ご飯があれば大丈夫ですな
「あ、一期」
「なんですか?」
今日も今日とて妻の手作り弁当…そう、愛妻弁当を受け取る。
いつもならばそのままいってらっしゃいと手を振られて会社へ赴くことになるのだが、今日は呼び止められて妻を見た。
「今日は鶴丸さんをうちに呼んできてくれる?」
「……」
「なにその顔」
「理由を聞いても…?」
「だってなんだかんだ言ってあの人にはお世話になったでしょ。夕食ぐらい御馳走してもなんら問題はないと思うけど」
あの時から半年程が過ぎて、妻と私の上司、そして社長との繋がりを知ったり、とても濃い日々だったわけだが、
「浮気は許しません」
「それ一期が言うの?」
妻の約束どおり嫌々ながらも鶴丸殿を家へと招いた。
「君なあ…もう少しその嫌そうな顔を隠そうとする努力ぐらい見せてくれないか」
「嫌そうではなく嫌なんです。仕方ありますまい」
「だから努力ぐらいしろって」
ただいま、と声をかけて家へ帰ると鶴丸殿はお邪魔しまーすと気の抜けた声をあげる。
「おかえり。ご飯先に食べてて」
配膳している妻を急いで手伝って鶴丸殿と食卓を囲む。
……おかしくないか
「ちょっと待ってください。なんで私は上司と食卓を囲んでいるんですか」
「それを俺に聞かないでくれないか」
しかし、肉じゃが美味しい。
「テレビ見ながらだらだらご飯作ってたら間に合わなかったんだよねえ」
そして彼女は忙しく湯船にお湯を溜めたり洗濯物を畳んだり動いている。
その間に既に私と鶴丸殿は夕食を食べ終えてしまって、私は食器を片付けた。
鶴丸殿は炬燵の上にあった蜜柑に手を伸ばしていた。
食器を片付けると彼女はインスタントラーメンを作り卵を乗せて炬燵に入ってきた。
「食器ありがとね」
妻の、この、突然の不意打ちが辛い。胸が痛い。
「一期の幸せの定義が嫁に褒められることか…なんていうか、今までの扱いのせいなんだろうけど自業自得だよなあ」
「うるさいですぞ
爪の間が黄色くなってなかなか取れない呪いかけますよ」
「地味に嫌だ!!!」
「一期、やっぱそっちの席座るからどいて」
「なんでですか」
「テレビみたいから」
ああもう、始まっちゃうじゃない。
そう言いながら炬燵と私の間にすとん、と収まった彼女はずるずるとラーメンを啜っていた。
私といえばもうこういうときどういう顔をしたらいいのか分からないの、状態である。
目の前に座る妻の香りに前かがみになりそうになるが王子様と言われ続けていた私の沽券にかかわるためぐっと抑える。
でも、でも耐えられない!
スリスリと首筋に顔を埋めて大好きですということを全身で伝えてみた。
しかし彼女はラーメンに夢中だった。
「君」
鶴丸殿の声が聞こえた。
「そこのこなきじじい、もとい一期を背にしても動じないな」
食べ辛くないのか、それ?という問いに対しての妻が酷かった。
「一期を慰めるのは後でできますがラーメンは待ってくれませんからね」
「一期ライフが0になってるぞ、いいのか」
「慰めていただけるだけでうれしいです…」
「お、おう…」
そんな引いた声出さんでください。
「私は硬麺派なのよ。ご飯も硬いほうがすき」
美味しかったーと言いながら満足げな彼女。
ちなみに泣く泣く私は席を移動した。
「だから一期を慰める暇なんて無かったの、分かる?ラーメンの硬さって大事だから」
「旦那の心よりもラーメンの歯応えを追求する嫁ってのも珍しいな」
でも彼女はだいたいこんな感じですな。
