カイさん、主夫をお休みします(後編)

 大広間を通り、十余人はぞろぞろと酒場へ入室する。
 飲酒の可不可が記された黒板の前で、教職者であるミシマが場を仕切るリーダー役へ自然におさまってチョークを手に取った。
「では、午前中は仕事を分担して作業、昼食時に各自の作業進捗率を報告し、全体の様子を見て午後からの活動を決めるといった方向でどうでしょうか?」
 これにも特に異論は上がらず、さっそく役割分担の議論が始まった。各自が自らの得意と不得意をもとに希望の役職を言って、しかしひとつの作業に人数が偏ってはいけないので、上手く折り合いをつけて調整する。
 主な作業内容は、生活の基盤となる家事に、施設の探索と脱出口の捜索。それとは別動隊で、行方知れずとなったカイを探す班も組まれることになった。
 ときに他薦も含んだ話し合いが一時間ほど続き、ときに意見のぶつかり合いで一部の参加者同士が舌戦を繰り広げながらも、ちょうどいい頃合いで議論が一段落する。
 これから作業を始めても昼食まで充分な時間が取れそうだと、時計を見上げて頷いたサラの耳に、マイの声が響いた。議論開始と同時に食事の準備班に着任した彼女は、黒板を眺めながら思わせぶりな口調で呟いた。
「家事だけでも結構な量だね。これに愛想が尽きたなら、カイさんの捜索も難航しそうな気がするな~」
「……やっぱり、カイさんは怒ってるんでしょうか」
「怒ってるならまだマシじゃけんど、諦めの境地に達してたら厄介ぜよ……叱られるうちが花、ってな」
 視線を落とすサラにQタロウが眉間にしわを刻み、しかしそんな二人とは対照的に、マイは穏やかな顔で先を続けた。
「カイさんが本気で怒っているかは分からないけど……迷惑かけちゃったって反省してるなら、もっと他にも伝えなきゃいけないことがあるよね」
 無垢な笑顔でサラを見つめるマイ。
「……?」
 真意を読み取れず疑問符を浮かべたサラは、ただ困惑しながら黒板の役職とマイを交互に見つめて立ちすくむ。
 マイは全員の仕事が割り振られた黒板に背を預け、ただひとり係から外されているカイの名を見ながら、場にいる全員に向けて語り出した。


「……カイさんは、もっと他の人を頼るべきですよ」
 帳簿の整理を終えて小休憩をとっていると、ハンナキーがコーヒーと共にそんな一言を添えた。モニターの前に腰を下ろしたまま、カイは複雑な面持ちでコーヒーに口をつける。ほどよい苦みと酸味に目をつむり、ぬるい溜息を吐く。
「あなたも、ひとりで研究室にこもっていることが多いですよね」
「わ、私のは自分の趣味も兼ねていますし……ひとりだと、誰も頼れない反面、気楽に自分のペースで進められますから」
「オメー協調性ないから、ひとりの方が仕事が早いって父さんも言ってたような」
 脈絡なく会話に入ってきたノエルの台詞に、それはそれで微妙な気持ちになりますね……と困り顔をするハンナキー。ノエルは嘲笑にも似た笑みのパネルで口元を隠しカイの方を向いた。
「周りのやつを頼れないとか、シンライカンケーができてねーんじゃねーの?」
「……あなたに信用云々を説かれるとは」
「馬鹿にしてんのかテメー」
 仲良く軽口の応酬をして、カイはコーヒーの入ったカップを両手で包んだままうなだれた。血色の悪かった顔は少しずつ生気を取り戻しているが、彼はまだ元気のない様子で口を開く。
「これは信用問題というよりも、私の存在意義の問題ですね」
 悶々とした悩みを言語化して、自分でも自身の考えを確かめるように述べる。
「裏ではこうしてあなたたちと繋がっている後ろめたさもありますし……せめて生活の要である家事くらいは、参加者の方々の負担にならないようにしたかったのですが」
 難しいものですね、と締めくくり、もう一度大きな溜息を吐く。
「か、カイさんはとても頑張っていましたよ!」
 フォローに入ったハンナキーに、ノエルも「まー、コイツだったら家事なんかろくにできねーだろうしなー。替えの利かない仕事ってやつだったんじゃね?」とハンナキーの頭に顎をのせる。しかしカイは改めてモニターを確認し、一階フロアの参加者たちがてきぱきと仕事をこなしている様を見てしゅんと肩を落とした。
「というか、それで限界きてたら世話ないでしょうに」
 カイの仕上げた帳簿を確認しつつ薄笑いするホエミーは、モニターの一角でなにやら怪しげな動きを見せる参加者に目を留めた。「脱出経路でも探してるんでしょうか?」ハンナキーもホエミーの視線を追って首を傾げる。頭にのっていたノエルが、重力に従ってずるりと滑り落ちた。
「いや……たぶん、探しているのはこいつだろう」
