世界樹の迷宮Ⅲリマスター

 怖くて痛い夢を見て。カヤは目を覚ましました。
 声にならない悲鳴を上げて飛び起きても、気にかけてくれる人はいません。
 カヤは今、ひとりでした。
「……いないんだった……」
 独り言をぼやきつつ思い出します。今日はクレナイとコキとサクラとどりぴが大航海クエストに出かけていて、帰ってくるのは明日の夕方から夜にかけて。
 今頃、討伐対象の魔物を倒して打ち上げでもしていて、羽目を外したクレナイが船首に磔にされていることでしょう。想像に難くありません。
 いるだけで周囲の人々を喧騒に巻き込み男にはもれなく厄災を振り撒く、性格はわがままで子供のように騒がしい人がいない夜。
 カヤにとってそれは、本当に久しぶりのことでした。
「……意外と心細いものなんだなあ……」
 独り言をぼやき、ベッドから降ります。
 あんな夢を見てしまったのも、心から安心させてくれる存在であるクレナイがいないからなのか……なんて、少し本気で考えながら部屋を出ました。
 廊下に顔を出してみます。
 暗闇の廊下は物音ひとつ許さないほど不気味に静まり返っていて、暗闇を忌避する恐怖心を煽ります。
 しかし、カヤは顔色ひとつ変えることなく闇を見ていました。
「……」
 目が冴えてしまったのでなんとなく出てみたは良いものの、これといってやりたいことが思い付かず……暗闇を眺めて途方に暮れていた矢先。
 物音がしました。
「ん?」
 すぐ近くにある階段の下からでしょうか。宿の構造上、階段を降りるとすぐにロビーに出られるため音の発生源はロビーからと見て間違い無いでしょう。
 物が軋むときに発生する音の可能性も考慮しましたが、何かを漁るような物音が二度も耳に入り、自然発生の可能性は皆無と決定付けました。
 カヤはすぐに部屋に戻って武器を持ち出し、音を立てないよう慎重に階段を降り始めます。
 その間にも音を立てている張本人は階段から降りてくるカヤに気付いていないのか、何度も何度も小さな音を発生させていました。
 階段を降り終えロビーに到着。窓から差し込む月明かりだけで照らされていました。
 顔を上げ、ロビーの共有テーブルへと目を向けた時、
「ワカバさん?」
「う?」
 声をかけられ、ワカバは振り返りました。
 共有テーブルに置かれている「本日の試食フルーツ」が入った籠から、小さいリンゴを三個も取っている状態で。
 カヤは籠とワカバを交互に見まして。
「それは……宿の店番をしている少年が冒険者のために仕入れてくれる無料提供フルーツですよね?」
「うん」
「コキさんに“食べるのは一日ひとつだけ”と釘を刺されているフルーツですよね?」
「うん」
「……ワカバさん」
 呆れるような失望したような冷たい口調で言うと、ワカバはカヤを見たままリンゴを二つ籠に戻しました。
 残ったリンゴ一個を抱えたワカバはカヤを見て、
「一個はたべたい、おなかすいたから」
 と、懇願するようにいつもと同じ表情で言ってきます。
「ひとつだけなら良いと思いますよ。ひとつだけなら」
「やった」
 許可が出たところでワカバはリンゴを食べ始めます。そして食べ終わりました。
「おいしかった」
「芯と皮をまるごと食べてしまうほどお腹が空いてたんですか……?」
「おなかすいてた。カヤもおなかすいたの?」
「いや、空腹ではなく……眠れなくて外に出たら物音がしたので様子を見に来ました。音を立てている人が不法侵入者だったら取り押さえるために武器も持って」
「なるほど、わたしだったね」
「そうですね。ワカバさんでしたね」
 ホッと一息を吐いて安心。
「しかし、空腹で夜中に起きてしまうことって良くあるんですか? しかもコキさんの言いつけを破ろうとするほど理性を失う空腹なんて……」
「あんまりないよ、とても久しぶり。コキがいないからだと思う」
「へ?」
 首を傾げるカヤにワカバは説明します。
「コキはおいしい、おいしそうなニオイがするからちょっとだけおなかが空いても大丈夫だった。でも今日はコキがいないからいつもよりずっとおなかがすく。いっぱいごはんたべたのに、またおなかすいた」
「……」
「部屋にあったおかしも全部たべちゃった。だからおなかすいた」
 主張に応えるようにお腹の虫が鳴りました。
「それは、つまり……ワカバさんはコキさんがいなくて寂しかったから、いつもより空腹になってしまったのではないでしょうか」
「おー、そっか。さびしいとおなかすくからそうだ、なっとく」
「寂しさと空腹は連動するんですか?」
「するよ。だからさびしくないようにしてる、カヤもクレナイがいないからおなかすいてさびしい?」
「……そうかもしれませんね」
 ハッキリと断言しなかったのは意地か見栄か照れ隠しか。
 口をぽかんと空けていたワカバでしたが、すぐに軽く手を叩くとカヤの近くに寄ります。
「え、な、なんですか?」
