ひとつせずお金に着いた水滴をさっさと拭って、
「なら、お昼ご飯は焼き魚ね」
 淡々と昼のメニューを決めるとワカバは大きく頷いて魚を引っ込めました。見せびらかして満足したのでしょう。
「くしやきにする」
「おっけ、じゃあ準備しておいて」
「おにくとわたあめとかえるとパンとドリアンとごはんもたべる」
「はいはい。それらは街に戻ってからね」
「うん」
 ワカバはテントの外に出て行ってしまいました。次に聞こえたのは火おこしをする音、昼食の準備が始まりました。
 同時に、コキはがっくりと項垂れまして。
「ワカバの食事代がかかりすぎる……!」
 金欠の最大の原因を呟きました。
 常にお腹を空かせている彼女。常人の二倍、いや三倍……いやいや四倍は軽く平らげてしまいます。あの細い体のどこにあれだけの量が入るのか、コキには理解できませんでした。
 樹海内では自給自足で済んでいましたが街に戻るとそうもいきません。人間社会では「食べる」ためにもお金がいるのです。
 樹海暮らしが長かったせいか街での食事を気に入ってしまったワカバ。今では街に戻り、食事をすることが最大の楽しみになってしまったようで、資金稼ぎには積極的な姿勢を見せています。
 いくら稼いでもたくさん食べてしまえばその稼ぎも水の泡ですが。
「私が調整してやりくりしないとあっという間に生活がは、破綻する……ワカバがひとりで稼いでひとりで街でご飯を買えるようにさせたいのに、生活費のやりくりばかりでそれどころじゃないなあ……」
 目に見えてわかる過酷な道のり。しかしコキの表情に憂鬱さはどこにもなく、それどころか楽しそうです。
 新しい出来事や出会いに胸を躍らせる子供のような、今が楽しくて楽しくてワクワクして仕方ないといった表情。
 いつまでも楽しんでいるワケにはいきませんが。
「……みんな、今頃どうしてるかな」
 ふと思い出します。血眼になってコキ探しているであろう追手の、同胞のシノビたちのことを。
「情報収集のプロだし私がアモロにいることはとっくにバレてるか……でも、一週間以上もアクションがないってことは完全に見失って、最後に目撃されたあの街で情報を洗い直しているのかも……このまま上手く撒ければいいんだけど……」
 分からない事を考えても仕方ないと考え直し、キャンバスの全財産をかき集めて財布に戻してから立ち上がり、テントの外に出ました。
 目に映るのは焚き火の前に座り、魚を串に刺すワカバの後ろ姿。
「どうしたものか……」
 目前にある問題は山のようにあるというのに、疲労感は全く感じません。今の彼女の中から湧き上がってくるのは高揚感に似た感情ばかり。不思議なことに。
「久しぶりに誰かの世話を焼けて楽しいのかしらね」
 小さくぼやいて足を進めた刹那、ワカバは串に刺した魚を口に運ぼうとする光景が見えたので、
「ストップ」
 コキはとっさに駆け寄り腕を掴んで制止しました。
「う?」
「言ったわよね? 言ったでしょ? 野菜や果物意外は生のまま食べたらダメだって」
「おにく」
 返答には不適切な単語が飛び出しましたが彼女が何を思ってその発言をしたのか、一週間程度の付き合いのお陰で理解できるようになったコキは続けます。
「そうね、確かに肉は生のまま食べるなって前に言ったわね。でも、魚も生で食べたらいけないの」
「おさしみ」
「刺身はちゃんとした人がちゃんとした魚を調理しているから美味しいの。でもこれはその辺りの川で泳いでた名前もよく知らない川魚でしょ? 私たちみたいな素人……料理人じゃない人がテキトーに料理しても美味しくならないし、お腹を壊しちゃうかもしれない。そしたら二度と美味しいものが食べられなくなるわよ?」
「それはダメ」
「でしょ? だからちゃんと炙って中まで火を通してから食べましょ。塩でもかけて」
「う」
 納得したワカバは頷いた後に串を地面に固定して焚き火の火に魚を焚べます。
