世界その???:賢者と憎愛の花言葉
カイは、自分でも頭の整理をつけながら説明を続けた。
「私には、血の繋がらない兄弟がいました。父……ガシューとも血の繋がらない、よそから来た子どもです。そして彼は、大人になる前に死んでしまった。恐らくあなたは、その子どもを模して造られたのでしょう」
「……」
一方的な独白に、ノエルは閉口してパネルで顔半分を隠してしまう。その瞳はやがて濃く深い黒に染まり、中心に大きな渦が巻き始めた。混乱しているのだろうか。
カイは、ノエルから目を逸らして自嘲気味に笑った。ほんの少し寂しげに、皮肉めいた言葉でひとりごちる。
「……血は争えないということでしょうか。あなたを通して、過去の息子でも見ているつもりなのでしょうが」
言うと、ノエルの身体の動きがぴたりと止まった。不安定に収縮していた瞳の渦巻きも、はっと我に返ったかのように動作を停止する。
ノエルが再び動き始める隙もなく。薄暗いメインゲーム会場に、硬い革靴の足音が鳴った。
「……!!」
会場の出入り口に立つ影――ガシューは、驚愕に目を見開いていた。
並んでいるカイとノエルの姿に、まるで亡霊でも見たかのような凍り付いた表情で立ち尽くしている。カイは厳しい顔つきで父へ体を向けた。
「貴様……どうして生きている……!」
ヒゲを震わせ、唇をわななかせてカイを睨むガシュー。その問いに答えは必要としておらず、彼は憤りに満ちた面持ちでカイの方へ駆け出した。
「不正は許されない、」
命令を受け取った機械さながらの、著しく人間味に欠けた声音。血走った目だけが生々しい人間の念というものを感じさせる。
カイは身をひるがえして逃走を図り、向かってくる父と反対方向に、会場内を一直線に横切った。追尾型ミサイルの如き動きでカイを追うガシューだったが、二人のあいだに割り込んだ影がガシューの追跡を阻む。
「父さん、オレがオリジナルじゃないって本当かよ!」
瞳に正気を取り戻した――だが焦燥に惑う目をしたノエルが、ガシューに飛びついてその機動力を削いでいる。ノエル自身に邪魔する意図はないのだろうが、ガシューは錆びた刃のような目つきでノエルを見た。
凶刃に似た目で睨まれ、ノエルは怯むでもなく泣き出しそうな表情でガシューにすがる。
「……父さんは、オレを通してセイってやつを見てるって」
セイ。たった二文字の言葉を耳にして、ガシューの放つ殺気がごくわずかに緩む。
彼は悲痛な面持ちで自分を見るノエルと、断罪者のように鋭い眼差しを送ってくるカイを見て、大きな溜息を吐いた。足を止め、その場で一拍の間を置いて首肯する。
「そうだ。一個体の人格をゼロから作り上げるのは、アスナロの技術力をもっても相当の手間がかかる」
「それで利用したのが、よりにもよってセイの人格ですか」
カイは二人から少し距離を取った位置で、怒気を孕んだ声で言った。しかしそこには悲しみを帯びた同情の念も混ざっていて、それでも彼は、実の父から目を背けることはなかった。
ガシューは、弁解もせずにカイをきつく睨み返す。多少冷静さを取り戻してはいるが、狂気的なまでの使命感は揺らぐことなくカイを見据えている。
「とにかく。貴様は二度も組織を欺いた。裏切り者を生かしておくわけにはいかない」
命がけの鬼ごっこが再開されようとして、カイは逃げ出すよりもここで迎撃した方がいいと判断し戦闘の構えをとった。一触即発の緊迫した空気が流れ、互いに一部の隙なく身構える。ガシューは殺気をみなぎらせ、カイも全力で相手を倒すことだけに心血を注ぐ。
張り詰めた膠着状態。破ったのは、子どもような顔をしたノエルの声だった。
「父さん。父さんにとって、オレは……」
