依存的な運命の日

 キツルバミたちが持参した解毒剤を服用すれば、五分と経たないうちにコキとワカバの体の痺れが取れました。
 「事情」を説明するため、椅子代わりに使われる石の上に腰を下ろしたキツルバミは草地に正座するコキと対面し、話し始めるのです。
「若様いたじゃん? キミの元カレ」
「ああ、忌まわしき過去ね」
 吐き捨てるように言ったコキを見て安心したのかキツルバミは笑顔で続けます。
「そうそう、ソイツがめちゃくちゃ女癖が悪いことはキミも知ってただろ〜? 泣かした女は数知れず……ってやつだ、キミもそれに含まれているわけだけど」
「泣く気にもなれなかったわよ」
「だろうね〜そんな女泣かせの若様、許嫁がいるにも関わらず女遊びばかりしてた訳だがキミみたいに奴に本気になる娘はそこそこいた。大半はすぐ捨てられてけどね、キミも同様に」
「…………」
 当時の光景がフラッシュバックしたのか、苦虫を噛み潰したような顔をするしかできませんでした。
「でもコキ、キミの場合はま――――――酷かった。酷すぎた。歴代最悪の捨て様だったって側近の奴が言ってたよ。シノビとその主人の恋愛関係が駄目だってことは双方周知の事実だったにも関わらず、奴はキミに全責任を擦りつけようとしたからね〜あの口からでまかせを誰も信じてなかったのが唯一の救いではあったけど……その時の捨て台詞も酷かったなあ」
「あんまり思い出したくないんだけど」
「我慢しなさい。掟を破ったキミは斬首刑、若様は兄弟に自分の次期領主の地位を譲ることになっているけど若様は色々あって一人っ子だったし親戚は体の弱い子ばかりってことで、代わりに領主様がお考えになった“二十年の間、アラクサ家の敷地内から外に出ることを禁ずる”という代案が採用された」
「それが嫌だから私を売ろうとしたんでしょ。自由を奪われたくないから」
「失敗してたけどね〜」
 キツルバミの後ろで待機している二人のシノビが大きく頷いているのが見えました。
「そもそもあの時の尋問は全ての証拠を押さえた上での尋問で、キミを口説いた若様も悪いしそれに応えたキミも悪い〜ってことで掟通り処分することで話は進んでいたんだ。あの尋問は罪を裏付け刑を定める場じゃなくて罪を認めさせるひとつの儀式だったんだ〜言わば領民たちやアラクサ家関係者への見せしめさ」
「見せしめって……」
「キミたちの関係が露見した時点でケジメとしてやる必要はあったからね〜若様だってそれは理解していたって言うのにあの場で嘘でたらめをでっち上げちゃうから現場は軽くパニックだったよ〜。最初から決まっていた処分に変更はなかった……けど、若様の酷すぎた言動のお陰で話がちょ〜っと変わったんだよね〜」
「というと?」
「斬首刑を控えたキミが投獄された後、領主様のお声がけがあって若様以外のアラクサ家一族と、一部のシノビたちが呼ばれて緊急会議が開かれたんだ〜俺は長と一緒にその会議に参加させてもらったんだけど……」
 一度言葉を止めたキツルバミは天を仰ぎ大きく息を吸い込み、がっくりと項垂れてしまい、
「……息子のあまりにも情けない姿に領主様、泣いちゃって……」
「えぇ……?」
 コキ、顔を引き攣らせました。それしかできませんでした。
「今までの若様の言動だけでも情けなくって辛くって泣きたい時とかたくさんあっただろうに、領主であり一族の長だから我慢してきたし、若様の汚名返上のためにも努力してたんだよあの方……でも、努力は報われずに今回の事件でしょ〜? とうとう限界が来たっぽい、あれは本当に可哀想だったよ……」
 コキ、ノーコメント。自分が原因なので。
「あんな息子のために里でも特に優秀なシノビだったキミを殺すのはあまりにも可哀想だし、国のために影ながら命を掛けて戦っているシノビたちに対してあまりにも不誠実だって言い出してね〜色々と話し合いを重ねた結果、キミをこっそり生かすことにしたんだ〜」
「同情で生かされたの……? 私……?」
「そうよ〜」
 顔の引き攣りが収まらないコキですがキツルバミはニコニコしていて楽しそうです。後で控えている二人のシノビもどこか満足そう。
「キミをこっそり生かすことを決めた領主様の提案、最初はもちろん反対されまくってたんだよ。領主自らが掟を破るのか〜ってね? そんな人たちを黙らせたのはキミもご存知、若様の許嫁様だ」
「彼女が!? 普通に恨まれてると思ってたんだけど!?」
「一般的にはそうだよね〜でも、あの方は若様を本当に愛していた。浮気性なところも含めて全部愛してた。若様が数多の女の子を泣かしても側を離れようとしない入れ込みっぷりだ。若様を見限らなかったどころか奴に捨てられた女の子たちに同情していたよ。一部の子にはこっそり支援もしていたね〜」
「……」
「それほど慈悲深いあの方でも今回の事件に関しては若様を軽蔑しかけたって零してたよ。だからってことでもないかもしれないけどキミを生かすという領主様の提案に一番強く賛同していた。お陰で反対していた連中はすぐに引き下がってくれたんだ……そこまではよかったんだけどなぁ〜?」
 わざとらしく伸ばす語尾に責められている錯覚に襲われ、コキはとっさに俯いてしまいました。
「だって、殺されるって、思ってたもの」
「そうだろうね〜ま、こっちとしては都合が良かったよ。逃亡先で死んだことにしてそれっぽい証拠を持ち帰れば良いからね」
「……」
