死人に梔子
白い部屋を一通り調べ終えて、ケイジは壁から垂れている鎖を見た。先に手錠がついている、この部屋でもっとも目立つものだった。
ゴミ箱の中身は空。鎖や手錠に変わったところはなく、仕掛けがある様子もない。
ただ、不自然なまでに真っ白な壁からは、まるでこの部屋で起こった出来事が塗り潰されたような印象を受けた。
短時間で拭き取られたらしい血の匂いは、かえって濃厚に室内を圧迫している。
職の関係で一般市民よりは慣れているケイジでも「きつい」雰囲気の部屋だった。子どものギンとサラは尚更だっただろう。
二人の身を案じつつ、首筋に滲む汗を拭う。
ケイジは、「……よし、行こうか」と誰にともなく呟いた。
部屋を出ると、レコとナオはいなくなっていた。念のために黒い部屋を確認するも、ギンの姿も見当たらない。三人とも揃って二階を離れたのだろうか。
考えて、奥の扉に掲げられた謎の数字を見上げる。二桁の数字は「5」の表記で止まっていた。初めて見たときは「9」だったはずだ。
不意に、音もなく忍び寄る人の気配がした。ケイジは思考を止めて身を硬くする。
振り向くよりも早く、後ろの誰かが口を開いた。
「……何の数字でしょう」
声の主は、長髪の自称主夫――カイだった。お玉を口元に当て、とぼけた表情で数字を見上げている。
足音がしなかったのは、彼がスリッパを履いているせいなのか。
内心で首を傾げつつ、ケイジは緩く口角を引き上げた。
「メインゲームまでの残り時間、だったりして」
「状況から察するに、その可能性がいちばん高いでしょうね」
カイは黒髪を揺らして首肯する。
そして、ちらりとケイジを見た。
「ところで、ケイジさんは何をされていたのですか?」
問われ、出てきたばかりの白い扉を指で示す。
「あの部屋を調べててね。ぱっと見た感じは、そんなにおかしな部屋じゃなかったけど……どうも、あの部屋でも人死にがあったらしい」
「……」
人の死んだ形跡がある部屋。カイの瞳が不穏な色を帯びる。
「先ほどサラさんを見かけましたが、彼女も中に?」
「ああ。あとギンも一緒だったよ。二人ともすぐに異変を察知して、長居はしなかったけど」
隠すことでもないので、経緯をざっくりと説明する。
白い扉の話に、カイは納得したように頷いた。
「通りで……少し、体調がすぐれないようでしたから」
それから再び数字を見上げ、彼はお玉を揺らしながら呟いた。
「あの数字は、単なるカウントダウンではないのかもしれません」
「と、言うと?」
先を促すケイジ。
カイは黒い双眸を二桁の数字に向けたままで続ける。
「時間制限のようなものではなく……私たちがなにかしらの行動を起こすことで数字が減り、数字がゼロになるとメインゲーム会場へ通じる扉が開く、とか」
このフロアにはさまざまな仕掛けがあったようですし。
その言葉に、ケイジは石の部屋と鏡の部屋を思い出した。
「もしそうなら、むやみに動くのも危険かな。できるだけ多くの情報を集めたいし、慎重に行動した方が良さそうだ」
頬を掻き、「メインゲームに備えて、やれることはやっておきたいしね」と締める。
しかしカイは、無表情ながらおどけるように肩をすくめた。
「人殺しのゲームですから……なにをどこまでやればいいのか、皆目見当もつきませんが」
さらりと「人殺し」の単語を口にされて、ケイジは無言でカイを眺めた。
「……ずいぶん冷静だね。肝が据わってるっていうか、さ」
無気力な眼差しのまま、唐突に質問を投げかける。
「カイは、サラちゃんと面識があったりするのかい?」
「……どうしてサラさんが出てくるのでしょう」
カイは、欠片も揺らぎのない声音で尋ね返す。
後ろ暗いことなど何もない、と言いたげな口調に、しかしケイジもひるまなかった。
「俺には、カイのサラちゃんを見る目が、他の人を見てるときとは違ってるように見えてさ」
「人を不審者のように言いますね」
平然とした顔つきで、カイも両目を細めてケイジを見た。
「私からすると、あなたも充分に怪しく思えますが」
お玉で口の動きを隠しながらも、不思議と耳に通る声を響かせる。
ケイジがなにか言う前に、カイはさらに言葉を重ねた。
