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神様、大きくなる

 ピオーネの街、冒険者ギルド。
 依頼文が張り出されている掲示板の前に、冒険者の少年ヤトは佇んでいました。
 白髪に水色の瞳というちょっとだけ珍しい外見、年は十代前半ほどと非常に若く、然るべき施設で勉学に励んでいても違和感のない年齢です。
 外見が若いだけで実際は千年近く生きている元神様なのですが、詳細は割愛。
 彼は今日の仕事を選んでいる真っ最中でした。
 というのも、仲間たちは酒場で朝食の真っ最中、先に食事を終えたヤトは良さそうな依頼を見つけて来ると言って先にギルドに来ていたのです。
「うーむ……」
 右手を顎に当て分かりやすく悩みます。
 目に留まった依頼は二つ。
「この依頼、報酬はちと微妙じゃが今のワシらの実力を考えると適切な難易度とも言える……こっちの依頼の報酬は高額じゃが討伐対象の魔物の詳細を見るにちと厳しいのう、リスクが高い……」
 小声で独り言を続けていく最中、他の冒険者が別の依頼を持っていく姿が視界の端に映り、ほんの少しだけ焦りが生まれます。
「考えていたら先に取られてしまいそうじゃのう。よし、金欠気味のこの時期に贅沢は言えぬが命あっての物種じゃ、報酬が微妙な方を選ぶとするか」
 独り言の末、受ける依頼を決めた少年は依頼文を手に……、
「…………」
 取れませんでした。
 掲示板の上部に貼ってある依頼はヤトが手を伸ばしても少しも……いえあんまり……いや全然届きません。
「……ぐぐぐ」
 恥を忍んで掲示板の目の前で背伸びをしても届く気配がありません。顔を真っ赤にしてとにかく必死に、一ミリでも近づこうと努力しても成果はありません。
「なんで……じゃ、昨日は同じ位置にあった紙が届いたじゃろうが……」
 錯覚です。
 依頼文が掴めず必死の攻防戦を続けるヤト。いつの間にか注目の的になっていたのでしょうか、周囲の人々がクスクスと笑う声が耳につき始めます。
 刹那、血管の一部がピキリと嫌な音を立てると同時にヤトは振り向き、
「ええい! 幼気な子供が見ての通り困っておるのじゃから手ぐらい貸さんか! 笑うだけ笑っておいて放置するだけなどけしからん! お主らそれでも大人か! もう少し年少者の手本になるような言動をせんか! みっともない!」
 子供に怒鳴られてしまった大人たちがバツが悪そうに目を逸らしてしまいました。言い返そうともしません。
「近頃の若いモンは……」
 老人のような言い草でぼやいた時、大慌てでこちらに向かってくる女性が見えます。
 ヤトは彼女に見覚えがあります。依頼受付をしている女性です。よくお世話になっていますが魔物を食うことの話になると顔面蒼白するのが玉に瑕。
「ごめんなさい! 取りますね!」
 女性は依頼文を掲示板から剥がすと、笑顔でヤトに差し出します。
「こちらで大丈夫ですか?」
「問題ないぞ。すまんのう迷惑をかけて」
 受け取りつつ丁寧に謝罪をすれば女性は首を振り、
「いえいえ! こちらこそ気がつかなくってごめんなさい。アナタほど小さな子ってあまりギルドにいないから気が回らなくって……」
「む、むう……うむう……」
 ヤトは苦い顔。
 小さいと言われてしまった不満はあるものの女性に悪意はないでしょうし、自身の不手際だと申し訳なさそうにする女性への罪悪感が混ざってしまったこともあり、子供扱いされたことを怒れません。
 唇を噛み締めている彼を見て女性は何か勘違いしたのか、
「そうだ! 掲示板の近くに踏み台を設置するように掛け合いましょうか? それならひとりでも依頼文が取れますし!」
 笑顔で提案しましたがヤトの心境は一言では言い表せない程に複雑化していくばかり。
 このような心境下なので女性の顔を見れなくなってしまうも、
「い、いや、ワシのためにそこまでせんでもええわい。ワシとて成長期なんじゃしその内に手も届くようになるというものじゃ……」
