幸せ結び
夕暮れの町に、一人の少年がご機嫌な様子で家路を急いでいた。
一見少女に間違えられそうなほど可愛らしい顔立ちをした彼は、オレンジの髪に色とりどりのヘアピンを付けて、それは夕陽に反射してきらきらと輝いていた。
「ただいまー」
到着するなり大声で家の扉を開ける少年。玄関の上がり框に腰を下ろして靴を脱いでいると、少し間を置いて廊下の向こうから黒髪の青年――佐藤戒が顔を出した。
シンプルな洋服に赤いエプロンを身に着け、食事の準備中なのかフライパンを手にしているカイは、感情の読めない淡白な表情のまま少年に声をかける。
「おかえりなさい、ノエル。ああ、靴はきちんと揃えるんですよ」
「わーかってるって」
整然とした玄関で、ノエルと呼ばれた少年は脱いだ靴を足の爪先で揃えて、青年の言葉を鬱陶しそうに流しながらも台所へと直進する。夕陽の差し込む台所では、そろそろ出来上がりといった風の料理がいくつも並んでいた。
「げっ、また野菜かよ」
フライパンを覗き込んで眉を寄せたノエルに、「好き嫌いばかりでは大きくなれませんよ」と返すカイ。それにノエルはますます苦虫を噛み潰したような顔を作って、「嫌味か?」とカイを軽く睨んだ。
「食っても成長しねーってのに。オメーも律儀っつーか真面目っつーか、変な奴だよな」
「成長しようとしまいと、美味しいという感覚はあるんでしょう? それに、人形とはいえ人の形をしているあなたの前で私だけ食事を摂るのは、どうも気が引けます」
「……あっそ」
なんともやりづらそうな顔で頭を掻き、冷蔵庫の中身を物色し始めるノエル。その髪が普段よりも派手になっていることに気付いて、カイは「それ、どうしたんですか?」とノエルの髪を留めているヘアピンに目をやった。
「あー? サラとカンナからもらった。ナオのやつも、髪留めやら髪ゴムやらいっぱいもらってたぜ」
大きな文字で『ノエル』と殴り書きされたペットボトルのお茶を飲みつつ答えるノエルに、「そうですか。サラさんとカンナさんには、今度お礼をしなければいけませんね」と呟くカイ。
ノエルは二リットルのペットボトルを一気に半分ほど飲み終えると、「そうだ、オメーにも分けてやろうか」とズボンのポケットから赤い髪ゴムを取り出した。
「そのうざったい長髪、オレが纏めてやるよ」
「私は別に……というか、髪なら自分で結べますし」
突然の申し出に首を傾げるカイだったが、ノエルは半ば意地になった様子で「オレが結ぶっつってんだから大人しく結ばれろっての」などと口を尖らせている。
狭いキッチンで暴れられては危ないので、カイは「わかりました、それなら夕食の後に結んでください」と譲歩する。
途端にノエルは機嫌よく笑い、「二人にいろいろ教えてもらったからなー」と呟きながら冷蔵庫を勢いよく閉めた。
「適当な一つ結びでいいのですが……」
カイは言いかけた言葉をしまって、ふっと肩の力を抜くように息を吐いた。
「……では、早く夕食を済ませてしまいましょう。ノエル、そこのお皿を出してください」
着々と夕食の支度を進めるカイに、「あいよー」と答えるノエルの横顔は、やはりどこか嬉しそうに緩んでいるのだった。
「片付け終わったぞー」
いつも通りの夕食を終えて、さらに食器洗いの手伝いまで終えたノエルが、食卓のテーブルを拭いているカイのもとにやってくる。
「毎回、これくらい素直に手伝ってくれるといいんですけどね」
「うるせーなー、あんまうるせーと結んでやらねーぞ」
髪を結ぶと言ってきかないのはノエルなのだが、下手に刺激して拗ねられるのも面倒くさい。
椅子に腰かけて髪を後ろへ流すカイに、ノエルは手首に通している髪ゴムを駆使して、さっそくカイの髪を一つに束ね始めた。
背後で楽しげにカイの髪をいじるノエルの気配を感じながら、手持無沙汰なカイは、ふと懐かしい記憶を思い起こしていた。
忌まわしいデスゲームから生還した後、みんなそれぞれ帰る場所がある中で、唯一居場所を持たなかったノエルを引き取った日から……もうどれだけの月日が経ったのだろうか。
所有者を失ったノエルの処遇を決める際、つい引受人に立候補してしまった瞬間のことを、カイは今でもよく覚えている。それはノエルを生み出したのが自分の実父だというせいもあり、また、デスゲームの最中からノエルがやたらとカイに絡んできたせいでもある。
人形と人間という違いはあれど――むしろその違いがあるからこそ、ノエルはカイに対して複雑な感情を抱いている様子だった。
当初は人間に対して憎悪や嫉妬心ばかり持っていたノエルは、しかしハンナキーによって喜びや幸せといった感情を与えられ、ひとまず『人間らしい』人格を持ち合わせるようになった。
カイがノエルを引き取ることに決めたのも、ノエルの心が安定したことで、他人に危害を加えなさそうだと判断したからでもある……やや粗暴な言動や口の悪さは残っているが、日常生活を送るうえで特に問題ないレベルだ。
それでもノエルと暮らし始めた頃のカイは、当然ながら完全に気を抜くことなど出来なかった。
後ろに立たれれば警戒し、寝るときもなにか問題が起こらないか――ノエルが問題を起こさないか気を張って過ごす生活が一年は続き、ノエルの方もそれを察して互いに気まずい思いをすることが日常茶飯事だった。
それが今では、簡単に背中を見せても平気なほどに心を許している。初めて会った日には、想像すらしていなかった光景だ。
