バレンタインの話
いちだんと冷え込む冬の朝。
朝食をとるために一階フロアへ降りたケイジは、いつもより人数の少ない食堂を見て小さく首を傾げた。食堂内のテーブルは、まばらながら一目見てわかるほどの空席ができている。
ひい、ふう、みい……目だけを動かして確認すると、ケイジ自身を除いて六人しか集まっていない。朝食の用意をするカイの姿がないのは通常運転だが、それでも約半分の人間がいないということだ。
大人しくテーブルに着いている最年少、ギンに「おはよう」と声をかけると、ギンは愛用のぬいぐるみを抱きしめたまま「おそよう、ニャン」と可愛げのない挨拶を返した。
「なんだか、人数が少ないような……女の子たちはどこに行ったのかな」
改めて食堂を見渡し、その場には男性だけが集まっているのだと気づいたケイジの問いに、「女子は全員あっちぜよ」とQタロウが腕組みしたままで調理室を指した。その親指を追って視線を向けると、調理室の扉には『男子禁制』の貼り紙がされている。丁寧なことに、調理室と食堂を隔てる透明な窓にはカーテンまで引かれていた。
「……おまわりさんたち、毒でも盛られるのかなー」
「笑えない冗談だな」
アリスが言い、ケイジはカーテンの隙間から様子をうかがえないかと窓に顔を寄せる。だが、やがて調理室内にいるサラがケイジの視線を察知して「ダメですよ」のジェスチャーをした。
それでもなにをしているのか見ようと粘るケイジに、サラの向かいから現れたカイが無言でカーテンの端をぴしゃりと閉じてしまう。内側にテープかなにかを貼ったらしく、カーテンの隙間は一分もなくなってしまった。
「あれ、男子禁制じゃ……」
当然のように調理室内にいたカイをいぶかしむケイジに、ジョーが笑って口を開いた。
「カイさんは、たぶんサラたちの手伝いをしてるんじゃないっスかね」
「手伝い?」
ますますなにをしているのかと不可解な面持ちになっていると、ケイジよりさらに遅れてソウが食堂に入ってきた。彼もケイジ同様に普段通りの朝だと思っていたようで、食堂内の人数の少なさと調理室に引かれているカーテンを見てわずかに眉を寄せる。
「? ……なにかあったの?」
マフラーで口元を隠し、周囲を警戒するソウに、ミシマがジョーと同じ笑顔でヒントを出す。
「さて、今日は何の日でしたかねぇ」
「何の日……? 何の日も何も、閉じ込められすぎて日付の感覚なんか薄れちゃったよ」
やや憮然とした表情で答えるソウの隣、ケイジも首を捻って今日の日付を頭に浮かべた。彼らがこの怪しげな施設に連れてこられてから数日、数週間……計算が合っていれば、二月の半ば頃になるだろうか。その辺りにある特別な日付を考えて、とりあえず思いついたものを口にする。
「建国記念日?」
「……国も法も、ないに等しい状況ですがね」
いつのまにか調理室から現れたカイが、淡々とブラックジョークを放つ。赤いエプロンに調理器具を携えているのは彼の常だが、いまは心なしか甘い匂いを漂わせていた。
カイは食堂内の面々を見回し、無表情のままお玉を口元に当てる。銀色のお玉は、食堂の照明を反射してきらりと光った。
「さて。今日が何の日か当てた方には、女性陣のみなさんから素敵なプレゼントがありますよ」
「はい! はいはい!」
すぐさまジョーが威勢よく挙手し、彼はカイの耳に口を寄せる。何の意味があるのか、カイはお玉で自分の耳とジョーの口元を隠した。
そのままジョーが何事かをささやくと、カイはふっと微笑んで「……正解です」と調理室の扉を開ける。どうやら正解すれば調理室内に入れてもらえるようだ。
続いてギンもカイに答えを耳打ちし、ストレートで調理室へと入っていった。さらにミシマまでもがギンの後へ続き、やや間を置いてアリスとQタロウもカイの問いかけを突破していく。
「あなた方が答えられるとは意外でした」
悪気のない顔つきで二人を見るカイに、Qタロウもアリスもどこか得意げな調子で笑う。
「そりゃどういう意味ぜよ。……まあなんじゃ、毎年もらわんこともないきに」