「やけにサラさんを構っているようにも見えますし……そもそも、あなたがおまわりさんだというのがどうにも胡散臭く感じられます」
わざとらしいほどのジト目で凝視され、ケイジは、あっけらかんと笑い飛ばした。
「よく言われるよ」
けれども、カイはかぶりを振って言葉を付け足した。
「……あなたからは、警察という職に対する責任感、忠誠心のようなものが感じられません。見た目に反して根は真面目そうですが、警察といった組織に属している雰囲気がないというか」
「……」
朗々と述べるカイの台詞に、ケイジは閉口して笑みを消す。
気だるげな眼はカイをじっと見つめ、カイもまた、冷たくケイジを見つめ返す。
数瞬の沈黙。
先に口を開いたのはケイジの方だった。
「……オーケー。俺たちは、お互いに不信感を抱いてるってことでいいかい?」
「私は、やたらと敵を増やしたいわけでもありませんが。ここで仲間割れをしている場合でもないでしょう」
仲間、という言葉には、場にそぐわない柔らかさがあった。
あっさりと言ったカイに、ケイジも余裕の微笑を取り戻す。
「いい大人なんだし、他人においそれと言えないことくらいあって当然か。……まあ、お互い不要な詮索はなしってことで」
「おや。不要でなければ、あれこれ聞いてもいいということでしょうか?」
空気が緩んだ途端、カイは真面目な顔でジョークのようなことを口にした。茶化している風には見えないが、これが彼なりの冗談なのだろうか。
真意の読めない問いかけに、ケイジも軽口を叩いて応じる。
「どうしても聞きたければ、スリーサイズくらいは教えてあげるよ」
「……びっくりするくらい興味がありません」
真顔で溜息をこぼすカイをケイジが笑う。
二人は、ひとまず一階フロアへと下りていった。
「カイは、今までなにをしていたんだ?」
「ナオさんのこともありましたし、調理室を調べていました。設備は整っていましたが、肝心の食材が見当たらず……」
話しながら階段を下りる二人。
広間にはゴンベエが立っているだけで、他の面々は別の場所を探索しているらしい。
「他に気になるところはあったかい?」
「酒場に飲酒可と飲酒不可のリストがありましたね。ゴンベエさんのことで、あまりしっかりとは見られませんでしたが。……私たち以外に知らない人の名前があったような」
「飲酒の可不可か。成人と未成年の区分ってことかな」
思えば、それもひとつの手掛かりだった。
酒場にはナオを除いた全員が集まったこともある。すでに他のだれかがチェックしているかもしれない。
そうだとしても、自分の目でも見ておこうと、二人の足は酒場へ向かう。
酒場には先客の姿があった。
「……」
毛先を遊ばせた茶髪の後ろ姿。
着崩した学生服からは軽い印象を受けるが、いまは哀愁を漂わせてカウンターに座っている。
閉鎖空間へ閉じ込められたストレスに加え、匿名投票で仲間を死なせてしまった罪悪感が重なっているのだろう。
彼――ジョーは集められた人間の中でも、人一倍に仲間意識の強そうな性格をしていた。ゴンベエを捕縛したときでさえ、疑いたくないと言っていたくらいだ。
さすがのカイも声をかけるのがはばかられるようで、困り顔で静かに酒場を覗いている。
「……リストを確かめるのは、あとにしようか」
ケイジの提案に、カイも同意して場を後にした。
広場に戻り、カイは先に遊技場を見てこようと案を出した。
「ロシアンルーレットの部屋は、皆さんで隅々まで調べましたが、ダーツ場の前に開いていた穴が気になります」
「ああ、そんなものもあったな。落とし穴みたいでちょっと危ないよね」
気になるものは見ておくべきだと、二人は酒場と反対方向へ足を運ぶ。
しかし遊技場に足を踏み入れる直前、カイは赤い自販機の近くに目を留めた。
「……」
黙って地面を注視するカイに、ケイジも視線を追ってタイル張りの床を見る。
ややあって、カイはスリッパの先で床を蹴り始めた。自販機の奥側、喫煙所に近いタイルの角を、なにかを探すように小突いている。
「この辺りは、地下に空洞があるようです」
手応えを確認しながら歩き回り、カイはしゃがんで床を触り始めた。均一に並ぶタイルの縁をなぞったり、中心部分を叩いたりする。