 丁寧かつ穏便に断りました。
「そうですか? でも、無理はしないでくださいね? あ、依頼の受理はカウンターでお願いします」
「うむ……」
 受付カウンターへ戻っていく女性の後ろ姿を見て、ヤトはふと気付きます。
「ワシって……成長するのか?」





 神人。
 「しんじん」ではなく「かみびと」と読みます。
 ヤトが産まれた世界におけるその種族は、神になろうとした人間が儀式に失敗してしまい、神になり損なってしまった非常に醜い姿を指します。
 外見は人間と変わりませんが肉体に神の性質と人間の性質の両方を備えていることから、神でもなければ人間でもないよくわからない生き物と呼ばれてしまっています。
 そのため神々の世界ではもちろんのこと、一部の人間からも嫌悪され迫害の対象となっているのです。
 ヤトはかつて、産まれ故郷の世界にある神が住まう都を崩壊寸前にまで追い込んでしまった事件を起こしてしまった罰と見せしめとして、神人に転生させられ十二歳ほどの子供の姿に変えられてしまいました。
 不運と偶然と怠惰が重なってしまった事故のようなものでした。
 しかし、彼はこの処遇に不満はありません。
 よく分からない生き物にされてしまったことも、二度と生まれ故郷に帰れなくなってしまったことも、神の力のほとんどを失ってしまったことも、全てを自身の罪として受け入れているのでした。





 本日の依頼も無事に終えて夕方、空が茜色に染まった頃。
 ヤトは冒険者専用の宿にいました。
 二階建て角部屋の一室は四人部屋になっており、部屋にはベッドがそれぞれ二台、向かい合わせになるように設置されていて、各ベッド脇には小さな収納棚が備え付けられています。
 窓は部屋の角辺りにひとつだけ、その下に机と椅子がありちょっとした作業ができます。
 一言でまとめるなら「とりあえず寝泊まりができて雨風凌げて人として必要最低限の生活ができる」といった部屋。
 お金のある冒険者ならランクの高い宿に泊まり、ひとり一部屋与えられてプライバシーの確保ができるようにしますが、一行はまだ冒険者として知名度が低く収入も安定していないため、簡素な宿で生活をしているのです。
「……」
 一足先に戻っていたヤト。彼が最初の帰宅者だったため他の仲間たちはいません。
 土で作られた壁を見つめて静かに考え事をしていましたが……、
「……よし」
 意を結したようにぼやいた後、壁に背をぴったりつけてから頭の頂点の位置に鉛筆を乗せて、壁に線を引きました。
 薄くならないように三回ほど繰り返して線を引いた後、壁から離れて位置を確認して……。
「……………………」
 呆然としました。
 まるで救いようのない絶望の淵に立ってしまったように愕然としたまま視線は壁一点に集中、ぴくりとも動きません。
 ひとりで銅像と化した少年の耳に、
「ただ今戻りましたー」
 聞き慣れた声が入ってきますが反応する気力はありません。
 帰宅宣言したのはヘヌンシア。見た目は人間ですが百八十年以上生きている魔族、姿形が人間と同一なのが特徴で性格がとても悪い。
 彼は壁を凝視しているヤトに気付くと、
「あれ、ヤトさんだけですか?」
「……うむ」
 ヤトは短く返すだけ。
「なんだ。せっかくお菓子を買ってきたのになあ、アヤノさんもミケリィさんもいないなんて」
「……うむ」
「あれ? “ワシの分はないのか!”とか言わないんですか?」
「……うむ」
「ん?」
 何を言っても同じ返事ばかりだったのを不思議に思い、お菓子が入った紙袋を机の上に置いてから近付きます。
 ヤトの後ろに立ったヘヌンシアは壁に引かれた線を見て、
「なぜ壁に落書きを? 宿の人に叱られても知りませんよ」
「…………先週もな」
「はい?」
 振り向きもせず、ヤトは続けます。
「先週もな、ワシはこの壁に線を引いた。頭の頂点に鉛筆を乗せ、その位置に線を引いた。引いた位置がここなんじゃ」
