想いを託す、梅の花


 昼餉を食べ終え、けれども非番ですることもなく暇を持て余していた日向正宗は、自室で読み終えた本を閉じ溜息を吐いた。
 不意に目をやった障子越しに差す陽が普段より眩しい気がして、何となしに外の景色を見ようと障子を開ける。
「……わぁ」
 白い息と共に感嘆の声を漏らして、彼は青紫の瞳をきらきらと輝かせた。

 彼の瞳が無邪気な子供のように煌めいているのは、網膜に散らばる砕いた宝石のようなラメのせいだけではない。
 玄関で靴を履き替え庭へ出ると、ちらちらと降る雪が一面を銀世界に染めていた。
 積もった雪が音を吸収しているのか、いつもより静かな庭に、短刀一人分の足跡が刻まれていく。ざくざくと雪を踏みしめる音だけが響いて、庭を一周した日向が縁側へ回ると、廊下にうずくまっている人影があった。
「どうしたんだい?」
 慌てて駆け寄り縁側へ上がって肩に手を掛けると、うずくまっていたのは粟田口の短刀、五虎退だった。柔らかい癖毛から覗いた両目が、今にも泣きだしそうに潤んでいる。
 よく見ると彼の膝には大きな箱があった。
「日向さん」
 振り向きざまに金色の瞳が揺れて、八の字に下がった眉に日向が困惑する。
 五虎退は、箱の上で握りしめている手を開いて唇を震わせながら口を開いた。
「虎くんが、リボンに悪戯しちゃって」
 その言葉に五虎退の手を見ると、小さな手の平には水色の太いリボンがあった。しかし、元は一本だったのであろうそれは真ん中が裂けて二つに破れている。
 五虎退の足元から申し訳なさそうに顔を出した、尻尾にリボンが巻かれている仔虎が犯人らしい。
「クリスマスだから、みんなでいち兄にプレゼントしようって……中身は無事なんですけど、リボンが……」
 言いながら再び両目に涙を溜めた五虎退に、日向もリボンに視線を落として顎に握り拳を添える。
 落ち込んだ様子の仔虎たちの頭を撫で、日向は「そうだ、ちょっと待ってて」とおもむろに立ち上がり自室へ走った。
 廊下に残された五虎退が、リボンを片付けて言われた通りに待っていると、数分も経たずに急ぎ足の日向が笑みを浮かべながら戻ってきた。手には何やら大きくて長い布を持っている。
「これ、その箱にはちょっと大きいかもしれないけれど。上手く巻けばリボンになると思って」
 言って、日向は五虎退の目の前で布を広げた。
 日向が持ってきたのは、彼の戦装束の一部である梅柄のサッシュだった。可愛らしいモダンな雰囲気のサッシュを、日向は五虎退の膝にある白い箱を手に取って手際良く包装していく。
「これ……良いんですか?」
 遠慮がちに、しかし隠し切れない喜びを滲ませた声で尋ねた五虎退に、日向は勿論と笑って頷いた。
「僕はしばらく出陣の予定がないし、返すのはいつでも構わないから」
 にこやかに微笑んだ日向へ、五虎退は何度も繰り返し頭を下げた。
 ありがとうございます、と平身低頭して去って行った五虎退を見送り、さてこれから何をして過ごすかなと廊下を歩き出した日向の鼻腔に、ふと甘い香りが漂ってきた。

