カイさん、主夫をお休みします(後編)
調理室から延びる秘密の通路を使い、カイは三階に避難していた。
扉に鍵をかけなかったので、もしも調理室に入られたら自分がいないことを不審に思われるだろう。だが、いまはそれさえどうでもいいと感じるほどには心身が疲弊している。
調理室のダクトを通った先はシンプルな一室で、そこから廊下を少し行くと、大量の機械で整備されたモニタールームがあった。複数のモニターを前にパソコンを広げ、彼は避難先でもこまごまとした作業をしていた。
隣では笑い人形のホエミーが仁王立ちして、経費削減のためにあれやこれやと高圧的に指示を飛ばしてくる。しかも、指示の大半はカイの手にも負えない無茶振りだった。洗濯機の故障を報告してからすこぶる機嫌が悪い。
「ただでさえ予算が少ないんだから、洗濯物ぐらい手洗いでどうにかしろ!」
「十数人分の洗濯物ですから、手洗いから干すまでを一人でやるのはけっこうな負担なんですよ。……ああ、洗濯物を大浴場に置きっ放しにしてきてしまいました」
パソコン画面で収支の帳尻を合わせるべく作業するカイに、ホエミーとは反対側に立っている着せ替え人形が口元に当てたパネル越しに問いかける。
「他の連中に押し付けるって発想は?」
カイは食費を削るか掃除用の備品を削るかでひどく悩みながら答えた。
「私は、彼らにとっては敵のようなものですから。もちろん彼らを裏切るつもりはありませんが、私にもこの組織に属していたという責任はありますし」
「罪悪感ってやつ? めんどくせーなー」
ノエルは心底理解しがたいという風に言って、さらにその脇で作業を見ていた涙人形のハンナキーが、パソコンの画面に「あっ」と声を上げる。
「あの、ここの数字はたぶん入力ミスだと思いますぅ……」
ハンナキーの指先で示された数値を確認し、カイは無言でミスを直していく。すると必然的に他の数字もずれることになり、処理にはそこそこの手間がかかった。
「やっぱり、みなさんのことが気になりますか?」
おどおどと、しかし的確に核心を突いてくるハンナキーの言葉に、カイは否定も肯定もせず目を伏せた。タイピングをする手が止まり、ノエルが「図星かー?」と小首を傾げる。
「……私はこんなに大人げなかったでしょうか」
淡々とした口調ながら、カイの声は湿っぽく揺れていた。それを受けて、ノエルは顔色ひとつ変えずに追撃する。
「オメー、けっこうガキくさいよな」
容赦のない一言を放たれ、ますますカイの顔色が悪くなる。
ホエミーは呆れた声で言った。
「そんなに家族ごっこが楽しかったんですか?」
お母さん、といやらしく口の端を吊り上げた彼女へ、カイは黙ったままじろりと圧をかけた。
「まったく、プライバシーも何もありませんね」
悪趣味なことです、と苦々しげに眉を寄せるカイの隣で、ハンナキーがモニターと連動している機械を操作した。いくつもの配線から一本を選んでモニターへと繋げる。すると監視システムが作動して、数台のモニター画面それぞれに、各所の様子がリアルタイムで映し出されていった。モニターに映っているのは、すべて一階フロアの映像だった。
どうやら一階の参加者たちは、カイがいなくなった状況でも能動的に動いているようだった。よく見ると彼らは数人ずつで班に分かれ、掃除や洗濯に精を出しているらしい。
「カイさんがいなくなってから、みんなで家事を分担しているみたいですね」
ハンナキーが微笑ましいものを見る目で笑う。
「なんだかんだで慕われているじゃないですか」
しかし、画面を目にしたカイは気落ちした声で呟いた。
「……私は、もう用済みということでしょうか」
「な、なんでそうなるんですかぁ!」
虚ろな表情になったカイと、予想外の反応に絶叫するハンナキー。
ホエミーが「いいからさっさと帳簿を整理しろーっ!」とモニターを叩き、ノエルは興味を失ったように監視カメラの映像をいじって遊んでいる。
騒々しい三階の一室から遠く離れた一階フロアで、参加者たちは忙しない様子で一生懸命に家事を片付けていた。
カイが出て行った直後の食堂に現れたのは、サラたちの見知らぬ人間たちだった。年齢の幅は十代から高く見積もっても三十代頃だろうか。性別や服装がばらばらの、統一感のない集団。ただし人数はサラたちの半分ほどで、男性と女性がちょうど三人ずつ連れ立って並んでいる。
すわ誘拐犯側の人間かと身を固くしたサラだったが、よく見ると彼らも首に揃いの首輪をつけていることに気付いた。自分たちをここに閉じ込めた人形いわく、命を簡単に奪える程度の殺傷能力のある首輪だ。サラたちの付けられているものとまったく同じデザインで、察するに機能や役目も同一のものだろう。
つまり、彼らも自分たちと同じく、この閉鎖空間に連れてこられた被害者なのか――?
