ご飯があれば大丈夫ですな
「…なんだこれは」
残業を終えてやっと家に帰ることができる、と鞄を掴み会社を出る。
携帯を開くとメールが一件。そのメールを見て私は冒頭の言葉に至ったわけだ。
急いで家に帰って扉を開ければ玄関には見知らぬ靴。更に小走りで家の中に入ってリビングの扉を開けば自分の妻とその向かい側の席には学校の元先輩であり現在の上司が堂々と妻の手料理を食べていた。
「あ、おかえり」
「よお一期!お邪魔してるぜ!!」
確かに言った。食事に誘われたら断るように、と…だけど、だけど!
「家に男をあげるなんてどんな神経してるんですか!!」
「一期、オムライス食べる?」
「聞いてますか?!」
「いらない?」
「いります!!」
スーツから着替え急いでリビングに戻って席に座る。
いつもは鶴丸殿が座っている席の隣に座っているが嫌だ。何が楽しくて男の隣に座らなければならないのだ。
自分の妻の隣席に腰掛けて向かい側にいる男を睨みつける。
「おいおい、そんな怖い顔しないでくれよ。
俺だって断ったんだぜ?夫が帰ってきてない家にあがるのは気が引ける、って」
「じゃあそのまま断ってくださいよ」
「まずいと思ったが手料理には敵わなかった」
「そうですね!」
仰るとおりです!私の嫁の料理は美味しいです!その料理をいつも食べなかったあの頃の自分に殺意が湧くほどです!
オムライス美味しい…そう思いながらもぐもぐと口を動かしていれば妻と上司の会話が耳に入る。
「そういえば君、三日月と食事に行ったそうじゃないか」
聞き捨てなら無い言葉が真っ先に耳に入った。どういうことだ。
「そうそう。三日月さんにも久しぶりに会ってさーご飯一緒にどう?って誘われたからご馳走になったんだよねえ…
義弟が働いてるお店の…鶴丸さんに連れて行ってもらった所ね。そこにまた行ったんだけど、前回食べられなかったもの食べてもう幸せで…」
なんだその顔は!なんだその幸せそうな顔は!私にはそんな顔一度たりとも見せないくせに!どういうことだ!ご飯に負ける夫が居て良いと思うか?!いや、思わない!!
「なぜまた誘われてるんですか!」
「だって鶴丸さんに誘われても断れって言われただけだし…」
「あなたは警戒心が足りんのです!ご飯に着いて行くなんて小学生ですか!」
っていうか三日月殿って…!交友関係いったいどうなっているんだ…!三日月殿から話を聞いたこともないし、妻本人からも何も聞いていない。
「いやー三日月さんがまさか一期と鶴丸さんの働いてる会社の社長だとは」
彼女曰く、私の高校時代の先輩が経営していることは知っていたが三条三日月殿だとは知らなかった、とのこと。私としては三日月殿とどこで知り合ったのかを問い質したい。
それが顔に出ていたのかあっさりと私の聞きたかったことの答えを口に出した。
「私も高校時代にお世話になってただけだよ」
「そんな話、全く知らんのですが」
「だって言ったことないし。言わなくたって支障ないでしょ?現に今までなんの支障もなくやってこられたわけだし」
いま現在支障が!支障があります!!
女性関係を但して妻ときちんと向き合おうと思った矢先に!