ひどく頼りなげな物言いで、ノエルは迷子になった幼子のような顔をしてガシューを見ている。その顔はどこまでも人間じみて健気だった。
ガシューはノエルを横目で一瞥すると、短く嘆息して答えた。水を差されるのがわずらわしいと言いたげに、けれど自分の作った機械相手ならばどう返すのが最適解かわかっているとでも言う風に。
「……心配するな。お前は私の最高傑作だ」
穏やかな低音でささやかれ、ノエルは上目遣いでガシューを見つめ返す。
「最高傑作……最高の人形ってこと?」
念入りに訊き返した彼へ、深く重々しく頷くガシュー。所詮は人形に過ぎないノエルに対しても、相応の情は持っているのだろうか。
二人の動きを注視するカイの眼前。ノエルは聞き分けの良い子どものように「そっか」と納得する。
そして彼は、人間離れした動きで勢いよくガシューを突き飛ばした。
「っ!!」
ガシューの体は真横に吹っ飛ばされ、会場の壁すれすれに転がった。
ノエルはまたしても瞳に暗い渦巻きを発現させて、唇をへの字に曲げた絵柄のパネルで口元を隠し、暗澹たる口ぶりでガシューを見下ろした。
「やっぱり父さんは、オレを人形としか見てないんだ……!!」
悔しげな咆哮。彼は憎悪に満ちた叫びをあげて、錯乱した様子でガシューへと襲いかかった。
突然に挙動がおかしくなった彼の姿に、蚊帳の外となったカイは呆けた顔でノエルの暴走を傍観する。ノエルはカイの存在を忘れ去ったらしく、こちらを見ようともしなかった。
「……」
取っ組み合う二人を尻目に、カイは密やかにメインゲームの会場から脱出した。
他の人間や人形に見つからないよう注意深く一階へ戻り、隠し通路のある調理室に潜り込む。幸い施錠はされておらず、カイは通路から三階フロアのガレキ部屋へ侵入した。
「っ!」
室内には一人分の影があり、カイはとっさに臨戦態勢に入って影を打ち倒そうとする。
しかし、その影は慌てた様子で両手を挙げて降参の意を示した。
「あっ、あうあう……私なんか戦えませんからぁ!」
戦意喪失、というか戦う意欲など露ほども見えない影――ハンナキーは、眉を八の字に下げて首を振っている。彼女はカイの姿を視認して、「えっ」と作ったところのない声を漏らした。
「か、カイさん……ですか? メインゲームで死んだはずじゃ……」
幽霊ですかぁ? 冗談とも本気ともつかない問いを投げるハンナキー。
カイは「あなたでしたか」と構えをといて、これまでの経緯を手短に説明した。メインゲームで死んだのち、思いがけず蘇生したこと。
自決に見せかけて生き延びるシナリオは、カイが故意に仕組んだことではないのだが、ハンナキーは感心したように聞き入っていた。
「さすがはアスナロのエージェント……というところでしょうか」
「……まさかこうなるとは、自分でも思いませんでしたがね」
自分の手首に刻まれた傷口を見て、つくづく運が良かったのだと息を吐くカイ。
それから、彼はノエルとガシューの乱闘についても伝えた。着せ替え人形と名乗るノエルには、モデルになった人間がいるのだという事実。きっとガシューは、ノエルを通じてその人間に今でも執着しているのではという予想。
それらをノエルに突き付けたところ、ノエルは混乱した様子でガシューに襲いかかってしまった。一連の出来事を告げると、ハンナキーはカイの生存を知った瞬間よりも衝撃を受けた。
「そ、それは大変です……!」
甘い匂いを放つ帽子ごと頭を抱え、彼女はノエルがガシューに反抗することの重大さを切々と語る。高度な人工知能を持つノエルには、生みの親であるガシューだけを敬愛するプログラムが組まれている。
そう言って、ハンナキーは怪訝そうにカイへ質問した。
「ノエルさんのモデルになった人間……私も本来、研究に関わっている科学者ですから、最低限のデータは知っています。セイという少年でしたよね?」
