死人に梔子


 真っ暗な闇に小さな光が見えた。蛍光色の、ぎらついた光だった。
 紙の擦れる音がして、ちらちらと光が明滅する。
 光はケイジの手元、唇の形をしたカードの内側から発されていて、彼の顔をぼんやりと照らしていた。
「なんの光でしょう」
 カイが問いかけ、カードを覗き込もうとそばに寄る。ケイジは平坦な声で答えた。
「出口へのカギ……らしいよ」
 一歩、また一歩とスリッパを鳴らして近寄るカイ。
 その顔がカードの中を確認する寸前。
 ぱっと部屋の明かりが点いた。
 白い蛍光灯に目を瞬き、カイは天井を見て照明の復旧を認識する。
「……停電の多い施設ですね」
「いまのうちにここから出ようか。……ほら」
 言って、ケイジはカードに挟まっていた小さな鍵を摘んだ。これが『出口へのカギ』か、とカイも頷いて階段へ視線を投げる。
 ケイジが先に階段を上がり、タイルの被せられた蓋部分を手で探った。
 すると、端の方に長方形の穴が空いているのを発見した。一見して鍵穴だとは思いがたい形状だったが、ケイジの手にしている鍵は、穴に寸分の狂いなくしっかりと収まった。
 そのまま左に回すと、かちゃりと開錠の音が響いた。
 右手のひらでタイルを押し上げるようにして、ケイジは用心深く扉を開いた。
「……」
 慎重にタイルの扉を持ち上げる。衝撃に備えたものの、とくに危険はなさそうだった。
「よい、しょっと」
 掛け声と共にタイルを乱暴にどかし、床のタイルに手をかけて地下室から脱出する。後続のカイも「ふぅ。まったく、ひどい目に遭いましたね」と言いながら喫煙所の床を踏んだ。
 二人は、床のタイルを元の位置に戻して、改めて喫煙所内を見回した。
「……結局、なんの意味があったのでしょうか」
「さぁねー。まるきり無意味かもしれないし、もしかしたら後々わかるかもしれない」
 不思議そうにタイルを見下ろすカイに、ケイジがあっさりとした答えを返す。
 不意に、彼は「そういえば」とおもむろに首を捻った。
「鳥の絵が描かれた仕掛け……あれ、なんで囮で鳥が飛んできたんだろうね。鳥っていうか、鴨? みたいだったけど」
「ああ、それは」
 カイが何でもないことのように解説する。
「そもそも、囮という言葉の語源は狩猟の一種だと聞いたことがあります。『招き鳥おきどり』――招く鳥と書いて、おきどり、というらしいのですが」
 よどみのない説明に、ケイジが「へぇ」と興味を示す。
 それを受けて、カイは淡々と説明を続けた。
「招き鳥というのは作り物の鳥のことで、たとえばデコイがそうですね。この作り物の鳥を水面に十数個ほど流しておくと、それを見た野生の鴨が『ここは安全な場所だ』と勘違いして、寄ってきてくれるわけです」
 作り物の鳥に騙されて飛んできた鴨を、隠れている猟師が撃ち落とす狩猟法。
 その招き鳥おきどりがなまって「おとり」という言葉になったのだと語るカイに、ケイジは素直に感嘆していた。
「詳しいね」
 賞賛のこもった声に、しかしカイはさして反応せず、招き鳥とは関係のない話を切り出した。
「……絵の男の子へケーキを食べさせるときに、『ご褒美』だったと言っていましたね」
 言われて、ケイジは絵の壁での出来事を振り返る。
「あー……恥ずかしいから、他のみんなには秘密にしておいてくれるかな」
 おどけた口調で苦笑する彼に、カイは少し思うところのある表情を見せた。自分の知らないものについて想像しているような、遠い目つきだった。
 ケイジは小首を傾げ、ふとなにか思い当たったような顔で口を開いた。
「うちは母子家庭でね。こういうのもなんだけど、良い母親だったよ」
 そして、にやりと含みを持たせた顔つきで片頬を上げる。
「これで、多少なりとも信用はしてくれたかな。おまわりさん、そんなに悪い人じゃないってさ」
