甘々文字書きワードパレット

お題:バタースコーン 大和守安定と巴形薙刀
ワード『駆け引き』『見つめる』『胸を焦がす』


 万屋での買い物を終えると、店の主人は釣銭と共に小さな袋を渡した。片手から少しはみ出すくらいの、小振りな包みだった。
 代金の釣銭を受け取った大和守安定は、「いつもありがとう」とにこやかな笑みを浮かべて袋をもらう。
 釣銭を財布にしまい、その財布は持参した鞄にしまって、安定は隣で荷物を持っている薙刀――巴形の方を向いた。
「せっかくだし、店先のベンチで食べていこうか」
「それは?」
 巴形は首を傾げ、安定が店主から渡された袋を見つめる。今日は巴形にとって初の外出日であり、万屋デビューの日でもあった。
 貴重品の入った鞄をしっかりと抱えなおし、安定は穏やかに笑みを深くした。
「とってもいいものだよ。巴形はたぶん、初めてだよね」
「?」
 袋の中身も知らないまま、巴形は安定に連れられて店外へ出るのだった。

「今日もいい天気だねぇ」
 店の外に出て、安定は広々とした青空を見上げる。刷毛で塗ったような青に、真っ白な雲が点々と浮かんでいた。
 出入り口の脇に置かれているベンチへ腰を下ろす。ベンチとは長椅子だったか、と呟く巴形。
 荷物は足元に置いて、安定はさっそく先ほどもらった袋を取り出した。
 シンプルな白いビニール袋だ。ラッピングされているわけでもなく、入ってるものが何なのか、巴形には見当もつかない。安定は袋の中身がこぼれないよう気をつけながら、結び目を器用に片手で解いた。
 袋に入っていたのは、なにやら香ばしい匂いのする焼き菓子のようだった。ほんのりと焦げ目がつき、角の辺りも少し崩れてはいるが、充分に食欲をそそる甘い香りを漂わせている。
 巴形は「これは知っている」とでも言いたげにああ、と声を漏らした。
「クッキー、だったか。西洋の菓子だな。……厚みがあるというか、パンのようにも見えるが」
「ふふ、ちょっと惜しいね」
 まじまじと菓子を観察する巴形に、安定は緩く首を振って不正解の意を示す。む、と口をへの字に曲げて不可解そうな表情を作る巴形へ、彼は菓子をひとつ手渡しながら続けた。
「これはスコーンって言うんだって。外国のお菓子なんだけど、分類的にはパンの仲間、なのかな?」
「すこーん……面白い響きだな」
 興味深げに繰り返す横顔を見ながら、安定は買い物袋から買ったばかりのジャム類を出した。食べきりサイズで小分けにされているそれを、いくつも手のひらにのせて巴形へと見せる。
「ジャムは食べたことあるよね? スコーンはあんまり味がついてないから、好きなやつ付けて食べるといいよ」
 イチゴにマーマレード、ブルーベリー、チョコレート。さまざまな種類のジャムを出されて、巴形は少し迷った末にブルーベリーのジャムを取った。
 安定はジャムではなくあんこのチューブを出して、スコーンの生地に付かないよう気をつけながら塗った。
「洋菓子に和の食材か」
「食の和洋折衷も、意外と美味しいんだよ。いろいろ試してみるといいかも」
 とりあえず今回は、オーソドックスにジャムで、と朗らかに笑う安定。巴形もわずかに口角を上げ、二人は「いただきます」と律儀に呟いて口元へスコーンを運んだ。
 作られたばかりであろうスコーンは、口に入れると同時にほろりと崩れてしまう。けれども生地が崩壊すると、内側から香る甘やかな匂いがよりいっそう強くなった。
 小麦粉本来の味が優しく広がって、一拍遅れてブルーベリーの爽やかな酸味が口内を巡る。巴形は「ほう」と目を細め、黙々と咀嚼した。
 どう? 美味しい? 訊ねようとして、安定はそれが杞憂であることを悟る。巴形はあまり大きく表情を変えない薙刀だが、無言ながらも瞳をきらきらと輝かせていた。それだけで彼がこの焼き菓子を気に入ったのだとよくわかる。
 あっというまにひとつをぺろりとたいらげた巴形に、安定はさっき出したジャムの袋を渡す。
「どれがいちばん気に入るかな。いろいろと食べ比べてみたら?」
「……では、次は大和守と同じものにしようか」
 言って、巴形は安定が食べているあんこの入ったチューブを取った。ジャムよりもやや質量の大きなそれを、スコーンからこぼれないよう注意して塗る。