「そんなに私の事が嫌いですか…」
わかってる…自分に好かれる要素が顔ぐらいしか無い事…父上、母上。この顔に産んで頂き誠に感謝しております。でなければこの幼馴染に…この妻に早々に捨てられていた…
「…うーん……
鶴丸さん、またあとでご飯に誘うよ」
「おお、馳走になった。ありがとな」
「いえいえ」
また誘うつもりか…まあ、もう何も言うまい…鶴丸さんを見送ってリビングへと戻れば無言で私の席にアイスを置いた彼女は向かい側の自分の席にもアイスを置いた。
食え、ということか…
ソーダ味のアイスを食べながら彼女を見ればそれはもう幸せそうな顔でチョコミントアイスを食べていた。
そしてなんと無しに妻は口を開く。いつだって彼女は突拍子も無い。
いきなり虫捕りに行こうだとか、海に行きたいだとか、思い出すだけできりがない。
それだけの年月を、共にした。
はじめて会ったのは自分が高校2年生のときだ。新入生がやってきて半年ぐらいが経った頃だ。昼飯を食い終わった後に絶好のサボりスポットである中庭の大きな木の陰。そこへ移動しようと思ってふらふら歩いていると声が聞こえてきた。
「ちょっと、あんた一期くんのなんなの?!」
「そうよ。いつも一緒にいるけどさあ、彼女でもなんでもないんでしょ?」
金髪やら茶髪やらと派手な髪の色をした女。自分も存外派手な色をしているとは思うがこれは地毛であるし、一緒にしないで欲しい!そんな事を思いつつ観察していればその迫られている人物の顔が見えた。
黒い髪に黒い瞳の、普通の女子生徒だ。しかし随分と綺麗な顔をしている。
「ただの幼馴染ですよ」
「そのわりには距離が近すぎるんだけど?」
「本当は彼女なんじゃないの?」
これはあれだな、一人の男を巡ったキャットファイトってやつだな!これは部外者である俺が出る場面でもないし、今日のサボりは諦めるか…そう思いながら踵を返そうと思えばとんでもない言葉がその綺麗な顔をした女子生徒から飛び出た。
「はあ?あのヤリチンの彼女とかこっちから願い下げなんだけど。そういう勘違いするの本当にやめてくれませんか?」
もう俺の腹筋は限界だった。声を押し殺してヒーヒー言いながらその場に蹲った。
こいつは驚きだ。随分と綺麗な子だと思ったがまさかあんなことを言うなんて、凄いぞ。いや、なんていうか全体的に凄いな!
「そろそろ教室戻りたいんで退いてもらってもいいですか?」
「逃げる気?!」
おっと、こいつはヤバそうだな
「お前たちそこで何やってんだ?」
「つ、鶴丸くん?!」
んん?こいつら2年生か。1年生相手に何やってんだか…
「俺が見る限り、よってたかってか弱い1年生を苛めていたように見えたんだが」
「違うのよ、これは…ちょっと話をしてただけで!」
「ふぅん?話し合いのわりには随分と物騒だったが」
そう言ってやれば顔色を悪くしたその女達はそそくさと逃げていった。
「君、大丈夫だったか?」
「別に助けていただかなくてもなんとかなっていたとは思うのですが…」
まあ確かに助けてくれとは言われなかったけど、見てるだけっていうのも後味悪いしなあ
「でも、ありがとうございます」
微笑んだ顔は飾り気の無い彼女に相応しい笑顔だった。
そこから親しくなって、生徒会の後輩である粟田口一期の幼馴染だということを知り、そして同時に一期の女癖の悪さを聞いた。
自分が高校3年生になって彼女が高校2年生になった時だ。
「なんか流れで一期と付き合うことになったんですよね」
「…驚きだ」
しかし付き合うことになったと言うわりには、一期の女性関係は落ち着いている気配はない。
いいのか?と首を傾げれば、何度言っても辞めないしあれは一種の病気ですね。とばっさりされたわけである。一期…お前がちゃんとしないからだぞ…
彼女の交友関係はわりと広い。前に三日月と話をしているのには驚いたもんだ。三日月が街で迷っているところを助けて、よくよく思い返すと自分の通っている学校の生徒会長だった。という運命的な出会いをしたそうだ。
三日月になにやら迫られた時期もあるらしいが、彼女は浮気なんてものはしない性質だからあっさりと断っていた。
綺麗な顔をした三日月をあんなあっさりと手放す女を見るのは初めてだ。
俺はなんとなく、その時から気付いていたんだが。
「そろそろ微妙なすれ違いもやめてほしいもんだな」
美味しい手料理で腹が膨れた。
不器用な夫婦が住む一軒家をもう一度視界に入れて俺は踵を返す。
一期が思うより彼女はお前のことを思っているんじゃないのか。
「一期ってさあ、よくわかってないよね」
「なにをだ」
「私が嫌いな相手と好きで一緒に居られると思っているとは」