「でも、逃げ出したキミが変なことをしたら困るからこちらの事情を伝える必要ってのはあった、俺たちに命を狙われているって誤解し続けるのも可哀想だった。だから一旦キミを“捕える”必要があったんだ〜」
「だから……追いかけて、た……?」
「誤解させたことは認める。ごめんね」
 淡々と言い切ったキツルバミはここで話を終わらせました。
「…………」
 事の顛末と同胞たちの事情に呆然として、絶句するしかできないコキでしたが。
「いや、いやいやいやちょっと待って? あれ?」
 と、頭を抱えまして。
「私、一度本当に死にかけたっていうか殺されかけたのよ? それでいつの間にかアーモロードの世界樹の迷宮に迷い込んでワカバに拾って貰ったのよ? そうでなければ今頃……」
「うううう……本当にごめんなさい、コキ姉様……」
 突然顔を覆ってめそめそと泣き始めてしまったのはコンネズと呼ばれているシノビの少女です。
 彼女の言動だけで何が起こってしまったのか察したコキ、すぐ顔を上げて少女を見据え、
「あの攻撃、コンネズだったの?」
「はい……私は、てっきりあれは、姉様の分身だと思って攻撃したんです……まさか、まさか本物だとは夢にも思わず渾身の一撃を喰らわせてしまったんです……だからだから、姉様が死んじゃったらどうしようかと……」
「ああ……私が分身が得意なばかりに悲劇が……」
 コキ、天を仰ぎます。それしかできませんでした。
「まあまあ、無駄に火力だけはあるのにすんごいドジっ子なコンネズとはいえ、修行を終えたシノビが本物だと誤認してしまうぐらいには精巧な分身だったんだから、誇ってもバチは当たらないって〜」
 彼女たちとは相対的にどこまでも呑気なキツルバミはそう言った後、
「最終的にはその子のお陰で助かったんだからさ〜」
 と言い、コキに背中から抱きついたまま動かないワカバに目を向けたのでした。
「……」
 体の痺れが取れてから一言も喋っていません。顔も伏せているため表情も見えません。
「……ところでその子、どうしてずっと子泣き爺みたいにキミの背中に張り付いてるの?」
「私が死なないように守ってるんだと思う」
「え〜? 俺たちはコキを殺したりとかしないからさ〜警戒解いてよ〜? 一応さ、キミは同胞の命の恩人なんだからそれなりに敬意は払いたいんだけどな〜?」
 キツルバミが声をかけてもワカバは動きません。お腹の虫が鳴っても何も言いません。
「嫌われちゃったかな〜? どうしたらいいと思う?」
「この子の好きにさせておいて。というか先輩たち、いつからアーモロードに来ていたの?」
「先週からですぞ!」
「ついこの前です姉様!」
 答えたのはシタンとコンネズでした。コンネズに至ってはいつの間にやらすっかり笑顔に戻りとても生き生きしています、切り替えが早いですね。
「姉上たちの現状は調査にてすぐに把握できました! ワカバ殿と共に冒険者をしていることもギルド非推奨の二人パーティで樹海に挑まれていることもお金に困っていることも! 情報を整理し作戦を練った結果、樹海内での奇襲が最も姉上たちを捕えやすいとの結論が出され! 今回の作戦を実行した次第!」
「本当は昨日しようと思ったんです! でも姉様たちは地下四階の野営地点で野宿されてたでしょう? あそこは近くが川で見晴らしが良くて目撃者が出るかもしれなかったから作戦を中断したんです! 一応は極秘任務ですから!」
 生き生きと、まるで水を得た魚のように元気よく大声で話す二人を前にコキは引き気味。
「……二人とも元気すぎて本当に極秘任務なのかなって思っているけど」
「極秘任務だよ〜だから少人数編成で来てるんじゃ〜ん」
 声のトーンも変えずに答えたキツルバミは石から立ち上がりました。
「でも今日はちょっと大変だったよね〜キミがトカゲの魔物の毒で死にかけてたからさ」
「見てたの!? 私のあの失態を!?」
「勿論、シタンが慌てて薬を投げるわコンネズが飛び出して治療しようとするわで本当に大変だったよ」
「そっちかーなんか逆に安心したわ」
「何の逆?」
 首を傾げるキツルバミにコキは言いません。所持していたテリアカが増えていた原因が判明して安心したと。出本が分からない薬品ほど怖いものはありませんからね。
「ところで、死を偽装するっていうのは、具体的にどういうプランで行くつもり?」
 ひとりで納得したのも束の間、コキはすぐに話を切り替えたのでキツルバミは苦言を呈することなく答えるのです。
「魔物に襲われて死んだことにしようってね。国外には獣とは違う“魔物”って生き物がうじゃうじゃいるからね〜あり得ない話じゃあないでしょ?」
「なるほど。でも、口伝だけで何も知らない連中や領民が納得するかしら」
「毛束とか持ち物とか持ち帰ろうと思ってるよ。物的証拠品として〜」
「それだけじゃ弱そうね」
 コキは立ち上がります、背中にワカバを引っ付けたまま。
 シノビたちがきょとんとしつつ次の言葉を待つ中、コキは言います。
「私の指を使いましょ」
 と。言ってしまえば当然、
「は?」
「はい?」
「はえ?」
 シノビたちが口々に間抜けな言葉を発してしまい言葉を失ってしまいました。誰も考えてもなかった提案、軽々しく口にできることでも実行できることでもない話に。
 一同の気持ちは承知の上でコキは続けます。