「できた?」
「まだ早い」
「う」
 魚の前で三角座りをして待つわくわくしながら待つワカバを横から眺めます。
「こんな日常も悪くないけど……ダメなのよね、本当は」
「だめって?」
「なんでもない。ほら、魚が焼けるかちゃんと見張っておかないと焦げちゃうわよ?」
「うん」
 首を傾げつつも今は魚の方が大切なワカバは魚を見ることに集中するのです。

 ――同胞たちは目的のためなら手段は選ばない。
 ――私を捕えるためならワカバを傷つけることも厭わないだろう。
 ――巻き込みたくないけど、世間知らずで純粋なこの子をひとりにできない。
 ――この子を任せられるほど信頼できる人間はいない。
 ――どうしよう。

「できた? コキ、できた?」
「まだよ、まだ」
「う」



 その日の夜。コキはアーモロードの街中、冒険者向けの道具を扱う商店に向かって歩いていました。
 魚を食べた後に追加でいくらか魔物を狩り、その素材を売却することで宿代を確保することができたため、今日も街に戻りベッドで眠ることが確約されました。
 ただし、ワカバに夕食を一品だけ抜いてもらわないといけないことにはなりましたが。
「はあ、疲れた……一品抜くだけなのにあれほど駄々をこねるとは……」
 その顔には疲労の色が伺えますが、口元はかすかに緩んでいるのでした。
 アーモロードの街もすっかり見慣れてきました。世界樹の迷宮は踏破されてしまっていますが、野心に溢れ迷宮に挑戦する冒険者は未だに多く、騒がしいぐらいの賑わいは消える兆しが見えません。
 冒険者の街として機能し続けているお陰か、シノビ装束で街を出歩いても悪目立ちしないのは彼女にとって嬉しい誤算でした。隠れて過ごすより人に紛れて生活をした方が同胞たちに発見されにくいからです。
 ちなみにワカバは宿で寝ています。晩御飯を一品だけ抜くならお腹を減らしたくないと言いベッドに潜ってしまったので。
「メディカの在庫は十分だしテントもまだ持ちそうだから買い替えの必要は無しと。武器と防具のメンテはもう少し先でもいいかしら……」
「ねえ、そこのアンタ」
「しかし毎日ギリギリの収入なのは辛いところね……今度FOEとかいう魔物に挑んでもいいかも。普通の魔物よりも強いなら素材の売価だって跳ね上がって」
「ちょっと! そこのポニテのシノビ女!」
「え?」
 大声で呼び止められ、コキは足を止めました。
 振り向いた場所にいたのは街道の端、街灯の麓で小さいテーブルを広げて肘をつき、にやりと笑っている少女です。特徴的な服装からしてゾディアックと呼ばれる者なのでしょう。
 桃色のウェーブのかかった髪に金色の瞳をした少女は黙ってコキを見ているので、
「……えっと、私か?」
 なんて確認するように自身を指せば、呆れるような表情と言葉が返ってきます。
「他に誰がいるのよ。ちょっとこっち来なさいよ」
「はぁ……」
 無視して立ち去っても良かったのですがそちらの方が騒がしくなりそうなので、コキは渋々従いテーブルの前に立ちました。
 すると、少女はコキを上から下までじっくり観察してから、こう言います。
「アンタ、面白い未来を持っているわね」
「は?」
 意味がわかりません。突拍子の無さは藪から棍棒が飛び出すレベルです。
「あら失礼。あまりにも面白いものが見えたものだからついね? アンタは相当な逸材よ、長年ずっとこの商売を続けているアタシでもこんな未来は見たことないんだから、ちょっとは誇るといいわ」
 矢継ぎ早に言うものだからコキの空いた口が塞がりません。次の言葉が中々出て来ず固まっていました。
 それを良いことに少女の話は続きます。
「ここに来てそれなりに経つけど占い師としての仕事って滅多に来ないから暇なのよね、数少ないリピーターの連中はしばらく仕事で来れないって言ってたから余計に暇で暇で。まあこの暇を潰せそうな奴に出会えたのは不幸中の幸いね……ところでアンタ名前は?」
