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依存的な運命の日

「はえっ!?」
 コキは意識が覚醒すると同時に目を開けて再び世界と対峙しました。
 間抜けな声が出たのは生きていることに驚いたのか、体に痛みがないからか、あるいは両方か。
「ここは」
 彼女の視界に最初に飛び込んできた光景は、顔を覗き込んでいるワカバの今にも泣きそうな顔でした。
「…………ワカバ」
 見慣れた人物が側にいることに安堵し、笑みが溢れました。
「コキ、よかった」
「……うん」
 返事をしたところでふと気付きます、上半身に生じている違和感に。痛みが遅れてやってきたのではなく、姿勢に。
 少し視線を動かして周りを見たことで気付きます。コキの頭は今、ワカバの膝上に置かれているということに。膝枕されていることに。
「ええと、ワカバ? 私……毒で気を失ってたのよね?」
「いきてる、よ」
「ええそうね、生きてるわね」
「よかった、よかった」
 何度も何度も「よかった」を繰り返します。コキに向けての言葉と表現するよりもワカバ自身に言い聞かせているようにも聞こえました。
 心から安心している筈ですが瞳を潤ませ、今にも大粒の涙を流しそう。
 不安がる子にどう接すればいいのかコキはよく知っていました。
 右手を伸ばし、少女の頬をそっと撫でて。
「ごめんね、心配かけて……不安だったのよね?」
「うん」
「私はもう大丈夫よ。体の痛みもないし気分も悪くないもの。またアナタに命を救ってもらっちゃった」
「うん」
 手を触れて接し、生きている温もりを伝えればワカバの表情は少しずつ綻んでいき……不安と安心がないまぜになった感情から解放され「いつもの」ワカバに戻りました。
「コキが、しんじゃったらイヤだから、がんばった」
「えらいえらい」
 ちゃんと褒めてから手を離し、膝枕から起き上がります。
 改めて周囲を見ると非常に見慣れた光景だとハッキリわかります。
 ここは垂水ノ樹海で何度も何度も利用したことのある、地下二階の野営地だったのですから。
 しかも日は完全に落ちており近くにある焚き火が燃える音が静かに響いていました。串に刺され炎で炙られた獣の肉と魚の肉が焼ける音と匂いも漂っています。
「ここに戻ってきていたのね……」
 そして、トカゲに少しだけ裂かれた左の肩を確認します。服は裂かれたままですがその下の肌には包帯が巻かれていて、きちんと手当がされていました。
「……縫い直さないとなあ」
「きず?」
「服をね。それにしても前は問答無用で全部脱がしてたのに、今回はちゃんと服を着せてくれたのね」
「はだかがダメって、コキがいった」
「言ったわね。覚えていて嬉しいわ」
「えへん」
 たくさん褒められて喜ばないワカバではありません、得意げに胸を張りました。
 微笑ましい気分になりつつもコキは状況確認を続けます。
「私が倒れた後はどうしたの? FOEは倒せた? それとも逃げた?」
「トカゲたおした」
 断言して指した先にあるのは野営地点の隅、トカゲの死骸が置かれており異様な存在感を放っていました。
 ほんの少しだけ解体した形跡もあります、削がれた肉の行き先は……わざわざ言葉にする必要もありません。
 そして、
「……んんっ?」
 見つけてしまいます。テントの側に転がっている薬瓶の数々を。既に中身は使われ役目を終えた薬の成れの果てを。
 更に疑念を決定付けるワカバの言葉。
「あのね、コキ、おきないから、テリアカとかメディカとかたくさんつかった」
 この言葉によりコキの顔がほんの少しだけ引きつります。
「そ、そう……がんばったのね……」
 目を閉じれば想像できます。