 動揺しているのも気にせず肩に手を乗せると、頭や顔の横や首元のにおいをくんくんと嗅ぎ始めます。犬のように。
「あの、ワカバさん? 何の用で……?」
 言葉を無視して嗅ぎ続け、やがて小さく頷いてから顔と手を離しました。
「うん。大丈夫、カヤはおいしい」
 何を考えての結論なのかは全く分かりませんが、ワカバにとって「おいしい」は最大級の褒め言葉なのはカヤでも分かるので、悪い意味ではないと結論づけ。
「あ、ありがとうございます?」
 釈然としないもののお礼は言っておきました。頭も小さく下げました。
 何度も頷いたワカバはカヤの手首を握って、
「ひとりでさびしくて、おなかがすいて眠れないなら、いっしょにいよ?」
「へっ?」
「いっしょにいたら、さびしくなくなって眠れるよ、カヤはコキの次においしいから、わたしも大丈夫」
 つまり「お互い、大切な人が不在の夜が寂しいから今日は一緒に寝て寂しさを紛らわせよう」という意味なのでしょう。匂いを嗅いでいたのは空腹を紛らわすことができる美味しそうな匂いかどうか確かめるためで。
「あー……な、なるほど?」
 理解までに少し時間を要したものの、即座に了承の返答をして良いものか悩みます。
 小さい子供ならまだしも立派な大人が、恋人でもない相手同士が寂しさを紛らわせるために一緒のベッドに……なんて、恥ずかしさが出てくるというもの。
 断る理由はいくらでも出せますが。
「だめ?」
 悪夢に苛まれた自分よりも、誰よりも寂しがりで甘えたがりなワカバの方が夜の孤独で苦しい想いをしていたのは確かなこと。夜中に徘徊するほどお腹を空かせているのを見れば明らかです。
 目の前で誰かが……信頼している大切な仲間が助けを求めて来ているというのに、個人的な理由で断ってしまうなどカヤには考えられないことでした。
「分かりました。では、今日は私と一緒に寝ましょうか」
「やった」
 笑顔で応えたカヤを見たワカバの表情は、さっきよりもほんの少しだけ和らいでいました。



 持ち出した武器を自室に戻してから、カヤはワカバとコキが共同で使っている部屋を訪れます。
「お邪魔します」
「うん。いらっしゃい、まし」
 今日はワカバだけなので散らかっていると思いきや、床には何も落ちておらずテーブルの上も片付けられています。散らかりすぎて落ち着かない……ということは全くありません。
 これもコキが四年かけてしっかりコツコツと一から教育していったお陰なのだろうと、カヤはひっそり思いを馳せながら部屋の奥まで足を進めて、
「あれ、ワカバさん。ベッドの上にあるのってコキさんの」
 そう言ってベッド上に落ちている布を指すと、ワカバは小さく頷いてからそれをカヤの元まで持ってきます。
「マフラーだよ。でも、ニオイちょっと足りなかった」
「な、なるほど」
 自分がいなかったらワカバが寂しがるだろうから、匂いがついているモノを置いていって寂しさを紛らわせてもらおうという魂胆でしょう。しかし、結局コキ本人には敵わずにこうして深夜にお腹を空かせて徘徊することになってしまっていますが。
 それを知った彼女が頭を抱える羽目になることは想像に難くなく、カヤは小さく息を吐いてその苦労に同情するのでした。
「どーぞ」
 考えている間に、ワカバはマフラーを丁寧に畳んでテーブルの上に置いてから、カヤにベッドに行くように促しています。丁寧な言葉で。
 唐突なことからカヤは目を白黒させまして。
「ど、どうぞ? いや、招かれた身で図々しいことなんてできませんから……」
「そう? わたしはいいよ?」
「ワカバさんはよくても私がちょっと……」
「うーむ」
 すんなり引いてくれるかと思いきや、ワカバは腕を組んで悩み始めます。何をどうしたいのか、一緒に寝るだけでそこまで悩む必要はないのではとの疑問が尽きません。
 ワカバがワカバなりの考えを持っていることは知っていて、それをすぐに否定したくないから何も言わないでいると。
「よし」
 自分の中で何かの決着がついたのか、ワカバはカヤの前に立ちます。
「え?」
 きょとんとするカヤを正面から抱きしめて。
「ええっ!?」
 驚愕の声を上げるカヤと一緒にベッドにダイブインしました。横向きで。
「うわっ!?」
 右肩でシーツと服が擦れ合う音がして、左腕でワカバの腕の暖かさを感じ、そして正面には少し満足そうに微笑んでいるワカバの顔が至近距離であります。
「わ、わ、っ、ワカバさん!? いきなり何を!?」
「いいにおいだから、近くがいい」
 答えになっているのか否か、それを判断するより先に、ワカバはもっと匂いを嗅ぐためにとカヤの顔を胸元に寄せました。
 嫌でも実感してしまう、カヤ自身には存在しない胸の柔らかい感触。ギルド内でおそらく二番目か三番目に大きい(クレナイ談)ためボリュームも抜群。それを顔いっぱいに味わってしまうのですから気恥ずかしくなって耳まで真っ赤に染まります。