「ふん。バンド活動をしていた頃は、オレだってそれなりにな」
言って、「おまんらも頑張るぜよ」と調理室に消えていったQタロウたちを見送り、残されたのはケイジとソウの二人だけになった。とんと見当もつかないと言いたげに頭を掻くケイジの隣で、ソウもニット帽を掴んで必死に頭脳を回転させている。それでもなかなか正解まで辿り着けなさそうな二人に、カイがお玉をくるくると回しながら独り言のように呟いた。
「まあ、Qタロウさんもアリスさんも、プロ野球選手やバンドマンという肩書きですからね。義理も本命もそれなりにいただいていそうです」
「……?」
唐突に語り始めたカイに、ソウが怪訝な眼差しを送る。それをさして気にするでもなく、カイは虚空を眺めながら先を続けた。
「ギンくんは、小学生ですがお母さんからいただいたりしているのでしょうか。ジョーくんは高校生ですし、友人間でのやりとりも多そうです。たしか、彼には本命の彼女がいらっしゃるのだとか……ミシマさんは、彼の性格と教職員という立場上、もらうというよりも生徒の目こぼしをする方が大変そうですね」
言いつつ手遊びのようにお玉を回すカイ。その回転をぴたりと止めて、彼はケイジとソウに「まだわかりませんか?」と挑発じみた目を向ける。よく見ると、お玉は焦げ茶色をした液体でほんの少し濡れていた。カイのまとう甘い匂いは、そこからきていたものらしい。
そこまでヒントを得て、二人はほとんど同時に質問の正解を予想した。
「……なるほどねー。おまわりさんも、まるっきり縁がないわけじゃなかったけどさ」
ケイジが苦笑いと共に言い、ソウも答えを確信して苦笑する。回答は二人の中で一致しているようなので、カイは「まとめてどうぞ」と促した。ケイジとソウは、互いに目配せしながら声を揃えて答えを述べる。
『今日は二月十四日……バレンタイン、だね』
綺麗に声を合わせて答えた二人へ、カイが「正解です」と満足そうに頷いて調理室の扉を開ける。途端に、淡く甘やかな香りが広がった。
調理室のテーブルには、作られたばかりと思われるチョコレート菓子がいくつも並べられていた。大皿には余裕で一食分になりそうなホールケーキが鎮座し、周りの小皿や箱に個性豊かなチョコが大量に飾られている。
「あっ、やっと来たニャン」
器用なことにマスクを付けたままチョコを食べているギンの手元には、猫の形を模したオレンジ色のチョコレートがあった。反対の手にはワニをかたどったチョコレートがのせられて、彼は「もったいなくて食べられないニャン……!」と葛藤で目をつむっている。
隣には、ギンと同じポーズで「右に同じ……!」と眉を寄せるジョーの姿もあった。彼の手には、胸のポケットに収まる犬と同じ形のチョコがのっている。凝ったデザインで、犬は小さな骨をくわえる格好をしていた。
テーブルの横で、レコがいくつかのチョコレートをより分けていた。彼女はケイジとソウを見て、「こっちの縞模様のはアルコール入りだからなー」と教えてくれる。
「む、シマシマは渡さんぞ……」
威嚇するアリスの反対側で、ナオはミシマに向かって皿ごとチョコレートを渡している。美大生の彼女らしくデザイン性に富んだチョコレートに、受け取ったミシマも嬉しそうに頬をほころばせた。
「先生のトレードマークをイメージして作りました!」
誇らしげな教え子に目を細め、ミシマは礼を言いながらチョコをひとつずつ丁寧に鑑賞した。
「これは丸眼鏡ですね。細かいところまでよく作りこまれています。こっちは……絵筆、でしょうか」
長さのある、しかし筆というには少し太い感じのするチョコを摘み、さまざまな角度から観察するミシマ。ナオは無邪気な笑みで「それは葉巻です!」と元気に答えて、「な、なぜコレを……!?」とミシマの狼狽する声が響いた。
「しかし、朝飯の前に菓子を食うのは変な感じぜよ……」
言いつつ、Qタロウも遠慮なしにテーブル上のチョコレートを次々と口へ放り込んでいる。彼が食べているのは野球ボール柄の紙で包まれた一口チョコで、中にはナッツが仕込まれているらしかった。
