信用と信頼
そう覚悟した私でしたから、後にミシマ先生を名乗る偽の人工知能が出てきたときも、なんとか冷静に対処することができました。
モニターに映る先生の姿を見たときは、初めこそミシマ先生が戻ってきたのだと思い込んでしまいましたが、話していくうちに少しずつ違和感が芽生え……カイさんのパソコンとノエルさんのチップを要求されたとき、私は完全にこの人工知能を疑いました。
それはほんの些細な癖だったり、細かい差異からくる違和感だったりのおかげもありましたが、ミシマ先生の人工知能を基に人を騙そうとするのは、はなから無理があったように思います。先生は本当に優しくて、他人のために動くことのできる人でしたから。
ソウさんと共にミシマ先生の人工知能を騙すため、私はサラちゃんたちからパソコンを奪ってくることになりました。一芝居打つソウさんに感嘆とある種の尊敬(いい意味ではありません)を覚えつつ、私は胸にパソコンを抱えて自室へ逃走します。なんだか既視感のある感覚で、かつてはカイさんに、いまはソウさんに命じられてと、私は人に使われてパソコンを盗んでばかりいる役回りです。あのときと違うのは、いまは私も計画の内容を理解して行動していることくらいでしょうか。
そういえば、この腕にあるパソコンは、結局カイさんのものであると本人が認めていました。中には、このデスゲームに関係のある情報が入っているというようなことも、ほのめかしていた気がします。
私は少し考えて、ロビーの方を振り返りました。これは想定外のことでしたが、受付人形のガシューさんがサラちゃんたちを足止めしているようです。私としてはありがたいことですが、あまり早く部屋につくと、偽物のミシマ先生にチップやパソコンを渡さなければならなくなってしまいます。理想としては、サラちゃんたちに追いつかれるか追いつかれないかギリギリのところで部屋に駆け込みたいところです。
どう時間を潰すか黙考して、私は自室の前で壁に背をつけてしゃがみ、カイさんのパソコンを開きました。
すでにパスワードが解除されている画面で、とりあえず適当なファイルをクリックしてみます。自分でもどうしてこんな衝動が起こったのか分かりませんが、私はファイルに記されている情報に素早く目を通しました。
いくつかの文章や写真を見るうちに、一切が不可思議な存在だったカイさんの正体が、なんとなくの推察も含みますが、ほぼほぼ明らかになっていきました。
映画の設定じみた、およそ非日常的で一般人には想像も理解も及ばない話でしたが、私たちが強制的に参加させられているデスゲームも、作り物じみているといえば作り物じみています。だから、ファイルに書かれていることはほとんどが真実なのでしょう。
否応なしに目を惹く『えっちなファイル』とやらはスルーして、だいたいの内容を見終えた収穫に、サラちゃんはカイさんにとって特別な存在であることもわかりました。他人宛のメッセージを読むのは気が引けましたが、そこにこそ、外から見ているだけではわからなかったカイさんの人柄が滲んでいました。……カイさんも私と同じで、大切に想う人を守ろうとしていただけなんだということがありありと伝わってきます。
私はパソコンを閉じて、ぎゅっと両腕で抱きしめました。パソコンは、サラちゃんを思うカイさんの気持ちでいっぱいです。サラちゃんの好物が細かく書かれ、実は絵があまり得意ではないようだということまで記されていました。あのカイさんが、どんな表情でこれらを打ち込んでいたのか――人が人を想う優しい気持ちに触れたようで、知らず私の目元も緩んでしまいます。
感慨にふけるうちに、ロビーの方から人の駆けてくる気配がしました。私は急いでパソコンを抱きなおし、サラちゃんたちの影が視認できるくらいの距離で部屋の扉を開けて室内に滑り込みます。
待っていた偽物のミシマ先生にありったけの演技力で芝居を打ち、騙されているサラちゃんに多少の罪悪感を感じながらも、私たちは偽物のミシマ先生を打ち倒すことに成功しました。
ノエルさんのチップを解析している、ソウさんの素早い打鍵音が響く室内で、私はつい先日フライパンで殴り倒したニット帽子の後ろ姿をぼんやりと眺めていました。デスゲームの参加者の中で、カイさんに負けず劣らず怪しい印象の彼もまた、信用に足る人物かという問いには疑問が残ります。ただし彼の言動には一貫してこのゲームを憎んでいる節が感じ取れて、いつしか私はさほど警戒心を持たずソウさんを見ていました。
「……なに? またなにか企んでるの?」
パソコン画面から目を離さず、ソウさんはやや棘を含んだ物言いで呟きました。彼は一度私に襲われているので、こちらを警戒するのも当たり前と言えば当たり前かもしれません。
「いえ、別に……」
