世界その5:失敗作兄弟
「避けんなよ」
「避けますよ。ほら、当たりますか?」
最小限の動きと涼しい顔で逃げ回るカイ。相変わらず、こっちの神経を逆撫でするのが上手いやつだ。
「動くなっつーのっ! 死ねっ!」
「こら、そんなに叫んではご近所迷惑ですよ」
「くっそ……テメー、ほんとは人形なんじゃねーの?」
「いえ、私は人間です。疑わしいのは、むしろ父の方かと」
夏の終わりと、秋の始まり。
どちらともつかない温い風が吹いて、カイは赤いエプロンをひるがえして舞い、オレはそれに一撃でも食らわせてやろうと何度も蹴りを放つ。こいつの体力は無尽蔵か。
オレたちは互いに距離を縮めたり遠ざかったりしながら、真夜中の道で踊るように言葉を交わした。オレの蹴りが風を生んで、それよりも強い自然の風がスカーフをなびかせる。
結局カイの住むアパートに着くまで蹴りは一度も当たらず、オレは最後の最後にカイの肩を一発だけ強めに叩いた。カイはそれを避けなかった。
「……じゃーな」
ひらひらと片手を振る。いつもと変わらない別れだった。
「……では、また」
カイは軽く会釈して、アパートの扉に吸い込まれていった。
風の吹かない室内は、なんとなく空気がこもっている感じがする。一階のフロアマスターに言うと、「あはは。人形のくせにそんなことが気になるんですかぁ?」と笑われて、パネルでぶん殴ってやろうかと思った。
デスゲームが始まって、まだ一日も経っていない。
三階のフロアマスターを命じられたオレは、まだ『生存者』の連中を見ていなかった。『最初の試練』で顔を合わせたやつは数人いるけど、そいつらはみんな試練をクリアできずに死んだ。
組織の人間たちは妙に忙しそうで、ゲームの舞台裏は慌ただしかった。聞くと、ゲームに予定外の人間が数名巻き込まれたらしい。最高傑作のオレを作れるくらい高度な科学力を持つ巨大組織が、なんとも爪の甘いことだ。
右往左往する職員を尻目に手持無沙汰でうろついていると、ゲームの様子を監視していたハンナキーに呼ばれた。
奇抜な衣装に身を包んだ『ハンナキー』は、初回のメインゲームが終わったので会場の片付けを手伝ってほしいと言った。
「めんどくせー」
素直に返して背を向けると、ハンナキーは「ぎ、犠牲になった方の服もありますからぁ……」と必死でオレの興味を惹こうとする。そういや、メインゲームでは必ず二人の人間が死ぬんだったか。
死にたくないと渇望しながら、最期まで生に執着しながら死んでいった人間たち。そいつの身に着けていた服を思うと、まあ、悪くはない。
『最初の試練』のときみたいに気色悪い自殺志願者がいないことを願いつつ、どうせ暇だしとハンナキーについていく。
「ここですね」
ハンナキーが扉を開けると、そこはすでにもぬけの殻だった。
メインゲームが終わってからだいぶ経ったのか、人の気配は少しも感じられない。
「どれどれー? 間抜けな犠牲者は、っと」
床に倒れた状態で放置されている二人の人間に近づき、青い服を着たやつの顔を覗き込む。見た目的にはオレよりほんの少し体格が良いくらいの背格好で、いわゆる『学生』って身分のようだ。手首に飾りが多く、耳と髪にもきらきらした装飾品をつけていた。
オレはすでに、フード付きの襟が広い服を着ている。ジャケットはちょっと邪魔くさい。ネクタイももうあるし、こいつはだらしなく服を着崩しているから、ズボンにも少ししわが寄っている。
ちょっとだけ悩んで、オレはこいつの髪からヘアピンを抜き取った。鏡がないから適当に自分の髪を留めてみる。こいつは生きてるとき、どんな気持ちでこれを身に着けていたんだろう。想像するだけでぞくぞく、快感と征服欲が喉元まで湧き上がった。
高揚と優越感で満たされたオレは、もう片方の人間からもなにかいただくかと反対側の床を見て、どことなく見覚えのある姿を捉えて、手に持っていたパネルを取り落とした。かしゃんと音が鳴り、学生のやつの死体を回収していたハンナキーが「ど、どうかしましたか?」とこっちを見る。
「……いや、べつに。なんでもねーよ」
きつめの口調で制すると、ハンナキーは物言いたげながらも大人しく引き下がった。
残された死体の近くで足を止め、まじまじと顔を確認する。
闇夜に立つと同化して見えなくなった、だけど艶やかで柔らかそうな髪。触覚みたいな癖がついていて、男のくせに肩を越すくらい長い。