ちょこちょこと膝立ちで移動して、ついに喫煙所の中まで入っていく。ケイジも後を追った。
誰も使用しなかったらしく、喫煙所には他と変わらない空気が流れていた。
カイは引き寄せられるように床を這い、どんどん部屋の隅へ移動する。
手持ち無沙汰なケイジは、真似してタイルを眺めたが、特別に変わったところはないように思えた。
やがてカイは「あっ」と小さな声を漏らした。
「これは」
後ろから覗き込み、ケイジはカイの手元を見て目を丸くした。
床の一角、タイルが大きく剥がれている。
タイルはいくつもの連なりがひとつのかたまりとなって、大きな蓋になっていた。床下収納の扉のような形だ。
「見た目ほど重くはありませんね」
カイはタイルの縁に手をかけ、正方形の板のようになっている蓋をゆっくりと持ち上げた。
警戒しながら中を覗くと、タイルの下に階段が続いていた。
「地下室、みたいだね。意外と埃っぽくもなさそうだ」
「しかし暗いですね……」
先は、着地点の床がかろうじて見えるくらいの明るさしかなかった。それも喫煙所の照明が届いているだけで、タイルを戻せば真っ暗な闇に閉ざされるだろう。
床から完全に外れたタイルを渡され、穴から離れたところへ置く。
「脱出口、なんてことはないでしょうが」
「みんなを呼んできてから捜索するか、先に俺たちだけで見ておくか。どうする?」
問いに、カイは間髪を入れずに答えた。
「それほど広さはないようですし、無駄に時間を消費するのももったいないです」
言葉と共に、彼は躊躇なく階段へ足をおろす。
「……危険そうならすぐに逃げるよ」
言いつつ、ケイジも後に続いた。
それほど長さのない階段を降りると、カイがきょろきょろと地下室内を見渡していた。
「むぅ……やはり、少し暗いですね。なんとか見えなくもないですが、明かりが欲しいです」
「明かりか。二階フロアの『石の部屋』に、懐中電灯があったよ」
言って、あの部屋にも一見してわからない地下があったなと思い返すケイジ。檻に閉じ込められたギンをサラが救出した部屋だ。
「部屋の仕掛けを解き終わるのと同時に、電池が切れちゃったみたいだったけどね」
「どこかで新しい電池を手に入れるか、充電できる場所があるのかもしれません」
短いやりとりで、二人は一旦ここから出て懐中電灯を取りに行こうと意見を合致させる。
それを見計らったようなタイミングで、頭上に濃い影が落ちた。
「!」
穴から離しておいたはずのタイル板が被せられ、階段の先が閉ざされていく。
まるで日食のように、喫煙所から降り注ぐ照明の光が遮られる。ケイジは穴の向こうに人の影を見た。
すぐさまカイが階段を駆け上がったが、その手が外に出る寸前で地下室は完全な闇に溶けた。
一拍の間を置いて、かちゃりと施錠の音が鳴る。
カイは焦って扉を叩いた。しかしタイルはびくともしないらしく、高所で暴れるのも危ないと思ったのだろう。
暗い室内で、足元に気をつけながら再び地下へ下りてくる。
「……閉じ込められましたね」
「はめられたかなー」
幾分か冷静さを取り戻した声に、ケイジも首に手を添えて目を閉じた。ぎゅっと眉間に力を入れ、ぱっと見開く動作を繰り返す。暗闇に目を慣らす、暗順応を促進させる運動だ。
徐々に視界を取り戻しつつあったそのとき、不意を突くように電気がついた。
「っ」
瞬間的な眩しさに両目を瞑る。
間を置かずに目を開くと、室内は天井の蛍光灯で照らされていた。
二人の目に、地下室内部の様子が飛び込んでくる。
簡素な造りだが、妙に雰囲気のある部屋だった。充分な広さのある、遊技場の小部屋や酒場と同じくらいの空間だ。
壁には花や絵が飾られて、やけに芸術的な空気を醸し出していた。
「……急がないと、メインゲームが始まっちゃうね」
「どこかに脱出の方法があるはずです」
ケイジは落ち着いた声音で言い、カイも平静を保って告げる。
人工的な蛍光灯の明かりに満たされた地下室で、二人は脱出のために動き出した。
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