今日こそは、
私の前任の審神者はとても綺麗な人で審神者としての能力も高く、豊潤な霊力を持ち、座学や兵法にも長けていた、それはそれは素晴らしい人だったという。
そんな素晴らしい人が治めていた本丸をどういうわけかこんな平凡な私が引き継ぐことになってしまった。
3年でその前任は亡くなったそうだ。
美人薄命とはよくいったもので、まさにその言葉の通りだったのかもしれない。
上座に座るべきか、とまずはじめに思ったけど刀剣男士達の雰囲気によりそんな場所に座るべきではないとすぐさま判断した。
上座には座らずにその場に座って挨拶をする。
やっぱり全員がこんな普通の女に、という視線を投げかけてくる。
それはもう諦めてもらうしかないのだ。私が死なない限りまた新たな審神者はやってこないのだから。私が死ぬまで我慢ぐらいしてほしいものである。
前任が使用していた部屋は不気味なほどにそのままだった。
しかし誰も入っていないんだろう、机にはうっすらと埃が積もっていた。
その部屋を見ていると後ろから視線を感じて、ここを片付けて私室として使うのは刀剣達が許さないな、と思う。
となると、隣の部屋なら大丈夫かな。
「あの、」
振り返って私に視線を送っていた人…?神様?に声をかける。
驚くほど真っ白なその神様は私が話しかけるとは思っていなかったのが驚いたように目を見開いていた。
「この隣の部屋を片付けて使用してもいいですか?」
「…ああ、構わない。元々物置部屋だったしな」
「物置部屋…」
確かにそういわれれば頷ける程度の荷物の量だ。
もともとあった荷物はどこに置こうかな、と思いながらふらふらと探索をしてみる。
さらに奥のほうに使って居なさそうな部屋を見つけた。
むしろここを自分の部屋として使ったほうがめんどくさくないかな、と思ったものの結構距離があるため断念した。
その奥の部屋へとせっせと荷物を移動させて掃除を済ませて、政府に机や布団などの必需品を注文してとりあえず部屋を整えた。
あの後刀剣と話をしてみたがどうやら今までの出陣の方法や内番の当番などは今までの前任が行っていた通りにやりたい、とのことで私の口出しはいらないとのことだった。
こちらとしても成るほど、と頷ける内容であった。
そりゃあ優秀な前任の考えた戦の方法がより効率的だろう。
私は審神者の養成学校で可も無く不可も無く、本当に普通の成績を取っていたのだから。
その刀剣達の提案にも頷き、私のやることといえば任務の達成率の報告書やら資材の管理やらである。
することが無いと本当になにもやることがなかった。
ぼーっと空を眺める事が大半だったかもしれない。
「猫だ」
しかしこんなところになんで猫が?虎柄の猫。可愛いな…
「ほ~ら、ごろごろー」
猫の腹を撫で回せば気持ち良さそうに猫が目を細める。
やっぱ猫だよね、実家でも猫飼ってたんだよ。猫じゃらしでも買いたいくらいだ。
「あ、」
少しするとその猫はとことこと走り去ってしまった。
まあ、野生であんな毛並みのいい猫がいるわけないし…ちょっと残念。
やることがない。それに尽きる。
ふと思い立って前任さんの部屋にやってきた。やっぱり空気が篭っていて埃っぽい。
することもないし、掃除でもするか。
そう思い立ってその部屋を掃除することにした。誰も入る事がないみたいで埃が積もったままだ。
物をもとの場所へ戻せば彼らも何も言わないことが分かったし、定期的に掃除をすることにして他に掃除できる場所はないかなーと本丸を徘徊する。
鍛刀場であるところは一度も私が使っていないからやはりそこも前任が最後に使ったままだったんだろう、札が置いてある棚やらにも埃である。
それも軽く掃除してふらふらとまた本丸を歩いた。
