紡ぐ瞳に映る色


 荒廃した大地。群青の空に千切れ雲がいくつも浮かんで、薫風の彼方に流れていく。
 爽やかな晴天の下では、激しい剣戟の音が響いていた。
「強敵ですね……!」
 呟き、洋装の少年は短刀を構えなおした。纏った戦装束はぼろぼろに破れ、むき出した肘や膝からは痛々しい傷口が見えている。
 相対する敵は異形の化け物で、およそ人とは思えない見た目をしていた。その手に握った、ぎらりと光る大太刀の刃も、周囲の空気すら澱ませる禍々しい雰囲気を放っている。隣には短刀をくわえて浮遊する小さな骸骨が控え、一分の隙もなく少年たちを見据えていた。
 大太刀と短刀の二振りに対し、洋装の少年側には彼も含めて六振りの刀剣男士がいた。だが、数の有利で楽観視できる状況ではない。
 六振りは、それぞれに浅い深いの差はあるものの、この戦場に辿り着くまでの連戦で全員が負傷していた。糸の張られたような緊張感は、息が詰まるほど重苦しい。
 間合いを図っていた両者のうち、先に動いたのは化け物の方だった。奇怪にも骨だけの身で宙を自在に動き回る短刀が、俊敏な動きで洋装の打刀へと飛来する。
 肩に狐を乗せた打刀の少年は、飛び込んでくる刃を最小限の動作で打ち払い、返す刀で反撃する。しかし斬撃は骸骨の尻尾をかすり、先端を僅かに削るのみに終わった。
 縦横無尽に飛び交う骸骨短刀を注視していると、その隙を突くように大太刀の攻撃が始まる。大振りの動きは動作こそ遅いが、あたれば一発で致命傷となりうる破壊力に溢れていた。
 ぶぉん! と激しい音を立てて空気が裂かれ、慌てて後退した金髪の少年が小さく舌打ちする。震える空気が頬に触れ、彼は地面に片膝をついたまま緊張を解くように深呼吸した。
「鳴狐と前田平野は短刀を、白山と乱はこの大太刀を!」
 水色の髪を持つ太刀が指示を飛ばし、鳴狐はおかっぱ頭の少年たち、前田と平野と共に、空中を舞う骸骨へ向き直った。頑強な大太刀を相手取る兄弟の邪魔はさせないと、三振りは精悍な表情で骸骨短刀を囲む。
「行きます!」
 短く切り揃えられた髪をなびかせ、平野が掛け声と共に刃を突き出した。骸骨短刀は身を半回転させてかわしたが、そこで待ち構えていた鳴狐が、骸骨短刀の頭部を狙って渾身の一撃を放つ。鈍く骨の砕ける音がして、骸骨短刀は尻尾と頭部の両方から、砂のように崩れていった。
 一息つく間もなく、三振りは大太刀と交戦する仲間のもとに向かう。
 赤く不気味に光る双眸の大太刀は、多少の傷は負っているようだが、追い詰められたことでかえって殺意が高まったらしい。まさに死に物狂いの形相で刃をふるい、応戦する青年たちは防御に徹するので精一杯の様子だ。
 鮮やかな金髪を陽光に煌めかせた少年――乱藤四郎が跳躍して斬りかかるも、大太刀の薙ぐような一閃で吹き飛ばされてしまう。高い悲鳴が上がり、彼を庇うようにして青い髪の太刀が前に出る。刀と刀の打ち合う音が鳴り、深く斬り結んだ大太刀と太刀の刃は、鍔迫り合いに近い状態まで持ち込まれた。
 緊張感に満ちた空気で詰まった息をゆっくりと吐き出して、剣の刀剣男士もとい白山吉光は、己の刃を構えなおし敵陣へ飛び込んだ。反りのない刀身を表すようにまっすぐな動きで、敵の懐を狙う。
 大太刀は、巨大な武器に見合った体格ながらも間一髪のところで攻撃をかわした。空を切る剣の切っ先は、避けられて尚、強く美しい輝きを纏う。白山は、短い黒の太眉を寄せて、蒼い瞳を見開き叫んだ。
「はあぁぁ……!」
 勢いを殺すことなく煌めいた刃からは純白の光が溢れ、わずかに青みを帯びたその光から、もう一つの刃が突如として突き出された。
 剣の加護を受けて復活した前田の刃が、大太刀の胸部を正面から貫いていた。