 コキが毒で倒れたのであればテリアカで解毒を行わなければならない、でも何度使ってもコキが起きる気配がなくてどんどん体温が下がってしまうから体力を回復するためにメディカを飲ませることにした。しかもトカゲと対峙している状況で、目の前にいる大切な人を失いたくなくて必死に努力している様を。
 意識のない冒険者を覚醒させるためにネクタルを使うのは冒険者として当然の知識、ワカバが知らないハズはありません。
 最善の選択がすぐ出ずに無駄に薬を消費してしまうほど追い詰められていたのでしょう。
「責められない……責められるわけがないわ……これはトカゲについて知識不足だった私の落ち度、ワカバは何も悪くないんだから……」
 彼女に聞こえないよう小声でぼやきつつ、空の薬瓶を数えます。メディカが四個テリアカが六個。
「あれ、テリアカってあんなに持ってたかしら……?」
「テリアカとメディカがなくなったからネクタルつかった、そしたらコキおきた」
「そ、そっかあ!」
 嬉しくて嬉しくて目を輝かせるワカバに余計なことは言わず、コキは笑顔で頷いておくだけに留めました。
 出費のことについて考えるのはやめておきます、節約のための樹海籠り生活の前提が破綻した現実は忘れておこうと心に決めました。赤字にならなければそれでいいと、目標を少しだけ下げて。
 すると、ワカバは立ち上がり、座ったままのコキを見て首を傾げ、
「コキ、おなかすいた?」
 そう、尋ねました。
「少しだけかしら? ワカバは? トカゲ食べたのよね?」
「わたしはたべた、コキは? おなかすいた?」
「空いたわね〜ごはん欲しいわ〜」
「わかった」
 ワカバは待ってましたと言わんばかりの得意げな顔で焚き火の元へ歩きます。
 獣の肉と魚の肉を焚べていた串を地面から引っこ抜くと、すぐに戻ってきました。
「コキに、ナルメルのかばやき、あげる」
 魚の肉が刺さった串を差し出してきました。
 蒲焼きと言ってもウナギの料理で見るような開きでも何でもなく、適当な大きさに切った切り身に塩を振って焼いただけのものです。ワカバはこれを「かばやき」と言い張ります。
「ナルメルだったのこれ? 昨日全部食べてたんじゃないの?」
「たべてないよ。おいしいから、コキにもたべてほしい」
「……なるほど、優しいわねワカバは」
 串を受け取り自称かばやきを確認。表面はちょうどいい焼き色になっており、十分な加熱が施されています。
 食材の調理を「美味しいご飯をもっと美味しく食べる技術」として教え込んだ甲斐があったとコキは小さく息を吐きます。かつてワカバが主食として食べていた数秒炙った肉はもう影も形もないのですから。
「じゃあ一緒にご飯にしましょ」
「うん」
 ワカバはコキの左隣に腰を下ろし「いただきます」と言ってから何度目かであろう夕食を始めます。早速、肉にかぶりつきました。
「おいしい」
 満足げに言ったのを確認してからコキもナルメルの「かばやき」を一口。
「うーむ、クセはあるけど食べられないことはないとういか中々の大味……調理次第で化けるかも。塩だけじゃ物足りないというか勿体無い気もするけど、樹海で贅沢なんて言ってられないものねえ」
 感想をぼやきながら故郷で使った調味料でナルメルに合う物はないか思案中。
「おいしい?」
「そうね。もっと違う味付けも試してみたくなるかも」
「あじつけ?」
「お塩以外にも何か欲しいなーってこと。これでも十分美味しいけどね」
「そっか」
 満足げに納得したワカバは肉を口いっぱいに頬張るのでした。
 そしてすぐに食べ終わりました。手元には串だけが残りました。
「ごちそうさま」
 手を合わせて食べ物への感謝の意を表してから串を置いて、
「……ねえ、コキ」
「どうしたの?」
「コキはなんで、けがしてた?」
「んぇ?」
 また突拍子もなく言い始めました。ナルメルの「かばやき」を食べる手が止まります。
「……えっと、いつの話?」
「さいしょ」
