0001:フシギダネ


 冬の朝は暗い。
 空は深い青色に染まって、まるで集落全体が海底に沈んでいるみたいだ。早朝の空気はキンと冷えて気持ちよかった。
 積雪は思っていたより少なく、普通の台車でも大丈夫そうに見えたけど、うちには悪路用のクローラー台車しかない。キャタピラみたいな走行用ベルトがついた、雪道なんかでも平気な台車だ。玄関脇にあるそれに発泡スチロールの箱と作業道具を積んで、オレは家を出た。
 まだ眠っているような家並みを横目に、小さな橋を渡って畑に向かう。川には一匹の水ポケモンも見えなかった。
 木々や家屋から落ちる影は真っ青で、道の端には大量の雪がうず高く積もっている。朝早くから除雪車が片付けてくれたのだろう。
 内心でありがたく思いつつ畑に到着して、台車から発泡スチロール箱を下ろす。中から作業道具のスコップと包丁を取り出し、畑の一角で雪を掘る。
 目当てのものは、すぐに見つかった。
「っと、」
 厚い雪の中から顔を出したのは、立派な雪中キャベツだった。文字通り雪の中で育てることで甘みが増す、雪割キャベツとも言われる、この地域の特産品だ。
 本体を傷つけないよう気を付けながら雪をどかし、2、3玉のキャベツを露出させる。硬く締まっている球をしっかり押さえ、株元を包丁で切って収穫。発泡スチロール箱に三つ入れて、朝の手伝いは終了。
 さっさと帰ろうと包丁やスコップを箱に載せたオレは、ふと畑の中に見慣れないものを発見して目を留めた。掘り起こされるときを待つキャベツの群れと、それに被さって宝を隠すように辺りを埋めている雪。
 ほとんど白一色の風景に、よく見ると濃緑のかたまりが落ちている。大きさはキャベツ何個分だろうか。少なくとも、雪の中からうっかり出てしまったキャベツそのものじゃないことは確かだ。
 キャベツを盗み食いするポケモンだろうか。そんな話は聞いたことがないけれど、細心の注意を払って様子をうかがう。緑色のかたまりは、やっぱり植物のようだった。
 どうしようか一瞬だけ悩んで、オレは思いきってそのかたまりを持ち上げにかかった。
「……えいっ!」
 かたまりは予想以上にずっしりと重かった。キャベツ5、6玉分はあるだろうか。触れた感じはブヨブヨ、雪で濡れているのもあってしっとりしている。冷たさの奥に生き物らしい体温が感じ取れた。
 手を離すわけにもいかず、抱え上げたそれをまじまじと観察する。濃い緑色のかたまりは――ゆっくりと動いて、眠たげな目をオレに向けた。濃い緑色の体色に、赤い色が映えていた。
「……!」
 目と目が合って息を呑む。
 オレはなんとかそのかたまり、もとい植物のような生き物を箱に載せてダッシュで家へ帰ったのだった。

 ダッシュといっても、見知らぬ生き物を台車に載せての全力疾走は無理がある。
 できる限りの急ぎ足で、妙な生き物の様子をチラチラうかがいながら帰ると、母さんはスマホロトム片手にこの生き物についてすぐさま調べてくれた。
 緑色の体に濃緑のまだら模様を持ち、背中には自分の頭ほどの大きさをしたタネらしき袋を背負っている。そんな珍妙な生き物を写真に撮って検索すると、正体はすぐにわかった。
「フシギダネ……っていうんだ」
 検索結果をもとに呟いたオレへ、たねポケモン――フシギダネは「ダァネ」と小さく返事をする。
 なんだかのろいポケモンだなと拍子抜けしていると、母さんはフシギダネの頭を撫でて言った。
「この子、寒さで縮こまっちゃってるんじゃない? 暖房に当たらせてあげましょ」
「草タイプっぽいけど、あったかいの平気かな」
 加湿器付きのヒーターを持ってきて、フシギダネの前に置く。ついでに部屋から毛布も取ってきてやった。
 オレと母さんとで甲斐甲斐しく世話を焼いていると、家族中いちばん起床の遅い父さんも起きてきた。
「どうしたどうした」
「あ、お父さん。この子ね、友紀がキャベツ畑で見つけたんですって」
 首を傾げる父さんへ、これ以上ないほど簡潔に説明する母さん。
 父さんの足元から、パートナーポケモンのパーモットがひょっこりと顔を出す。オレンジ色の体に跳ねた前髪。くりくり愛嬌のある両目で、父さん同様にフシギダネを見つめている。父さんによると「母さんより付き合いの長い」、うちの家で唯一のポケモンだ。
 指先を伸ばしてフシギダネの顔に触れるパーモット。フシギダネは大きく口を開けて応え、二匹はポケモン同士それで通じ合ったようだった。パーモットはフシギダネをお兄さんのように撫でてあげていた。
 そんな二匹の姿に、父さんは一安心した表情ながら母さんと顔を見合わせた。
「どうも野生じゃなさそうだな。迷いポケモンかな」
 毛布に包まれ、パーモットに撫でられてうとうとしているフシギダネを、父さんは交番へ届けるつもりらしい。うちの集落には交番も駐在所もないので、今日、仕事の前に町まで行ってくれると言った。
 迷いポケモン、迷いフシギダネ。
「……略してマヨイダネ?」
 呟いてフシギダネの鼻にちょんと触れると、フシギダネの背中から二本のツルが伸びてきて軽く手を叩かれた。このあだ名は気に入らなかったようだ。

