神様、大きくなる
翌日。
今日も朝早くから冒険者ギルドに赴いていたアヤノたち冒険者一行は、一日の最初に何もよりも大切にしなければならない「朝食」を摂るため、ギルドに併設されている酒場(施設名的には食堂と名乗っているが酒も提供しているため皆は酒場と呼びがち)に来ていました。
今日もヤトが先に食べ終わり「依頼を見てくる」と言い残して先に酒場から出ているため、アヤノ、ミケリィ、ヘヌンシアの三人だけで朝食を摂っています。
そんな中で、
「……」
色が黄色いスクランブルエッグを食べる手を止め、アヤノは正面にいるヘヌンシアをじっと見つめていました。
無言の圧に気付いたヘヌンシアは本物の目玉が使われている目玉焼きを食べる手を止めます。
「どうかしましたか?」
「あのねヘヌくん、ほっぺたの絆創膏ってどうしたの? 昨日アタシたちが帰ってきた時から貼ってるよね?」
と、彼の頬に張り付く大きめの絆創膏を指して尋ねると、アヤノの横で黙ってキノコソテーを食べるミケリィが何度も頷きました。
ヘヌンシアは気まずそうに目を逸らし絆創膏をさすりながら、
「……特殊な根性焼きをされまして……」
そう答えました。そう答えるしかありませんでした。
「?」
ミケリィは首を傾げたまま薄く切られたキノコを頬張るだけですが、アヤノは、
「悪い人に絡まれちゃったの? 可哀想なヘヌくん……」
「アヤノさん……ご心配をお掛けてしてすみま」
「じゃあ報復しよっか! やられっぱなしだとナメられちゃうだろうし!」
相手の言葉を遮り普段通りの明るい口調で言いますが、その目が怪しくギラついているのをヘヌンシアとミケリィは見逃しません。自由業だった父親の影響が色濃く出ていますね。
アヤノはテーブルにフォークを置くと背中に右手をそっと回し、
「解決したので大丈夫です。だから物騒な獲物を出そうとしないでください」
冷静な制止によりアヤノは再びフォークを持ちました。
普段は長い髪に隠れて見えませんが彼女の腰には短刀が仕込まれています。封印の地からピオーネに戻った後に武器職人に無理を言って作ってもらった代物で、主に人間が相手の有事に際にとても役に立つとアヤノ談。本当に役に立つから困ると仲間談。
なお鍔のないこの短刀はアヤノが元いた世界では「ドス」と呼ばれているようです。長いと「長ドス」と呼ぶとか。
「にしても、ヤトちゃん遅くない?」
普通のスクランブルエッグを食べ終えたアヤノがぽつりとぼやいてから、ミケリィも顔を上げます。
「決めかねているんじゃないかな、様子を見に行こうよ」
キノコソテーを完食したミケリィが同意し、
「ですね」
頷いたヘヌンシアが言い終わると同時に目玉焼きを食べ切りました。
「ごちそうさまでした」
朝食を終えた全員が席を立とうとした時、
「あのぉ……そこの三人組の冒険者さんたち……」
気の弱そうな声は明らかに三人に向けられていて、全員がそちらに目を向けます。
視線の先にいたのは二人組の冒険者らしき男たちで青髪の男と茶髪の男。声をかけてきたのは茶髪の男のようでした。
「えっと、何の用?」
率先してアヤノが尋ねれば青髪の男が答えます。
「僕たちは最近、冒険者になったばかりの新参者でして」
新参者と聞いた途端に三人の眉がぴくりと動き、
「あら、地獄へようこそ新人さん、アタシたちは歓迎するよ、一応ね」
「命知らずな人たちだね。その度胸だけは賞賛しようじゃないか」
「後悔しない程度にですけどね」
拒絶もせず無碍にもせず馬鹿にもしません。歓迎する素振りと言葉はありますが目は一切笑っておらず、二人組の冒険者の背筋に冷たいモノが走り抜けました。
「ひえ……」
「ひ……ああ、えっと、僕たちその、先輩冒険者さんと一緒にクエストに行ってもらいたいと思ってまして」
青髪の冒険者が言い切ると三人は納得したように頷きました。
最初に口を開いたのはミケリィでして、
「なるほど。冒険者として右も左も分からないから先輩冒険者に同行してもらって、現地の動き方を伝授してもらおうってことか……私たちにも経験があるからね、わかるよ」
新人冒険者たちは嬉しそうに「そうなんですよ!」と同時に答えますが、
「まずは食べられる魔物と食べられない魔物の区別の方法から始めよう。魔物はなんでも食べられると思いがちだけど肉や内臓に毒を含んでいる魔物もいるから、熱を加えればいいかと適当に焼いて食べてしまえば間違いなく消化器官をやられる、最悪の場合は脳に後遺症が」
「いやそういうのはいい」
淡々と拒否した青髪の冒険者。持論を止められたミケリィが信じられないような顔で見上げますが無視。
しかし、とっさに声を上げるのはアヤノとヘヌンシアでして。
「いやいや、ミケちゃんの話は一から十まで全部聞いておいた方がいいよ、新人さん」
「万が一、どこかで遭難して水も食料もなくなってしまい、その辺りに生えている枯れ草や石の下に生息している虫や羽化寸前の卵や死体に集っている虫やその辺りに転がっている岩塩や抉り取った魔物の目玉とか舌やゴーレムの燃料を食べて飢えを凌がないといけない時が来るかもしれないんですからね。覚えておいて損はありませんし知識があるとないのとでは大違いですよ」
「最終手段として魔物の死体にかぶりつくことも視野に入れないといけないんだよ? わかってるのかな?」
「アンタらどんな冒険してきたんですか!? ぼくの知ってる冒険と違う!?」
茶髪の男、絶叫。
彼らは新入り故に知らないのでしょうが、彼女たちは封印の地で長期サバイバルの末に生還した冒険者です。冒険に対するスタンスと面構えが違います。
「そ、それはクエストに行った時にじっくり聞きます! とにかくこれを一緒に行ってもらいたくて!」
強引に話を戻した青髪の男はアヤノに依頼文を突き出しました。
アヤノはそれを受け取り、内容を確認。
「へえ、報酬がなかなか高額で……ドラゴンの討伐か撃退!?」
驚きのあまり叫んでしまえばミケリィとヘヌンシアが同時にアヤノを見て、次に青髪の男を見ます。信じられないものを見る目つきで。
「君たち、本当にこれを受けるのかい? 受付が初心者にこれを通すとは思えないけど?」
「絶対死にますよこれ。俺たちでも生存できるかわからないレベルですけど」
「えっと……」
言葉に詰まった青髪の男に変わって答えたのは茶髪の男でした。
「いやっその、他の人と合同で行くから大丈夫だってゴリ押ししたんです……」
そう弁明するものの二人の呆れ果てるような表情は消えません。言葉すら失うレベルです。
「ぼくたちも見栄を張って無理にこんな依頼を受けてしまったんです! な、なのでお願いします! 協力してくださいませんか! 報酬は山分けで構いませんので!」
茶髪の男は頭を下げて懇願しました。もう必死に、これを逃したら次はないと言わんばかりに。
しかし、
「どう考えてもこの依頼だとアナタたちはお荷物で邪魔。いらないレベル」
アヤノは男たちを見ることもなく淡々と言い切り、依頼文をテーブルの上に置きました。
「こんな高難易度レベルのクエストを見栄を張ってまで受けて、アナタたちは何がしたいの? 誰かに助けてもらいつつもクエストを完遂して自分達の功績にしたいってだけ? キャリーされたいってこと?」
「きゃ、きゃり……? え、いや、ちっ違いますよ……僕たちはそんな下心はなく、純粋に助けて欲しいなって思っただけで……」
「ふ〜ん……そっか」
青髪の男にアヤノは冷たく言い放ち、続けます。
「あるいは……ギルドで何かと噂の冒険者と関係を築いておきたい下心があるとか? 結果は二の次でわざと窮地に陥るような真似をしてさ? 吊り橋効果とか……狙ってたり?」
青髪の男の肩がびくりと震え、ミケリィとヘヌンシアの軽蔑の眼差しが止まりません。
「な、なんでそんなことを言われなくちゃいけないんだよ……僕たちは本気で、困って……」
「本当に困っているなら受付の人に“すみませんやっぱりパーティーメンバーが集まらなかったです”って謝ってクエスト破棄すればいいでしょ? クエストを受注して半日以内であればキャンセル可能ってルール、初心者だからって言っても知らないワケないじゃん。プライドが邪魔してキャンセルしたくないって言うならどうしようもないけどね」
「……」
「そ、そっ、そこまで言わなくても……」
怯えつつも茶髪の男が制止にかかりますがアヤノは止まりません。ニッコリ微笑んで、
「アタシだって意地悪したくて言ってる訳じゃないんだよ? 人間関係は穏便かつ平穏に築いていきたいんだもん。ただね、アナタたち二人からは本気で困ってるって感じがしないんだ、初心者ていう免罪符を振りかざして自分だけが得をしてやろうって下心がすっごい見える」
「そんなことは……」
「じゃあどうしてここに入ってきた時にこっちに真っ直ぐ向かって来ていたのかな?」
「えっ」
「クエストを手伝って欲しいって目的があるなら酒場を見渡したり歩き回ったり誰かに声をかけたりまくったり色々して人を集めようとするものじゃない? でもアナタたちは迷うことなくアタシたちの元に来た。それってつまり予めターゲットを決めてたってことじゃないかな? クエスト云々は二の次、目的はアタシたちってことで」
「……」
茶髪の男まで黙り込んでしまい、新人冒険者二人組は完全に沈黙してしまいました。
「うーわー、わっかりやっす……そういう目的で冒険者名乗ってるんですか? 本当に嫌な奴らですね」
軽蔑すると同時に相手を小馬鹿するようニヤリと笑うヘヌンシア。アヤノの勝利を確信した笑みです。
更にミケリィ、表情に変化はありませんが大きく頷きまして、
