世界その???:賢者と憎愛の花言葉
少年は無表情な面持ちに多少の呆れを乗せて、なにをいまさらといった風に答えた。
「ガシューだよ、佐藤我執。テメーも父さんの息子なんだろ」
当たり前だと言いたげな返答に、カイの心臓が大きく音を立てる。どくん、どくんと、普段はたいして意識することもない臓器が、警報でも鳴らすように存在をいかんなく主張している。
全身に汗がにじむような動悸を感じつつ、カイは冷静な顔で質問を重ねた。
「……あなたの名前は?」
途端に、少年はにやりと片頬を上げて笑った。笑顔を作るのに慣れていないのだろうか、得意げなようだが少々邪悪さが垣間見えている。
緊張で身を強張らせるカイに対し、少年は飄々として名乗りを上げた。
「オレの名前はトト・ノエル。父さんに作られた最高傑作の『着せ替え人形』だよー」
父さん――アスナロ随一の頭脳と技術を持つ科学者、佐藤我執。
そんな彼に作られたのだと言う少年、もといトト・ノエルに、カイは目を瞬いてその名を反芻した。
「とと、のえる……」
口に出して繰り返すと、潜在意識で『整える』という漢字に脳内変化される。
セイの名前は「整」と書くのだということを思い出し、カイは改めて剣呑な目で少年ノエルを見据えた。父であるガシューが人工知能などの研究を行っているのは、ほんの少しだけ耳にしたことがあるが……まさかこんな人形を作っていたとは。父親への嫌悪と怒りがこみ上げ、奥歯を噛みしめる。死者への冒涜だと、どこで覚えたかも定かでない言葉がよぎる。
ついでカイは、もう一つだけ訊こうと再び口を開きかけた。
「あなたも、ホエミーと同じ『人形』なんですか?」
それに対してノエルが答えようとした瞬間。二人の相対する室内に、新たな闖入者が現れた。
緑色の髪に、やたらゴテゴテした巨大な帽子。タイトなワンピースへ絡まるような、水色のテープをまとった女性だ。服装はノエルと同等、もしくはもっとコスプレじみている。遊園地などのテーマパークを思わせる、シリアスな雰囲気に似つかわしくない格好だった。
カイは組織の人間に捕まった際、彼女とすでに顔を合わせていた。名前は並田みちる――ゲームの進行役としての名は「ハンナキー」だったか。本来はアスナロお抱えの科学者らしい。
名の通り半泣き顔のハンナキーは、「こんなところにいたんですかぁ」とノエルを見た。
「ガシューさんがお呼びです、ミシマの頭部を持って研究室に行ってください」
ノエルが返事をするより早く、ハンナキーはカイにもちらりと目を向けて、抑揚のない声で静かに促した。
「……カイさんも。そろそろナオさんが戻ってきます。通路の存在に気付かれないよう、早く戻ってください」
「……」
カイは物言いたげにハンナキーを見返したが、彼女は気まずげに視線を逸らして黙りこくっている。仕方なしに、カイはもと来た通路を戻って調理室へと降りて行った。
「……」
暗い部屋の中。
闇に溶けるようにして去っていくカイを、残されたノエルはミシマの頭部を抱えてじっとりと見送っていた。
歯痒くも調理室に逆戻りし、カイは数十秒の差で帰ってきたナオからパソコンを受け取った。
彼女に内側から鍵をかけるよう言って調理室を出ると、人の気配がないことを確認して、ピンクの部屋へ素早く移動する。部屋にあったはずのミシマの遺体は回収されていて、カイは壁に設置されているハート形の通気口へ手をかけた。
引き戸になっている通気口をスライドすると、奥には隠し部屋があった。事務室というにも殺風景な、大きな机と複数のモニター、パソコンに物置のようなロッカーがあるだけの部屋だ。奥には分厚いガラス窓があり、なにやら人が寝ているようだったが、暗くて覗き見ることはできなかった。
奪還したパソコンを開き、カイはひとまずログイン用のパスワードを変更した。ソウがパスワードを解いてしまったかはわからないが、どのみちサラにしかわからないものにするのが得策だろう。カイは一瞬の迷いもなく、自身の恩人でもあるサラの父親の名前を登録する。
そうして、とりあえずここに置いておけば大丈夫かと一旦退室しかけたカイだったが、その前に隠し部屋の扉が開いた。
立っていたのは、カイがよく知っている人間――佐藤我執だった。
