世界その???:賢者と憎愛の花言葉
「……せっかくまた会えたってのに、ほんと薄情な弟だな」
がしがしと頭を掻き、憮然として横目でカイを睨むセイ。
カイが「ごめん」と謝る前に、セイは苦笑いへと表情を変えて言った。
「まだ、やり残したことがあるんだろ? お前はわりと根性あるからなー」
「やり残したことって、」
そんなものは、あのときのセイにだってあっただろう。すべてをやり遂げて死ねる人間がどれだけいるものか。それに、心残りがあったとして、もはやカイは死んでしまったのだ。幾度も生き返られる都合の良い世界があるわけもない。
一気に複数の思いが駆け巡ったカイへ、セイはカイの見ていた青空に目をやりながら喋り続けた。陽を受けて光る瞳は、本当に生きている人間の如く煌めいている。
「オレだってそうだったよ。死にたくなんかなかったし、父さんやお前と離れたくなかった。死ぬのが怖くて、ただ生きたかった」
死亡したときのことを振り返っているのだろうか。セイは口元だけで笑っていて、カイは言葉を挟むこともできなかった。
独白に近い語りを終えて、セイが微笑を浮かべたままでカイを見る。その笑顔はどこかガラスを通したような距離が感じられ、カイはにわかに焦燥を抱いてセイを見つめ返した。
セイが、弧を描いた唇で漏らす。
「でも、オレが死んだときといまじゃ状況が違う。なにが違うかって?」
……ここから、追い返してやれるやつがいるってことだ。
目を見開くカイに、笑い声だけで応えるセイ。邪気のない、優しく澄んだ笑声だった。
「オレの命を継いで、もっと長生きしろよ……あんな組織ぶっ潰してさ」
「セイ、待って、」
慌てて腰を浮かし、カイは隣のセイへ手を伸ばす。少し腕を広げるだけで触れられる距離にいるセイは、しかしカイが立ち上がろうとした瞬間、彼の肩を強く突き飛ばした。
視界が暗転する。重力が逆さになったようで、足元が覚束ない。よろけた体は頭から落下して、訓練場の風景は闇に戻っていた。
地面のない暗闇の上。セイが、笑って手を振っているのが見える。
「今度は死ぬなよ、」
やけに透き通って届いた言葉が、餞別の台詞に聞こえて、カイは遠ざかる影に絶叫した。
「セイ……!」
どれだけ声を振り絞っても、落ちていくスピードに勝てずかき消されてしまう。
やがてセイの姿が見えなくなり、カイの目にまた涙の膜が張った。冷たく重い雫が決壊する寸前、セイの姿と入れ替わるように、なにか小さいものが降ってくる。
とても小さな、小石の粒程度のなにか。それは無数にカイへと降り注ぎ、髪や服を青く彩った。
訓練場に群生していた、小さな青い花。勿忘草だと、カイは目を閉じて記憶を辿る。睫毛を濡らした涙は、闇に吸い込まれるカイの目から離れて闇の彼方へ昇っていく。
紛れて勿忘草の花まで浮き上がろうとしたのを捕まえたカイの耳に、もう一度、力強い声が響いた。
「――頑張れ、カイ」
必要最低限の明かりしかない、薄暗い研究室。カイは血の気が失せた顔でベッドに横たわっている。その体にはいくつもの医療器具が取り付けられていたが、それらはカイを救命するためのものではなかった。
脳波を測定する機械が、一本調子の電子音を鳴らす。カイの生命維持機能が完全に停止したことを知らせる音だ。小さなモニター画面の前、ハンナキーは彼女の標準装備である半泣き顔で呟いた。
「――佐藤戒の死亡を確認しました」
まるで彼女自身も医療器具のひとつであるかのように、一切の感情を見せない声で言う。
ハンナキーの隣で、ノエルがひょっこりと顔を出す。
「終わった? マジでしぶとかったなー」
