アドベントカレンダー
ワード「隠れる」「ツリー」
冷たい風の吹きつける野外訓練を終えて、少年二人は暖かい施設内へ戻ってきた。
二人とも鼻の頭が薄赤く染まり、それでいてカイは不快感をおくびにも出さずにすました顔をしている。
「ただいま戻りました」
「動いてねーとさみーんだよなー」
セイは武器を持っていない空の両手を大仰に振ってみせた。
年中、黒い長袖に長ズボンといった制服姿の彼らを、室内で待っていた私服姿のガシューが出迎える。
「訓練ご苦労。順調に進んでいるようだな」
「ま、オレたち優等生だからさ」
褒められて素直に笑みを浮かべ、同意を求めてカイを振り返るセイ。
カイも、自ら成績を誇示するそぶりは見せないまでも、少し照れくさそうに胸を張ってガシューを見る。
「先生にも褒めていただきました」
控えめながら嬉しげに報告するカイに、ガシューは「ふむ」と満足げに頷いた。
普段ならば、訓練後は詳細な報告をするのが常だったが、ガシューはさっそく報告を始めようとしたセイを片手で制した。疑問符を浮かべる二人に、こほんと咳払いをして口を開く。
「お前たちが優秀なおかげで、どうやら訓練のスケジュールが随分と前倒しになっているようでな」
もったいぶった言い方だが、決して非難しているわけではない。むしろ自慢の息子たちであるとすら言うような口調だ。しかしガシューは、なにやら奥歯にものが挟まったように言いよどんだ。
焦れたセイが少々乱暴な物言いで訊く。
「なんだよ、言うならさっさと言ってよ、父さん」
勢いに押された様子で、ガシューは小さく頷いて応えた。
「本格的な冬季訓練に入るまで、しばらく休暇をもらえることになったらしい。もちろん各自で自主トレーニングには励んでもらうが……せっかくの機会だ、一日くらいは三人で外出でもどうかと思ってな。その、なんだ。買い物とかな」
いつもと同じ無表情な面持ちながら、どこか不器用に二人の反応をうかがうガシュー。
思いがけない提案を受けて、セイとカイは「買い物?」と声を揃えた。買い出し、ではなくて、買い物。カイは脳内で反芻し、セイが期待のこもった眼差しをガシューに向ける。
「え、なにか買ってくれるってこと?」
遠慮なく声を弾ませるセイの脇腹を、カイが「おい」と小突く。
ガシューは鷹揚に頷いて二人を見つめた。
「あまり高価なものは買えないが。予定は追って伝えるので、それまでに欲しい物を考えておくように」
連絡は以上だと言い、彼は二人より先に部屋を出ていく。
無邪気に「楽しみだなー」と破顔するセイ。
「お父様と外出なんて、いつぶりだろう」
カイもそわそわと落ち着かない様子で呟いて、二人はガシューの後を追うように部屋を後にした。
そしてあっというまに訪れた週末。
ガシューが二人を連れてやってきたのは、街外れのショッピングモールだった。そこそこ広い駐車場の先、あらゆる店が軒を連ねる中心に、ひときわ大きな商業施設がある。
辺りはそこかしこがクリスマスモチーフに飾り付けられて、まだ昼だというのに電飾が華やかな光を放っていた。
モールの入り口に立つ巨大ツリーが一行を出迎えてくれる。
「わぁ……!」
非日常の象徴たるクリスマスツリーを見上げ、カイが感嘆の息を漏らす。オーナメントや人形でカラフルにデコレーションされたツリーは、まるで異世界へ誘う案内人のようだ。辺りを行き交う人々も楽しげな空気を醸し出している。
日ごとに寒さを増す季節で、こんなにも賑々しい空気を感じるのは初めてのことだ。少なくともカイの日常とは大きく違っている。
思わず高揚した笑顔で振り返ったカイは、そこにいたはずのセイが見えないことに首を傾げた。初めての場所で迷子にでもなったのだろうか。きょろきょろと周囲を見回し、名前を呼ぶ。
「セイー?」
ツリーに背を向けて踏み出したカイの、ちょうど斜め後ろ。
「……わっ!!」
「うわぁっ!!」
いつのまにかクリスマスツリーの陰に隠れていたセイが、派手な大声と共にカイの真後ろへ回り込んでいた。近くの通行人たちがくすくすと笑い、カイは背後を取られた悔しさと恥ずかしさで顔を真っ赤に染める。
「ふ、ふざけるなよ、セイ!」
「油断してたオメーが悪いんだって。常在戦場だぜー?」