 そう言って壁に書かれた線を指します。
「で、さっきも同じように頭に鉛筆を乗せて壁に線を引いた、その位置もここじゃ」
 もう一度、壁に書かれた線を指しました。壁に一本しか書かれていない線を。
「同じじゃないですか。全然成長していませんね」
「んあー!!」
 奇声を上げて自分のベッドに頭からダイブ。それぞれ二台ある内の片方、すぐ横が壁になっているベッドに。
「なぜじゃ!! なぜ一ミリも変わらんのじゃ! この年頃の子供は成長期真っ只中のはずじゃろう! 多少は身長が伸びても良いじゃろうが!」
 枕に頭を伏せたままシーツを何度も殴っても身長が伸びるはずありません。それを一番理解している彼は悔しくて悔しくてたまらず、殴る力は次第に強くなっていくのでした。
「なんだあ、身長のことで悩んでたんですかあ」
 奇行の原因が分かったのでそりゃあもう滑稽な生き物を相手にするように、そして心底馬鹿にしている口調と声色と表情で言うヘヌンシア。とっても楽しそうです。
「ぬぐぐ」
 相手の顔は見えてないものの、煽るような口調と声色でどんな顔をしているのかは手に取るように分かってしまうヤト、悔しそうにシーツを握り締めるだけ。
 その様子が本当に面白くてたまらないヘヌンシアですが、もののこれ以上笑ってしまうと逆上されてしまいそうなので口元を押さえます。
「ヤトさんは普通の人間じゃなくて神人なんでしょお? 神と人間のミックス個体なんですから人間と同じような速度で成長するとは思えませんけどお? 俺みたいにい? 成長速度が人間に比べてゆっくりってだけなんじゃあ? ないんですかあ?」
「言葉の節々から煽る態度が滲み出ておるぞ!」
 ここでヤトが振り向いて一括しますがとっさに目を逸らしました。
 真面目に取り合う気がない生意気な態度ですが、すっかり見慣れてしまったというかいつもこの調子なのでこれ以上怒る気にもなれず、大きなため息をついたヤトはぽつりと、
「……成長せんかもしれん」
「えっ今なんて?」
 一秒の間もなく反応された俊敏さに内心舌打ちしつつも続けます。
「ワシはもう成長せんかもしれんのじゃ。人間であれば歳を重ねる毎に成長するが神は何年経っても姿形が変わることはない、肉体的な成長とは無縁の存在じゃ。神人は人間と神の特徴を混ぜた生き物じゃが人間と同じよう成長するとは限らぬ」
「だから成長しない可能性があると。なら潔くもう諦めたらいいじゃないですか、自分が永遠に成長しない生き物として一生を過ごせば」
「嫌じゃあああああああ!!」
 絶叫しながらベッドの上で手を足をバタつかせて暴れるしかない元神様。産まれは豊穣の神、次は豊穣の神の眷属、現在はこれ。
「結論が出ているなら無駄に希望を抱かなくてもいいじゃないですか。面倒くさいだけですよ」
「簡単に諦め切れないから微かな希望を抱いておるんじゃろうが! 神人の生態は不明な点も多いんじゃ! もしかするともしかする可能性があるじゃろうが!」
「へーへーへーほー」
 すっかり飽きてしまったのでしょうか、ヘヌンシアはヤトの向かいのベッド脇に備え付けてある引き出しから本を取り出します。
 そのままベッドに腰掛け、しおりが挟んであるページを開いて読み始めました。
「飽きるなー!」
 苦情が飛び出しますがヘヌンシアの視線は本のまま。
「成長が人間基準でなく神基準だったとしたら、神が成長する時と同じ条件でも揃えればいいじゃないですか? 信仰心とかあるでしょう?」
 ちゃんと話は続けてくれました。
 ヤトの心境は複雑なままですが、返答はします。
「神は基本的に成長せぬと言うたじゃろうが。肉体的成長もなければ成長による肉体の退化もないんじゃ。信仰心があったところで成長せぬよ」
「じゃあもう打つ手ないですね〜」
「ぐぬぬぬぬぬぬぬ」
 皮肉も混じった言葉にヤトは返す言葉もなく歯をギリギリ鳴らすしかできません。
「姿形を変える魔法でもあったらよかったのに」
「うっさいわい! 無いと分かってて言っておるじゃろ!」