「それにしても、よくこんなに作ったよね……」
室内のそこかしこから漂う甘ったるい匂いに、ソウは呆れと感嘆の入り混じった声を漏らす。と、そんな彼のそばに歩み寄ったカンナが、気恥ずかしそうに一枚の板チョコのようなものを見せた。大きさは手のひらにおさまるほどで、板チョコよりもガムに近いサイズ感をしている。細長いチョコレートの表面には丸い柄が刻まれていた。
「……ドット模様の一反木綿?」
指先でつまみ、そっけなく尋ねたソウに、カンナは「ソウさんのマフラーですっ!」と頬を膨らませる。
「あはは、冗談だって」
くすくすと笑うソウの耳が赤くなっていることを指摘しようとして、ケイジは肩を叩かれた感触で振り向いた。見ると、そこには数種類のチョコレートをトレーに並べたサラが、少しだけ眉を下げた表情で微笑んでいた。
「ケイジさんのチョコレートも、好きなものとかケイジさんらしいものを作ろうと思ったんですけど……なかなか思いつかなくて」
すみません、と律儀に謝罪する彼女に、「この方は、警察官という情報しかありませんからね」とカイがフォローのような言葉を告げている。ケイジは出されたチョコレートのひとつを手に取り、シンプルな球体のそれを口に入れて飴玉のように転がした。歯を立てて噛み砕くと、軽いチョコレートの中からとろりとしたなにかが溢れだす。鼻に抜ける香りからブランデーの類だと推察して、ケイジの口角が無意識に緩んだ。
「ん、美味しいよ。サラちゃんは、いいお嫁さんになりそうだねー」
「……言っておきますが、それを作ったのは私です」
サラを庇うように一歩踏み出したカイが、まるで親の敵でも見る目付きになっているのは気のせいだろうか。
カイの背からほとばしる殺気を見て見ぬふりしながら、ケイジはもうひとつチョコを食べて一息ついた。十二人の参加者が全員集合した調理室内は、チョコレートの甘い匂いもあって和気藹々とした雰囲気になっている。
もとはまったく面識のない者がほとんどとは思えない、ましてや密室に軟禁されているとは思いがたいほのぼのとした空気に、ケイジはそれなりの緊張状態を保っていた心がわずかながらにリラックスするのを感じた。どんな理由でこの場所へ閉じ込められたのかわからない現状ではあるが、少なくともこの場にいるみんなは敵ではない。ならば、自分の立場をもう少し明かしてみるべきなのか……一瞬だけ心に迷いが生じ、けれどもやはりそれは駄目だと、もう一人の自分がブレーキをかける。信用と信頼のバランスは難しく、一歩間違えれば縮まった距離が離れてしまうことにもなりかねない。
だが……ケイジはもうひとつチョコを手に取り、口内で柔らかく噛み砕く。ふわりと鼻に抜けるアルコールの香りは、芳醇だが不思議と清涼感のある優しい匂いをしていた。
「……おまわりさんも、もう少し肩の力を抜いたほうがいいのかなー」
ぽそりと呟いた言葉をサラが聞き返そうとした瞬間、調理室の扉が大きく開いた。音に驚いた一同の視線が集まり、扉の前には笑い人形を自称する誘拐犯側の人形――ホエミーが、腰に手を当てて仁王立ちしている。
「貴様ら、緊張感というものがないのか!」
「あ、ホエミーもチョコ食べるニャン?」
額に青筋を立てて怒るホエミーだが、チョコを手に首を傾げたギンに続いて「ホエミーさん、この状況で見ると……なんだかとても美味しそうです」と目を輝かせるカンナを見て、動揺した様子で一歩後退した。
「ちょ、ちょっと待て、この服は本物のチョコレートじゃな――」
軟禁生活のストレス発散も兼ねてか、揃ってホエミーに襲い掛かる一同。ホエミーの悲鳴が徐々に小さくなっていき、輪の外で傍観に徹していたサラたちは呆気に取られて彼女たちを見つめた。間を置いて、ケイジがふっと声を出さずに笑う。
「……まあ、ここは随分と平和な世界線みたいだし。焦らなくても大丈夫かな」
呟きは誰の耳に届くこともなく消えて、ケイジは己の口に蓋をするように再びチョコレートへ手を伸ばすのだった。