「最初から私たち狙いだったってことか。よく気付いたね、アヤノ」
「身一つでここに放り出されてからなるべく周囲を見るように習慣付けてただけだよ〜大したことないない!」
照れもせずに言い切った彼女。十八番である「相手の思考もある程度読めてしまう鋭い観察眼」は父親から教わった特技であり切り札。それを知っているのは仲間たちだけです。
話が終わったところでアヤノだけでなくヘヌンシアとミケリィも席から立ち上がり、
「そろそろギルドに行こうか。ヤトちゃんが待ってるし」
ギルド方面へ移動しようとした時でした。
「待てよ! おい!」
突然、青髪の男がその場で叫び始め、アヤノたちは足を止めます。
「なんだよお前! 人が下手に出てたら偉そうな口でグチグチ言いやがって! 俺らがいつお前ら目的で来たって言うんだよ! 全部お前の妄想だろうが! 妄想で人を辱めて楽しいとでも思ってんおかよ! お前らの方が嫌な冒険者だな!」
嫌な言葉を使われたから同じ言葉で返すというほとんど……いえ、かなり子供じみた反論が飛び出し、ミケリィはため息を吐いてヘヌンシアは呆れ顔。互いに目配せしてどうしようかと無言の相談を始めます。
二人が結論を出す前にアヤノは振り返り、さっきと同じ口調と声色で言葉を返します。
「妄想だって言うのは否定しない。でも、ちょっと話すだけでこれだけ疑念が出てきた相手をハイソウデスカって信じられると思う? 難しいクエストに協力してほしいならそれ相応の弁明をしてアタシたちに信頼されないといけないじゃん、信頼できない相手に背中を預けたくないんだから」
「は? 美人で可愛いからチヤホヤされてて更には高望みってか? ちったあ力のない冒険者に貢献ぐらいしてもいってもんだろうが! それで初心者にも優しくするっつーことでお前らの評判も上がるんだしよ!」
――こんなのとつるんでたら評判が落ちると思うけど。うん。
アヤノたちだけでなく、怒声に釣られて様子を見ていた冒険者たち全員が思ったことです。
さて、こういった言いがかりや難癖を付けるような人格に問題がある人間を摘み出すことぐらい、歴戦の冒険者であれば赤子の手を捻り潰すよりも簡単なことですが、彼らがそれをしないのは笑顔を浮かべたままのアヤノの右手がゆっくりと腰の位置に回されているからでして。
この女がブチギレて災厄のごとく暴れて青髪の男を泣かすことになるであろうショーを特等席から観戦できると分かれば「こんな面白いモノを見逃してたまるか!」という好奇心が優先されてしまうのが冒険者の生き様であり、常人には理解できない性。
ヘヌンシアとミケリィは黙って三歩下がります。心の中で「初心者なのに可哀想だな……まあ、自業自得だもんな……」と他人事のように思いながら……。
「やめなさい」
凛とした声が響くと同時に、ひとりの青年がアヤノと青髪の男の間に現れました。
すらりとした高い身長に似合う長い白髪と綺麗な水色の瞳を持ち、赤いジャケットに白い長ズボンを履いた身なりからして冒険者のようですね。歳は二十代中頃でしょうか。
「なっ……」
呆気に取られた青髪の男が言葉を失っている間に、青年は口を開きます。
「逆上したところでこの問題が解決するワケがないでしょう? 貴方の行為は彼女たちを不快な気分にさせるだけの迷惑行為でしかありませんよ」
「え、な、おっ、お前には関係」
「ありますよ。さっきから大騒ぎしていて周りの迷惑です。そこの貴女も有事の際になると武器を出して暴力的に解決しようとするのはやめなさい。例え相手がどれだけ理不尽で思考が奇天烈でもね」
「どきり」
口で言ってしまったアヤノ。慌てて右手をドスの柄から離してバツが悪そうな顔を浮かべます。少しだけ悔しそうに。
見ず知らずの青年の仲裁により騒ぎが収まる兆しが見えてしまい、周囲の冒険者たちからため息と安堵の息が同時に溢れれば青年は呆れ顔。
「やれやれ……冒険者というのはどうしてこうも……」
「てめえ……」
青髪の男が青年を睨んだ直後、
「ねえ……」
ずっと泣きそうだった茶髪の男が彼の腕を掴みました。
「もう、やめなよ……」
「へ、相棒?」
「もうやめなよ! 昨日、喫茶店で見かけた彼女がすごく可愛くってお近づきになりたいからって吊り橋効果目当てで強引な手段で近付こうとするのは! ドラゴン討伐依頼をやんわり却下された後に“じゃあ依頼選びのコツを教えてもらっていいですか?”って感じで別の依頼を受けて優しく手解きしてもらって従順な後輩を演じておけば最終的に口説き落せるとか底が浅すぎて見てられないんだよ! ただでさえ浅はかな計画なのに素直に口に出すのはカッコ悪いとか強がったせいで最悪な印象をさせちゃってもう取り返しが付かないところまで来てるじゃないか! どうしてキミはこう不器用なんだよぉ!」
「人の手の内をバラしてんじゃねえよ相棒!!」
叫んだ直後に青髪の男は気付きます、周囲の冷笑する視線に。
特に女性陣からは軽蔑するような目で見られている彼の心境は、語るまでもありません。
「う、う……うわああああ!!」
恥と屈辱とその他諸々を一度に覚えた彼、耐えきれなくなってその場から逃げ出してしまいました。耳まで真っ赤にして。
「待ってぇぇぇぇ!」
茶髪の男が半泣きになりつつも後を追い、今度こそ酒場から喧騒が消えて無くなったのでした。
「やれやれ、迷惑な連中だったなあ。でも、アタシ目当ての下心だったのは気付かなかったなあ」
胸を撫で下ろし安堵するアヤノですが、
「いや、十中八九アヤノさんでしょう。そういう下心を持って来る人の目的は」
呆れるように言うヘヌンシアにミケリィも頷いて深く同意。彼女の可憐さに釣られて近付く人の気持ちは言われなくても分かるので。
しかし、当の本人は拗ねた子供のように頬を膨らませると、
「そこまで自意識過剰じゃないもん」
なんて言ってぷいっと横を向いてしまいました。数分前に新人冒険者たちを牽制した女にはとても見えません。
「誰もアヤノのことを自意識過剰な女の子だと思ってないから大丈夫だよ。昨日の喫茶店で見かけたなら私の可能性もあるし数億分の一の確率でヘヌンシアだったかもしれないし」
「どんな奇跡的可能性なんですかそれ、伝説になれと?」
「もう……まあいいけどね? でも、アタシもまだ修行が足りないなあ。パパみたいに相手の視線と細かな仕草だけで思考を全て読み取れるようになるには時間がかかりそう」
突拍子もなく一般的には手を出せないような超人じみた願望を口に出しますが、一年以上も長い付き合いである二人は全く動じません。
驚いているのは近くで朝食を取っていた鎧姿の男だけで、口を開けたままアヤノを二度見しているのでした。
「アヤノさん? 今後のためと周囲のためにも聞いておきますけど、何故、対人戦に特化する方針を固めているんですか?」
「私も答えを聞きたい。どこの領域を目指しているんだい? 武人か何かかな?」
「んえ? パパぐらい強くなっておけば何があっても困らないなーって思ってるんだけど? 常日頃から」
「同意しかねます」
「ヘヌンシアに同じ」
「どうして!?」
「強い力というものはそれ相応の争いしか呼び込まないと私の故郷では言われているよ」
「それには同意します。ところで」
ふと、ヘヌンシアは白髪の青年に目をやります。
「……」
会話の内容についていけないのか、ぽかんとしたまま三人を凝視して動きがありませんね。
「あっ! ほったらかしにしててごめんなさい! さっきは助けてくれてありがとう!」
アヤノは慌てて青年に駆け寄り深々と頭を下げました。
「えっ、ああ、礼には及びませんよ」
公共の場で抜刀しようとしていた女の誠実な態度に面喰らったのか言葉の最初が詰まりましたが、気を取り直して続けます。
「ワ……私は騒がしい若者をちょっと注意しただけですからね」
「でも、君が横槍を入れてくれなかったら間違いなくここは修羅場と化していたからね。事が大きくならずに済んでよかったよ」
ミケリィが言い、
「修羅場?」
アヤノが首を傾げました。
「君はそろそろ自分の怒りの爆発による周囲の危害を自覚した方が良い。全てが終わった後はいつもお通夜みたいに静まり返っているじゃないか」
「見せ物じゃないのにね?」
「お客様の中に彼女を十分に納得させることができる強靭かつ聡明な説得力をお持ちになっている方はおられませんかー?」
ミケリィは周囲の冒険者たちに問いかけるように言いますが、名もなき冒険者たちは一斉に、まるで最初から打ち合わせをしていたかのようなタイミングでそっぽを向いてしまいました。
「何故……君たちは冒険者だろう……? 冒険者という生き物のは未知と危険の中に自ら飛び込み足を進め、解明という栄光を得るために日夜戦っているんじゃないのかい……?」
愕然としていますが誰も答えません「その女を変に刺激して見えにくい逆鱗に触れたくない、命が惜しい」だなんて。
「……」
絶句する青年はふと、ヘヌンシアに目を向けます。
「うわ………………」
呆れたような面倒臭そうなどん引きしているような簡潔に表すと複雑な表情で青年を見てることから、青年に対して一言では言い表せない感情を向けていることはすぐに分かりました。
少なくとも、初対面の人間に向ける目ではありません。
「やはり気付くか……」
「お兄さん? どうしたの?」
「いや何でも」
疑問を軽く受け流した直後、アヤノは唐突に青年の顔をじっと見つめ始めます。
「…………」
しかも無言、文字通り一言も発しません。
「え、なに、なに……か?」
