片耳ピアス
よく晴れた青い空の下で、僕は人を待っていた。行き交う人々の賑わいは、心地好い雑音となって暇潰しに僕を楽しませてくれる。
待ち合わせの目印でもある右耳のピアスを何となしにいじっていると、やがて通りの向こうから待ち人がやってきた。約束した時間の五分前だというのに、僕を見た彼は焦った表情で走ってくる。
「ごめん、待った?」
息を切らして尋ねる彼に、僕は笑って首を横に振った。本当は彼よりも十分程前に着いているから、待ったといえば待ったんだろうけど、そんなことは気にならない。
「大丈夫。待ってる時間も、楽しいし」
これは間違いなく本心。今日は何をしようかなどとデートプランを考えていれば、時間なんてあっというまに過ぎていく。
そもそも恋人とデートする日なんてものは何処で何をしていたって何も手につかなくなるんだから、どんな行動をしようがたいした問題ではない。
「なら、良かった」
ほっと安堵した彼を見て、不覚にもきゅんとした。きゅんとした、なんてまるで女の子みたいだけど、きゅんとしたんだからしょうがない。
僕は恥ずかしさを紛らわせるように彼の右手を取って、休日の街を歩き出した。
僕と彼は、男性同士のカップルだ。僕たちの住む国では、恋人という関係は異性に限られていない。
広い世界のどこかでは、同性を愛することが禁じられていることもあるらしい。罪であるとされたり、ひどいときには罰を受けさせられたり。そんな話を聞いたことがある。
この国で生まれ育った僕には、あまり信じられない話だ。
僕はそんな国に生まれなくて良かったと、心から安心している。もしもそんな国で生まれていたら、僕は罪人間違いなし、だから。
誰かを愛することが罪だなんて、残酷で、悲しいだけなのに。
指を絡めて手を繋ぐ、いわゆる恋人繋ぎをした僕たちは、幸せなデートを満喫した。
行き付けのカフェではカップル割引をしてもらえて、午後の映画ではペアシートでいちゃついて。
知り合いのおばちゃんに「恋人さん? ラブラブだね~」ってからかわれたのには、かなり照れたけど。
デートの時間も終わりに近付き、夕焼けに染まった帰り道を歩く。
「帰りたく、ないね」
思わず、本音がこぼれた。彼が、ゆっくりと僕の方を見る。お揃いで右耳に付けているピアスが、夕陽に反射して眩しく光った。
「大丈夫だよ」
「え?」
彼の言葉に、僕は間抜けな声を出した。僕を安心させるように、彼は僕の手を優しく握って、穏やかに微笑んだ。大好きな、愛しい眼差し。
「何処に居たって、俺はお前を愛してる」
突然の告白は、僕を一瞬で甘く満たしてくれた。きっと、いま僕の顔は夕焼けのように真っ赤になっているんだろうな。
「僕も……ずっと愛してる」
そう返したら彼は照れくさそうに笑って、より強く手を握ってくれた。
茜色に染まる世界の中で、僕たちは純粋な幸福にいつまでも包まれていた。
主を失った部屋の中で、青年はそっと本を閉じた。もう半年以上誰も足を踏み入れなかった部屋は、彼以外に人の気配を感じさせない。
ルーズリーフに手書きの文字を載せてホッチキスで留めただけの、本というには粗末なそれを、青年は両腕で大切に抱きしめた。彼の恋人が残した、唯一の遺品。
少年が生まれ育った国は、
彼らが生きている国は、
幸せな国などでは無かった。
青年の右耳に、ピアスは無い。この国で片耳だけにピアスを付けることは、異性以外を愛する異常者を示すことであり、見付かれば処罰の対象になる。
少年が死んだのも、そんな理由だった。
反対する青年の言葉を押しきって、少年は片耳にピアスを付けていた。
「大丈夫だよ。人を愛することは、罪なんかじゃないんだ」
そう無邪気に微笑んでいた少年は、よく晴れた青空の下で、あっけなく銃殺された。
遺された物は、本の他にもう一つあった。少年が死ぬきっかけになったピアス。青年を愛する証しとしていたピアス。異性愛者(もしくは同性愛嫌悪者)なら余らない二対のピアスは、一つだけ余っていた。
愛する人を亡くした青年は、迷いなくピアスに手を伸ばした。その手は、吸い込まれるように右耳へと移動する。
ふと落ちている雑誌に目をやると、芸能人の不倫騒動だとか、有名人の伴侶が亡くなっただとか、そんなことばかりが目立っていた。
ふっと口角を緩ませて、青年は静かに笑った。
「大丈夫だよ」
声は、誰にも届かないまま空に溶ける。
「何処に居たって、俺はお前を愛してる」
乾いた銃声が響いて、そしてすぐに静かになった。
この国から、全ての片耳ピアスが消えた日の話。