「私が他国で魔物に襲われて死んだっていう話に信憑性を持たせるなら、毛束と所持品だけじゃ証拠として弱すぎるもの。指を斬り落として持ち替えればみんなは私が死んだって思うでしょ? 使いましょ。左手薬指とかいいわね」
 まるで日常会話のようなトーンで恐ろしい提案を口にしたので、キツルバミはマスクの裏側にある開いた口が塞がらない状態になってしまいました。コンネズは今にも卒倒しそうなほど青ざめていますし。
「いやあの、姉上……?」
 シタンも体を震わせ動揺しつつ、最愛の姉に向かって意見します。
「そんな、“代用品を用意しました”みたいな淡々と当たり前のように言わなくても……良いのでは、ないでしょうか? そこまでする必要は」
「あるわよ。そうでしょ先輩」
「おっけ〜わかった、そのプランで行こう」
「キツルバミ殿ぉ!?」
 シタン絶叫。もはや悲鳴のような声でキツルバミは耳を塞いでしまいました。
「うるさ〜」
「姉上は生を許された身なのですぞ!! 死ぬ必要も傷付く必要も一切ありませぬ!! 自らを犠牲にする理由などどこにもないではありませぬか!! 何故!!」
「そ、そうですそうです! シタンの言う通り!」
 ここぞとばかりにコンネズも便乗して手を大きく振りつつ抗議しますが、
「シタン、コンネズ」
「はいなんでしょうか!!」
 コキに名前を呼ばれ反射的に振り向きました。声がぴったり重なりました。
 弟と後輩の眼差しを受けたコキは一旦深呼吸をしてから、
「少し黙れ」
 低いトーンで静かに叱りつけました。
 更には視線だけで人を殺せそうな瞳を向けられ、弟と後輩の二人は体を震わした後に一切喋らなくなりました。
「怖いね〜」
 キツルバミが他人事のようにぼやくのを無視し、コキは言います。
「あのね、私は確かに許されたかもしれないけど、シノビの禁忌を犯したのは紛れもない事実。ケジメを付けるのが道理でしょ? だから指一本を犠牲にするのよ」
 黙ったままのシタンとコンネズ、今にも泣きそうな表情で最愛の人を見つめています。
「あんな奴のために指を犠牲にするんじゃなくてあくまでも自分のためにやる。指を切って、ついでに微かに残っているかもしれないこの縁も切って今度こそサッパリ別れるわ、アイツにも国にもね。これで、胸を張ってワカバと一緒にいられるんだから」
「ふえ」
 名前を呼ばれて声が漏れ、ようやく顔を上げたワカバは目を丸くしてコキを見ています。
「だから心配しなくていいのよワカバ。私はもうどこにも行かないから」
「…………うん、うん」
 何度も頷く少女の頭をそっと撫でて更に安心させてあげるのでした。
「ちぇっ、いいないいな、どうして姉様はあんなのがいいのかしら」
 手を後ろに組んで石ころを蹴りいじけモードに入ったコンネズのぼやきに応える人はいなかったとか。
「んじゃま、方針は決まったことだし準備しましょーか。コンネズ〜いつまでもいじけてないで手当ての用意をしなさ〜い」
「ふぁ〜い」
 やる気のかけらも無い返答の後、コンネズは音もなく森の中へ消えました。
 あっという間に消えていったシノビをぼんやり見上げていたワカバは目を丸くさせています。
「いっちゃった、はやいね」
「森の奥にある荷物を取りに行っただけですぞ! すぐに戻られます故!」
 途端にシタンが真横で静寂を破壊するほどの声量で言いますが、ワカバは嫌な顔ひとつせずに彼を見ます。
「……」
「おや、どうかされましたかな? ワカバ殿?」
「コキのこと、あねうえって」
「はい! 拙者はこの方の弟にして唯一無二の肉親! シタンと申します! 以後お見知り置きを!」
「おしりおき?」
 首を傾げてしまうワカバの発言にキツルバミが吹き出しましたが、彼以外に笑う者はいません。
 コキはワカバの頭を撫で、優しく語り掛けます。
「よろしくねってことよ。シタンはワカバと仲良くしたいから」
「姉上の仰る通りですぞ!」
「そっか、よろしく、よろしく」
 シタンとワカバは握手を交わしたのを見届け、不意に笑顔が溢れました。
「……こんな結果になるなんてね」
「けっか?」
「ワカバが私の身内と仲良くなれてよかったなーってこと。なんだか安心しちゃった」
「よかった、よかった」
「っと、とりあえずそろそろ離れてほしいな? 密着されていると指を斬りにくいから」
 そう言って撫でる手を止めると同時にワカバの言葉も止まり、無言のままコキの顔を覗き込みました。
「ワカバ?」
「きるの?」
 短い疑問の言葉に頷いて返します。
「とってもいたいよ? いいの?」
 もう一度頷いて、
「いい。痛くてもね、死んでしまうよりは、アナタと離れ離れになってしまうよりは全然マシだから」
「……そっか」
 納得したように答えたワカバの手が離れます。
 少女は少しだけ下がるとコキの右手を両手で包み込むように握り。
「ゆびきるの、いたくてこわい、だから、こわくないように、するね」
「ワカバ……!」
 歓喜余りつつ少女の名を呼びます。この場に人がいなければそのまま泣いてしまっていたかもしれません。
 すぐ横でシタンが涙を流して何度も頷いていますが姉は無視を決めました。
「よかったね〜色々な意味で〜ある意味、キミにとっては最善の結果じゃ〜ん」
 後頭部で手を組んで本心なのか社交辞令なのか分からないトーンで言ったキツルバミを、コキは睨みつけ、
「……分かってて言われると腹立つわね」
 吐き捨てるようにぼやきますがキツルバミは気にも留めません。
「そんなことよりもさあ、左手薬指を切り落とすのはどうしてだ〜い?」