「……」
ガシューはぎょろりとした眼でカイを見つめ、なにか黙考するようにヒゲを撫でつけていた。カイもまた、思いもよらず邂逅した実の父親へ何も言えずに押し黙ってしまう。
しばらく耳鳴りさえするような沈黙が落ちて、口火を切ったのはガシューの方だった。
「お前がそれほどまであの一家に入れ込むとはな。情に流されて組織を裏切るなど、我が息子ながら愚かなことだ」
特徴的なヒゲの下、粘着質な嘲笑の表情を作るガシュー。
カイは反駁することもなく聞き流したが、ガシューはよどみのない口調でさらにカイを責めた。
「お前がデスゲームに巻き込まれたのは、ひとえにお前が弱かったからだ。いき過ぎた情は執着となる……自制心には期待していたが、所詮その程度だったということ。千堂院の娘も、お前一人の力では到底救えまい」
保護対象であるサラについてほのめかされ、カイは反射的に切り返していた。
「サラさんは強いお方です。卑劣な組織の圧力にも、決して屈することはないでしょう」
サラはハガメンだから、と笑っていた、彼女の親友の笑顔が思い出される。サラ自身が強いだけでなく、彼女の周りには支えとなってくれる人がたくさんいるのだ。
自分だってその一人で、だから組織を離反することに何のためらいもないのだと、カイは強い眼差しで父に反抗の意思を示した。
「強いお方……か」
カイの言葉を聞いて、なぜだかガシューはかえって笑みを深くしていた。
意味深な微笑に違和感を覚えるも、カイは考えるより先に反撃の台詞を吐いていた。
「愛情や執着に捕らわれるのが愚かだと言うならば……あの、トト・ノエルという人形はなんですか」
感情を抑えた短い問い。
射抜くような目をしたカイの声に、にやついていたガシューの顔がぴしりと凍り付く。カイは、硬い声で父親を糾弾した。
「先ほど上の方で少し話をしましたが、あれはどう見ても――」
そこで言葉を区切り、なんと続けたものか言いよどんでしまう。
ガシューは呼吸さえ止めてしまったかのように、機械的な口調で言った。
「お前が知ったところで何になる。関係のない話だ」
「関係ないはずがないでしょう!」
声を張り上げて迫るカイ。
彼はガシューへ噛みつかんばかりに食ってかかったが、ガシューはカイが置いたパソコンを持ってくるりと背を向けた。激昂したカイには一瞥もくれず、彼はふっと口角を上げて言い捨てた。
「……知りたければ、お前もこのゲームで生き残ることだな」
いとも容易く生を奪われ、死を与えられる人殺しのゲーム。
そのゲームで実の息子が死んでしまったとして、ガシューの心が揺らぐことはないのだろう。彼はパソコンを小脇に抱えて部屋を去り、場に立ち尽くしたカイは、手のひらに爪が食い込むほどの握り拳を作る。
「……っ」
怒りに支配されかけた頭を深呼吸で冷まし、固めた拳をそっと開く。汗の滲んだ手のひらに、ふとそれまで忘れていた幼少の記憶が少しだけよみがえってきた。
青天の下、どこまでも広がる裏庭の訓練場。
手合わせのたびにささいな喧嘩をした、でもどちらからともなく笑い合うことも多かった兄弟の面影。よく怒って、よく笑って。カイを小馬鹿にすることも多かったが、なんだかんだで面倒見の良い「おにいちゃん」の影。笑顔も泣き顔も知っている、文字通り苦楽を共にしてきた義理の兄の姿は、十何年が経った今でも鮮明に思い出すことができる。
「……セイ、」
かすれた独り言は誰の耳にも届かず、カイは感傷に浸る気持ちをぐっとこらえて隠し部屋を後にした。懐かしい声が耳にこだまして、けれど今は振り返るべきではないと、こじ開けられかけた記憶の蓋を丁寧に閉めなおした。
死とは暴力的かつ自然的な停滞だ。死ねば肉体の自由はなくなり、恐らく一切の意思も剥奪される。死後の世界とやらに関心は薄いが、だからこそ、死について考えたことは一度や二度ではない。
死は自分という人間すべての終わりだ。現実世界に及ぼす影響はさざ波のようなもので、死んで時間が経つにつれて、世界は自分なしに滞りなく日常を続けていく。それは誰が死んだとしても同じだろう。だから死ぬわけにはいかないのだと、カイは人知れず確固たる決意をもってメインゲームに挑んだ。