私のすることが本当に書類と掃除と空を眺める、しか無い。と早々に気付いてから一年程か、ばたばたと忙しい足音が響いた。
「主!!」と大きな声が隣の障子を開ける音と共に聞こえてきた。
そして直ぐに障子を閉める音と、私の部屋に近づいてきた足音。
「審神者、この刀を顕現してくれないか?」
たしか、鶴丸国永と言っただろうか、やることがなくて刀帳を眺めていてやっと彼らの名前を覚えることができた。
「顕現…」
やった事がないけど、私にちゃんとできるのだろうか…
不安になりつつその刀を受け取って、力を込めれば光が放たれて手に持っていた刀の重みがなくなる。
桜が舞った先に見えたのはとてもとても綺麗な男の人だった。
その刀は三日月宗近といって、凄く珍しい刀のよう。前任の頃から探していたらしくその日は本丸をあげてのどんちゃん騒ぎだったそうな。
三日月宗近が鶴丸国永に背中を押されたとき、不思議そうな顔で振り返った。
「主は一緒に食わぬのか?」
「…あるじ?」
つい、自分を指差して聞き返してしまった。
主なんて始めて呼ばれたから私のことなのかと確かめてしまう。
「ああ。俺の主はおぬしだけだ」
そうきっぱり告げられて、なんともいえない気分になった。
「主…私が主、かあ…」
ちょっとだけ口元が緩んでしまったかもしれない。
やっと私を主と呼んでくれる人が現れて気持ちが浮き足立った。
「私は、いいよ」
しかし一緒に食べるとか、それとこれとは別だ。
もし、私が一緒に食べるといって、席が用意されてないとかそんな惨めなことにはなりたくはない。
一人で食べるから。と告げれば三日月宗近は少し目を細めて「そうか」と頷いただけだった。
少しずつ、本当に少しずつだけど自分の刀ではない彼らと話をする機会が増えた。
新しい刀を私が呼び出すと、その刀が前任の刀と繋がりを持っていたりで言葉を交わすようになってきた。
「大将、また空眺めてんのか?」
「することがないのよ」
三日月宗近の後に呼び出したのは厚藤四郎。短刀であるけど少し顕現率が低いだとかでこの本丸には居なかった刀だ。
「…もっと健康的なことしたらどうだ?」
「やめて、そんな顔しないで」
そんなの自分が一番わかってる…本丸にきてからというものの特にすることも無く部屋で篭って書類整理か資材庫で資材の増減をメモしてすることなければそのまま空を見るだけ。
だからといって外に出てもやることがないのは変わらないし…
「そういえば鶴丸の旦那がなんか言いたそうにちらちら大将のこと見てたぜ?」
「え…なんだろう…こわい…」
「……それ本気で言ってんのか?」
「うん?」
「あいつらもあいつらだけど、大将も大将だよな」
はぁーっと重い溜息をつく姿は短刀であるから少年の姿なんだけど、なんかすっごくいい歳したおっさんみたいな…
「…厚ったら居酒屋で一人日本酒を煽るおっさんみたいだよ」
「そういう風にしてんのは大将とこの本丸のやつらのせいだからな」
よくわからない。
「主!兄者を見なかったか!?」
「え、髭切…?さっきまで軍議に参加してたと思うんだけど…あれ?」
確かにさっきまで居たと思うのにいつのまにか居なかった。
「…そういえば今日の畑当番って」
「だから兄者を探しているんだ!!」
ごめん…さっき参加してるなーって思ったときに捕獲しておけばよかった…
「うん…見かけたら畑に戻るように伝えておくね…」
「頼んだぞ…」
兄者…兄者…っと呟きながら背を抜けた膝丸の姿がなぜだかとても小さく見えた気がした。
次に見つけたらちゃんと捕獲しておくから元気出して、と思いながらも話を戻す。
「ごめんなさい、それで次の戦場の編成はどうするの?」
「……」
「鶴丸国永?」
どこか悔しげに見えるけど、何があったのかは全く分からない。
「いや、なんでもない…」
「それで、今回はどうするの?