そのセイという少年に、どうしてガシューが執着しているのか。
もっともな疑問を呈されて、カイは正直にすべてを明かした。
「セイは、私と同じく父の……ガシューの息子として育ちました。血縁関係にはありませんが、父が狂わされるより以前は、佐藤家の一員として目をかけられていた存在です」
言って、「……子どもの頃に死んでしまいましたが」と付け加えると、ハンナキーは同情的な眼差しで言葉を止めた。一呼吸分の間を置き、「そうでしたか……」と神妙に呟いて視線をさまよわせている。
カイはさらに言葉を続けた。
「ノエルは、父が自分を人形としか見ていないことに不満を持っていたようでした」
ガシューに「最高傑作の人形だ」と評された途端、激昂して彼を突き飛ばしたのだと詳しく語る。
するとハンナキーは、納得の表情で声を上げた。重そうな帽子の端を掴み、その手に力を込めてぎゅっと握る。
「ノエルさんには、人間の『負の感情』が積まれています。嫉妬や劣等感、人間そのものへの羨ましさや引け目が、ガシューさんとその息子さんに対しては『焼きもち』という形で反応したんだと思います」
「やきもち……ですか」
言われて、先ほどの二人の状況を思い出すカイ。殺伐な雰囲気にやきもちなんて可愛げのある単語は似合わない気もするが、ノエルの研究に携わったというハンナキーが言うなら、それはそうなのだろう。
「とにかく、ノエルさんを止めないと」
おろおろと汗をかいて慌てるハンナキーだったが、その必要はなさそうだった。
彼女の背後、ガレキ部屋の扉の向こう。ノエルを肩に担いだガシューが、相変わらずの能面のような顔で現れる。ほとんど崩れることのない仏頂面に、わずかながら疲労の跡が見えた。
振り向いたハンナキーと、カイの視線を受け、ガシューは冷静沈着に言った。
「自分で作った人形だ。制御くらいできる」
どうせなら相打ちくらいになっていてくれれば良かったものを。カイは再度、気を引き締めてガシューと向かい合った。
せめて道連れにできれば、とデスゲームの進行を妨害してやるつもりで意気込むが、ガシューは戦意の感じられない顔をカイに向ける。その立ち姿に先ほどまでの気迫はなく、ガシューは思うところのある面持ちでヒゲを一撫でした。
「……三度目はない。上からの命令だ。心を入れ替えて組織に尽くせ」
「……は?」
完全に闘争の心構えをしていたカイは、予想だにしない台詞を受けて面食らった。
ガシューはノエルの体をハンナキーに預け、さっさとガレキ部屋を出て行ってしまう。残されたカイは若干拍子抜けしてその背を見送り、とりあえず命拾いしたことに安堵の息を吐いた。
ハンナキーはノエルの体を支えきれず、ボディを床に座らせた。カイを見上げ、「よ、良かったですね……?」と気まずげに苦笑する。
カイは非力な彼女を手伝ってノエルを担ぎ上げると、ハンナキーに先導されて三階フロア内へと踏み出していった。
三階フロア奥には医務室があり、ガラス張りの戸棚は一部が隠し通路になっていた。
通路の先は研究室となっていて、やたらと巨大な機械が鎮座していた。周りには、生存者たちを模して造られた人形が並べられている。
見知った顔――中には知らない人間も混じっていたが、おおむね見たことのある人間ばかりの人形に、カイは複雑な心境で模型の群れを眺めた。サラの人形があることも確認し、しかしハンナキーに訊いたところで詳しい情報は得られないだろうと諦めて視線を外す。
ハンナキーはノエルをベッドに乗せて、様々な器具を取り付けていった。
「しばらくしたら再起動しますから」
彼女は、一旦医務室の方へ戻ると、小型の救急箱を持ってきた。白い木で作られた、緑色の十字マーク入りのどこにでもありそうな救急箱だ。