「……ふむ」
 カイは虚を突かれたように目を丸くして、ややあって首を縦に振った。
「そう、ですね。それほど優しい母親がいらっしゃるなら、なおのこと一刻も早くここを出たいことでしょう」
 他人事のように言い、なんの感慨も持たない顔をする。
「私が育ったのは、そういった家庭ではありませんでしたから」
「……なら、カイは何のためにここを出たいと思うんだ? 死にたくない気持ちは、もちろんあるだろうけど」
 訊ねつつ、ケイジはなんとなくのあたりをつけていた。
 出会ってまだ一日も経っていない間柄だが、初対面からの印象は大きく変わってはいない。カイは、なんらかの目的を持ちつつ、自分ではない誰かのために動いている節があった。
 心を見透かしたように、カイはケイジの予想に相違ない答えを口にする。
「恩を返したい方がいるので」
 今度は、ケイジが息を呑んだ。
 心拍数が高くなり、脳裏には二人の警察官がよぎる。過去の姿がフラッシュバックした。
 二人とも、尊敬していた人だった。とくに片方は、何年も背中を追っていた。
 記憶が鮮明になる前に、ケイジは深く息を吐いた。動悸は徐々に静まっていった。
 カイは、ケイジの動揺には気付いていないらしい。精悍な面立ちで、自らの『恩を返したい方』について言及している。
「私にとって、命よりも大切な恩人です」
 簡潔に、しかし真剣な色を伴って呟かれた言葉に、ケイジが値踏みするような目を向ける。
 やがて彼は、いつものように気だるげな態度で微笑んだ。
「ふぅん。信用はできないけど、信頼はできそうだね」
 それから、声を低くしてぼそりと告げる。
「……恩は、返せるうちに返しておいた方がいい」
 視線を外した目は、暗い影を帯びていた。

「さて。無事に脱出できたことだし、ジョーくんの様子を見に行こうか」
 これ以上ここで得るものはないと見切りをつけ、二人は喫煙所から外に出た。
 遊戯場付近に人の気配はなく、辺りは静まり返っている。
 誰もいない通路を歩く。酒場に移動する途中、どこからか軽いメロディが聞こえた。
 ピンポンパンポーン……妙に気の抜けるチャイムの後に、若い女性の音声が流れる。
『メインゲームの開始まで、残り十分となりました。開始の五分前には、会場へお集まりください』
 アナウンスの主は、ホエミーだろうか。
 感情の見えない、決まりきった定型文を流しているだけの声が聞こえて、再び音階の下がったチャイムが鳴る。二人は顔を見合わせた。
 急ぎ足で酒場を覗くと、誰の姿も見当たらなかった。ジョーは、すでにこの場を移動していたらしい。
 黒板へちらりと目をやったが、とてものんびりと眺めている余裕はない。二人はリストの確認を諦め、二階フロアへ向かった。
「……成人と未成年。それに俺たちと俺たち以外の誰かの名前、か……」
 階段を上がりながら考えるケイジに、カイが「ジョーくんが確認してくれていることを願いましょう」と続く。
「あそこはギンくんも探索していましたし……ミシマさんは、いなくなってしまいましたが」
 すでに故人となってしまった教師の名を呼ぶとき、カイの声がわずかに湿っぽい空気をまとった。
 歩きながら、ケイジは横目でカイを見た。改めて不思議な人物だと思った。
 広間での顔合わせでは、やけに泰然自若としていると思ったが――良くも悪くも落ち着き払っている雰囲気だったが、カンナが侮辱されたときは苛烈な怒りを見せていた。その後、扉に貼られていたルールにショックを受けるレコを、庇い慰めてもいた。
 かと思えば平然とした口ぶりで『人殺しのゲーム』と発してみせ、しかしいまは死者を悼むような声で故人の名を呼んでいる。
 根は優しい気質なのだろうが、裏側には油断できないなにかを秘めている。それがカイに対する評価だった。