「はあ…?」
「いい?幼馴染は幼馴染でもすぐに股開く女の幼馴染がいたとするでしょ?」
「いや、それはどういう…っていうかそれ遠まわしに私のことですかな」
「いいから聞きなさい。で、いたとするでしょ。その人がどんなに可愛くても股がゆるゆるなわけよ」
「もっと慎ましくいいなさい」
「慎ましさなんてティッシュに包んで捨てたから。
どんなに好みの顔だったとしても、その人が好きじゃなかったら幼馴染なんてこと無かったことにして接さないように距離を置くもんでしょ?」
「まあ…そうでしょうな」
「ではここで君を振り返ってみよう」
「は?」
「中学の頃に綺麗な大学生のお姉さんに童貞を貰われて、そしてそのままいろんな人とずっこんばっこん」
「私が悪かったから!その言葉やめなさい!!」
「高校になってもそれは変わらず、次に幼馴染である私に手を出して、なんやかんやで言い包められて付き合うことになって、それがずるずる続いて家族には結婚をせっつかれてそのまま結婚に至り、しかし新婚といわれる期間でも君は浮気を続けて…」
「うぐっ」
「顔が好みではあったが屑の極みである君を捨てなかったわけよ」
なぜだか分かるかい。と自分の夫の顔を見れば、彼は首を傾げるだけだった。
例えを親切にあげてやったというのに、分からないとは。
このだらだら話している間にアイスが溶けかけている。カップアイスにして本当によかったよ。
「いくら私でも嫌いな人と結婚しようなんて思わないわけよ?」
「そ、れは…」
「うん。一期のことが昔から好きだったんだけど、気付いてなかったのですかな」
「そんな素振り一切見せてなかったじゃないか!」
「素振りを見せたら負けだと思った」
「なんだそれ」
「こんな屑に恋をしたなんて一生の不覚」
「言いたい放題だな!!」
でもそういうところも好きだ!と叫んだかと思うと自分は一期の腕の中に居た。
屑に恋をして何年か、漸く収まるところに収まった気がする。
「とりあえずアイス溶けるから放してくれない?」
「…アイス食べ終わったら覚悟しなさい」
ロイヤル()どこに置いてきたのさ。
そんなことよりアイスである。ソーダ味も好きだがチョコミントも好きなのですよ。スースーするミント系が好きではない一期にはいつも微妙な顔をされるけども。
そんな頭の色しといてチョコミント嫌いとか詐欺だよねーっと呟けばまた変な顔をされた。
「もっとこう…なにか無いのか?折角想いが通じ合ったというのに…」
「想いが通じ合ったって言われてもなあ…そんなことよりアイスだよね」
アイス美味い。
「今日は早く帰れそうだから宜しく頼むよ」
「はいはい。浮気相手とのご予定は?」
「お前は私を怒らせたいのかな?」
「冗談じゃないか、まったくやだなー」
妻特製のお弁当。所謂愛妻弁当である。冷凍のものを極力使わない理由はずっと家に居て暇だし、少し手の込んだお弁当を作る時間くらいあるから。と言われた。
どんな理由でもいい。私のために作ってくれた、それだけで涙が出る。
前まではコンビに弁当で済ませていたが、勇気を出してお弁当を作ってくれと言ってみたところ普通に頷かれた。
かぱりと蓋を開ければ美味しそうな具が沢山詰まっていた。
そして一口、卵焼きを口に放り込めば自分の好きな味が広がる。
ああやっぱり、どんなに美味しい料理店であっても、この味は出せまい。
鶴丸殿から美味そうだな!とか言われるが絶対に渡すものか。これは私のお弁当だ。
妻の作る料理を食べるようになって、ひしひしと感じた。
ご飯美味しい
「はあー…ここのパスタが美味しいって聞いてたから一度来てみたかったんだよねえ」
ウマーイ。と言いながらボンゴレパスタを頬張る。
約束どおり一期は休日…週に一回程度外食に必ず連れて行ってくれた。
週末の予定は次はどこに行くか、とグルメ雑誌を開くこととなる。
そして今日は美味しいと噂のパスタ専門店である。
「そうそう、来週はパンケーキのお店がいいな!」
「今食べてるのに、もう来週の話か…」
「そりゃあね、美味しいものは正義だから」
そっちのトマトソースパスタもちょうだい!と声を掛ければフォークに巻かれたパスタが自分の口元にやってくる。
それに逆らうことなくパクリといけばトマトソースの味が広がりもちもちとした触感。もちもちなパスタも良いよね、美味しい。
「本当に食べることが好きなんだな…」
デザートに手を伸ばす私を見ながら胸焼けがする…と言って一期は胸元を抑えた。
おうおう、そんな調子で大丈夫か?来週はパンケーキぞ?我、甘い甘いパンケーキたくさん食べちゃうぞ??