「…………え」
「アタシはスオウ。街の片隅で占い師をしている女よ。アタシが名乗ったんだからアンタも名乗りなさいよ、別に偽名でもいいし」
 会話して数分で態度の大きさを嫌ほど味わってしまいましたが、一応名乗ることにします。
「……コキだ。ちなみに偽名ではない」
「あらそう」
「声をかけてもらったところで悪いが、私は占いは信じない……」
 そう言って丁重に断って帰ろうとした矢先、
「アンタって冒険者でしょ」
 ピンポイントで言い当てられて、言葉が止まりました。
「……まあ、装備品を見れば大体わかるようなものだが」
「で、毎日迷宮に入って無償で知らない人を助けたり、常にお腹を空かせている相方のために食糧の確保をしたり、生活のためにお金を稼いだりしている。でもお腹を空かせてる相方のせいでギルドの資金は常にギリギリってところね。冒険のための道具と普通よりも多めの晩御飯代と宿代を払ったら財布の中身は空同然になるわ。本日の残金は十三エン……メディカも買えないわね」
「はっ!?」
 今までの生活のことも、ワカバのことも、財布の中身のことも全て言い当てられたコキは分かりやすいほど驚愕。普段は図星を突かれても表に出さない彼女ですが、ここまで的確に言い当てられたら動揺が表に出てしまうのも当然です。
 その反応を待っていたとばかりにスオウは得意げに鼻を鳴らし、
「なんで? って思ったでしょ? 答えは簡単よ、アタシは他人の未来が見えるのよ。だからアンタの明日と明後日と明明後日の未来を見たわ。そして見たままの光景を喋ったってだけ」
 さも当たり前のように超人的なことを口にしています。
 普通の人間であれば彼女の戯言に耳を傾けることはないでしょう。しかし、自分の現状や食費諸々を計算した上での財布の中身までピタリと言い当てられてしまえば否定もできなくなるというもの。
 非現実的すぎて信じたくない気持ちも加速しているため、全てを信用はできませんが。
「未来が見える……なんて、そんな馬鹿な話があるわけ」
「無理に信じろとは言わないわ」
 あれほど得意げに断言したというのに、返ってきたのは肯定的な言葉でコキはますます唖然とします。
「でも、アンタは明日樹海で猫に不意打ち喰らって頭を怪我するわね。頭部には気をつけておきなさい」
「……はあ」
 もはや生返事をするしかできません。
「詳細を見てあげましょうか? 初回だけタダにしてあげるわよ?」
 突然占いの商売の話に移行しコキはぴんと来ました。ようやくこの少女の意図が読めたのです。
「なるほど、そう言いつつ占った後に莫大な金額を要求するつもりか。あるいは占うと見せかけて何も見ないまま金銭を要求するか……」
「はあ!?」
 次の瞬間、スオウは立ち上がって机を叩き、抗議を始めるのです。
「しないわよ失礼ね! アタシはアタシの力を信頼して頼ってくれるようなリピーターしか金は取らない主義なの! だから初回だけサービスして、アタシの腕を信用してくれたら次から見返りを求めるの!」
 大声で喚き散らした後に何事もなかったように座りました。周囲の通りすがりの人々がじろじろと怪訝な顔で見つめてくるのがよくわかります。
 真っ向から大声で否定されたものですからコキは詐欺の可能性について追及するのをやめました。目立ちたくないので。
 なので小さくため息を吐き、素直な感想を述べます。
「……商売というより道楽じゃないのか、それ」
「そう取ってもらっても構わないわよ。貧乏なアンタたちと違ってアタシは道楽の収入でも十分に生活できるぐらい稼いでるのよ。リピーターには金持ちが多いものでね」
 あからさまに見下す発言に腹が立ちました。素直な気持ちでムカつきました。悟られたくないので心の中にストレスを留めておきました。
