魔族、思い出を掘り返される

 翌日。時刻は夕日が地平線に沈んで間もない夕食どき。
「チャーッス! お兄ちゃんでーっす!」
 ピオーネ冒険者ギルドに併設された酒場の一角に元気な声が響き渡りました。
 魔界の次期王でありヘヌンシアの兄であり超絶ブラコン男、カヌスの元気な声が。
「帰れ‼︎」
 同時に飛んできたのはフォークです。食事をする際に使われる食器の一つ、この酒場では金属製のモノを使用しています。
 なかなかの速度で飛んできたそれを、カヌスは目前で指の間に挟むようにキャッチしました。
「こらこら、フォークを投げないの」
「帰れ‼︎」
「今日の挨拶もなかなかデンジャラスだなぁヘヌンシア」
「帰れ‼︎」
「それしか語録ないん?」
 首を傾げる兄に対し、敵意剥き出しの弟が次はナイフを投げようと手を伸ばした刹那、
「やっほ〜カヌくん! 久しぶり〜!」
 ヘヌンシアの正面席にいるアヤノがカヌスに向けてにこやかな笑顔で手を振り始めたので、牽制を一時中止することにしました。
 一瞬だけヘヌンシアを見たアヤノの視線が「これ以上暴れるなら分かってんだろうな、お前」と語っているように見えてしまったからです。生存本能が動きました。
「元気そうで何よりだよ」
「父親の跡を継ぐ時が来たと聞いたぞ、いよいよじゃな」
 加えてアヤノの隣の席にいるミケリィも、ミケリィの正面席にいるヤトもフレンドリーな対応で、ヘヌンシアはいよいよ手も足も口も出せなくなってしまうのでした。
「まあな! やっと大腕振って家業を継げるってもんだよ〜」
 手を振りつつアヤノたちがいるテーブルまで近付いたカヌスは、隣の席の空いているイスを一台借りるとテーブルの空いている場所、アヤノとヘヌンシアの横に置いて座りました。
「あら、お誕生日席」
「なんそれ?」
 目を丸くさせたアヤノにストレートな疑問をぶつけた直後、ヘヌンシアの軽い蹴りがカヌスの椅子にヒットします。
「割り込んでくんなよ」
「いーじゃん、つーか今って晩御飯中……だよな? それ」
 フォークをテーブルに置きつつ「それ」と称したモノを指せば、答えてくれたのはアヤノです。
「そうだよ! カヌくんも食べる? 山盛り唐揚げシェア用サイズ! 唐揚げと言いつつ天ぷらも入ってる欲張りセットだよ!」
 テーブル中央に鎮座しているのは文字通り山盛りに積まれた唐揚げと天ぷらたち。
 その量は非常に多く、この中で一番身長と座高が高いカヌスがやや首を上げてようやく頂点が見えるほどでした。
 そして、アヤノたちのそれぞれ手元にあるのは取り皿。汚れや食べカスが一切付いてないところから察するに、まさに今から食事を始めるというタイミングだったことが伺えます。
「どひゃあ……こりゃあすごい。席に来る前から見えてはいたけど現物を近くで見ると圧倒されちゃうなあ」
 口をぽかんと開けてしまうカヌス。
 そんな彼に対して真っ先に説明を始めたのはミケリィです。
「今日の探索で食材になれそうな物が沢山手に入ったからね。このように収穫が豊富だった日はまとめて唐揚げや天ぷらにしているんだよ。食材が痛む前に一気に消費できるから」
 淡々と解説し終えたミケリィは彼の前に取り皿とフォークを置きました。
「どもども、ありがとねミケリィちゃん。食べていいっつーならありがたくもらうけど、これって本当に四人でシェアするサイズなの? 大喰らいオーク三人分とかじゃなくって?」
「四人分だよ。山盛りの唐揚げを四人分まとめて作ってしまうと必然的にこうなるのさ」
「君らそんな細っこい体のどこにこれが全部収まるの……?」
「たくさん食べられるんだから何だっていいじゃないか」
「え、あ。うん?」
 ミケリィの力説と唐揚げたちに圧倒されっぱなしで簡単な返答しかできません。