そう呟けばやはりかわいそうなものを見る目で鶴丸殿に見られた。やめてください。
「食は大事なの。生きるうえで重要なことよ」
むしゃむしゃと蜜柑を頬張る。
因みに彼女は白い筋を綺麗に取る派である。
さっさと食べたいと思うような彼女が綺麗に筋を取る派なことが疑問に思い数日前に理由を聞いたら「口当たり滑らかな蜜柑を食べるための努力は惜しまないわ」とキリっとした顔で言われたことをここに記す。
「いらっしゃいませー」
お店に入れば威勢のいい声に出迎えられた。
今日は週に一度の外食の日である。
口コミで広まり有名になった定食屋にきてみた。
30分程待ってやっと店内に入ればこじんまりとしたお店に人が溢れかえっていた。
そうして良い匂いが鼻腔を擽りきゅるきゅるとお腹が鳴ってくる。
カウンター席に通してもらってメニューを必死に読む。
カツ丼天丼牛丼…今はなんだかガッツリいきたい気分だし丼モノが食べたい。
うーん、どれも美味しそうだしなあ、と思っていればカウンターの向こう側から声がかかった。
「あれ?先輩?」
「んん?」
顔をあげれば目の前には見知った人。
キラキラと輝く金髪にひとつに束ねられた少し長い髪。
そしていつも思う、その片目隠れてるの見づらくないの?と。
知り合いにも何人か片目隠れてる人いるけどそいつらの前ではさみをしゃきしゃきさせたら肩を震わせていた。ひどいな、本気でやるつもりなんてないのに、ちょっとしか。
「おでんのために走った獅子王くんじゃないか」
「それ事実だけど何年前の話だよ!!」
よく担任の蜻蛉先生を胃痛に追いやってたよね。私知ってるよ。
蜻蛉先生も可哀想だったよ、おでんを食わなきゃ力が出ない!!と叫ばれて勢いに負けて買いにいく後姿を胃の辺りを押さえながら見てたの。
「ここで働いてるの?」
「俺の実家。じーちゃんがやってる店なんだけどさ、時々手伝うんだ」
「なるほどね」
「そっちは先輩の旦那さん?」
「粟田口一期と申します」
凄い顔で黙り込んでた一期がにこやかに挨拶をした。いっそ清清しいわ。
「お勧めはある?」
「実はカツ丼って俺が任されてる料理の一つなんだ。腕に自身はあるぜ!」
「じゃあカツ丼で」
一期は天丼お願いします。と伝えていた。
なかなかボリュームがあったけどもその美味しさにぺろりと完食。
そしてお安い。あの美味しさでこの値段!なんとお得な!と店の回しモノみたいな発言をしたくなる美味しさでした。
少し喋ったけども、どうやら今は教師らしい。
おでんに走ってた子が今では教師か…と生暖かい目で見てしまった私は何も悪くは無いぞ。
餅巾着を喉に詰まらせて顔を青くさせていた彼が教師か…時が流れるのは早いものだ。そう言ってやればおでん後輩から離れて!と涙ながらに言われた。
いや、おでんの印象強すぎて…
「あの後輩だという男とはいったいどこで知り合ったんです?」
「…学校?」
「そうじゃなくてっ!!」
「出会い…出会いって言われてもなあ…」
……いや、よくよく思い返せばその場に一期も居たよね?
「ようやく客も掃けてきたしそろそろ休憩入っていいぞー」
「おう!」
はー疲れた!タオルで汗を拭いながら店の奥に引っ込む。
しかし先輩が来るなんて吃驚だったな…それに人伝に聞いてはいたけど本当に結婚してたなんてなー
相手はしかもあの粟田口先輩だし。あの人あんま良い噂聞かなかったけど先輩は幸せそうだし、まあ、いいのか?