 もぐもぐと頬を動かす巴形に、安定は「どう?」と顔を覗きこむ。ごくんと喉を鳴らして嚥下し、巴形は満足げに呟いた。
「和洋折衷も、なかなかに美味だ。さまざまな組み合わせを試すだけでも、当分飽きることはなさそうだな」
「ふふ、それは良かった」
 にこりと擬音が聞こえそうな笑顔を見せる安定は、「このお店の主人、お菓子作りが趣味らしくて。ときどきこうしておまけをくれるんだよね」と教えてくれる。
「スコーンは焼きたてがいちばん美味しいから、冷めちゃう前にここで食べていくんだ」
「ああ、それで皆が買い出し争いをしていたのだな」
 巴形は、自分の万屋デビューにやたらと付いていきたがっていた本丸の面々を思い出して合点のいった顔をした。
 買い出しとやらはそんなに楽しいものかと不思議に思っていたが、みんなこの「おまけ」が狙いだったのだろう。振り返ってみれば、付き添いを決めるジャンケンに負けた包丁藤四郎がたいそう悔しがっていたことにも納得がいく。ジャンケン大会は最終的に心理戦の駆け引きまで伴って盛り上がっていた。
 白熱のジャンケン勝負の覇者となり、見事「おまけ」にありついた安定は、二つ目のスコーンにもあんこを塗って食べていた。巴形は首を緩く傾げて問いかける。
「大和守は他の味を試したりしないのか? ……ああ、そういえば古参の刀だったな」
 疑問を口にして、すぐ「すでにいろいろと試したうえで、それが気に入ったのか」と自己解決する巴形に、しかし安定は苦笑して首を横に振った。
「ん、気に入ったっていうか……僕、もともと甘いものとかあんこが好きなんだよね」
「もともと、というと」
 どこか引っかかる物言いに、オウム返しで問いを重ねる。安定は苦笑いで応えた。
「僕の元主って、けっこう甘いものが好きだったって説が強くてさ。史実だと近藤さん……あ、元主の親代わりというか、お兄さんみたいな人なんだけど。近藤さんの方が、記録にも残ってるくらいの甘党ではあったんだけど」
「……ふむ」
 頷き、先を促す巴形。安定は遠くを見るような眼差しで青空を仰いだ。
「だからかな。あんことか金平糖とか、甘いものを見ると、元主――沖田くんを思い出して、なんか幸せな気持ちになるんだよね。だからついついこれを選んじゃうっていうか」
 微笑して青い瞳に空を映す安定は、しかし「幸せ」という言葉を使いながらも、なぜか寂しそうな面持ちをしている。
 逡巡して、巴形は薄い水色に飾られた唇を開いた。
「ならば……どうして、そんなに悲しい顔をしているんだ」
 安定は、あんこの乗ったスコーンに目を落とす。それから、自身でも自分の考えを整理するような口調で話した。
「……悲しくはない、かな。切ないとは思うけど」
「切ない、」
 単純な喜怒哀楽よりも少し複雑なその感情を、巴形は輪郭をなぞるように復唱する。
 自分にとってもっとも的確な言葉を選びながら――安定は淡々と言葉を紡いだ。
「……沖田くんが甘いものを好きだったって、後世の人たちがそう認識してるから、僕も甘いものが好きなのかなぁって。僕が感じてる『美味しい』とか『幸せ』って気持ちも、一種の固定概念というか……そういう風にできてるってだけだとしたら、それはちょっと、なんか寂しい気もするんだよね」
 いつも明るく快活な彼の、憂いを帯びた影のある台詞。巴形は「……ふむ」と短い相槌を打った。
 安定はまだ適切な表現を探しているらしく、「思い込みって言うと、なんか硬いけどさ。でも僕たちって、大部分が元の主とか来歴によって形作られてるんだよね。個体差もあるらしいけど」と連ねている。
 宙を見て物思いにふけっていた安定は、ふと申し訳なさそうな顔つきになって巴形に眉を下げた。形の良い太めの眉が八の字になっている。
「ご、ごめん。巴形は、こんな話を聞かされても面白くないよね」
 巴形が顕現したときの口上、「銘も逸話も持たぬ、物語なき巴形の集まり」を思い出して気を遣ったのだろうか。巴形はかぶりを振って否定した。
「いや、自分の知らぬ話を聞くことは新鮮だ。……それに、大和守とは以前から話をしてみたいと思っていたからな」
「えっ、僕と?」