異様な雰囲気に青年が一歩引きます、まだ逃げ出しません。
しかし、すぐに逃げなかった青年の背後に回るひとつの人影。
「もしやアヤノはそういうのが好みなのかい? だったら私は容赦しない」
ミケリィでした。感情変化が乏しい瞳が今ばかりは鋭いです。
更に小声でボソボソ何かを呟けば掌に冷たい氷の魔力が集まり、徐々に大きく膨らんでいって。
「違うから魔法の詠唱しないの」
「むう」
叱れてしまったので詠唱を止めれば溜めた冷気は弾け、空中に溶けてしまいました。
やや不満げなミケリィが青年から離れるのを確認してからアヤノは言葉を続けます。
「お兄さん」
「は、はい」
「……なーんか……どこかで会ったような気がするんだ……お兄さんと」
青年の肩が震え、
「ナンパかい!?」
ミケリィが目を見開きます。
「違うからミケちゃんステイ。なんだかね、お兄さんとは初めて会った気がしなくて」
更に青年の顔をじっくり眺めるアヤノ。もう遠慮なく、デリカシーの欠片もないぐらいにジロジロと、小首を傾げて微妙に角度を変えながら。
正面からじっくり眺められて居心地が良い人間はそういません。青年も例外なく一歩二歩と下がっていき、
「い、いやだなあ、そんなわけないじゃ、ない、です、か」
「うーむ……」
目を泳がす青年を観察するアヤノの視線が、徐々に疑念を持つ目に変わってしまいます。
そして、青年の背に汗が流れた刹那、
「あ、いや、その……じゃあそういうことで!」
無理矢理話の腰を折り曲げれば背を向けて遁走、なかなかのスピードで酒場から出て行きましたが。
「待って!」
アヤノはすぐに追いかけてしまい、青年に続いて酒場の外に飛び出してしまいました。
「えっ!? アヤノ!? 追うのかい!?」
「追わせておけばいいと思いますけどねー」
驚愕するミケリィの背後から声をかけたのは、いつの間にか席に戻っていたヘヌンシア。
テーブルに肘を付き、前髪の先にあるかもしれない枝毛を探す様は、状況に対して辟易しているようにしか見せません。
「なっ、どう、どうしてだい……?」
「オチが分かっているので」
「えぇぇ……? というか、アヤノが知らない男に興味津々だったのに大人しかったね……いつもなら私と一緒に驚愕するなり攻撃するなり威嚇するなりしているじゃないか」
「タネも分かっているので」
「?」
ギルドから飛び出した青年は繁華街に飛び込み、目についた路地裏に逃げ込むことに成功。
入って数歩ほど進んだ所で足を止め、人々の賑やかな声を背中に息を吐きました。
「ふう……ここまで来れば……」
「お兄さん!」
「うおおお!? なんじゃその追尾力は!?」
途端にアヤノが追い着いてしまったため青年はすぐさま振り向きます。驚愕のあまり丁寧語が抜けてしまった言葉も添えて。
「じゃ?」
「ななっ、なんでも……」
すぐさま目を逸らし軽く息も吐いて冷静さを取り戻したところで、青年は再びアヤノと対話します。
「えっと、どうして私を追いかけて?」
「どうして? さっきも言ったけどお兄さんと初めて会った気がしないからだよ」
「へっ?」
「疑問? 違和感? そういうのがあるから解決したい。このままだとシカバネウオの骨が喉に引っかかって微妙にチクチクした時みたいな居心地の悪い感じが続いちゃうの。アタシはそれが嫌だからお兄さんを追いかけてる」
淡々と言い切ったアヤノの態度はとてもあっけらかんとしていて、自分の行動に問題は無いと言葉もなく表しているように見えます。
疑問を抱いた自分の思考がおかしいのではないかとほんの少しだけ錯覚してしまうぐらいには。
「私に興味を持ってくれるのは良いんですけど……」
「急用でもあった?」
「ありませんが……」
答えた直後、アヤノは青年の両手を取って、
「じゃあよかった! アタシね、お兄さんのことがもっと知りたいの。だからお兄さんのことをたくさん教えてほしいな? アタシの違和感を解消するきかっけができるかもしれないから! 交換条件ってワケでもないけど、アタシのこともお兄さんに教えるから! ねっ?」
屈託のない可愛らしい笑顔。
並の男なら当然のこと、同性が相手であっても彼女の魅力に惹かれてしまうことでしょう。
しかし、
「………………」
表情を一切変えることなく黙ってしまった青年にアヤノは小首を傾げます。
「お兄さん?」
「……君は、他者に対していつもこうして、警戒心の欠片もなく接しているのですか?」
とても冷静かつ、どこか冷淡にも感じるように、尋ねました。
纏っている空気が変わったとでも言いましょうか、敵意の感じられない穏やかな印象は一瞬の内に消え、怒りのような悲しみのような、冷たくとも力強い想いはあるような目で彼女を見ています。
それでも、アヤノはいつもの調子を崩すことはなく、
「してないよ? お兄さんだけ。お兄さんとは初めて会った気がしないからフレンドリーなだけだよ、こう見えても人との距離感がバグったりはしてないからね。さっきのアホ冒険者とのやりとり見てたでしょ?」
「そういえばそうでしたね。安心しました」
青年がホッとしたように息を吐いて表情を少しだけ緩めると、アヤノは手を離しました。
「安心してくれたならよかった! お兄さんってば心配性さん?」
「よく言われます」
「へえ! 仲間にも似たような子がいるから親近感が湧いちゃうなあ」
「なるほど」
「ところでお兄さん、お名前は?」
「えっ、なっ、名前!?」
何故か動揺する青年、さっきとは反対方向に首を傾げるアヤノ。
「名前ぐらいでそこまで驚く?」
「驚くことは全くありませんけど……私を知りたいと言うなら名前を聞いても当然ですからね、でも……」
「ん?」
言葉を詰まらせてしまう青年をアヤノは不思議そうに眺めます。首を右に傾け、今度は左に傾け、疑問を抱く様をわかりやすくアピールしながら答えを待ちます。
しかし、いくら待てども青年からの返事はありません。
となれば根拠のない憶測が飛び出すのは必然でして。
「あっ!? もしかして人に聞かれると恥ずかしい名前だったとか? 自分の地元だと当たり前みたいな名前だけど、他の国や地域だとすっごく変な意味に捉えられちゃう名前だから名乗りにくいとか?」
「……」
青年の顔がどんどん青白くなります。
「それとも、ピオーネの外でちょっとやらかしちゃった悪い人とか? 身バレすると厄介だから本名を名乗りたくても名乗れないとかだったり?」
青年の顔に冷や汗が流れ続けます。
「あるいは……ピオーネに来たばかりだから冒険者登録も済ませてない新人さんで、冒険者になって新しい名前を名乗るつもりだけどまだ名前を決めてなくて言葉に詰まっちゃってたり? アタシも新しい名前を考えよっか? 候補はいっぱいあるよ! 例えば」
「やっぱり用事があるので!」
言葉を遮って背を向け、二度目の遁走を図ろうとした時でした。
ぽふん
空気が抜けたような軽い音が発生したと思えば、青年の姿が一瞬で消えてしまったではありませんか。
「ほえ?」
文字通り目を丸くするアヤノ。
そして、何の脈絡もなく視線を下に向ければ、そこには見慣れた少年が佇んでいました。
「……ヤト、ちゃん?」
ヤトは不機嫌そうに席に座っていました。
腕を組み、視線は鋭く、ストレスがどんどん上り詰めて行く様をとても分かりやすく表現しています。
彼の視線の先、つまりは正面にいるのは、
「あっはははははは! ぶわははははははは!」
テーブルに伏して大爆笑するヘヌンシアでした。右手で腹を抱え、左手でテーブルを叩き続けています。ここがギルドの酒場という公共の場でなかったら床の上を転げ回っていたことでしょう。
「うっさいぞ!」
当事者の怒りの声を聞いてもヘヌンシアの爆笑は止まりません。
「ヘヌくんは気付いてたんだね」
ヘヌンシアの横で頬杖をつくアヤノが言えば、彼はようやく顔を上げます。
「ひっひひ……あ〜腹いてぇ……ええ、最初からあれはヤトさんだって気付いてましたよ。神力を溜め込んでいる人間なんてヤトさん以外にいないから間違いようがありませんし、神人は神人で特殊な魔力構成をしていますから一目瞭然なんですよね……ぷぷっ」
「人の顔を見る度に吹き出すのはやめんか! 失敬な!」
立ち上がって怒鳴っても焼け石に水。今度は視線を逸らし、口元を抑えて声を殺しつつ爆笑。
これにより、何を言っても無駄だと早々に諦めたヤトはため息を吐いて腰を下ろしました。
「全く……魔力感知だけは人並みどころか天才と称しても過言ではないレベルであるお主には早々にバレるとは思っておったがのう……」
「何か言いました?」
「別に」
途端に爆笑を止めた彼、地獄耳だったようです。ヤトの口から出ていたのは悪口ではなく褒め言葉でしたがさておき、
「そんなことよりも」
黙ってヤトの横顔を見ていたミケリィが突然口を開きました。
「どうやって急に大きくなったりしたんだい?」
と、決して言葉には表しませんでしたが、生気がやや見られない緑色の瞳の奥には未知なる現象に対する好奇心が見えます。ワックワクしています。
「知らない」が現れると即座に究明したくなる研究者の性を間近で見てしまったヤトは若干顔を引きつらせますが、答えてはくれました。
「神力を使って肉体の年齢を成長させたのじゃ。普通の魔力では不可能である肉体変化も奇跡を起こす力である神力であれば可能じゃからのう」
「なるほど……その割には勝手に戻ってなかったかい?」