 そんなことを考えていると、カイの方もちらりとケイジを見返した。
「私の顔に、なにかついていますか?」
「……いや、まぁ。信頼はしてるよ」
 あえて答えになっていない返事をすると、それでカイも納得したようだった。
「私も、ある程度は信頼していますよ。信じるために疑うというのも、大切なことですから」
 ケイジの顔から視線を逸らし、カイは精悍な眼差しで正面を見据えている。
 階段は終わって、二階フロアへ到着していた。
 奥の扉に掲げられている数字は、『0』の表記になっていた。いよいよかと思ったが、ここまでいくつもの怪しい罠をかいくぐってきたのだから、進むしかないという気にもさせられた。
「先ほどのような仕掛けがあるかもしれませんし、一人ずつ行きましょうか」
 念には念をといった風に、カイが一歩、先へ出た。
 彼は扉の前でおもむろに足を止める。半身ばかり振り返って、ふっと口の端を緩めた。心なしか、真っ黒な目も笑っている気がした。
「では、私から。……お互い、無事に切り抜けられるといいですね」
 腹の読めない柔和な笑みを残し、カイは扉の向こうへ吸い込まれていった。
 黒髪をなびかせた後ろ姿を見送って、ケイジも薄く笑い溜息を吐く。
「……食えないねー」
 どうにも油断できないという認識はそのままに、しかし完全な敵でもないという確信をも抱いていた。信じるとはまた別の、直感に近い感覚だった。
 恩人の存在を介して親近感でも持ってしまっただろうか。自嘲するように首を回し、やがて彼も扉を開く。先は見えないほど暗く、足元を確かめるようにしっかりと床を踏みしめた。
 こつこつと靴の音を鳴らし、彼は扉の奥へと進んだ。


 結論を述べると、犠牲になったのはカイとジョーの二人だった。
 ジョーは『身代わり』のカードを引き、ほとんど約束された死を迎えた。
 カイが持っていたのは『賢者』のカードだったが、実質ソウとの一騎打ちとなった決選投票で、あまりにも多くの票を集めてしまった。
 ソウは危険だという主張と、死にたくないという感情の発露。それらはカイが『賢者』であるといった『安牌』の理を崩せず、彼は多数の票に埋もれるようにして死んだ。
 死の間際に、反撃の足跡を残して。


 メインゲームが終わり、いつまでもその場へ留まっていることは許されなかった。
 気絶したサラを担ぎ、誘導されるまま会場を後にする。
 親友が目の前で死んでしまった現実は、到底すぐに飲みこめるものではないだろう。心に深い傷を負ったことは明らかで、しかしいまはそれに気付く余裕すらないはずだ。
 ケイジたちは案内された三階フロアのロビーに集まっていた。
 誰もが沈痛な面持ちで下を向いている。ホエミーの「各自、用意された個室で休め」といった指示も、まるで意味のない機械音声を聞かされているように通り抜けていく。
 いちばんに立ち上がったのは、レコだった。
「……行こうぜ。従わねぇと、なにが起きるか……」
 声に触発され、ナオも小さく頷いた。
「少しでも、体を休めないと……」
 頬には、涙の乾いた跡が残っていた。
 それからは全員で個室のある廊下へ向かい、最年少のギンから順に自室へと入っていく。
「一人で大丈夫か?」
 Qタロウが気遣う姿勢を見せたが、ギンはニャーちゃんクッションを抱きしめて目を伏せていた。「……いまは、ひとりでいたいニャン」
 次にカンナが個室へ入り、ケイジはサラの部屋だという扉の前で立ち止まった。
「女子の部屋だからな」
 強い口調で言ったレコと、ついてきたナオに見張られながら、簡素な扉を開く。中はホテルの一室のようだった。
 清潔そうなベッドへサラを寝かせると、レコが悔しげに歯噛みした。
「……くそっ。こんなことになっちまって」
 隣に立つナオも、目元に涙をにじませている。
 絶望と憔悴を見せる二人へ、ケイジは静かに声をかけた。
