カウントダウン


 ……転校というのは、何度経験しても慣れないものだ。
 小学生にして人生で七回目の転校。見慣れない職員室で見慣れない教師――新しい担任と話を終えた北条琴子は、緊張の面持ちで廊下に立っていた。担任は先に教室へ入り、クラスの朝会をしている。
 軽く汗をかいている両手を握ったり開いたりしているうちに、担任がドアを開けた。
「入って自己紹介しようか」
 その言葉に、琴子は意を決して足を踏み出した。
 三十余人の視線を一身に受けて、居心地の悪さに心臓が落ち着きなく跳ねている。ぎこちない動きで教卓の横に立って、促されるまま名前を言うのがやっとだった。
「北条、琴子です」
 担任は笑顔のまま何も言わなかったので、慌てて言葉を追加する。
「えっと、果瀬小学校から来ました。よろしくお願いします」
 何とかそれだけ言うと、担任は「皆、仲良くしてね」と生徒たちに笑いかけ、琴子を教室の一番後ろ、窓際の席に座らせた。
 わざわざ振り向いてまで琴子を見ようとする生徒を注意しながら、今日も頑張りましょうという担任の言葉で朝会は終わった。

 幸か不幸か、この日は移動教室の授業が全く無かったので、琴子の周りにはたくさんの生徒が集まった。
 好きなもの、嫌いなもの、得意なこと、趣味の話。その殆どは女子が尋ねてきたが、質問に答えながら教室の様子を窺うと、男女仲も悪いわけでは無い普通のクラスといった雰囲気で、琴子は内心ほっとした。今まで転校したことのある学校の中には、いじめなど珍しくないことも多かったからだ。
 今回の転校は『当たり』だったなと、琴子は心から安堵した。

 転校から一週間が経った、ある日の放課後。琴子は同じクラスの女子生徒と二人で下校していた。
 彼女の名前は山吹茜。可愛らしい見た目に明るく優しい性格で、クラスでも特に人気の中心人物だ。茜は誰にでも親切で、右も左も分からない新参者の琴子にもいろいろなことを教えてくれた。具体的には移動教室の案内や、前の学校と進み具合の違う授業を手助けしてくれたりといったところだ。
 今まで通ってきた学校の中でもとびきり面倒見の良い茜に、琴子は少なからず戸惑ったが、裏がある気配も無いので好意を有難く受け取っていた。そして気付けば、この一週間のうちに茜と過ごすことが多くなっていたのだった。
 いつもと同じ夕焼けに染まる道を、二人は他愛の無いお喋りをしながら歩く。ふと、琴子は転入してからずっと思っていたことを口にした。
「そういえば、臨鐘小学校って凄く生徒が多いよね。七組なんて、私初めてだよ」
「確かに、最近は少子高齢化が進んでいるらしいけど、うちの学校は賑やかだよね」
「少子高齢化って、子供が少なくて、お年寄りがたくさんいるってことだっけ」
「そうそう、そんな感じ」
「茜ちゃん、物知りだね!」
 琴子が感嘆の声を上げると、茜は照れくさそうに笑った。そして急に声を潜め、琴子の耳に顔を寄せる。
「でもね、最近たくさんの子どもが行方不明になってるんだって」
 なにやら物騒な話に、琴子は驚きで目を丸くする。茜はとっておきの秘密を打ち明けるように小さな声で続けた。
「しかも、大人は皆それに気づかなくて、その子たちの親だって、自分に子供が居たことすら忘れちゃうの」
 怖いよね、とささやく声が、琴子の背中を冷たくなぞる。
「なにそれ……」
 すっかり怯えてしまった琴子に、茜は口元を緩めるとくすくすと笑い出した。
「……なんちゃって! 冗談だよ、怖かった?」
 無邪気な笑顔に琴子は呆気にとられると、安心して胸を撫で下ろし、頬を膨らませる。
「もう、びっくりするじゃない!」
 茜は「ごめんごめん」と苦笑して両手を合わせ、唐突に声を弾ませる。
「そうだ、今からうちに来ない? 怖がらせたお詫びっていうか……、琴子ちゃんに見せたい物もあるんだ!」
 急な提案に琴子は首を傾げたが、友人の家に招待されたのが純粋に嬉しくて、深く考えずに大きく頷いた。