「……魔王になる男を料理だけで圧倒できるのは後にも先にもこいつらだけなんじゃろうな……ワシもそうかもしれんが……」
 なるべく周りに聞こえないように小さな声でぼやいたヤトでしたがカヌスはすぐさま彼を見ると、
「何か言ったかちびっ子?」
「何でもないわい。というかいい加減にワシのことを“ちびっ子”と呼ぶのはやめんか! これでもお主の五倍近くは長生きしておるんじゃぞワシは!」
「そっか〜長生きしてるんだな〜すごいな〜」
「まともに受け取る気がないなお主‼︎」
「んじゃまあミケリィちゃんとアヤノちゃんのご好意を受けて、おひとつ頂きまーす」
「聞かんか!」
 少年の怒声を軽く聞き流し、カヌスはフォークを使って天ぷらのひとつを刺すと、そのまま口の中に運びました。
 一口噛み締めた途端、目が輝き。
「んっ!? これウマッ! 衣はサクサクで中はプリプリ! でもちょっとドロっとしているところもあってなんかクリーミーな感じ!」
 絶賛すれば得意げに鼻を鳴らすのがミケリィです。
「おや、さっそく当たりを引いたようだね。これは私の自信作なんだ、調理法を研究した甲斐があったよ」
「アタリ⁉︎ やったぜ! ところでこれって何の唐揚げなんだ? 魚介類?」
「ローカストワーム」
 と、答えると同時に周囲の冒険者たちの血の気が引きましたが、この男は気付きません。
「え? なにそれ?」
 首を傾げる彼にヘヌンシアからの残酷な答え合わせが飛びます。
「簡単に訳すと芋虫」
「おぅうぇ⁉︎」
 とっさに口元を覆ったカヌスにアヤノは素早く水入りのコップを差し出してくれたので、彼はすぐに飲み始めました。飲み終わりました。
「び、びびった……びびった……なんつー爆弾を仕込んでるの君ら……?」
「でも、美味しかっただろう? 私の自信作は」
「うんっ!」
 嘘偽りはなかったので正直に答えればミケリィは満足げに頷いたのでした。
「ワシは好きじゃぞ、ローカストワームの天ぷら」
「全身衣に覆われている見た目だから虫を食べているって感覚がないのが強みだよね。アタシも好き〜」
「味はもちろん絶品ですからね。さすがミケリィさん」
「えっへん」
「あ、うん、よかったね、すごいねミケリィちゃん」
 軽く手を叩いて賞賛しつつ、アヤノに頼んで普通の唐揚げと天ぷらを選別してもらうことにしました。
「ごめんね、俺は君らと違って虫に耐性ないから」
「食えよ虫ぐらい、家業継ぐんだろうがお前は」
「いや〜これは家業と関係ないんだけどな〜? つーかヘヌンシア? 何食ってんの? これ、なに?」
 恐る恐るフォークで指す「これ」とはヘヌンシアの取り皿に盛られた唐揚げです。
 胴体らしき部位から伸びている足らしい長細い物体を見るに何を食べているのか予想はつきますが、どうしても現実が受け止めきれなかったので確認も兼ねて。
 そして、返答はもちろん想定通り。
「蜘蛛の唐揚げ」
「なんで!?」
 反射的に出てしまった言葉は非常にシンプルなものでした。
 直球に尋ねられたヘヌンシアは目つきを鋭くさせて兄を睨み、
「何でって何だよ。晩御飯を食ってるだけだろうが」
「どうしてダンジョンから脱出しても食生活は変わってないんだよぉ……?」
「美味い物の選出に余念がないだけだっつーの」
 淡々と答えつつ唐揚げにされた蜘蛛の足を食べる弟を、兄は何とも言えない気持ちで眺めるしかありませんでした。
「ダンジョンから脱出できたお陰で多くの調理法を試せるようになったからね。当時は食べることに勇気が必要だった蜘蛛の唐揚げも、何の抵抗もなく美味しく食べることができるんだよ」
 ミケリィが得意げに解説しても引き攣った笑顔を浮かべるしかできません。
「そ、そっかあ……」