朝食をとるために一階フロアへ降りたケイジは、いつもより人数の少ない食堂を見て小さく首を傾げた。食堂内のテーブルは、まばらながら一目見てわかるほどの空席ができている。
ひい、ふう、みい……目だけを動かして確認すると、ケイジ自身を除いて六人しか集まっていない。朝食の用意をするカイの姿がないのは通常運転だが、それでも約半分の人間がいないということだ。
大人しくテーブルに着いている最年少、ギンに「おはよう」と声をかけると、ギンは愛用のぬいぐるみを抱きしめたまま「おそよう、ニャン」と可愛げのない挨拶を返した。
「なんだか、人数が少ないような……女の子たちはどこに行ったのかな」
改めて食堂を見渡し、その場には男性だけが集まっているのだと気づいたケイジの問いに、「女子は全員あっちぜよ」とQタロウが腕組みしたままで調理室を指した。その親指を追って視線を向けると、調理室の扉には『男子禁制』の貼り紙がされている。丁寧なことに、調理室と食堂を隔てる透明な窓にはカーテンまで引かれていた。
「……おまわりさんたち、毒でも盛られるのかなー」
「笑えない冗談だな」
アリスが言い、ケイジはカーテンの隙間から様子をうかがえないかと窓に顔を寄せる。だが、やがて調理室内にいるサラがケイジの視線を察知して「ダメですよ」のジェスチャーをした。
それでもなにをしているのか見ようと粘るケイジに、サラの向かいから現れたカイが無言でカーテンの端をぴしゃりと閉じてしまう。内側にテープかなにかを貼ったらしく、カーテンの隙間は一分もなくなってしまった。
「あれ、男子禁制じゃ……」
当然のように調理室内にいたカイをいぶかしむケイジに、ジョーが笑って口を開いた。
「カイさんは、たぶんサラたちの手伝いをしてるんじゃないっスかね」
「手伝い?」
ますますなにをしているのかと不可解な面持ちになっていると、ケイジよりさらに遅れてソウが食堂に入ってきた。彼もケイジ同様に普段通りの朝だと思っていたようで、食堂内の人数の少なさと調理室に引かれているカーテンを見てわずかに眉を寄せる。
「? ……なにかあったの?」
マフラーで口元を隠し、周囲を警戒するソウに、ミシマがジョーと同じ笑顔でヒントを出す。
「さて、今日は何の日でしたかねぇ」
「何の日……? 何の日も何も、閉じ込められすぎて日付の感覚なんか薄れちゃったよ」
やや憮然とした表情で答えるソウの隣、ケイジも首を捻って今日の日付を頭に浮かべた。彼らがこの怪しげな施設に連れてこられてから数日、数週間……計算が合っていれば、二月の半ば頃になるだろうか。その辺りにある特別な日付を考えて、とりあえず思いついたものを口にする。
「建国記念日?」
「……国も法も、ないに等しい状況ですがね」
いつのまにか調理室から現れたカイが、淡々とブラックジョークを放つ。赤いエプロンに調理器具を携えているのは彼の常だが、いまは心なしか甘い匂いを漂わせていた。
カイは食堂内の面々を見回し、無表情のままお玉を口元に当てる。銀色のお玉は、食堂の照明を反射してきらりと光った。
「さて。今日が何の日か当てた方には、女性陣のみなさんから素敵なプレゼントがありますよ」
「はい! はいはい!」
すぐさまジョーが威勢よく挙手し、彼はカイの耳に口を寄せる。何の意味があるのか、カイはお玉で自分の耳とジョーの口元を隠した。
そのままジョーが何事かをささやくと、カイはふっと微笑んで「……正解です」と調理室の扉を開ける。どうやら正解すれば調理室内に入れてもらえるようだ。
続いてギンもカイに答えを耳打ちし、ストレートで調理室へと入っていった。さらにミシマまでもがギンの後へ続き、やや間を置いてアリスとQタロウもカイの問いかけを突破していく。
「あなた方が答えられるとは意外でした」
悪気のない顔つきで二人を見るカイに、Qタロウもアリスもどこか得意げな調子で笑う。
「そりゃどういう意味ぜよ。……まあなんじゃ、毎年もらわんこともないきに」
「ふん。バンド活動をしていた頃は、オレだってそれなりにな」