「食べるのは好きだよ。美味しいものも好き」
だがしかし、決定的に違うものがあるんだな。
「好きな人と一緒に食べることはもっと好きだけど?」
「……はぁ~…」
がくりと項垂れた一期の旋毛が見える。
その旋毛をいつか思いっきり押してやりたい。あとでやってやろう。
「お前は…なんていうか…」
「なに?」
「こっちの心臓が持たない…」
「死ぬ前にそのデザートを私に寄越しなさい」
「もう好きにしてくれ」
思いっきり脱力した旦那様は私にデザートのお皿を大人しく差し出した。
うむ、正直な君は好きだぞ。
デザートのショートケーキを一口サイズに切ってそれをフォークで掬う。
はい、あーん。と言ってやれば脱力していたはずの旦那様は起き上がって口を開く。もぐもぐと無言で口を動かして、そのままごっくんと飲み込まれたショートケーキ。
それを見届けてから私はにっこり笑って言ってやる。
「どう?」
ごはんおいしい?
旦那様は「好きな人と食べるご飯は格別ですな」と照れたように笑った。
残業を終えてやっと家に帰ることができる、と鞄を掴み会社を出る。
携帯を開くとメールが一件。そのメールを見て私は冒頭の言葉に至ったわけだ。
急いで家に帰って扉を開ければ玄関には見知らぬ靴。更に小走りで家の中に入ってリビングの扉を開けば自分の妻とその向かい側の席には学校の元先輩であり現在の上司が堂々と妻の手料理を食べていた。
「あ、おかえり」
「よお一期!お邪魔してるぜ!!」
確かに言った。食事に誘われたら断るように、と…だけど、だけど!
「家に男をあげるなんてどんな神経してるんですか!!」
「一期、オムライス食べる?」
「聞いてますか?!」
「いらない?」
「いります!!」
スーツから着替え急いでリビングに戻って席に座る。
いつもは鶴丸殿が座っている席の隣に座っているが嫌だ。何が楽しくて男の隣に座らなければならないのだ。
自分の妻の隣席に腰掛けて向かい側にいる男を睨みつける。
「おいおい、そんな怖い顔しないでくれよ。
俺だって断ったんだぜ?夫が帰ってきてない家にあがるのは気が引ける、って」
「じゃあそのまま断ってくださいよ」
「まずいと思ったが手料理には敵わなかった」
「そうですね!」
仰るとおりです!私の嫁の料理は美味しいです!その料理をいつも食べなかったあの頃の自分に殺意が湧くほどです!
オムライス美味しい…そう思いながらもぐもぐと口を動かしていれば妻と上司の会話が耳に入る。
「そういえば君、三日月と食事に行ったそうじゃないか」
聞き捨てなら無い言葉が真っ先に耳に入った。どういうことだ。
「そうそう。三日月さんにも久しぶりに会ってさーご飯一緒にどう?って誘われたからご馳走になったんだよねえ…
義弟が働いてるお店の…鶴丸さんに連れて行ってもらった所ね。そこにまた行ったんだけど、前回食べられなかったもの食べてもう幸せで…」
なんだその顔は!なんだその幸せそうな顔は!私にはそんな顔一度たりとも見せないくせに!どういうことだ!ご飯に負ける夫が居て良いと思うか?!いや、思わない!!