 一ヶ月前、垂水ノ樹海でワカバに拾われた時のことを話題に挙げたようです。
 ふと考えてみれば怪我をした経緯を話していません。あの時は状況把握に必死だった他に、今以上にワカバの奇行に振り回され、ついていくことがやっとだったのですから。
「どうして急に?」
「コキのケガ、みてるときにおもいだした、さいしょのこと、だからきになった」
「私が毒で気を失っているのを見て、最初にワカバに拾われた時に大怪我してたのを思い出して……気になったと」
「うん」
 ワカバは頷きました。
 大怪我をした理由も故郷から逃げ出した理由も今も命を狙われている理由も、隠すつもりはありません。
 いつか命を奪われることになるというなら全て話すべきです。
 コキに心を開き、親を慕う子のように甘えてくる彼女はもう無関係ではないのですから。
 串を一旦下ろし、ワカバの目を見て語ります。
「私はね、同郷のシノビたちに……昔の仲間に命を狙われているの。それで逃げ回っていたんだけど油断しちゃって、渾身の一撃をモロに喰らって大怪我しちゃった。それでも必死に逃げ回って、気がついたら樹海にいたのよ。どこから入ったのかもう全然覚えてないわ」
「いのちねらう?」
「殺そうとしているってこと」
「なんでいのち、ねらわれてる?」
 目の前にいる人間が殺されそうになっているだなんて信じられないような目で尋ね、首を傾げていました。
 コキは目を伏せ、答えます。
「……悪いことをしたから」
「コキ、わるいひとじゃないよ、いいひとだよ」
「良い人でも悪いことはするものよ。前にもちょっと言ったでしょ? 私は人を殺したこともあるって」
「ひところしたから、ころされる?」
「確かに同族殺しは重罪だから国や地域によっては死罪だけど……私はちょっと違うかな? そもそも人殺しなんてシノビだったら誰でもやっていることだし珍しくもない。これだけで仲間から命を狙われることはない、少なくともシノビはね」
「じゃあ、なんで?」
 ワカバが再び首を傾げます。さっきよりも角度があります。
 しかしコキ、苦い顔。ワカバの目を見て。
「……どうしても聞きたい?」
「うん」
 即答。未知への興味関心というよりも疑問を解決したいという純粋な願いがあるように見え、コキは天を仰ぎます。
「そっかあ、聞きたいかあ……あんまり思い出したくないけど仕方ないか……腹括るか……これ食べてから……」
「う?」
 ワカバの疑問をよそに先に蒲焼きを食べ終わり、手を合わせてご馳走様をしてから串を置いて話し始めます。
「細かいことは省いておおまかなことだけ伝えるとね……私には仕えるべき主人がいたの」
「しゅじん?」
「そう主人。とってもえらい人。具体的にはアーモロードの元老院よりもちょっとだけ下ぐらいえらい人」
「それはとてもえらい」
 関心するワカバを横目で見てから続けます。
「私はね、そのえらい人のことが……アイツが、好きだったの」
「すき? わたしとおなじ?」
「ワカバとは違うかな? ワカバは家族みたいな好きだけどアイツは結婚したいなって思うぐらい好きだった」
「けっこん」
「結婚の意味わかる?」
「ラブラブのやつ」
「それで良し」
 今は細かい説明はせず、寧ろ結婚についての知識があることに安堵しました。
「本当はね、シノビと主人って結婚しちゃいけないし好きになってもダメなの。そういう掟が……決まりが大昔からあって、絶対に破ったら駄目だって子供の頃からずっと聞かされていたわ」
「わるいこと?」
「そう、悪いことね。でも……私は、悪いことだって分かっていてもアイツのことを好きになってしまったのよ。よくある甘言にコロッと騙されて」
「おー」
 コキは膝を抱え、視線を落とし、焚き火の炎を見つめます。