オレと同様にもとから色白な肌は、いまは血色の悪い不健康な青白さだった。……というか、血の気が失せている。やっぱり死体の顔だ。
髪と同系色の、腹の読めない無感情な瞳が、閉じたまぶたのせいで見えなくなっている。こじ開けたらグロイことになりそうで、考えるだけにとどめておいた。
「……あー。予定外に巻き込まれた人間、か」
ゲームに予定外の人間が数名巻き込まれたらしい、そのうちの一人がこいつかと納得して、笑いがこぼれた。自分から飛び込んだのか、それとも組織のやつらにぶち込まれたのか。どちらにせよ、カイの裏切りには父さんもとっくに気付いてるみたいだった。
カイは両手首からおびただしい量の血を流していた。そばには血まみれの包丁が落ちている。
「おーい。服、もらっちまうぞー」
げしっと肩を蹴ってみたけど、カイは睫毛を伏せたまま微動だにしなかった。死んでるんだから当たり前だ。今だったら、戦闘でも余裕で勝てるな。……死体相手に勝ち負けもないか。
さて、こいつからはなにをいただくかとしゃがみこんで衣服に手を伸ばし、妙なことに気が付いた。
こいつの服は、両手首からの出血で大部分が血に染まっている。おもにシャツの袖口、ズボンの腰辺り。
それでも、赤いエプロンだけは血に汚れていなかった。
というかエプロン自体が真っ赤だから、それで見逃してるのかと思って注意深く眺めてみたけど、マジでエプロンには少しの血液も付着していない。よく見れば袖口なんかの血は時間経過で濃い赤茶色に変色していたが、エプロンにはどこにもその形跡がなかった。
「んー? 変だな……」
意識的にか無意識に、エプロンをかばったのだろうか。
こいつのことだから、死してなお組織の連中に一矢報いようと爆弾なんかを仕掛けている可能性もある。慎重に調べながら、オレはふと、風の強かった夜のことを思い出した。
――そうだ、こいつが初めてこのエプロンを着ていた夜のこと。生きたこいつがこのエプロンを着ているところを見たのは、結局あの夜が最初で最後だった。
千堂院の人間にもらったのだと誇らしげに語っていたカイの笑顔が、もうずっと昔のことのように思える。
オレは、カイの体から真っ赤なエプロンをそっと剥ぎ取った。
なにがきっかけだったかなんて忘れたけど、かつてカイに訊いたことがあった。
「オメー、千堂院の人間のこと、気に入ってるらしいじゃん」
カイは千堂院という名前を聞いただけで反応して、ほんの少しだけ表情を柔らかくした。思えば赤いエプロンを貰う以前から、カイは千堂院の人間に特別な情を持っていたんだろう。
人形のオレには理解できないことだとわかりつつ、オレは無意味な質問をしてみた。気まぐれ、興味本位。そういう取るに足らない好奇心だった。
「でもさ、千堂院の娘はそういうこと知らねーんだろー? 一方的にオメーが守ってやってるだけで」
千堂院の人間――正しくは、その一人娘が健やかに育つよう影から見守り手助けする。
それが組織から下された任務で、カイはその時点でそれなりの年月を費やしていた。
「ぜってーに相手から返ってこないってわかってて愛情を注ぐとか、むなしくなんねーの?」
話の流れで使った『愛情』という単語に、言いながら違和感を覚える。だけどまあ、『愛』という概念はオレにもわからなくない。オレが父さんを慕う感情も、『敬愛』『親愛』という形をしてるから。
だからこそ、人には「愛している分だけ愛されたい」と思う欲求があるのも身に染みて知っていた。
相手の特別になりたい。こっちを見てほしい。認めてほしい。
好きだと――お前だけが唯一だと言ってほしい。それらをまとめれば、「愛してほしい」という欲望、願望になる。
だけどカイはいつも与えてばかりいるようで、千堂院の人間へ積極的になにかを求める真似はしていないようだった。それが、オレにはどうも異様なことに思えて仕方ない。
カイは考えてもみなかったとばかりに目を丸くして、口元に手を当てた。
「そうですね……とはいえ私がサラさんを見守っていることは、旦那さんや奥さんが知っていますし……」
自分でも答えを探すように考え込み、カイは不意に目を細めた。ターゲットを狙うときとは違う、穏やかな表情だった。
「きっと、本当の愛というのは、見返りを求めずとも自然に心が満たされるものなのでしょうね」