 ホエミーはカイをちらりと見て言い、それに対してカイはモニターの映像に釘付けになっていた。カイの捜索をしているらしい数名の参加者の中で、焦燥と心配の色をにじませている少女から目が離せなくなる。いつでも凛としていた彼女の眼差しは、いまは年相応の少女らしさに満ちて、不安げに揺れていた。
「……」
「あーあ、可哀想」
 カイの横に立ってモニターを覗き込んだノエルは、平坦な声で呟いてカイを見た。カイは相変わらずどうしたらいいか迷っているようで、ぼんやりとした黒い瞳の奥に、隠し切れない戸惑いを浮かべている。一見すると感情さえ薄くなってしまった風にも見えて、ノエルは手持ちのパネルをカイの口元に当てるというちょっかいを出した。
 しばらくモニターの画面を見続けていたカイだったが、不意にモニタールームの出入り口の方から自分たちとは別の気配がしたのを感じて俊敏に振り向いた。カイにちょっかいをかけていたノエルは、現れた人物を見てパネルを腰にしまう。
「父さん! なんかあった?」
 ぱっと華やかな声で駆け寄ったノエルに、父さんと呼ばれた人影――佐藤我執はノエルの頭を抑えつけるように撫でながらカイを見た。ぎょろりとした無感情な眼は、彼の作った人形よりもよっぽど機械的に見えた。
「お前の持ち場は、ここではないはずだが?」
「……」
 叱責するでもなく、ただ事実を突きつけるガシューの鋭い問いに、カイは口を閉ざしたまま黙って父を睨み返した。突然に緊迫した空気が流れ、ハンナキーは「あ、あの、ここで親子喧嘩は」とおろおろしながら二人を仲裁しようとする。
 ややあって、口火を切ったのはカイの方だった。
「持ち場と言われても……私はこの人たちに利用されてはいますが、積極的にあなたたちにくみしているつもりはありませんが」
 ホエミーたちを一瞥し、あっさりと、しかし力強い口調で告げるカイ。ガシューの目が針のように鋭く細くなり、けれどもカイは目を逸らすことなくまっすぐに父を見返した。互いに無言ではあるが、言葉よりも雄弁な目で相手を威圧している。
 両者は一歩も引かず、暗い室内で視線だけがばちばちとぶつかり合う。うろたえるハンナキーの隣で、ノエルは平然と二人の睨み合いを傍観していた。
 火花でも散りそうな緊張感だったが、先に矛を収めたのはガシューの方だった。
「……まったく、可愛げのない息子に育ったものだ」
 言って、彼は出入り口にカイを促した。
「いつまでもここに閉じこもっていることは許さん。昼食までには、一階フロアへ戻るように」
 一方的に命令し、彼はきびすを返してモニタールームから退出する。後ろ姿を目だけで追ったノエルが、不愉快そうにカイの肩に顎をのせた。
「むかつくけど、オメーと父さんってやっぱり似てんな」
「……それは心外ですね」
 珍しく感情的にしかめ面を作り、カイは背中をどすどす殴ってくるノエルの頭を軽くチョップする。
 カイとガシューの親子喧嘩に毛ほども興味を示さず、他人事を貫いていたホエミーは、帳簿の確認を済ませて再度モニターに目をやった。忙しなく施設内を探索している参加者たちを見て、カイを挑発するように笑う。
「それで、どうするんだ?」
 カイは無言でモニターを見るばかりで、すぐには答えることができなかった。


 カイの捜索を担当することになったサラたちは、一階フロアの探検を終えて食堂へ戻ってきた。カイの捜索班は、サラをリーダーとしてジョーとQタロウ、ケイジ、ギンの五人で構成されていた。
 床に伏せる格好で調理室周辺の匂いを嗅いでいたギンは、ニャーちゃんクッションを抱いたまま釈然としない顔で首を捻っていた。
「ニャムム……ロン毛エプロンの匂いがいちばん強いのは、やっぱりここニャン。でも、匂いは部屋の中で完全に途切れちゃってるワン」
「まるで警察犬だねー。でもその理屈だと、カイは調理室の中で宙に浮いて消えちゃったってことになるのかな」
 食堂のテーブルに着き、ケイジも緩く首を傾げて言った。
「調理台の上も匂いが強かったけど、ロン毛エプロン、台の上にでも登ってたニャン……?」
「うーん、そんな行儀悪いこと、むしろカイさんなら怒りそうな気がするけどな」
 ジョーも不可解だと言わんばかりに両腕を組んで調理室を見やる。調理室はガラス窓越しに室内の様子がうかがえて、いまは朝食の片付けと昼食の支度に勤しむ食事班の参加者たちが、忙しそうに立ち回っていた。
「ニャム、洗剤の匂いでロン毛エプロンの匂いが消えてきちゃったニャン」
 床を這いずるような格好で捜査していたギンが、しょんぼりと立ちあがってテーブルに着席する。ほどなくして、調理室から人数分のコップをトレーに載せたマイが顔を出した。
「捜査は休憩? お疲れさま」