「小さい頃からすっごいロマンチックな恋愛に憧れて、困難が多かったり乗り越えるべき壁がすっごく高い恋愛っていうのを経験してみたかったの。その先にはとても幸せな光景があるって馬鹿みたいに夢見てたから。だからアイツに夢中になったしアイツも私のことを愛してた……婚約者がいるって言うのにね」
 口を閉じ、キョトンとするワカバに気付かないコキは止まりません。
「掟を破っていることに罪悪感はあったけど好きな気持ちって止まれないから構わなかった。絶対に成熟する愛だって信じていたから、周りが見えなくなっていた」
「……」
「結局、交際がバレて尋問されちゃった。私はね、あの時はどうかしてたから“彼はきっと庇ってくれる!”って信じてた。だって私たちの関係が露見したとしても守ってあげるからって言われたもの。自分の身を犠牲にしても、今の地位を全て捨てて私を助けてくれるって信じて疑ってなかった……でも、結局はただの都合のいいその場凌ぎの言葉でしかなかったのよ」
「……」
「アイツは私を切り捨てて自分が助かるためにぜーんぶ私が悪いって尋問の時にみんなの前でベラベラと嘘ばっかり並べて言い訳をしたの。私から言い寄って来ただの地位と権力を狙う女狐だのそんなつもりはなかったのに強か……ワカバに聞かせられないような暴言や侮蔑も色々ぶちまけられたら、百年の恋も一瞬で冷めるってものよ」
「……」
「掟を破ったシノビは例外なく処刑される。最初は殺されたとしても仕方ないかなって思っていたけど、あんな奴のために死ぬなんて嫌だったから脱獄して国を出た。すぐに終われる身になっちゃったけどね」
 全て言い終え、一息吐いてもワカバは何も言いません。ずっと黙っていました。
「ってワカバ? 途中から相槌がなかったような気がするけど途中で分からないこととかあった? ごめん気付かなくて……」
 慌てて謝罪してもワカバから返答はありません、今度はコキが首を傾げる番でした。
 しかし疑問はすぐに解決します。ワカバは、コキに体を寄せて左腕にぴったりとくっついたのです。
 ただし、俯いたままで表情は見えません。
「ワカバ……?」
「コキ、だいすきなひとにいじわるされた?」
 小さな声で現れた疑問に、そっと答えます。
「……そうね。二人で一緒に悪いことをしたのに、私だけが悪いってことにされちゃった」
「どうして? なんで? コキだけきずついたの? なんで?」
「私に男を見る目がなかったってだけ。好きになっちゃいけない人を好きになった、私の甘さが」
「わるくない」
 淡々と断言しました。
「ひとをすきになる、ふつうのこと、あたりまえのこと、わたしもコキのことすきだもん。コキがアイツのことすきになるのもふつうのこと、わるいことじゃない」
 そこまで言いコキの腕を掴みます。
 ほんの少しだけ強い力で。
 大好きな人が傷付いていたというのに、何もできない悔しさともどかしさが腕から伝わってきて。
 コキは空いている手でワカバの頭を撫でました。
「本当に、悪くないって思う?」
「わるくない」
「相手に婚約者が、将来結婚する人が決まっているってことを知っていても?」
「わるくない」
「唯一の身内が何度も止めてくれていたのにそれを聞かなかったとしても?」
「わるくない」
「一時の感情だけで仲間たちの信頼を全て裏切ったとしても?」
「コキわるくない」
「……」
 理解しているのかしていないのかは定かではありません。
 しかし、ワカバなりに一生懸命、これ以上コキを傷つけないようにしているのはわかりました。
 仲間たちを裏切り、報いとして殺されそうになっている彼女に、同情しているのです。
「……本当なら、私は私の全てを否定され、大切なもの全てに唾をつけられても文句を言える立場じゃない。死にたくないから抗っているだけ、なのにね……」
「だってコキ、わるくないもん」
 ひたすらに「悪くない」と言い続ける少女は、精神的な幼さゆえにコキが犯した罪の重さを理解していないのでしょう。