「ところでカヌくん? 何か用事があって来たんじゃないの?」
 アヤノが話に割り込むように尋ねるとほんの一瞬だけ助かったと言わんばかりの笑顔を浮かべたカヌスは、一旦フォークをテーブルに置きました。
「そうそう! 実家の片付けをしてたんだけど、ヘヌンシアの部屋から見慣れないものが出て来ちゃったんだよな」
 テーブルの下に手を入れて、次の瞬間取り出したのは例の箱です。ガラクタが入っていた箱。
 「どこから出したんだ⁉︎」と、言いそびれてしまったアヤノたちが目を丸くする中、その箱をヘヌンシアの前に置きました。
「……」
 怪訝な顔をしたままのヘヌンシア、蜘蛛の唐揚げを食べる手を一旦止め箱の蓋を開けました。
 中に入っているのは石ころや紙やガラス玉や貝殻などと言った、直球な表現で表すとしたら「ガラクタ」で一蹴されてしまうような物ばかり。
 中身を見つめて黙ったままのヘヌンシアの前や横から、仲間たちが箱の中を覗き込みます。
「んえ? なにこれ? とっても既視感があるというか懐かしい感じがするね?」
「子供が集めていそうなガラクタばかりだ。どういった用途で使っていたのかな?」
「ほう? これがヘヌンシアの部屋にあったのか?」
 口々に疑問を投げかける先は箱の持ち主であるヘヌンシアですが彼は黙っているばかり。仲間たちが次第に首を傾げていきます。
 ということで、痺れを切らしたカヌスが答えるのです。
「そーそー! これが何かよくわからなくってさ! 部屋にあった物は捨てていいとか言われてたけど、中身の正体が気になるから持って来ちゃったワケよ」
「それを口実にして弟に会いに来ただけじゃろうが、お主は」
「まあね!」
 得意げに答えると、ヘヌンシアがようやく口を開きます。
「……はぁ」
 ただし、大きなため息を吐いて。カヌスに向かって。
「本当に心当たりがないのかよ、お前」
「え? ないけど、なんで?」
 何度も瞬きを繰り返し頭の中でこの箱についての記憶を何度も何度も底から掘り返しますが、やはり該当する項目は現れません。
 仲間たちも不思議そうに兄弟を眺める中、ヘヌンシアは箱の蓋を閉め、答えます。
「これの中身のガラクタは……昔、お前が俺にくれた物だよ」

 沈黙。

 酒場は相変わらず賑わっていて人々の声が止むことはありませんが、今、アヤノたち冒険者一行が囲むテーブルだけは、時が止まったような沈黙が流れ続け、非常に気まずい空気が漂います。
 兄弟のやり取りを眺めるだけだったアヤノたちもいつの間にかカヌスだけを見つめています。信じられないような、やや軽蔑した目つきで。
「……………………いま、なんつった?」
 完全に取り返しのつかない墓穴を掘ってしまったカヌス、顔だけでなく身体中のありとあらゆる箇所から汗が止まりません。
「だから、子供の頃に遊びの中でお前が俺にくれたガラクタだよ。俺のためにーとか一番綺麗なやつだったからーとか、何かと理由をつけてさ」
「……………………」
 本当に汗が止まりません。汗だけで服がずぶ濡れです。
 ヘヌンシアは頬杖をつくと、
「ま、忘れて当然だよな。百年以上前の出来事なんて覚えてるワケねーもんな。お前はもうすぐ父さんの後を継いで偉くなるし? 全ての責任を担う立場になるんだし? 過去のクッソ小せえ出来事なんて掃き捨てていって当然だよな、気にしてる暇もねえもんなそういうの」
 自嘲気味に笑って言い切ったのでした。しかもやや早口で。
「………………あの、ええっと、いやその……ま、マジボケしてたっ、つーか……」
「忘れててもいいけどな、気にしてないし。つーか俺もこれを出されるまで存在忘れてたし、お互い様だろ」
 と、箱を突き返しますが。
「いやいやいやいや、これはお前の物なんだからお前が持っておけって」