「神人は神とは違い神力を肉体に溜め続けることができんのじゃ。肉体の性質上、無意識の内に神力を放出してしまう。聖水を飲んで一時的に神力を底上げしその力で成長しても、成長した肉体を維持するために神力を使う上に、無意識の内に放出するのも相まってあっという間に神力が切れ、元の姿に戻ってしまうのじゃよ……ワシもさっき気付いたがな」
「なるほどなるほど。神人は普通の人間では絶対に使えない神力を使い奇跡のような現象を起こすことはできるけど、長時間も維持することはできないってことだね」
疑問を解消できてミケリィは満足げ。この事柄も神を解明したい宇宙人に知らされることになるのだろうとヤトはぼんやり考えるのでした。
「やれやれ……神の情報を伝えてもいいものか……しかし言わんのも納得してもらえんじゃろうし……」
「ヤトちゃん」
「うぐ」
アヤノに名前を呼ばれ、肩が震えました。
「なんで? どうしてヤトちゃんは大きくなっちゃったの? 今のままの小さいヤトちゃんの方が可愛いのに」
この彼女、口調は子供らしくて可愛いというのに笑顔は一切ない冷たい視線。頬杖をつき、反対の手でテーブルをトントン叩きながら迅速な返答を催促しています。
暴力的な口調と行動で怒鳴り散らす怒りとは違った、静かな怒りが見て取れました。
「確かに! 言われてみれば動機が不明でしたね!」
怒りの蚊帳の外にいるヘヌンシアが呑気に手を叩きますが、そのあまりの他人事っぷりにヤトは目前の恐怖を忘れ、ため息を吐きました。
「……子供の体は不便なんじゃ、年相応に扱ってもらえぬ。周りはワシのことを手を貸さなければ満足に生きることもできない弱者だと前提して接してくる。優しさと言えばそうじゃが、ワシとしては悔しくってのう」
「プライドが許さないと」
アヤノの相槌に頷きます。
「うむ。それに子供は非力、故にお主らに何かあった時に守ってやることができないかもしれん。さっきの連中が良い例じゃの、大人の姿だから牽制できたが元の子供の姿じゃと相手にすらされてなかったかもしれぬ」
「……」
「こちとら年長者としてのプライドだけでなく誇りもある……されっぱなしは嫌じゃ」
最大の動機は「張り出されたクエスト用紙に手が届かなかったから」ですが、秘匿にする方針です。
「ま、神力を使って成長できるかどうか今朝まで分からんかったが、こっそり試してみたら見事に成功してのう。嬉しかったついでにお主らを驚かせてやろうと思ったんじゃが、ちょっと目を離した隙に柄の悪い連中に絡まれておった故に明かすタイミングが……」
「ヤトちゃん」
「ヤトさん」
「ヤト」
「あん?」
急に名前を呼ばれ、顔を上げた時には仲間たちは静かにヤトの後ろに回っておりまして。
次の瞬間、三人は一斉に彼の頭を撫で始めました。
「なんじゃあああああああ!?」
結ってある髪が乱れるのも気にせずに一心不乱に撫でまくります。不器用な親が我が子を褒める時のごとく。
「なんなんじゃいきなり! 突然奇行に走るでない! それだからギルドで度々変な噂が流れるんじゃろうがあ!」
怒鳴り散らそうが三人の手は止まりません。
「だって一生懸命なヤトちゃんが可愛くって愛しさが限界突破しちゃったんだもん」
「私たちのことをここまで思ってくれて嬉しいんだよ」
「とりえあずアヤノさんたちに便乗しておけば面白いかなって思って」
「おい!!」
この怒りはヘヌンシアに対して向けられているものとします。
一通り撫でて満足したのか、三人は何事もなかったかのように自分の席に戻りました。
「まったく、本能だけで動きよって……」
文句は垂らしますが満更でもなかったのでしょう、乱れた髪を手櫛で直すヤトの口元はほんの少しだけ緩んでいました。
「本能だけで動くような連中を心配してくれている辺り相当なお人好しですからそこは自覚してくださいね、ところでギルドで度々流れる変な噂って何」
「あのねヤトちゃん、これだけは言いたいんだけど」
アヤノの圧に負け、ヘヌンシアは話を続けることができませんでした。
「自分が今、できることを一生懸命してくれる頑張り屋さんなヤトちゃんが大好き。でも、アタシたちのためだからって言っても無理をしてまで頑張っちゃうのはちょっと、違うんじゃないかな? 大きくても小さくてもヤトちゃんはヤトちゃんだもん」
「いや、肉体の成長は無理をしてまで行ってはおらんが……」
「だけど大きくなるために神力っていうのを集めないといけないんでしょ? それって簡単なことじゃないよね?」
「そうじゃの」
「だったらそこまでしてもらわなくてもいいよ。ヤトちゃんがアタシたちのことを心配してくれる気持ちは分かるけど、だからってヤトちゃんだけが過剰に苦労しちゃうのは嫌だもん」
「む、うむ……」
「サバイバル経験が豊富にあっても冒険者としてはまだまだ未熟だって自覚してる。でも、将来的にはヤトちゃんが心配するだけ損だったって思えるぐらい強い冒険者になるんだから、今はゆっくり見守っていてほしいな」
アヤノはそう言ってヤトに微笑みました。本日二回目の微笑みでした。
つい先ほどまで見せていた静かな怒りはもう、どこにもありません。
怒りを収めてくれたことも当然ですが、仲間の中で誰よりも守りたい彼女の頼もしい言葉が嬉しくて、
「……そうか。そうじゃの、心配するだけ損だったのかもしれんの……」
胸の中につっかえていた詰め物のひとつが取れたような安心感に満たされ、大きく頷きました。
「それに、大きいヤトちゃんより小さいヤトちゃんの方が可愛いし!」
「最大な要因はそれじゃろ!!」
周囲の視線も気にしない絶叫はすぐに酒場の空気に溶けてしまうのでした。
「ですよねー、アヤノさんですものねー」
「アヤノって少年愛の傾向でもあるのかい?」
「アタシはアタシが可愛いって思ったものが好きってだけだよ。もちろんミケちゃんとヘヌくんも可愛いところがあって、アタシはそれを含めて大好き」
「可愛い……」
「いやあ……」
アヤノによる最大の褒め言葉「可愛い」を受けて感動する二人。そして顔を引き攣らせるヤト。
「単純じゃのう……ミケリィはともかくヘヌンシアは可愛いとか言われたらもう少し怒るべきじゃろ、男として」
「アヤノさんに褒められたところを否定する方が愚かでしょう!?」
「男としてのプライドはないのか」
「はい!!」
即答。これが一人の女に心酔する魔族の姿です。
「……話が逸れたがとにかくじゃ、ワシが神力を使って成長するのはお主らのためでもあるが自分のためでもある。ワシがそうしたいからやっておる。この行為は決して肉体的かつ精神的負担を被るものではないから、これからも継続していきたいのじゃ。自己責任でな」
話の筋を戻しヤトは問います。このパーティの事実上のリーダーに。
そのリーダーもといアヤノは、
「……」
口を閉じ、
「…………」
ついでに目も閉じて考えた結果、
「いいよ」
と、答えました。
「ヤトちゃんがそこまでやりたいって言うならアタシも止めない。体を成長させることは悪いことじゃないからね。人様に迷惑をかけなかったらだけど」
「それをお主が言うのか?」と、言いかけてやめました。
「何か言った? ヤトちゃん」
「別に」
とっさに誤魔化しつつ目も逸らしました。アヤノもまた、地獄耳です。
すると、ミケリィは手を挙げます。挙げると言っても自分の顔の横ぐらいまでですが。
「ねえヤト、もうひとつ聞いてもいいかい?」
「なんじゃ?」
「さっきの大人のヤトって神力を使って成長していたんだよね? 神力を使えば肉体の成長だけじゃなくて、見た目を大きく変えることもできるのかい?」
「うむ、神力を使えばそれぐらいは可能じゃが、本来の姿から逸脱した姿になるには相応の神力が要る、聖水を飲んでかき集めた程度の神力では補えんよ」
「なるほど。だから単純な成長しかできなかったってことだね」
「うむ」
「でも、身長はそこまで盛らなくてもいいんじゃないかな」
「は?」
ヤト、唖然。
想定を上回る質問は思考全てを停止させ、言語能力に著しい障害を与えます。この場合、ミケリィの言葉に対して即座に弁明するという行為ができなくなってしまいました。
言葉を失っている間にもアヤノとヘヌンシアも神妙な顔で追撃。
「言われてみればそうだね。今が小さくて可愛いから大きい姿に憧れていたってこと……かあ」
「俺よりも身長が高かったですからね大人ヤトさん、百九十センチは超えてたんじゃないですか?」
二人共腕を組んで大きく頷き納得のご様子。
そこに低身長のヤトを弄るという悪意はありません。同情の気持ちだけがありました。
「……ぷぷっ」
誰にも悟られずに吹き出したヘヌンシアは除外します。
「え、いや…………違うが? 神力を使って眷属だった時代の姿に戻った、だけで……」
ようやく発せられた弁明も結論が出た後では全てが遅く、
「まったまたぁ、虚しいだけですよ? 誤魔化しても」
「いいんだよ無理しなくて。私たちみんな分かっているから」
「意地を張りたくなる気持ちはわかる。でも、いつか本当のヤトちゃんの姿を見せてね」
子供になってしまった老人の心情を気遣い、優しい言葉をかけてくる仲間たち。
本当に優しい心の持ち主、彼女たちと同じパーティに入っていなければ追放されて傷ついてしまった心は更に荒んでいたことでしょう。
しかし、優しさは時に「余計なお世話」になることもあるのです。
今がまさにそれで。
「だぁかぁぁあらあぁ!! あれが本来の姿なんじゃああああああ!!」
こうして、封印の地から脱出する寸前になるまで神と信じてもらえず苦労したヤトの受難は、思わぬ形で継続してしまうことになったのでした。
「どうすれば皆は信じてくれるんじゃあ! 意地を張ってないと気付くのじゃあ!」
たぶん無理。