友達とかと会った時覚えてる?とか仲良くなったきっかけって何?って言われるの早々すぐに思い出せるもんじゃないかもしれないけど、俺は先輩と会った時のことをよく覚えてる。
いや、もうあれは漫画みたいな出会いだった。
そんな漫画みたいなことあるかよ!って言われても事実だから仕方が無い。
「やっべー入学早々遅刻は流石にやばいか」
バタバタと真新しい制服に着られているような気がしなくもないけど、俺は新しい学校への道を只管走っていた。
そして前方に誰かが座り込んでいる。
「んん?」
あれは同じ学校の制服、だよなあ…?具合でも悪くなったんだろうか。
「おい、大丈夫か?」
そう声をかければその人は顔を上げた。
真っ黒い髪に真っ黒な瞳。典型的な日本人の姿である。俺のこれは地毛だけどよくからかわれたりしたものだ。
「おなかが…すいた…」
「…え?」
これ完全に遅刻だよ!と思いながら俺は鞄の中に入っていたチョコクロワッサンを渡した。
朝食べる時間がなくて持ってきたものだけど致し方ない。
むしゃむしゃと食べながら歩く人はすごい変わってるけどすごい美人だった。
眠たげな瞳はあまり開かれていなくって逆になんだかミステリアスな感じが漂っててさらに魅力的に見える不思議。
チョコクロワッサン頬張ってるけど。
「いやーありがとう。地元で行き倒れするところだった」
「それ笑い話になりそうでならないような」
「笑い話にしてくれていいのよ」
「いや、笑えねーけど!?」
そして話していて気付いたけどこの人、ひとつ上だ。
敬語にしようとしたら堅苦しいから敬語いらない、と言われて言われたとおりにした。自分自身敬語すっごい苦手だし有難かった。
「ああ…普通に遅刻だ…」
「そんなときはこの私に任せときなさい」
「…?」
何があったのか自分ではよく分からなかったけど、とりあえず遅刻が免除になった。
「顔の広い私を助けたことを感謝しなさい」
「あ、ありがとうございます…?」
あれ?なんで俺がお礼言ってんだ?と冷静になったけど遅刻免除になったのはどうやらこの人のおかげなのは代わりはないしとりあえず感謝しておいた。
「なにやってるんですか、貴方は」
「一期じゃん」
「まったく…生徒会での仕事で私は先に行くけども遅刻はしないように気をつけてくださいとあれほど言ったじゃないですか」
「ごめんごめん。やっぱ一人じゃ起きるの無理だった」
「はあ…はやく教室に行きますよ」
一期と呼ばれた水色の派手な髪色の男子生徒と知り合いらしいこの人は小走りで付いていく。
有難うございました、とちょっと声を上げればくるりとこちらを見た。
「またね」
ひらひら~と手を振って軽やかな足取りで男子生徒を追う彼女をぼーっと眺めた。
「…あ、俺も急がないとだ」
初日の遅刻が免除といっても一日目に遅れたという浮いた話が残るのには変わりがない。
説明とかでシーンと静まっている教室に入るのはとても気が重い…
「綺麗な人だったなあ」
あの眠たげな瞳が分かりにくくも一瞬だけぱっと輝いた瞬間を忘れないだろう。
恋心にもならないような小さなソレはすぐさま萎んだ。
「あの人の名前、なんていうんだろ」
あとで会った時に、聞いてみよう。
そして知る、あの先輩の隣にいた男子生徒のよくない噂を。
「なんであの粟田口っていう先輩がいいんだろうな…」
やっとおでんはじめました。の季節になって、おでんダッシュが恒例になってきた昼時。
今日も蜻蛉先生の言葉を振り切って買いに走ってきた。
あと友達に頼まれたのも何個か無事に買ってきた。
最近コンビに店員が餅巾着を準備して俺を待ち構えているのはきっと気のせいじゃない。
「そんなん知るかよ。つーかそんな行き倒れてたっていう先輩綺麗だったのか?」
「兼定って面食いだしたぶん好きなタイプだと思うけどなー
なんだっけ、お前が前読んでたエロ本の表紙飾ってた黒髪の女優っぽい感じ。なんか清純ってかんじの」
まあ…何回か話してて分かったけど何一つとして清純さ無かった。
それは言わないでおく。黒髪ロングヘアーに綺麗な想いを抱いている兼定には言えない、こんなこと…
「まじで?」
この食いつきようがいっそ不憫に思えてきた。
しかし先輩と遭遇してしまい黒髪ロングヘアーへの幻想を打ち砕かれ膝をついて涙を流す友人を数日後に慰めることになるなんて俺は一ミリたりとも予想していなかったのはまた別の話だ。
「行き倒れてたところを助けられたんだよねー」
「漫画ですか!!」
「事実です。それに一期も居たじゃん」
「覚えてませんな」
「その興味ないことはすぐ忘れるの才能じゃない?」
「あなたに言われたくないですけどね!」
ああそうだ、行き倒れといえば…
「小腹がすいたしごはんか何か食べよう」
「さっきカツ丼ガッツリいってましたよね!?」
駅前のパン屋さんでチョコクロワッサンでも買おうかな。