 剣からの攻撃を避けて殺気が緩んでいた大太刀は、追撃から身を守る余裕もなく苦悶の声を漏らして体勢を崩す。恨めし気な声が響き、大柄な体躯がぐらりと地に伏せる。途端に、彼の身体は端の方から静かに砕けて、無数の欠片が雲のない青空に溶けていった。
 平穏の戻った大地で、白山の頬に一筋の汗が伝う。彼は太陽の眩しさに目を細め、誰にも気付かれぬほどのさりげなさで右の腕をさすった。
「白山さん、ありがとう! 助かったよ」
 黄金色の長髪を揺らし、乱が白山のもとに駆け寄った。剣の力で傷を癒された前田も、「白山さんのおかげで勝利を得られました」と謙虚な姿勢で軽く頭を下げて笑みを見せる。
 しかし、白山は無表情のままかぶりを振り「……わたくしは、わたくしの務めを果たしたまでです」と抑揚のない声で告げた。肩に乗せている白い狐も、感情の読めない顔つきで主人に寄り添っているだけだ。
「本丸に帰還します」
 部隊長を任されている白山が号令をかけ、一行は彼を先頭に本丸への帰路に就いた。


 白山吉光は、粟田口吉光に打たれた剣(つるぎ)である。
 徳川家光の養女である大姫が、加賀藩の三代目藩主、前田光高のもとへ嫁いだ際に嫁入り道具として持参され、彼女の死後は、息子であり加賀藩の四代目藩主となった前田綱紀によって白山比咩神社に奉納された。
 より神の系譜として顕現した剣の刀剣男士は、他の刀剣男士にない特殊な能力を持つ。
 白山吉光の場合それは治癒の力であり、彼はその力を行使することで、本丸において己の存在意義を見出していた。


 無事本丸に到着すると、より傷の深いものから順に手入れ部屋へと向かう。部隊長の白山は審神者のもとへ戦績の報告に行こうと、皆とは違う向きに歩を進めた。乱が、心配そうな顔で背中に声をかける。
「一人で大丈夫? ボクたちも一緒に行こうか?」
「いえ。皆は自己の修復を願います」
 冷たさすら感じられる声音で断り、白山はすたすたと廊下の先へ歩いていく。
 鳴狐や青い髪の太刀は困ったように顔を見合わせた。
「白山さんって、あまりボクたちと仲良くしたくないのかな……?」
 乱の弱気な言葉に、前田と平野は揃って寂しそうに眉を下げた。
「前田家では、とても優しく穏やかな方だったのですが……。もちろん、今のように人の身を得て直接お話ししていたわけではないので、雰囲気だけですが」
「大姫さまと共に前田家へ来られた時には、とても美しい方々がいらっしゃったと驚いたものです。再会できて僕も前田も本当に喜ばしく思ったのですが、距離を詰めるのはお好きではないようですね……」
 肩を落とす二人に、青い髪の太刀が苦笑する。
「まあ、彼も顕現したばかりで疲れているのかもしれないね。私たちも手入れ部屋で体を休めて、また後で改めて話をしようか」
 皆をなだめる長兄に、乱が「うん……そうだね。早く仲良くなれると良いなぁ」と笑う。
「さて、じゃあ急いでお手入れしなきゃね。と言ってもボクは軽傷だし、いち兄と前田が最優先かな」
 いち兄と呼ばれた太刀、一期一振の隣で、前田が「あ、僕は白山さんのおかげで少し回復しましたので、鳴狐さんをお先に」と順番を譲る。鳴狐の方に乗っているお供の狐が「これはこれは! お気遣い痛み入りますよう!」と尻尾を振り、鳴狐自身も「ありがとう」と微笑した。
「思えば、鳴狐さんも最初の頃はけっこう無口だったよね。今でも口数は少ない方だけど、初めて会ったときに比べればお供の狐さんとバランスが取れてるっていうか」
 乱が話題の矛先を鳴狐に向け、それにはお供の狐が返事をする。