 ならば、いっそのこと。
「この先長くないなら、この甘言に酔いしれるのも悪くないかもしれない……な」
 ワカバの耳に届かないほど小さな声で呟いた後、いつもの声量で続けます。 
「……ありがと、ちょっと元気でた」
「ホント?」
「ホントよ。なんか気分が軽くなっちゃった! ワカバのお陰ね」
「よかった!」
 顔を上げた笑顔は、この世の罪と悪を知らない純粋さしかありません。
 大好きな人が笑ってくれているだけで幸せだと心から言える、子供のような純粋さ。
 世界を知らない子供心と精神を死ぬまで失うことがない少女。
「私が世界中の人間から追われるようなことになってもワカバだけは私の味方をしてくれるのね、きっと」
「うん、だってコキ、だいすきだもん」
 迷うことなく答えた少女。コキの目にはとても愛おしく、同時に危うくも見えました。
「ワカバ」
「ん?」
「私、ワカバと出会えてよかった」
「ほんと?」
「本当よ。今が人生で一番楽しくて幸せなのよ、私は」
「そっか、そっか」
「そう……ね」
 コキはふと、顔を上げて周囲を見ました。
「わたしも、コキがいてよかった、コキはやさしいから、うれしい」
「……ええ」
「わたし、もうひとりぼっちじゃない、コキがずっといるから、いつもたのしい、おなかはすくけど、たのしい」
「……そうね」
「わたしも、しあわせ」
「…………」
「う?」
 コキはもうワカバを見ていません。
 正面、夜の暗闇に隠れる木々を睨んでいました。
 ワカバが今まで見たことのない険しい顔で。
「コキ?」
 呼びかけに答えないままワカバをそっと剥がすと、木々を睨んだまま立ち上がります。
「ワカバ」
 視線を一切動かさないまま、淡々と少女の名を呼びました。
 今まで一度も少女に聞かせたことのない冷たい声色にワカバは何かしらの異常を感じ取ったらしく、不安気に見上げます。
「どうし、たの?」
「次に私が動いたら扉に向かって走って。そして、扉の外に出て街に帰りなさい」
 強い口調で言った後、短剣を取り出しました。
 突然の命令にワカバは意味が分からず、コキのズボンを引っ張って、
「なんで? なんで? コキは?」
「私は後で糸を使って帰るから心配しないで」
 安心させる優しい声色ではなくただ言っているだけの声に、ワカバの不安は増えていくばかり。
「なんで? どうしたの? なんで?」
「説明している暇はないの。後で……教えてあげるから」
「う? ん? なんで、なんでなんで?」
「それは」
「なんで、いっぱい、いるの?」
 少女を今すぐ納得させる言葉が欲しいと切に願った時。
 野営地を囲む草むらから細く小さな針が飛び出し、ワカバの首筋に刺さりました。
「あう」
 途端にワカバは全身の力を全て失ったようにその場に崩れ落ちてしまったではありませんか。
「ワカバ!?」
 少女の異変に気を取られた一瞬。
 自身の背後から強烈な気配。
「はっ」
 振り向こうとした時は既に遅く、次の瞬間には羽交締めにされてしまったのです。
 拍子に短剣が手から落ち、串の上に着地して金属音を奏でました。
「捕まえた!!」
 同時に響くのはハツラツとした声でして、それはコキを羽交締めにする大男から発せられました。頭巾をして口元も隠しているため、目元しか露出していません。
「ようやく追いつきましたぞ、姉上」
「シタン……」
 男の名らしき言葉をぼやき見上げるコキは、恨めしそうにも悲しげにも見える表情を浮かべるだけ。
「……う?」
 体の頂点から足の先まで一寸も動かすことができないワカバは地に伏したまま、疑問を声に出すことしかできなくなっていました。
「なんで、なんで? いっぱい、いる」
「そりゃあそうだよ〜だって俺たちが来たんだも〜ん」
 陽気で緊張感の欠片もない声が野営地に響きます。