言って、「おまんらも頑張るぜよ」と調理室に消えていったQタロウたちを見送り、残されたのはケイジとソウの二人だけになった。とんと見当もつかないと言いたげに頭を掻くケイジの隣で、ソウもニット帽を掴んで必死に頭脳を回転させている。それでもなかなか正解まで辿り着けなさそうな二人に、カイがお玉をくるくると回しながら独り言のように呟いた。
「まあ、Qタロウさんもアリスさんも、プロ野球選手やバンドマンという肩書きですからね。義理も本命もそれなりにいただいていそうです」
「……?」
唐突に語り始めたカイに、ソウが怪訝な眼差しを送る。それをさして気にするでもなく、カイは虚空を眺めながら先を続けた。
「ギンくんは、小学生ですがお母さんからいただいたりしているのでしょうか。ジョーくんは高校生ですし、友人間でのやりとりも多そうです。たしか、彼には本命の彼女がいらっしゃるのだとか……ミシマさんは、彼の性格と教職員という立場上、もらうというよりも生徒の目こぼしをする方が大変そうですね」
言いつつ手遊びのようにお玉を回すカイ。その回転をぴたりと止めて、彼はケイジとソウに「まだわかりませんか?」と挑発じみた目を向ける。よく見ると、お玉は焦げ茶色をした液体でほんの少し濡れていた。カイのまとう甘い匂いは、そこからきていたものらしい。
そこまでヒントを得て、二人はほとんど同時に質問の正解を予想した。
「……なるほどねー。おまわりさんも、まるっきり縁がないわけじゃなかったけどさ」
ケイジが苦笑いと共に言い、ソウも答えを確信して苦笑する。回答は二人の中で一致しているようなので、カイは「まとめてどうぞ」と促した。ケイジとソウは、互いに目配せしながら声を揃えて答えを述べる。
『今日は二月十四日……バレンタイン、だね』
綺麗に声を合わせて答えた二人へ、カイが「正解です」と満足そうに頷いて調理室の扉を開ける。途端に、淡く甘やかな香りが広がった。
調理室のテーブルには、作られたばかりと思われるチョコレート菓子がいくつも並べられていた。大皿には余裕で一食分になりそうなホールケーキが鎮座し、周りの小皿や箱に個性豊かなチョコが大量に飾られている。
「あっ、やっと来たニャン」
器用なことにマスクを付けたままチョコを食べているギンの手元には、猫の形を模したオレンジ色のチョコレートがあった。反対の手にはワニをかたどったチョコレートがのせられて、彼は「もったいなくて食べられないニャン……!」と葛藤で目をつむっている。
隣には、ギンと同じポーズで「右に同じ……!」と眉を寄せるジョーの姿もあった。彼の手には、胸のポケットに収まる犬と同じ形のチョコがのっている。凝ったデザインで、犬は小さな骨をくわえる格好をしていた。
テーブルの横で、レコがいくつかのチョコレートをより分けていた。彼女はケイジとソウを見て、「こっちの縞模様のはアルコール入りだからなー」と教えてくれる。
「む、シマシマは渡さんぞ……」
威嚇するアリスの反対側で、ナオはミシマに向かって皿ごとチョコレートを渡している。美大生の彼女らしくデザイン性に富んだチョコレートに、受け取ったミシマも嬉しそうに頬をほころばせた。
「先生のトレードマークをイメージして作りました!」
誇らしげな教え子に目を細め、ミシマは礼を言いながらチョコをひとつずつ丁寧に鑑賞した。
「これは丸眼鏡ですね。細かいところまでよく作りこまれています。こっちは……絵筆、でしょうか」
長さのある、しかし筆というには少し太い感じのするチョコを摘み、さまざまな角度から観察するミシマ。ナオは無邪気な笑みで「それは葉巻です!」と元気に答えて、「な、なぜコレを……!?」とミシマの狼狽する声が響いた。
「しかし、朝飯の前に菓子を食うのは変な感じぜよ……」
言いつつ、Qタロウも遠慮なしにテーブル上のチョコレートを次々と口へ放り込んでいる。彼が食べているのは野球ボール柄の紙で包まれた一口チョコで、中にはナッツが仕込まれているらしかった。
「それにしても、よくこんなに作ったよね……」