 匂いに誘われて厨を覗くと、三人の刀剣男士がいた。燭台切光忠、愛染国俊、白山吉光が、大量の袋や調理道具を準備して手を洗っている。
「もう夕餉の準備かい?」
 ひょっこりと顔を出した日向に、燭台切が「やあ、日向くん」と顔を上げた。愛染と白山も、手を止めて日向の方を見る。
 こうして見ると珍しい組み合わせだなと思いつつ厨に入ると、燭台切が調理台に広げている帳面を見せてきた。カラフルな写真付きのそれは、お菓子のレシピ本だった。
「今日の夕餉は歌仙くんたちの当番でね。僕たちは別件なんだ」
 燭台切が意味深な笑みを愛染と白山に向けて、二人は笑顔と真顔で頷き返す。日向が首を傾げると、得意げに胸を張った愛染が答えた。
「明後日はクリスマスだけど、明日から連隊戦だろ? どうせめちゃくちゃに忙しくなるから、クリスマスプレゼント、今日のうちに作っちまおうと思ってさ」
「クリスマスプレゼント?」
 そういえば五虎退もそんなことを言っていたなと思いながら反芻すると、白山が言葉を引き継いだ。
「わたくしは粟田口の面々、愛染国俊は来派の面々に菓子を作るのです」
「僕は調理の手伝いだよ。まあ、そんなに難しくはないんだけどね」
 横から付け加えた燭台切に、愛染が「オレらはあんまり料理得意じゃないからさー」と苦笑いしている。
「良かったら、日向くんも作ってみるかい?」
 唐突に誘われて、日向の口から「えっ」と声が漏れた。
「材料はたくさんあるし」と続ける燭台切に、愛染も「お、いいな。一緒に作ろうぜ!」と乗り気な姿勢を見せた。白山は相変わらず仏頂面に近い真顔だったが、じっと日向の目を見る眼差しに嫌悪は感じられない。
 少し考えて、日向は申し出を快く受け入れた。
「ありがとう、それじゃあ僕も参加させてもらおうかな」

 調理台に並べられた材料を手に、四人は言葉を交わしながら菓子作りに励む。
 ボールを抱いてバターと塩、粉砂糖を混ぜながら、日向がくすりと口角を緩めた。
「僕らがこうしているのは、不思議なものだね」
 冷蔵庫から卵を取り出した愛染が、パックを持っている両手を見下ろして同意する。
「ああ、まあ人間の体で料理してるなんて、未だにちょっと不思議だよな」
 日向はボウルを混ぜながら苦笑して首を振った。「それも不思議なんだけど」と前置きして、愛染から卵を受け取る。
「僕は、かつて贈り物とされることが多かったのだけど。そんな僕が自分から何かを誰かに贈るっていうのが、面白いなって思えてね」
 卵を割って溶き卵を作りながら言った日向に、愛染も「なるほど、そういう意味か」と嬉しそうに口角を上げた。心なしか、二人の傍で薄力粉を用意している白山の眉も少し上がったように見えた。
「オレも贈り物にされたことあったからなぁ。あれ、けっこう良いよな。人の想いっていうか、そういうのが伝わってくる感じで」
 オレたちを贈った人間も、こういう気持ちだったのかな。
 照れくさそうに笑う愛染に、日向は「そうだね」と目を細めた。
 溶いた卵を何回かに分けて混ぜ、薄力粉をふるいながら、それまで黙っていた白山が神妙な面持ちで言葉を紡いだ。
「人が人を想う……。わたくしたち刀剣男士も、人のように贈り物をすることで、何か感じられるでしょうか」
 澄んだ蒼い瞳を眇めて、その何かを見通そうとするように考え込む白山へ、レシピ本を手に指示を出していた燭台切が優しく微笑した。
 大切な人を想って、料理をする。特別な人を想って、贈り物をする。
 相手のことを想うときの優しさ、温かさは、それが刀だとしても変わらない。
「さっくりと混ぜるって、さっくりって何だよー」
「……練ってはいけません。空気を切るように」
「粉が見えなくなったら、ラップに包んで冷蔵庫で休ませる……生地を休ませるっていうのも、なんだか面白い表現だね」
 賑やかに、多少の騒々しさを持って菓子作りを進める三人を、燭台切は穏やかな表情で見守っていた。

