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依存的な運命の日

 コキがアーモロードの世界樹の迷宮でウォリアーの少女、ワカバに拾われから一ヶ月が経ちました。
 相変わらず第一階層でお金を稼ぐ日々ですが稼ぎはワカバの膨大な食費と、探索に必要な物資の補充によりほとんどなくなります。貯金なんてできるような生活ではないため、コキは家計に頭を悩ませる日々です。
 日々の生活のために世界樹の迷宮に挑んでいる不安定な毎日ですが、充実していました。
 それは、いつも隣には大切な彼女がいるから。出会ってから一ヶ月という短い時間の中で、お互いがいない生活など考えられないぐらいかけがえのない存在になっていました。
 しかし、同胞のシノビたちに命を狙われているコキは、この楽しい毎日が近い内に「終わり」を迎えることになると、理解していました。
 その「終わり」が双方に癒えない傷を与えることになると分かっていながら、この幸せな日々に身を投じていました。
 毎日のように自分を呪いながら。





「暇ねー」
 朝のアーモロード。
 街道の端、街灯の麓で小さいテーブルを広げて肘をつき、ご自慢のふわふわな桃色の髪先を弄って暇を潰す少女の名はスオウ。未来が見える占い師でありゾディアックです。
 珍しく朝に占い屋を開けてはみたものの、想像以上に客が入らず閑古鳥が鳴く有り様に飽き飽きしている様子で、テーブルの上で頬杖を付きます。
「暇だわ……気分転換とか言って朝に開けるものじゃなかった。店じまいしようかしら」
「本当にリピーターなんているの? アナタ」
 頭上から声がしてすぐに視線を上げます。いるのは見慣れた顔でした。
「あらコキじゃない。リピーターぐらいいるわよ、アンタのタイミングが悪いってだけ」
「本当にそうなのかしらねえ……」
 怪訝な顔。彼女の遠慮と容赦の無い言動が脳内を何度も巡り色々と言おうと考えて……声が喉まできたところで止めることにしました。
 コキが何も言わなくなったのを見るとスオウはあからさまに不機嫌な調子で。
「てか何しに来たのよ。客の入らない占い師を冷やかすって言うなら今すぐ帰ってくれる?」
「たまたま通りかかったら朝からやってるのが見えて、珍しいなってー寄っただけよ」
「何? アンタも暇なの? 貧乏休み無しみたいな生活してる分際で」
「ただの買い出し。これから店に行くところよ……ワカバもまだ寝てたからね」
「さいで」
 聞いてもないのに相方のことを口にされたので、スオウは心底どうでもよさそうに吐き捨てました。本当にどうでもいいので。
「アナタこそこんな商売してて本当に生活が成り立っているの?」
 コキが素直な疑問をぶつけるとスオウは大きくため息を吐いて、
「何度も同じこと言わせないでくれる? 成り立っているわよこう見えても。アンタに心配される筋合いはないし、占いだけがアタシの全てじゃ無いってことぐらい知ってるでしょ?」
「冒険者業もたまにしているとは言ってたけど……それでも普段はこんな感じだから、同行させろって言い出された時は不安だったのよ?」
 コキがふと思い出すのは先日の探索。
 唐突にスオウが「暇だし探索に着いて行ってあげるわよ」と言い出したことがきっかけで、コキとワカバとスオウの三人で樹海を探索する運びになったのです。
 自信家で横暴な彼女の性格に相応しく、スオウのゾディアックとしての能力は非常に優秀でした。
 星術を始めて直近で見たコキが呆然として、冒険者慣れしているワカバが黙ってしまうぐらい、彼女は強かったのです。
 その結果、星術により蟹の魔物は一撃で葬られ、ウミウシのような魔物から見たことのない素材が採れたりと良いことづくめで終わったのでした。
「あら、アタシの星術は役に立ったでしょ? 蟹とか蟹とか蟹とか蟹とか」
「まあ、そうね……蟹をすぐに倒せたのは大きいわ。ワカバも喜んでいたし」
「たまになら着いて行ってあげてもいいわよ。こっちは暇が潰せれば何でもいいし」
「良いこと聞いたわ。それじゃ、ワカバが蟹が食べたいとか言い出した時に声をかけるわね」