 夜の闇から音もなく現れたのはくすんだ金色の髪を後頭部で結った小柄な青年。口元はマスクで隠しています。
 その後ろから付き従うように姿を現したのは銀髪に短く切り揃えた髪に、花柄の忍装束を来た少女。青年よりも小柄です。
 少女はワカバを見るなり目を丸くして、
「ありゃ? 意識があるとは驚き。普通の人なら半日以上はぐっすりなのに。やっぱり冒険者ってヤツは普通の人間よりも毒への耐性が強いってことかな」
「睡眠針じゃなくて麻痺針を使ったからじゃないのか〜?」
「あ」
 ここで固まる少女。それなりにドジなようです。
 青年は首を横に振って小さなため息をこぼしてから、コキの方へと軽い足取りで歩み寄りまして、
「は〜いちょっとゴメンネ?」
「うぎゅ」
 その道中でワカバを蹴って転がし少し離れた位置に乱暴に移動させてから、改めてコキに向き直ります。
「久しぶりだね〜後輩。ちょっと見ない間に痩せた? 髪切った?」
「どうも、キツルバミ先輩……」
 苦虫を噛み潰したような顔をするだけのコキは青年の名を呼んでから、ガックリと項垂れたのでした。
 キツルバミと呼ばれた青年は目を丸くし、両手を後ろで組んでから可愛らしく首を傾げまして。
「随分大人しくなったね〜どしたの? いつもなら持てる手段を全部使って抵抗するって言うのに」
 項垂れたままのコキは答えます。
「……もう逃げられっこないって分かっているもの。ここで逃げられたとしても、先輩たちはあの子を使って私を捕えようとするでしょ? それは絶対に嫌」
「よくご存知で〜」
 キツルバミは笑顔のまま、コキの首筋に細い針を刺します。
 頭巾のシノビが手を離してコキを解放しますが彼女もワカバ同様、全身の力を失ったように地面に倒れたのでした。
「ただの麻痺針……か……」
 毒に耐えるシノビ修行の成果か、呂律は回り体も若干ですが動かせます。ただし、ここからワカバを連れて逃げ出す力はありません。
 鈍く動く体に無理を言い首を動かし、いつの間にやらしゃがんでコキを見下すキツルバミを恨めしく睨みます。
「一思いに殺さないの……? それとも、国に連れ戻して公衆の面前で首を跳ね飛ばすつもり……?」
「いや〜そ〜ゆ〜ワケにもいかないんだよね〜これが。こっちの複雑な事情ってやつ」
「事情って何よ……まあ、これから死ぬだけの私には関係のない話かあ……」
「いやいや〜これってばね? コキにもメチャクチャ関係のある話で」
「しぬってなに」
 コキとキツルバミの話に強引に割り込んだ声がひとつ。
 伏したまま動かないワカバでした。
 ここにいるシノビたち全員が、動かない少女に目を向けます。
「コキ、しぬ、なに、なん、で、そん、なことい、うの、なんで」
 体が動かない中でも口を一生懸命動かし、言葉を発します。
 感情表現の乏しく精神が幼い彼女でも、今が大切な人の命が奪われようとしているという状況だということは、理解できてしまいます。
 言葉の中には恐怖がありました。
 記憶のない過去の中で経験した「大切な人の死」という無情な現実が、目の前まで迫っている恐怖が。
「えっとねえ、君にはどこから説明しよっかなあ〜?」
 キツルバミが緊張感もなく頬をかくと、足元のコキが彼を呼びます。
「先輩」
「なに〜?」
「私はこれから殺されることを受け入れる、二度と抵抗しないし逃亡を図ったりもしない。でも、せめてどうか、あの子の……ワカバの前では殺さないで」
「あ〜うん。それはちょっと無理な相談かな〜?」
 呑気に首を振るキツルバミ。話を聞く気はないのでしょう。
 諦めきれないコキは手を伸ばし、彼の足を掴んで、懇願します。
「お願い……裏切り者の言うことなんて聞きたくもないのは分かってる……だけど、ワカバに大切な人の死を見せたくないの……追われている身なのにこの子に深く関わってしまった私の身勝手な行いが招いた結果だってことは、分かってる……全部、私が悪いわ……でも、せめて、最期は……」