「なぜまた誘われてるんですか!」
「だって鶴丸さんに誘われても断れって言われただけだし…」
「あなたは警戒心が足りんのです!ご飯に着いて行くなんて小学生ですか!」
っていうか三日月殿って…!交友関係いったいどうなっているんだ…!三日月殿から話を聞いたこともないし、妻本人からも何も聞いていない。
「いやー三日月さんがまさか一期と鶴丸さんの働いてる会社の社長だとは」
彼女曰く、私の高校時代の先輩が経営していることは知っていたが三条三日月殿だとは知らなかった、とのこと。私としては三日月殿とどこで知り合ったのかを問い質したい。
それが顔に出ていたのかあっさりと私の聞きたかったことの答えを口に出した。
「私も高校時代にお世話になってただけだよ」
「そんな話、全く知らんのですが」
「だって言ったことないし。言わなくたって支障ないでしょ?現に今までなんの支障もなくやってこられたわけだし」
いま現在支障が!支障があります!!
女性関係を但して妻ときちんと向き合おうと思った矢先に!
「そんなに私の事が嫌いですか…」
わかってる…自分に好かれる要素が顔ぐらいしか無い事…父上、母上。この顔に産んで頂き誠に感謝しております。でなければこの幼馴染に…この妻に早々に捨てられていた…
「…うーん……
鶴丸さん、またあとでご飯に誘うよ」
「おお、馳走になった。ありがとな」
「いえいえ」
また誘うつもりか…まあ、もう何も言うまい…鶴丸さんを見送ってリビングへと戻れば無言で私の席にアイスを置いた彼女は向かい側の自分の席にもアイスを置いた。
食え、ということか…
ソーダ味のアイスを食べながら彼女を見ればそれはもう幸せそうな顔でチョコミントアイスを食べていた。
そしてなんと無しに妻は口を開く。いつだって彼女は突拍子も無い。
いきなり虫捕りに行こうだとか、海に行きたいだとか、思い出すだけできりがない。
それだけの年月を、共にした。
はじめて会ったのは自分が高校2年生のときだ。新入生がやってきて半年ぐらいが経った頃だ。昼飯を食い終わった後に絶好のサボりスポットである中庭の大きな木の陰。そこへ移動しようと思ってふらふら歩いていると声が聞こえてきた。
「ちょっと、あんた一期くんのなんなの?!」
「そうよ。いつも一緒にいるけどさあ、彼女でもなんでもないんでしょ?」
金髪やら茶髪やらと派手な髪の色をした女。自分も存外派手な色をしているとは思うがこれは地毛であるし、一緒にしないで欲しい!そんな事を思いつつ観察していればその迫られている人物の顔が見えた。
黒い髪に黒い瞳の、普通の女子生徒だ。しかし随分と綺麗な顔をしている。
「ただの幼馴染ですよ」
「そのわりには距離が近すぎるんだけど?」
「本当は彼女なんじゃないの?」
これはあれだな、一人の男を巡ったキャットファイトってやつだな!これは部外者である俺が出る場面でもないし、今日のサボりは諦めるか…そう思いながら踵を返そうと思えばとんでもない言葉がその綺麗な顔をした女子生徒から飛び出た。
「はあ?あのヤリチンの彼女とかこっちから願い下げなんだけど。そういう勘違いするの本当にやめてくれませんか?」
もう俺の腹筋は限界だった。声を押し殺してヒーヒー言いながらその場に蹲った。
こいつは驚きだ。随分と綺麗な子だと思ったがまさかあんなことを言うなんて、凄いぞ。いや、なんていうか全体的に凄いな!