 突き返された箱をまた突き返します。
「いらねえしそれ、お前も俺も忘れてたような物なんだから処分してもいいだろ」
 突き返された箱をまた突き返し、
「いーや、追放されたっつっても過去の思い出まで捨てる必要はねえ! 楽しかった思い出なら尚更捨てるな! とっとけ!」
 突き返された箱をまた突き返し、
「いつも押し付けるようにあげてたクセに今更偉そうに言ってんじゃねえよ」
 突き返された箱をまた突き返し、
「実際偉い! だって偉いから! 俺だから! 家業継ぐから! とっとけってば!」
 突き返された箱をまた突き返し、
「まだ正式に継いでねえんだから違うだろ!」
 突き返された箱をまた突き返し、
「いーじゃん細かいことだし!」
 突き返された箱をまた突き返し、
「当事者が一番雑に扱ってどうすんだよ馬鹿!」
 突き返された箱をまた突き返し、
「馬鹿って言うなバーカ!」
 突き返された箱をまた突き返し、
「うるせえ‼︎ 馬鹿‼︎」
 突き返された箱をまた突き返し……ますが、次第に子供のような言い争いになりつつあり収拾がつかなくなりかけたところで、テーブルをばしんと叩く音、
「兄弟喧嘩ならよそでやらんか! 仲が良いのはわかったから公共の場で騒ぐでない‼︎」
 喧嘩を仲裁する親のような口ぶりで叱咤するのはヤトでしたが、すかさずヘヌンシアが睨み、
「仲良くありませんよ!」
 続いてカヌスが咄嗟に、
「仲いいもん!」
「どっちなんじゃ‼︎」
 二度目のテーブルを叩きつける音が響けば、とうとうアヤノが口を開きます。
「まあまあみんな落ち着いて。ヘヌくん、カヌくんが忙しい合間を縫って持ってきてくれたんだし、受け取っておくだけいいんじゃないかな? ね?」
 優しく諭されればヘヌンシアは一旦アヤノを見つめた後、小さくため息をついてから突き返された箱を渋々受け取り、自身の取り皿の横に置いたのでした。
 受け取ってくれたのは良いもののカヌスの心境は非常に複雑。ため息をつけば呆れ顔。
「ほんっっっっとうにアヤノちゃんの言うことだけは素直に聞くよな」
「当たり前だろ。アヤノさんの顔に免じて受けっといておいてやるけど、後のことについてはとやかく言うなよな」
「後のことって?」
 疑問に答えたのはキノコの唐揚げを頬張るミケリィです。
「もぐ、カヌスが帰った後に箱をしれっと処分しても文句を言うなってことだね、もぐ」
「はい」
「どぉぇ⁉︎」
「受け取ってもらっただけ有り難く思え」
 更にはとても冷たくて上から目線感がたっぷりの言葉も付け加えられたので、カヌスは思わず席を立って弟を指します。
「アヤノちゃんが何も言わなかったら絶対に受け取ってないじゃんお前! なんなのお前⁉︎」
「うるせえ帰れ、食事の邪魔」
「辛辣ぅ……」
 どこまで行ってもミリ単位で変わらない態度。これには兄もがっくりと肩を落とし、もう一度椅子に腰を下ろすのでした。
 アヤノが無言で彼の肩を叩く中、キノコの唐揚げを食べる手を止めたミケリィがカヌスを見据えます。
「いいのかい? もうすぐ実家の仕事を本格的に継ぐのにヘヌンシアはいつまでもこのままで」
 表情ひとつ変えずに尋ねると、カヌスは小さく息を吐いてから答えます。
「いいよ。こっちの方が安心するもん」
 どこかホッとしたような安堵の表情を浮かべて。
「どれだけ俺の地位がデカくなっても身内は身内らしく接してくれる方がいいんだよ。ずっと偉い立場っつーのに立ち続けているのもしんどいから落ち着いて腰を下ろせる場所を少しでも作っておかないと。いくら俺が強くてカッコよくて逞しい魔族の男でも、疲れちまうよ」
「そうかい」