本当の愛。そう言ったカイの顔はひどく満足げで、オレは釈然としない気持ちになる。
見返りがなくとも心が満たされるなんて想像もできやしない。オレは父さんを『愛してる』けど、これは『本当の愛』なんかじゃないって言うのか。
大切な存在に愛されなくても、ましてや存在を知られることさえなくても幸せだなんて、意味が分からなかった。
オレは混乱と焦燥に惑うまま、八つ当たりのようにカイの肩へ大振りに殴りかかった。だけど事もなげに避けられて、ますます怒りが加速する。ムカつくだけだとわかっていても、そうすることしかできなかった。
父さんがオレに組み込んだ「嫉妬」の感情は、たぶんカイは一欠けらたりとも持っていなかったんだろう。それが無性に腹立たしかった。
そのときの悔しさまで思い出しながら、オレはカイのエプロンを腰に巻く。真っ赤な生地に黄色い模様が散った、こいつと千堂院家を繋ぐもの。
カイは死の間際でいったいどれほど生に執着を見せたんだろうか。生で見れなかったことは残念だけど、想像するだけでも鳥肌が立つくらいには興奮する。
メインゲーム会場の片付けを終えて三階フロアで『生き残り』連中を迎えると、噂の「サラさん」はオレを見るなり血相を変えた。
「それはっ……カイさんのエプロンじゃないか!」
オレを指差して吠える娘に失笑する。
カイさんと、そう呼ぶ人間がずっと前から自分を守っていたことをこいつは知らない。それどころか、聞けば不審者として警戒さえしていたらしい。
……こいつがカイの正体を知るとき、初めてカイは『報われた』ことになるのかな。でもまあ、もう死んでんだから意味ねーけど。
カイの言った『無償の愛』の結末がこれかと、我知らず笑みが深くなる。千堂院や他の生存者たちを見ると、どいつもこいつも、自殺願望ならぬ生存願望に溢れていて反吐が出そうだ。さっさと退場してもらわないとなー。
――オレは、あの失敗作とは違う。父さんの役に立って、最高傑作としての価値を証明してみせる。
赤いエプロンの裾をひるがえしてパネル越しに笑うと、サラは歯軋りして憎悪の眼差しを向けてきた。
お返しにと嘲笑を向けて、オレはサブゲームの開幕を告げた。
「避けますよ。ほら、当たりますか?」
最小限の動きと涼しい顔で逃げ回るカイ。相変わらず、こっちの神経を逆撫でするのが上手いやつだ。
「動くなっつーのっ! 死ねっ!」
「こら、そんなに叫んではご近所迷惑ですよ」
「くっそ……テメー、ほんとは人形なんじゃねーの?」
「いえ、私は人間です。疑わしいのは、むしろ父の方かと」
夏の終わりと、秋の始まり。
どちらともつかない温い風が吹いて、カイは赤いエプロンをひるがえして舞い、オレはそれに一撃でも食らわせてやろうと何度も蹴りを放つ。こいつの体力は無尽蔵か。
オレたちは互いに距離を縮めたり遠ざかったりしながら、真夜中の道で踊るように言葉を交わした。オレの蹴りが風を生んで、それよりも強い自然の風がスカーフをなびかせる。
結局カイの住むアパートに着くまで蹴りは一度も当たらず、オレは最後の最後にカイの肩を一発だけ強めに叩いた。カイはそれを避けなかった。
「……じゃーな」
ひらひらと片手を振る。いつもと変わらない別れだった。
「……では、また」
カイは軽く会釈して、アパートの扉に吸い込まれていった。
風の吹かない室内は、なんとなく空気がこもっている感じがする。一階のフロアマスターに言うと、「あはは。人形のくせにそんなことが気になるんですかぁ?」と笑われて、パネルでぶん殴ってやろうかと思った。
デスゲームが始まって、まだ一日も経っていない。
三階のフロアマスターを命じられたオレは、まだ『生存者』の連中を見ていなかった。『最初の試練』で顔を合わせたやつは数人いるけど、そいつらはみんな試練をクリアできずに死んだ。
組織の人間たちは妙に忙しそうで、ゲームの舞台裏は慌ただしかった。聞くと、ゲームに予定外の人間が数名巻き込まれたらしい。最高傑作のオレを作れるくらい高度な科学力を持つ巨大組織が、なんとも爪の甘いことだ。
右往左往する職員を尻目に手持無沙汰でうろついていると、ゲームの様子を監視していたハンナキーに呼ばれた。
奇抜な衣装に身を包んだ『ハンナキー』は、初回のメインゲームが終わったので会場の片付けを手伝ってほしいと言った。
「めんどくせー」