 懇願が無駄だということはコキ本人が一番よく理解しています。「許されたい」と訴えるだけの言葉を今までいくつも踏みにじってきた張本人なのですから。
 死が常に隣り合う厳しい世界において「言葉」ほど無意味なモノはありません。
 コキは、無意味と評価されたモノに縋ってしまうほど、追い詰められていました。
 全てはワカバのために。
「コキが優しいのは知ってるけども、まずさあ〜……」
 ため息まじりに頭をかきつつキツルバミは言葉を一旦止め、次に何を伝えるか選択していると、
「せっ、先輩せんぱい! キツルバミ先輩!」
 花柄装束の少女が突然声を上げ、キツルバミは面倒臭そうに振り向きます。
「ちょっとコンネズ〜? 俺が仕切ってる時は口出ししないって言っただろ〜?」
「でもでもだって! あのワカバって子、動いたような」
 顔を青くしてワカバを指す少女に対しキツルバミは鼻で笑い、
「コキみたいな毒耐性のあるシノビでも十分弱は動けなくなる痺れ薬なんだぞ〜? 冒険者とはいえ俺たちと比べると完璧に一般人の女の子が口以外を動かせるわけが」
 と言いつつも視線を向けると、
「ぎ、ぎ、ぎ」
 歯を食いしばって動かないはずの筋肉を無理に動かし、起きあがろうとしているワカバを目にしたではありませんか。
「ウソォ!? どういう身体能力してんのぉ!?」
「ぎ」
 驚愕するキツルバミを意に介さず、なんとか顔を上げることに成功したワカバが見た光景はシノビたちの姿。
 そして、地面に伏しながらもキツルバミの足首を掴み、今までに見たこともないほど苦しい表情を浮かべるコキで。
「え」
 硬直している最中にコキはキツルバミから手を離し、ワカバに目を向けると、
「……ワカバ」
 弱々しく微笑みかけ、いつもの優しい声をかけます。
「……ごめんね、もう私、ダメみたい」
「なんで」
「私は殺されるから。もっとあなたのことを見ておきたかったけど時間切れ、これからはひとりで……頑張って」
「やだ」
「私はいなくなってしまうけどワカバならもう大丈夫。街での暮らしにもちょっとは順応したし色々な人と仲良くなれた、これからはそういった人たちを頼っていきなさい。私がやっちゃいけないって言ったことは必ず守って……」
「いやだ!」
 ワカバが叫びました。
 感情を激しく動かすことが滅多にない少女が、心の底から溢れ出る想いを叫び、叶えられることのないワガママを樹海の中に響かせたのです。
「いやだ、いやだ……いやだ! いや! やだ、やだ!」
 何度も何度も繰り返しても現実は変わりません。
 その姿を見てられなくなったコキは、ワカバから目を背けてしまいました。
「ワカバ……ワガママを言っても、もう……」
「やだ! いやだいやだいやだ! そんなの、いや! わたし、はいや!」
「……」
「おいて、おいていかないで! もうひとりはいや、いやだ! おいてかないで、おいてかないで、よ、おいていかないで! わたしをひとりにしないで!」
「…………」
「ひとりぼっちは、いやだ!」
「………………」

 ああ、私は、最低だ。
 こんな、死に際にあの子のこんな、酷く泣いている顔を見ることになるぐらいなら、ひとりで惨めに死んだほうがマシだった。
 ギルドを作ってすぐにアーモロードから離れていればこんなことには、ならなかったのに。
 ワカバを自分の庇護下に置きたい、そんな欲求に負けた結果がこの有様だ。
 あの子も私も傷付いて終わる。
 私のエゴがあの子に永遠に癒えない傷を与えてしまう。
 最低だ、なんて最低で、醜い人間なんだ、私は。
 自分で自分を殺してやりたい。

「コキがしぬの、いやだ、いやだ、いやだ、コキがいないなんて、わたし、いやだ、なんでしぬの、ころされるの、そんなの、だめ、いや、いや……」
