カイさん学パロ夢もどき
ピンポーン。
インタホーンの音で目を覚ます。うつらうつらしていた頭で、今日は家に一人きりでいたことを思い出した。窓から見える空は、穏やかな茜色に染まっている。
「はーい」
急いで玄関へ向かって扉を開けると、中性的で真面目そうな男子高校生が立っていた。同じクラスの風紀委員――佐藤くんだ。
下の名前は、確か「カイ」だったか。日直当番のときフルネームが黒板に書かれていたが、やたらと格好いい漢字だったような記憶がある。物静かだが整った顔をしていて、よく学校の女の子に騒がれている印象だ。誰に対しても物腰柔らかで、ミステリアスな雰囲気が人気らしいが、同じクラスとはいえ特に面識がある仲ではない。
佐藤くんは「こんにちは」と丁寧に挨拶して、鞄から透明のクリアファイルを出した。
「担任の先生から、今日の配布物を渡すように頼まれまして」
淡々と言い、「私の家が、いちばん近いようで」と付け加える。どうやら、学校を休んだこちらのためにプリントを持ってきてくれたらしい。というか担任にパシられたというか。
「ごめん、ありがとう」
「いえ。では」
用事を済ませてさっさと帰ろうとする佐藤くん。男にしては長い黒髪がふわりと揺れて、思わずファイルを受け取った姿勢のまま「あっ、ちょっと待って!」と声をかけてしまった。
怪訝そうに振り返られて、慌てて引きとめた理由を探す。
「え、えっと。わざわざ持ってきてもらったから、ちょっと待ってて」
彼を玄関で待たせて、なにかお礼になるものがないかと捜索する。ちょうど良いことに、冷蔵庫にオレンジジュースがあった。280ミリのミニサイズ。これなら気を遣わせたりはしないだろう。
オレンジジュースが嫌いじゃないといいな、と思いながら戻って、「これ、プリント持ってきてくれたお礼」とペットボトルを渡す。佐藤くんは驚いた顔で、「いいのですか?」と聞いてきた。彼の表情が大きく変わるのは珍しく、何かレアなものを見たような気がする。
「うち、こういうお礼とかちゃんとしないと、お母さんがうるさくてさー」
半分は言い訳で、半分は本当だ。パートに出ている母親を思いながら冗談めかして言うと、佐藤くんはくすりと笑った。
高校生のくせにお母さんがうるさいなんて、と今さら恥ずかしくなったが、佐藤くんは茶化すのとは違う純粋な笑みを浮かべていた。
「……良いお母さんなのですね」
優しく呟いた彼の言葉に、なんだか少し佐藤くんが身近に感じられる。佐藤くんは冷えたペットボトルを「ありがとうございます」と鞄にしまって、改めてこちらを見た。
「風邪だと聞きましたが、体調は?」
問われて、無意識に苦笑が漏れる。なんとなく学校に行くのが億劫でズル休みしたのだなどと言ったら、この生真面目そうなクラスメートは怒るのだろうか。
そんな表情も見てみたいと思ったが、初めて会話らしい会話をしたばかりで嫌われるのも勿体ない。
「ん、大丈夫そうだよ。明日には学校行けるはず」
――本音を言うと、最近は学校に通うことが少し憂鬱だった。高校も三年生になって、進路選択のために環境は否応なく変わっていく。クラスメートや友人たちとの距離が離れてしまい、置いていかれているような焦りが募って、自分の居場所が見つけられなくなっている気がした。
佐藤くんはこちらの心境には一切気がつかない様子で、「そうですか」とほっとしたように微笑んだ。
「同じクラスの友人が欠けているのは、やはり少し寂しいですから」
夕焼けを背景に、彼の艶やかな黒髪が風になびく。白い肌が夕陽で赤く染まり、長い睫毛が影を落としている。少し太めの眉が飾る両目は、邪気のない澄んだ黒色をしていた。
色気さえ感じさせる美しさに、無意識にごくりと唾を呑む。……これは、女の子たちが騒ぐのもわからないでもない。むしろ、一周回って言葉を失ってしまう。
「……あ、ありがと」
やっとの思いでそう返すと、佐藤くんは今度こそ「では、また明日」と軽く会釈した。
「うん。また、明日」
言葉にして返すと、明日も教室で会えるのだという当たり前のことが、なんだか特別なことのように思えてくる。
佐藤くんに言われた「友人」という響きは、胸の中で温かく残っていた。ろくに話をしたこともないのに「友人」とは、彼は評判通り温和で心優しい性格の持ち主らしかった。
「友人、かぁ……」
何度も胸の内で繰り返して、なんだかなにかが物足りなく感じる。見かけによらず話しやすいことがわかって、もっと話してみたいという欲が湧いていた。だけど、それだけじゃない予感に胸がざわついている。
とりあえず、明日は久しぶりに前向きな気持ちで学校へ行けそうだ。
「……なー、カイ」
「なんですか?」
「オメー、もうちょっと自分の顔、自覚した方がいいぞ」
「? ……っくしゅん」
「うわ、風邪かよ。うつすなよなー」
「ふぅ……もらってきてしまったかもしれません」
「……つーかむしろ、罹らせてる側だろ。……アイツもご愁傷さまだな」
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