甘々文字書きワードパレットBL

お題:バタースコーン 堀川国広×加州清光
ワード『胸を焦がす』『見つめる』『駆け引き』


 暗い闇の中で、ひそかに動く影があった。夏の夜は蒸し暑く、室内を冷やすクーラーの風は人工的で無機質だ。
 ぼんやりと薄く目を覚ました堀川国広は、眠りに就くとき確かに両腕で抱きしめていた温度がないことに気付いて、のそりと身体を起こした。
 少し経つと目が慣れてきて、離れた場所で机に向かって両膝を立てて座る打刀の背が見えた。ほどいた黒髪が緩く波打ちながら流れていて、さながら春の小川を思わせる。
「……起きた?」
 なにしてるの、と堀川が声をかけるより先に、打刀の少年が黒髪を揺らして振り向いた。机に片肘をついて、その手に何か持っている。
「こんな時間におやつ?」
 机上に置かれた小皿を見て、その中にあるパンのような菓子――粉っぽい匂いのスコーンを見て、堀川が悪戯っぽく笑う。「一人でずるいな。太るよ?」と冗談めかして目を細めると、打刀の少年、加州清光は「うるさいよー」と気だるげに笑みを返した。
 膝立ちで寄って隣に腰を下ろし、堀川も一つ摘まんで口に運ぶ。温かくはないもののパサついてもおらず、芳醇なバターの香りがふわりと鼻に抜けた。
「美味しい」
「でしょ。ま、今朝の余りだけど。丸一日経つ前に消費した方が良いかなって」
 小動物のように頬張る加州の横顔は、障子を閉め切っているせいでよく見えない。クーラーを切り、堀川は縁側に面する障子を静かに開け放った。冷気が外に逃げて、代わりに自然なぬるさを含んだ夜風が入り込んでくる。
 月の綺麗な夜だった。淡い月光に照らされて、加州の睫毛が影を落とす。陶器のような肌に、青白い光が映えている。
「障子、開けっ放し? 外から丸見えなの嫌いじゃないっけ」
 尋ねた加州に「寝るときには閉めるよ」と答えて、堀川は加州のかじるスコーンの欠片を見た。真っ赤なイチゴのジャムと、小皿の横に並べられた数種類のジャムの小袋が、月の光を反射して輝いている。
「……清光って、わがままだし欲張りだよね」
 ジャム付きのスコーンをかじっていた加州が、唐突な言葉に驚いて口元から欠片をこぼす。落ちた欠片を拾って食べた堀川と「落ちたもん食うなよ」「三秒ルール」「邪道。っていうか、お前そういうとこだよ」などと不毛なやりとりをして、加州は深く息を吐いた。
「……っていうか、なに。急に」
 不機嫌そうに鼻白む加州に、堀川は返事をせずに無言でジャムの小袋を見つめていた。
 イチゴにマーマレード、ブルーベリー、チョコレート、ピーナッツ。どれも一食分の食べきりサイズで、加州の口癖である「俺は少しずついろんなものが食べたいタイプ」という言葉が脳裏をよぎる。
 袋をじっと見つめる堀川に、加州は何か勘違いしたらしく「堀川もいる?」とジャムの袋を差し出してきた。「ううん、いい」と首を横に振ると、「だよね。堀川ってジャムとかあんまり付けないし」と苦笑される。
「でも美味しいから一口だけ食べてみなよ」
 驚かされたことに対する仕返しか、加州は有無を言わさず突然に、手持ちのスコーンを堀川の口へと突っ込んだ。強引に割り開かれた唇にイチゴのジャムが付いて、むせはしなかったものの濃い味に思わず眉が寄る。
「……うん、やっぱり苦手」
 もぐもぐ咀嚼しながら苦い顔をする堀川に、加州がにししと笑う。思った通り意趣返しだったか、と堀川は唇の端を舐めながら息を吐いた。
 常日頃からやたらと愛を欲する加州が、味の全く違う食べ物を少しずつ楽しむのは、なんとなく納得だと思う。
 愛されたいと深く思うほど、裏切られた時の保険としてその対象を分散させる行為は、愛に対して無頓着な堀川にも理解できる。もともとの生存本能か生きる術として身に付けたものか、強かであるが故に、情愛に執着するわりには駆け引きを楽しむような余裕があるのだろう。
「なんか、ジャムとかって胸焼けしない? しかも味が口の中で混ざりそうだし」
 複数の袋を並べる加州に無駄な問いかけをすると、加州は可笑しそうに笑った。
「いやいや、これくらいで胸焼けとか。お爺ちゃんじゃないんだからさー」