 学校からも琴子の家からもそう遠くない場所にある一軒家が、茜の家だった。小ぢんまりとしていて、どこか懐かしい木の匂いがする。
「ただいまー……、って、まだ誰も帰ってきてないんだけどね」
 茜によると、母親はパート、父親は残業の多いサラリーマンの共働きで、二人は夜遅くまで帰ってこないのだという。
「うちね、一人っ子だから自分の部屋があるの」
 自慢げに案内されたのは、広々とした子供部屋だった。
「いいなぁ、私はお兄ちゃんと妹が居るから、自分の部屋なんて絶対に無理だよ。……だけど茜ちゃん、お母さんたちが帰ってくるまでお家に一人って寂しくない?」
 きょろきょろと部屋を見回しながら尋ねると、茜は首を横に振って押し入れの襖を開けた。
 そこにはダンボールが仕舞われていて、中には大きさも種類も様々な人形が入っていた。
「わぁ、すごい! これ、全部茜ちゃんの?」
「そうだよ。この人形が茜のお友だちなの」
 目を輝かせた琴子の前に何体か人形を並べて、茜は誇らしげに答えた。人形は並び出された分だけでも多種多様で、琴子が目にするのは初めての物も多かった。
 フランス人形にアンティークドール、市松人形から五月人形にデパートのおもちゃ売り場で見かけるような女児向け着せ替え人形まであって、まるで人形の博物館のようだ。
「……これ、触ってみても良い?」
 興味を持った琴子が遠慮がちに茜を見ると、彼女は快諾して手近な西洋人形を手渡してくれた。くるりと巻いた金髪に、深海のような青い瞳。フリルの付いた服装の人形を、慎重に持ってみる。
「わ、意外と重いんだね」
 思っていたよりもずっしりしている人形に、琴子が正直な感想を呟くと、茜は可笑しそうに笑った。
「その子は女の子なんだから、重いなんて言ったら怒られちゃうよ」
 きっと、髪の毛や服が豪華だから重いんだね。
「そっか……、そうだよね」
 含み笑いで付け足された言葉に、納得したように返事をしたが、琴子は腑に落ちなかった。いま彼女が感じている重みは、人間の赤ん坊のそれに近い。もっと言えば、琴子が以前、生まれたばかりの妹を抱っこさせてもらったときの感覚によく似ていた。そして人形の表面は作り物と思えないほどしっとりしていて、ほのかに生温かいのだ。……まるで、人形が生きているみたいに。
 けれど流石にそれを指摘することは出来ず、「壊しちゃいそうで怖いから」と琴子は人形を早々に茜へと返した。
 やがて日が落ち始め暗くなってきたので、琴子は茜にお礼を言って、彼女の家を後にした。

