相棒と水鉄砲


 俺がその相棒をもらったのは、スクールにあがるかあがらないかくらいの幼少期だった。
 水色の体に、やたら明るいオレンジのエラ。黒目がちの瞳で、なにが面白いのかいつも楽しそうに笑っている。なにを考えているのかはいまいちわからないけど、好奇心に満ちた無邪気な表情が特徴だ。
 きりっとクールで格好いいキモリや、ふわふわの羽毛を持つ可愛らしいアチャモじゃなくて、どうしてミズゴロウを選んだのかは、自分でもよく覚えていない。
 ポケモンにはそれぞれ個体差があるのが当然で、俺のミズゴロウは残念ながら少し間抜けな個体だった。いわゆるアホの子というやつだ。
 俺が気まぐれに遊んでやろうと頬のヒレをもちもちしたり、前足をふにふにしようものなら、ミズゴロウは喜んで尻尾を振る。その際に感情が高ぶりすぎるのか、こいつはしょっちゅう俺の顔面に水鉄砲をかましてきた。もちろんバトル時の本気モードとは違って、威力のまったくない「お遊び水鉄砲」だけど。
 でもそのたびに俺は前髪からズボンまでびしょ濡れになるものだから、「ばか、水鉄砲すんなって言ってるだろ!」と、わりとガチ目に怒ったりした。しかしこいつは根っからのアホなのか、二、三日もすれば怒られたことなど忘れた顔で再び水鉄砲を浴びせてくる。戯れ程度の水遊びとはいえ、かまってやろうとするたびに濡らされてはたまったものじゃない。
 俺は何度もミズゴロウに「水鉄砲」は控えるように言って、だけどミズゴロウはやっぱり嬉しい気持ちになると、ついつい口から水を飛ばしてしまうようなのだった。

 それは、俺がトレーナーズスクールに入学してから何度目かの冬だった。ミズゴロウが相棒になった日から、もう片手では足りない年数を一緒に過ごしていた。ミズゴロウの「水鉄砲」癖は相変わらずだった。
 同じクラスの友人が連れているワンパチは、嬉しくなると走り回って電気をまき散らす――電気のお漏らしをしてしまうらしい。ワンパチもミズゴロウも、まだ進化前の幼体だからしょうがないのかもしれない。
 ともかく俺のミズゴロウはいまだに「お遊び水鉄砲」をやめられずにいて、そしてその日の俺は、とても疲れていた。クラスの友人と反りが合わなくなったことか、部活が上手くいかなかったことか……原因は、今となっては忘れてしまったくらいどうでもいいことだったけど、当時の俺にはとてつもなくストレスになるようなものだったんだろう。
 俺はスクールから帰宅すると、荷物を床に放置して自室のベッドに倒れ込んだ。常にボールから出しっぱなしにしているミズゴロウは、部屋の中をうろちょろと歩き回って、ベッド脇のクッションに座る。帰宅後の、いつも通りの行動だった。
「……ミズゴロウ」
 俺はベッドに伏したまま、手招きでミズゴロウを呼んだ。顔を見なくても、ミズゴロウの頭のヒレがぴんと立つのが分かった。ついでに、蝶々の羽みたいな尻尾が嬉しげに揺れている気配も。
「ゴロ、ゴロー」
 機嫌良く俺のそばまで来たミズゴロウを抱きしめて、頭部のヒレを手慰みにもてあそぶ。ミズゴロウの頭のヒレは敏感なレーダーになっているので、本人的にはあまり触られたくない場所らしい。ミズゴロウは嫌がるようにしょんぼりして、でもそういうときに水鉄砲を放ってくることは一度もなかった。
 ひんやりとしているミズゴロウの背中をそっと撫でる。つるつる、もちもちした肌触りは、ゴムみたいに弾力性があって気持ちいい。
 そのまま頬のヒレに触れると、ミズゴロウは遊んでもらえることに喜んで水鉄砲を飛ばしてくる――そう思っていた。少なくとも長年の付き合いで、俺はこいつのお遊び水鉄砲にすっかり慣れきっていた。
 けれどもその日に限って、ミズゴロウは口から水を飛ばすことなく、ただ困ったように俺を見ていた。寒い冬の日だからか、濡れたらいけないベッドの上だからか。いや、何度言ってもけろりとして繰り返してきたこいつが、いまさらそのあたりの事情に配慮できるはずがない。
 俺は少々失礼な(しかし事実でもある)ことを思いながら、ベッドにもたれてミズゴロウの頬を軽く揉んだ。
「ほら、遊んでやるぞ?」
 冗談めかして笑いかけてみるけど、ミズゴロウはなおも心配そうに俺をじっと見つめている。とても水鉄砲なんか飛ばしてくれる雰囲気ではない。その顔に、思わず笑いがこぼれてしまう。
「……なんで、こういうときに限ってさぁ」
 言葉をきっかけに、俺の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。ミズゴロウは不安げにこっちを見上げていた。まったく、普段はあれだけ人のことをびしょびしょにするくせに。こういうときは空気が読めるというか、空気が読めないというか。
 泣き顔なんか、相棒のこいつにだって見せたくはなかったのに……水鉄砲で顔を濡らして、隠してほしいときに限って、ミズゴロウは俺の涙に戸惑った様子でこっちを見つめていた。
 小さなときから変わらない、黒目がちの大きくてつぶらな瞳に、情けない俺の泣き顔が映っている。それを見ているうち、嬉しいんだか悲しいんだか自分でもわからなくなって、俺はミズゴロウを抱きしめながら静かに泣いた。

 それからまた何年もの月日が流れて、俺は立派な大人になっていた。ミズゴロウも俺の成長に合わせるように進化して、いまでは立派な体格のラグラージになっている。見た目はどっしりと落ち着きのある風格を醸し出し、「お遊び水鉄砲」の癖も、いつのまにか止まっていた。
 もう両腕で抱えあげることができないほどたくましく成長した姿に、だけど俺は、ときどき小さかったミズゴロウの面影を見ることがある。それは俺が落ち込んでいるときにそっと寄り添ってくれるひんやりとした体温で、心配したときにこっちを見つめる眼差しがふるふると揺れているのも一緒だ。
 さすがに俺も泣いたりしない年にはなったけど、それでもあのときと変わらないこいつの姿を見ていると、たまには泣いてもいいのかななんて思わされる。でもやっぱり泣き顔を見られるのは恥ずかしいから、こいつに遠慮なく水鉄砲をかまされたいとまで思ってしまうのは、ちょっとわがまますぎるだろうか。
1/1ページ