ツリーを前に憤るカイと、飄々と笑うセイ。
年相応の子どもらしく騒ぐ二人を見て、ガシューは深く息を吐く。
彼はセイに「……あまり目立たないように」とだけ言い、そしてそれぞれに小さな財布を渡した。受け取るなり遠慮も躊躇もなく中身を改めるセイ。渡された金額はセイもカイも三千円ずつで、お小遣いという概念もない二人にとってはどれくらいの価値があるのか想像がつかなかった。
二人がなにか言うより先に、ガシューは二人へモール内を見てくるよう促した。そこにマップがあると案内看板を示し、自分は向こうの店を見てくると洋品店に向かって歩いていく。
セイはさっそくマップのもとへ駆け出して、カイも怒った表情のままながら、置いていかれないよう慌てて走り出すのだった。
ショッピングモールには、じつに多種多様な店があった。
とはいえ、まだ幼い二人が興味を示す対象は限られている。カイは小ぢんまりとした書店に入り、セイは子ども向けの服屋とオモチャ屋を行ったり来たりした。
クリスマスムード一色に染められた店内を、カイは物珍しげに観察しながら目当ての品物を探す。できるだけ訓練の役に立ちそうな――ひいては父の役に立てそうなものを選ぶ。
見慣れない本棚の群れに囲まれて、数十分かけて手に取ったのは一冊の百科事典だった。世界には自分の知らないものが多くある、という事実をこの小さな書店内で充分に痛感し、まず広く浅く物事を知ることにしたのだ。
「すみません、これを……」
ガシューからもらった三千円でぎりぎり足りるくらいのそれをレジへ持っていき、思えば自分でお金を支払うのも初めてのことだと少し緊張しつつ無事に会計を終える。
包装してもらった本を胸に抱いて店外へ出ると、先ほどまでその辺をうろうろしていたセイの姿はどこにも見えなかった。相変わらず落ち着きのないヤツだ、と内心で鼻を鳴らす。
二人を待つあいだに、巨大クリスマスツリーをもう一度見に行こうと思い立ち、カイは人の流れに逆行してモールの入り口へと引き返した。
きらびやかな装飾をまとったツリーは、幻想的かつユニークな輝きで存在を主張している。実用性などまるでなさそうな飾り物のそれに、しかしカイは不思議と心がひきつけられたかのようにしてツリーを見上げていた。初めて見た『非日常』の象徴は、彼の心を否応なくどきどきと弾ませていた。
ふと、カイはツリーの向こう側にオレンジ色の頭が覗いているのを見つけた。カイが持っている本と同じく、クリスマス仕様にラッピングされた袋を提げて退屈そうに他所を向いている。どうやら、カイの気配にはまったく気がついていないらしい。
カイは、息を潜めてオレンジ頭の主に接近した。
「……」
足音を消し、極限まで影を薄めてターゲットとの距離を詰める。オレンジ色の頭は手持ち無沙汰な様子で左右に揺れ始めたが、それで狙いを外すカイでもなかった。
ときおりオレンジ色がこちらを振り返りかけるたび、さっとツリーに隠れるカイ。巨大ツリーから少しずつ迫っていき、両者の距離はおよそ2メートルといったところまで進む。
そうしてさっきとは完全に立ち位置が逆になった状態で、カイの口元がにやりと歪む。
自覚もないまま薄い笑みをたたえて、彼は冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んで叫んだ。
「わっ! ……ぁ、あれ?」
自分の耳さえつんざくほどの大音量で声を発し、カイは眼前のオレンジ頭を見据えた。
けれども直前までたしかにそこにいたセイの姿は消え、代わりに通常通りの真顔でカイを見下ろすガシューの眼光と視線がかち合う。
カイは、顔面蒼白になって声を震わせた。
「お、お父様、」
「…………」
能面の如き無表情でカイを見返し、ガシューは沈黙したままカイを見る。
数拍の間を置いて、彼は淡々とした声音で言った。
「はしゃぐのもほどほどにな」
ガシューは視線をカイの持っている包みに移し、その中身について訊ねようとする。
しかしその向こう側からけたたましい笑い声が上がり、見るとガシューの後ろから顔を出したセイが腹を抱えて笑っていた。
「あはははっ、オメーほんと詰めが甘いよなー!」