青白い顔で眠るカイの頬を、むやみにつつき回すノエル。ハンナキーはノエルを制することもなく、わずかに沈痛な面持ちを見せながら立ち上がった。デスゲーム中に死亡した人間は、フロアマスターが遺体を回収して安置室へ運ぶことになっている。ノエルに任せるのは不安なので、補助という名目でハンナキーが役目を請け負うことにした。
彼女は、物言わぬ骸となったカイを見下ろして静かにこぼした。
「残念ですが……組織を裏切った以上、避けられない結末だったのかもしれません」
カイの首には、ワイヤーロープで絞められた痕が残っている。ジョーやミシマに比べれば綺麗なものだが、ハンナキーは痛々しい傷跡をいつまでも見てはいられなかった。
一方、ノエルは目に見えて機嫌が良かった。彼はベッド上のカイに手を伸ばし、黒い服を覆う真っ赤なエプロンを掴む。背中側の結び目を解いて脱がせると、少し考え、エプロンを折りたたんで自分の腰に巻き付けた。
「ぎりぎりゲームに間に合ったな。あいつら、死んだ人間にまで執着するみてーだし。こいつのものだけ身につけてなかったら、『カイさんはまだ生きてるかもしれない!』って騒ぎそうだしさー」
カイが死んだせいか、いつになく饒舌に喋り続けるノエル。
ハンナキーは、無言で粛々と作業を進めた。まずは防腐処理を施さなくてはと、医務室へ道具を取りに向かう。彼女が隠し扉の方へ体を向け、ノエルもエプロンの位置を調整していて、誰もベッドには注意を払っていない。
たった一瞬のうちに、カイは音もなくベッド上から下りていた。首の傷跡をさすり、だいぶ疲れた顔つきで息を吐いている。影に気付いたノエルが、ばっと振り向いた。「……は?」
「……死なない術とはいいましたが、まさかあの世から追い返されるとは」
ぼやきつつ、カイはまんざらでもなさそうな声音で言う。
声で振り返ったハンナキーが、起き上がったカイの姿を認めて絶句した。彼女は限界まで下がった眉を震わせ、恐怖と動揺で無意識に後退する。
「!? し、心臓は止まったはずじゃ、」
ハンナキーは死んでいたカイよりも蒼白な顔面で、唇をわななかせて彼を凝視する。
彼女よりカイに近い位置に立つノエルが、パネルで口元を隠しながら嫌悪感を剥き出しにした。
「なに、お前……? 人形……なわけ、ねーよな」
混乱した様子で自問自答する彼は、幽鬼の如き足取りでカイのもとへ歩み寄る。カイは、ノエルの腰に巻かれたエプロンに目を留めた。それからハンナキーの方に目を移す。
「今度こそ本当に死んだと思いましたが。その人形とよく似た『おにいちゃん』に、もっと生きろと言われてしまいまして」
場にそぐわない、ふざけた調子で苦笑する。
ハンナキーは「おにいちゃん……?」とオウム返しに言って、そしてノエルのもとになった少年を思い出した。
「セイさんは死んだはずじゃ、」
目を見開き問いかけた彼女の言葉を、カイの眼前に立ち止まったノエルが遮断する。彼はパネル越しにカイを見据え、首を鳴らしてぶつぶつと口の中だけでひとりごとを言っていた。
「心臓を引っこ抜けば、さすがにちゃんと死ぬかなー? 頭もめちゃくちゃにぶっ壊してさぁ。首をねじ切れば、もう復活はしないよなぁ?」
どれひとつとしてカイには上手く聴き取れなかったが、ノエルは一言だけ、重苦しくもよく通る声色でカイを射抜いた。
「……オメー、邪魔なんだよ」
空気さえ澱ませるほどの殺気。悪意と憎悪が混濁した威圧感に、カイは静かに戦闘の構えをとる。瞳には、諦めることなど知らないとでも言いたげな不屈の闘志が光っていた。
引く気のない、このままみすみす死ぬつもりはないといった姿のカイに、ハンナキーが忠告の声を上げる。彼女は決して中立ではなく、あくまで組織側の人間であることを強調するように叫んだ。
「む、無茶苦茶です。たとえノエルさんを破壊できたとして、ガシューさんや他の人にはすぐにわかりますから、」
どうして生き返ったりしたんだと、彼女は半ば怒りを含んだ怒声を飛ばす。