「未来が見える……というのは信じても良いとは思うが。私は自分の未来に興味はない」
「あら? 現実主義なのねえ」
「知らなくても良いことをわざわざ知る必要もないからな……じゃあ私はこれで」
 無理矢理に話を切り上げ、背を向けた時でした。
「そういやアンタ、緑色の髪と目をしたあの女の子といつまで一緒にいるつもり?」
 足が止まりました。
 背を向けたまま、口を動かします。
「……何が言いたい」
「アンタの未来見てたら噂になってる子を見つけちゃったからどうしても気になっちゃって。アンタも薄々気付いてるかもしれないけど、あの子はここでは良くも悪くも有名よ。浅い階層で初心者に助言しているいい人だけど、実は死んだ仲間たちの亡霊に取り憑かれただの樹海に魅入られた女の子だの言われてるわ」
「……」
「何で詳しいのかって聞きたいんでしょ。暇だし教えてあげても良いわよ、タダで」
 鼻で笑うように言ってくる点が腹立ちますが、緑色の髪と目をした女の子……ワカバ本人の口からは語れそうにない情報に興味があるのは事実。
 半信半疑ではあるもののスオウの方に向き直り、腕を組んで話を聞くことにしました。
「アタシね、たまーに冒険者の真似事みたいなこととかしてるからそれなりに噂は聞くのよ。世界樹の迷宮に挑戦していった冒険者たちのことをね。大抵は根も葉もない噂話だからスルーしてるんだけど、その子の話だけは信憑性があるのよ。だって噂を広めたのはその子の元保護責任者だもの。ちゃんと裏が取れた確かな話よ」
「…………」
「まあアンタにとっては眉唾な話なんだし流す程度に聞いときなさい。その緑髪の子……子供の頃はあるギルドに所属していた冒険者だったそうよ」
「…………」
「結構な勢いで探索を進めていて一時は最初の踏破者になるんじゃないかとも噂されていたそうよ。でも、そのギルドは魔物に襲われて壊滅的な被害を受け、緑髪の子も重傷を負った……どうもその時に仲間が無惨に殺される様を見たらしいのよ。その結果、強いショックを受けてメンタルブレイク、言動が幼い子供みたいになってしまったそうよ」
「なっ」
「壊れてしまった精神は二度と治ることはないから緑髪の子は永遠にあのまま。精神が成熟することはなく純粋な子供のような言動を繰り返すばかりの中身が幼児の大人になってしまったそうよ?」
「…………そうか」
 小さく、ただ小さく同意するだけの返答で済ませてしまいました。
 もう既にスオウの顔は見れなくなっていましたが。
 語られた噂話の全てを信用したわけではありません。しかし、ワカバの年齢に反して幼すぎる言動や社会性と常識の無さを裏付けるような話ではありました。
「物好きよねえアンタも。精神が完熟しない子にわざわざ教育とかしちゃって」
 俯くコキに気も留めず、スオウはまるで見てきたかのように言いました。会話の中で当たり前のように未来を見ているのでしょうか。
 コキはもう驚きません。淡々と答えます。
「物好きではない、あの子は命の恩人だから放っておけないだけだ」
「それを物好きって言うと思うけど、まあいいわ。つい最近までほぼほぼ樹海に籠っていたような子に社会常識を身につけさすなんて気の長い話ねえ? 頭が完全にぶっ壊れたワケじゃないから知識は多少なりとも身につくかもしれないけど、言動はずっと何か足りてないようなアレよ? 成長の兆しが感じられそうにないアレ」
「……」
「死ぬまで子供みたいな純朴さを貫くことしかできない子の面倒を見てたら人生ドブに捨てることになるんじゃない? アンタの努力に水を刺すように言うけど、あれは絶対に自立できないタイプで」

 ばしん。

 机を叩く音が街道の隅で響き、スオウの言葉が止まりました。
 道行く人々がなんだなんだと不思議そうに見ていますが、わざわざ立ち寄るほど暇ではないらしく横目で視るだけに留め、立ち去っていきます。
「…………」
 スオウの目の前でテーブル叩いたのは、コキでした。