 マイはサラたちの前にコップを置いて、ケイジとQタロウにはコーヒーを、サラやジョーとギンの前にはオレンジジュースの入ったコップを並べる。ギンはマスクの下から器用にコップへ口付けて、一同は探索で使った体力を回復するように一息ついた。
「けんど、一階フロアは全部見て回ったぜよ? カイのやつ、どこに行っちまったんだか……」
 Qタロウが訝しげに疑問を口にして、サラも顎に手を添え黙考する。
「一応トイレの中まで探したけど……はっ、まさか女子トイレの方とか?」
「ロン毛エプロンは女の人だったニャン!?」
 ジョーが真顔でボケて、真に受けたギンがニャーちゃんをぎゅっと握りしめる。Qタロウとケイジはツッコミを放棄した。
「こら、あんまりギンをからかうなよ」
 ジョーをたしなめ、サラはコップを両手で包みながらオレンジジュースの表面を眺めた。鮮やかな瑞々しい果汁に、どうにも元気のない自分の顔が映っている。
 この閉鎖空間での生活で、いったい自分たちはどれだけカイの世話になっていたのだろう……悔やんでも意味はないと知りつつ、自責の念は簡単に振り払えそうもない。
 やけに味のしないオレンジジュースを無理やり喉へ流し込んでいたサラは、ふとあることを思い出して「あっ」と声を上げた。すでにマイは持ち場に引っ込んでいて、サラはコップを手にしたままおもむろに立ち上がる。彼女は勢いよく調理室の扉を開けてマイを呼んだ。
「マイさん……ランマルが、四階にドリンクバーがあるって言ってましたけど」
 ダミーズと出会ってすぐの会話で、綿飴のような頭をした少年が漏らした一言。脳裏をよぎったその一言を頼りに、サラはマイへ真剣に問いかけた。
「この施設って、何階まであるんでしょうか」
 調理室内で食器を数えていたマイは、いたずらっ子じみた仕草で舌を出した。
「ごめんね、私たちもよくは知らないの。ただ、私たちが目覚めてから過ごしていたのは、主に四階と五階だけ……ご飯のときだけ、一階まで下りてきて食堂を使ってたけど」
 いままでよく顔を合わさなかったよねぇとのんきに笑うマイ。それに思うところがないでもないが、新しい情報を得たサラはほんのわずかに瞳を輝かせた。
 サラたちの活動範囲外である一階から三階よりも先に別のフロアがあるのなら、カイはそこへいるのかもしれない。ダミーズの世話も焼いていたというのだから、カイしか知らない秘密経路があってもおかしくないだろう。
 意気揚々と四階フロアへの行き方を尋ねるサラたちに、しかしマイは少しだけ陰のある表情で眉を下げて笑った。なんだか、困っているようにも、どこか寂しげにも見える笑顔だ。
「行くのは簡単だけど……でも、捜索範囲を広げた結果、仮にカイさんが無事に見つかったとして、素直に帰ってきてくれるかなぁ」
 それは意地悪などではなく、マイはカイの動向を純粋に懸念しているらしかった。
「カイさんって、家事とか生活のサポートをする負担が大きすぎて出て行っちゃったんだよね。それなら、もしもカイさんを見つけたところで、無理に連れ帰ってもまた爆発しちゃうんじゃないかなぁ」
 カイの心境をおもんばかるマイに、サラは調理室前で冷たい表情をしたカイを思い出した。どんな頼み事も嫌な顔ひとつせず、誰に対しても優しく茶目っ気すら見せて場を和ませてくれていた人。そんな彼が初めて見せた、いわゆる『堪忍袋の緒が切れた』状態は、怖いというよりもなぜだかとても悲しい気持ちになった。
 それは彼ひとりに負担を強いていた自分たちの不甲斐なさからくるものだろう。澄んだ紫の眼を後悔でうるませるサラに、調理室内にいた食事班のメンバーであるヒナコがマイをとがめるように口を出す。
「ちょっと、サラ先輩が落ち込んじゃってるじゃん」
 サラを先輩と呼ぶ、生意気そうな雰囲気の彼女に、マイは慌ててサラの肩を抱いた。
「だ、大丈夫だよ。きっとカイさんは、サラちゃんたちに本気で怒ってるわけじゃないと思うから」
 そう言って、マイは「でも」とサラを安心させるように微笑する。
「ごめんなさいって謝るだけだと、カイさんも気まずいっていうか……お互いに申し訳なくなっちゃうと思うから。だから、謝罪とは別に伝えることがあると思うんだ」
「他に、伝えること……」
 マイの言葉を反芻して、サラは息を呑んだ。そういえば、マイは酒場での議論の後にもそんなことを言っていた。
「大丈夫、ちゃんと私たちも『サポート』するから。もちろん、無理のない範囲でね」
 にこっと安心感のあるえくぼを作り、マイは食事班のメンバーとカイ捜索班のメンバーを手招きで呼び集める。彼女たちは調理室前で円陣を作るように輪になって、マイを中心にカイを迎えに行くための作戦会議を始めた。
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