「やっぱりあの子基準なワケ?」
「当然」
 断言したコキの目に迷いは一切ありませんでした。
 まるで“自分はワカバの一番の理解者であり子供のような言動の彼女の面倒を見て当然”だと、言葉はなくとも態度で語っているように見えました。
 なのでスオウはため息を吐きます。この、現実から目を背けている女に向かって。
「てかアンタさ、同胞のシノビに追われているとか言ってなかった? いつまでもアモロで油を売ってて良いワケ? シノビの諜報能力なんて軽く見れるようなモノじゃないでしょ?」
 淡々と現実を突きつけてやりました。何度か会話をする中でお互いの事情は話しているため、身に置かれている状況を知っているのです。
 いつ起こってもおかしくない「残酷な現実」を聞かされたコキは眉ひとつ動かさずに答えます。
「……自分の身を守るため、殺されないようにするためならアーモロードから離れた方が良いとは思っているけど」
 スオウではなく、遠くを見つめて、
「……もう、いいの」
 短く、小さく、言い切ったのでした。
 スオウは驚きもしなければ呆れもしません。ノーリアクションに近い様子で言葉を投げかけます。
「何それ」
「逃げなくてもいいかなーって結論付けたのよ。向こうは私のことを見失ってるみたいだし、下手に動くよりもここに留まっておく方が見つからないかもしれないでしょ?」
「名前も身分も偽らずに堂々と本名と本職で居座っている時点で“見つけてください”って言ってるようなものでしょうが」
 反論の余地もなさそうな正論で殴られたコキは一歩だけ引きました。苦い顔で。
「ほ、本名で登録しちゃったから今更、変えられないし……ワカバだって混乱するし……後の祭り……だし」
 最もらしい言葉を並べていますが所詮は言い訳です。スオウは「あっそ」と面倒臭そうに返し、
「アタシはどうでもいいけどね。アンタが昔の仲間に発見されようが未発見で終わろうが」
「言った側から薄情ね……甲斐甲斐しく樹海まで着いてきたのは何だったの? 本当にただの暇つぶし?」
「当たり前でしょ。アタシは常に自分の気分で生きてるのよ」
「とことんドライねえ……助かったのは事実だからこれ以上文句は言えないけど」
「懸命な判断ができてよろしい。で、いつまで樹海に潜るの?」
 突拍子のない質問にコキの言葉が一旦止まります。ほんの一時だけ。
「…………ああ、また私の未来を見たわね」
 またもや会話の中で自身の未来を覗かれていました。彼女の能力に理解があるとはいえ突然誰にも教えてない予定のことを言われてしまえば、脳が混乱して動きが止まってしまうのは当然のこと。
「私の未来を見るのはいいけど、あんまり他人の未来を覗き見るのはやめた方がいいと思うわよ」
「失礼ね。アタシにしか使えない力をアタシがどう使おうが勝手でしょ? “他人の未来を見てはいけない”なんて法律もないんだから好きに使わせなさいよ。大体アタシだって余計なトラブルは避けたいんだから言う相手は選んでいるに決まってるでしょうが」
「全く、もう」
 横暴とワガママの権化みたいな言葉にコキは額を抑えてため息。これで四歳も年上なのですから世の中とは理解し難いモノです。
「で? いつまで樹海にいるのよ。それぐらいアタシに教えたって何のバチも当たらないでしょ、教えなさいよ」
 見た目は十代の少女にしか見えない占い師が急かすのでコキは渋々答えます。
「……とりあえず、二、三日は潜っている予定よ。地下二階のキャンプ地点を拠点にね」
 こうして答えたにも関わらずスオウは興味のない顔で。
「ふーん? 毎日街に戻って人間らしい生活してたクセにいきなり樹海籠りするなんて、どういう風の吹き回しよ、心変わりでもしたワケ?」
「心変わりも何も、お金を稼ぐために樹海での狩りは必要だし、ワカバのご飯も樹海内で賄えるから何かと都合がいいってだけよ。一日一日チマチマ稼いで黒字か赤字かでヒヤヒヤするよりも、まとめて稼いで素材を売った方が利益率が高いって気付けたし」
 そう答えたコキは言いません。街でご飯が食べられなくなることでワカバがワガママを言い出さないか心配だということを。言ってしまえばスオウから「アンタはあの子の母親か!」と鋭いツッコミが飛び出すことを知っているから。