カイは、激情にはつられず冷めた視線でノエルを見た。
「できれば、誰も死なずに済むのが理想的ですが」
言うが早いか、彼はノエルの懐めがけて力強く踏み込んだ。
さきほどの戦闘で見た動きを思い出し、ノエルはバックステップで攻撃を回避する。カイの手はノエルの腰のあたりをかすめて、しかし彼にとってはそれで充分の成果だった。
カイは、取り返した赤いエプロンを着直して軽く生地のしわを伸ばした。「これを着ていないと落ち着かないもので」しれっとした表情だが、口角がほんの少し緩んでいる。
こけにされたと受け取ったノエルは、いよいよ怒りに捕らわれた形相で眉を吊り上げた。「テメー……!!」白目が黒く染まり、瞳孔は焦げ付いたように危険色の渦を巻いている。
口元を最大限に歪めた彼を一瞥して、カイは思案顔で顎に指を添えた。単純な戦闘力はともかく、耐久力は人間離れしている人形のノエル。戦闘の面ではまったく脅威にならないが、頭脳面では敵に回していると面倒なハンナキー。
誰も殺さずに生き残るなんて、悠長なことは言っていられないかもしれない。
「一旦この場から逃げるか、それともその人形の頭からチップだけでも奪うか……どちらにしろ、一筋縄ではいかなそうですが」
嘆息して、カイは口元だけで笑った。「せっかく繋いでもらった命ですから、足掻きましょうか」
自分を送り返してくれた兄のためにも、と。
内心で別れ際に見た温かな笑みを思い返し、カイは反撃のための一歩を大きく踏み出した。黒い長髪がなびき、エプロンの裾がひるがえる。
カイの髪の隙間から、ひとひら、青い花びらが舞い落ちる。どこで紛れ込んだのか、まだ摘み取られたばかりといった風の可愛らしい花だった。
狭く薄暗い研究室に、戦いの風が巻き起こる。青い花――勿忘草はカイの背を押すようにひるがえって、誰の目にも留まらずに、闇の中へ消えた。
がしがしと頭を掻き、憮然として横目でカイを睨むセイ。
カイが「ごめん」と謝る前に、セイは苦笑いへと表情を変えて言った。
「まだ、やり残したことがあるんだろ? お前はわりと根性あるからなー」
「やり残したことって、」
そんなものは、あのときのセイにだってあっただろう。すべてをやり遂げて死ねる人間がどれだけいるものか。それに、心残りがあったとして、もはやカイは死んでしまったのだ。幾度も生き返られる都合の良い世界があるわけもない。
一気に複数の思いが駆け巡ったカイへ、セイはカイの見ていた青空に目をやりながら喋り続けた。陽を受けて光る瞳は、本当に生きている人間の如く煌めいている。
「オレだってそうだったよ。死にたくなんかなかったし、父さんやお前と離れたくなかった。死ぬのが怖くて、ただ生きたかった」
死亡したときのことを振り返っているのだろうか。セイは口元だけで笑っていて、カイは言葉を挟むこともできなかった。
独白に近い語りを終えて、セイが微笑を浮かべたままでカイを見る。その笑顔はどこかガラスを通したような距離が感じられ、カイはにわかに焦燥を抱いてセイを見つめ返した。
セイが、弧を描いた唇で漏らす。
「でも、オレが死んだときといまじゃ状況が違う。なにが違うかって?」
……ここから、追い返してやれるやつがいるってことだ。
目を見開くカイに、笑い声だけで応えるセイ。邪気のない、優しく澄んだ笑声だった。
「オレの命を継いで、もっと長生きしろよ……あんな組織ぶっ潰してさ」
「セイ、待って、」
慌てて腰を浮かし、カイは隣のセイへ手を伸ばす。少し腕を広げるだけで触れられる距離にいるセイは、しかしカイが立ち上がろうとした瞬間、彼の肩を強く突き飛ばした。
視界が暗転する。重力が逆さになったようで、足元が覚束ない。よろけた体は頭から落下して、訓練場の風景は闇に戻っていた。