「そうですねぇ……白山殿は本人もお供も口下手のようでございますから。せめてわたくしのように、どちらかだけでもお話の得意な方であれば」
「……狐は、ちょっと喋りすぎ」
 淡々と言った鳴狐がお供の口元を指先で軽く押さえて、微笑ましい光景に前田や平野も頬を緩める。和気藹々とした空気が流れる中、一期はふと、白山の消えた廊下の先に静かな視線を送るのだった。

 審神者の執務室で戦果の報告を終えた白山は、礼儀正しく一礼して退室すると、襖を閉めた次の瞬間、重く息を吐いた。
 ずき、と鈍い痛みを覚えて右腕に手をやれば、肩に乗せている白い狐――白山が通信機と称するお供の狐が、白山の顔色を窺うように控えめな態度で尻尾を動かしていた。そういえば出陣の終わり、戦闘が終了した際にも痛みがあったなと今更ながら他人事のように思い出す。
 手入れ部屋に向かうべきか、いやしかし今はまだ粟田口の皆が使っているかもしれないと逡巡しつつ、いつまでもこうしているわけにはいかないと、とりあえず手入れ部屋のある一階へ降りる。木製の階段を下っていると、反対に階下から上がってきた一期と目が合った。
 他の者は一緒ではないらしく、一期が白山のもとに歩み寄ると、お供の狐は白山の右腕を隠すように彼の腕へ尻尾を添わせた。鋭い一期の眼差しが、少しだけ柔らかくなる。
「……損傷の確認に遅れが生じていました」
 どこか後ろめたそうな口調だと感じるのは、一期の気のせいではないだろう。
 叱るつもりはなかったんだがなと思いながら、一期は努めて明るい声で「手入れは皆済んでいるから、兄弟も行っておいで」と柔和に促した。白山は少し驚いた表情を浮かべ、ややあって「……了解」と素直に従った。
 一階の奥にある手入れ部屋には、誰の姿もなかった。一期の言葉通り、白山を除いた第一部隊の面々は全員が手入れを終わらせたようだ。
「修復開始」
 誰にともなく呟き、手入れ部屋の障子が音もなく閉まる。腰に差した本体を抜いて、白山は手入れの準備に入った。
 この本丸の手入れ部屋では、刀剣本体の修復をしている間、刀剣男士は一組の布団に入って回復の時間を過ごす。本体である剣を修復用の桐箱に収め、束の間の休息に入る。
 専用の寝間着に着替えて布団に潜りこんだ白山は、しばし天井の木目を眺めていた。しんと静まり返った室内でふかふかの布団に包まっていると、だんだんと睡魔が襲ってくる。
 初めての睡眠に恐怖を感じる暇もなく、白山は夢の中へ落ちていった。

 暗闇の中で、白山は己の足元に濡れている気配を感じた。小雨に似た雫は、どこから降っているのかわからないものの、雨よりも少し温かみのある不思議な感触で白山の胸元までを濡らしていく。
 雫がどこから来ているのだろうかと身体を起こしてみると、寝ていた傍に穏やかな波が来ていた。寄せては引く波は、子を抱く母親の腕――ゆりかごを思い起こさせる。
 自分はどこで寝ていたのか、いつのまに海の近くにまで来てしまったのか……ぼうっとする頭を振って周囲を見渡した白山の眼に、懐かしい人の姿が映った。
「大姫さま……」
 思わず漏れた声は、遠くにいる彼の人には決して届かない。近付こうとするも、両足は波に取られて上手く動かず、手を伸ばす気力も湧かずに、白山はただひたすらに見ていることしか出来ずにいた。
 一人で波打ち際に立っている姫君の足元に、不意に幼い男の子が現れた。いかにもやんちゃな面持ちの、元気いっぱいといった雰囲気の男児だ。
 大姫は男の子を抱き寄せると、慈愛に満ちた微笑をもって彼の手を握る。男の子は首を傾げつつも、母親の腕に嬉しそうに抱き着いていた。