真っ白な息を吐き散らして、大袈裟なそぶりで哄笑する。
カイの、紙のように色をなくしていた顔が一瞬で憤怒の赤に染まった。
「おっ……まえ!! 笑うなっ!!」
「いやいや、マジでケッサクだって! あんなので背後とれた気になってるとか、笑えないくらいウケるし!」
「じゃあその腹が立つ笑い方をやめろ!!」
セイの笑い声とカイの怒声が飛び交い、ただでさえ人目をひくクリスマスツリーの前にいることもあって二人は大変に目立っていた。
ガシューは、全身に突き刺さるような衆人環視の視線を感じて、本日二度目の重い息を吐く。
彼は、いよいよ収拾がつかなくなった二人に低く声をかけた。
「……カイ、セイ」
重苦しい低音で呼ばれた二人は、ぴたりと動きを止めてぎこちなくガシューの方を向く。
ガシューは心なしか般若ともとれる凍てついた顔つきで二人を見つめて、「少し待っていなさい」と二人に背を向けた。まさかここに置いて行かれるのだろうかと焦るカイだったが、予想に反してガシューはさっきと同じ洋品店の方へと消えていった。
「……オメーのせいで父さんに怒られただろー」
「……もとはと言えば、そっちが……」
残されたカイとセイは、やや気まずい表情で互いに抗議の視線を交わす。
少しばかり神妙な空気が流れて、ガシューはさほど時間が経たないうちに戻ってきた。その手に、なにやら小さな手袋を携えている。
訝しげにガシューを見る二人。ガシューは、カイとセイに手袋を一組ずつ渡した。
「そこの店で買ってきたものだ。帰るまで、二人でつけていなさい」
やたら丁寧な物言いに警戒して手袋を受け取るセイ。カイに渡されたものと同じデザインのようだが、私服でまでお揃いをさせるのかと面白くない気分で片手にはめる。
もう片方は……と反対の手で対になっている手袋を引っ張ったところ、同じ手袋を反対側からカイが引っ張っていた。ついでによく見ると、それは手を入れる部分が二つある、そして普通より二回りほど大きめなサイズの奇妙な形をしていた。
「?」「?」
仲良くハテナマークを並べてガシューを見上げるセイとカイ。
ガシューは、無慈悲なまでにあっさりと言い放った。
「その手袋は中で手を繋いで使う仕様らしい。本来は恋人同士で使うものだそうだが……兄弟で使うのも悪くはないだろう」
「はあああああ!!!???」
セイの絶叫。
顔をしかめたカイも、意味が理解できないと言いたげに目を白黒させる。
「あの、お父様。なんの冗談ですか……???」
絶望的な顔でガシューを見つめるカイだったか、父からの返答はにべもなかった。
「冗談ではない。つけないと言うなら……」
会話を、眉間にしわを刻んだセイが遮る。
「言うなら? こいつの片方を奪えってわけ?」
普段よりも色濃い殺気をカイに向けるセイだったが、ガシューは顔色ひとつ変えずに首を振る。
「二人ともここに置いていくとしよう」
「………………」
「………………」
残酷な宣告に口をつぐむ二人。
やがて、カイが観念した面持ちで手袋に手を入れる。露骨に嫌悪を顔に出したセイへ、「……お父様は、こうと決めたら曲げないので」と呟く。
セイも、舌打ちをして手袋の穴に手を差し入れた。すぐにカイの冷えた肌に触れ、反射でぎゅっと皮膚をつねる。カイが眉を寄せて爪でひっかき返す。
見えない手袋の中で闘争する二人だったが、ガシューは存外上機嫌に歩き出した。
「そうしていれば、家族に見えないこともない」
誰が家族だ。珍しく意見の一致したカイとセイだったが、悪態をつくこともできずに手袋内での攻防を続ける。
駐車場へと歩き出したガシューについて歩を進めながら、二人の手はあっという間に汗をかいていた。争えば争うほど不快感が増すだけだと察し、二人はどちらからともなく停戦する。可能な限り相手に触れないよう意地を張りつつ、大人しく手袋を内部の熱ごと共有する。
吹く風の冷たさに、かえって互いの熱がはっきりと感じとれてしまう。
すれ違う人たちの生温かい眼差し、および隣を歩く憎き『兄弟』の存在に、二人はクリスマスという祝祭に似つかわしくない殺意をたぎらせるのだった。
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