「……いまは、とにかく体を休めるべきだ。後悔は、いつだって出来る」
 突き放すような冷めた物言いに、レコが「そんな言い方があるかよ!」と食ってかかる。ナオが慌てて「レコちゃん、」といさめた。
「ちっ……」
 舌打ちして、荒々しい歩調で部屋を出て行くレコ。
 ケイジもナオと共に部屋を退出して、「じゃあ、また後で……ロビーで」と交わして、自分の部屋へ入った。

 ケイジの部屋も、サラの部屋とたいして変わらない内装だった。
 数時間ぶりに一人になると、一気に疲労がのしかかってきた。
「……」
 重い溜息を吐いて、ベッドへと腰を下ろす。肉体的には疲弊していないが、精神の消耗は激しかった。
 この部屋で気を張る必要はないらしい……そう思ってみても、昂った神経はなかなか鎮まらない。気が付けば、犠牲になった二人のことを考えてしまう。
 最期の瞬間まで親友を励ましたジョーと、命を賭して一矢報いたカイ。どうしようもなく死へ追いやられてしまった二人は、絶命の直前までサラのことを気にしていた。
 同級生で親友だったジョーはともかく、どうしてカイはあそこまでサラを気にしていたのか。とうとう明確な答えは得られなかったが、議論の中でヒントらしきものは散りばめられていた。
 おそらく、カイとサラに直接の面識はなかったにしろ、カイの言う『恩人』がサラとの縁を繋いでいるのだろう。そこまで推測して、ケイジは両目を瞑る。ここまでずっと考え通しだった。
 せめて、少しでも仮眠を取ろう――体を横たえようとしたそのとき、部屋の窓に誰かの影が映った。
 赤い影。怨嗟をまとった死霊が、じっとケイジの顔を見つめている。
 冷血な眼でずっと観察されていたように感じて、ケイジの背に冷や汗が伝った。
「……」
 落ち着け、と自分自身へ言い聞かせる。もう何度も味わった恐怖だ。心はすでに慣れている。
 しかし本能的な恐れで額に脂汗が滲み、呼吸は不規則に荒んでいた。
 早鐘を打つ心臓の鼓動を感じながら、ケイジは幻影の数が増えていることに気付いた。ストレスによる錯覚かと思ったが、いつもは二人のはずの幻影が、いまはもうひとり増えている。
 エプロン姿の長髪――茫洋とした瞳を捕らえるより先に、甘い香りに鼻孔をくすぐられて我に返った。
 金縛りが解けるように、すっと視界が明瞭になる。
「……」
 香りのもとを辿ると、ベッドの枕元に花が落ちていた。白い花弁を持つ、小さな花……梔子の花だった。
 この芳香が意識を引き戻したのだと悟り、しかし誰がこんなものをここに置いたのかと疑念が湧く。誘拐犯側からの嫌がらせだろうか。
 ケイジは、純白の花をそっと手に取った。地下室を探索していたときの、カイの言葉を想起する。
「死人に口無し……ね」
 死者は還らない。
 だから、幾度となく見てしまう血のような幻影も、所詮は己の心が生み出した幻でしかない。
 頭ではわかっているが、それでも乱されてしまうのは、自分の心が弱いからか。黙考し、ケイジは梔子の花をベッド上に置いた。
 死人は口を持たないが、希望を託して死んでいった彼の意思を、むげにすることもできなかった。
「……やるべきことを、やるしかないか」
 まだ自分は死んでいない。それは絶望でもあり、希望でもある。
 少なくとも、生者は死者と違って自分の意志で歩くことができる。室内に漂う甘い芳香に、ケイジの目にも生気が戻り始めていた。
 目が冴えてしまい、ケイジはベッドから体を起こして部屋の出口へと向かう。そろそろサラが目を覚ましたかもしれず、他の面々がきちんと休めているかも気になった。
 彼の背を見送る梔子の香りは、希望の意志を託すように、室内を甘く満たしていた。
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