「本格的に家計がヤバいと」
「そんなことないから! 本当にないから!」
「嘘おっしゃい」
 断言したスオウがまたコキの未来を見たのかは分かりません。これだけでは本当に分かりません。
 全力で否定したコキはため息交じりに肩を落とし、
「はあ……とりあえずしばらくアモロに帰らないから。アナタとのお喋りはしばらくお預けね」
「それはそれでつまんないわねー、てかアンタ本当に垂水ノ樹海に二、三日留まるの?」
「さっきも言ったでしょ」
「ふーん……そう。なら次に会える時を楽しみに待っておくとしましょうか。たっぷり溜まった愚痴でも聞いて暇つぶししたいし」
「結局それか……良い性格してる」
「アタシはこの性格には誇りを持っているわよ。アンタと違ってね」
「はいはい私は自分が嫌いですよーっと……じゃ、また今度」
 投げやりに言い切り、コキはスオウに背を向けて立ち去っていきます。
 黙って右手を振ったスオウは静かに手を下ろし、
「……ま、今更くたばるような奴でもないか。大丈夫と言えば大丈夫でしょ」
 と、ぼやいた後にこう続けます。
「失うことにはなるみたいだけど」




 垂水ノ樹海、地下四階。
 第一階層の最下層と呼ばれているフロアの最奥には、垂水ノ樹海の生態系の頂点に君臨する迷宮の主が住んでいます。
 その名はナルメル。巨大な鯰のような魔物で臆病な性格。棲家は沼地。
 性格には似合わない巨体に秘めている力により幾多の冒険者が沼の中に沈んでいく光景はもはや日常と称しても過言ではなく、ナルメルは迷宮探索に慣れた頃の初心者冒険者たちに立ち塞がる最初の壁として君臨しているのでした。

 そして、ナルメルは今、沼から飛び出し全身を曝け出した状態で地面に倒れていました。
 体に無数の傷がある上にぴくりとも動く気配がないことから、完全に力尽きていることが誰の目で見ても分かります。
「たおした」
 ウォリアーの少女、ワカバは淡々と状況をぼやき剣を収めました。
 途端にナルメルの棲家を我が物顔で徘徊していた他の魔物たちも蜘蛛の子を散らすように一斉に逃げていき、先程まで戦いの喧騒に溢れていたこの場所は驚くほどの静けさに包まれます。
 少女の後ろには、倒れた魚を複雑な心境で眺めるコキが立っていまして。
「大きな魚が食べたいって言うから付いてきたら……ま、まさかそれが迷宮の主、だと、は……」
 生まれて初めて迷宮の主と対峙し勝利を収めた彼女は、改めて周囲の脅威が完全に去ったことを確認してから膝をつきました。
 疲労困憊状態の彼女とは対照的にワカバは息切れひとつしておらず、ナルメルの死体を見て目を輝かせていました。
「ごはん、ごはん、おおきいおさかな」
 感情の起伏が乏しい彼女ですが声色は明るく今にもスキップして歩き出しそうなほど上機嫌。
 楽しそうな彼女を見るだけで、例えようのない大きな安心感に包まれるコキは表情に疲れを残しつつも微笑みます。
「頑張ったものねワカバ。でも、それ本当に回収して食べるの?」
「ごはんだから、たべる」
 即座に返事がきました。決意は固いようです。
「そ、そう……持って帰るなら持ち運びしやすいようにある程度解体しないといけないわよ? できる?」
「だいじょうぶ、できる」
 どこか自信満々に答えた彼女は再び剣を抜くとそれを使って解体作業を始めます。もはやコキにとっては見慣れた魔物の解体風景でした。今回の獲物は少し巨大ですが。
 慣れた手つきで段取りもよく捌く姿を見つつ、コキは再び立ち上がります。
「もしかしてワカバ、何回かその魔物を狩ったことがあるの?」
「あるよ」
 振り向かずに答えたワカバは続けます。
「ナルメルおくびょうだから、たまにみるときずだらけのときある、そこがねらいめ」
「へっ? あー……たまにここに来ると傷を負ってるナルメルがいるから、それを狙って狩ってたの? 私を拾う前に?」
「うん」
 頷きつつも作業の手を止めないワカバ。ただし、彼女の言葉足らずな説明だけでは理解しきれません。
