透明な血を流す、
薄暗く、誰もいないメインゲーム会場。
役目を終え、再び使われるときまで眠りにつくように電気を落とされたそこへ、オレはホエミーの手伝いと称して後片付けに来ていた。後片付けっていうか、犠牲になったやつの後始末? 的な。 ぶっちゃけ、目的は「新しい服」の調達。
オレを作ってくれた父さんはオレに着せ替え人形なんて名前までくれたけど、オレが最初に着ていたのはシンプルなTシャツにズボンとスカーフだけで、だからまあ死者の服をありがたく貰ってやることにしたわけだ。
最初の試練で死んだ奴らからいくつか……むしろ死ぬことが本望、みたいな奴もいて、気持ち悪ぃからそいつの服は貰わなかったけど。
そいつは例外として、「生きたかったのに死んでしまった」「逝きたくなかったのに死んでしまった」人間の服ってのは、そいつの執着心とか無念が宿ってるみたいで気持ちがいい。
なんだろう、オレが人形だからか――生きて「いた」、という過去形の人間が着ていた服は、残留思念を感じられて、それがオレ自身にも伝わってくる気がするんだよな。……ま、オレは人形だから、「思念」とか「感じる」とかも所詮プログラムされたものでしかないんだろうけど。
そんなわけで「新しい服」をゲットするため、メインゲームの後片付けを率先して手伝いにきたオレは、会場に残された二人の犠牲者を見て、思わずちょっとだけびっくりしちまった。
基本的に前向きで活気に溢れていた少年――ジョー、っつったか。あいつが犠牲になってたのは、まあ、ご愁傷さまだ。身代を引いちまった以上、どうしようもねー運命だったんだろう。運が悪かったってやつだ。
オレが意外に思ったのは、もう一人の犠牲者――佐藤戒が「賢者」を引いて、多数決で「殺してもいい」と選ばれて死んでたことだ。しかもハンナキーから聞いたところ、こいつは結局ホエミーの下した処刑じゃなくて、手持ちの包丁で自ら死を迎えた……自決したらしい。ホエミーはこいつにフライパンで殴られたこともあって、めちゃくちゃ怒ってた。うける。
デスゲームとはいえ参加者に包丁持たせたままにすんなよ(しかも一回フライパンで殴られてんのに)、とは思ったが、問題はそこじゃない。
オレは、他の参加者はぶっちゃけどうでも良かったが、こいつのことは少しだけ知っていた。オレを作ってくれた父さん――デスゲーム中には受付人形と名乗っているあの人の、実の息子だからだ。
最初の試練でちらりと顔を見て、名前を見て、もしかして? と思った。
父さんにそれとなく聞いてみたら、一言「ただの裏切り者だ」とだけ言われて、勝手にいろいろと調べたところ、父さんの言う「裏切り者」の意味が分かるところまで、佐藤戒の情報は拍子抜けするほどあっさり手に入った。一応オレも組織側の人間だから、当たり前っちゃ当たり前か。
あ、人間じゃなくて人形だったわ。どうでもいいけど。
だからまあそういう私情があって、例の「千堂院沙良」とも関係が深い以上、佐藤戒はけっこう生き残るんじゃないかなーと思ってたんだけど、どうやらオレの見込み違いだったみたいだ。父さんは情に流されないタイプなのか……もともと、身内には情が薄いタイプなのか。
人形のオレにはよくわかんねーけど、とりあえず佐藤戒は死んだ。反骨精神といえば聞こえはいいけど、つまりはデスゲーム及び「組織」の力に屈した負け犬ってわけだ。
ざまあねぇな、と思う一方で、オレはどこか強い怒りのようなものを感じている自分に気が付いた。……まあ、父さんの血を分けた実の息子って時点でなんかムカつくし。
オレのフロアまで来た暁には(ホエミーのフライパンの恨みを晴らすのも兼ねて)、いい感じにちょっかいかけてやろうと思ってた分、楽しみにしてた玩具を取り上げられた気分だ。いや、玩具はハンナキーがいるけど。