「はい」
「あいっかわらず性格悪いのう……」
「生まれつきこういう性分なもので」
 ニヤつくヘヌンシアに憤りを感じますが、言い合いをするよりも思考を働かせることを優先させることにします。
「変身魔法のう……魔法で幻覚を見せて周囲に大きく成長したことを知らしめても根本的な解決には至らんし……」
「根本的な解決?」
「な、なんでもないわい」
 背が低くて掲示板に手が届かないところがあったことを言ってしまえば一ヶ月ほど弄られることは目に見えています。人の弱みにズケズケと漬け込んでいる彼の性格を把握しての防衛手段です。
 気を取り直して思考を続けます。口に出して。
「変身魔法……変質、変化……呪い……」
「成長したいからって呪いに手ぇ出さないでくださいね」
「わかっとるわい。好き好んでアヤノのトラウマに触れんよ」
「ならいいですけど」
「うーむ、呪いではなく……魔力……神力…………」
「さっさと諦めたら楽なものの」
「…………」
「抵抗するよりも開き直って生きた方が絶対に楽だと思いますけどねえ、面倒臭くないですし」
「…………」
「抗うなんて時間の無駄で……って、ヤトさん?」
 ヤトが言葉を止めてしまったので、ヘヌンシアは本から目を離します。
「どうしました?」 
「これじゃあ!」
 勢い余ってベッド上に土足に立ち上がったものですから後で色々な人たちに怒られました。





 翌日。本日も快晴、絶好の冒険日和。
 しかし、冒険者アヤノ一行の活動はお休みです。
 理由は単純、人間の食に対して情熱的な宇宙人ミケリィが飲食店の日雇いバイトに行ってしまったからです。
 しかもアヤノが「アタシもやりたい!」と言い出して同行してしまったので、特に予定を入れてないヤトとヘヌンシアは丸一日暇になってしまったのでした。
「というワケでヤトさんに付いていきますね。暇なので」
「暇だったらギルドで簡単な仕事でも受ければ良いじゃろうが」
「ヤトさんと一緒がいいです」
「何故じゃ? アヤノと一緒にミケリィのバイトでも手伝えば良かったではないのか?」
「アヤノさんと一緒というのは魅力的ですが接客業は嫌いなんですよね。それに、こっちの方が面白そうな気配がするので」
 行動原理の七割がアヤノで構成されている男は真顔で言い切りました。
 二人は冒険者ギルドではなく、ピオーネの街中を歩いています。
 冒険者の街として有名なだけあって多くの人々が訪れ行き交うピオーネの街。ギルドに近いここは冒険者御用達の武器屋や雑貨屋だけでなく観光客や旅人向けの宿や飲食店等が立ち並んでおり、少し進むと市場もあります。
 冒険者ではない一般市民の居住区はギルドから少し離れた別エリアにありますが、冒険者が近づくことはあまりありません。
「で? ヤトさんは朝早くからどこに行くんですか?」
「一日中引っ付いて回る気満々のようじゃがお主は行かない方が身のためじゃぞ、下手すれば命に関わる」
「そんな危険な場所、呆れるぐらい平和な街にあるわけないじゃないですかー」
 軽々しく言うヘヌンシアには一切応えず、ヤトは黙って足を進めます。
 繁華街を抜けて市街地に入ってしばらく進みますが、ヤトの口から目的地に関することが語られることはありません。ヘヌンシアが時折零す愚痴やちょっとした嫌味に鋭いツッコミを入れる程度の返答が出るだけ。
 ギルドを出て数十分も経った頃にはヘヌンシアが痺れを切らして、
「あのー、本当にどこに向かって」
 言いかけた時にヤトが足を止めたので少し遅れて止まれば、
「げぇぇえっ!?」
 すぐ横にある建物を見た途端に汚い悲鳴が出ました。
 そこはピオーネにある住宅街の中、美しい庭園と小さな畑に囲まれた教会だったのですから。
「言ったじゃろ? 来ない方が身のためじゃと」
「な、なななんでこんな悍ましい所に来たんですか! 意味が分かりません!」
 顔を青くしながら怒鳴るヘヌンシア。