「こっちに来て、ヘヌンシアだけじゃなくてミケリィちゃんたちと接している時だけは“魔界の偉いカヌス様”じゃなくて“ヘヌンシアのお兄ちゃんのカヌス”になれるだろ? こーゆー時間を大切にしていきたいんだ俺はさ。今までも、これからも」
「なるほど……ところでキノコの唐揚げ食べる?」
「いらない。つーか俺たちの家業のこと知ってても謙りもせずにフツーに接してくれるのって後にも先にも君らぐらいよ?」
 というカヌスの疑問に対し、
「だってカヌくんは魔族の偉い人ってよりもヘヌくんのお兄ちゃんって印象の方が強いもん」
 アヤノは笑顔で答え、
「実際、ヘヌンシアの兄じゃしのうお主は」
 ヤトは呆れ顔で答え、
「魔族じゃない私たち一般人にとって君は謙る対象にならないよ」
 ミケリィは表情を変えずに答え、カヌスに差し出すはずだったキノコの唐揚げを口に運びました。
「…………」
 なお、ヘヌンシアは終始無言でした。
「すっげえな君ら」
 知性も品性もない淡々とした感想を述べたカヌス、さっさと肉の唐揚げを食べ終えてから席から立ち上がります。
「ごちそうさん。美味しかったぜミケリィちゃん」
「もういいのかい?」
「君らが採ってきた獲物を必要以上に横取りする気もないからな。少し分けてもらっただけで十分だよ」
「そうか……なら、次に来る時はアポを取っておくれよ。カヌスの分の食事も準備しておくからさ」
「お気遣いありがとうねミケリィちゃん、でも虫の唐揚げの騙し討ちはナシでお願いな?」
「わかった。カヌスは虫は駄目……と」
 真剣な顔でメモを取り始めたミケリィに言葉をかけようとしましたが……止めて「まあ、いっか」と小さく呟くのでした。
「カヌくんもう帰っちゃうの? もっとゆっくりしていけばいいのに」
「お言葉に甘えたいのは山々だけど今夜は引っ越しのついでに迎えに行くことになってるからな、俺がいないんじゃ話にならねえもん」
 へらへらと笑うカヌスですがアヤノは彼の言葉に全くピンときません。
 首を傾げ、目を丸くして、尋ねます。
「迎えに? 引越し? 誰を?」
 そして次の瞬間、カヌスの口から短く的確な返答が返ってくるのです。
「嫁だよ」

 嫁。

 ヨメ。

 YOME。

 よめ。

「嫁ぇぇぇえええぇえぇ⁉︎」
 驚愕。今のヘヌンシアを表す言葉の中にこの二文字以上にふさわしい言葉が果たしてあるでしょうか。
 絶叫の後に兄を見上げて固まってしまったヘヌンシアを気にせず、同席している仲間たちから驚愕の声がど飛び交います。
「はぁ⁉︎ 結婚するのか⁉︎ お主⁉︎」
「それはそれはおめでとう⁉︎ でもどうしてこのタイミングなんだい⁉︎」
「だっ、誰⁉︎ 誰なのその人⁉︎ アタシの知ってる人⁉︎ というか魔族⁉︎」
 唾が飛びそうな勢いの質問攻めにカヌスは嫌な顔ひとつしません。「どうどう」と軽く嗜めた後にちゃんと答えてくれるのです。
「誰ってゆーと流刑されたヘヌンシアを見つけてくれた千里眼が得意なツレだよ。家業を継ぐにあたって嫁を迎えないといけなくて、見合い話が死ぬほどきて飽き飽きしてた時に“私でよくない?”って言われたからおっけーした!」
 丁寧に説明した後に爽やかな笑みを浮かべてくれました。周囲から小さく拍手する音が聞こえたので手を振って応えるのも忘れません。
「か、軽いのう……いいのか、責任ある立場に就くものがそんな簡単で……」
「本人も分かった上で立候補したからな、覚悟があるから受け入れたよ。そもそも俺はアイツのこと結構好きだし、おまけに恩人だもん」
 いつも通り軽々しく答えるカヌスの顔には後悔も不満もありません。これから先、未来のことが楽しみで仕方のない子供のような表情でした。
 それを見たアヤノはどこかホッとしたように微笑んで、
「よかったね。おめでとうカヌくん」