 先ほどまでの戦闘時、傷を負わせた際に沼地に潜ったり戦線離脱を図って逃走しようとするナルメルの傾向を思い出しつつ、仮説を立てます。
「えーと、もしかして、別の冒険者が仕留め損なって逃がしてしまったナルメルにワカバがトドメを刺していた……ということかしら? 合ってる?」
「うん」
 正解だったようです。コキはホッと一安心。
「漁夫の利ねえ……ま、これでワカバのご飯がゲットできるんだから悪い話ではないか。私たちにとっては」
「ぎょー?」
「戦っている最中に割り込んで最終的に勝ち残ってご飯をゲットする人のことよ」
「ぎょー」
 納得したのでしょう。おそらく。
 魔物の解体作業はワカバに任せておくことにしてコキはナルメルの棲家を改めて見渡します。新たな魔物が現れないかも心配ですし。
 すると、戦闘中は微塵も気にならなかった扉が目に留まりました。
「あの扉は入ったことないわね……まだ垂水ノ樹海は続いているのかしら」
「たるみのじゅかいじゃないよ、だいにかいそうだよ」
「第二階層?」
「かいれいのすいりん」
 ワカバの言葉で思い出します。ここ、垂水ノ樹海はアーモロード世界樹の迷宮の「第一階層」と呼ばれており、迷宮の奥には第二階層第三階層第四階層第五階層と続いていることを。
 そして、数年前から第六階層は封鎖されていることを。
 行きつけの定食屋で聞いた話を思い出すと同時に、まだ見ぬ階層への興味も湧いてきたコキは。
「第二階層かあ……私たち二人だけで垂水ノ樹海の主を倒しちゃったし実力もついてるはずよね? 一回挑戦するだけしてみない?」
 まだ見ぬ高級な素材があるかもしれないし……とは言わずに提案しましたが、途端にワカバの手は止まり。
「やだ」
 と、返されてしまいました。
「ほわ?」
「あそこ、いきたくない」
 視線を落とし、何度も首を振って拒絶の意思表示。食べ物以外の物事はほとんど受け入れていた彼女が拒絶するのは珍しいことでした。
「行きたくないって、どうして?」
「いきたくない」
「“行きたくない”だけじゃわからないわよ?」
「いきたくない、いきたくない」
「……もしかして、理由が分からないの?」
 問いかけに頷いて答えました。
「わからない、いやだ、いやだからわからない、いやだからいきたくない、いきたくないいきたくない」
 何度も「行きたくない」と繰り返すワカバの目尻に涙を見つけ、面食らったコキは慌てて駆け寄りワカバの手を取って、
「わ、分かった分かったから!? 理由は分からないけど理解したわ!」
 そう言えば、彼女は顔を上げて首を傾げます。
「う?」
「行きたくないならそれでいいわ。今日はナルメルを解体して食料にしてキャンプ地点に戻りましょ? ね?」
「だいにかいそう、いくって、いわない?」
「言わない言わない」
「よかった」
 安心したのか笑顔になったワカバは目尻に溜まった涙を拭いました。
 コキが手を離すと解体作業に戻ります。どこか上機嫌に鼻歌まで歌って。
「……」
 楽しそうに作業を続ける横顔を見て、コキは思います。
 ワカバのことを、ワカバの口からひとつも聞いたことがないと。



 ナルメルを倒したその日の夜、垂水ノ樹海地下四階には雨が静かに降り注いでいました。
 本来は地下二階で野宿するハズでしたが、解体したナルメルを持って地下二階まで登ることは難しいと判断し、今日は地下四階の野営地で野宿することにしたのです。
 この野営地は地下二階の木々に囲まれた野営地とは異なり開けた場所です。部屋の西側には川が流れており、雨が振っていなければ清流の音を楽しめたことでしょう。
 なお、テントの外にはナルメルの死骸……もとい食べ終わった後の骨が転がっています。明日に片付ける予定です。
「すやすや」
 テントの中でワカバは熟睡中。たくさん暴れていっぱい食べて眠りにつく、生物の本能を享受した満足げな寝顔でした。
 その隣でコキは起きていました。

 考えてしまう。追手に見つかった時のことを。
 あの時は重傷を負うだけで済んだ。けれど次はないだろう。
 殺されることになっても仕方がない。掟を破ったシノビの末路として相応しいと思う。
 けどワカバは? 私がいなくなった後、この子はどうなる?