面白くねーなーって思いながら、オレはとりあえず二人の衣服をあさった。着替えなんかは組織の連中が用意してるから、見たくもねー野郎の全裸は免れる。だけどジョーの服は「そそる」ものがあんまりなくて、悩んだ挙句オレはこいつからへアピンをいただくことにした。組織の連中、ヘアピンの替えも用意してんのかな。親切というか、暇というか。
それから隣に横たわっているカイの服を物色、と言ってもこいつはジョーと違ってかなりシンプルな服装で、着ている服自体か、エプロンかしか選択肢がない。
ちょっと迷ったけど、服は上下ともオレにはサイズが合わなそうだからエプロンを貰ってやる。このエプロンがこいつにとってすごく大事なものだってことも知ってるから、これまで貰ってやった服の中でも特に興奮した。
千堂院家の一員として認められた、カイにとって思い出深いであろうエプロン。これを身に着けて死んでいったカイの無念は、いったいどれほどのものだったんだろう。
ヒーローなんて呼ばれて、千堂院家を――千堂院の娘を影から支えると誓っておきながら、最初のメインゲームで呆気なく死んだ愚かな人間。
手首から噴き出したという鮮血は、床を赤茶色に汚していたけど、もうほとんど乾いているみたいだった。あとでホエミーかハンナキーが掃除するんだろう。
オレは服を貰う代わりに死体片付けてやるだけで、血の処理までするほどお人好し――人形良し? じゃない。人間の流す血は熱くて鉄の匂いがして、自分じゃ流せないものだからか、とてつもなく汚らしいものに思えて仕方なかった。
辺りを血の海にしている血液に触れないよう、注意深くオレはカイのエプロンに手をかけた。
カイの服は手首の周りを中心に血で汚れているのに、エプロンだけは染みひとつついていない。最後まで忠誠心が強いのは立派ってやつで、だからこそその強い想いに、かえって反吐が出る。
オレはジョーのヘアピンで前髪を留め、カイのエプロンを腰に巻くと、「っし」と声を出してメインゲームの会場を後にした。
きっと今頃、あいつらは大切な人間の死に涙して、憔悴しきっていることだろう。ポケットから愛用の表情パネルを取り出して、口角を上げたご機嫌な顔のパネルを口元に当てる。
自然と漏れる鼻歌を歌いながら、オレはスキップするような足取りで自分のフロアに戻るのだった。
人間と人形の違いなんて、きっとどうでもいいことだ。
血や涙の流れない体でも、誰かを大切に思ったり、幸せだなって感じることのない心でも、そんなのはとるに足らない些細なことで。
カイは、人間のくせに父さんや組織を裏切って、その結果ああやって哀れにみじめに死んでいった。
馬鹿みたいだ。吐き気と苛立ちと、言語化することが出来ない暴力的な衝動。
オレの中で荒れ狂うなにかが、あいつらを殺せ、殺せと叫んでいる。
その思いすら拒絶するように――なにもかもぶっ壊してやりたい強烈な破壊衝動に身を任せて、オレはフロアの壁を殴りつける。
指が欠けたかもしれないけど、血が流れないならわかりはしなかった。
――オレは、人間とは違う。
無駄で不細工な死に様を晒したカイとも違う。あいつよりも、父さんの役に立ってみせる。
父さんは、オレが幸福とか正の感情なんて知らないからこそ、オレは最高傑作になりえたんだと言った。よくわかんねーけど、未完成の方が人間らしい、ってなわけらしい。
……オレは人形なんだから、人間なんて永遠になれるわけないんだけどな。
頭が割れる、音がした。
人間が頭痛のときなんかに言う「頭が割れるようだ」なんて比喩表現じゃなくて、オレの頭は本当に割れていた。……父さんの撃った、一発の銃弾によって……、え……?
「銃……?」
なんで……?