 飲み込んだイチゴジャムのかたまりが、胸や腹のあたりに沈殿していくのを感じながら、堀川は口直しに何もつけていないスコーンを改めてかじった。シンプルなバターの味だけが口に広がって、妙に落ち着いた気分になる。
 なりふり構わず愛情を求めるほどに渇いてしまうくらいなら、胸焼けするぐらいが加州にはちょうど良いのかもしれない。
 そんなことを思い、堀川はそっと加州の唇に口唇を合わせた。加州の口から濃厚なイチゴジャムの味がして、堀川の口内も艶やかな赤に染まる。
「……口付け越しに味わうくらいなら、濃い味が薄くなってちょうど良いかも」
 口を離し呟いた堀川に、加州が「えっち」とキスの余韻を追うように舌なめずりしながらはにかんだ。堀川は、不意に小首を緩く傾げた。
「ジャム程度なら何をどう食べようが清光の自由だけどさ。あんまりあれこれ手を出してると、何が一番好きなのか分からなくなったりしない?」
 静かな問いかけに、加州が赤い瞳をきょとんと瞬く。ややあって、薄い唇からぷっと失笑が漏れた。
「なに、俺があれこれ目移りする性質(タチ)だからって心配になっちゃった?」
 可愛いとこあるじゃんとからかうように笑う加州は、ひとしきり笑ってから「そういう意味で『好き』なのは堀川だけだからさ、心配しなくていいよ」と目を三日月の形に細めた。
「……まあ、僕以外でおなかいっぱいになるようなことがあったら、容赦しないし」
「こわっ。え、容赦しないって俺に? それとも相手に?」
「相手って当てがあるの?」
「いやいや、今のは言葉の綾だから! 堀川だけだから!」
 ぎゃあぎゃあと騒ぐ加州を尻目に、堀川は最後の一つを手に取った。それを半分に割って片方を加州に渡すと、加州はジャムの袋から押し出すようにして、少しだけ残ったそれを表面に塗りつける。一舐めすれば消えてしまうそれを大切そうに最後まで使い切るその行動は、健気を通り越して憐れにすら見えた。
 心を満たすために愛情を渇望し、行き過ぎるほどに胸を焦がすのは、本末転倒ではないかと冷めた視線を送る堀川に、加州の気持ちを心から理解できる瞬間はきっと来ないのだろう。
 すっかり空になった、ほとんど透明に近いジャムの袋をごみ箱に捨てて、加州は薄いジャム付きのスコーンを大事そうに頬張った。赤い唇が、赤いジャムで染まる。
「……美味しい?」
 問うと、加州は素直に頷いた。堀川も自分の手にある残り半分をプレーンのままで食べて、「美味しい?」と問われ、「普通」と返す。
「じゃ、俺が美味しくしてあげる」
 言葉から一拍も置かずに、加州の側から口付けが交わされる。
 先ほど堀川の方から仕掛けたときよりも長いキスは、やがて舌が絡み合う情熱的なものに移行していく。両者の舌を介して伝わるイチゴジャムの匂いや味が、堀川の口内に溶けるように侵入していった。
 胸焼けよりは浅く、胸を焦がすよりも深い口付けは、互いの距離を否応なく縮めていく。言葉よりも雄弁な熱が二人を繋ぎ、角度を変えて何度も口付けが繰り返される。気付けば、堀川の口にあったプレーンなバターの味は、加州のもたらす砂糖混じりの甘ったるいジャムに侵食されてあっというまに消えてしまった。
 舌ごと貪るようなキスの途中で、ふと加州が縋るような眼差しを堀川に向けた。
「……堀川にとって俺の愛情は重いかもだけど、ちゃんと受け取ってよね」
 これだけ与えられてもまだ足りないらしい恋人に、堀川の口から苦笑がこぼれ落ちる。
「清光こそ。僕以外の味を覚えちゃ駄目だよ」
 いつだって、君を満たすのは僕だけでありたい。いくつもある保険のうちの一つじゃない、加州にとっての唯一になりたいと願うことは、そもそもが愛に対して無頓着な自分のくせに強欲だろうか。
 そんな疑問を掻き消すように、堀川は再び加州の唇を柔く食んだ。この味は自分だけのものだから、この唇も自分だけを味わってほしい。
 加州を欲張りだとは言えないな、と薄く笑い、堀川はゆっくり目を瞑って唇を味わうことだけに集中していった。
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