「そろそろ教室戻りたいんで退いてもらってもいいですか?」
「逃げる気?!」
おっと、こいつはヤバそうだな
「お前たちそこで何やってんだ?」
「つ、鶴丸くん?!」
んん?こいつら2年生か。1年生相手に何やってんだか…
「俺が見る限り、よってたかってか弱い1年生を苛めていたように見えたんだが」
「違うのよ、これは…ちょっと話をしてただけで!」
「ふぅん?話し合いのわりには随分と物騒だったが」
そう言ってやれば顔色を悪くしたその女達はそそくさと逃げていった。
「君、大丈夫だったか?」
「別に助けていただかなくてもなんとかなっていたとは思うのですが…」
まあ確かに助けてくれとは言われなかったけど、見てるだけっていうのも後味悪いしなあ
「でも、ありがとうございます」
微笑んだ顔は飾り気の無い彼女に相応しい笑顔だった。
そこから親しくなって、生徒会の後輩である粟田口一期の幼馴染だということを知り、そして同時に一期の女癖の悪さを聞いた。
自分が高校3年生になって彼女が高校2年生になった時だ。
「なんか流れで一期と付き合うことになったんですよね」
「…驚きだ」
しかし付き合うことになったと言うわりには、一期の女性関係は落ち着いている気配はない。
いいのか?と首を傾げれば、何度言っても辞めないしあれは一種の病気ですね。とばっさりされたわけである。一期…お前がちゃんとしないからだぞ…
彼女の交友関係はわりと広い。前に三日月と話をしているのには驚いたもんだ。三日月が街で迷っているところを助けて、よくよく思い返すと自分の通っている学校の生徒会長だった。という運命的な出会いをしたそうだ。
三日月になにやら迫られた時期もあるらしいが、彼女は浮気なんてものはしない性質だからあっさりと断っていた。
綺麗な顔をした三日月をあんなあっさりと手放す女を見るのは初めてだ。
俺はなんとなく、その時から気付いていたんだが。
「そろそろ微妙なすれ違いもやめてほしいもんだな」
美味しい手料理で腹が膨れた。
不器用な夫婦が住む一軒家をもう一度視界に入れて俺は踵を返す。
一期が思うより彼女はお前のことを思っているんじゃないのか。
「一期ってさあ、よくわかってないよね」
「なにをだ」
「私が嫌いな相手と好きで一緒に居られると思っているとは」
「はあ…?」
「いい?幼馴染は幼馴染でもすぐに股開く女の幼馴染がいたとするでしょ?」
「いや、それはどういう…っていうかそれ遠まわしに私のことですかな」
「いいから聞きなさい。で、いたとするでしょ。その人がどんなに可愛くても股がゆるゆるなわけよ」
「もっと慎ましくいいなさい」
「慎ましさなんてティッシュに包んで捨てたから。
どんなに好みの顔だったとしても、その人が好きじゃなかったら幼馴染なんてこと無かったことにして接さないように距離を置くもんでしょ?」
「まあ…そうでしょうな」
「ではここで君を振り返ってみよう」
「は?」
「中学の頃に綺麗な大学生のお姉さんに童貞を貰われて、そしてそのままいろんな人とずっこんばっこん」
「私が悪かったから!その言葉やめなさい!!」
「高校になってもそれは変わらず、次に幼馴染である私に手を出して、なんやかんやで言い包められて付き合うことになって、それがずるずる続いて家族には結婚をせっつかれてそのまま結婚に至り、しかし新婚といわれる期間でも君は浮気を続けて…」
「うぐっ」
「顔が好みではあったが屑の極みである君を捨てなかったわけよ」
なぜだか分かるかい。と自分の夫の顔を見れば、彼は首を傾げるだけだった。
例えを親切にあげてやったというのに、分からないとは。
このだらだら話している間にアイスが溶けかけている。カップアイスにして本当によかったよ。
「いくら私でも嫌いな人と結婚しようなんて思わないわけよ?」
「そ、れは…」
「うん。一期のことが昔から好きだったんだけど、気付いてなかったのですかな」
「そんな素振り一切見せてなかったじゃないか!」