2022.11.19
今日も朝早くから冒険者ギルドに赴いていたアヤノたち冒険者一行は、一日の最初に何もよりも大切にしなければならない「朝食」を摂るため、ギルドに併設されている酒場(施設名的には食堂と名乗っているが酒も提供しているため皆は酒場と呼びがち)に来ていました。
今日もヤトが先に食べ終わり「依頼を見てくる」と言い残して先に酒場から出ているため、アヤノ、ミケリィ、ヘヌンシアの三人だけで朝食を摂っています。
そんな中で、
「……」
色が黄色いスクランブルエッグを食べる手を止め、アヤノは正面にいるヘヌンシアをじっと見つめていました。
無言の圧に気付いたヘヌンシアは本物の目玉が使われている目玉焼きを食べる手を止めます。
「どうかしましたか?」
「あのねヘヌくん、ほっぺたの絆創膏ってどうしたの? 昨日アタシたちが帰ってきた時から貼ってるよね?」
と、彼の頬に張り付く大きめの絆創膏を指して尋ねると、アヤノの横で黙ってキノコソテーを食べるミケリィが何度も頷きました。
ヘヌンシアは気まずそうに目を逸らし絆創膏をさすりながら、
「……特殊な根性焼きをされまして……」
そう答えました。そう答えるしかありませんでした。
「?」
ミケリィは首を傾げたまま薄く切られたキノコを頬張るだけですが、アヤノは、
「悪い人に絡まれちゃったの? 可哀想なヘヌくん……」
「アヤノさん……ご心配をお掛けてしてすみま」
「じゃあ報復しよっか! やられっぱなしだとナメられちゃうだろうし!」
相手の言葉を遮り普段通りの明るい口調で言いますが、その目が怪しくギラついているのをヘヌンシアとミケリィは見逃しません。自由業だった父親の影響が色濃く出ていますね。
アヤノはテーブルにフォークを置くと背中に右手をそっと回し、
「解決したので大丈夫です。だから物騒な獲物を出そうとしないでください」
冷静な制止によりアヤノは再びフォークを持ちました。
普段は長い髪に隠れて見えませんが彼女の腰には短刀が仕込まれています。封印の地からピオーネに戻った後に武器職人に無理を言って作ってもらった代物で、主に人間が相手の有事に際にとても役に立つとアヤノ談。本当に役に立つから困ると仲間談。
なお鍔のないこの短刀はアヤノが元いた世界では「ドス」と呼ばれているようです。長いと「長ドス」と呼ぶとか。
「にしても、ヤトちゃん遅くない?」
普通のスクランブルエッグを食べ終えたアヤノがぽつりとぼやいてから、ミケリィも顔を上げます。
「決めかねているんじゃないかな、様子を見に行こうよ」
キノコソテーを完食したミケリィが同意し、
「ですね」
頷いたヘヌンシアが言い終わると同時に目玉焼きを食べ切りました。
「ごちそうさまでした」
朝食を終えた全員が席を立とうとした時、
「あのぉ……そこの三人組の冒険者さんたち……」
気の弱そうな声は明らかに三人に向けられていて、全員がそちらに目を向けます。
視線の先にいたのは二人組の冒険者らしき男たちで青髪の男と茶髪の男。声をかけてきたのは茶髪の男のようでした。
「えっと、何の用?」
率先してアヤノが尋ねれば青髪の男が答えます。
「僕たちは最近、冒険者になったばかりの新参者でして」
新参者と聞いた途端に三人の眉がぴくりと動き、
「あら、地獄へようこそ新人さん、アタシたちは歓迎するよ、一応ね」
「命知らずな人たちだね。その度胸だけは賞賛しようじゃないか」
「後悔しない程度にですけどね」
拒絶もせず無碍にもせず馬鹿にもしません。歓迎する素振りと言葉はありますが目は一切笑っておらず、二人組の冒険者の背筋に冷たいモノが走り抜けました。
「ひえ……」
「ひ……ああ、えっと、僕たちその、先輩冒険者さんと一緒にクエストに行ってもらいたいと思ってまして」
青髪の冒険者が言い切ると三人は納得したように頷きました。
最初に口を開いたのはミケリィでして、
「なるほど。冒険者として右も左も分からないから先輩冒険者に同行してもらって、現地の動き方を伝授してもらおうってことか……私たちにも経験があるからね、わかるよ」
新人冒険者たちは嬉しそうに「そうなんですよ!」と同時に答えますが、
「まずは食べられる魔物と食べられない魔物の区別の方法から始めよう。魔物はなんでも食べられると思いがちだけど肉や内臓に毒を含んでいる魔物もいるから、熱を加えればいいかと適当に焼いて食べてしまえば間違いなく消化器官をやられる、最悪の場合は脳に後遺症が」
「いやそういうのはいい」
淡々と拒否した青髪の冒険者。持論を止められたミケリィが信じられないような顔で見上げますが無視。
しかし、とっさに声を上げるのはアヤノとヘヌンシアでして。
「いやいや、ミケちゃんの話は一から十まで全部聞いておいた方がいいよ、新人さん」
「万が一、どこかで遭難して水も食料もなくなってしまい、その辺りに生えている枯れ草や石の下に生息している虫や羽化寸前の卵や死体に集っている虫やその辺りに転がっている岩塩や抉り取った魔物の目玉とか舌やゴーレムの燃料を食べて飢えを凌がないといけない時が来るかもしれないんですからね。覚えておいて損はありませんし知識があるとないのとでは大違いですよ」
「最終手段として魔物の死体にかぶりつくことも視野に入れないといけないんだよ? わかってるのかな?」
「アンタらどんな冒険してきたんですか!? ぼくの知ってる冒険と違う!?」
茶髪の男、絶叫。
彼らは新入り故に知らないのでしょうが、彼女たちは封印の地で長期サバイバルの末に生還した冒険者です。冒険に対するスタンスと面構えが違います。
「そ、それはクエストに行った時にじっくり聞きます! とにかくこれを一緒に行ってもらいたくて!」
強引に話を戻した青髪の男はアヤノに依頼文を突き出しました。
アヤノはそれを受け取り、内容を確認。
「へえ、報酬がなかなか高額で……ドラゴンの討伐か撃退!?」
驚きのあまり叫んでしまえばミケリィとヘヌンシアが同時にアヤノを見て、次に青髪の男を見ます。信じられないものを見る目つきで。
「君たち、本当にこれを受けるのかい? 受付が初心者にこれを通すとは思えないけど?」
「絶対死にますよこれ。俺たちでも生存できるかわからないレベルですけど」
「えっと……」
言葉に詰まった青髪の男に変わって答えたのは茶髪の男でした。
「いやっその、他の人と合同で行くから大丈夫だってゴリ押ししたんです……」
そう弁明するものの二人の呆れ果てるような表情は消えません。言葉すら失うレベルです。
「ぼくたちも見栄を張って無理にこんな依頼を受けてしまったんです! な、なのでお願いします! 協力してくださいませんか! 報酬は山分けで構いませんので!」
茶髪の男は頭を下げて懇願しました。もう必死に、これを逃したら次はないと言わんばかりに。
しかし、
「どう考えてもこの依頼だとアナタたちはお荷物で邪魔。いらないレベル」
アヤノは男たちを見ることもなく淡々と言い切り、依頼文をテーブルの上に置きました。
「こんな高難易度レベルのクエストを見栄を張ってまで受けて、アナタたちは何がしたいの? 誰かに助けてもらいつつもクエストを完遂して自分達の功績にしたいってだけ? キャリーされたいってこと?」
「きゃ、きゃり……? え、いや、ちっ違いますよ……僕たちはそんな下心はなく、純粋に助けて欲しいなって思っただけで……」
「ふ〜ん……そっか」
青髪の男にアヤノは冷たく言い放ち、続けます。
「あるいは……ギルドで何かと噂の冒険者と関係を築いておきたい下心があるとか? 結果は二の次でわざと窮地に陥るような真似をしてさ? 吊り橋効果とか……狙ってたり?」
青髪の男の肩がびくりと震え、ミケリィとヘヌンシアの軽蔑の眼差しが止まりません。
「な、なんでそんなことを言われなくちゃいけないんだよ……僕たちは本気で、困って……」
「本当に困っているなら受付の人に“すみませんやっぱりパーティーメンバーが集まらなかったです”って謝ってクエスト破棄すればいいでしょ? クエストを受注して半日以内であればキャンセル可能ってルール、初心者だからって言っても知らないワケないじゃん。プライドが邪魔してキャンセルしたくないって言うならどうしようもないけどね」
「……」
「そ、そっ、そこまで言わなくても……」
怯えつつも茶髪の男が制止にかかりますがアヤノは止まりません。ニッコリ微笑んで、
「アタシだって意地悪したくて言ってる訳じゃないんだよ? 人間関係は穏便かつ平穏に築いていきたいんだもん。ただね、アナタたち二人からは本気で困ってるって感じがしないんだ、初心者ていう免罪符を振りかざして自分だけが得をしてやろうって下心がすっごい見える」
「そんなことは……」
「じゃあどうしてここに入ってきた時にこっちに真っ直ぐ向かって来ていたのかな?」
「えっ」
「クエストを手伝って欲しいって目的があるなら酒場を見渡したり歩き回ったり誰かに声をかけたりまくったり色々して人を集めようとするものじゃない? でもアナタたちは迷うことなくアタシたちの元に来た。それってつまり予めターゲットを決めてたってことじゃないかな? クエスト云々は二の次、目的はアタシたちってことで」
「……」
茶髪の男まで黙り込んでしまい、新人冒険者二人組は完全に沈黙してしまいました。
「うーわー、わっかりやっす……そういう目的で冒険者名乗ってるんですか? 本当に嫌な奴らですね」
軽蔑すると同時に相手を小馬鹿するようニヤリと笑うヘヌンシア。アヤノの勝利を確信した笑みです。
更にミケリィ、表情に変化はありませんが大きく頷きまして、