「ありがとねアヤノちゃん。後にも先にも勇者に祝ってもらえることは二度とないと思うよ」
「元勇者だからそこは間違えないでね?」
「へいサーセン」
「そうだ! ちゃんとしたお祝いもしなくちゃ! 魔族って婚約祝いに何を贈ったらいい? どういうのがポピュラーなの?」
「なんでもいいと思うけどなー? あ、じゃあこっちの世界の美味いものがいい。味も見た目も良いやつで頼むわ」
「おっけー」
 右手親指を立てたアヤノはゲテモノを出させないという防衛戦を貼られたことに気がついているのでしょうか。
「……」
 黙って話を聞いているヤトは気づいている様子ですが。
「じゃあな。また落ち着いた頃に改めて遊びにくるよ。今度はユーワンを通じてアポ取ってからな」
 カヌスはヘヌンシアの頭をぽんぽんと軽く撫でてからアヤノたちに背を向けます。
「じゃあねカヌくん!」
「お幸せに」
「嫁に迷惑をかけてはならんぞ」
 小さく手を振りつつ口々に別れを告げるアヤノたちに背を向けたまま手を振り、酒場を後にするのでした。
「…………」
 そして、ヘヌンシアは黙ったままでした。
「いいのか、カヌスにおめでとうぐらい言っておかなくても」
「…………」
 ヤトが声をかけても一言も発しません。食事をする手も完全に止まっています。
 ここまで反応が無いのも珍しいため、ヤトはヘヌンシアの肩を叩きますがリアクションひとつ無く。
「お、おい? どうした?」
 目の前で手を振っても瞳は微動だにしません。
 首を傾げるヤトに向けて言葉を発したのはアヤノでした。
「ヤトちゃん。ヘヌくんは今ね、それどころじゃないの」
「は?」
 キョトンとするヤトに対して話を続けるのはミケリィで、
「長年ずっと自分の兄だった男が、突然ひとりの女性の夫になってしまったんだ。もうカヌスはヘヌンシアの兄ではない、彼だけの兄ではない、例のツレさんの男になってしまったんだ。その衝撃は私たちには到底理解できるものではないんだよ」
「ヘヌくんだって心の片隅でいつかこんな日が来るんだって覚悟していたはずだよ。でもその“運命の日”っていうのが突然やってきて、頭の中が大パニックになっちゃんたんだ。受け入れないといけないけど受け入れらない事実ってやつ。その状況から考えると、ヘヌくんの今の感情は“おめでとう”とか“嬉しい”じゃなくって“寂しい”なんだよ」
「ほう!」
 当人に変わって丁寧に解説した二人の言葉にヤトは納得して腕を組み、
「なるほど、なるほどのう……ワシはきょうだいとか育ての親とかがおらんかったからイマイチピンとこなかったわい」
 何度も大きく頷いていると、正気に戻ったヘヌンシアが口を開きます。
「べ、べべっ、別に寂しくなんてない、ですよ? 家業継ぐなら跡取りが必要ですし? 跡取りを作るなら娶らないといけないことぐらい分かりきってたこと、ですし? 驚くとかそんな、寂しいなんてもっての、ほか、で」
 顔は強張り言葉の節々は震えていて、誰がどう見ても動揺している様でした。
「己の感情が全く隠せてないよ」
「一番驚き、動揺しているのは紛れもなくお主じゃろうて」
「寂しいなら寂しいって言ってもいいんだよ? アタシたちは笑ったりしないから」
「べつに……」
 短く答え、手元にあった水入りコップを掴むと一気に飲み切ってしまい、そのままテーブルの上に叩きつけたのでした。
 顔を見合わせやれやれとため息をつくヤトとミケリィ。相変わらず、実の兄に対して素直になれない彼にはほとほと呆れた様子です。
 二人とは違いアヤノは手を顎に当てて少しの間シンキングタイム。
「……そっか。じゃあ、そうだなあ」
 小さくぼやいてから席を立ち、酒場のカウンター席へと行ってしまいました。