地面のない暗闇の上。セイが、笑って手を振っているのが見える。
「今度は死ぬなよ、」
やけに透き通って届いた言葉が、餞別の台詞に聞こえて、カイは遠ざかる影に絶叫した。
「セイ……!」
どれだけ声を振り絞っても、落ちていくスピードに勝てずかき消されてしまう。
やがてセイの姿が見えなくなり、カイの目にまた涙の膜が張った。冷たく重い雫が決壊する寸前、セイの姿と入れ替わるように、なにか小さいものが降ってくる。
とても小さな、小石の粒程度のなにか。それは無数にカイへと降り注ぎ、髪や服を青く彩った。
訓練場に群生していた、小さな青い花。勿忘草だと、カイは目を閉じて記憶を辿る。睫毛を濡らした涙は、闇に吸い込まれるカイの目から離れて闇の彼方へ昇っていく。
紛れて勿忘草の花まで浮き上がろうとしたのを捕まえたカイの耳に、もう一度、力強い声が響いた。
「――頑張れ、カイ」
必要最低限の明かりしかない、薄暗い研究室。カイは血の気が失せた顔でベッドに横たわっている。その体にはいくつもの医療器具が取り付けられていたが、それらはカイを救命するためのものではなかった。
脳波を測定する機械が、一本調子の電子音を鳴らす。カイの生命維持機能が完全に停止したことを知らせる音だ。小さなモニター画面の前、ハンナキーは彼女の標準装備である半泣き顔で呟いた。
「――佐藤戒の死亡を確認しました」
まるで彼女自身も医療器具のひとつであるかのように、一切の感情を見せない声で言う。
ハンナキーの隣で、ノエルがひょっこりと顔を出す。
「終わった? マジでしぶとかったなー」
青白い顔で眠るカイの頬を、むやみにつつき回すノエル。ハンナキーはノエルを制することもなく、わずかに沈痛な面持ちを見せながら立ち上がった。デスゲーム中に死亡した人間は、フロアマスターが遺体を回収して安置室へ運ぶことになっている。ノエルに任せるのは不安なので、補助という名目でハンナキーが役目を請け負うことにした。
彼女は、物言わぬ骸となったカイを見下ろして静かにこぼした。
「残念ですが……組織を裏切った以上、避けられない結末だったのかもしれません」
カイの首には、ワイヤーロープで絞められた痕が残っている。ジョーやミシマに比べれば綺麗なものだが、ハンナキーは痛々しい傷跡をいつまでも見てはいられなかった。
一方、ノエルは目に見えて機嫌が良かった。彼はベッド上のカイに手を伸ばし、黒い服を覆う真っ赤なエプロンを掴む。背中側の結び目を解いて脱がせると、少し考え、エプロンを折りたたんで自分の腰に巻き付けた。
「ぎりぎりゲームに間に合ったな。あいつら、死んだ人間にまで執着するみてーだし。こいつのものだけ身につけてなかったら、『カイさんはまだ生きてるかもしれない!』って騒ぎそうだしさー」
カイが死んだせいか、いつになく饒舌に喋り続けるノエル。
ハンナキーは、無言で粛々と作業を進めた。まずは防腐処理を施さなくてはと、医務室へ道具を取りに向かう。彼女が隠し扉の方へ体を向け、ノエルもエプロンの位置を調整していて、誰もベッドには注意を払っていない。
たった一瞬のうちに、カイは音もなくベッド上から下りていた。首の傷跡をさすり、だいぶ疲れた顔つきで息を吐いている。影に気付いたノエルが、ばっと振り向いた。「……は?」
「……死なない術とはいいましたが、まさかあの世から追い返されるとは」
ぼやきつつ、カイはまんざらでもなさそうな声音で言う。
声で振り返ったハンナキーが、起き上がったカイの姿を認めて絶句した。彼女は限界まで下がった眉を震わせ、恐怖と動揺で無意識に後退する。
「!? し、心臓は止まったはずじゃ、」
ハンナキーは死んでいたカイよりも蒼白な顔面で、唇をわななかせて彼を凝視する。
彼女よりカイに近い位置に立つノエルが、パネルで口元を隠しながら嫌悪感を剥き出しにした。