素直に返して背を向けると、ハンナキーは「ぎ、犠牲になった方の服もありますからぁ……」と必死でオレの興味を惹こうとする。そういや、メインゲームでは必ず二人の人間が死ぬんだったか。
死にたくないと渇望しながら、最期まで生に執着しながら死んでいった人間たち。そいつの身に着けていた服を思うと、まあ、悪くはない。
『最初の試練』のときみたいに気色悪い自殺志願者がいないことを願いつつ、どうせ暇だしとハンナキーについていく。
「ここですね」
ハンナキーが扉を開けると、そこはすでにもぬけの殻だった。
メインゲームが終わってからだいぶ経ったのか、人の気配は少しも感じられない。
「どれどれー? 間抜けな犠牲者は、っと」
床に倒れた状態で放置されている二人の人間に近づき、青い服を着たやつの顔を覗き込む。見た目的にはオレよりほんの少し体格が良いくらいの背格好で、いわゆる『学生』って身分のようだ。手首に飾りが多く、耳と髪にもきらきらした装飾品をつけていた。
オレはすでに、フード付きの襟が広い服を着ている。ジャケットはちょっと邪魔くさい。ネクタイももうあるし、こいつはだらしなく服を着崩しているから、ズボンにも少ししわが寄っている。
ちょっとだけ悩んで、オレはこいつの髪からヘアピンを抜き取った。鏡がないから適当に自分の髪を留めてみる。こいつは生きてるとき、どんな気持ちでこれを身に着けていたんだろう。想像するだけでぞくぞく、快感と征服欲が喉元まで湧き上がった。
高揚と優越感で満たされたオレは、もう片方の人間からもなにかいただくかと反対側の床を見て、どことなく見覚えのある姿を捉えて、手に持っていたパネルを取り落とした。かしゃんと音が鳴り、学生のやつの死体を回収していたハンナキーが「ど、どうかしましたか?」とこっちを見る。
「……いや、べつに。なんでもねーよ」
きつめの口調で制すると、ハンナキーは物言いたげながらも大人しく引き下がった。
残された死体の近くで足を止め、まじまじと顔を確認する。
闇夜に立つと同化して見えなくなった、だけど艶やかで柔らかそうな髪。触覚みたいな癖がついていて、男のくせに肩を越すくらい長い。
オレと同様にもとから色白な肌は、いまは血色の悪い不健康な青白さだった。……というか、血の気が失せている。やっぱり死体の顔だ。
髪と同系色の、腹の読めない無感情な瞳が、閉じたまぶたのせいで見えなくなっている。こじ開けたらグロイことになりそうで、考えるだけにとどめておいた。
「……あー。予定外に巻き込まれた人間、か」
ゲームに予定外の人間が数名巻き込まれたらしい、そのうちの一人がこいつかと納得して、笑いがこぼれた。自分から飛び込んだのか、それとも組織のやつらにぶち込まれたのか。どちらにせよ、カイの裏切りには父さんもとっくに気付いてるみたいだった。
カイは両手首からおびただしい量の血を流していた。そばには血まみれの包丁が落ちている。
「おーい。服、もらっちまうぞー」
げしっと肩を蹴ってみたけど、カイは睫毛を伏せたまま微動だにしなかった。死んでるんだから当たり前だ。今だったら、戦闘でも余裕で勝てるな。……死体相手に勝ち負けもないか。
さて、こいつからはなにをいただくかとしゃがみこんで衣服に手を伸ばし、妙なことに気が付いた。
こいつの服は、両手首からの出血で大部分が血に染まっている。おもにシャツの袖口、ズボンの腰辺り。
それでも、赤いエプロンだけは血に汚れていなかった。
というかエプロン自体が真っ赤だから、それで見逃してるのかと思って注意深く眺めてみたけど、マジでエプロンには少しの血液も付着していない。よく見れば袖口なんかの血は時間経過で濃い赤茶色に変色していたが、エプロンにはどこにもその形跡がなかった。
「んー? 変だな……」
意識的にか無意識に、エプロンをかばったのだろうか。
こいつのことだから、死してなお組織の連中に一矢報いようと爆弾なんかを仕掛けている可能性もある。慎重に調べながら、オレはふと、風の強かった夜のことを思い出した。
――そうだ、こいつが初めてこのエプロンを着ていた夜のこと。生きたこいつがこのエプロンを着ているところを見たのは、結局あの夜が最初で最後だった。
千堂院の人間にもらったのだと誇らしげに語っていたカイの笑顔が、もうずっと昔のことのように思える。
オレは、カイの体から真っ赤なエプロンをそっと剥ぎ取った。