 二人のもとに寄せては返すさざ波と、白い波によく似た白雲が浮かぶ蒼穹の空は、澄んだ青色が溶けて一体となり、天と地の両方から母子を包む。高い空も深い海も、悠久の時を超えて変わることなく二人を守っているようだ。
 混じり合う海と空。二つの蒼は、白山の瞳と同じ色をしている。
 足首を撫でる波の温もりを感じながら、白山は二人の寄り添う姿をじっと見つめていた。

 ……波間に浸っているのは足首までのはずなのに、どうして胸元まで濡れているのだろう。
 そう疑問を感じると同時に、深く沈んでいた意識が徐々に覚醒していった。まぶたがひどく重く感じられるのは、睫毛に溜まった涙のせいだと気づくのに、少しばかり時間がかかった。
「……」
 涙を拭うことなくそのままでいると、雫は仰向けになった顔を横に流れて、頬を伝い布団を濡らす。涙の膜が決壊したことで、ぼやけていた視界が鮮明になり、眠る直前まで見ていた天井の木目が再び目に入る。
 声もなく涙を流す白山に、枕元で丸くなっていた狐が尻尾を一振りして手足を伸ばした。ついでに小さな欠伸を漏らし、お供の白狐はいつもと変わらない様子で白山の顔を覗き込む。
 握った手で涙を拭いた白山は、自身である本体の手入れが終わっていることに気づいて、そっと布団から抜け出した。桐箱から剣を取り出し、今度は内番用の服に着替えて、自分の腕にあった傷が癒えているのを確認する。
 蒼い瞳はすっかり元通りとなった綺麗な右腕の肌をじっと見て、それから肩に乗せたお供の首元を優しく掻いてやった。心なしか気持ち良さそうな顔の狐に、先ほど見た夢を思い返して、白山はおもむろに狐を両腕で抱いてみた。
 流石にびっくりしたらしい白い狐は、けれど白山のことを信頼しているとでも言うように、されるがままでじっとしていた。そんな狐を見つめ、白山は夢で見た景色をなぞりながら、恐る恐る狐を抱き締めてみた。
 肌触りの良い滑らかな毛並みが頬に触れ、生命を感じさせる温かさと鼓動が、隔てるもののない距離で直に伝わってくる。
「……」
 物言わぬ狐と、物言わぬ刀剣男士。
 一人と一匹は静謐な部屋の真ん中でしばらく触れ合っていたが、やがて白山の方が抱きしめていた狐を解放した。再び白山の肩に乗ったお供の狐は、やや怪訝そうに首を傾けながらも、やはり何も言葉を発することはなかった。

「お、いたいた!」
 手入れ部屋を後にした白山に、快活な声が投げられる。振り向くと、赤髪の少年が顔を輝かせていた。
「犬千代丸の……」
 白山がぱちりと瞬きをして、少年――愛染国俊は少し照れたように鼻の下をこする。
「へへ、また会えるなんてなぁ」
 溢れんばかりの満面の笑みに、白山の瞳も慈しむような柔らかさをにじませる。けれど頬はかたく、口角は上がらないままで、唇を薄く開くだけにとどまっている。
「……息災でしたか」
 一拍の間を置いて言った白山に、愛染は「そっちも、あれから元気にしてみたいだな」とまた笑みをこぼす。白山のお供は愛染を注意深く観察するように見て、「わたくしの元あるじの、息子の刀です」と白山に頭を撫でられた。愛染が、「白山も、鳴狐みたいにお供がいるんだな」と興味津々といった眼差しを送る。
「それにしても、顕現して早々に出陣だったんだって? お疲れさん!」
 言い、愛染は両手を後頭部で組んでつまらなさそうに唇を尖らせた。
「前の主さんの縁で言えば、あの家で白山と一番近しいのはオレなのにさ。来てすぐに、前田と平野が一緒に出陣したんだろ? ずるいよなぁ」
「……愛染国俊は遠征に出ているとの話でした」
「そうそう、こういうときに限ってさー。白山が顕現したら、誰よりも先に会いに行こうって思ってたのにな」
 悔しさを隠すことのない愛染の顔に、さっき見た夢の母子を重ねる。