室内のそこかしこから漂う甘ったるい匂いに、ソウは呆れと感嘆の入り混じった声を漏らす。と、そんな彼のそばに歩み寄ったカンナが、気恥ずかしそうに一枚の板チョコのようなものを見せた。大きさは手のひらにおさまるほどで、板チョコよりもガムに近いサイズ感をしている。細長いチョコレートの表面には丸い柄が刻まれていた。
「……ドット模様の一反木綿?」
指先でつまみ、そっけなく尋ねたソウに、カンナは「ソウさんのマフラーですっ!」と頬を膨らませる。
「あはは、冗談だって」
くすくすと笑うソウの耳が赤くなっていることを指摘しようとして、ケイジは肩を叩かれた感触で振り向いた。見ると、そこには数種類のチョコレートをトレーに並べたサラが、少しだけ眉を下げた表情で微笑んでいた。
「ケイジさんのチョコレートも、好きなものとかケイジさんらしいものを作ろうと思ったんですけど……なかなか思いつかなくて」
すみません、と律儀に謝罪する彼女に、「この方は、警察官という情報しかありませんからね」とカイがフォローのような言葉を告げている。ケイジは出されたチョコレートのひとつを手に取り、シンプルな球体のそれを口に入れて飴玉のように転がした。歯を立てて噛み砕くと、軽いチョコレートの中からとろりとしたなにかが溢れだす。鼻に抜ける香りからブランデーの類だと推察して、ケイジの口角が無意識に緩んだ。
「ん、美味しいよ。サラちゃんは、いいお嫁さんになりそうだねー」
「……言っておきますが、それを作ったのは私です」
サラを庇うように一歩踏み出したカイが、まるで親の敵でも見る目付きになっているのは気のせいだろうか。
カイの背からほとばしる殺気を見て見ぬふりしながら、ケイジはもうひとつチョコを食べて一息ついた。十二人の参加者が全員集合した調理室内は、チョコレートの甘い匂いもあって和気藹々とした雰囲気になっている。
もとはまったく面識のない者がほとんどとは思えない、ましてや密室に軟禁されているとは思いがたいほのぼのとした空気に、ケイジはそれなりの緊張状態を保っていた心がわずかながらにリラックスするのを感じた。どんな理由でこの場所へ閉じ込められたのかわからない現状ではあるが、少なくともこの場にいるみんなは敵ではない。ならば、自分の立場をもう少し明かしてみるべきなのか……一瞬だけ心に迷いが生じ、けれどもやはりそれは駄目だと、もう一人の自分がブレーキをかける。信用と信頼のバランスは難しく、一歩間違えれば縮まった距離が離れてしまうことにもなりかねない。
だが……ケイジはもうひとつチョコを手に取り、口内で柔らかく噛み砕く。ふわりと鼻に抜けるアルコールの香りは、芳醇だが不思議と清涼感のある優しい匂いをしていた。
「……おまわりさんも、もう少し肩の力を抜いたほうがいいのかなー」
ぽそりと呟いた言葉をサラが聞き返そうとした瞬間、調理室の扉が大きく開いた。音に驚いた一同の視線が集まり、扉の前には笑い人形を自称する誘拐犯側の人形――ホエミーが、腰に手を当てて仁王立ちしている。
「貴様ら、緊張感というものがないのか!」
「あ、ホエミーもチョコ食べるニャン?」
額に青筋を立てて怒るホエミーだが、チョコを手に首を傾げたギンに続いて「ホエミーさん、この状況で見ると……なんだかとても美味しそうです」と目を輝かせるカンナを見て、動揺した様子で一歩後退した。
「ちょ、ちょっと待て、この服は本物のチョコレートじゃな――」
軟禁生活のストレス発散も兼ねてか、揃ってホエミーに襲い掛かる一同。ホエミーの悲鳴が徐々に小さくなっていき、輪の外で傍観に徹していたサラたちは呆気に取られて彼女たちを見つめた。間を置いて、ケイジがふっと声を出さずに笑う。
「……まあ、ここは随分と平和な世界線みたいだし。焦らなくても大丈夫かな」
呟きは誰の耳に届くこともなく消えて、ケイジは己の口に蓋をするように再びチョコレートへ手を伸ばすのだった。
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