 残された三人がポカンとしている中、彼女はすぐに戻ってきます。
 その手に酒のボトルを抱えて。
「今日は腹を割って語り合おっか!」



 それから数十分という短い時間が流れ……。
「なんでアイツは俺に黙ったまま婚約まで進めてんだよ〜おかしいだろうがまじでさぁ〜いつもいつも自分で勝手に決めやがってさぁ〜いい加減にしろよって感じでさあ〜‼︎」
 酒の入ったジョッキを何度もテーブルに叩きつけて本音を吐露するヘヌンシアの姿がそこにありました。
「私が作った唐揚げを肴に少しでも寂しさを紛らわせると良いよ」
 ミケリィが慰めるように言えば、ヘヌンシアは答えるまでもなく山が半分以下にまで減った唐揚げをフォークで刺して口に運び、すぐ酒で流し込んで乱暴に腹の中に収めます。
 ジョッキの酒を半分ほど飲み干したところで口を離し、テーブルに叩きつけるように置けば、
「俺が極刑で追放されることを逆手に取って勝手に出て行ったことに対する意趣返しのつもりなのかよマジでさぁ〜‼︎ あーマジでムカつくぅぅぅぅぅぅぅぅ‼︎」
 叫びながらフォークを持ったままの拳で何度もテーブルを殴ります。悔しさを少しでも紛らわせるための衝動的な行動ですが悔しさは消えませんし手は痛いし騒音しか残らないという意味のない結果に終わります。
 明らかな迷惑行為ですが、彼の正面席にいるヤトは珍しく怒鳴らずに優しく諭します。
「腹が立つのは分かったから何度もテーブルを叩くでない。そもそもカヌスのことじゃから何も考えておらんじゃろ、報告しないといけないから言ったというだけで」
「わかってんだよこっちはそんなことぐらいよぉ‼︎ 生まれた時からおおよそ百八十年間ぐらいアイツの弟やってんだぞ! 経験してきた量と理解度が違ってんだ‼︎ 経験浅い奴が勝手な口を挟むな聞くな変な解釈するな‼︎ アイツに浅い解釈するな‼︎」
「お、おう……」
 千年以上生きてきた元神様が引くほどの形相で怒鳴られてしまい言い返す気力を失ってしまうのでした。
 と、次の瞬間には、
「ヘヌくん可哀想! 全部終わった後に知らされて可哀想! とっても可愛い可哀想!」
 頬を赤く染めたアヤノに頭から抱きしめられました。胸元にすっぽりイン。冒険者たちがっつりルック。
 今のアヤノはいつもと少し違います。コップ一杯だけなら酒を飲んでも良いとヤトに許しを得たほろ酔い状態。ヤトと席替えをしたのは「一緒にお酒を飲むから隣の席がいい!」と言い出したからですね。
 いつもと少し違うアヤノは可愛いと可哀想を交互に連呼しながらヘヌンシアの頭を撫でます、髪が乱れても気にせず撫でまくります。「羨ましい……」とぼやいたミケリィの小声をヤトは聞き漏らしませんでした。
「アヤノさあん……俺、なんかすっげえ悔しいんですう……」
 もはや周りに自慢する余裕もないのか涙声で訴えます。ただし胸の柔らかさは堪能しています、言わないだけで。
「大好きなお兄ちゃんを知らない女に取られたら誰だって悔しいよ! 自分だけのものが知らない間に横取りされたようなものだもん! 悔しくって当然だよ! 正当で当たり前な悔しさだから不思議じゃない! 悔しがってても悪くない! ない!」
 後半から意味がわからなくなるような内容ですが泥酔状態のヘヌンシアには響いたようで、
「嫁ができても俺の一番はお前だって言ってたクセにー! 嘘つかれたああああああ‼︎」
「カヌくんひっどい! ヘヌくん可哀想! 今度会った時に文句言っておくね! 正当な文句だから!」
 アヤノの胸の中で号泣する彼の頭を何度も撫で、酒場には号泣する男の声が響き渡るのでした。
 さて、目前の二人がすっかり二人だけの世界に入り込んでしまったため、騒動の外に追い出され客観的な視線でしか見ることができなくなってしまったミケリィは。