 琴子が茜の家に招かれた日から数週間が経った日のこと。夏休みを目前に控えた生徒たちは、誰も彼もが浮かれていた。
 日直として職員室にクラス全員分のノートを提出してきた琴子は、急いで教室に向かっていた。次の授業は体育で水泳なのだが、水着などの入ったスイミングバッグを教室に置きっ放しにしていたのだ。
「皆、もうプールに行っちゃってるよね」
 息を切らして教室に飛び込むと、しかし何故かクラスメートの半分が残っていた。皆、手にそれぞれのスイミングバッグを持っているが、誰一人プールに向かおうとはしていない。ただじっと教室の中心に目を向けていた。
「……?」
 怪訝に思った琴子が、皆の視線を追って目をやると――、今にも泣きだしそうな顔で震えている同級生の女子と、それを見下ろして笑う茜の姿があった。
「茜ちゃん!」
「馬鹿、やめろ!」
 思わず茜に駆け寄ろうとした琴子の肩を、近くに居た男子が強く引っ張った。彼は口元に指を立てて、「騒ぐんじゃない」と琴子から二人に視線を戻した。
 怯えきっている女子とは対照的に、茜は心底楽しそうな笑みを浮かべていた。
「人にぶつかったら、ごめんなさいしなきゃ駄目だよね?」
「ご、ごめんなさい……」
 座り込んで震えている女子生徒を、茜は冷たい声音で切り捨てる。
「今更、遅いよ。意味ないんだよ」
 会話の内容を聞く限り、どうやら女子生徒が茜にぶつかったらしい。だけど茜は見たところ怪我もしていないようだし、いくら何でもやりすぎだろうと琴子は顔をしかめた。
 どうして皆は見ているだけなのだろう。相手は女子の茜一人なのだから、男子の手もあればやめさせられるはずなのに。
 そんな琴子には気付いていない様子で、茜は少しずつ女子生徒に近づいた。もしも手をあげたら、すぐ止めに入ろう。そう思い、琴子は身体に力を込める。
 けれど、茜は手を出さなかった。彼女は不気味に笑いながら、薄い唇を歪めて言った。
「……麻美ちゃんは三回目だから、もうゼロだね」
 その瞬間、琴子が言葉の意味を理解するよりも早く、女子生徒の身体に変化が起きた。
 床にへたり込んでいた女子の身体が、急速に硬くなっていく。足の爪先から細い肩、頭のてっぺんまで硬直するのに、さほど時間はかからなかった。ぽろぽろと涙をこぼしていた瞳は焦点を失い、長い黒髪は窓から風が流れ込んでもなびきはしない。
 そして、琴子は完全に自分の目を疑った。
 固まってしまった女子生徒の身体が、急激に縮んでいくのだ。消えてしまうのではないかと思うほどのスピードで小さくなる彼女の身体は、ちょうど人形くらいの大きさになったところでころりと転がった。琴子が茜の家で見た人形と同じくらいの大きさだ。
「麻美ちゃんは髪が黒くて長いから、日本人形にしてあげようかな」
 くすっと微笑んで女子生徒の身体を拾い上げ、茜は大切そうにランドセルへ彼女を仕舞う。
 それと同時に、教室を支配していた緊張が解けた。
「もうあと三分で授業始まるよー!」
「オレのゴーグル無いんだけどっ」
 瞬時にいつも通りの騒がしい教室へと戻った空間で、今のは白昼夢だったのかと目を瞬かせる琴子に、穏やかな笑顔の茜が歩み寄って来る。
「琴子ちゃん、職員室行ってたんだっけ? 早くプール行こっ」
「う、うん……」
 焦ってどもりながらも茜と教室から出ようとした琴子は、ドアの段差につまずいてよろけてしまった。バランスを立て直そうと伸ばした手で茜の服を掴み、彼女を巻き込んで倒れてしまう。
 痛い、と呟くより先に氷のような冷たい空気を感じて、琴子はびくりと肩を強張らせる。下敷きにしてしまった茜に慌てて手を差し出すと、恐ろしい握力で掴まれた。
「琴子ちゃん……」
 地の底を這うような低音。思わず詰まった息を吐きだす間もなく、茜は琴子の目を捉える。
「あと……二つ」
 女の子が出しているとは思えないほど低い声で、彼女は可憐な笑顔を見せる。
「三回失敗したら、茜のお友だちになってもらうからね」
 無機質な人形のように丸く感情の無い瞳に、恐怖に歪んだ琴子の顔が映る。
「あれ、この机と椅子って、誰も使ってないよな」
 茜の向こうで、さっき琴子の肩を掴んだ男子生徒が不思議そうに呼び掛けていた。人形になってしまった黒髪のクラスメート、麻美が使っていた席が、疑問もなく片付けられていく。
 茜に捕まれている手に汗が滲み、琴子は自分の意識が遠くなっていくのを感じた。
「あと二つだよ、琴子ちゃん」
 三回目には、お友だちにしてあげる。
 クラスメートの喧騒に混じった茜の声が、確かに耳に残っていた。
1/1ページ