 のんびりと尋ねらたことで呆れてため息が出てしまいますが、先輩からの質問にはちゃんと答えます。
「私の左手薬指には小さいホクロがあるの。親密な関係の人なら誰でも知ってるから“コキという女シノビが魔物に喰われた残骸”っていう証拠に信憑性が出せるわ」
「ああ! そう言えばそうだったね〜なるほど〜」
「……それと」
 コキは視線を落とし、続けます。
「こっちの地域ではね、婚約するときに左手の薬指に指輪をはめる風習があるんですって。婚約する時に使う指を送って“お前のせいで私は跡形も無くなったけど執念と未練だけで大切な指だけ残してやったぞ、ここに婚約の証を着けられなかったことに未練感じてんだぞ、後悔しやがれクソ野郎”って意味の呪詛を送りたいなって。未練なんてないけど」
「絶対に伝わらないと思うけど凄まじい恨みがあるのはすんごい分かったよ〜」
「呪詛が届くことを祈るしかないわね……そうそう、他にもうひとつあるわ」
「なに?」
「男なんて二度と作らないっていう意思表示」



 翌日、アーモロードの街は朝から快晴でした。
 太陽が真上に登った頃に占い屋を開店させたスオウ。彼女はいつも通り街道にある街頭の麓にテーブルを広げ、面白い運命を持っている客を待っていました。
 当然すぐに客が捕まるハズあなく、呑気にあくびをして暇を潰していましたがふらりとやってきた常連によって「暇」の文字は消え去るわけで。

「で、左手薬指を斬り落としてきたってことね」
「そう」
 スオウに自己報告を済ませたコキは薬指だけ無くなっている左手を見せて、長い話を終えました。
「てかグロッ、あんまり見せないでくれる? 気持ち悪いわねえ」
「冒険者業もしてるならこういうのぐらい見たことあるでしょ」
「誰がこんなグロいの好き好んで見るのよ。アタシはアンタと違って血生臭い経歴なんてない一般人なのよ? 耐性あるとか思わないでくれる?」
「自分から言い出したクセに……」
 不満しかない顔でぼやきつつ、コキは包帯をしている左手を下ろして後ろに隠しました。
「てゆーか斬り落としてよかったの? アンタみたいな奴にとって手は大事な商売道具なんじゃないの?」
「慣れていくしかないわよ。仕事中に指どころか腕やら足やら目やらを潰してしまう話を飽きるぐらい聞いてきた中で。指一本だけで済んだ私はまだ運が良かったのよ、まだ」
「アタシとしては指一本“が”無くなっただけでも大問題だと思うけど。やっぱアンタとは住む世界が違うから価値観が違うってことね、一般人でよかったわアタシ」
 他人の未来が見える占い師を一般人という括りにしてしまっていいのか悩んだコキでしたが、人を殺していないだけマシだと思うことにしました。
「……ま、失ったのは利き手じゃない左手の薬指だし大丈夫でしょ。リハビリして様子を見つつ冒険者に復帰するわ」
「楽観的ねぇ」
「指を切る選択をしたのは自分、自分で決めたことで落ち込んでいられない。それに、治療費は同胞たちが立て替えてくれたし!」
「落ち込んでない最大の要因それじゃないの!」
「否定はしないわ!」
 笑顔で肯定。
 トカゲの毒による薬品の大量消費と自身の問題解決のため指を切り落としたことにより早々に樹海から撤退したため稼ぎはほぼなく、今回の樹海籠りの結果が赤字となってしまっている現状。一エンでも多く出費を抑えらていることは彼女にとって幸せなことなのでした。
「守銭奴め」
 吐き捨てるように言ったスオウは呆れてため息を吐き、テーブルに頬杖を付きます。
「で? 晴れて命を狙われない自由の身になったけど、これからどうするつもりなのよ」
「どうするも何もここで冒険者を続けるわよ。私には帰る場所も行く場所もないんだから当然でしょ? ワカバもいることだし」
「相変わらずワカバワカバねえ……ま、いいんじゃないのそれでも。てかそのワカバは?」
「宿で寝てる。腹減り防止のために……」
「コキ」
「どわっ!」
 コキの背後から音も気配もなくワカバが突如現れ、コキは悲鳴を上げスオウは吹き出しました。
「シノビのクセに背後取られてるじゃない」
「う、うるさい。ワカバは妙に気配がないから仕方ないの」
「うー?」
 コキが慌てる理由も驚く理由も理解できてない少女は首を傾げるだけ。
 よく分からない話は無視したワカバ、スオウと目が合うと小さく手を振りまして、
「スオウ、やっほやっほ」
「やっほワカバ。アンタは今日もぼんやりしてるわね、アメ食べる?」
「たべる」
 スオウがポケットから包みに入ったキャンディを出して渡すと、ワカバは早速中身を取り出して口の中に放り込みました。コケイチゴの味がいっぱいに広がります。
「おいしい」
 あまりの美味しさについ頬を抑えて幸せそうでした。
「一袋百エンぐらいのアメなんだけどね、それ」
 余計な一言は無視するとして。
 幸せそうなワカバを笑顔で見守っているコキは、幼子に語りかけるような口調で尋ねます。
「ひとりでここまで来ちゃってどうしたの? 寝てないとお腹空くでしょ?」
 この声で我に返ったワカバは振り向いてコキを見ると何度か頷きまして、
「おなかすくけど、コキといきたいところ、ある」
「行きたいところ?」
「とてもたいせつ」
「大切?」
 そんな場所なんてあったかと首を傾げますが思い当たる節はありません。
 考えている最中にワカバは再びスオウを見まして、
「スオウもいく?」