「みゃっ!?」
 高めの悲鳴まで出ましたがワカバはものともせずに。
「おちつく」
 そう言って頭に顔を当てるとしっかり匂いを堪能。お気に召している様子。
 同性とはいえ恋人でも何でもなく、ギルド内の仲間というだけの関係性だと言うのに破廉恥かつ、見られてしまえば誤解されかねない行為をされてしまって反論しないカヤではありません。パニックに陥っていますがなんとか口を動かします。
「あっあっあっあのっ!? ワカバさん!? こ、ここっ、これは……これぇは!? どうかと!?」
 動揺のあまり声が裏返っていますが、おいしそうな匂いでご満悦のワカバは気にしません。
「ん? どう、って?」
「む、むっ、胸がその、ダイレクトに当たっており、まして!? あの、こういうのは、そのっ、は、恥ずかしいといいますか、気軽にする、する、ものでもないかとぉ!?」
「そっか」
 返ってきた答えがあまりにも淡白だったものですから、カヤの動揺が加速します。
「そっかって……そっか!? え、いやその、少しは気にしてください!?」
「なんで?」
「き、気軽に、簡単に、肉体のデリケートな部分を押し当てるのはいかがなものかと!? コキさんに教えてもらってないのですか!?」
「コキはしちゃダメって言ってたよ、仲良しの人とか、しんらいしている人にしかやっちゃダメだって」
「だったら!?」
「カヤはしてもいい人だよ」
「え」
 カヤは言葉に詰まり、ワカバは続けます。
「カヤはおいしそうなニオイがする、とってもいい子、わたしも好きでコキも好き、だからこういうことしても、いい」
「わ、私だから……?」
 ワカバは頷きます。
「あのね、こうやってくっついてねるとね、ひとりぼっちじゃないってすぐわかるからね、さびしくないまま眠れるよ?」
「……」
「カヤはまだ、さびしい?」
 優しい声で尋ねられました。
 不思議と、さっきまであった気恥ずかしい気持ちも動揺もきれいさっぱり無くなっているのは、彼女が寂しさを紛らわしたいだけの純粋な気持ちで向き合ってくれているからでしょう。
 だから、カヤも純粋な気持ちで答えます。それが彼女に対する礼儀だから。
「寂しくは、ありません。ワカバさんのお陰で寂しさとは無縁の、暖かい気持ちになれましたから」
「よかった」
 羞恥心の欠片もない人だから胸が当たっているとか、それを気にしてくれと言うだけ無駄なのかもしれません。
 そもそも、物事の優先順位が胸云々ではなく寂しくならないように眠ることだから、気に止めるに値しないのもあるかもしれませんが。
「……優しい人ですね、ワカバさんは」
 小さくぼやいた頃には既にワカバから小さな寝息が聞こえていました。
 楽しい夢を見ているような、穏やかな表情のまま眠っています。
「優しいアナタがこうして穏やかに眠ることができるのであれば、抱き枕にされてしまうのも……悪くないかもしれませんね……」
 カヤもまた、眠りにつきます。
 大切な人がいない寂しさを埋められたのだと信じて。



 翌朝。小鳥たちの朝のハミングが奏でる穏やかな朝。
 顔いっぱいに広がる柔らかい感触で、カヤは目を覚ましました。
「ん……」
 目を開けると広がっていくる光景は、それはそれは豊満な胸。
 昨夜は動揺のあまり気にもしていなかったのですが、その柔らかそうな肌色と合わさってより女性的でどこか魅力的にも見えてしまう、カヤには全く存在しない女性特有の柔らかさ。
 今になって後を追うようにやってくる、非常に複雑な感情。名称はありません。
「…………」
「おはよ」
 それに気づいたか気付かずか、目を覚ましたワカバの声が頭上から聞こえてすぐに顔を上げます。
「えっあ、おはようございます……」
「うん」
 もう少しだけ匂いを嗅いでから、ワカバはカヤから手を離して抱き枕状態から解放しました。
 が、カヤはそこから動こうとせずに。
「……もう、大丈夫ですか? 美味しそうな匂いは」
「大丈夫、まんぞくしたよ」
「分かりました……」
 心の底に少しだけ芽生えた寂しい気持ちは何だろうか。
 それには深く向き合いたくなくて、気のせいということで片付けてからカヤは体を起こし、ベッドから降ります。
 ワカバはゆっくりと体を起こし、
「かえっちゃうの?」
 甘えるような声で尋ねられ、カヤはぴたりと止まります。
 振り向き、首を傾げいるワカバに穏やかな表情と声で返すのです。
「着替えてくるだけです。すぐに戻ってきますよ」
「そっか、じゃあ朝ごはん、いっしょにたべよ」
「喜んで」
 いつも彼女の世話を焼き、同じ時を過ごしているコキもこんな穏やかで暖かい気持ちを抱きながら、共にいるのだろうか。
 ほんの少しだけ羨ましいなと思いながら、カヤは部屋を後にするのでした。


2024.11.23
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