 わんぱくに育った犬千代丸の気質をそっくりそのまま写したような言動に郷愁を呼び起こされたのだろうか、白山の胸にじんわりと温かなものが満ちた。そしてそれと全く同様に、胸を裂くような冷たい痛みがよぎる。
「……?」
 修復が不完全だったのだろうかと胸に手を当てたが、傷口らしきものはついていない。
 怪訝に首を捻った白山を、愛染は「ま、皆お待ちかねだからな。早く行こうぜ!」と嬉しそうに手を引いて広間へと連れて行った。

 広間には前田家に伝来した刀と、共に出陣した粟田口の刀たちが揃っていた。
「白山さん、怪我は大丈夫?」
 赤いリボンで長髪を一本に結った乱が、リボンをひるがえして白山のもとに駆け寄ってくる。勢いに押されつつも「修復は無事に完了しています」と答えると、乱は大袈裟なほどにほっと息を吐いて「良かったぁ」と胸を撫で下ろした。
「前田と平野、それに愛染は、白山と一緒のお家に居たんだったね」
 乱と共に広間で待っていたらしい一期が三人に尋ねて、前田が「はい」と頷いて応える。
「僕と平野は加賀の二代目藩主、前田利常さまの刀で、白山さんは三代目藩主である光高さまの正室、大姫さまがお嫁入りの際に一緒に来られた剣ですね」
「で、オレが大姫さまと光高さまのご子息、犬千代丸さまの刀だったんだよな。加賀百万石の立役者、名君である犬千代丸さま……四代目藩主になられてからは綱紀さまだったか。それに、前田家のお姫さまを救ってくれた太刀。こうして数百年ぶりに揃ってみると、やっぱり、なんだかあの頃を思い出しちまうな」
 つらつらと述べた愛染が場をぐるりと見回すと、広間の中で一番大きな体躯の太刀である大典太光世が、遠慮がちに身をすくませた。
 愛染の説明に、改めて一人一人の顔をしっかりと見る白山。乱が、頬を膨らませて身を乗り出した。
「この本丸に来たからには、ボクたち粟田口兄弟のこともしっかり覚えてよね。白山さんも、ボクたちと同じ吉光の兄弟なんだから!」
 乱に視線を移した白山が、「兄弟……」とほんの僅かに目を伏せる。
「確かに、わたくしは吉光に鍛えられた刀剣。しかし、皆は刀でわたくしはつるぎです」
 ぼそりと呟いた白山に、乱はきょとんとした表情で頬に人差し指を当てた。不可解そうに小首を傾げ、すぐにぱっと花の咲くような笑みを見せる。
「つるぎ? そういえば、白山さんのさっきの戦の技、凄く綺麗だったね! 刃からぱぁって白い光がきらきら溢れて、宝石みたいに光ってて!」
「剣は、刀の我らとはまた違った、特殊な能力を持っていると聞いてはいたが……癒しの力だからあれほど清らかで美しかったのか、それとも白山自身の刃が美しいからか……うん、きっとその両方なんだろうね」
 一期も感慨深げに微笑んで、唐突に褒められた白山は戸惑いを隠せない様子で何度も瞬きを繰り返した。愛染がまたもや悔しそうに「くっそー、オレも早く一緒に戦に出たいぜ! 粟田口だけずりーぞ、なあ大典太さん!」と声をあげて、突然に話を振られた大典太は、驚きつつも「……ああ、そうだな」と首肯した。
 やがて、乱たちが呼んだらしい他の粟田口の刀たちも広間に集まってきて、室内はにわかに騒々しくなった。たくさんの兄弟たちの自己紹介を聞き、話を交わす白山。次から次にやってくる兄弟たちで広間はいっぱいになり、その賑やかさに他の刀剣男士も「なんだなんだ」と顔を覗かせ、場はさながら祭り会場のような雰囲気だ。
「粟田口は本当に兄弟が多いよなぁ」
 感嘆の声を漏らした愛染に、乱がなぜか得意げに胸を張る。「良いでしょー、一振りだってあげないよ」「うちは今んとこ、眼鏡と蛍で手いっぱいだっての」と気の抜けた会話の中、誰にも気付かれないように白山をそっと連れ出す影があった。

