世界その2:たとえば、こんな安息日

 フライパンを持ち上げて皿を見下ろすカイだったが、「早くしろよー」と言うノエルの真剣な顔を見て、ふっと苦笑を漏らした。
「落とさないでくださいね」
 声をかけ、ヘラを駆使してフライパンを傾ける。
 ノエルの持っている皿の、まだ温かく良い匂いをまとうチキンライスの上に、柔らかな黄色のオムレツが覆い被さった。チキンライスのちょうど真ん中、赤茶のライスがはみ出て見えるくらいの大きさだった。
「最後に、こうします」
 カイは包丁を持ち出し、オムレツの中心に線を引くようにして卵を切り開いた。ふわふわの生地が両端に落ちて、中から半熟の卵が溢れだす。鮮やかな黄色の生地が、チキンライス全体を包むように被さった。
 一瞬で様変わりしたオムレツ、もといオムイラスに、ノエルは「おー」と素直に感嘆する。
「後は卵にケチャップをかけて完成ですが、文字や絵でも描いてみますか?」
「絵? 絵か……」
 皿を調理台に置いて、ケチャップのボトルを持つカイ。
 ノエルは少し考えて、「描く描く」となにか思いついたようにボトルを受け取った。
 なにやらやる気に満ち溢れているらしいノエルを尻目に、使った調理道具を洗浄するカイへ、ノエルはオムライスと格闘しながらふと口を開いた。
「そういやこれ、オムライスっつったっけ。なんか、親子丼ってやつに似てるよなー」
「親子丼……?」
 カイが怪訝な声で反芻すると、「ほら、親子丼って鶏肉と卵を使うから親子なんだろ?」と返ってくる。
「ああ、なるほど」
 丼ではないですが、と続けようとして、カイは口を閉じた。
「そういう意味じゃ、父の日にちょうど良かったのかもなー」
 ノエルは上機嫌で作業を続けている。
(その親子を食べるわけですが……)
 口にすれば怒られるとわかっていて、カイは黙々と調理器具を洗った。
 洗い終えるのとほとんど同時に、ノエルが「……っし」と一区切りついたような声を上げる。
「できましたか?」
 ハンカチで手を拭きノエルの元に戻ると、ノエルは充足感に満ちた顔で、額の汗を拭っていた。人形は汗などかかないはずなので、気分というか、いわゆる「ポーズ」だろう。なんにしろ、特に大きな失敗はしなかったようだ。
 オムライスを見ると、黄色い生地にでかでかと人の顔が描いてあった。その下には「オムノエル」の文字があり、よく見ると描かれている顔は確かにノエルと似ている。
「………………上手に描けましたね」
 コメントに困ってそれだけ言ったカイに、ノエルは満更でもない様子で「だろー?」と笑った。これを出された父の反応も、予想がつかないといえば予想がつかない。
 とはいえ、怒ったり拒否はしないだろうと父の出方を想像しつつ、カイはノエルにも手を洗うように促した。
 余った牛乳をコップに注いで、食堂で使われている木製のトレーに載せる。
「では、私はそろそろ帰りますから。後は自分でお願いします」
 トレーを調理台に乗せて帰り支度を始めるカイに、ノエルは不満そうに「はー?」と眉根を寄せる。
「作ったの、ほとんどオメーだし。顔くらい見せてけよ」
 カイは少し驚いた顔をして、気まずげに目を逸らした。
「しかし……話すことも、特にありませんし」
「血の繋がった親子なんだろー? フツーに、キンキョーホーコク? とかさ」
 ノエルは手を洗ってから冷蔵庫をあさって、「これも載せようぜ」と小さな何かをオムライスの脇に置いた。見ると、それは酒のつまみにでもなりそうな貝柱で、カイは思わず閉口する。
 ……いったい誰のものですか。勝手に使ってもいいんですか。というかなんでそれなんですか。
 どれから尋ねようかと再び口を開いたタイミングで、「それ、原井えみりの晩酌用? らしいんだけどさー。一応、オメー要素も入れてやろうと思って」とほぼすべての答えが返ってくる。たぶん、勝手に使ったと知れたら怒られる代物だろう。
「私要素……」
「そ。カイ、じゃん」
「駄洒落ですか」
 呟き、カイは「では、私がお手伝いしたことは言っても構いませんから」と頑なに帰宅の意思を告げる。
 ノエルは不愉快と言わんばかりに目つきを鋭くした。
「てかさー、なんでそんなに嫌がるわけ?」
「……私は幼い頃に、任務を失敗した身ですから。合わせる顔がないというか」
「血ぃ繋がってんだから、それだけで充分だろー?」