「もうキミの仕事は終わったんだから、別のところに行ってなよ」
突き放した言い方に少し気圧されてしまいますが、私はそれを黙殺して床に腰を下ろしました。
サラちゃんを含め、見た目だけはミシマ先生そのものの相手に対しても演技していたせいでしょうか。緊張感はカイさんに脅されていたときよりマシでしたが、ふと気を緩めた拍子に今さら嫌な汗がにじんできました。ソウさんは返事をしない私を一瞥すると、無言で作業に戻ったようでした。
「……」
画面を覗き込む姿勢で丸められた猫背に、彼の言った「脱出のための計画」という言葉を頭の中で反芻します。
ときどきみんなを委縮させるような態度を取ったり、威圧的にふるまうことのあるソウさんですが、あの言葉に嘘はなかったような気がして、私はデッサンのモチーフを見るときのような心持ちでソウさんを観察します。……気がするとか直感など、どうも私の行動は感覚的な部分が大きすぎるきらいがありますが、思考を止めるよりは良いということにしておきます。
正直に言って、ソウさんのすべてを信用することはできません。でも、彼がこのゲームから脱出しようと奮闘していることは事実のようで、それは信頼に値するものだと思うことはできました。信用と信頼は、似て非なるものなのかもしれません。
……もしも、カイさんが私たちのことを信用して、あのパソコンは自分のものだと告げていたら。堂々と自分の正体を明かし、私たちに信頼を寄せてくれていたら。
あまりにも勝手で都合の良い「たられば」話に、自虐的な笑いがこぼれます。あの状況では、誰もが互いに疑い合っていましたから、カイさんだけに信頼を求めるというのは酷な話です。
ソウさんが怪訝な顔でこちらを見る気配がして、私は大人しく口を閉じ、ついでに目も瞑ってしまいました。
両膝を立てて座り、膝に乗せて組んだ両腕に顔を埋めると、視界はあっというまに闇で覆われてしまいます。硬く無機質なキーボードの音に妙な安心感を覚えて、気付かないうちに私は浅い眠りへ落ちていきました。
見覚えのない、だけどなぜだか懐かしい空気の流れる場所。木製の机と椅子が複数並ぶそこは、教室や美術室に近い雰囲気の部屋でした。
部屋といっても壁や地面は薄くぼやけていて、私はこの風景と自分のいる場所が夢の中だと気づきます。明晰夢、というものでしょうか。
机の一つに、サラちゃんがこちらへ背を向ける形で椅子に座っていました。
対面にはジョーくんが座っていて、やんちゃな表情でサラちゃんの手元を見て苦笑しています。机の横にはカイさんの姿もあり、立ったままサラちゃんの手元を覗き込んで、何事か話しかけていました。机の上に広げている白いノートと、口の開いた筆箱からこぼれているペンや鉛筆、消しゴムなどの文具を見るに、お絵描きでもしているのでしょうか。会話の内容は聞こえませんが、そういえばサラちゃんは絵が苦手なようだとカイさんのパソコンにありました。それを踏まえて見ると、なにかの絵を描いているサラちゃんと苦笑いするジョーくん、そしてサラちゃんに絵のアドバイスをするカイさんという図にも見えます。
ほのぼのとした平和な光景に見惚れる私の肩を、背後から叩く手がありました。その手が誰か、振り返らなくてもわかります。手の温かさは、夢であると思えないほど鮮明でリアルでした。
一向に振り向くことない私へ、手の主が声を発することはありません。ただ優しい温もりを噛み締めているだけのうちに、意識はうっすらと覚醒していきました。
「……さん、ナオさん」
春先に溶け残った淡雪のような夢から覚めた私を、いささか乱暴な手で揺さぶる誰かの声がします。目を開くと、眼前にはソウさんの呆れ顔がありました。
「解析、終わったよ。……というか、よくこんな状況で爆睡できるね」
恥ずかしながら、思ったよりもしっかりと熟睡してしまったみたいです。
はあ、とこれ見よがしに嘆息した彼は、「じゃあ、ボクはモニタールームに向かうから」と言って、パソコンを持ちさっさと部屋から出ていこうとします。暖色系の、水玉模様のマフラーをひるがえす彼に、私は思わず「待ってください!」と声をかけていました。
なに、と声には出さず顔色だけで表して振り返ったソウさんに、私は意を決して彼の目を見つめ返します。思っているだけでは足りない分を補うように、まっすぐにソウさんの眼を見て、口を開きます。
「私は、ソウさんのことを信頼していますから」
ソウさんはパソコンを小脇に抱えたまま、かなり驚いた様子で目を丸くしました。
「だから、お願いしますね」
たたみかけるように告げて軽く頭を下げると、彼は居心地悪そうに目を逸らして「……別に、自分のためだし……」とマフラーで口元を隠しながら呟いて、「と、とにかく、さっさとロビーに行きなって。フロアマスターなんかに邪魔されたら目も当てられないよ」と言って小走りで部屋を飛び出してしまいました。
