花冷えの輪廻
真っ赤な欄干橋のたもと、緋色の桜が咲く下で、一人の童が泣いていた。昼間でも人通りの少ないそこは、真夜中には誰も寄り付かない薄暗い場所だった。月明かりに照らされる桜の花だけが、童を守るように花を散らしている。
そこに、一人の男が現れた。腰に差している二本の刀から察するに、侍だろう。彼は、膝を抱えて泣いている童子を見下ろして、短く尋ねた。
「……どうして泣いている」
童子は僅かに怯えた目をしたが、侍に敵意がないことを感じ取り、鼻をすすりながら答えた。
「母上と父上が、浪士に殺されたのです」
悲しみと共に、深い悔しさをにじませた声だった。よく見ると、その小さな身体には不釣り合いな太刀を抱きしめている。全身は、微かに震えていた。
侍は、なにも言わずにその場から立ち去った。
それから三日ほど経った夜。綺麗な満月が道を照らしている。三日前通ったのと同じ場所に、あの日と同じように泣いている童子がいた。
「どうして、また泣いている」
侍の問いに、童子は静かに目を伏せた。
「……浪士が、何者かに殺されたのです」
その言葉に、侍は小さく首を傾げる。
「何故悲しむ? お前の両親の仇だろう? ……あぁ、自分で仇を討ちたかったのか?」
「違います!」
童子は小さな身体で大きな声をあげた。
驚く侍に言っているのか、それとも自分自身に言い聞かせているのか、淡々と童子は語り出す。
「私が浪士に仕返ししていたら、今度は浪士の仲間が私を殺しに来たでしょう。それでは、殺し合いが繰り返されてしまうだけです。復讐なんて、してはいけないんです」
一気に喋って疲れたのか、童子は一度そこで言葉を切る。そして、それでも言い足りないというように、小さな声ではっきりと呟いた。
「……復讐なんて、してはいけないんです」
三日前と同じように童子と別れ、侍は誰もいない道を一人で歩いていた。満月の光が照らす道は、いつもより歩きやすい。
その月明かりに人影が映った瞬間、侍は音も無く抜刀し、一振りで自分を取り囲んでいた三人の浪士を斬り殺した。
周囲を赤く染めながら地に倒れ伏した浪士の一人が、絶命する間際にか細い声で呪詛を吐く。
「兄貴の仇め……」
地べたから見上げるように睨み付けられた侍は、無言のまま浪士の首に刀を突き刺した。
浪士は完全に絶命した。
「……これで良かったのか?」
不意に、どこからともなく声がした。少年のような、あどけない声だ。
侍は血に濡れた刀を見つめ、
「……これで良かったのさ」
刀は、まるでそれに答えるように刀身を鈍く煌めかせる。
人通りの無い真夜中の道に、侍以外の人影は無い。
「良かったのかな、本当に」
まるで刀身が喋っているかのように、刀が何度も輝いた。
「復讐を繰り返さないのは、彼女の信念だろう。そして、人殺しをいとわなかったのは俺の信念によるものだ。俺たちは、互いの信念を貫いたに過ぎない」
刀身から響く声はしばらく黙りこみ、疑問を口にした。
「君の信念ってなに?」
その問いに、侍は平然と返す。
「殺さない人のために、殺すことだよ」
銀色の刀身はけたけた笑って、
「あの子は殺さなかったんじゃない。殺せなかったんだよ。殺す技術も、覚悟も無かった。それだけの話さ」
「……技術があれば、覚悟があれば、殺していた、と?」
「当たり前でしょ。じゃなきゃ、あんな太刀なんて捨ててるよ」
黙りこんだ侍に、銀色の刀身は馬鹿にするような嘲笑を向ける。
「殺さないと殺せないは違うんだからね」
あの子は、殺さないと言えるほど強くない。
刀の言葉は、侍の胸を深く抉る。
返り血がついたままの刃は、満月に照らされて妖しい光を放っている。
ふと月明かりにかざしてみると、点々とついた血痕がまるで桜花のようにも見えて、侍はそっと夜風に刀を振るった。
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