「これは、細胞の修復を促進させる薬です」
中身はさすがのアスナロ製らしく、ハンナキーは怪しげな薬を取り出して、カイに手首の傷を診せるよう促した。死に至るほどの深手を負ったカイは、少し迷いながらも大人しく左手をハンナキーへと差し出した。
「……改めて、酷い傷ですね」
あまりの凄惨さに唖然とするハンナキー。
彼女は、まず乾いた血がこびりついている傷周りを優しく拭うと、薬をカイの傷口に直接塗布して様子をうかがった。カイも一緒になって見守る中、ぱっくりと裂けた赤い傷口は、薬を塗られたそばからみるみるうちにその裂け目を閉じていった。
「凄い薬ですね。……アスナロにいた頃、医療班の方々にもお世話になっていましたが、ここまで進化しているとは」
素直に感嘆したカイは、礼を述べて傷周りをさする。赤い鉄線のような跡は残っているが、痛みはなくなり見た目も格段に良くなっていた。
ノエルが再起動されるまでのあいだ。ハンナキーは、カイに「セイという少年について聞かせてください」と申し述べた。彼女もトト・ノエル製造の関係者である以上、そのもととなった人間について深く知りたいというのは当然の感情だろう。
「……わかりました」
カイは治癒の恩もあり、セイについて記憶の限り説明することにした。
彼もエージェントとなるため育てられていた子供で、実父が亡くなったのを機に佐藤家へ来たこと。居場所を失うことを恐れてガシューを慕い、実の息子であるカイとは互いに嫌悪し合っていたが、衝突を繰り返して和解。
しかし最期は、育成された子供同士の殺し合いで、カイの目の前で死亡した。そこでセイの物語は終わりだ。
「死んだのは十代の前半そこらでしたね。ノエルは、死んだときのセイより身体的に成長した姿だと思います」
ベッドに寝かせられたノエルをチラ見して、かい摘まみつつも一部始終をつまびらかにするカイ。
「私には、血の繋がらない兄弟がいました。父……ガシューとも血の繋がらない、よそから来た子どもです。そして彼は、大人になる前に死んでしまった。恐らくあなたは、その子どもを模して造られたのでしょう」
「……」
一方的な独白に、ノエルは閉口してパネルで顔半分を隠してしまう。その瞳はやがて濃く深い黒に染まり、中心に大きな渦が巻き始めた。混乱しているのだろうか。
カイは、ノエルから目を逸らして自嘲気味に笑った。ほんの少し寂しげに、皮肉めいた言葉でひとりごちる。
「……血は争えないということでしょうか。あなたを通して、過去の息子でも見ているつもりなのでしょうが」
言うと、ノエルの身体の動きがぴたりと止まった。不安定に収縮していた瞳の渦巻きも、はっと我に返ったかのように動作を停止する。
ノエルが再び動き始める隙もなく。薄暗いメインゲーム会場に、硬い革靴の足音が鳴った。
「……!!」
会場の出入り口に立つ影――ガシューは、驚愕に目を見開いていた。
並んでいるカイとノエルの姿に、まるで亡霊でも見たかのような凍り付いた表情で立ち尽くしている。カイは厳しい顔つきで父へ体を向けた。
「貴様……どうして生きている……!」
ヒゲを震わせ、唇をわななかせてカイを睨むガシュー。その問いに答えは必要としておらず、彼は憤りに満ちた面持ちでカイの方へ駆け出した。
「不正は許されない、」
命令を受け取った機械さながらの、著しく人間味に欠けた声音。血走った目だけが生々しい人間の念というものを感じさせる。
カイは身をひるがえして逃走を図り、向かってくる父と反対方向に、会場内を一直線に横切った。追尾型ミサイルの如き動きでカイを追うガシューだったが、二人のあいだに割り込んだ影がガシューの追跡を阻む。
「父さん、オレがオリジナルじゃないって本当かよ!」