 テーブルに手をついたまま、相手に表情を見せないように俯き、黙り込んでいました。
「……はあ」
 突然のことにも動じないスオウ、大変つまらなそうな顔でコキを見上げて淡々と言います。
「何? 可愛がってる子の悪口言われて苛立った?」
 悪びれる様子は一切なく、当たり前のことを当たり前のように口にして何が悪いのだと、開き直っている様子でした。
 俯いたままのコキは彼女に表情を一切見せることなく、
「少し、自分自身に、嫌悪した、だけだ」
 そう答えたのでスオウは呆れ顔で返すのです。
「はぁ? 意味わかんないけど……とにかく、アタシが言いたいのは自分の人生の貴重な時間を棒に振ってまであの子の面倒を見る必要があるのかってこと。アンタが自分の時間を使い潰すだけの価値が、あの子にあるのか問いたいのよ」
「理由は」
「アタシの見たアンタの面白い未来が潰されるのは嫌だなーって思っただけ。未来が見えるとは言ったけど、確実に見えた未来になることはないから」
 なんとまあ自意識過剰で自己満足で傲慢で我儘な女なのか。人目につかない場所だったら手が出ていたかもしれません。
 顔を上げたコキが見たのは最初に出会った時と同じ、ニヤニヤとした大変不快な表情になったスオウ。
 この問いにコキは答えなければなりません。
 言われっぱなしは非常に腹が立つので。
「私があの子に時間を、人生を使う価値などあるに決まっている。命の恩人というのもあるが、あれほど私を慕い、頼ってくれる存在を無惨に見捨てることなんて私にはできないからな」
「お人好し」
「よく言われる。私もいつまでもここに留まるつもりはないが、人間社会で問題なく生活できるようになるまでは、世話を焼きたいと思っている」
「ほーん? 本当にいいのそれ」
「いい。今の話は親切な忠告として受け取っておく。ではな」
 話を切り上げ、次に声をかけられる前に足早で彼女の前から立ち去りました。競歩とはいえシノビなので早いです。



 ――ワカバのことを悪く言われたからじゃない。
 ――私はこの時、救いようのない馬鹿な考えをしてしまったんだ。
 ――あの子の純粋さに漬け込んだ最低で愚かな考えを。



 鈍い痛みが走り、コキは頭部の包帯に触れます。
「あー……イタタ」
「コキ、だいじょうぶ?」
「ええ、まあ……大丈夫よ。驚きはしたけど大したことじゃないから」
「う」
 コキの言葉に納得したワカバは手に持っていたおにぎりにかぶりつきました。中身はアーモロード近海で獲れた昆布です。
 スオウという占い師に出会った翌日、二人は宿に近い食堂で夕食をとっていました。
 本日の夕食はおにぎり二個というコキに対し、正面席にいるワカバの目の前にはカエルの唐揚げとドリアンの刺身と坦々麺とカツサンドとおにぎり十個が鎮座しています。これが彼女の一食分です。
 多くの料理がテーブルに並べられる度に他の客や店員に“たった二人でどんだけ食べるんだ……?”という視線の的になっていましたが、もうすっかり慣れました。
 満足そうにおにぎりを頬張るワカバを眺めつつ、コキはどこか遠い目。
「しかし、ホントに当たるとは……」
 思い出してしまうのは本日昼頃の探索。
 地下一階を歩いていたところ山猫の魔物に背後をとられ、側頭部に猫パンチを喰らったのです。
 ただの猫パンチではなく魔物の猫パンチ。下手をすれば頭蓋骨が砕かれていたかもしれません。
 幸いにも一瞬だけ意識が遠のいただけでコキの命は助かりました。代償として頭部が血まみれになり、メディカを消費する羽目になりましたが。
 不意打ちをした山猫を追い払ったワカバはおにぎりを食べ終わってから首を傾げます。
「あたる?」
「なんでもないわ」
 軽めの否定も「そっか」とだけ返し、ワカバはカエルの唐揚げに手を出します。足の部分を丸ごと揚げた大きい唐揚げを、まず手始めに真ん中からかぶり付いたのでした。