ノエルがどう思っているかはわからないが、少なくともカイは、いまの生活をそれなりに心地良く感じていた。
長いようで短い日々に思いを馳せているうちに、ノエルが「っしゃ、できたぜ!」と弾んだ声を上げた。
「できましたか」
追想から意識を引き戻したカイが首元に手をやると、いつもはおろしっぱなしにしている髪が団子状に結われているのが感触で分かった。
「あっ、あんまり触って崩すんじゃねーぞ!」
すぐさまノエルから注意が飛んで、カイはお団子にされている髪を触る手を止め、椅子から立ち上がる。
「他人にやったのは初めてだけど、なかなか上手くできてるだろ?」
得意げな笑みを見せるノエルの頭をぽんぽんと撫で、「はい、綺麗にできてると思いますよ」と答えるカイ。
この子もすっかり丸くなったものだと感慨深くなりつつ、さてお風呂の支度でもしましょうかとノエルの頭から手を離したところで、カイは、ノエルがじっと自分を見つめていることに気が付いた。
「……どうかしましたか?」
尋ねるカイにノエルは心なしか眉を下げて、唐突にカイの胴体にがばりと抱き着いた。
思いもよらない突飛な行動にカイはわずかに目を見開いたが、ノエルはカイの体に顔を埋めたままの体勢で、ぽつりと呟いた。
「……あのさぁ、今日サラとかカンナとかと遊んでて思ったんだけど」
独白のような、独り言に近い声音で告げるノエルの言葉を、カイは「……はい」と静かに受け止める。それに気を良くしたのか、ノエルの口調が少しだけ柔らかくなった。
「オレって、結局人形じゃん? カイとか他のやつらと違って、父さんが作ってくれて出来た、年も取らないし病気にもなんねー人形」
最後の方は自嘲するようにわざと乱暴な言い方をするノエルに、カイは少しだけ迷って、「そうですね」と首肯した。ノエルの頭を再び撫でてやるべきか逡巡していると、ノエルはいっそうカイの体に頭を押し付けながら、さらに言葉を続けた。
「なんかさー……サラもカンナも成長してて、まあオメーはあんまり変わんねーけど……ギンとかジョーも、もう大人みてーなもんだし。オレだけ変わってなくて腹立つ、っつーか」
ムカつく、と言って、ノエルはそれっきり黙ってしまった。
発言は終了したもののカイから離れる様子のないノエルに、カイは「……ふむ」と顎に手を当てて、考え込むそぶりを見せる。
やがて、カイはノエルの頭を慰めるように撫でながら提案した。
「父に相談してみれば、どうにかなるかもしれません」
「父さん?」
顔を上げ、大きな瞳を丸く瞬かせるノエル。「ええ」と頷き、カイはノエルと視線を合わせながら言葉を繋ぐ。
「私は勘当されている身ですので、コンタクトをとるのは難しいでしょうが……あなたのように高いスペックの人形を作ることが出来る父ならば、人のように年をとる機能を付与したパッチも作れるかもしれません」
アスナロには、高い技術力を持つ科学者も大勢いますしね。
そう言って「父を探すなら、お手伝いはしますよ」とカイは再度ノエルの頭を撫でる。
カイの父でありノエルの生みの親である佐藤我執は、デスゲームが終わった日から行方知れずとなっているが、アスナロ自体はまだ壊滅していない。ノエルの望みを叶えるのに、希望は充分残っていると言える。
「…………」
予想外の展開に驚いた顔をするノエルに、もともと愛想の薄いカイの口元が、ほんのわずかに緩んだ。「……家族、ですからね。一人で置いていかれるというのも寂しいでしょう」
「家族……」
カイの言葉を噛み締めるように繰り返し、ノエルは一旦離れていたカイの体にもう一度力強く飛び込んだ。その顔には満面の笑みが浮かび、彼はとても小さな声で「……ありがと、」と囁いた。
「でもまー、若い方がなにかと便利だし、オレ見た目けっこう可愛いし? あんま急がなくてもいいぜ」
照れ隠しか、つっけんどんな物言いになって笑うノエルに、カイも目尻を和らげて笑い返す。
「そうですね、時間はあることですし」
ちょうどそのとき、風呂が沸いたことを知らせるタイマーが鳴って、カイは視線を風呂場に向けた。「お風呂が沸いたみたいです。ノエル、先に入ってください」
「ちぇっ、せっかく結んでやったのに」
カイのお団子が風呂場で解かれるのを想像してか、頬を膨らませて言うノエルに、カイは「また明日お願いします」と言いながらノエルの背を軽く押して風呂場へ誘導する。
「んー……じゃあ、明日はこのヘアピンも付けてやって、髪は二つ結びにしてやろうかなー」
なにやら不穏な言葉が聞こえた気がしたが、ノエルはぶつぶつ呟いていたかと思うと上機嫌になって風呂場の方へ走っていった。
「ノエル、廊下を走っては……ああ、聞こえていませんね」
嘆息し、カイは賑やかな弟の背を見送ってふと笑みをこぼす。
家族を失い、任務の中で新しい家族を得た自分に、またしても家族が増えたこと。それは、素直に受け入れるにはあまりにも恐ろしい幸せで――けれど受け止めてしまえば、なによりも優しく温かく、カイの心を満たしてくれた。
ノエルの次に風呂へ入る準備をしながら、カイはうなじで纏められた髪に手を添える。
丸くお団子に整えられた黒髪を愛おしげに撫でて、人知れず……カイ自身も気づかないまま、カイはにっこりと微笑んでいるのだった。
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