けれど、意志の強さで生殺与奪がくつがえるほど甘いゲームではなかった。
持っているだけで否応なく生死の天秤に乗せられる「身代」のカードの所持者。投票によって選ばれる「安牌」の犠牲者。確定で二人の人間が死ぬと決まっているゲームで、サラの親友でもある高校生は前者、カイは後者として容赦なく処刑された。
会場内に嗚咽と悲鳴が響き渡り、やがてホエミーが生き残った面々を強引に退場させる。
場内は血の匂いが漂って、人が減ると一気に不気味な雰囲気になった。ホエミー一人だけとなった空間に、場違いに能天気な声が通る。
「もう終わったー? そいつらの服、貰っちゃっていい?」
丸く大きな垂れ目。はきはきしているが気だるげな空気。いつでもどこか他人事の口調。
顔を出した着せ替え人形、ノエルは、陰惨とした会場を見渡して被害者の一人に目をやった。体中の血を抜かれて絶命した高校生は、物言わぬ人形のように倒れ伏している。
ホエミーは面倒くさげな態度を隠さずに言った。
「アナタ、次の階の担当では?」
「父さんとハンナキーが準備してるから、やることないんだよねー」
暇。退屈そうに返したノエルへ、ホエミーは「あらそう」と少しだけ声のトーンを高くする。彼女はにっこりと微笑んでノエルへ向き直った。
「じゃあ、そこの死体を片付けてもらおうかしら。そっちの馬鹿が床を血で汚したのは、あとで私が拭いておきますから」
「はぁー? なんでオレが、」
「こちらはいろいろと忙しいんですよ。ただの人形風情と違って……ね」
最後の言葉は口内で呟くだけにして、ホエミーは「また後ほど」と、あっというまに立ち去ってしまう。それなりに忙しそうな様子に、ノエルは舌打ちしつつ大人しく二人の犠牲者へ歩み寄った。
血液が枯渇した高校生から、前髪を留めているヘアピンを取る。きらきら光っているが、薄暗い室内ではたいして綺麗には見えなかった。死にざまを生で見られなかったと残念に思いながら、次に床で倒れている長髪の男のもとへ移動する。
うつぶせで死んでいる男をひっくり返し、ノエルの瞳がぱちくりと瞬きする。
「……あ、」
その男が、ついさっき対峙していた生存者――カイであることに気付いて、ノエルの持つパネルが少し斜めった。そこから覗く口は半開きで、彼は意外そうな顔でカイの全身を眺めていた。
「こいつ、さっきの」
独り言を漏らしながら、着ている服を上から下まで観察する。黒い服に黒いズボン。ひときわ目を惹く、赤いエプロン。脱げかけのスリッパ。ノエルは、あまり悩まずにエプロンへ手を伸ばした。
結局、よくわかんねーやつだったなー。声には出さず内心で呟いて、まあ邪魔者が消えたから良しとするかなどと満足する彼の手首を、血まみれの赤い手が力強く捕らえた。
細っこいノエルの手首に、赤い手がガッと力を込めている。ノエルは固定された手首に目を留めて、赤茶けた――乾いた血にまみれている手に視線を移した。その主は、やや青ざめた白い顔でノエルを見ていた。
「……触らないでください」
艶のない黒い瞳がノエルを映している。生気はないに等しいが、カイは荒い呼吸で肩を上下させながら、低い声でノエルを制止した。
「生きてたのか、テメー」
ノエルは、単調だが苛立ちを含んだ声でカイを見た。
カイは「自分でも予想外でしたが」と前置きして返答した。
「死なない術なら、子どもの頃から一通り仕込まれてきましたので……」
言いつつも、カイ自身まだ少し落ち着かないらしい。彼は状況を把握しようと周囲を見回し、すぐ近くで絶命しているジョーを見て痛ましげに目を閉じた。
そしてすぐさまノエルへ視線を戻すと、ノエルも冷淡な顔つきでカイをねめつけていた。
口はきかず、ばちばちと目線だけで火花を散らす二人。ややあって、カイが単刀直入に切り込んでいく。
「あなたは、父に作られた人形だと言っていましたね。……セイという名前に、心当たりは?」
訊くと、ノエルは表情をひとつも変えずにオウム返しで応えた。
「セイ? 誰だよ、そいつ」
「あなたのもとになった人間です」
確定事項ではないのだが、カイはほとんど確信をもって答えを返す。ノエルは自身を「ガシューに作られた人形」と言った。つまり、ホエミーやハンナキーのように「ただの人間が人形に扮している」のとはまったくわけが違う。