「おいしい」
 大変満足そうなワカバ。現在のキャンバスの全財産が四十二エンだなんて夢にも思っていない顔です。
 カエルの唐揚げ二口目に挑む直前、ワカバはぴたりと動きを止めまして。
「コキはからあげたべないの?」
 と、彼女の目の前にあるおにぎり二つだけを見て尋ねました。
「いいの。少食だからこれだけでもお腹いっぱいになるのよ」
「しょーしょ?」
「ごはんをあんまり食べなくても平気ってこと」
「え!?」
 次の瞬間には信じられない者を見るような目を向けられました。珍しい表情だと思いました。
「ごはんたべないとだめしんじゃう、おなかすくのよくないあげるあげる、たべて」
 彼女にしては珍しく早口で言い、食べかけのカエルの唐揚げを差し出して来ました。香辛料の匂いが食欲をそそりますね。
 いつも通りの突拍子もない行動にコキは目を丸くしつつも慌てて首を振ります。
「食べなくても大丈夫だから!? おにぎりだけでいいから!? ワカバみたいにたくさん食べなくてもお腹いっぱいになるから大丈夫なのよ!? そういう体質! そういう風にできてる!」
「そうなの?」
「そうなの。だからワカバのご飯はワカバが食べて」
「うん」
 すぐに落ち着いたワカバはカエルの唐揚げを口に含みました。
「おいしい」
 満足そうでした。
 誰が見ても美味しそうに食べるワカバを頬杖をついて眺めるコキも、どこか満足そうでした。
「……お腹空くのがイヤだって言ってるクセにすぐに食べ物を分け与えようとしちゃって、自分と同じ思いをさせたくないからそうしているのかしら」
 優しい子だなあ……と、小さくぼやきました。
 こんなに純粋で優しい子を野放しにすることはもうできません。先日のセクハラ野郎のように、純粋さに漬け込もうとする奴らが沸いて集って来るのは目に見えています。
 今まで目を付けられなかったのは樹海に籠り続け、滅多に街に戻っていなかったからでしょう。しかし、今はコキの努力もあり人間らしい社会生活を学びつつあるため街の中でも目立つ存在になって来ました。街にいなくても噂は立っていたので当然かもしれません。
 樹海以外での人間同士のやり取りはまだ安心して見ていられるモノではなく、常に側にいなければ何を吹き込まれるか分かったものではないのです。
 しかし、コキは近い将来、選択をしなければなりません。
 ワカバを切り捨てる選択を。
「ごちそうさまでした」
 思案している間にワカバが食べ終わっていました。食べカスひとつ残さず綺麗になった器たちが彼女の前に並んでいました。
「……ねえ、ワカバ」
 コキが重い口を開き、ワカバを見据えます。
「おにぎり、たべないの?」
 食べ物のことしか考えてないワカバはコキの手元にあるおにぎりを見つめていますが、今はそれに構いません。
 コキは言います。
「私はね、その内……すぐにって訳でもないんだけど、この街から出て行かないといけないの」
 と。
 ワカバの返答は、絶句。
 コキは続けます。
「今日明日の話じゃないから安心して。でも、いつか絶対にアーモロードから去らないといけない。アナタとさよならしないとダメなの」
 子供でも分かるような言葉を並べたことでワカバでもすぐに理解できてしまいました。
 少女はおにぎりから目を離し、俯いてしまいます。
 膝の上で手を握り、小さく震えながら、
「……なんで」
 絞り出すように、尋ねました。
「最初に言ったでしょ? 私は悪い人間だって。悪い人間はね、いつか捕まって殺されてしまうものなの」
「……」
「悪い人間である私を捕まえようとしている奴らがいてね、そいつらは私を捕まえるためならどんな非道な手段も厭わない……痛いことも酷いことも平気でやるってこと。アナタや街で仲良くしている人を傷つけたり人質に取ったりするかもしれないわ。私はそんな光景見たくないし、アナタたちに迷惑をかけたくないの」