「最初から私たち狙いだったってことか。よく気付いたね、アヤノ」
「身一つでここに放り出されてからなるべく周囲を見るように習慣付けてただけだよ〜大したことないない!」
照れもせずに言い切った彼女。十八番である「相手の思考もある程度読めてしまう鋭い観察眼」は父親から教わった特技であり切り札。それを知っているのは仲間たちだけです。
話が終わったところでアヤノだけでなくヘヌンシアとミケリィも席から立ち上がり、
「そろそろギルドに行こうか。ヤトちゃんが待ってるし」
ギルド方面へ移動しようとした時でした。
「待てよ! おい!」
突然、青髪の男がその場で叫び始め、アヤノたちは足を止めます。
「なんだよお前! 人が下手に出てたら偉そうな口でグチグチ言いやがって! 俺らがいつお前ら目的で来たって言うんだよ! 全部お前の妄想だろうが! 妄想で人を辱めて楽しいとでも思ってんおかよ! お前らの方が嫌な冒険者だな!」
嫌な言葉を使われたから同じ言葉で返すというほとんど……いえ、かなり子供じみた反論が飛び出し、ミケリィはため息を吐いてヘヌンシアは呆れ顔。互いに目配せしてどうしようかと無言の相談を始めます。
二人が結論を出す前にアヤノは振り返り、さっきと同じ口調と声色で言葉を返します。
「妄想だって言うのは否定しない。でも、ちょっと話すだけでこれだけ疑念が出てきた相手をハイソウデスカって信じられると思う? 難しいクエストに協力してほしいならそれ相応の弁明をしてアタシたちに信頼されないといけないじゃん、信頼できない相手に背中を預けたくないんだから」
「は? 美人で可愛いからチヤホヤされてて更には高望みってか? ちったあ力のない冒険者に貢献ぐらいしてもいってもんだろうが! それで初心者にも優しくするっつーことでお前らの評判も上がるんだしよ!」
――こんなのとつるんでたら評判が落ちると思うけど。うん。
アヤノたちだけでなく、怒声に釣られて様子を見ていた冒険者たち全員が思ったことです。
さて、こういった言いがかりや難癖を付けるような人格に問題がある人間を摘み出すことぐらい、歴戦の冒険者であれば赤子の手を捻り潰すよりも簡単なことですが、彼らがそれをしないのは笑顔を浮かべたままのアヤノの右手がゆっくりと腰の位置に回されているからでして。
この女がブチギレて災厄のごとく暴れて青髪の男を泣かすことになるであろうショーを特等席から観戦できると分かれば「こんな面白いモノを見逃してたまるか!」という好奇心が優先されてしまうのが冒険者の生き様であり、常人には理解できない性。
ヘヌンシアとミケリィは黙って三歩下がります。心の中で「初心者なのに可哀想だな……まあ、自業自得だもんな……」と他人事のように思いながら……。
「やめなさい」
凛とした声が響くと同時に、ひとりの青年がアヤノと青髪の男の間に現れました。
すらりとした高い身長に似合う長い白髪と綺麗な水色の瞳を持ち、赤いジャケットに白い長ズボンを履いた身なりからして冒険者のようですね。歳は二十代中頃でしょうか。
「なっ……」
呆気に取られた青髪の男が言葉を失っている間に、青年は口を開きます。
「逆上したところでこの問題が解決するワケがないでしょう? 貴方の行為は彼女たちを不快な気分にさせるだけの迷惑行為でしかありませんよ」
「え、な、おっ、お前には関係」
「ありますよ。さっきから大騒ぎしていて周りの迷惑です。そこの貴女も有事の際になると武器を出して暴力的に解決しようとするのはやめなさい。例え相手がどれだけ理不尽で思考が奇天烈でもね」
「どきり」
口で言ってしまったアヤノ。慌てて右手をドスの柄から離してバツが悪そうな顔を浮かべます。少しだけ悔しそうに。
見ず知らずの青年の仲裁により騒ぎが収まる兆しが見えてしまい、周囲の冒険者たちからため息と安堵の息が同時に溢れれば青年は呆れ顔。
「やれやれ……冒険者というのはどうしてこうも……」
「てめえ……」
青髪の男が青年を睨んだ直後、
「ねえ……」
ずっと泣きそうだった茶髪の男が彼の腕を掴みました。
「もう、やめなよ……」
「へ、相棒?」
「もうやめなよ! 昨日、喫茶店で見かけた彼女がすごく可愛くってお近づきになりたいからって吊り橋効果目当てで強引な手段で近付こうとするのは! ドラゴン討伐依頼をやんわり却下された後に“じゃあ依頼選びのコツを教えてもらっていいですか?”って感じで別の依頼を受けて優しく手解きしてもらって従順な後輩を演じておけば最終的に口説き落せるとか底が浅すぎて見てられないんだよ! ただでさえ浅はかな計画なのに素直に口に出すのはカッコ悪いとか強がったせいで最悪な印象をさせちゃってもう取り返しが付かないところまで来てるじゃないか! どうしてキミはこう不器用なんだよぉ!」
「人の手の内をバラしてんじゃねえよ相棒!!」
叫んだ直後に青髪の男は気付きます、周囲の冷笑する視線に。
特に女性陣からは軽蔑するような目で見られている彼の心境は、語るまでもありません。
「う、う……うわああああ!!」
恥と屈辱とその他諸々を一度に覚えた彼、耐えきれなくなってその場から逃げ出してしまいました。耳まで真っ赤にして。
「待ってぇぇぇぇ!」
茶髪の男が半泣きになりつつも後を追い、今度こそ酒場から喧騒が消えて無くなったのでした。
「やれやれ、迷惑な連中だったなあ。でも、アタシ目当ての下心だったのは気付かなかったなあ」
胸を撫で下ろし安堵するアヤノですが、
「いや、十中八九アヤノさんでしょう。そういう下心を持って来る人の目的は」
呆れるように言うヘヌンシアにミケリィも頷いて深く同意。彼女の可憐さに釣られて近付く人の気持ちは言われなくても分かるので。
しかし、当の本人は拗ねた子供のように頬を膨らませると、
「そこまで自意識過剰じゃないもん」
なんて言ってぷいっと横を向いてしまいました。数分前に新人冒険者たちを牽制した女にはとても見えません。
「誰もアヤノのことを自意識過剰な女の子だと思ってないから大丈夫だよ。昨日の喫茶店で見かけたなら私の可能性もあるし数億分の一の確率でヘヌンシアだったかもしれないし」
「どんな奇跡的可能性なんですかそれ、伝説になれと?」
「もう……まあいいけどね? でも、アタシもまだ修行が足りないなあ。パパみたいに相手の視線と細かな仕草だけで思考を全て読み取れるようになるには時間がかかりそう」
突拍子もなく一般的には手を出せないような超人じみた願望を口に出しますが、一年以上も長い付き合いである二人は全く動じません。
驚いているのは近くで朝食を取っていた鎧姿の男だけで、口を開けたままアヤノを二度見しているのでした。
「アヤノさん? 今後のためと周囲のためにも聞いておきますけど、何故、対人戦に特化する方針を固めているんですか?」
「私も答えを聞きたい。どこの領域を目指しているんだい? 武人か何かかな?」
「んえ? パパぐらい強くなっておけば何があっても困らないなーって思ってるんだけど? 常日頃から」
「同意しかねます」
「ヘヌンシアに同じ」
「どうして!?」
「強い力というものはそれ相応の争いしか呼び込まないと私の故郷では言われているよ」
「それには同意します。ところで」
ふと、ヘヌンシアは白髪の青年に目をやります。
「……」
会話の内容についていけないのか、ぽかんとしたまま三人を凝視して動きがありませんね。
「あっ! ほったらかしにしててごめんなさい! さっきは助けてくれてありがとう!」
アヤノは慌てて青年に駆け寄り深々と頭を下げました。
「えっ、ああ、礼には及びませんよ」
公共の場で抜刀しようとしていた女の誠実な態度に面喰らったのか言葉の最初が詰まりましたが、気を取り直して続けます。
「ワ……私は騒がしい若者をちょっと注意しただけですからね」
「でも、君が横槍を入れてくれなかったら間違いなくここは修羅場と化していたからね。事が大きくならずに済んでよかったよ」
ミケリィが言い、
「修羅場?」
アヤノが首を傾げました。
「君はそろそろ自分の怒りの爆発による周囲の危害を自覚した方が良い。全てが終わった後はいつもお通夜みたいに静まり返っているじゃないか」
「見せ物じゃないのにね?」
「お客様の中に彼女を十分に納得させることができる強靭かつ聡明な説得力をお持ちになっている方はおられませんかー?」
ミケリィは周囲の冒険者たちに問いかけるように言いますが、名もなき冒険者たちは一斉に、まるで最初から打ち合わせをしていたかのようなタイミングでそっぽを向いてしまいました。
「何故……君たちは冒険者だろう……? 冒険者という生き物のは未知と危険の中に自ら飛び込み足を進め、解明という栄光を得るために日夜戦っているんじゃないのかい……?」
愕然としていますが誰も答えません「その女を変に刺激して見えにくい逆鱗に触れたくない、命が惜しい」だなんて。
「……」
絶句する青年はふと、ヘヌンシアに目を向けます。
「うわ………………」
呆れたような面倒臭そうなどん引きしているような簡潔に表すと複雑な表情で青年を見てることから、青年に対して一言では言い表せない感情を向けていることはすぐに分かりました。
少なくとも、初対面の人間に向ける目ではありません。
「やはり気付くか……」
「お兄さん? どうしたの?」
「いや何でも」
疑問を軽く受け流した直後、アヤノは唐突に青年の顔をじっと見つめ始めます。
「…………」
しかも無言、文字通り一言も発しません。
「え、なに、なに……か?」
異様な雰囲気に青年が一歩引きます、まだ逃げ出しません。