 泣きながら想いを吐露し続けるワカバの元に、頭巾のシノビが音もなく歩み寄ります。
「…………」
 一言も言葉を発することなく、ワカバの正面で立ち止まり、腰を落としました。
「……う?」
 動きにくい首を無理矢理に動かし、男の顔を見上げた次の瞬間、
 男はワカバの肩を掴むと、

「わかりますぞワカバ殿ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 樹海の底まで響きそうな声量の大声が響き渡り、睡眠中だった鳥たちが一斉に飛び立ちました。
「う、う?」
 目の前でそんな大声を出されてしまったのですから耳が痛くてたまりません。目を回すワカバなど気にせず男は興奮気味に続けます。
「ワカバ殿のお気持ちは痛いほど分かりますぞぉ!! 姉上がこの世界からいなくなるなどあってはならぬこと!! たかだか禁断の愛程度のことで姉上をこの世から抹消する行為こそが蛮行!! 世に対する圧倒的侮辱かつ損失!! あのような野郎のために姉上のこれからの人生を全て消し去ってしまうという理そものもが間違っていると声を大にして訴える所存!!」
「う、う? うう?」
「拙者は愛に狂った姉上を止めることができなかった!! 無力!! 雑魚!! ゴミ!! 姉上のためなら命を賭して何でもやると誓った拙者の命は肝心な時になれば完璧な役立たず!! 今日まで己で己を責め続ける日々でありました!! 己の罪は常に隣にあることを象徴するために顔を斬ったのも逃亡して恐怖と孤独に震えている姉上の痛みを少しでも理解するため!!」
「ううー?」
「しかし姉上にはワカバ殿がおられた!! 姉上は孤独ではなかった!! 人に尽くし尽くされることが好きな姉上はもうおひとりではない!! 涙を流し姉上の生を願うほどお優しく姉上を想い慕うお方がおられた!! 拙者はもう安心して安心して!! ワカバ殿であれば姉上を任せられると痛感いたしました!!」
「う、うー?」
 至近距離から大声を浴びせられるものですからワカバは全然聞いちゃいません。抵抗しようにも体は思うように動かないのでどうしようもなく。
 すると、コキが男を呼びます。
「シタン」
「はいなんでしょうか姉上!!」
「うるさい」
「申し訳ありません!!」
 今まで一番大きな声で謝罪をした後、手を離して下がると同時にワカバは再び地面と顔を引っ付けてしまったのでした。
「あうう」
 目を回してしまったワカバは呻き声を上げてしまい、しばらく意識が戻ることはないだろうと予想できます。
 コキは大きくため息を吐き、
「全く……って、姉上を任せられるってどういう?」
 シタンと呼んだ男に向かっての問いの答えは、黙って状況を眺めていたキツルバミから発せられます。

「コキ、キミは死ななくてもいいんだよ」

 時が、止まりました。
 実際に時が止まることなどありえません。風は流れていますし焚き火は音を立てて燃え続けていますし木々の向こうからシタンの大声に怯えた獣たちの鳴き声が微かに聞こえます。
 キツルバミの言葉をすぐ受け入れることができなくなったコキが、まるで時が止まったような錯覚に襲われただけです。
「…………………………………………は?」
 長い時間をかけて溜めた言葉は短く、あっさりとしたものでした。
 彼女とは対照的にキツルバミは両手を広げてそれはそれは陽気に言います。
「信じられないよね〜すぐに受け入れてもらえないよね〜? 盛大に勘違いしてたみたいだし〜まあ勘違いさせたのは俺らもといコンネズのせいだからな〜」
「はう」
 シノビの少女が顔を覆いました。
「順を追って話そっか。ようやくキミを“捕らえた”ことだしね〜」
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