 影は室内から白山を連れて抜け出すと、人気のない縁側に腰を下ろした。
 大人しくついてきた白山も、影――鳴狐の隣に座る。鳴狐のお供は主人の膝で丸くなり、白山のお供は肩に乗ったままでいた。
「皆、白山が来てとても喜んでる。ちょっとうるさいかもしれないけど、数日もすれば落ち着くと思う」
 そう言った鳴狐は、どうやら白山に気を遣ってくれたらしい。白山が無言で首を傾げる。
「……鳴狐は、無口な刀剣男士との情報があります。その狐が、鳴狐の通信機だと」
「わたくしめは、鳴狐の代理でございます! 通信機ではございませんぞぉ!」
 鳴狐の膝で静かにしていたお供の狐が、がばっと顔を上げて鼻息荒く主張した。激情の狐をなだめるように撫でて、鳴狐が訥々と語る。
「……鳴狐も、顕現したばかりの頃はもっと口数が少なかった。だけどこの本丸は、粟田口やいろんな刀剣男士がいる。……せっかく口があるのに、ずっと黙っているのも、もったいない」
 彼にしては長い台詞を吐き、言葉を区切って一息つく鳴狐。
 それから「思っていることは、言葉にしなければ伝わらない」と付け加えて、鳴狐は白山の目を見た。真摯な眼差しを正面から受け、白山も真剣な色を帯びた瞳で応じる。
 縁側に、相変わらず感情の分かりづらい、しかしまっすぐな声が響いた。
「……わたくしは、わたくしが皆にどう見られているのかわかりません」
 独白のような、素直な言葉を、鳴狐は言葉を出さずに相槌だけで聞いていた。
「つるぎであるわたくしを求められるなら、その力で皆の矛となって敵を討ち、皆の盾となって癒しましょう。けれど粟田口吉光の兄弟であるわたくしや、前田家で過ごしていた想い出のわたくしを求められるのは……」
 ぽつぽつと、まるで雨垂れが石に落ちるような物悲しさを含んだ硬い声で呟く白山。鳴狐が口を開き、「人付き合いが、苦手?」と問いかけ、お供の狐が「鳴狐と一緒ですなぁ。今では幾分かマシになりましたが」と口を挟む。けれど白山は首を横に振り、否定の言葉をこぼした。
「……皆がわたくしをどう見ているのか。他の皆と違う、つるぎであるわたくし。一期一振は、口下手な兄弟がいても構わないと言いました。……けれど、もし本当に粟田口吉光の刀たちが、わたくしのことを不気味だと思わないとしても……わたくしは」
 淡々とした口調に、わずかな熱がこもる。鳴狐もそのお供も、黙して白山の言葉に耳を傾け続けた。白山はほんの少し顔をしかめ、彼のお供が耳をぴんと立てる。
「……先ほど前田家の刀たちと相まみえたとき、わたくしは初めて『懐かしい』『嬉しい』という感情を覚えました。だが同時に、別れの寂しさも思い出したのです。温かい記憶があれば、その分、別離の冷たさも知ることになるのだと」
 夢の中で見た追憶の空。大姫と犬千代丸が仲睦まじく佇むあの景色は、しかしもう、過去にしか存在しないものとなっている。どれだけ恋しくとも、どれほど懐かしくとも、遥か遠い出来事として追いかけることしか出来ない想い出だ。
 目を伏せる白山に、鳴狐とお供の狐は顔を見合わせた。お供の狐はややしょんぼりしているが、鳴狐は顔色一つ変えずに言葉を紡ぐ。
「いま鳴狐に教えてくれたこと、鳴狐はずっと覚えている」
 誠実な声は、単調ながら白山を励ますようだった。
「鳴狐たちは、物語や人の記憶に残ることで、ここに顕現した。いつか別れの時が来たとしても、そうして誰かが覚えてくれている限り、また巡り合うきっかけになるかもしれない」
「わたくしも、しっかりと覚えておりますぞ!」
 鳴狐のお供が勢いよく尻尾を振り、白山のお供に笑いかける。白山のお供は笑みこそ返さなかったが、悪い気はしなかったらしく一度だけ尻尾を振った。