しかし、すぐに逃げなかった青年の背後に回るひとつの人影。
「もしやアヤノはそういうのが好みなのかい? だったら私は容赦しない」
ミケリィでした。感情変化が乏しい瞳が今ばかりは鋭いです。
更に小声でボソボソ何かを呟けば掌に冷たい氷の魔力が集まり、徐々に大きく膨らんでいって。
「違うから魔法の詠唱しないの」
「むう」
叱れてしまったので詠唱を止めれば溜めた冷気は弾け、空中に溶けてしまいました。
やや不満げなミケリィが青年から離れるのを確認してからアヤノは言葉を続けます。
「お兄さん」
「は、はい」
「……なーんか……どこかで会ったような気がするんだ……お兄さんと」
青年の肩が震え、
「ナンパかい!?」
ミケリィが目を見開きます。
「違うからミケちゃんステイ。なんだかね、お兄さんとは初めて会った気がしなくて」
更に青年の顔をじっくり眺めるアヤノ。もう遠慮なく、デリカシーの欠片もないぐらいにジロジロと、小首を傾げて微妙に角度を変えながら。
正面からじっくり眺められて居心地が良い人間はそういません。青年も例外なく一歩二歩と下がっていき、
「い、いやだなあ、そんなわけないじゃ、ない、です、か」
「うーむ……」
目を泳がす青年を観察するアヤノの視線が、徐々に疑念を持つ目に変わってしまいます。
そして、青年の背に汗が流れた刹那、
「あ、いや、その……じゃあそういうことで!」
無理矢理話の腰を折り曲げれば背を向けて遁走、なかなかのスピードで酒場から出て行きましたが。
「待って!」
アヤノはすぐに追いかけてしまい、青年に続いて酒場の外に飛び出してしまいました。
「えっ!? アヤノ!? 追うのかい!?」
「追わせておけばいいと思いますけどねー」
驚愕するミケリィの背後から声をかけたのは、いつの間にか席に戻っていたヘヌンシア。
テーブルに肘を付き、前髪の先にあるかもしれない枝毛を探す様は、状況に対して辟易しているようにしか見せません。
「なっ、どう、どうしてだい……?」
「オチが分かっているので」
「えぇぇ……? というか、アヤノが知らない男に興味津々だったのに大人しかったね……いつもなら私と一緒に驚愕するなり攻撃するなり威嚇するなりしているじゃないか」
「タネも分かっているので」
「?」
ギルドから飛び出した青年は繁華街に飛び込み、目についた路地裏に逃げ込むことに成功。
入って数歩ほど進んだ所で足を止め、人々の賑やかな声を背中に息を吐きました。
「ふう……ここまで来れば……」
「お兄さん!」
「うおおお!? なんじゃその追尾力は!?」
途端にアヤノが追い着いてしまったため青年はすぐさま振り向きます。驚愕のあまり丁寧語が抜けてしまった言葉も添えて。
「じゃ?」
「ななっ、なんでも……」
すぐさま目を逸らし軽く息も吐いて冷静さを取り戻したところで、青年は再びアヤノと対話します。
「えっと、どうして私を追いかけて?」
「どうして? さっきも言ったけどお兄さんと初めて会った気がしないからだよ」
「へっ?」
「疑問? 違和感? そういうのがあるから解決したい。このままだとシカバネウオの骨が喉に引っかかって微妙にチクチクした時みたいな居心地の悪い感じが続いちゃうの。アタシはそれが嫌だからお兄さんを追いかけてる」
淡々と言い切ったアヤノの態度はとてもあっけらかんとしていて、自分の行動に問題は無いと言葉もなく表しているように見えます。
疑問を抱いた自分の思考がおかしいのではないかとほんの少しだけ錯覚してしまうぐらいには。
「私に興味を持ってくれるのは良いんですけど……」
「急用でもあった?」
「ありませんが……」
答えた直後、アヤノは青年の両手を取って、
「じゃあよかった! アタシね、お兄さんのことがもっと知りたいの。だからお兄さんのことをたくさん教えてほしいな? アタシの違和感を解消するきかっけができるかもしれないから! 交換条件ってワケでもないけど、アタシのこともお兄さんに教えるから! ねっ?」
屈託のない可愛らしい笑顔。
並の男なら当然のこと、同性が相手であっても彼女の魅力に惹かれてしまうことでしょう。
しかし、
「………………」
表情を一切変えることなく黙ってしまった青年にアヤノは小首を傾げます。
「お兄さん?」
「……君は、他者に対していつもこうして、警戒心の欠片もなく接しているのですか?」
とても冷静かつ、どこか冷淡にも感じるように、尋ねました。
纏っている空気が変わったとでも言いましょうか、敵意の感じられない穏やかな印象は一瞬の内に消え、怒りのような悲しみのような、冷たくとも力強い想いはあるような目で彼女を見ています。
それでも、アヤノはいつもの調子を崩すことはなく、
「してないよ? お兄さんだけ。お兄さんとは初めて会った気がしないからフレンドリーなだけだよ、こう見えても人との距離感がバグったりはしてないからね。さっきのアホ冒険者とのやりとり見てたでしょ?」
「そういえばそうでしたね。安心しました」
青年がホッとしたように息を吐いて表情を少しだけ緩めると、アヤノは手を離しました。
「安心してくれたならよかった! お兄さんってば心配性さん?」
「よく言われます」
「へえ! 仲間にも似たような子がいるから親近感が湧いちゃうなあ」
「なるほど」
「ところでお兄さん、お名前は?」
「えっ、なっ、名前!?」
何故か動揺する青年、さっきとは反対方向に首を傾げるアヤノ。
「名前ぐらいでそこまで驚く?」
「驚くことは全くありませんけど……私を知りたいと言うなら名前を聞いても当然ですからね、でも……」
「ん?」
言葉を詰まらせてしまう青年をアヤノは不思議そうに眺めます。首を右に傾け、今度は左に傾け、疑問を抱く様をわかりやすくアピールしながら答えを待ちます。
しかし、いくら待てども青年からの返事はありません。
となれば根拠のない憶測が飛び出すのは必然でして。
「あっ!? もしかして人に聞かれると恥ずかしい名前だったとか? 自分の地元だと当たり前みたいな名前だけど、他の国や地域だとすっごく変な意味に捉えられちゃう名前だから名乗りにくいとか?」
「……」
青年の顔がどんどん青白くなります。
「それとも、ピオーネの外でちょっとやらかしちゃった悪い人とか? 身バレすると厄介だから本名を名乗りたくても名乗れないとかだったり?」
青年の顔に冷や汗が流れ続けます。
「あるいは……ピオーネに来たばかりだから冒険者登録も済ませてない新人さんで、冒険者になって新しい名前を名乗るつもりだけどまだ名前を決めてなくて言葉に詰まっちゃってたり? アタシも新しい名前を考えよっか? 候補はいっぱいあるよ! 例えば」
「やっぱり用事があるので!」
言葉を遮って背を向け、二度目の遁走を図ろうとした時でした。
ぽふん
空気が抜けたような軽い音が発生したと思えば、青年の姿が一瞬で消えてしまったではありませんか。
「ほえ?」
文字通り目を丸くするアヤノ。
そして、何の脈絡もなく視線を下に向ければ、そこには見慣れた少年が佇んでいました。
「……ヤト、ちゃん?」
ヤトは不機嫌そうに席に座っていました。
腕を組み、視線は鋭く、ストレスがどんどん上り詰めて行く様をとても分かりやすく表現しています。
彼の視線の先、つまりは正面にいるのは、
「あっはははははは! ぶわははははははは!」
テーブルに伏して大爆笑するヘヌンシアでした。右手で腹を抱え、左手でテーブルを叩き続けています。ここがギルドの酒場という公共の場でなかったら床の上を転げ回っていたことでしょう。
「うっさいぞ!」
当事者の怒りの声を聞いてもヘヌンシアの爆笑は止まりません。
「ヘヌくんは気付いてたんだね」
ヘヌンシアの横で頬杖をつくアヤノが言えば、彼はようやく顔を上げます。
「ひっひひ……あ〜腹いてぇ……ええ、最初からあれはヤトさんだって気付いてましたよ。神力を溜め込んでいる人間なんてヤトさん以外にいないから間違いようがありませんし、神人は神人で特殊な魔力構成をしていますから一目瞭然なんですよね……ぷぷっ」
「人の顔を見る度に吹き出すのはやめんか! 失敬な!」
立ち上がって怒鳴っても焼け石に水。今度は視線を逸らし、口元を抑えて声を殺しつつ爆笑。
これにより、何を言っても無駄だと早々に諦めたヤトはため息を吐いて腰を下ろしました。
「全く……魔力感知だけは人並みどころか天才と称しても過言ではないレベルであるお主には早々にバレるとは思っておったがのう……」
「何か言いました?」
「別に」
途端に爆笑を止めた彼、地獄耳だったようです。ヤトの口から出ていたのは悪口ではなく褒め言葉でしたがさておき、
「そんなことよりも」
黙ってヤトの横顔を見ていたミケリィが突然口を開きました。
「どうやって急に大きくなったりしたんだい?」
と、決して言葉には表しませんでしたが、生気がやや見られない緑色の瞳の奥には未知なる現象に対する好奇心が見えます。ワックワクしています。
「知らない」が現れると即座に究明したくなる研究者の性を間近で見てしまったヤトは若干顔を引きつらせますが、答えてはくれました。
「神力を使って肉体の年齢を成長させたのじゃ。普通の魔力では不可能である肉体変化も奇跡を起こす力である神力であれば可能じゃからのう」
「なるほど……その割には勝手に戻ってなかったかい?」
「神人は神とは違い神力を肉体に溜め続けることができんのじゃ。肉体の性質上、無意識の内に神力を放出してしまう。聖水を飲んで一時的に神力を底上げしその力で成長しても、成長した肉体を維持するために神力を使う上に、無意識の内に放出するのも相まってあっという間に神力が切れ、元の姿に戻ってしまうのじゃよ……ワシもさっき気付いたがな」