オレは、死んだ兄妹の片割れをからかって遊んでいたところだった。人間なんかがオレに勝てるわけないって、余裕と慢心で苛々を紛らわせていた。
そのとき、ぱんと何かの破裂する音が鳴って、銃弾は見事にオレの頭を貫いた。
肌にもヒビが入ったらしく、視界の隅がなんだかところどころ欠けている。そのくせ、父さんの持っている銃から、白い煙が上がっているのがやけにはっきりと見えた。熱く爆ぜた火薬の匂いが、いやに鼻についた。
「過ぎたマネをするな、トト・ノエル」
なにが起こったのか理解できないでいるオレに、父さんは冷たい声で言った。
オレを最高傑作と褒めてくれた父さんは、同じ声で「お前は、もう必要ない」と告げた。
大きく地面に倒れ伏したオレへ、父さんは容赦なく冷えた視線を向ける。冷酷な――なんの情も持っていない目。やめてよ、と懇願しても、オレの声なんて、一つも届いていないみたいな。
「……は……早く直してよ……父さん」
冷たい床の感触を感じながら父さんを見上げたけど、父さんはまったく残念さの欠片もない表情でオレを見下ろしている。
「残念だが、ここでお別れだ。トト・ノエル」
その言葉は、鉛の銃弾なんかよりも鈍く、オレの心臓を撃ち抜いた。
…………やめて。
そんな声で……なにかもかも見切りをつけた、未練すらない声で、オレの名前を呼ばないで。
父さんは、オレのことを嫌いになっちゃったのか。オレは父さんの最高傑作のはずなのに。
震える声で尋ねると、父さんは緩く首を振って「過去の話だ……」と切って捨てるように言った。
そして父さんは、どうしてオレが父さんの作った人形の中で最も人間に近かったと思うかをオレに聞いた。オレは、小さな希望にすがるみたいに必死で答えを手繰り寄せた。
「それは……父さんの愛情を一番に……」
だけどそんな回答は即座に一蹴されて、父さんはその答えを嫉妬心だと言った。
オレの感情プログラムには人間に対する過剰な劣等感や憎しみが植え付けられていて、絶対に覆せないコンプレックスこそが、オレを「人間」にしたのだ、と。
そして父さんは、負の感情こそが人間を作るのだと確信した。
けれど、嫉妬の炎が強すぎれば、人間も人形もモンスターに変わってしまう。……そんな、オレをこんな風に作ったのは、父さんなのに。
「お前は計画のジャマだ……失敗作が」
最後にオレを罵倒する声が響いて、オレの頭は蹴り飛ばされた。景色がごろごろと回転して、オレの頭は壁にぶつかって止まった。なんとか視界の隅に映った、オレの首から下の胴体が物も言わずに転がっている。愛用の表情パネルが散らばっている。ああ、あれがないとオレは、表情すら上手く作れないのに。
どんどんぼやけていく景色の中、父さんが参加者たちに頭を下げている。どうして、父さん、どうして。オレよりもそいつらの方が大事なのか。なんで、なんで。
……こんな心を与えたのは、父さんのくせに。
怨みとも憎しみともつかない心を置き去りに、オレの意識は深く闇の奥へと落ちていった。
ーーオレの名前は、トト・ノエル。
すげー科学者である父さんが作ってくれた、父さんの最高傑作の人形だ。
着せ替え人形なんて肩書きもあって、無様に死んでいった人間たちの執念を掻き集めるみたいに、死者の服を纏っている。
……でも、ほんとに安心してたんだ。死んでいる人間には、劣等感なんて抱かなくて済むから。死にたくないと嘆願して、泣き叫んで死んでいく人間を見下し優越感に浸っているときだけが、オレの心を満たしてくれた。
それが歪んでいると言われたところで、誰にもオレを責める権利なんかないはずだ。……オレは、そういう風に作られた、着せ替え人形だから。
オレは血も涙も流せないけど、だからこそ人間の流す血や涙が大好きで、大嫌いだった。オレがどんなに望んでも手に入らないものだから。その心の隙間を埋めるみたいに死者の服を集めて、纏って、その結末は――失望されて、見捨てられた魂のない人形。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。死にたくない。死にたくない。
こんな風に作ったのは父さんじゃないか。
八つ当たりに近い感情と破壊衝動が、際限なく膨れ上がる。このままいっそ、自分自身を破壊してしまえたらいいのに。
だけどオレを待っていたのは、もっと残酷で――ムカつくくらいに、優しい終わりだった。
父さんに撃たれて致命傷を負ったオレを介抱したのは、ハンナキーだった。
父さんほどじゃないにしろ優秀な科学者であるらしいコイツは、オレが「未完成品」であるという告白をして、あろうことか持って十数分の命であるオレを「完成」させると言い出した。