 また、ひとりぼっちで樹海に籠る暮らしに戻るのだろうか。
 私がこの子を必要としているようにこの子も私を必要としている。親のように思われているのかもしれない。
 親のような存在の命が奪われてしまえば心に大きな傷を負ってしまうのは当然だろう。
 一度、仲間を失ったことで心を壊したこの子にまた同じ傷を与えることになる。
 最悪の場合……。

「はぁ……」
 ここ最近は毎日のように思考を巡らせ同胞に見つかった時のことを考えてしまいます。
 思考を繰り返しても状況は変わりません、ため息を吐いても同じことです。
「いっそのこと、黙って姿を消すのは……」
 そう呟き、体を起こした時でした。
 熟睡しているワカバがコキの髪を握っていることに気付いたのは。
「…………」
 髪の先をほんの少しだけ、でもしっかりと握り締めている手は、何があっても絶対に離れたくないという彼女の意志を表しているようにも見えました。
 その姿があまりにも愛おしくて。
「やっぱり、ダメよねえ私は……見捨てるなんて最初からできっこないのは自分が一番分かっているのに」
 小さく独り言をぼやき、眠っている少女の頬をそっと撫でました。
 すると。
「……う」
 緑色の目が開かれ、小さな声が出てきました。
「ごめん、起こしちゃった?」
 コキの声に応えずにワカバも体を起こします。髪を掴んでいた手はいつの間には離されていました。
 そして周りを見てから首を傾げるのです。
「……うん? あれ?」
「どうしたの?」
「コキ」
「なあに?」
「おこってる?」
「なんで?」
 また突拍子もないことを言い始めました。こういったことはワカバと付き合っていく中で何度も経験したことがありますが、不意打ちというものはいつまで経っても慣れません。
 ワカバはコキを見据えて続けます。
「だいにかいそういくの、イヤだっていったこと、おこってる?」
「怒ってないけど? なんで私が怒ってるかもって思ったの? そんな素振りしてた?」
「コキがいきたいっていったのに、とめたから」
 視線を落とた顔は何かに怯えている子供のようでした。
 出会った頃にも見た覚えのある怯えた表情、出会う前に起こったであろう嫌な記憶を思い起こしているのでしょうか。
 何があったか問いたいところですがこの少女の心の傷を広げる真似はしたくありません。
 だから、コキはワカバの頭に手を乗せ、そっと撫でます。
「アナタが行きたくないなら私も行きたくないなって思っただけだから大丈夫よ。心配しなくても」
 優しく声をかけますがワカバの表情は晴れません。
「……」
「ワカバ?」
「つよくなりたいひととか、おかねかせぎたいひとはみんな、だいにかいそうに、いく、そっちのほうがまものもつよくていいそざいがいっぱいある、から」
「そうね」
「コキ、おかねほしいから、だいにかいそうにいきたい?」
 言葉が詰まりました。
 常日頃からキャンバスは金欠状態。ギルドマスターであるコキはギルドを維持するためにお金稼ぎに奔走していたのですが、その苦労をワカバも察してきたのかもしれません。
 金欠の原因がワカバ自身の膨大な食費であることに関しては気付いてない様子ですが。お金がない状況を案じ、気を遣っていることはすぐに理解できました。
 コキは少女の頭から手を離し、優しく語りかけます。
「確かにお金は必要だけど……安定して稼げているのはワカバの案内があってこそだし、魔物についても教えてくれるからよ? もしも第二階層に行ったら垂水ノ樹海と同じように、私に色々なアドバイスをしてくれるかしら?」
「むり」
 即答でした。想像通りの回答です。
「でしょ? じゃあ行かない方がいいわ。ただでさえギルド非推奨の二人パーティで探索しているんだから、他のパーティよりもリスクが大きい分稼ぎがなくなる可能性も高くなる。無理をして第二階層に行って大失敗をしてお金が稼げなかったら、冒険どころか生活もできなくなってしまうもの。危ない橋は渡らないほうがいいわ……って、意味わかる?」