「ガシューだよ、佐藤我執。テメーも父さんの息子なんだろ」
当たり前だと言いたげな返答に、カイの心臓が大きく音を立てる。どくん、どくんと、普段はたいして意識することもない臓器が、警報でも鳴らすように存在をいかんなく主張している。
全身に汗がにじむような動悸を感じつつ、カイは冷静な顔で質問を重ねた。
「……あなたの名前は?」
途端に、少年はにやりと片頬を上げて笑った。笑顔を作るのに慣れていないのだろうか、得意げなようだが少々邪悪さが垣間見えている。
緊張で身を強張らせるカイに対し、少年は飄々として名乗りを上げた。
「オレの名前はトト・ノエル。父さんに作られた最高傑作の『着せ替え人形』だよー」
父さん――アスナロ随一の頭脳と技術を持つ科学者、佐藤我執。
そんな彼に作られたのだと言う少年、もといトト・ノエルに、カイは目を瞬いてその名を反芻した。
「とと、のえる……」
口に出して繰り返すと、潜在意識で『整える』という漢字に脳内変化される。
セイの名前は「整」と書くのだということを思い出し、カイは改めて剣呑な目で少年ノエルを見据えた。父であるガシューが人工知能などの研究を行っているのは、ほんの少しだけ耳にしたことがあるが……まさかこんな人形を作っていたとは。父親への嫌悪と怒りがこみ上げ、奥歯を噛みしめる。死者への冒涜だと、どこで覚えたかも定かでない言葉がよぎる。
ついでカイは、もう一つだけ訊こうと再び口を開きかけた。
「あなたも、ホエミーと同じ『人形』なんですか?」
それに対してノエルが答えようとした瞬間。二人の相対する室内に、新たな闖入者が現れた。
緑色の髪に、やたらゴテゴテした巨大な帽子。タイトなワンピースへ絡まるような、水色のテープをまとった女性だ。服装はノエルと同等、もしくはもっとコスプレじみている。遊園地などのテーマパークを思わせる、シリアスな雰囲気に似つかわしくない格好だった。
カイは組織の人間に捕まった際、彼女とすでに顔を合わせていた。名前は並田みちる――ゲームの進行役としての名は「ハンナキー」だったか。本来はアスナロお抱えの科学者らしい。
名の通り半泣き顔のハンナキーは、「こんなところにいたんですかぁ」とノエルを見た。
「ガシューさんがお呼びです、ミシマの頭部を持って研究室に行ってください」
ノエルが返事をするより早く、ハンナキーはカイにもちらりと目を向けて、抑揚のない声で静かに促した。
「……カイさんも。そろそろナオさんが戻ってきます。通路の存在に気付かれないよう、早く戻ってください」
「……」
カイは物言いたげにハンナキーを見返したが、彼女は気まずげに視線を逸らして黙りこくっている。仕方なしに、カイはもと来た通路を戻って調理室へと降りて行った。
「……」
暗い部屋の中。
闇に溶けるようにして去っていくカイを、残されたノエルはミシマの頭部を抱えてじっとりと見送っていた。
歯痒くも調理室に逆戻りし、カイは数十秒の差で帰ってきたナオからパソコンを受け取った。
彼女に内側から鍵をかけるよう言って調理室を出ると、人の気配がないことを確認して、ピンクの部屋へ素早く移動する。部屋にあったはずのミシマの遺体は回収されていて、カイは壁に設置されているハート形の通気口へ手をかけた。
引き戸になっている通気口をスライドすると、奥には隠し部屋があった。事務室というにも殺風景な、大きな机と複数のモニター、パソコンに物置のようなロッカーがあるだけの部屋だ。奥には分厚いガラス窓があり、なにやら人が寝ているようだったが、暗くて覗き見ることはできなかった。
奪還したパソコンを開き、カイはひとまずログイン用のパスワードを変更した。ソウがパスワードを解いてしまったかはわからないが、どのみちサラにしかわからないものにするのが得策だろう。カイは一瞬の迷いもなく、自身の恩人でもあるサラの父親の名前を登録する。
そうして、とりあえずここに置いておけば大丈夫かと一旦退室しかけたカイだったが、その前に隠し部屋の扉が開いた。
立っていたのは、カイがよく知っている人間――佐藤我執だった。
「……」