瞳に正気を取り戻した――だが焦燥に惑う目をしたノエルが、ガシューに飛びついてその機動力を削いでいる。ノエル自身に邪魔する意図はないのだろうが、ガシューは錆びた刃のような目つきでノエルを見た。
凶刃に似た目で睨まれ、ノエルは怯むでもなく泣き出しそうな表情でガシューにすがる。
「……父さんは、オレを通してセイってやつを見てるって」
セイ。たった二文字の言葉を耳にして、ガシューの放つ殺気がごくわずかに緩む。
彼は悲痛な面持ちで自分を見るノエルと、断罪者のように鋭い眼差しを送ってくるカイを見て、大きな溜息を吐いた。足を止め、その場で一拍の間を置いて首肯する。
「そうだ。一個体の人格をゼロから作り上げるのは、アスナロの技術力をもっても相当の手間がかかる」
「それで利用したのが、よりにもよってセイの人格ですか」
カイは二人から少し距離を取った位置で、怒気を孕んだ声で言った。しかしそこには悲しみを帯びた同情の念も混ざっていて、それでも彼は、実の父から目を背けることはなかった。
ガシューは、弁解もせずにカイをきつく睨み返す。多少冷静さを取り戻してはいるが、狂気的なまでの使命感は揺らぐことなくカイを見据えている。
「とにかく。貴様は二度も組織を欺いた。裏切り者を生かしておくわけにはいかない」
命がけの鬼ごっこが再開されようとして、カイは逃げ出すよりもここで迎撃した方がいいと判断し戦闘の構えをとった。一触即発の緊迫した空気が流れ、互いに一部の隙なく身構える。ガシューは殺気をみなぎらせ、カイも全力で相手を倒すことだけに心血を注ぐ。
張り詰めた膠着状態。破ったのは、子どもような顔をしたノエルの声だった。
「父さん。父さんにとって、オレは……」
ひどく頼りなげな物言いで、ノエルは迷子になった幼子のような顔をしてガシューを見ている。その顔はどこまでも人間じみて健気だった。
ガシューはノエルを横目で一瞥すると、短く嘆息して答えた。水を差されるのがわずらわしいと言いたげに、けれど自分の作った機械相手ならばどう返すのが最適解かわかっているとでも言う風に。
「……心配するな。お前は私の最高傑作だ」
穏やかな低音でささやかれ、ノエルは上目遣いでガシューを見つめ返す。
「最高傑作……最高の人形ってこと?」
念入りに訊き返した彼へ、深く重々しく頷くガシュー。所詮は人形に過ぎないノエルに対しても、相応の情は持っているのだろうか。
二人の動きを注視するカイの眼前。ノエルは聞き分けの良い子どものように「そっか」と納得する。
そして彼は、人間離れした動きで勢いよくガシューを突き飛ばした。
「っ!!」
ガシューの体は真横に吹っ飛ばされ、会場の壁すれすれに転がった。
ノエルはまたしても瞳に暗い渦巻きを発現させて、唇をへの字に曲げた絵柄のパネルで口元を隠し、暗澹たる口ぶりでガシューを見下ろした。
「やっぱり父さんは、オレを人形としか見てないんだ……!!」
悔しげな咆哮。彼は憎悪に満ちた叫びをあげて、錯乱した様子でガシューへと襲いかかった。
突然に挙動がおかしくなった彼の姿に、蚊帳の外となったカイは呆けた顔でノエルの暴走を傍観する。ノエルはカイの存在を忘れ去ったらしく、こちらを見ようともしなかった。
「……」
取っ組み合う二人を尻目に、カイは密やかにメインゲームの会場から脱出した。
他の人間や人形に見つからないよう注意深く一階へ戻り、隠し通路のある調理室に潜り込む。幸い施錠はされておらず、カイは通路から三階フロアのガレキ部屋へ侵入した。
「っ!」
室内には一人分の影があり、カイはとっさに臨戦態勢に入って影を打ち倒そうとする。
しかし、その影は慌てた様子で両手を挙げて降参の意を示した。