おぼつかない足取りで走り去るソウさんの後ろ姿を見送り、私も自分の頬を叩いてロビーへ向かいます。途中ですれ違ったガシューさんは、ハンナキーさんを探しているらしく、どうか少しでも長く時間が稼げますようにと祈りながら、ロビーへ足を踏み入れました。
レコちゃんやギンくん、サラちゃんとカンナちゃん、ケイジさんに……Qタロウさんはぐったりと背負われていますが、目立った外傷はないようで、みんなこの状況に立ち向かう気持ちは絶えていないようです。
「……ソウさんが、脱出のために動いているんですよね……」
サラちゃんを見上げたカンナちゃんに、サラちゃんは「その通りだ。ソウさんに頼る形になるが……」と少し苦い顔つきをしました。
けれどカンナちゃんは「……きっと、やってくれます」と笑い、それにつられるようにして、サラちゃんの顔も心なしかほころんだように見えました。
……信用や信頼は、きっと一朝一夕でできるものではありません。でも、ここまで共に苦難を乗り越えてきたみんなだからこその結束を目にして、私も大切な人を守るため――いま、ここで一緒に生きているみんなを守るために頑張ろうと、改めて拳をきつく握りしめます。
大切なものが多いほど、その分だけ人は強くなれる。強くなろうと努力することができる。私がミシマ先生を失ってなお、前に進めているように。
たとえ何度打ちのめされて、絶望の底に沈んでも、何度でも立ち上がってほしい。大切な人と共に、生きることを諦めないでほしい。
生きてさえいれば……幸せはきっと訪れるのですから。
全身を襲う激痛に悶えながら、私の目に、ここまで力を合わせて生き延びてきた仲間の顔が映ります。口から鼻へと抜ける血の匂いに頭がくらくらしますが、即死スイッチを握るサラさんに、私は無意識で「やめて」と叫んでいました。たぶん、あのとき私を突き飛ばしたミシマ先生と同じ気持ちで。
やがて声すら満足に出せなくなって、私の視界は赤く暗く染まっていきます。誰かのすすり泣く声がして……せめて、みんなだけは脱出してほしいと心から願いながら、私は、永い眠りに就くことを実感して意識を失いました。もう二度と覚めない夢の先で、ミシマ先生に会えることを信じて。
……デスゲームの開幕から数時間が経ち、絵心菜緒を脅迫することでパソコンを取り戻した佐藤戒は、それを自分だけが知る方法で隠し終えてひとまず安堵の意を吐いた。ナオの存在は、デスゲームを操る組織の内実を知っているだけに迂闊な行動はとれないものの、自分の身元をつまびらかにできるほど参加者の情報が足りているわけでもなく困っていたさなかのカイにとって、ちょうど良く通りがかった助け舟のようなものだった。
(……とはいえ、申し訳ないことをしましたね)
さすがに罪悪感があったが、これが自分にとっての最善だと信じ、せめて床にへたり込んで寝ているナオに少しでも楽な体勢を取らせようとカイはナオの体をそっと動かした。
ナオはしきりにうわごとめいた言葉を漏らし、先生、やどうして、という言葉の中に、「……わたし、は」「せんせいが、たいせつ、で」と、途切れ途切れの涙声が混じっていた。
まぶたを真っ赤に腫らし、恩師を想う彼女の声に、カイの脳裏に自分にとっての大切な存在がよぎる。もし、自分がナオと同じように大切な人を失ったら。そう思うと、そんな相手を脅してしまったことへの後ろめたさで胸が痛んだ。
逡巡して、カイはナオの耳元で静かに囁いた。「……私にとっても、大切な人ですよ」ミシマの独特な口調を再現できた自信はないが、きっとあの人間は、大切な教え子にはこうして優しく語りかけるのだろう。
ナオの寝顔が穏やかになったのを見たところで自責の念は消えないものの、カイはすっと立ち上がり調理室を後にする。他人との信頼をやりとりすることができないなら、それ以外のすべてを使って仲間をサポートするべきだと――その助力が巡り巡ってサラの助けになることを信じて、カイは調理室から退室する間際、眠るナオに声をかけた。
「……どうか、生き残ってくださいね」
もちろんカイにとっての最優先はサラであるが、できれば人が死ぬところなどあまり見てほしくはない。
なにより、自分の大切に想う人を守らんと必死で行動したナオに一方的な親近感と憧憬で心を揺らして、カイは薄く微笑みながら扉の鍵を閉める。
がちゃりと音を立てて施錠した扉の先、眠るナオが無意識で呟いた「……ありがとうございます、カイさん」の声は、二人の耳に届くことはなかった。
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