 白山が口を開きかけたとき、「おーい」と呼びかける声が聞こえた。声の方に顔を向けると、愛染と前田平野、一期が連れ立ってやってきた。
「気づいたらいなくなっててびびったぜ。白山は、賑やかなのは苦手だったっけ?」
 頬を掻く愛染に、白山より先に鳴狐が答えた。
「天気が良いから、鳴狐が散歩に誘った」
「確かに、今日は陽射しも強すぎなくて過ごしやすいね」
 一期が微笑んで頷き、前田と平野もよく晴れた青空を見上げて目を細めた。
 愛染が縁側下の踏み石に置かれているサンダルを履いて庭に降りる。手招きされて白山も庭に出ると、土と緑の匂いがした。涼風が吹き、白山の横髪を撫でるように揺らす。
 大姫が亡くなった翌年、前田綱紀が白山を白山比咩神社に奉納したのも、八月だった。
 数百年前の、あの頃と変わらない夏の景色――庭先ではしゃぐ愛染を微笑ましく見守る前田と平野。それはまるで、やんちゃな幼少期の犬千代丸と、彼を可愛がり育てた祖父の利常公のようでもあった。あの頃は大姫も健在で、しかし彼女はわずか数年後に他界してしまう。
 変わらないものなどないのだと思い知ったはずなのに、青く澄んだ空の高さは、数百年時を経ても変わらないようだった。降り注ぐ陽の暖かさも、晴れ渡る空の爽やかさも、大地を覆う鮮やかな緑も、なにひとつ変わってはいない。
 和やかに佇む彼らのもとへ、白山は静かに一歩踏み出した。

 それから数日後。
 乾燥した大地を、強く踏みしめる影があった。
 初陣と同じ合戦場へ再び出陣した白山は、あの日と同じように部隊長として指揮を執り、あの日と同じ部隊の面々を率いて、懐かしの大太刀と対峙していた。
 鍛錬を重ねたことで強くなったと思っていたが、敵もまたそれに比例するように強大になっていて、やはり一筋縄ではいかないらしい。すでに誰のものともつかなくなった血が流れ、乾いた地に赤黒い染みが点々と滲んでいる。
 腕が鈍く重くなったような疲労を感じ、白山は己が剣をしっかりと握りなおした。
「いきます!」
 平野が率先して大太刀に斬りこみ、反対方向からは前田が攻め込んだ。二人は左右から挟み込む形で大太刀の脇腹を狙い、大太刀が白刃を構えて防御の体勢を取った。
「がら空きだよっ!」
 腕を下げた大太刀の背後に回った乱が、勢いよく飛びあがり脳天を狙って短刀を振り下ろす。紙一重のタイミングでそれに気づいた大太刀は、首を横にずらすことで、頭蓋骨の中心ではなく側頭部で打撃を受け止めた。普通の人間ならば頭部粉砕には至らずとも骨折、脳震盪で気絶しているほどの衝撃だが、異形の化け物にとっては致命傷には至らない。
 大太刀は巨大な刃で平野と前田を押し返し、砂埃を立てて刃を振り下ろす。鈍く煌めいた刀身が前田の身体を切り裂くより一瞬早く、鳴狐が刃を滑り込ませ、高い音と共に弾き返した。
 地に伏した前田と平野が素早く身を起こし、再び臨戦態勢に入って刀を低く構えた。
 加勢するべきか、後方から治癒の能力で支援するべきか……最善の手を判断するため周囲を見回した白山の瞳に、血を流しながらも奮闘する仲間の姿が映る。そしてそれは、こんな切羽詰まった状況の中で、元主の最期を思い起こさせた。
 誰にも分からない運命に翻弄され、散るときはあまりにも呆気なく消えてしまう脆く儚い命。
 人よりも長い年月を経て生まれた付喪神とはいえ、戦に出れば血を流し、最悪の場合は砕けて朽ち果てる。人間も刀剣もたいして変わらないのかもしれないと、仲間の身から流れる赤い血が、そう思わせる。
 そして――残酷な運命に抗う強く美しい高潔な魂もまた、人と刀はよく似ている。
