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ご飯があれば大丈夫ですな



彼女はいつだって突拍子もない。
虫捕りに行こうだとか海に行こうだとか、突然思い立って行動に移す。
その突然の行動に慣れることはあっても予測することは出来ない。
これだけの年月を共にしているのに、いつだって自分は振り回されてばかりだ。
いつだったか、何年前だったか、そう零した時に彼女は笑った。

「だって一期に振り回されてたんだから、これぐらいいいでしょ」
そう言われてしまえばなんにも言えなくなってしまうのだが。



「お母さんって昔から料理上手だったの?」
「突然どうしたの」
「えー…だって頑張ってもお母さんみたいな料理作れないんだもん」
休日の昼間、男三人は映画を見に行くと言って出掛けたため、娘と二人でこっそり買っておいたケーキを食べながらのんびりしていた時にお茶の間に流れてきた料理番組。
それをぼうっと見ていたら娘がそう零した。
「料理を作ってる年数が違うんだからそういうもんでしょう」
私だって最初は料理がもう大変だった。本当にダメダメだったわけである。
「何かきっかけでもあればあなたも上手くなると思うけど」
「きっかけ?」
「案外単純なものだから」
性格が私に似た娘ならばきっと私と変わらないだろうな。
単純な理由ですぐに料理上手になるだろう。






「一期、何してるの?」
「弟達がボールを使いたいというから渡したんだ」
なるほど。だから一期は一人で弟達を眺めているのか。
6歳の時までは両親を独り占めしていた一期も双子の弟が出来てその両親は弟に掛かりきりになったらしく、最近はどこか暗い雰囲気だ。
つまらなさそうに縁側で足をぶらぶらと振っているので私も同じように隣に座って一期の弟達を眺めた。
もう両親に甘えるような年齢じゃなくなったとしてもやっぱり弟ばかり構うおじさんとおばさんに対して微妙な心境というものがあるんだろうなあ…
一人っ子の自分にはよく分からない気持ちであるため首を傾げる。
ミーンミーンと五月蝿い蝉の声を聞きながらおばさんがくれたアイスを食べる。
ちょこみんと、最近知った素敵な味だ。一期は好きじゃなかったみたいで微妙な顔をしてから食べてるところを見たことがない。
アイスの棒を捨てて何をしようかなあと考える。
「そうだ。一期、虫捕りに行こう」
「…は?」
虫捕り網は鯰尾と骨喰が持っている、という顔をしたけど私を甘くみないでほしいな。
「私のを一緒に使えばいいでしょ」
お邪魔しましたー!と一期の家を出て一期の手を引っ張ってただいまー!と家に入る。
逆に一期はお邪魔します、と声をかけていた。
玄関のところにある虫捕り網と虫取りカゴを引っ張り出してカゴを首にかけて網は一期に持たせる。
そしていってきまーす!と声を出して近くの公園にきた。
「こうすれば二人で遊べるでしょう」
さあ思う存分遊ぶよ。声をかければ一期は少しうれしそうな顔をした後に小さく頷いた。




「一期、海に行こう」
「…突然ですね」
「今にはじまったことじゃないでしょ」
「……それもそうでした」
ちょうど今月のお小遣いも出たことだし、バスに乗って30分ぐらいで着くのだからなんら問題はないだろう。
「もう9月ですけど」
「別に海に行こうって言っただけであって入ろうなんて言ってない」
確かにそれもそうだ、と一期は頷いた。
高校3年生、巷では受験やら就職やらで騒いでいるけども一期が受ける大学はそれなりに良いところであり偏差値もそこそこ必要だけど一期にはそんなのあってないようなもんだろう。
顔良し頭良し運動神経良しという漫画から出てきたような人間なのだから。
一つ欠点をあげるとしたらその女癖の悪さだろうけど。
私は就職先を既に見つけてあるため一期よりも早く社会人となるわけだ。
来年にはもう働いてると思うとなんだか不思議な気持ちになる。
「で、なんで海なんですか」
都会の海はお世辞にも綺麗とはいえない。
ザザーンと響く海の音と深い青を眺めるだけである。
「なんとなく」
「お前のその行動には慣れたつもりだけど予測することは未だに出来ない」
高校に入ってからなんだか余所余所しくなったその口調は時々、ふとした時に昔に戻る。
なんで余所余所しくなったのかは未だに謎なんだけど特に支障はないので理由を聞いたことはない。
「…おなかすいたなあ」
ぎゅるるると鳴ったお腹を摩る。
「夜ご飯なんだろう」
「自分で作ったりしないんですか」
「無理無理。私の料理レベルはチョコを溶かして型に流してチョコを精製するだけだよ」
「チョコを溶かしてる時点でそれはもうチョコだからチョコを作ったとはいわないですよね」
「それ思ってても一番言ってはいけない言葉だよ」
っていうか貴様は私からの毎年のチョコをそんな風に捉えていたのか。はっ倒すぞ!
「一期は美味しい料理がいい?」
「そりゃあ食べるなら美味しいほうがいいでしょう」
そういうもんかな。私はとりあえず口に入れられるもんならなんでもいいんだけど。
「ふぅん…?」
なんとなく腑に落ちない。料理、料理なあ…
「あなたが作ってくれたものなら何でも美味しいと思える気もしますが、やはり食べるなら美味しいものがいいです」
ぽつりと零された言葉になるほど、そういうものか。と頷いた。
そっか、私が作ったものなら何でもいいんだ、でも食べてもらうなら美味しいほうが良いような気がする。
「分かった」
ちょっとだけ頑張ってみようかな、なんて。