「血縁だからといって、なんでも上手くいくわけではありませんよ」
 話し合いは平行線で、ノエルは「めんどくせーなー」ともどかしげに頭を掻いた。
「あなたこそ、どうしてそこまで私と父を会わせたがるのですか」
 探るような眼差しを送るカイに、しかめ面をするノエルはむくれたまま本心を述べる。
「……オメーが来てたのに、顔も見せずに帰ったってなったら、父さん悲しむかもしんねーだろ。そしたらオレだってムカつく」
 悲しむ。
 常に能面のような顔の父が悲しむところを想像しようとして、カイは早々に努力を放棄した。常々なにを考えているのかわからない父ではあるが、自分が顔を見せないことで落ち込むなど笑い話にもなりはしない。
「つーか、そういうの抜きにして、オメーは父さんのこと好きじゃねーの?」
 ノエルのストレートな質問に、カイは困惑の表情を浮かべた。
「好意……ですか」
 呟き、一呼吸を置いて考えを巡らせる。
 やがて、カイはおずおずと答えを口にした。
「……もちろん、実の父親ですし、尊敬はしていますよ。すべてを盲目的に肯定することはできませんが、優れた科学者、研究者だと思います」
 そこで不意に言葉を止めて、カイはノエルに微笑みかけた。
「あなたのような存在が出来たのは、父のおかげでもありますから」
 にこりと擬音が聞こえそうな優しい笑みを向けられて、ノエルは丸い瞳をさらに真ん丸にする。
「……いま、父さんの話してんだけど」
 ぶっきらぼうに顔をそむけたノエルに、カイは「そうでしたね」と口元に手を当てる。
「あなたは、本当に父が好きなのですね」
 カイがしみじみと言って、ノエルは「あたりめーじゃん」と間髪入れずに即答する。
「ま、これが『プログラムされた感情』なのもわかってるけどさ。あえて逆らう理由もないし? ……好きっていうには、不純なのかも知んねーけど」
「そうでしょうか。少なくとも、父にとっては喜ばしいことでしょう」
「……慰めかよ、ムカつくなー」
 日頃からカイに対して喧嘩腰気味のノエルがじろりと睨んで、彼は調理台のトレーを手に持った。会話の間放置されていたオムライスは、未だ温もりを失っていない。
「冷めないうちに持っていってくださいね」
 あくまでも自分は行かない、という姿勢を一貫するカイに、さすがのノエルも「わかったよ」と根負けした。
 カイも余った食材を買い物袋にまとめ、「途中までは一緒に行きましょうか」と、トレーを持ったノエルと共に調理室の扉へ手をかける。
 きぃ、と音を立てて扉を開くと、外には一人の人間が立っていた。


 変わり映えしない、いつも通りの日曜だった。
 普段と違うところをあげれば、自身の作った人形――トト・ノエルが、朝からやけにそわそわしていたことぐらいか。
 時間を忘れて研究に没頭して科学者、佐藤我執は、壁の時計が正午を知らせる音で顔を上げた。
 長時間座りっぱなしで肩が凝っている。起床してから就寝するまでの間、彼は一日の大半を研究に費やしていた。
 本当ならば寝食までも忘れて研究にのめりこんでいたいくらいだったが、人間の体は不便なもので、食事と睡眠を取らねば効率が悪い構造をしていた。
 とはいえガシューは昼と夜に食事をとるくらいで、普通の人間よりもはるかに食が細い。というより、食事に興味を持っていなかった。
 自分自身も人形のように改造してしまえないものだろうか。冗談半分、本気半分で考えつつ、昼食をとるために食堂へ向かう。しかし、食堂は珍しくがらんとしていた。
「ふむ……」
 見ると、今日は臨時休業しているらしい。
 貼り紙によれば休業は今日だけとのことで、ガシューは、たまの一日くらい絶食しても問題ないかと顎に手を当てる。
 自室で研究の続行だときびすを返しかけたところで、彼は調理室の方が騒がしいことに気付いた。少し悩んで、外から覗くことのできる室内をうかがってみる。
 臨時休業の貼り紙まであるというのに、誰が調理室を使っているのか――並田みちるあたりが、食材を使った実験でもしているのだろうか。
 予測を立てて室内を覗いたガシューの目に、思いもよらない光景が映った。
 自分が作った人工知能を持つ人形と、血の繋がった実子である息子が、協力してなにかを作っている。様子をうかがうに、どうやら料理をしているらしい。
 カイの方は料理が得意だというのは知っているが、そこに人形のノエルも加わっているのが解せない。解せないといえば、どうしてアスナロを離れている息子がここにいるのか、それもわからなかった。