「アタシは遠慮しておくわ。重いのはゴメンだから」
 「早くどっか行け」と言わんばかりに手を振って言い捨てたのでした。



 ワカバに連れて来られた先はアーモロードの街外れ。以前コキが処分した人身売買組織の連中が寝ぐらにしていた場所とは逆方向にある地です。
 そこはまるで……と比喩することもなく、墓地でした。
 土地は鉄の柵に囲われ、一定の間隔で墓石が並べられているだけの、とっても簡素な墓地。
 日当たりはよく、近くの崖からは海が見えるためか墓地特有の不気味さは皆無でした。
「……なんで?」
 墓地にやってきたコキは開口一番に疑問を口にしましたが、入り口にある看板の文字を見ることでその疑問も終わります。
「“かつて世界樹に挑んだ勇敢なる冒険者たちの鎮魂を祈る”……」
「おはか」
 ワカバはそれだけ言うとさっさと墓地に入ってしまうのでコキも慌てて後を追います。
「えっとワカバ? どうしてここに」
「ここにリーダーがいる」
「りぃだぁ?」
 思わず気の抜けたトーンで復唱してしまいますがワカバは答えません。
 言葉はありませんが、ある墓石の前で足は止まりました。
 墓石には人名らしき文字が三つ。
 更にその上には「ギルド・キャンバス」と掘られていました。
「ん?」
 コキが目を丸くさせている間にワカバはポケットから小さな花を三本取り出しており、
「リーダー、きたよ」
 短く言ってから墓石の前でしゃがむと花を供えます。
 悲しみもなければ喜びも感じられない「いつもの」ワカバの表情のまま、墓石をじっと見つめていました。
「……ワカバ、このお墓って」
「キャンバスのリーダー」
 淡々と答え、続けます。
「わたしをひろってくれたひと、せかいじゅにつれていってくれたひと、ぼうけんしゃをおしえてくれたひと」
「覚えてるの?」
「あんまり」
 ワカバは首を横に振りました。
「うみのなか、だいにかいそうのなか、リーダーたちがわたしのなまえを“ワカバ”ってよんだあと、いなくなってた、よくわからなくてすごくこわかったから、おもいださないようにしてる」
「……それは」
「リーダーたちのことだいすきだった、コキとおなじぐらいだいすきだったのはおぼえてるから、しんじゃったってわかって、かなしかった、いたかった、ずっとこわかった、なんでかわからないけど」
「……」
「リーダーたちのほねはないけど、おはかだけでもたててあげようって、いわれて、たてた、ここにリーダーたちはいないけど、たましいだけはここにいるから、おいのりしてる」
 ワカバは顔を上げて振り向き、コキを見ます。
「あのね、わたし、もうひとりじゃないよって、リーダーにおしえてあげたい、コキがいるって、ずっとずっとコキがいるって」
 優しく微笑みました。コキがいつもワカバに向けている表情にそっくりでした。
 一度全てを失って心を壊してしまった女の子は、少しだけですが笑えるようになっていました。
 今は孤独ではない毎日が楽しくて楽しくて、仕方がないのでしょうから。
「……そっか」
 短く答えたコキはワカバの横で膝をつき。
「じゃあ、私もそのリーダーさんにご挨拶しなきゃいけないわね。ワカバのお世話してますって」
「うん」
 ワカバは頷き、二人で手を合わせて祈りました。
 墓石の下には何もありません、骨も肉も何もかもが樹海に喰われ、土に還ったことでしょう。
 何もない墓があるのは樹海の外に残された人のため、樹海に散った人たちの安寧を祈るため、生きている人たちのため。
 この祈りに意味があるのかは分かりませんが、こうして残された人たちの心は救われるのですから、無意味ではないのでしょう。
「……」
 祈りを終え、顔を上げたコキは墓地の中にある一本の木を見ます。
 背後にある墓と墓の間に植えられた景観用の木、植物に詳しくないため何の木かは分かりませんが青々とした葉を枝に着け、風に煽られ音を立てて揺れていました。
 その木を敵意を向けるように睨みつけていると、
「コキ、どうしたの?」
 異変に気付いたワカバが声をかけつつ服を引っ張ると、コキはすぐに穏やかな表情に戻ります。
「ううん、なんでもない」
 と、淡々と嘘をついてから立ち上がりました。
「ワカバはこれからどうする? 宿に帰る?」
「かえる。おなかすいた」
「じゃあ先に戻ってて、私はちょっと用事があるからそれを済ませてから戻るわ」
「わかった、はやくかえってきてね」
 ワカバも立ち上がるとすぐ、墓地の入り口に向かって歩いて行ってしまいました。
 その背中が見えなくなると同時にコキは自身の隣に分身を出現させて。
「後はよろしく」
 分身は陽気に敬礼してから音もなく駆けてワカバの尾行を開始、もう見えなくなりました。
 墓地内でひとりになったコキは少しだけ深呼吸をして、
「さーて、と」
 わざとらしく声を出してからクナイを投げます。
 睨んでいた先、一本の木に向かって。
「ヒィッ!!」
 クナイが木に刺さると同時に悲鳴が生まれ、何かが地面に倒れる音もしました。
「尾行するならもう少しうまく気配を消してからすることだな」
 氷のように冷たい口調と声色で言い、短剣を持つとゆっくりとした足取りで木に向かって歩いて行き、木の影に隠れていた人物を見ました。
 金色の髪に灰色の瞳を持った精悍な顔をしている男、服装はシャツに長ズボンと一般的なアーモロード住民と代わりのないもので、地元民だと伺えます。