「いつ見ても彼の泣き上戸はすごいね。とても私は真似できないしやろうと思ってもできるものではないね、アルコールはこうも人の性格を変貌させてしまって……」
「お主も大概じゃぞ、ミケリィ」
「え」
 ミケリィ、ヤトを二度見。ただし答えは返ってきません。
「ヘヌくん可愛いよしよし……あっ、お酒なくなっちゃった! ヤトちゃーんもう一杯……」
「コップ一杯だけだと約束したはずじゃが?」
 それだけ言って睨みを効かせればアヤノはみるみる悲しそうな顔になっていき。
「えーん! ヤトちゃんがいじめる! いじめる!」
「いじめとらんわ! コップ一杯だけでもいいと同意したのはお主じゃろうが! 自分の言葉には責任を持たんか!」
「みー!」
 当然のように逆鱗に触れてしまったので、アヤノはヘヌンシアから離れると机に伏せてしまうのでした。
「あうぅ……ひどい」
「ワガママを言うからじゃ。反省せい」
 ぴしゃりと言い切ったヤトは呆れながらも唐揚げを口に運びました。ローカストワームの唐揚げを。
「可哀想にアヤノさん……お酒は無理ですからせめて、せめてこのシカバネウオの唐揚げをどうぞ……食べさせてあげますから……」
「ありがと……おいしい……じゃあお礼にお酌してあげるね、何杯飲む?」
「いっぱい」
 なんて会話を皮切りにすぐにいつもの調子に戻ってしまう二人を見て、ヤトは大きくため息を吐くしかできません。数々の経験から酔っ払いに何を言っても無駄だと理解しているので。
 すると、ミケリィが唐突に右手を上げます。
「とってもとっても羨ましいポジションにいるヘヌンシアに質問があるんだけど」
「なんですかあ?」
「カヌスが持ってきてくれた箱はどうするんだい? 明日は燃えるゴミの日だし、不要なら廃棄しておくけど」
「はあ!? そんなのダメに決まってるじゃないですか!?」
 すぐさまミケリィに向き直った彼は傍に置きっぱなしだった箱を叩きながら叫び、酔っ払って目が据わってない状態のまま続けます。
「いくら血も涙もない魔族の俺でも持ってきてもらった物を無碍に扱うなんてしませんよぉ! 一応は兄さんとの思い出の品ですしちゃんと取っておきますぅ〜だから勝手に捨てたりしないでくださいね! 絶対ですよ!」
「うんわかった」
 即座に返事をしたミケリィはニコニコしながら言いました。ヤトも釣られて微笑ましい気持ちで眺めるのでした。
「カヌくんが聞いたら嬉しくって卒倒寸前になるけど倒れないように踏ん張ったら勢い余って町を半壊させちゃいそうなセリフだね〜」
「アヤノさんまでアイツのことを勝手に言わないでくださいよぉ〜……」
「言わない言わない。酔っちゃうと素直になってブラコン全開になってるヘヌくんっていっちばん可愛いなぁ〜」
 ヘヌンシアの頭を撫でつつ微笑むアヤノの目はどこか怪しくギラギラと光り息もやや荒い。とても愛しい物を愛でている様子ではありません。
 どう見ても酔っているだけの現象ではありませんね。ヤトは冷ややかに言い放ちます。
「お主のその性壁は周囲に露見させるものではないぞ」
 ただしアヤノにもヘヌンシアの耳にも届かないものとします。
「ギャップ萌え……なんだろうか、私も普段と異なる言動をすればアヤノにもっともっと可愛がってもらえるということかな? しかしヤトが成長した時は微妙な反応だったからそれも一概には言えない……? いや、待てよ、もしかすると」
「お主はアホなことを真面目に考察するな」



 当然と言えば当然ですが、翌日のヘヌンシアは二日酔いで寝込んだそうな。


2023.5.21
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