「素振りを見せたら負けだと思った」
「なんだそれ」
「こんな屑に恋をしたなんて一生の不覚」
「言いたい放題だな!!」
でもそういうところも好きだ!と叫んだかと思うと自分は一期の腕の中に居た。
屑に恋をして何年か、漸く収まるところに収まった気がする。
「とりあえずアイス溶けるから放してくれない?」
「…アイス食べ終わったら覚悟しなさい」
ロイヤル()どこに置いてきたのさ。
そんなことよりアイスである。ソーダ味も好きだがチョコミントも好きなのですよ。スースーするミント系が好きではない一期にはいつも微妙な顔をされるけども。
そんな頭の色しといてチョコミント嫌いとか詐欺だよねーっと呟けばまた変な顔をされた。
「もっとこう…なにか無いのか?折角想いが通じ合ったというのに…」
「想いが通じ合ったって言われてもなあ…そんなことよりアイスだよね」
アイス美味い。
「今日は早く帰れそうだから宜しく頼むよ」
「はいはい。浮気相手とのご予定は?」
「お前は私を怒らせたいのかな?」
「冗談じゃないか、まったくやだなー」
妻特製のお弁当。所謂愛妻弁当である。冷凍のものを極力使わない理由はずっと家に居て暇だし、少し手の込んだお弁当を作る時間くらいあるから。と言われた。
どんな理由でもいい。私のために作ってくれた、それだけで涙が出る。
前まではコンビに弁当で済ませていたが、勇気を出してお弁当を作ってくれと言ってみたところ普通に頷かれた。
かぱりと蓋を開ければ美味しそうな具が沢山詰まっていた。
そして一口、卵焼きを口に放り込めば自分の好きな味が広がる。
ああやっぱり、どんなに美味しい料理店であっても、この味は出せまい。
鶴丸殿から美味そうだな!とか言われるが絶対に渡すものか。これは私のお弁当だ。
妻の作る料理を食べるようになって、ひしひしと感じた。
ご飯美味しい
「はあー…ここのパスタが美味しいって聞いてたから一度来てみたかったんだよねえ」
ウマーイ。と言いながらボンゴレパスタを頬張る。
約束どおり一期は休日…週に一回程度外食に必ず連れて行ってくれた。
週末の予定は次はどこに行くか、とグルメ雑誌を開くこととなる。
そして今日は美味しいと噂のパスタ専門店である。
「そうそう、来週はパンケーキのお店がいいな!」
「今食べてるのに、もう来週の話か…」
「そりゃあね、美味しいものは正義だから」
そっちのトマトソースパスタもちょうだい!と声を掛ければフォークに巻かれたパスタが自分の口元にやってくる。
それに逆らうことなくパクリといけばトマトソースの味が広がりもちもちとした触感。もちもちなパスタも良いよね、美味しい。
「本当に食べることが好きなんだな…」
デザートに手を伸ばす私を見ながら胸焼けがする…と言って一期は胸元を抑えた。
おうおう、そんな調子で大丈夫か?来週はパンケーキぞ?我、甘い甘いパンケーキたくさん食べちゃうぞ??
「食べるのは好きだよ。美味しいものも好き」
だがしかし、決定的に違うものがあるんだな。
「好きな人と一緒に食べることはもっと好きだけど?」
「……はぁ~…」
がくりと項垂れた一期の旋毛が見える。
その旋毛をいつか思いっきり押してやりたい。あとでやってやろう。
「お前は…なんていうか…」
「なに?」
「こっちの心臓が持たない…」
「死ぬ前にそのデザートを私に寄越しなさい」
「もう好きにしてくれ」
思いっきり脱力した旦那様は私にデザートのお皿を大人しく差し出した。
うむ、正直な君は好きだぞ。
デザートのショートケーキを一口サイズに切ってそれをフォークで掬う。
はい、あーん。と言ってやれば脱力していたはずの旦那様は起き上がって口を開く。もぐもぐと無言で口を動かして、そのままごっくんと飲み込まれたショートケーキ。
それを見届けてから私はにっこり笑って言ってやる。
「どう?」
ごはんおいしい?
旦那様は「好きな人と食べるご飯は格別ですな」と照れたように笑った。