ガシューはぎょろりとした眼でカイを見つめ、なにか黙考するようにヒゲを撫でつけていた。カイもまた、思いもよらず邂逅した実の父親へ何も言えずに押し黙ってしまう。
しばらく耳鳴りさえするような沈黙が落ちて、口火を切ったのはガシューの方だった。
「お前がそれほどまであの一家に入れ込むとはな。情に流されて組織を裏切るなど、我が息子ながら愚かなことだ」
特徴的なヒゲの下、粘着質な嘲笑の表情を作るガシュー。
カイは反駁することもなく聞き流したが、ガシューはよどみのない口調でさらにカイを責めた。
「お前がデスゲームに巻き込まれたのは、ひとえにお前が弱かったからだ。いき過ぎた情は執着となる……自制心には期待していたが、所詮その程度だったということ。千堂院の娘も、お前一人の力では到底救えまい」
保護対象であるサラについてほのめかされ、カイは反射的に切り返していた。
「サラさんは強いお方です。卑劣な組織の圧力にも、決して屈することはないでしょう」
サラはハガメンだから、と笑っていた、彼女の親友の笑顔が思い出される。サラ自身が強いだけでなく、彼女の周りには支えとなってくれる人がたくさんいるのだ。
自分だってその一人で、だから組織を離反することに何のためらいもないのだと、カイは強い眼差しで父に反抗の意思を示した。
「強いお方……か」
カイの言葉を聞いて、なぜだかガシューはかえって笑みを深くしていた。
意味深な微笑に違和感を覚えるも、カイは考えるより先に反撃の台詞を吐いていた。
「愛情や執着に捕らわれるのが愚かだと言うならば……あの、トト・ノエルという人形はなんですか」
感情を抑えた短い問い。
射抜くような目をしたカイの声に、にやついていたガシューの顔がぴしりと凍り付く。カイは、硬い声で父親を糾弾した。
「先ほど上の方で少し話をしましたが、あれはどう見ても――」
そこで言葉を区切り、なんと続けたものか言いよどんでしまう。
ガシューは呼吸さえ止めてしまったかのように、機械的な口調で言った。
「お前が知ったところで何になる。関係のない話だ」
「関係ないはずがないでしょう!」
声を張り上げて迫るカイ。
彼はガシューへ噛みつかんばかりに食ってかかったが、ガシューはカイが置いたパソコンを持ってくるりと背を向けた。激昂したカイには一瞥もくれず、彼はふっと口角を上げて言い捨てた。
「……知りたければ、お前もこのゲームで生き残ることだな」
いとも容易く生を奪われ、死を与えられる人殺しのゲーム。
そのゲームで実の息子が死んでしまったとして、ガシューの心が揺らぐことはないのだろう。彼はパソコンを小脇に抱えて部屋を去り、場に立ち尽くしたカイは、手のひらに爪が食い込むほどの握り拳を作る。
「……っ」
怒りに支配されかけた頭を深呼吸で冷まし、固めた拳をそっと開く。汗の滲んだ手のひらに、ふとそれまで忘れていた幼少の記憶が少しだけよみがえってきた。
青天の下、どこまでも広がる裏庭の訓練場。
手合わせのたびにささいな喧嘩をした、でもどちらからともなく笑い合うことも多かった兄弟の面影。よく怒って、よく笑って。カイを小馬鹿にすることも多かったが、なんだかんだで面倒見の良い「おにいちゃん」の影。笑顔も泣き顔も知っている、文字通り苦楽を共にしてきた義理の兄の姿は、十何年が経った今でも鮮明に思い出すことができる。
「……セイ、」
かすれた独り言は誰の耳にも届かず、カイは感傷に浸る気持ちをぐっとこらえて隠し部屋を後にした。懐かしい声が耳にこだまして、けれど今は振り返るべきではないと、こじ開けられかけた記憶の蓋を丁寧に閉めなおした。
死とは暴力的かつ自然的な停滞だ。死ねば肉体の自由はなくなり、恐らく一切の意思も剥奪される。死後の世界とやらに関心は薄いが、だからこそ、死について考えたことは一度や二度ではない。
死は自分という人間すべての終わりだ。現実世界に及ぼす影響はさざ波のようなもので、死んで時間が経つにつれて、世界は自分なしに滞りなく日常を続けていく。それは誰が死んだとしても同じだろう。だから死ぬわけにはいかないのだと、カイは人知れず確固たる決意をもってメインゲームに挑んだ。
けれど、意志の強さで生殺与奪がくつがえるほど甘いゲームではなかった。