22歳になった頃から両親が結婚はまだかと五月蝿くなってきた。22歳なんてまだまだ遊んでても許されるような年齢だと思うんだけども、一期の両親も私の両親も結婚早かったらしいからそうやって急かしてきてるんだろうなあ…
そして、結婚っていわれても一期ってまだ大学生じゃん。そう呟いたのが一期の胸に突き刺さっていたらしい。
社会人になって半年程、とっても誇らしげな顔をした一期が私に言った。
「今勤めている会社が実は高校の頃の先輩が起業した会社なんですけど、上手く軌道に乗っていて私の功績もあるから、と役職を与えてくださることになったんです。これで収入もさらに安定します、結婚してくださいませんか」
どうやら高卒の私のほうがそれなりに稼いでいたのを根に持っていたようです。
断る理由もないし、それを承諾した。
その時に稼ぎもあるからあなたは働く必要もないです。と言ってきたので仕事は辞めて専業主婦となった。
23歳にして専業主婦か…なんか凄いな……
一期の言うとおり、稼ぎは安定していて何の問題もなかった。
問題があるとすれば女癖だろうなあ。やっぱり君の欠点はそこだよね。
それだけは何度言っても治りはしなかった。
「お、」
なかなか美味しい肉じゃがが完成した。味見をして良い出来になったぞ、と満足していればメールが届く。
そしていつも通り今日は夕食はいらないです、の文字。
美味しくできたと思ったらこれだよ。前はおでん作って失敗したし。これからは夕食いるかどうか聞いてからの方がいいな、と悟った瞬間でもあった。


バレンタインらしい。
チョコを溶かしてる時点でそれはもうチョコだからチョコを作ったとは言えないといつだったか旦那に言われた。
まあそのとおりだし、それを言ってしまったらカカオから作れってか!っていう大規模なことになってしまうので、今回もチョコからチョコを作ることを許して欲しい。
最近ずっと家に帰ってきてないし、どうせバレンタイン当日も帰ってこないだろう。
そう思いながらもチョコのカップケーキと生チョコを作ってみた。
むしろ自分が食べたいから作った。我ながら美味しい。
包装したものをリビングのテーブルに置いて就寝し、朝目が覚めればチョコはなくなっていて変わりにメモ紙が置いてあった。
【美味しかったですよ】
いや、口で言えよ。



「お父さんってお母さんの肉じゃが好きだよね」
「…そうだっけ」
「そうだよ!肉じゃがいっつも最後まで残して最後にすっごい美味しそうに食べてるの何回も見てるんだから!」
「あー…なんか思い当たる節があるようなないような…?」
「お母さんって鈍いよね」
「そんなことない。味には敏感よ」
「味の話じゃないし」








「どう、絶品だったでしょ?」
そう笑った妻は昔のような瑞々しい肌ではなくとも、私に対して突拍子もない言葉を投げかけた凛とした若々しい声ではなくとも、世界で一番美しかった。
「はい…とても美味しかったですよ」
数年間、馬鹿なことをしていてあなたの料理を食べ損ねた日があったけど、それも今となってはそんなこともあったね、と笑い話になるぐらい昔の話になった。
「あっちでも美味しい料理作って待ってるから」
「それは…すぐにいきたくなってしまうね」
「すぐに来たらおでんにするよ」
またおでんの話を持ち出してくるんだ。どれだけ根に持っているんだろうか。
「どれだけ量があっても愛しい妻の料理だ。全部食べるよ」
「あら、それじゃあ腕によりをかけないとねえ」
「肉じゃが、お願いします」
「はいはい肉じゃがね」
本当に昔からあなたは肉じゃがが好きなんだから、とどこか呆れたような声色。
少しづつ、ゆったりとしたテンポになっていく会話に私はすぐに悟る。
皺くちゃな自分の掌で皺くちゃな妻の手を握る。
「次はどこにご飯を食べに行こうか」
妻の体調が思わしくないものになってから外食はしていない。
まだまだ食べたりないのに、と拗ねていたのをよく覚えている。
「そうねえ…一期が一緒ならどこでもいいかな、
好きな人と一緒に食べるごはんはなんだって美味しいから」
「ああ、そうだね。私もあなたと食べるご飯はなんだって美味しかったなあ」
静かに閉じられていく瞳を私はじっと見続けた。






どうやら自分はとても単純な人間だったようで、私の作ったご飯を食べたいといわれたあの日から人知れずせっせと調理スキルを高めていた。
そして出来上がった私の中の最高傑作である肉じゃがを詰め込んだタッパーを持って向かいの家へ小走りで数秒。そして一期を呼ぶとすぐに扉が開いた。
「一期、肉じゃが作ってみたの」
「…ちゃんと食べられるんですか?」
「失礼な。お母さんに教わってみたの」
「チョコからチョコを作ることしか出来なかったあなたがいったいどういう風の吹き回しですか?」
「べつに」

好きな人には美味しいものを食べてもらいたいじゃない。
絶対にそんなこと言ってやらないけど。



「どう、美味しい?」
恐る恐る、自分らしくない声で一期を見れば彼は笑って言う。

「はい。とても美味しいですよ」
そうやって笑う彼がとても嬉しそうで、私もなんだか嬉しくなった。
ご飯ってすごい。だってこんなに人を笑顔に出来るんだから。
最近いーっつも難しそうな顔してるこの男はなんにも楽しくなさそうだった。

その男が肉じゃがひとつでこの変わり様!
きっともっと美味しいものがあればこの仏頂面も少しはマシになるのでは?

つまり、
「ご飯があれば大丈夫ですな?」
「…はい?」


意味が分からない、という風に眉間に皺を寄せた一期の眉を少し背伸びをしてぐりぐりと伸ばしてやめてください。と超絶不機嫌な声。
しかし手には肉じゃが。すごいギャップだね。
でも気に入ってくれたようで良かったよ。また作るときには腕をあげておくから楽しみにしておいて欲しい。



 
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