 冷蔵庫で冷やす間に小休憩を取り、三十分が経って生地を取り出した。打ち粉をした台に置いて麺棒で薄く伸ばし、調理台の引き出しから出した様々な抜型を手に型を取っていく。
「型抜きは丁寧にね」
 燭台切の助言に、愛染は「オレ祭りの型抜きとか苦手なんだよなー……」と机にかじりつくような姿勢で型を動かした。白山は慎重に、日向は細々とした作業が得意なようでてきぱきと型を抜いていく。
 クッキングシートを敷いた天板に並べ、オーブンを使って焼き上げる。
 そのまま十数分ほど待ってオーブンの扉を開くと、香ばしい香りと共にきつね色のクッキーが出来上がっていた。
「おおー!!」
 歓声を上げて愛染が端の一つを摘まみ、口に放り込んだ。温かくて美味いぜ、という声につられて、白山と日向も一つずつ食べてみる。
 出来立てだからこその美味しさが口いっぱいに広がり、白山は頬を僅かに染めて、日向は思いきり破顔した。
 行儀が悪いよと苦笑いでたしなめつつ、燭台切も愛染に手渡された一つを食べて「うん、上出来だね」と満足げに頷く。
 三人はクッキーを冷ます間にラッピングの準備をして、調理に使った道具を片付けながら、各々の渡す相手に向けて包装を始めた。
「そういえば、日向は誰に渡すんだ?」
 愛染に問われて、日向は三つ目の袋をリボンで結びながら笑顔で答えた。
「正宗の刀剣は、僕以外まだ顕現していないからね。正宗十哲の縁がある刀たちに渡そうと思って」
 左文字の兄弟や長谷部国重の打った刀、備前長船の打刀に貞宗の兄弟たちを思い浮かべつつ、彼らにこの贈り物をしたときの反応を想像して、含み笑いする。戸惑われるかもしれないけれど、それをきっかけに少しでも縁を深められたらと思った。
 梅の花を模したクッキーを、彼らはどんな思いで食べてくれるのだろうか。

 厨の後片付けも終えて、燭台切に礼を言い、日向はたくさんの袋を手に刀工の縁がある刀たちの元を巡った。予想通り驚かれはしたものの、皆突然の贈り物を優しく受け取ってくれた。
「ふふ」
 鼻歌混じりの笑みをこぼし自室へ歩いていると、部屋の前で青い髪の太刀と五虎退が待っていた。
「事の顛末を五虎退から聞きまして。この度は本当にありがとうございました」
 深々と頭を下げる一期一振に、隣に立つ五虎退もぺこりとお辞儀する。
「そんなに気にしなくても……人の役に立てるのは嬉しいから」
 弾んだ声で返した日向へ、一期が興味深そうに首を傾げた。
「随分とご機嫌のように見えますが、なにか良いことでもありましたかな?」
 日向は気恥ずかしさで頬を掻きつつ、素直に先ほどの出来事を語った。贈り物として扱われることの多かった自分が、人の身を得て誰かに贈り物を出来ることの幸せ、有難さ。
「贈り物をするって、とても素敵だなと思ってね」
 大人びた顔付きで子どものように無邪気な笑みを浮かべる日向へ、一期は「それはそれは……」と笑みを深くした。
 彼は金色の瞳を五虎退に目配せして、五虎退が後ろ手に回していた陶器を日向の方へ差し出した。
 五虎退が日向から借りたサッシュをリボンに巻かれた陶器の壺には、サッシュの梅と同じような、可愛らしい梅の模様が描かれている。
 両手で持ってちょうど良い大きさのそれを手渡され、日向は青紫の瞳を丸く瞬かせた。
「さっきのお礼に……日向さんは梅干し作りが得意だと聞いたので、使ってもらえたらと思って」
 おずおずと日向を見る五虎退へ、日向は壺を受け取って満面の笑みを浮かべる。小さな壺を胸に抱いて、彼は幸福に満ちた声で呟いた。
「ああ……贈り物というのは、贈る方も、贈られる方も、こんなにも幸せなものなんだね」
 頬を染めて「ありがとう、大事に使わせてもらうね」と目尻を下げた日向に、五虎退も一期と顔を見合わせてにっこりと笑う。
 壺に巻かれたサッシュのリボンが揺れて、梅の柄がくるくると回った。
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