 魔族である彼は神聖な力が苦手なので教会のような神にまつわる施設も毛嫌いしています。どでかい拒絶反応が出るほどに。
 こういった事情はもちろん承知の上、ヤトは大きなため息を吐いて、
「教会に用事があるんじゃよ」
「用事……?」
「お主はどう足掻いても教会の空気には慣れんし体にも良くないじゃろ。帰って小説の続きでも読むことじゃな」
 吐き捨てるように言ったヤトはヘヌンシアを置いて、解放されている門をくぐり抜けます。
 門から礼拝堂の扉までは舗装された土の道が一直線に伸びていて、その道沿いには花壇が均等な感覚で並んでいます。
 花壇には季節の花々が咲き太陽の光を一身に受けていることから。普段から丁寧に手入れされていると分かりました。
 少しだけ微笑ましい気持ちで眺めつつ足を進めていると、背後から駆けて来る足音。
「置いていかないでくさいよ」
 ヘヌンシアでした。
 立ち止まって振り向いたヤトが見た彼の顔色は悪く、どこからどう見ても教会の神聖な空気に毒されてしまったと分かります。
「何故ついて来るんじゃ。ワシの目的は分かったのじゃから帰れば良いと言ったではないか」
「ここですぐに帰ってしまうと面白い光景を見逃す気がするんですよ」
「また訳の分からん情熱を燃やしよって……」
 若者の考えていることは分からんと呆れてため息を吐き、無下に追い返そうとしないまま再び足を進めることにしました。
 礼拝堂への扉は目と鼻の先だったためすぐに到着、深呼吸するヘヌンシアとは裏腹にヤトは躊躇いもなく扉を開け、
「失礼するぞ」
 そう言いつつ礼拝堂の中へ足を進めます。いつの間にか背中から肩をガッチリ掴んでくるヘヌンシアはないものとして扱って。
 朝のお祈りが終わった後なのか礼拝堂の中に一般市民の姿はありませんが、
「こんにちは。今日は一体どうされましたかな?」
 二人を視野に入れるや否や爽やかな笑顔を浮かべたのは若い神父。
 神をかたどった像と天井近くに飾られたステンドグラスを背景に敵意ゼロの微笑みを向けるという、まさに聖職者と称すに相応しい光景でした。
「うむ、実はのう……」
 ヤトが切り出した刹那、背中が軽くなります。
「む?」
 振り向いて見たのは、素早いバックステップを駆使して距離を取ると同時に速歩で後退するヘヌンシアの姿。
 開けたままの扉の向こうで来た道を戻っていきあっという間に門の外に出て、見えなくなってしまいました。
「…………だから言うたじゃろうが……」
 心底呆れるヤトとは対照的に、突如見事な後退パフォーマンスを見せられた神父は当然戸惑い。
「え、えっと? 今の彼は……?」
「礼拝堂の雰囲気と神父の清純さが眩しすぎて拒絶反応を起こしただけじゃ。気にしてはいかんぞ」
「はい? そうなんですか? 私は自分のことを清純だと思っていませんが」
「本人がそう思ってなくても奴にとってはそうなのじゃ。綺麗事を誰よりも信じない男だからこそ、全て整った物が異様なまでに眩しく見えてしまうのじゃよ、その結果があのような拒絶じゃ」
「はえ……」
 驚いて空いた口が塞がらない神父でしたがヤトは構わずここに来た目的を話しました。



 おおよそ一時間後。
 教会の門をくぐって外に出たヤトは両手に木の箱を抱えていました。
「ふい〜」
 一仕事終えたような安堵の息を吐き空を見上げていると、
「あっ」
 道の向かい側、家屋の石壁を背にして座り込んでいるヘヌンシアと目が合ってしまいました。
 とっさに他人のふりをすればよかったのですが時すでに遅く、彼はスッと立ち上がるとものすごい速さでヤトの前まで近づいて、
「ヤトさん酷いです。どうして俺を見捨てたんですか」
 淡々と責めたのでした。
「完全にお主の責任じゃろうが! というか帰ってなかったのか!」
「帰ってもやることがないから暇なんですって。それよりも気持ち悪い場所にわざわざ行ったあなたの動機を調べる方が面白いと判断したから待ってたんですよ。神父の爽やかフェイスを浴びた時はちょっと死を覚悟しましたが」