「お覚悟!」
 一期が獣の如き咆哮を上げて、正々堂々と大太刀の懐に斬りかかる。彼より一歩早く踏み出した鳴狐が大太刀の刃を抑え込み、一期の攻撃が通るように補助している。
 一期のまっすぐな太刀筋は、寸分違わず大太刀の脇腹に吸い込まれていき、骨を断つ寸前で大太刀の腕によって止められた。
 右手の腕だけで鳴狐の刀と斬り結んでいる大太刀は、開いた左手で一期の太刀を掴み、切っ先が到達する直前のところで勢いを殺していた。素手で太刀を掴んでいる指先は、不穏な影を纏い今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
「今です!」
 一期が短く叫び、白山は背を押されるような気持ちで地を蹴った。大太刀の刃を押さえる鳴狐に前田と平野が更に上から刃を重ね、乱が、一期の刃を掴む大太刀の左手を薙ぎ払う。
 両手を封じられてもがき顔を上げた大太刀の、無防備にさらけ出された喉に、白山の刃がすっと入った。
「……せめて、癒しの加護があらんことを」
 呟いた声と共に、白銀の刃が白く光る。
 青白い光で満ちた白刃は、大太刀を慈悲深い輝きで斬り裂き、鮮血の代わりに黒影が霧消し、空に舞って陽の光に溶けていった。

「白山さん、格好いい……!」
 敵の気配が完全に消えたのを確認し一息ついた白山に、乱が黄色い声をあげた。白山が顔を上げると、乱ははっと気まずそうに控えめな表情で苦笑いして頬を掻く。
「あ、ご、ごめんね……。白山さんがあんまり綺麗だったから、つい」
「……謝罪する必要はありませんが」
 仏頂面で、けれど意識的に声を和らげて言った白山に、「えっ」と乱の瞳が丸くなった。
「白山さん、ボクたちと話すの苦手かなって……」
 乱の両隣に立った前田と平野が、揃ってにこりと微笑んだ。
「怖がらなくなったんですよね、白山さんは」
「え、それってどういうこと? ボクの知らない話?」
 前田の言葉に、乱が慌てて二人に詰め寄った。前田は平野と目を合わせて、「別れを恐れなくなったということですよ」と頷き合っている。
 鳴狐が、白山に「お疲れさま」と声をかけて、小さく首を傾げた。
「さっき、何か話しかけてた?」
 剣を鞘に納めて、白山はゆっくりと頷いた。
「わたくしは、癒しの力を持つ剣。ですから、敵であってもその魂が安らかな眠りに就けることを祈りました。……いけなかったでしょうか」
 その問いには、一期が答えた。
「いや、とても素敵なことだと思うよ」
「……わたくしはこれまで、別れを恐れていました。寂しさを覚えるくらいならば、いっそ温もりはなくて良いと。けれど皆とこうして戦い、生きることで日々を紡ぎ、それがいつか物語と呼ばれることになるなら――また再び会える日を望むことが出来るなら、その日まで少しでも皆に恥じないつるぎであろうと、そう思います」
 言って、白山は敵の消えた空を見上げた。
 敵味方に分け隔てなく慈悲をかけるのは、傲慢にも近い残酷な優しさなのかもしれない。
 けれど己が励起されたきっかけの逸話を思えば、冥福を祈る役割を、これ以上ないほどに果たせているのではないだろうか。
 敵と味方の境なく安らぎを与えることで――いつかまた別れる日が来ても、誰かの心に残り続ける。そしてその記憶は、白山と仲間たちを引き合わせる、かすがいになるかもしれない。
 そんな未来を夢想して、白山の口元にほんの少し微笑みが浮かぶ。
 蒼い瞳に映る蒼い空は、数百年前と変わらない高さで、いつまでも白山たちを包んでいた。
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