動揺の中で冷静に相手を分析しようとするサラに、ケイジがゆったりと前へ出た。彼は普段通り緊張感の薄い微笑をたたえながら、集団の先頭に立つ青い髪の男に尋ねた。
「えーと……どちらさま?」
覇気のない調子ではあるが、警戒を隠そうともしない声音に青髪の男が片眉を動かす。一触即発の空気に、しかしのんびりとした明るい声が割って入った。
「えっとねー、詳しいことは現在単行本で発売中の公式コミック『きみよん! ~誰も死なないキミガシネ~』で確認して! 私たちの出番ないけど!」
可愛らしくもやけに露出の激しい服装の女性が、場にそぐわない笑顔で一冊の本を出す。
「いや、出てないなら意味ないっスよね?」
ジョーのツッコミに、可愛らしい衣装の女性――鶴城舞は「っていうかこれ私たちの登場チャンスあるのかなぁ……続刊とても期待してるんだけど」とマイペースに本をめくる。
ひときわ背の低い女子が、青い髪の男性、車田直道を押しのけるようにして集団から一歩踏み出した。気だるげな面持ちでポケットに手を入れて、きょろきょろと周囲を見回している。
「私たちは朝食をとりに来ただけ……あの人、今日はいないの?」
「あの人って……カイさんのことですか?」
不思議そうに聞き返したカンナに、少女――御宿雛子は「そんな名前だったかもね」とそっけなく答える。
「カイのやつ、こいつらの分まで家事をしてたぜよ……?」
呆れとも感嘆ともつかない言葉を漏らしたQタロウに、マイが「わ、私は調理とかお洗濯のお手伝いもしてたよ!」と胸を張った。
「っていうか、クルマダさんたち、公式の『きみよん』には出てないんだよね? 小説は人物が増えるとややこしくなるし、登場は控えてほしいんだけど」
にこりと穏やかに笑うソウだが、奇妙な衣装をまとった少女がどこか得意げな顔で反論する。
「残念、鬚〇先生のツイッター漫画に出たことはあるんだから!」
まるで道化師のような服に身を包んだ少女、木梨杏子の言葉にマイが横槍を入れる。
「一コマだけ、だけどねー」
「マイちゃんどっちの味方!?」
大袈裟に眉を下げるアンズ。それを横目に、綿菓子のような頭髪の学ラン少年もヒナコ同様に辺りを見渡した。
「なんだよ、朝食がねーならドリンクバーでも……あれは四階だったか」
自由気ままな行動をとる集団に、サラが代表してこれまでの経緯を説明する。
学ラン少年――影山蘭丸たちもやはりサラたちと同じ『参加者』だとわかり、ついでに彼らもカイに朝食などの世話を焼いてもらっていたのだと判明して、サラはカイの心労を思うと胃が痛くなる気さえした。さすがに彼ら以外の人間の世話まではしていないだろうが、現時点で判明しているだけでもかなりの大所帯だ。
カイがいなくなったとの事情を聞いた、サラリーマン風の男性――早坂俊介も、カイに同情の念を禁じ得ないと言いたげに顔を曇らせた。
「彼は家事のほとんどを負担していたみたいだったからね……私たちは、少し甘えすぎていたのかもしれない」
「む……貴様は〇鬼先生の漫画にすら登場していないだろう」
アリスが渋面で言い、ハヤサカは遠い目をして「いまさら私ひとり増えたところで変わらないんじゃないかな」と自虐的に口角を上げる。腕組みをして立つレコが「っていうか、伏字の意味なくなってるじゃねぇか」とアリスの肩を小突いた。