あなた達の決定に私はそのまま従うから」
「…もう少し他のやつらとも考えてみるからまたあとで話していいか?」
「そう?別に構わないけど」
部屋に戻ろうとした時に「あるじーーー!!」と叫び声が聞こえてきた。
この声は後藤か…「ど派手に暴れるぜ!」という声も聞こえてくる。
まったく…今度はいったい何をやらかしたんだか…
襖に手をかけた時に後ろから声をかけられる。
「なに?」
「その…君のことを…あ、ある……いや、なんでもない…」
最近何人かの刀剣がこうして私のことを呼び止めて、何かを言いたそうにして、そして諦めたように言葉を区切ることがある。
私はその先の言葉を知る気持ちはないし言いたくなったら本人達が言うだろう。
明日言われるかもしれないし、明後日かもしれないし、全くそれは予想できないけども話をされたらちゃんと聞こうとは思っている。
「やっぱり、猫よね」
「まったく…だからそれは虎だと何回言えば分かるんだ」
「猫科だから猫でいいのよ」
随分と昔にこれは虎だと鶴丸国永に教えられたけども猫科だから猫でいいと思うわけよ。
五虎退という短刀の眷属でたまーにねこじゃらしの気配を察知して私のところへやってくる。
足腰も弱くなってきて立ち上がることも億劫になって、こうして誰かがこちらに話をしに来てくれるのは退屈しのぎになって良い。
昔から鶴丸国永は比較的私の傍にいたと思う。
勿論近侍に指名している三日月よりは傍には居ないけど、三日月がふらりとどこかへ行ってしまうとそれの代わりかのように鶴丸国永は現れた。
そして、長い時間をこの本丸で過ごしてきてなんとなく察していることはある。
それは前の審神者に顕現された刀剣達が口篭らせる内容だ。
私からは何も言わないと決めて年十年経っただろうか。
厚には「そろそろ自分から言ってやれよ」と呆れ混じりに言われる事は幾度とあったけど、それはこの本丸にはじめてやってきた時に約束をしたから。
口出しをしない。出陣も遠征も内番も、彼らの言動だってそうだ。
優秀な審神者に顕現されただけあってここの刀剣達はとてもよく出来ていた。だからこそ本当に私は何も口出しをすることなく時が過ぎたんだろう。
この調子じゃまた明日、明後日になりそうかしら、とぼんやりと空を眺める。
「なあ…一緒に夕餉でも食べないか」
何年もかかって漸く聞けた言葉だった。
勿論だとそれに頷いて私は久しぶりに誰かと食事を共にした。
私の刀剣達にだって食事に誘われた事は何十回とあった。
だけどそれには頷くことはしなかった。
もうそんなことはしないとはっきりと分かるけど、昔の私はとても臆病だったのだ。
もし自分の刀達と食事を取って皆が悪く言われたりしたら、と思っていた。
今思えばここの刀剣達はとても優しいからそんな事したりしないと少し考えれば分かったのに、考えるほどの余裕もあの時の私にはなかったのかもしれない。
少女だった私はひたすらに「家に帰りたい」と思うだけだった。
空を眺めるだけでしかなかったから、帰りたいなーと思うのは普通のことだったと思う。
まあ、今はそんなことはないけど。
「今日の夕食は私の好物ばかりだわ」
「そうなのか?」
「ええ、実はこのご飯が出るといつもうきうきしながら食べてたのよ」
「へえ…じゃああとで光坊に頼んでみるといいさ、喜んで作ってくれるはずさ」
「そうかしら、ふふふ、頼んでみるのもいいかもしれないわね」
他愛もない話をしながらその日の夕食を終えた。
私の分のお盆も下げてくれた彼にお礼を告げる。
「また君と食事を共にしてもいいか?」
「大歓迎よ」
「そうか、君は、とても美しい人だな」
「こんな皺くちゃなお婆ちゃんに美しいなんて変な神様ね」
「君は君が思うよりもずいぶんと美しい人間だと思うがなあ…」
「今までそんなこと言われたこと無かったから照れちゃうわねえ」
「なあ…」
「あら、まだ何かあった?忘れ物でもした?」
「……いや、これはまた明日、君に言おう」
「それは楽しみね」
やっと私のことを主、と言ってくれるのかしら。
「結局、君に言えず仕舞いだったなあ」
真っ白な神様が小さな墓を見ていた。遺体は現世に返されそこに埋まっているのは遺髪だけだ。
その墓の前にどすりと座り込んで上を見上げれば真っ青な空が広がるだけでなんの驚きも面白みもない。
こんなものを見上げていて彼女は楽しかったんだろうか、と疑問さえ浮かぶがそれしかすることがなかったんだろう。
そう気付きながらも距離を縮めるのが遅すぎた。
「 」
空気に溶けた音は誰に拾われることもなかった。その言葉を向ける相手はすでに墓の下である。
「存外、俺は君がとても気に入っていたんだ」
これといった美点はなかったかもしれないが君の傍はとても心地が良かった。
ちゃんと伝えていたら君はどんな顔をしたのか、
いつもどおりの無表情なのか、あの日三日月を顕現したような顔をするのか、今となっては確かめる術もない。