 尻餅をついたまま、コキを上げる青年は顔面蒼白。
「ま、まままって! 覗き見したことは認めるし謝る! でも命は! 命だけは取らないで! 卑しい気持ちで見ていたとかじゃないんです! 事実無根! 妻を未亡人にしたくないんです! お願いします! なんでもするから!」
 今にも泣きそうな顔で命乞いを繰り返していました。
 青年の前で足を止めたコキは短剣を持ったまま、
「なら、目的は何だ? どうしてこんなところからコソコソと様子を伺うような真似を」
「え、ええと……その、まずはとりあえず自己紹介をしてもいい、ですか? この体勢のままだと失礼ですし……」
「はあ」
 どこか緊張感のない男を呆れるような眼差しで眺めつつ、彼が立ち上がって服についた汚れを払う姿を見届けます。警戒心は一切解かないまま。
 青年はコキに向き直ると、
「始めまして、僕はコガネ。ギルド“キャンパス”のギルドマスターです。元だけど」
「きゃんぱす?」
 似てるなあと思いましたが口にはしません。
 きょとんとする反応が予想外だったのか、コガネと名乗った青年は目を丸くして首を傾げます。
「あ、あれ? 知らない……? 君、アーモロードの冒険者じゃ、ない?」
「冒険者だが。アーモロードの」
「あ、あっれー? おかしいなあ……本当に知らないんですか? アーモロードの世界樹を踏破したギルドとして有名なんだけどなあ……キャンパスの名前って……」
「お前が!?」
 この情けない青年にそんな名誉があるとは思えずコキ驚愕。思わず大声が出ました。
 すると、青年はがっくりと肩を落とし。
「信じられないってリアクション……まあ、そうですよね、信じられないですよね……うん……」
 言葉で表すなら「しょんぼり」というリアクションそのものでした。
 落ち込む青年が嘘をついているとは思えず、コキは顔を引きつらせます。
「……」
「信じてもらえないのは今に始まった話じゃないからいいですよ……ところでお姉さん、ええと」
「……コキだ」
「コキさんですね。ではコキさん、君はさっきの子と、ワカバと一緒でしたよね? あの子とはどういう関係で?」
 ワカバの名が出た瞬間短剣を持つ手が少しだけ動きましたが、まだ事を起こす時ではないと言い聞かせ、妙に緊張感と敵意のない青年の問いに答えることにします。
「同じギルドのギルドメンバーだ。キャンバスという名前のギルドのな」
「ああ、やっぱり……」
 力なく言った青年は顔を覆います。
「噂は本当だったんだ……あの子がようやくギルドを作ったって話は……僕がいない間に……もっと早く動いておけば……」
 更に繰り返される独り言、敵意はなさそうですが不信感だけは拭えずコキの目つきはますます鋭くなります。
「ワカバとはどういう関係なんだ」
 強い口調で言うと我に返った青年の肩が少し震えました。
「す、すみませんつい自責の念で……関係性を説明しないと誤解されたままになりそうですからね……うん、でもその前に少しだけ」
「何だ」
「リーダーのお墓参りを先に済ませてからでもいいですか?」
 木の麓に落ちている花束を指し、尋ねるのでした。



 ワカバとコガネが「リーダー」と呼称した人物の墓の前には小さな花三つと、花束が備えられていました。
 墓の前で膝をつき、手を合わせ祈りを捧げた青年は振り返らないまま、背後で警戒心を解かないシノビに向けて言葉を発します。
「十年ほど前の話です。僕は自分のギルドを立ち上げる前“キャンバス”のメンバーとして雇われていました」
「……」
「行く宛も無く帰る故郷もなかった僕をリーダーは二つ返事で拾い上げてくれて、とても良くしてくれました。生粋のお人好しで冒険が大好きで優しく勇敢だったあの人のことが、僕もワカバも大好きでした。“世界樹の迷宮の踏破”というあの人の夢を叶えてあげることが、僕とワカバの夢にもなっていました」
「……」
「ワカバは“キャンバス”にいました。僕よりも少し前にギルドに入っていた身寄りのない子供、どこから来たのか、親はどうしているのかは話してくれなかったので僕にも分かりません……結局、聞けずじまいで終わってしまいました」
「……」
「あの子は、子供ながらに第一線で戦っていたすごい戦士でした。大人顔負けの強さを持っている文字通りの天才、本当にすごい子だったんです、神童ってああいう子を指すんだろうなって思っていました」
「……」
「リーダーとワカバと僕と……他二人のメンバーの五人で探索して、垂水ノ樹海を踏破して第二階層、海嶺ノ水林まで進みましたが……魚の魔物に不意を打たれ、リーダーと他二人のメンバーは殺されてしまいました。あの子の、目の前で」
「……」
「あんなことが起こる前から“もしものことがあったら全力でワカバを守ろう。命に代えても絶対に”ってみんなで決めていたこともあって、僕は重傷を負ったワカバを連れて迷宮から脱出しました。そうするしか、なかった……から」
「……その出来事が原因で、ワカバは」
 コキがようやく口を開くと、コガネはそっと立ち上がって振り返ります。
 ただし、目は合わせず、後悔を滲ませた複雑な顔をして。
「……大怪我から目を覚ましたワカバは当時の記憶の大半を失っていただけでなく、目の前で大切な人たちを失ったショックとストレスが原因で精神に大きな障害を残してしまった。心が壊れ精神が大きく退化した結果、赤子のような言動を繰り返すようになってしまったんです。自分の身に何が起こったのか理解できず、自分自身のことも忘れてしまっていて……とても、冒険者を続けることなんてできなかったから“キャンバス”はその日を境に事実上の解散を余儀なくされました」