 その日、オレが学校に行って帰ってきてからも、フシギダネは朝と同じくヒーターの前でまどろんでいた。町の交番で迷いポケモン登録をしてきたから、トレーナーが見つかり次第すぐ連絡が来るとのことだった。
 それまではオレの家で面倒を見ることになって、オレは見慣れない奇妙なポケモンとの生活に期待で胸を膨らませていた。


「よしよし。フシギン、こっちだぞー」
「ダネ、ダァネ」
 オレがニックネームで呼ぶと、フシギダネは嬉しそうにあとをついてくる。道の雪は徐々に解け始めて、豪雪の集落にも春の訪れを感じさせた。
 我が家にフシギダネを迎えて、早くも二週間が経とうとしていた。
 家族全員で生態を調べ、予想通り草タイプであるとわかってから、オレは日光浴を兼ねた散歩係に任命された。コースは家から畑まで、そして時間があるときは海沿いを回って戻ってくる。一周二十分もかからない程度で、ダラダラと話しながらの朝夕の散歩はそれなりに楽しい時間だ。
 もちろん、友だちと遊んだり部屋でゲームをする時間が減ってしまったのはちょっとだけ残念だけど。最近は、これまでになかった「ポケモンとの生活」に浸るのが新鮮だった。うちにはオレが生まれる前からパーモットがいるけど、父さんのポケモンであってオレの相棒とかパートナーじゃない。
「……もし、トレーナーが見つからなかったら」
 口を突いて出た言葉に、フシギダネが名前の通り不思議そうにオレを見上げる。
 もしも、このままトレーナーが現れなければ。このフシギダネは人生初の、オレの相棒になるのかもしれない。そう思うと出会った頃よりも熱く心臓が弾んだ。
 そんなことを考えているうちに、いつのまにか家に到着していた。
 フシギダネは、玄関脇の荷物置き場で自主的に丸くなった。日当たりの良い場所で日光浴の仕上げをするのも、うちに来た次の日からの日課になっていた。
「ダァネ」
 ひと鳴きして心地よさそうに目をつむるフシギダネ。
「気が済んだら呼べよー」
 声をかけて、オレは一足先に家へ入った。雪国育ちとはいえ寒いものは寒い。
 キッチンに顔を出すと、今日は父さんが朝食の準備をしていた。今日は両親もオレも休日で、二人ともが休みの日は父さんがご飯を作る日になっている。
「お疲れ。フシギンの様子はどうだった?」
「いつも通り。楽しそうについてくるから、ちょっと遠回りして海の方まで行ってきたよ」
 差し出されたプチトマトを受け取って、寄ってきたパーモットと一緒に食べながら報告する。オレはなんでもない風を装って聞き返した。
「まだトレーナー見つからないの?」
 父さんは、苦笑して手を洗う。
「そうだなぁ。警察からは、なんとも連絡きてないままだな」
「ふぅん」
「友紀も、ポケッターで呟いてくれたんだろ? なにか進展はあったか?」
「なにもないよ。けっこうリポケットされたけど、本当に拡散されただけって感じ」
 噛みしめたプチトマトの甘みが口いっぱいに広がっている。
 オレはポケットからスマホを取り出して、ポケッターのアプリを開いた。ポケッターはポケモン関連のあれこれに特化したSNSで、トレーナーじゃなくても登録してる人がいるくらい大規模なサービスだ。ユーザー数は世界で億を超える、情報交換にはうってつけの場所だった。
 アカウントには五件の通知と三件のDMが届いていた。通知は、フシギダネに関するポケット(投稿)へのイイネ・リポケット(他アカウントからの再投稿)が少し増えたこと、他のポケットにも反応があったことを知らせるものだ。
 DMはフォロワーや友だちからだろうと、何の気なしにメッセージ欄を開く。瞬間、オレは時間が止まったような錯覚に陥った。

『はじめまして。投稿されていたフシギダネについて、お話を伺いたいです』

1/2ページ