「なるほどなるほど。神人は普通の人間では絶対に使えない神力を使い奇跡のような現象を起こすことはできるけど、長時間も維持することはできないってことだね」
疑問を解消できてミケリィは満足げ。この事柄も神を解明したい宇宙人に知らされることになるのだろうとヤトはぼんやり考えるのでした。
「やれやれ……神の情報を伝えてもいいものか……しかし言わんのも納得してもらえんじゃろうし……」
「ヤトちゃん」
「うぐ」
アヤノに名前を呼ばれ、肩が震えました。
「なんで? どうしてヤトちゃんは大きくなっちゃったの? 今のままの小さいヤトちゃんの方が可愛いのに」
この彼女、口調は子供らしくて可愛いというのに笑顔は一切ない冷たい視線。頬杖をつき、反対の手でテーブルをトントン叩きながら迅速な返答を催促しています。
暴力的な口調と行動で怒鳴り散らす怒りとは違った、静かな怒りが見て取れました。
「確かに! 言われてみれば動機が不明でしたね!」
怒りの蚊帳の外にいるヘヌンシアが呑気に手を叩きますが、そのあまりの他人事っぷりにヤトは目前の恐怖を忘れ、ため息を吐きました。
「……子供の体は不便なんじゃ、年相応に扱ってもらえぬ。周りはワシのことを手を貸さなければ満足に生きることもできない弱者だと前提して接してくる。優しさと言えばそうじゃが、ワシとしては悔しくってのう」
「プライドが許さないと」
アヤノの相槌に頷きます。
「うむ。それに子供は非力、故にお主らに何かあった時に守ってやることができないかもしれん。さっきの連中が良い例じゃの、大人の姿だから牽制できたが元の子供の姿じゃと相手にすらされてなかったかもしれぬ」
「……」
「こちとら年長者としてのプライドだけでなく誇りもある……されっぱなしは嫌じゃ」
最大の動機は「張り出されたクエスト用紙に手が届かなかったから」ですが、秘匿にする方針です。
「ま、神力を使って成長できるかどうか今朝まで分からんかったが、こっそり試してみたら見事に成功してのう。嬉しかったついでにお主らを驚かせてやろうと思ったんじゃが、ちょっと目を離した隙に柄の悪い連中に絡まれておった故に明かすタイミングが……」
「ヤトちゃん」
「ヤトさん」
「ヤト」
「あん?」
急に名前を呼ばれ、顔を上げた時には仲間たちは静かにヤトの後ろに回っておりまして。
次の瞬間、三人は一斉に彼の頭を撫で始めました。
「なんじゃあああああああ!?」
結ってある髪が乱れるのも気にせずに一心不乱に撫でまくります。不器用な親が我が子を褒める時のごとく。
「なんなんじゃいきなり! 突然奇行に走るでない! それだからギルドで度々変な噂が流れるんじゃろうがあ!」
怒鳴り散らそうが三人の手は止まりません。
「だって一生懸命なヤトちゃんが可愛くって愛しさが限界突破しちゃったんだもん」
「私たちのことをここまで思ってくれて嬉しいんだよ」
「とりえあずアヤノさんたちに便乗しておけば面白いかなって思って」
「おい!!」
この怒りはヘヌンシアに対して向けられているものとします。
一通り撫でて満足したのか、三人は何事もなかったかのように自分の席に戻りました。
「まったく、本能だけで動きよって……」
文句は垂らしますが満更でもなかったのでしょう、乱れた髪を手櫛で直すヤトの口元はほんの少しだけ緩んでいました。
「本能だけで動くような連中を心配してくれている辺り相当なお人好しですからそこは自覚してくださいね、ところでギルドで度々流れる変な噂って何」
「あのねヤトちゃん、これだけは言いたいんだけど」
アヤノの圧に負け、ヘヌンシアは話を続けることができませんでした。
「自分が今、できることを一生懸命してくれる頑張り屋さんなヤトちゃんが大好き。でも、アタシたちのためだからって言っても無理をしてまで頑張っちゃうのはちょっと、違うんじゃないかな? 大きくても小さくてもヤトちゃんはヤトちゃんだもん」
「いや、肉体の成長は無理をしてまで行ってはおらんが……」
「だけど大きくなるために神力っていうのを集めないといけないんでしょ? それって簡単なことじゃないよね?」
「そうじゃの」
「だったらそこまでしてもらわなくてもいいよ。ヤトちゃんがアタシたちのことを心配してくれる気持ちは分かるけど、だからってヤトちゃんだけが過剰に苦労しちゃうのは嫌だもん」
「む、うむ……」
「サバイバル経験が豊富にあっても冒険者としてはまだまだ未熟だって自覚してる。でも、将来的にはヤトちゃんが心配するだけ損だったって思えるぐらい強い冒険者になるんだから、今はゆっくり見守っていてほしいな」
アヤノはそう言ってヤトに微笑みました。本日二回目の微笑みでした。
つい先ほどまで見せていた静かな怒りはもう、どこにもありません。
怒りを収めてくれたことも当然ですが、仲間の中で誰よりも守りたい彼女の頼もしい言葉が嬉しくて、
「……そうか。そうじゃの、心配するだけ損だったのかもしれんの……」
胸の中につっかえていた詰め物のひとつが取れたような安心感に満たされ、大きく頷きました。
「それに、大きいヤトちゃんより小さいヤトちゃんの方が可愛いし!」
「最大な要因はそれじゃろ!!」
周囲の視線も気にしない絶叫はすぐに酒場の空気に溶けてしまうのでした。
「ですよねー、アヤノさんですものねー」
「アヤノって少年愛の傾向でもあるのかい?」
「アタシはアタシが可愛いって思ったものが好きってだけだよ。もちろんミケちゃんとヘヌくんも可愛いところがあって、アタシはそれを含めて大好き」
「可愛い……」
「いやあ……」
アヤノによる最大の褒め言葉「可愛い」を受けて感動する二人。そして顔を引き攣らせるヤト。
「単純じゃのう……ミケリィはともかくヘヌンシアは可愛いとか言われたらもう少し怒るべきじゃろ、男として」
「アヤノさんに褒められたところを否定する方が愚かでしょう!?」
「男としてのプライドはないのか」
「はい!!」
即答。これが一人の女に心酔する魔族の姿です。
「……話が逸れたがとにかくじゃ、ワシが神力を使って成長するのはお主らのためでもあるが自分のためでもある。ワシがそうしたいからやっておる。この行為は決して肉体的かつ精神的負担を被るものではないから、これからも継続していきたいのじゃ。自己責任でな」
話の筋を戻しヤトは問います。このパーティの事実上のリーダーに。
そのリーダーもといアヤノは、
「……」
口を閉じ、
「…………」
ついでに目も閉じて考えた結果、
「いいよ」
と、答えました。
「ヤトちゃんがそこまでやりたいって言うならアタシも止めない。体を成長させることは悪いことじゃないからね。人様に迷惑をかけなかったらだけど」
「それをお主が言うのか?」と、言いかけてやめました。
「何か言った? ヤトちゃん」
「別に」
とっさに誤魔化しつつ目も逸らしました。アヤノもまた、地獄耳です。
すると、ミケリィは手を挙げます。挙げると言っても自分の顔の横ぐらいまでですが。
「ねえヤト、もうひとつ聞いてもいいかい?」
「なんじゃ?」
「さっきの大人のヤトって神力を使って成長していたんだよね? 神力を使えば肉体の成長だけじゃなくて、見た目を大きく変えることもできるのかい?」
「うむ、神力を使えばそれぐらいは可能じゃが、本来の姿から逸脱した姿になるには相応の神力が要る、聖水を飲んでかき集めた程度の神力では補えんよ」
「なるほど。だから単純な成長しかできなかったってことだね」
「うむ」
「でも、身長はそこまで盛らなくてもいいんじゃないかな」
「は?」
ヤト、唖然。
想定を上回る質問は思考全てを停止させ、言語能力に著しい障害を与えます。この場合、ミケリィの言葉に対して即座に弁明するという行為ができなくなってしまいました。
言葉を失っている間にもアヤノとヘヌンシアも神妙な顔で追撃。
「言われてみればそうだね。今が小さくて可愛いから大きい姿に憧れていたってこと……かあ」
「俺よりも身長が高かったですからね大人ヤトさん、百九十センチは超えてたんじゃないですか?」
二人共腕を組んで大きく頷き納得のご様子。
そこに低身長のヤトを弄るという悪意はありません。同情の気持ちだけがありました。
「……ぷぷっ」
誰にも悟られずに吹き出したヘヌンシアは除外します。
「え、いや…………違うが? 神力を使って眷属だった時代の姿に戻った、だけで……」
ようやく発せられた弁明も結論が出た後では全てが遅く、
「まったまたぁ、虚しいだけですよ? 誤魔化しても」
「いいんだよ無理しなくて。私たちみんな分かっているから」
「意地を張りたくなる気持ちはわかる。でも、いつか本当のヤトちゃんの姿を見せてね」
子供になってしまった老人の心情を気遣い、優しい言葉をかけてくる仲間たち。
本当に優しい心の持ち主、彼女たちと同じパーティに入っていなければ追放されて傷ついてしまった心は更に荒んでいたことでしょう。
しかし、優しさは時に「余計なお世話」になることもあるのです。
今がまさにそれで。
「だぁかぁぁあらあぁ!! あれが本来の姿なんじゃああああああ!!」
こうして、封印の地から脱出する寸前になるまで神と信じてもらえず苦労したヤトの受難は、思わぬ形で継続してしまうことになったのでした。
「どうすれば皆は信じてくれるんじゃあ! 意地を張ってないと気付くのじゃあ!」
たぶん無理。
2022.11.19