「……」
「本当だったらギルドを作ってすぐにギルドマスターの立場をアナタに譲るべきだった。でも、どうしてもアナタを放っておけなくて今日までズルズルと」
「やだ」
 コキの言葉を遮ったのはハッキリとした拒絶でした。
「コキがいなくなるの、いやだ」
 続けて強く拒否してもコキは首を横に振るばかり。
「そう言ってくれて嬉しい。でもね、このままだといつかアナタに迷惑が」
「めいわくとか、しらない」
「……」
「わたしはコキといっしょがいい、ダメなのなんで、ちがう、わからない、コキわるいひとじゃないのに、いっしょがだめ、おかしい、なんで、だめ、なんで、ダメっていう、へん、いや、どうして」
 自分の気持ちを整理しきれていないのか、訴えかけてくる言葉がどれもこれも独立していました。
 でも、こんなメチャクチャな言葉でも彼女が何を思っているのかは分かってしまうのです。
「悪い人よ。私は自分のことを良い人だなんて一度も思ったことないの」
「ちがう」
「違わない。アナタに見せないようにしているだけ。お国のためとかいう色々な理由をつけて悪いことばかりしてきたの、知らない人をたくさん傷つけてきた、殺したことだって何度もあった」
「……」
「私が殺されそうになっているのはそれとは別の理由だけど……とにかく、たくさん悪いことをしてきた私はずっとここにいる訳には」
「やだ!」
 突然、立ち上がったワカバは大声を出しました。
 彼女がここまで大きな声を出す場面を見るのは初めてで、コキは目を丸くして、でもどこか悲しそうに見つめるしかできません。
「コキがわるひととかしらない! めいわくじゃない! はなれるのいやだ! なんでそんなこと! いなくなるっていうの! なんで!」
「だからそれは……私が悪い人だから。掟を破って仲間を裏切るような真似をしたからで」
「そんなことない! わるくない! ない!」
 大声で否定し続けて、ようやく顔を上げたワカバ。
 両目からぽろぽろと涙を流しているではありませんか。
「コキはわるくない! ちがう! いっしょにいる! キャンバスにいる! いっしょにぼうけんする! はなれない! わたしも!」
「ワカバ……あのね、私はね」
「ききたくない! しらない! わたししらない! コキのバカ!!」
 涙を流すのも気にせず彼女は椅子を倒す勢いで駆け出し、店から出て行ってしまいました。
「あっ」
 とっさに立ち上がって手を伸ばしたものの、
「…………」
 力無く手を下げてしまい、結局、椅子に腰を下ろしてしまったのでした。
 他の客たちが気まずそうに見ていますが誰も声をかけられません。
 そして、コキは石像のように固まったまま動きません。店の出入り口を見つめ続けることしかできなくなっていました。
 すると、
「追いかけなくていいんすか?」
 静寂を打ち破ったのは青年の声。この店のウェイターです。
「泣いてましたよーあの子、かわいそーに」
 非常に軽い口調でコキに語りかける彼はワカバが綺麗に平らげていた皿を重ね始めました。
 体をミリ単位で動かせなくなったコキは店の出入り口を見つめたまま返します。
「……追いかける資格がない」
「そうすっか? ま、おねーさんがそう言うならそうなんでしょうねえ? 色々聴こえてましたけどおねーさんも大変だったんすねー」
「……今更かもしれないが、私が幾人も殺めた人間だというのに君は態度を改めたり、怯えたりしないんだな」
「冒険者なんてそーゆーもんでしょ? オレ、ガキの頃からこの仕事してますけど、冒険者ってお国の偉い人から明日食う物にも困っている浮浪者まで色々いますしたくさん見てきましたもん。おねーさんみたいなわる〜いことをしてきた人なんてそれこそ腐るほどいましたし“ええっ! こんな顔してこんなえげつない罪歴が!?”って奴も珍しくなかったっす」
「そ、そうか……」