話が大幅に脱線したところで、サラは軌道修正を兼ねておもむろに咳払いをする。
「と、ともかく。カイさんを怒らせてしまったお詫びというか、日頃から迷惑をかけてしまってるので、なにか私たちにできることはないかと思ったんですが……」
「そもそも、ロン毛エプロンがいなくなったら誰がご飯作るニャン?」
心細そうにニャーちゃんクッションを抱きしめるギン。サラはジョーと顔を見合わせ、「私たちは、家庭科の調理実習くらいなら……」と言葉を濁す。
「それは私に任せて! 普段はパン屋さんしてるから、調理は得意だよ」
頼もしく立候補したマイに、アンズも「洗濯とか、簡単な家事ならたぶんいけるかな」と手伝いを申し出る。クルマダは短く舌打ちして、「……面倒なことになったな」と素直すぎる本音をこぼしたが、がしがしと頭を掻きつつ「力仕事ならやってやるよ」と協力的な姿勢を見せた。
予想外の展開ではあるものの、みんなで力を合わせればなんとかなりそうだと希望を見出したサラたちは、ひとまず朝食の準備に取り掛かることにした。マイを筆頭に料理が不得手ではない者たちが率先して調理室へと入る。やはりカイの姿は影も形も見当たらなかったが、育ち盛りの面々は空腹で我慢の限界だったらしい。「ボクも手伝うニャン!」ギンはやる気満々でマントをひるがえし、ニャーちゃんクッションを台に置いて無意味に半袖をたくし上げる。
朝食は、補充されている材料と手軽さからホットケーキに決定した。
「なんか力の出なさそうな飯だな」
またもストレートな物言いをしたクルマダの意見は、一時的に料理長となったマイの「文句があるなら自分で用意してねー」という一声で封殺される。
食堂のテーブルを埋める十余人分の朝食が完成すると、一同は食事をとりながら中央のテーブルに声を集めるようにしてこれからについての話し合いを始めた。
「で、これからどうするんだ?」
全員の心を代弁したランマルの問いに、サラがイチゴジャムの瓶を開けながら答える。「とりあえず、カイさんがどこに行ったのか心配だな……それと、カイさんがやってくれていた家事も、自分たちでやらなければいけないだろう」
「では、誰がなにをやるか決めるのが先決かな」
ハヤサカがコーヒーを片手に話題を振り、ソウは「家事はちょっと自信ないな……ボクは、いつも通り脱出経路とかこの施設を調べる方に回るよ」と先手を打った。
彼の言葉を皮切りに、テーブル上で各々が自分の得意なことを申告する。
「オレは体力はあるからよ。家事より探索に行った方がいいか?」
「洗濯とか掃除って意外と体力使いますから、そっちに回ってもらってもいいかもしれません。私は……ううん、得意なこととなると、私も家事に回るべきでしょうか」
Qタロウとナオが口々に発言し、ジョーが「なんかメモ用紙とかねぇかな。紙に書いた方が分かりやすいだろ」と手を挙げた。少し考えて、サラは酒場にあった黒板を使うことを提案した。
意見に反対する者もおらず、朝食を終えた一行は酒場へと移動する。食後の片付けは、食事を準備する担当の者が片付けまで行うことにして、調理室の流し場に放置しておく。
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