「ちょっとだけ」
「よし。確かにお金は欲しいけど、ワカバのお陰で垂水ノ樹海で赤字ならない程度に稼げているんだから、第二階層に行く必要はないのよ」
 赤字にはなりませんが貯金は一切できないとは言いません。これはコキの意地です。
 ワカバは首を傾げます。言葉の意味が理解できないのではなく、疑問を持ったから。
「そう、なの?」
「そうよ。だから心配しなくていいの。今日はもう寝ましょ?」
「うん」
 遠慮がちではあるものの頷き、納得したことを体で表現してから横になりました。
 それを見届けてからコキも寝転がって、
「……ねえ、ワカバ」
 目を閉じる前に小さい声で語りかけました。
「う?」
「第二階層に行きたくない理由、分からないって言ってたでしょ? もしも……本当にもしもよ? その“わからないこと”が分かったら……教えて欲しいな」
「……」
「無理に思い出せとか言わない。でも、忘れていることなんて何かをきっかけに思い出せるかもしれないでしょ? その時でいいから、いつか教えてね?」
「…………うん」
 雨の音で消えてしまいそうなほど小さく返したワカバは、毛布の中に潜り込んでしまうのでした。
「ありがと。ワカバ」
 
 いつか別れる時が来るのにこの子のことを知りたいだなんて傲慢にもほどがある。
 でも、最期の一瞬まではこの子の一番の理解者になってあげたい。
 これが私にできる精一杯の恩返しだから。



 翌朝。一晩中降り注いでいた雨はすっかり上がり、本日の空模様は非常にご機嫌です。
 そんな中、ワカバ寝起きの第一声はこちら。
「トカゲたべたい」
 でした。
 彼女のいう「トカゲ」とは垂水ノ樹海に生息している魔物、もといFOE「貪欲な毒蜥蜴」に他なりません。
 ワカバが「食べたい」と言うのであれば食欲に付き合うのがコキの勤め。ナルメルの死骸を丁寧に処分してから地下二階に戻ります。
 地下二階を縄張りにしているこの魔物、基本的に決まったルートを徘徊しているところから縄張り意識は低く、自ら冒険者を襲う素振りを全く見せません。
 その為、樹海に潜ったばかりの新人冒険者から甘く見られがちで、喜び勇んで挑んで行った新人冒険者たちがこのトカゲに返り討ちに遭って全滅したりしなかったりする光景は、垂水ノ樹海の風物詩だったりします。
「トカゲのおにく、コキにもあげるね」
「はいはい。まずはキッチリ仕留めてからね」
「うん」
 緊張感のない会話の後、ワカバとコキはトカゲに向かって飛び込んで行きました。
 売られた喧嘩は臆せず買うトカゲ。敵意を持って接近してきた人間たちを睨み、戦闘体制に入ります。
 刹那、トカゲの右前足にクナイが数本刺さりますが気にする素振りもなく、自身の尻尾を振り回し、冒険者たちを蹴散らそうと攻撃を繰り出します。
「おっと」
 棘の生える尾のひとなぎを後ろに引いて回避したコキは、着地と同時にトカゲを睨みました。
「確かに当てたのに足の動きが止まってない、浅かったかしら……」
 独り言をこぼし、クナイを握り直しました。
 トカゲの目がコキを見た刹那、視覚外から飛び込んできたワカバがトカゲの頭を斬りつけます。ただし、切り口はやや浅く、トカゲの側頭部が少し斬られただけでした。
 不意打ちにも近い攻撃にトカゲは体制を崩しかけますが数歩下がるだけで終わります。
 その隙に着地したワカバはすぐにトカゲに向き直ると、このまま突っ込んで行くではありませんか。
 トカゲは口を大きく開け、正面から来るワカバに向かい牙を向けますが、ワカバは足に力を込めてブレーキをかけて勢いを殺し、寸前の所で大きな口が空虚を喰むのを見ました。
 そしてもう一度剣を振りますが危機を察知したトカゲは瞬時に首を引いてしまったため、剣の大振りは空気を斬って終わりました。
「おしい」
 少女は短くそれだけ言い、小さく息を吐くのでした。
 ウォリアーである彼女の一撃は強力ではあるものの武器が大柄かつ重量のあるものが多いため振るう際の隙が大きく、正面から挑んでまともに当たることは滅多にないのです。今の空振りの理由もこれ。