「……」
「僕は考えて、考えて考えて考えて考えて……リーダーが夢みた景色を見たい、あの人の夢を代わりに叶えたい、それが遺された者の責任と使命だという結論に達し、一からギルドを作って世界樹に挑むことにしたんです。ワカバの入院費と治療費も稼がないといけませんでしたからね」
「……そのワカバは、どうしたんだ」
「みんなが命をかけて守った子をあんな危険な目に遭わせたくないし、そもそもあんな状態のワカバを迷宮に連れ出すなんて不可能でしたから、置いていくしかありませんでした。二度と樹海に近付けない方が良いとも思ったので、あの子のためにも」
「ワカバのため……?」
 言葉を滲ませると、コガネの肩が震えます。後めたい事実を指摘された時のように。
「ワカバのためを想って樹海に近づけさせないようにしていたのなら、どうしてあの子は今も樹海にいるんだ、あの場所に囚われているんだ」
 冷たく吐き捨て問い詰めます。ここが「リーダー」の墓前でなければ多少は暴力的な手段に出ていたのかもしれませんが、その衝動を理性で抑え付け、耐えます。
 コガネは目を伏せ、
「……恐らく、ですけど、なんとなく、ワカバはリーダーのことを覚えているかもしれません。あの子はリーダーに懐いていたしリーダーも娘のように可愛がっていたから、本当の親子のようにお互いを愛し合っていたから……過去のことは忘れても記憶の奥底に眠っていた思い出に引っ張られて、リーダーとの思い出が多い樹海に惹かれているのかもしれません。でも、それが何なのかハッキリとは思い出せないから樹海を彷徨っているだけかもしれません」
「……止めなかったのか、命をかけて守ったあの子が樹海に入ることを」
「僕の言葉はあの子にはもう届きません。直接言葉にされたことはありませんが、あの子を置き去りにして樹海を踏破した僕のことを心のどこかで嫌悪しているんだと思うんです……だから」
「育児放棄したと」
「ぐはっ」
 心のナイフはコガネの心にしっかり刺さり、彼はその場で崩れ落ちてしまいました。
 コキはそんな男を心底軽蔑した目で見下し、更に冷たいトーンで追い打ちをかけます。
「中途半端で軟弱者な男だなお前は。ワカバのことを守ると誓っておきながら放置して……本気であの子のことを想っているならちゃんと会話をするべきだ、心を壊したからと言っても言葉が通じない生き物じゃないんだぞあの子は」
「ううう……反論もできません……」
「されてたまるか。お前が中途半端なせいであの子は人間社会でまともに生活できないぐらい情操教育が遅れているんだぞ。アーモロードに世界樹がなければ生きていけないぐらいだ。その責任の重さは理解しているのか」
「だ、大丈夫って本人が言ってたから大丈夫だとばかり」
 慌てて顔を上げたコガネですが直後に視界に飛び込んできたのはコキの、鬼のような恐ろしい形相でした。
「大丈夫なわけあるか! 子供の“大丈夫”は本人の口だけじゃなくて大人が見て判断するものだろう! あの子は自分のこともまともに理解できていない節があるんだから注意深く観察しないと判断を誤って当然だろうが!!」
「ヒィィッ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
 悲鳴を上げて青冷め泣きそうな顔になるコガネのなんと情けないことか。見れば見るほど世界樹の迷宮を踏破した冒険者には見えなくなり、コキは額を抑えてため息を吐くのでした。
「もういい……あの木に隠れていたのは、リーダーとやらの墓参りに来たら私たちが先に来ていたせいで出てこれなかったからだろう。ワカバに会うのが気まずいから」
「はい……最近は顔を合わせも声をかけてもらえなくって……僕の責任だとはわかっているんですけど、あの子に何をすればいいのか分からなくてずっと途方にくれているんです……僕は、どうすればいいのか」
「お前は何もするな」
「へ?」
 心底気の抜けた声を出したコガネは目を丸くさせてキョトンとするばかり。
 腕を組み、自分より背の低い男を文字通り見下し、コキは続けます。
「ワカバのことは私が面倒を見るしある程度自立もさせる。というか一生面倒を見るつもりでいる、中途半端なお前と違ってな」
「い、一生!?」
「そうだ。既にその誓いは立てた」
 薬指のない左手を見せるとコガネの表情は強張りました。
「お前はもうワカバに関わらなくていい、変に責任を感じて馬鹿な真似もするな。全て私に託せ、私があの子の責任を取る、全てな」
「……」
 コガネ、口を大きく開けて唖然。完全に言葉を失い唖然としていました。
 その様子にコキはあからさまに機嫌を悪くして、
「何だ」
 短くそれだけ言えばまた彼の肩が震えますが、すぐに首を横に振ると立ち上がります。
「その……君は、どうしてワカバにそこまで入れ込むのかと、不思議に思ったんです。あの子はとても優しいけど、優しいだけでは人に好かれませんから、それも一生面倒を見るだなんてとても……」
「そうだろうな」
 短く答え、少しだけ思案してから言葉を続けます。
「あんなに危なっかしくて世間知らずで優しいあの子を放っておけば、いつか必ず一生かけても治らない傷を再び負うことになるのは明白だ」