持っているだけで否応なく生死の天秤に乗せられる「身代」のカードの所持者。投票によって選ばれる「安牌」の犠牲者。確定で二人の人間が死ぬと決まっているゲームで、サラの親友でもある高校生は前者、カイは後者として容赦なく処刑された。
会場内に嗚咽と悲鳴が響き渡り、やがてホエミーが生き残った面々を強引に退場させる。
場内は血の匂いが漂って、人が減ると一気に不気味な雰囲気になった。ホエミー一人だけとなった空間に、場違いに能天気な声が通る。
「もう終わったー? そいつらの服、貰っちゃっていい?」
丸く大きな垂れ目。はきはきしているが気だるげな空気。いつでもどこか他人事の口調。
顔を出した着せ替え人形、ノエルは、陰惨とした会場を見渡して被害者の一人に目をやった。体中の血を抜かれて絶命した高校生は、物言わぬ人形のように倒れ伏している。
ホエミーは面倒くさげな態度を隠さずに言った。
「アナタ、次の階の担当では?」
「父さんとハンナキーが準備してるから、やることないんだよねー」
暇。退屈そうに返したノエルへ、ホエミーは「あらそう」と少しだけ声のトーンを高くする。彼女はにっこりと微笑んでノエルへ向き直った。
「じゃあ、そこの死体を片付けてもらおうかしら。そっちの馬鹿が床を血で汚したのは、あとで私が拭いておきますから」
「はぁー? なんでオレが、」
「こちらはいろいろと忙しいんですよ。ただの人形風情と違って……ね」
最後の言葉は口内で呟くだけにして、ホエミーは「また後ほど」と、あっというまに立ち去ってしまう。それなりに忙しそうな様子に、ノエルは舌打ちしつつ大人しく二人の犠牲者へ歩み寄った。
血液が枯渇した高校生から、前髪を留めているヘアピンを取る。きらきら光っているが、薄暗い室内ではたいして綺麗には見えなかった。死にざまを生で見られなかったと残念に思いながら、次に床で倒れている長髪の男のもとへ移動する。
うつぶせで死んでいる男をひっくり返し、ノエルの瞳がぱちくりと瞬きする。
「……あ、」
その男が、ついさっき対峙していた生存者――カイであることに気付いて、ノエルの持つパネルが少し斜めった。そこから覗く口は半開きで、彼は意外そうな顔でカイの全身を眺めていた。
「こいつ、さっきの」
独り言を漏らしながら、着ている服を上から下まで観察する。黒い服に黒いズボン。ひときわ目を惹く、赤いエプロン。脱げかけのスリッパ。ノエルは、あまり悩まずにエプロンへ手を伸ばした。
結局、よくわかんねーやつだったなー。声には出さず内心で呟いて、まあ邪魔者が消えたから良しとするかなどと満足する彼の手首を、血まみれの赤い手が力強く捕らえた。
細っこいノエルの手首に、赤い手がガッと力を込めている。ノエルは固定された手首に目を留めて、赤茶けた――乾いた血にまみれている手に視線を移した。その主は、やや青ざめた白い顔でノエルを見ていた。
「……触らないでください」
艶のない黒い瞳がノエルを映している。生気はないに等しいが、カイは荒い呼吸で肩を上下させながら、低い声でノエルを制止した。
「生きてたのか、テメー」
ノエルは、単調だが苛立ちを含んだ声でカイを見た。
カイは「自分でも予想外でしたが」と前置きして返答した。
「死なない術なら、子どもの頃から一通り仕込まれてきましたので……」
言いつつも、カイ自身まだ少し落ち着かないらしい。彼は状況を把握しようと周囲を見回し、すぐ近くで絶命しているジョーを見て痛ましげに目を閉じた。
そしてすぐさまノエルへ視線を戻すと、ノエルも冷淡な顔つきでカイをねめつけていた。
口はきかず、ばちばちと目線だけで火花を散らす二人。ややあって、カイが単刀直入に切り込んでいく。
「あなたは、父に作られた人形だと言っていましたね。……セイという名前に、心当たりは?」
訊くと、ノエルは表情をひとつも変えずにオウム返しで応えた。
「セイ? 誰だよ、そいつ」
「あなたのもとになった人間です」
確定事項ではないのだが、カイはほとんど確信をもって答えを返す。ノエルは自身を「ガシューに作られた人形」と言った。つまり、ホエミーやハンナキーのように「ただの人間が人形に扮している」のとはまったくわけが違う。