 突然の告白に、安定は目を丸くして聞き返す。巴形は首肯してその理由を語った。
「幕末の刀は、動乱の時代ということもあるのか――元主の影響を受けている刀が多いと思ってな。その中でも大和守は特に『沖田くん』とやらに執着しているように見えて、気になっていたのだ」
 執着、という単語に、安定は複雑そうに表情を変えた。機微に聡い巴形は、「む、不快にさせただろうか」と声を落とす。
 しかし安定は「いや、大丈夫。……執着してるっていうのは、間違ってないしね」と自虐するように笑った。それから、長い睫毛を伏せて答えた。
「僕は見た目も中身も、大部分が沖田くんで構成されてるようなものだからさ。清光にはときどき嫌がられちゃうけど、そういうところも含めて『大和守安定』なんだなって」
 相棒の名前を出して、安定は巴形の顔を見返した。
 西洋風の片眼鏡に、雪のような白髪。羽飾りをまとった衣装と、水色の口紅。
 奇抜な見た目をしている巴形だが、彼には元主と呼べる存在もいなければ確立された来歴があるわけでもない。それが少しだけ眩しく思えて、安定はかすかに目を細めた。
 巴形自身がどう思っていたとしても、安定にとって「なにもない」ということは、決して悪いことではないのだと思えた。むしろ過去に捕らわれて感情を乱す己よりも、よっぽど自由にさえ思えてしまう。
 安定は顕現してから何度も沖田くんを想い、胸を焦がす日々を送ってきた。痛いほどの衝動を孕んだあの熱を知らずにいるというのは、人に使われる道具として幸せなのか否か。
 もう何度も繰り返している自問自答を振り払うように、安定は巴形の瞳を覗き込んだ。
 凝視されている巴形の方は、無垢な疑問符を浮かべて安定の目を見つめ返していた。
 やがて彼は、遠慮がちながらもはっきりとした声音で自分の考えを告げる。
「……いくつもの名もなき薙刀が寄り集まって顕現した俺にとって、固有の記憶を持つ大和守のような刀は羨望に近い感情の対象だった。だから、そんなお前にこそそういった悩みがあるというのを初めて知って、少し驚いた」
 それでも、明確な拠り所があるというのはやはり羨ましいものだが。
 そう締めくくった巴形に、虚を突かれた安定は思わず視線を逸らした。
「……羨ましい、かぁ」
 ややあって、頬を掻きながら照れたように困り気な苦笑いをする。「……羨望なんて、するほどのことじゃないと思うけどね」
 そして彼はまっすぐに空を見上げた。
「なにも持っていないってことは、これからなんでも手にできるってことだよ。……手に入るかは分からないけれど、少なくとも手を伸ばすことはできる。しがらみがないからね」
 彼は三つ目のスコーンに手を伸ばし、慣れた手つきであんこを乗せる。もう何度もそうしてきたように――それ以外の方法など興味がないとでも言うように。
「沖田くんとの思い出は、良くも悪くも『僕』が『僕』であるほとんどを占めている。だから、そういうのがないまっさらな巴形には、なににも染まっていないっていう良さがあるんじゃないかな」
 空になっていた巴形の手にスコーンを乗せる安定。
 巴形は自分の手に置かれたスコーンを見つめ、袴の上に並べられたジャムの袋を眺めた。宝石のように光る色とりどりのジャムは、どれも選び難いほど魅力的に輝いている。
「選べる自由がある、か……。選び方を知らない分、誤った選択肢を取ってしまわないかは、心配なところだが」
 真面目な口調で真剣にジャムを見つめる巴形を、安定は「そんなに気負わなくても大丈夫だよ」と晴れやかに笑い飛ばす。
「なんだかんだ言って、僕も自分の歴史を愛しているからね。巴形も、きっとなにを選んでもいつかそれを心から愛しいって思える日が来ると思うよ」
 上機嫌で買い物袋をひっくり返し、「蜂蜜にアンズに……わ、人参なんてのもある」とジャムの袋をひとつひとつ読み上げる。つまみあげられた小さな袋は、太陽の陽射しを受けてきらきらと光っていた。
 自分の道を自分で選ぶことへの不安と、その先で見られるであろう未来の景色への期待を胸に、巴形も小さな袋へと手を伸ばす。
 そっと触れた指先で、選んだものはよりいっそう美しくきらめいたように思えてならなかった。
4/5ページ