「暇潰しに命をかけるな!」
 怒鳴りつつもため息が止まりませんが快楽主義である魔族を戒めるのは至難の業、そして今はまだ労する状況ではないと自分に言い聞かせ、首を振るのでした。
「もういい……好きにせい」
「ん? はい。ところで、それが俺が犠牲になりかけてまで手に入れたかったものですか?」
「お主が死にかけたのは自業自得じゃがな」
 吐き捨てるように言ったヤトはさっさと歩き始めるので、ヘヌンシアはすぐに付いて行きます。
「これを持ってどこへ?」
「宿に帰る」
「持ちますよその木箱。子供に重い物を持たせるというのも気分良くないですし」
「誰が子供じゃ! いらん気遣いじゃぞ!」
 怒鳴り散らしましたがヘヌンシアは怯まずに、
「お年寄りを労わるのは若者の義務ですよ」
 そう言って微笑みかけました。
 途端にヤトの怒り顔はどこへやら、少し照れたような恥ずかしそうな戸惑った様子で、
「う、む、むう……年相応に扱うのであれば悪い気はせんのじゃが……」
 嬉しいのか声もうわずっています。この元神チョロいなと思ったヘヌンシアですがもちろん言いませんし表情にも出しません。
 好反応でしたがヤトが木箱を渡そうとはせず、すぐに目を逸らしてしまいます。
「でもダメじゃ。これをお主に渡すワケにはいかん。お主がこの中身を知れば構わず投げ捨ててしまうからのう」
「めんどくさがりで性格が悪いと自分で認めている俺ですけど、人の荷物を勝手に放り投げたりするようなことはしませんよ。どれだけ信用ないんですかあ俺はぁ」
「箱の中身が聖水だと知っても同じことが言えるか?」
 刹那、ヘヌンシアの表情と足が氷のように固まりますがヤトは気に留めずに話と足を進めます。
「体を大きくする方法を色々と考えたんじゃがな。神々の都におった頃、神力を使って自身の姿形を変えておった神や眷属がいたことを思い出したんじゃ。ワシは神でも神の眷属でもなく神人じゃが、神人であっても人間には使えない神力を使うことはできるんじゃし、神力さえ確保できれば自分の姿を変えることができるかもしれないと思いついてのう」
 聞いているか聞いていないか確認もせず一方的に喋り続けたところで、硬直状態が溶けたヘヌンシアが追いついてヤトの横を何食わぬ顔で歩き始めます。
「神力は神を神と形作るだけでなく奇跡のような現象を起こすことができるという、魔力とは異なる万能エネルギーなので理屈はわかりますよ? 本来であれば相当特殊な能力がなければ不可能とさえ言われている変身魔法を使うことが可能になるかもしれませんけど……」
 言葉を濁し、ヤトが抱えたままの木箱をチラリと見てから苦い顔。
「それと聖水って……何の関係が」
 まるで苦虫を噛み潰したような表情。神の力が絶対的に苦手なので魔を祓うアイテムとして非常に有名な聖水も苦手ですし弱点にもなります。
 ヤトは一瞥もくれることなく答えます。
「聖水の作り方を知っておるか」
「聞きたくもありません」
「世界や国や地域によって作り方は様々じゃが、ここでは魔除けの薬草等を煎じた水に十字架を漬け、祈りを捧げることで聖水を生成するのじゃ。人間の祈りが捧げられているこれなら微かに神力が宿っているはずじゃ」
「ええ……? 所詮は人間の手作り加工水ですよ? そんなのに俺たちが苦手な神の力って宿るものなんですか?」
「多少はな。人の強い願いや想いには神を生み出す力が宿るからのう、人の祈りが捧げられた水であっても例外ではないのじゃよ。探せばもっと強い神力が籠ったアイテムがあるのかもしれんが今のワシにはこれだけで十分じゃ」
 かつては神様だった少年は真っ直ぐな目で言い切ったのでした。
 後悔や未練といった後めたい感情が何ひとつ見て取れず、ヘヌンシアは退屈そうに息を吐きます。
「ふーん……じゃあ、神の力の正体って人間の祈りや信仰心なんですね」