なにがきっかけだったかなんて忘れたけど、かつてカイに訊いたことがあった。
「オメー、千堂院の人間のこと、気に入ってるらしいじゃん」
カイは千堂院という名前を聞いただけで反応して、ほんの少しだけ表情を柔らかくした。思えば赤いエプロンを貰う以前から、カイは千堂院の人間に特別な情を持っていたんだろう。
人形のオレには理解できないことだとわかりつつ、オレは無意味な質問をしてみた。気まぐれ、興味本位。そういう取るに足らない好奇心だった。
「でもさ、千堂院の娘はそういうこと知らねーんだろー? 一方的にオメーが守ってやってるだけで」
千堂院の人間――正しくは、その一人娘が健やかに育つよう影から見守り手助けする。
それが組織から下された任務で、カイはその時点でそれなりの年月を費やしていた。
「ぜってーに相手から返ってこないってわかってて愛情を注ぐとか、むなしくなんねーの?」
話の流れで使った『愛情』という単語に、言いながら違和感を覚える。だけどまあ、『愛』という概念はオレにもわからなくない。オレが父さんを慕う感情も、『敬愛』『親愛』という形をしてるから。
だからこそ、人には「愛している分だけ愛されたい」と思う欲求があるのも身に染みて知っていた。
相手の特別になりたい。こっちを見てほしい。認めてほしい。
好きだと――お前だけが唯一だと言ってほしい。それらをまとめれば、「愛してほしい」という欲望、願望になる。
だけどカイはいつも与えてばかりいるようで、千堂院の人間へ積極的になにかを求める真似はしていないようだった。それが、オレにはどうも異様なことに思えて仕方ない。
カイは考えてもみなかったとばかりに目を丸くして、口元に手を当てた。
「そうですね……とはいえ私がサラさんを見守っていることは、旦那さんや奥さんが知っていますし……」
自分でも答えを探すように考え込み、カイは不意に目を細めた。ターゲットを狙うときとは違う、穏やかな表情だった。
「きっと、本当の愛というのは、見返りを求めずとも自然に心が満たされるものなのでしょうね」
本当の愛。そう言ったカイの顔はひどく満足げで、オレは釈然としない気持ちになる。
見返りがなくとも心が満たされるなんて想像もできやしない。オレは父さんを『愛してる』けど、これは『本当の愛』なんかじゃないって言うのか。
大切な存在に愛されなくても、ましてや存在を知られることさえなくても幸せだなんて、意味が分からなかった。
オレは混乱と焦燥に惑うまま、八つ当たりのようにカイの肩へ大振りに殴りかかった。だけど事もなげに避けられて、ますます怒りが加速する。ムカつくだけだとわかっていても、そうすることしかできなかった。
父さんがオレに組み込んだ「嫉妬」の感情は、たぶんカイは一欠けらたりとも持っていなかったんだろう。それが無性に腹立たしかった。
そのときの悔しさまで思い出しながら、オレはカイのエプロンを腰に巻く。真っ赤な生地に黄色い模様が散った、こいつと千堂院家を繋ぐもの。
カイは死の間際でいったいどれほど生に執着を見せたんだろうか。生で見れなかったことは残念だけど、想像するだけでも鳥肌が立つくらいには興奮する。
メインゲーム会場の片付けを終えて三階フロアで『生き残り』連中を迎えると、噂の「サラさん」はオレを見るなり血相を変えた。
「それはっ……カイさんのエプロンじゃないか!」
オレを指差して吠える娘に失笑する。
カイさんと、そう呼ぶ人間がずっと前から自分を守っていたことをこいつは知らない。それどころか、聞けば不審者として警戒さえしていたらしい。
……こいつがカイの正体を知るとき、初めてカイは『報われた』ことになるのかな。でもまあ、もう死んでんだから意味ねーけど。
カイの言った『無償の愛』の結末がこれかと、我知らず笑みが深くなる。千堂院や他の生存者たちを見ると、どいつもこいつも、自殺願望ならぬ生存願望に溢れていて反吐が出そうだ。さっさと退場してもらわないとなー。
――オレは、あの失敗作とは違う。父さんの役に立って、最高傑作としての価値を証明してみせる。
赤いエプロンの裾をひるがえしてパネル越しに笑うと、サラは歯軋りして憎悪の眼差しを向けてきた。
お返しにと嘲笑を向けて、オレはサブゲームの開幕を告げた。
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