「た、確か、に……」
「それに、あの子がいないと私は生きていけない……同様に、私がいないとあの子は生きていけない。そういう関係だから“一生”という言葉が使えるんだ」
「…………そうですか」
「不満でもあるのか」
 この後に及んで文句があるなら目の前の小綺麗な顔に少しぐらい傷を入れてもいいかと思ったコキでしたが、コガネから返ってきたのは否定の言葉ではなく、
「安心しました」
 微笑んでの、肯定でした。
「君がワカバのことをこんなにも思ってくれる人だって分かったので。キャンバスが再建された上にワカバとずっと行動を共にしている人がいるって噂を聞いた時から不安でたまらなかったんです。大切な仲間、でしたから」
「……」
 無言で返答するとコガネは深々と頭を下げます。 
「コキさん、改めて……どうか、どうかワカバのことをよろしくお願いします。僕はもうあの子に触れられなくなってしまった。優しさという中途半端な慈悲のせいで拒絶されてしまった……あの子に何もすることができなくなってしまったから……みんなが守ったあの子のことを、託します」
 かつてひとりの少女を守り、全ての責任を負うことができなかった青年の願いと想い。
 彼は、既にこの世にはいない、かつての仲間たちの想いも背負っていることでしょう。自分たちのことはどうなってもいいから、あの少女を守りたい……その想いを実現し、この世を去った者たちが。
 “彼ら”の想いを受けたコキは、表情を一切変えることなく、こう答えます。
「当たり前だ」



 墓地でコガネと別れたコキはひとり、帰路についていました。
 舗装され手入れもされているであろう寂しい道を音もなく踏み締め、アーモロードを目指していました。
「……ずっと一緒にいるって決めた。あの子が私を必要としなくなる時まで、あの子と……」
 小さく独り言をぼやき、そんな日が来ないで欲しいと同時に願いました。
 子はいつか自立し大人の手から離れることを誰よりも知っているからこその、願いを。
 しばらく歩き、見慣れたアーモロードの街が見えたところで、
「あれ。ワカバ?」
 街の入り口、道から外れた草地の上に座り込んでいるワカバを見つけました。
 声を上げると同時にワカバも気付いたのか顔を上げ、
「コキ」
 彼女の名を呼び、腰を上げるとすぐに歩いて来ました。
「どうしたの? 宿に帰ったんじゃなかったの?」
 そう尋ねますがワカバからは否定も肯定も返ってきません。
「コガネとおはなししてたの?」
 代わりに出てきたのは別の疑問でした。
「……気付いてたの」
「においしたから」
「なるほどねえ」
 淡々と答えるワカバの嗅覚の鋭さにも慣れてきたので、小さく息を吐くだけに留まります。
「世間話とキャンバスとかワカバのことを少し、ね? 大した話はしてないわ」
「……」
 ワカバの視線は下がっていき、俯いてしまいます。
 気落ちする理由が分からずほんの少しだけ首を傾げたコキは続けて、
「彼のこと嫌い?」
 そう尋ねてみるとワカバは首を振ります。
「きらいじゃ、ないよ」
 想定外の返答に目を丸くしていると、ワカバは言葉を続けます。
「コガネはきらいじゃない、けど、いっしょにいるとざわざわする、へんなきもちになる、おちつかなくなる、コガネはやさしいけど、いやなことおもいだしそうで、こわくなる」
「……だから避けてたの?」
 ワカバは頷きます。
「きらいじゃない、でもちょっといや、わからないけど」
 顔を上げないままのワカバの言葉はそこで終わりました。
 精神的なショックで失った記憶を取り戻すきっかけになると本能で悟っているのだと予想できますが、医者でもないコキにその判断はできません。
 でも、不安なことに変わりのない少女を慰めることはできるので、
「うん……そう、そっか」
 いつものように頭を優しく撫で、安心させてあげます。
「分からなくてもね、その気持ちはちゃんと彼に伝えておいた方が良いと思う。ワカバに嫌われた〜って落ち込んでたから」
「どうして?」
「ワカバがお話してくれなくなったから誤解してるのよ」
「ごかい?」
「間違えてるってこと」
「おー」
 ワカバは顔を上げ、感心したような声を上げました。どこまで理解できているのかは定かではありません。
 コキはワカバの頭から手を離すと、
「……まあいっか。さーてしばらく探索できないしどうしたものかしら……収入がないのも困るから街で短期アルバイトでもするか」
「コキ、おなかすいた」
「そうなの? じゃあご飯にしましょうか」
「うん」





 二人で一緒に歩いて行く。
 私はこの子と共に生きることを許された。
 この子が私を必要としなくなる時まで共にいることを許された。
 私は庇護欲を満たすため。
 あの子は孤独にならないため。
 どちらも自分勝手なワガママな欲望を満たすためで、褒められたものではないかもしれないけど。
 あの子は分からないけど、私はもう、これしか残されていないから。
 だからお願い、大人にならないで、誰のモノにもならないで、ずっと必要として。
 私の欲のためにアナタを利用している事実に気付かないで。
 私の可愛くて大切な、愛し子。


2024.2.27
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