ふざけんな、絶対にやめろといくら言葉で反抗しても、胴体を失った体では文字通りも手も足も出ない。
脳が焼き切れるような感覚は怒りのせいか、それともやっぱり寿命が近づいているのか……ハンナキーに完成させられる前に死にてぇと思ったけど、現実はオレの思い通りなんかにはなってくれなくて。
「今、あなたは完成するんです」
散々オレの感情プログラムをいじりやがったハンナキーは、その台詞とは裏腹に、とても悲しそうな顔でオレに告げた。
「心を持たない人形、トト・ノエルから……」
やめろ。心なんか要らない。心なんかなくていい。
それでもハンナキーの口は止まらない。オレに泣かされて、からかわれてばかりだったハンナキーは、まっすぐな目でオレを見て、名前を呼んだ。
「心を持った人間……ココ・ロエルに」
穏やかな声で、オレを人間と呼んだ。
気付けば、つられるようにしてオレも呟いていた。
「……人間……に……?」
ココ・ロエル。優しい感情も嫉妬心も持った、歪だけどそれ故にバランスの取れた心。
破壊衝動よりも強い、初めての感情が胸に広がって、それは温かいのにきつく苦しく胸を締めつける。怒りとは違う甘い痺れみたいな痛みは、今までに触れてきたどんな人間の感情よりも気持ち悪くて――どんな感情よりも、悲しかった。
「う……」
吐き気に似た嗚咽が込み上げる。だけどオレには、口元を抑える手すら残っていない。
まぶたや頬がぴくぴくと痙攣して、言葉にならない感情が後から後から込み上げてくる。
「うわああぁぁぁ……!」
喉が裂けるんじゃないかというほど絶叫して、自分の悲鳴しか聞こえなくなって、世界が真っ白に染まって……声の枯れ果てた頃、オレは頬に熱いものが流れていることに気が付いた。
人形は血を流さないはず、という事実が脳裏をよぎったけど、滝のようにあふれているそれは血液なんかじゃなかった。
匂いのない、色もない、少しだけしょっぱい塩水みたいな味のするそれは。
……紛れもなく、涙だった。
「オレは……なんてことを……」
もう言葉を発する気力も尽きて、それだけを言ってすぐに頭の中が白くなっていく。
最期に見た景色では、悲哀と慈愛の混ざった眼差しのハンナキーが、オレの頭にそっと手を伸ばしていた。
ノエルの感情プログラムを完成させ、サラたちゲーム参加者にヒントと手助けの道具を与えた涙人形――ハンナキーは、去っていったサラたちの背中を見送ると、台の上に載せたままの人形、トト・ノエル改めココ・ロエルの頭部を優しく撫でていた。完全に壊れるまであと数分ほどはもつはずだが、ロエルは疲れきったような顔で瞑目して、その頬に涙を伝わせている。
台を濡らす涙とロエルの頬をハンカチで拭い、ハンナキーは少し前にノエルと交わした会話を思い出していた。
サブゲームで涙を見せた偽物のレコを見て、「人形も泣けるんだね。初めて知った」と呟いたノエル。
「涙っていうのは、実は血液の一種なんですが……人形に血は流れていませんが、涙を流す機能は搭載されていますね」と返したハンナキーに、ノエルは「へぇ」と珍しく興味深そうな顔をした。
「ええと、血液に含まれている赤血球のヘモグロビンなどが血液を赤くしていて、涙にはヘモグロビンが入っていないため透明なんですけど、涙も血液もだいたいの成分は一緒で……」
「あー、そういう難しい話はどうでもいいって」
一生懸命に解説するハンナキーを手で払うように遮って、ノエルは小さく「……血とか出ないし、涙も流れないもんだと思ってた」とへの字が描かれた表情パネルを口元に当てる。
その仕草が少し意外で目を丸くしたハンナキーに、「……なんだよ」とノエルがぶっきらぼうな視線を向けて、ハンナキーはほんの少しだけ眉を下げた。
(ほんとうは、あなたも泣けるはずだったんですけれどね……)
黒い涙を流す偽物のレコを、どこか寂しそうな羨ましそうな目で見つめるノエルの横顔は、ハンナキーの記憶に強く残っていた。
……まさかそれから間もなく、こんな結末を迎えることになるとは、さすがのハンナキーにとっても予想外だったものの。
この狂った世界で、これが彼にとっての罰であり、贖罪であり、最後の「幸福」だとしたら。
そう思うことさえ傲慢であると自覚しつつ、ハンナキーは優しくロエルの頭を撫で続ける。無色透明に澄んだ涙が、ぽろぽろと丸い粒を落として床を濡らしていく。
椅子を持ってきて腰を下ろし、膝にロエルの頭部を乗せて幼子をあやすように撫で続けながら、ハンナキーの両目からも温かな雫が零れ落ちていた。
ロエルの機能が完全に停止してからも、研究室にはしばらく涙の雨が降り続けていた。
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