「あっ、あうあう……私なんか戦えませんからぁ!」
戦意喪失、というか戦う意欲など露ほども見えない影――ハンナキーは、眉を八の字に下げて首を振っている。彼女はカイの姿を視認して、「えっ」と作ったところのない声を漏らした。
「か、カイさん……ですか? メインゲームで死んだはずじゃ……」
幽霊ですかぁ? 冗談とも本気ともつかない問いを投げるハンナキー。
カイは「あなたでしたか」と構えをといて、これまでの経緯を手短に説明した。メインゲームで死んだのち、思いがけず蘇生したこと。
自決に見せかけて生き延びるシナリオは、カイが故意に仕組んだことではないのだが、ハンナキーは感心したように聞き入っていた。
「さすがはアスナロのエージェント……というところでしょうか」
「……まさかこうなるとは、自分でも思いませんでしたがね」
自分の手首に刻まれた傷口を見て、つくづく運が良かったのだと息を吐くカイ。
それから、彼はノエルとガシューの乱闘についても伝えた。着せ替え人形と名乗るノエルには、モデルになった人間がいるのだという事実。きっとガシューは、ノエルを通じてその人間に今でも執着しているのではという予想。
それらをノエルに突き付けたところ、ノエルは混乱した様子でガシューに襲いかかってしまった。一連の出来事を告げると、ハンナキーはカイの生存を知った瞬間よりも衝撃を受けた。
「そ、それは大変です……!」
甘い匂いを放つ帽子ごと頭を抱え、彼女はノエルがガシューに反抗することの重大さを切々と語る。高度な人工知能を持つノエルには、生みの親であるガシューだけを敬愛するプログラムが組まれている。
そう言って、ハンナキーは怪訝そうにカイへ質問した。
「ノエルさんのモデルになった人間……私も本来、研究に関わっている科学者ですから、最低限のデータは知っています。セイという少年でしたよね?」
そのセイという少年に、どうしてガシューが執着しているのか。
もっともな疑問を呈されて、カイは正直にすべてを明かした。
「セイは、私と同じく父の……ガシューの息子として育ちました。血縁関係にはありませんが、父が狂わされるより以前は、佐藤家の一員として目をかけられていた存在です」
言って、「……子どもの頃に死んでしまいましたが」と付け加えると、ハンナキーは同情的な眼差しで言葉を止めた。一呼吸分の間を置き、「そうでしたか……」と神妙に呟いて視線をさまよわせている。
カイはさらに言葉を続けた。
「ノエルは、父が自分を人形としか見ていないことに不満を持っていたようでした」
ガシューに「最高傑作の人形だ」と評された途端、激昂して彼を突き飛ばしたのだと詳しく語る。
するとハンナキーは、納得の表情で声を上げた。重そうな帽子の端を掴み、その手に力を込めてぎゅっと握る。
「ノエルさんには、人間の『負の感情』が積まれています。嫉妬や劣等感、人間そのものへの羨ましさや引け目が、ガシューさんとその息子さんに対しては『焼きもち』という形で反応したんだと思います」
「やきもち……ですか」
言われて、先ほどの二人の状況を思い出すカイ。殺伐な雰囲気にやきもちなんて可愛げのある単語は似合わない気もするが、ノエルの研究に携わったというハンナキーが言うなら、それはそうなのだろう。
「とにかく、ノエルさんを止めないと」
おろおろと汗をかいて慌てるハンナキーだったが、その必要はなさそうだった。
彼女の背後、ガレキ部屋の扉の向こう。ノエルを肩に担いだガシューが、相変わらずの能面のような顔で現れる。ほとんど崩れることのない仏頂面に、わずかながら疲労の跡が見えた。
振り向いたハンナキーと、カイの視線を受け、ガシューは冷静沈着に言った。
「自分で作った人形だ。制御くらいできる」