 ひとまず様子見に徹し、調理室から漏れ聞こえる会話に耳をすませるガシュー。料理は最終段階に入ったようだが、二人は次第に言い争いを始めたらしい。
 料理を父さんの部屋に持っていくだの、私は顔を見せずに帰りますだのと、どちらも声を張り上げているわけではないが、険悪な雰囲気が伝わってくる。
 話を聞くに、二人はガシューへ料理を作り、しかしカイの方はそれと知られないうちに帰ると言い張っているらしい。
 なぜ二人が唐突に料理など差し入れようとしているのか。ガシューに思い当たる節は全くないが、二人が毒を盛っていることもないだろう。
 臨時休業した食堂の代わりになるなと思い、そもそも食堂が閉まっているのはこの二人のせいかもしれないと思い当たったところで、会話は少しだけ進展したようだった。
『……私は幼い頃に、任務を失敗した身ですから。合わせる顔がないというか』
 扉越しに聞こえた言葉は、控えめな声量ながら不思議なほどにはっきりとガシューの耳に届いた。カイがまだ幼かった頃に、組織からの命令を失敗したときのことを気に病んでいるらしい。
 ガシューも悪い意味で若かった頃の話であって、組織に傾倒するあまり息子へ辛く当たっていたことは記憶に残っている。
 彼は、無言のままに会話の先を聞いた。
 ノエルが血の繋がりを重視するような発言をして、しかし二人の話は堂々巡りに終わる。や
やあって、ノエルがカイに、ガシューへの好意を尋ねた。
 普通の父親ならば、息子に自分がどう評価されているのかは気になる所だろう。しかしガシューは冷静だった。
 こういうところが亀裂の原因のひとつかもしれないと自覚しつつ、自嘲の笑みさえ浮かばない。その代わり全身を耳にしてカイの言葉を待つガシューに、淡々とした声が届く。それは、たしかに父親を尊敬しているという気持ちの表明だった。
 すべてを妄信するわけではないという冷静さを保ちながら、ガシューの科学者、研究者という在り方は素直に認めている。
 行き場のない情を持て余しているところが、息子らしいと言えば息子らしい。ガシューの口角が、彼自身も気づかないほど緩く上がる。
 ノエルも正直にガシューへの好意を口にして、それが自分にプログラムされた感情故だということも理解しているようだった。ガシューたちアスナロの科学者が作った人工知能は、ガシューが思う以上に聡明で、やはり最高傑作という肩書きに相応しい思考回路をしているようだ。
 二人が共に過ごしているところを見るのは少なかったが、こうして見ると案外仲良くやっているらしい。それが良いことか否かはともかくとして、ガシューは気配を消したままくるりと調理室に背を向けた。
 片方は生身の、片方は作り物の、二人の息子。
 彼らと自分の間にあるものを「家族の絆」などと呼ぶことは決してできないだろうが、息子たちにふるまわれた手料理を無下にするほど薄情な父親でもないつもりだった。
 ガシューは、自室に戻る途中ですれ違った女性科学者に、調理室で三人分の茶を淹れるように言った。そして、そこにいる二人の人形と人間を、自分の部屋へ連れてくるよう言い渡す。
 特に人間の方は絶対に逃がすなと言えば、彼女は困惑した様子で調理室の方へ向かっていった。
 彼女、並田みちるが調理室へ向かうのを見届けて部屋に戻り、机上の研究道具を片付ける。食器を置く場所を開け、三人分の椅子を用意して、そのひとつに腰を下ろした。
 ……二人が来たらなんの話をするべきか。
 他愛もない世間話や、無難な話題は持ち合わせていない。
 普通の家族がどんな会話するのかさえ、ガシューはひとつも興味がなかった。そのあたりは、千堂院家に仕えているカイの方がよっぽど詳しいかもしれない。
 それでも彼らと久しぶりに過ごす団らんは、きっと研究とは違う価値を持つ時間になることだろう。
 そう予見するうちにノックの音が響いて、ガシューはおもむろに立ち上がった。特徴的なひげを撫でつけ、ドアノブに手をかける。
 扉の先に待っているであろう二人へと、欠ける言葉も思いつかないまま――仏頂面の父親は、緩く上がった口角を口ひげで隠しながら、息子たちを出迎えたのだった。
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