 軽い口調の中で豊富な経験を語る青年にコキやや引き気味。冒険者生活一週間の人間にはやや刺激があります。
 ワカバが飛び出してしまったショックが和らいできたのか、ようやく青年の顔を見れるようになっていました。
「冒険者に身分は関係ありませんからねーギルドに登録すればみんな等しく冒険者っすよ。それで救われる人って結構いますよ? あの子だってそうなんじゃないっすか?」
 青年は皿を重ね終わり、頂点の皿にナイフとフォークを乗せ始めています。
「犯罪者が冒険者になれば冒険者だけど冒険者になった犯罪者が犯罪者じゃなくなるってことにはならないっす。悪いことに対する罪悪感が無くなるから犯罪者は犯罪者のままだって親父は言ってたっすけど……おねーさんはそんな感じがしないっすね。明らかに社会不適合者っぽいあの子の面倒を見てるし、楽しそーに」
「ワカバの面倒を見ているのはまあ、使命感というやつだな。さっきも言ったが私が罪人じゃないように振る舞っているだけで、根はどこに出しても恥ずかしい犯罪者だよ」
「それは分かってるっすよ。隠すのが上手い人はどこまでいっても上手いもん」
「……」
「使命感だけだとしても、さっきのおねーさんマジでこっちの心が痛むぐらい悲しそうな顔してたしあの子に相当入れ込んでるんでしょ〜? やっぱ追いかけたほうがいいんじゃないかと思うっすけど」
「………………」
「危ないのは樹海だけじゃないっすよ〜おねーさん?」



 食堂を飛び出し、涙を流しながら無我夢中でアーモロードの街中を駆けたワカバ。
 もはや自分がどこを走っているのか、ここがアーモロードのどの辺りなのかすら判断できません。人にぶつからないことだけを考えて走り続けていたのですから、こうなるのも必然でしょう。
 いくら走っても走っても涙は止まりませんし「コキがいなくなってしまうかもしれない」という現実が無くなることはありません。ワカバにだってそれぐらい分かります、分かってしまいます。
 だからいつしか立ち止まり、どこぞかの建物の裏口横に安置された樽の上に膝を抱えて座り込み、泣き続けてしまいました。
「なんでぇ……」
 顔が涙と鼻水でべしょべしょになっているので腕でそれらを拭いますが、数秒後にはまた顔が涙と鼻水にまみれてしまうためまた腕で拭って……と繰り返していくため腕もすっかりべちょべちょになっていました。
 泣いたとしても何も始まらないと言うのに涙は一向に止まりません。
 その時です。
「もしもし?」
 頭上から声をかけられました。ワカバが知っている声ではありませんでした。
「う?」
 それでも顔を上げ、声をかけた人物を見ます。
 アーモロードの住民らしき普通の青年でした。
「だれ?」
 当然の問いかけに青年は笑顔で返します。
「少し助けてもらえませんか? 困っていることがあるんです」
「う?」
「君にしかできないことなんです。力を貸してもらえませんか?」
 突拍子もなく助力を求められ、ワカバはほんの少しだけ……具体的には五秒ほど考えた末。
「……いいよ」
 肯定的に返し、樽から降りました。
 すると青年はホッと胸を撫で下ろしまして、
「よかった。じゃあまずはこれを食べてください」
「わかった」
 差し出された白い錠剤のようなものをワカバは迷うことなく口に入れます。
「おいしいですか?」
「あじがしない」
「そうですか。では、君は今なにを感じていますか?」
「んー……ねむい?」
「なるほど。では眠ってみましょう。僕を助けると思って」
「わかった。ぐぅ」
 あっという間にその場に力無く崩れ落ちてしまいました。
 次に聞こえてくるのは小さな寝息。本当に眠ってしまったのです。
 少女を見下す青年の口元はニヤリと緩み、
「……チョロいな」
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