「その通りじゃよ。前にも言ったと思うが神は人間なくしては生きることも存在することもできん、反対に人間だって神がいなければ種の存続もままならない。だから、本来であれば神が人間を格下だと決めつけ見下してはいかんし、人間が神を蔑ろにしてもいかんのじゃ」
「でもこの世界の人間は思いっきり神を蔑ろにしてませんでした? 自分達の都合の悪い時だけ神を信じて崇拝しつつ助けを求めて、都合のいい時が続くと勝手に忘れて雑に扱って……最終的に神は人間に干渉しなくなったしこの世界の豊穣神は邪神になって世界を喰らい尽くそうとしてたじゃないですか」
 淡々と返したヘヌンシアの脳裏には封印の地を彷徨っていた最中に拾った書物、この世界の成り立ちや神々についての話がありました。
 神の寵愛を受けていた人間が魔物が蔓延る地上に降り立ち、そこで繁栄し子孫を残し現代まで続く人間社会を設立させたものの。全ての問題を自分たちの力だけで解決していったことから神々の存在を忘れてしまった結果に多くの悲劇を生んだと謳った、ほぼノンフィクションだと思われる物語。
「神と人間が互いを尊重するとか夢物語でしょうに、どうしてそこまで」
「それはこの世界ならではの話。この世界の神はワシの生まれ故郷と違って人間の信仰心が絶対に必要ではなかったから干渉することが少なく、最終的に人間に忘れられてしまったのじゃよ。神が本当に人間を必要としておるならどんな手段を使っても自分たちの存在を人間に誇示しておるよ」
「それには納得するしかありませんけど……まあ、この世界の人間が自己中心的なことに変わりはありませんよね?」
「突然話を変えよって……その心はなんじゃ?」
「この世界の神たちは人間がいる地上を見捨てて神の世界に戻って行ったのに、あの神父とか教会に通っている人間はそれも知らずに神の存在を信じて崇めているじゃないですか。意味ないでしょうあれ、アホなんですかね」
「すべての者が神を蔑ろにしているワケではない。確かに信仰とは神を都合よく扱っている身勝手な行為にも見えるが、己が信じる絶対的なものを崇める行為というのは相手のためではなく自分のためという意味合いの方が強いんじゃよ。お主にだって心当たりはあるじゃろう?」
「それは……まあ……ええ」
「どんな人間であっても自分の信じる神……あるいは神と同等だと信じている存在を崇拝する。信じているものがいる、存在する、同じ世界を共有しているだけで幸せ……といった想いによって生きる活力が湧き困難を乗り越えられる強さを得ることができるんじゃ。信仰というのは神のためであることはもちろんのこと、人が強く生きるために必要な行為なのじゃよ」
「……」
「人はその想いで強くなり子孫を残して数を増やし命を後世に繋ぐ。神は人が強くなるための過程で生み出された信仰心を得て存在を維持し、人が滅亡しないように世界をコントロールする……ワシの生まれ故郷だった世界はそうやって成り立っておるんじゃよ」
「で、ヤトさんはそれを滅茶苦茶にしたと」
「思い出したように蒸し返すな! 今は順調に復興して安泰しておるはずじゃ! たぶん!」





 まっすぐ宿に戻った二人。
 ヤトは自分のベッドの側に箱を置くと、上蓋になっている板を外します。被せてあるだけなので簡単に取り外せました。
 中にあるのは聖水の入った瓶が十本。縦に二列、横に五列並んでいました。
 彼の後ろで腕を組み、様子を伺っているヘヌンシアは、
「で? どうするんですかその有害物質」
 とてもとても嫌そうな顔で尋ねれば、ヤトは振り向き様に彼を睨みます。
「有害ゆーな。どうするも何もこうするに決まっておるじゃろ」
 ヤトは箱から瓶を一本だけ取り出すとコルク栓を開けます。
 そして、口をつけ、中身を飲み始めたではありませんか。
「げぇえ!?」
 ヘヌンシアが悲鳴を上げている間にも聖水はヤトの口に吸い込まれていき……あっという間に飲み干してしまいました。
 言葉を失うヘヌンシアを気にせずヤトは瓶から口を離して、
「うええ、薬草臭い……」