どうせなら相打ちくらいになっていてくれれば良かったものを。カイは再度、気を引き締めてガシューと向かい合った。
せめて道連れにできれば、とデスゲームの進行を妨害してやるつもりで意気込むが、ガシューは戦意の感じられない顔をカイに向ける。その立ち姿に先ほどまでの気迫はなく、ガシューは思うところのある面持ちでヒゲを一撫でした。
「……三度目はない。上からの命令だ。心を入れ替えて組織に尽くせ」
「……は?」
完全に闘争の心構えをしていたカイは、予想だにしない台詞を受けて面食らった。
ガシューはノエルの体をハンナキーに預け、さっさとガレキ部屋を出て行ってしまう。残されたカイは若干拍子抜けしてその背を見送り、とりあえず命拾いしたことに安堵の息を吐いた。
ハンナキーはノエルの体を支えきれず、ボディを床に座らせた。カイを見上げ、「よ、良かったですね……?」と気まずげに苦笑する。
カイは非力な彼女を手伝ってノエルを担ぎ上げると、ハンナキーに先導されて三階フロア内へと踏み出していった。
三階フロア奥には医務室があり、ガラス張りの戸棚は一部が隠し通路になっていた。
通路の先は研究室となっていて、やたらと巨大な機械が鎮座していた。周りには、生存者たちを模して造られた人形が並べられている。
見知った顔――中には知らない人間も混じっていたが、おおむね見たことのある人間ばかりの人形に、カイは複雑な心境で模型の群れを眺めた。サラの人形があることも確認し、しかしハンナキーに訊いたところで詳しい情報は得られないだろうと諦めて視線を外す。
ハンナキーはノエルをベッドに乗せて、様々な器具を取り付けていった。
「しばらくしたら再起動しますから」
彼女は、一旦医務室の方へ戻ると、小型の救急箱を持ってきた。白い木で作られた、緑色の十字マーク入りのどこにでもありそうな救急箱だ。
「これは、細胞の修復を促進させる薬です」
中身はさすがのアスナロ製らしく、ハンナキーは怪しげな薬を取り出して、カイに手首の傷を診せるよう促した。死に至るほどの深手を負ったカイは、少し迷いながらも大人しく左手をハンナキーへと差し出した。
「……改めて、酷い傷ですね」
あまりの凄惨さに唖然とするハンナキー。
彼女は、まず乾いた血がこびりついている傷周りを優しく拭うと、薬をカイの傷口に直接塗布して様子をうかがった。カイも一緒になって見守る中、ぱっくりと裂けた赤い傷口は、薬を塗られたそばからみるみるうちにその裂け目を閉じていった。
「凄い薬ですね。……アスナロにいた頃、医療班の方々にもお世話になっていましたが、ここまで進化しているとは」
素直に感嘆したカイは、礼を述べて傷周りをさする。赤い鉄線のような跡は残っているが、痛みはなくなり見た目も格段に良くなっていた。
ノエルが再起動されるまでのあいだ。ハンナキーは、カイに「セイという少年について聞かせてください」と申し述べた。彼女もトト・ノエル製造の関係者である以上、そのもととなった人間について深く知りたいというのは当然の感情だろう。
「……わかりました」
カイは治癒の恩もあり、セイについて記憶の限り説明することにした。
彼もエージェントとなるため育てられていた子供で、実父が亡くなったのを機に佐藤家へ来たこと。居場所を失うことを恐れてガシューを慕い、実の息子であるカイとは互いに嫌悪し合っていたが、衝突を繰り返して和解。
しかし最期は、育成された子供同士の殺し合いで、カイの目の前で死亡した。そこでセイの物語は終わりだ。
「死んだのは十代の前半そこらでしたね。ノエルは、死んだときのセイより身体的に成長した姿だと思います」
ベッドに寝かせられたノエルをチラ見して、かい摘まみつつも一部始終をつまびらかにするカイ。