「なに、お前……? 人形……なわけ、ねーよな」
混乱した様子で自問自答する彼は、幽鬼の如き足取りでカイのもとへ歩み寄る。カイは、ノエルの腰に巻かれたエプロンに目を留めた。それからハンナキーの方に目を移す。
「今度こそ本当に死んだと思いましたが。その人形とよく似た『おにいちゃん』に、もっと生きろと言われてしまいまして」
場にそぐわない、ふざけた調子で苦笑する。
ハンナキーは「おにいちゃん……?」とオウム返しに言って、そしてノエルのもとになった少年を思い出した。
「セイさんは死んだはずじゃ、」
目を見開き問いかけた彼女の言葉を、カイの眼前に立ち止まったノエルが遮断する。彼はパネル越しにカイを見据え、首を鳴らしてぶつぶつと口の中だけでひとりごとを言っていた。
「心臓を引っこ抜けば、さすがにちゃんと死ぬかなー? 頭もめちゃくちゃにぶっ壊してさぁ。首をねじ切れば、もう復活はしないよなぁ?」
どれひとつとしてカイには上手く聴き取れなかったが、ノエルは一言だけ、重苦しくもよく通る声色でカイを射抜いた。
「……オメー、邪魔なんだよ」
空気さえ澱ませるほどの殺気。悪意と憎悪が混濁した威圧感に、カイは静かに戦闘の構えをとる。瞳には、諦めることなど知らないとでも言いたげな不屈の闘志が光っていた。
引く気のない、このままみすみす死ぬつもりはないといった姿のカイに、ハンナキーが忠告の声を上げる。彼女は決して中立ではなく、あくまで組織側の人間であることを強調するように叫んだ。
「む、無茶苦茶です。たとえノエルさんを破壊できたとして、ガシューさんや他の人にはすぐにわかりますから、」
どうして生き返ったりしたんだと、彼女は半ば怒りを含んだ怒声を飛ばす。
カイは、激情にはつられず冷めた視線でノエルを見た。
「できれば、誰も死なずに済むのが理想的ですが」
言うが早いか、彼はノエルの懐めがけて力強く踏み込んだ。
さきほどの戦闘で見た動きを思い出し、ノエルはバックステップで攻撃を回避する。カイの手はノエルの腰のあたりをかすめて、しかし彼にとってはそれで充分の成果だった。
カイは、取り返した赤いエプロンを着直して軽く生地のしわを伸ばした。「これを着ていないと落ち着かないもので」しれっとした表情だが、口角がほんの少し緩んでいる。
こけにされたと受け取ったノエルは、いよいよ怒りに捕らわれた形相で眉を吊り上げた。「テメー……!!」白目が黒く染まり、瞳孔は焦げ付いたように危険色の渦を巻いている。
口元を最大限に歪めた彼を一瞥して、カイは思案顔で顎に指を添えた。単純な戦闘力はともかく、耐久力は人間離れしている人形のノエル。戦闘の面ではまったく脅威にならないが、頭脳面では敵に回していると面倒なハンナキー。
誰も殺さずに生き残るなんて、悠長なことは言っていられないかもしれない。
「一旦この場から逃げるか、それともその人形の頭からチップだけでも奪うか……どちらにしろ、一筋縄ではいかなそうですが」
嘆息して、カイは口元だけで笑った。「せっかく繋いでもらった命ですから、足掻きましょうか」
自分を送り返してくれた兄のためにも、と。
内心で別れ際に見た温かな笑みを思い返し、カイは反撃のための一歩を大きく踏み出した。黒い長髪がなびき、エプロンの裾がひるがえる。
カイの髪の隙間から、ひとひら、青い花びらが舞い落ちる。どこで紛れ込んだのか、まだ摘み取られたばかりといった風の可愛らしい花だった。
狭く薄暗い研究室に、戦いの風が巻き起こる。青い花――勿忘草はカイの背を押すようにひるがえって、誰の目にも留まらずに、闇の中へ消えた。
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