 息を吐きながら憂鬱げ、封印の地で初めて串焼きにした虫を食べた時と似た気持ちになりました。
 コルク栓を瓶の口に戻そうとしますが、うまくハマらず苦戦し始める中、
「な、ななななななんで猛毒を接種してるんですか……自殺願望でもあるんですか……」
 まるで信じられない物を見るような目で尋ねるヘヌンシアの体は小刻みに震えていました。
「ないわ。聖水に宿っておる神力を接種するんじゃぞ? 飲む以外に方法はなかろう」
「そ、そうですけど……気持ちわるっ」
「気持ち悪いとは……魔族にとって聖水はゲテモノ以前に猛毒じゃからこの反応も致し方ないが、複雑じゃのう……」
 視線を落としつつぼやきますが、元豊穣神の神人と神に忌み嫌われた種族の魔族が共同生活すればこのような価値観の違いが生まれるのも当然です。
 頭では分かっていますがいざ現実を突きつけられるとやるせ無い気持ちにもなってしまうというもの。
「で、飲んでどうなんですか? 神力は得られたんですか?」
 彼の心境など知ったこっちゃないと言わんばかりに尋ねるヘヌンシアが一番平和に生きているかもしれません。
「ほんの僅かじゃが力は感じるぞ。じゃが、この程度じゃと変身するには足りぬな」
 そう言いつつちらりと箱を見ます。正確には残り九本の聖水を。
「……まさかとは思いますが、箱にある聖水を全部飲むつもりですか」
「無論」
「うげー!」
 反射的に出る悲鳴。価値観の違いは仕方ないとしてもヤトの怒りに触れるのは当然で。
「さっきからうるさいぞ! ワシが好きで飲んでおるだけで、これをお主に強制しておるワケではないんじゃから少しは黙らんか!」
「気持ち悪い物は気持ち悪いんですよ! 俺にとっては普通のゲテモノとはワケが違うんです! 普通のゲテモノは諸々を我慢すれば食べることができますけどこれは食べることすらできない劇物なんですよ! 飲むのはいいですけど俺がいないところで飲んでください!」
「ならお主が部屋から出ていけばよかろう!」
「聖水にビビって逃げるみたいで嫌です」
「駄々っ子か!!」
 人の言うことをろくに聞かない男に暴言は無効です。ぷいっと横を向いてしまったので意地でも部屋から出る気はないのでしょう。
 理由もなく言うことを聞かないただのワガママにヤトは呆れ果ててしまい、しまいには額を抑えて、
「勝手についてきて勝手にダメージを受けまくっておるだけじゃろうお主は……なんじゃ、そういう性癖か」
「俺がそういう性癖を出すのはアヤノさんだけです」
「そのカミングアウトはいらんわ!」
 この世界に来て一二を争うほどどうでもいい情報に対しヤトは怒声で対応。
「ミケリィさんでもいいんですけどね。あの人はよほど倫理に反していなければ肯定してくれるはずですし」
「その見解もいらぬ……」
 ため息を吐くヤトの脳裏にはどんな特殊性癖もノリノリで応じる二人の姿が映し出されました。かなり現実味を帯びているのが致命的。
 すると、ヘヌンシアは小首を傾げて、
「あれ? “ワシは?”って言わないんですか?」
「言ってほしいか? 興味を持ってほしいのか?」
「別にどっちでも」
 淡白な返答にヤトの頭の何かがプッツリ切れて、
「自分から話を振っておいて雑に答えるでないわ! どうでもいいなら話題に出すな!」
 空になった瓶の口、コルク栓が入らないままだったそれをヘヌンシアの頬に押し付けた瞬間、

 じゅう。

 と、熱々の鉄板の上に肉を置いた時のような音が響き、
「あっつあ!!」
 聖水に宿った魔を祓う力が彼の肉体に反応したのでしょう、悲鳴を上げたヘヌンシアは背中から床に倒れてしまうのでした。
 頬を抑えて悶える彼を尻目にヤトは今日何度目か分からないため息を吐き、
「これで少しは静かに過ごせるのう」
 空瓶にコルク栓をしっかりはめて箱の中に戻しつつ、二本目の聖水に手を付けるのでした。
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