「ワカバ、こっちが動きを止めるまでもうちょっと待って」
「なんで、まつよりきったほうが、はやい」
 自分の意見だけ言い、すぐにトカゲに向かって突っ込んでしまいました。
 普段の言動は子供そのものだと言うのに、戦闘になれば怖気付くことなく勇敢に魔物に向かっていく姿はまるで猪。防御を気にせず正面から敵に突っ込んで行く彼女の戦い方に、コキは何度寿命が縮まりそうな思いをしたかわかりません。
 だからこそ魔物の足を止める必要があります。クナイに塗った即効性の神経毒がうまく回れば数分だけ足が動かなくなるから。
「次こそ……」
 小さく呟いた時でした。
 トカゲが、目の前のワカバを無視しコキに目を向けたのです。
「は」
 突然狙いを変えたかと思えば、四肢を激しく動かし突進してくるではありませんか。
 素早い動きに対応できなくなったワカバが急いで振り向く顔が見えると同時に、トカゲの牙が迫ってきて、
「おっと」
 これも後ろに飛んで回避。素早い魔物ではないため対処するのは非常に簡単です。俊敏さに特化したシノビにとっては。
 攻撃を外した魔物の隙を突き、もう一度足を狙えばいいと考え背の高い草の上に着地して、
 足が滑りました。
「はっ!?」
 動揺の声が漏れました。かなりの声量でした。
 この道はぬかるみなんてなかったはず。そもそもFOEに挑む際、不利な状況下で戦う馬鹿はいないのですから足場の良し悪しぐらいは判断していました。
 しかし現に滑り足元を掬われた。
 そして思い出しました。昨晩の雨を。
 雨水のせいでぬかるみの範囲が広がったのか草に隠れて見えない土が泥に変わったかは分かりませんが。
 一秒にも満たない時間の中で思考を巡らせている間にも、トカゲが牙の二撃目を繰り出そうと迫っているのが見えました。
「あ」
 足を滑らせ体勢を崩したままでは回避できるはずもなく、文字通り目と鼻の先に、大人の頭なら簡単に飲み込めそうなほど巨大な口と鋭い牙が見え、
 
 食われる。

 一瞬で「死」を悟った刹那、トカゲの側頭部に蹴りが入りました。
 ワカバでした。
 武器を持ったまま、見事な飛び蹴りを炸裂させたのです。
 ウォリアーの力を余すコトなく使われた強烈な蹴りはトカゲの頭蓋骨に確かなダメージを与え、横に軽く吹っ飛ばしました。
 トカゲの体が一瞬だけ宙に浮いたものの、倒れる直前に足に力を入れて地面の上を滑ることで勢いにブレーキをかけ、止まりました。簡単に倒れないのはFOEと呼ばれる強者由縁でしょうか。
 ただし、頭部へのダメージが深刻なのか脳震盪を起こしている様子で、うめき声を上げながら何度も頭を振っていました。
「よし」
 綺麗に両足をついて着地したワカバは大きく頷いて、
「コキ、だいじょうぶ……」
 すぐに振り向き、コキを見て固まりました。
 彼女は左の肩を抑えたまま倒れていたのですから。
「コキ!?」
「だ、大丈夫、かすっただけ……」
 傷口が熱く、視界がぼやけます。不安げな顔をしているであろうワカバがよく見えません。
 ワカバがトカゲを蹴り倒したお陰で頭から食いちぎられることはなかったものの、あの魔物の牙はかすかに肩の肉を裂いていました。
 傷は深くないというのに痛みが酷い。巨大な鳥のタックルをまともに喰らった時以来です。
「トカゲのキバ、どくある、かすってもあぶない」
 ――なるほど、いつも回避しているから気付かなかった。
 なんて喋ろうにも言葉が出てきません。口を開こうとすると言葉よりも別のモノが先に出てきそうですが。
「そ……れ、は……」
 心配するワカバをこれ以上不安にさせたくないと、なんとか喋ろうと口を動かし、肩を抑えたまま起きあがろうとして、
「ごぇぁ」
 起き上がった直後、血と一緒に腹の中にあった汚いモノまで吐き出してしまい、意識が保てなくなってしまったのでした。
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