海の底、空の果て


 よく晴れた午後、本丸の庭で短刀たちのはしゃぐ声が響いていた。
 厨当番の仕事を終えて一息ついた堀川が縁側に腰を下ろすと、ちょうど門の方から走ってきた大和守が堀川に気付いて笑みを向ける。
「お疲れ。厨当番、終了?」
「はい、今日は午後も非番だから暇で」
 堀川の隣に腰を下ろし、大和守は白い襟巻を緩めて首元をあおいだ。もう師走に入って半分が過ぎているというのに、額には薄く汗をかいている。
「短刀たちと色鬼してたら疲れちゃった」
「色鬼? ……ああ、指定された色に触れてたらセーフのやつでしたっけ」
 顎に片手を添えて呟いた堀川に、「そうそう」と大和守は困ったように苦笑する。
「皆、普通の色じゃつまらないからって、わざと難しい言い回しの色を言ってさぁ……一斤染とか、生成色とか。もはや頭脳戦だよ」
 冗談交じりに笑う大和守へ、堀川も笑いながら首を傾げた。
「そういうのだったら、僕らとしてはやっぱり、浅葱色ですかね?」
「えー、浅葱色って身の回りにないんじゃない? 難しいって」
「水色に近い色なら何でもありで。あ、新選組の羽織以外で、ですね」
 にこっと笑った堀川の言葉に、大和守は真面目な顔付きで両腕を組んだ。
 うんうんと唸りながら首を捻り、言い出した堀川も一緒になって浅葱の色を探す。口をへの字に曲げて黙考する二人を、廊下を渡る男士や庭を駆ける男士が不思議そうに眺めていく。
 やがて、二人は数分の熟考の末に、ほぼ同時に口を開いた。
「空の色! どう?」
「海の色、とか」
 目をきらきらと輝かせて言った大和守と、控えめに微笑みながら言った堀川は、互いの顔を見合わせて「「え?」」と綺麗に同じ言葉を口にする。
「いやいやいや」
 先に大和守が右手を顔の前で振って苦笑いした。
「海の色って、別に海水に色ついてるわけじゃないし。天気によって色も変わるし、色鬼的には駄目でしょ」
 なしなし、と笑う大和守へ、堀川が少しむっとした表情で唇を尖らせる。
「それを言うなら、空なんて手が届かないじゃないですか。そっちは天候どころか時刻で色が変わりますし」
 珍しくムキになる堀川に、大和守の方も眉を寄せた。
 しばし無言で睨み合っていた二振りは、酷いしかめ面をどちらからともなく徐々に緩ませ始めて、くすくすと笑う。緊迫していた雰囲気が一転、和やかな空気が流れた。
「なんでこんな大真面目に話し合ってんだろ」
 呆れ笑いを漏らし、大和守は堀川をちらりと見た。堀川も、大和守に遠慮がちな視線を向ける。
 また同じタイミングで口を開きかけて、堀川が身振りで先を譲った。促された大和守は、小さな咳払いをして堀川に問いかける。
「……海の底って、やっぱり暗かった?」
 尋ねられた堀川は、まるで当時のことを思い出しているかのように、足元へ視線を落とした。
「上を見れば、海面に光が差しているから、ちょっと明るかったですよ。暗く濁っている時もありましたけど、だいたいは澄んだ青色で、グラデーションって言うんですかね、中心は眩しいくらい真っ白で。波が立つと、色の調和が崩れて浅葱色になって」
 懐かしかったです、と笑い、堀川は顔を上げて大和守に視線を移す。堀川が質問を返すより先に、大和守は自発的に答えた。
「僕もそんな感じかなぁ。沖田くんが療養で伏せてた時、よく空を見てさ。広い青空が皆の背中みたいで、懐かしくて……ああ、だからこの姿で顕現したのかも」
 笑って両手を広げ、新選組のダンダラ羽織を見せる大和守は、少しだけ寂しそうな顔で空を見上げた。
「あんまり湿っぽくなるのも、良くないんだろうけどね。清光にはよく怒られるし」
 無理に口角を上げる大和守に、堀川も僅かに眉を下げながら笑う。
「まあ、大和守さんの姿は、確かに当時の皆さんを彷彿とさせますからね」
「それを言うなら、堀川もでしょ」
 唐突に矛先を向けられて、「僕、ですか?」と堀川は目を瞬かせた。その大きくて丸い瞳を、大和守がじっと見つめる。
「堀川の目の色、凄く綺麗な浅葱色。僕さ、堀川の目を見る度に、懐かしくなるよ」
 ついでに和泉守も、とおどけて笑った大和守へ、堀川は少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「過去に引きずられるのは良くないけど、ときどき思い出して懐かしむぐらいは良いよね」
「新選組があったからこその、僕たちですからね」
 頷き、笑い合う二人は、揃って青い空を仰ぎ見る。
 ちょうど流れてきた白い雲が映えて、大和守の羽織と同じ色合いになった空を見ていると、通りがかった加州に声を掛けられた。
「堀川と安定が二人って珍しいね、なにしてんの?」
 頭のてっぺんから爪先まで、黒と赤を基調にした加州の服装に、大和守がやれやれと首を振る。
「清光は浅葱色がなさすぎだよね。もうちょっと新選組への思い入れとかないわけ?」
「は? 何の話?」
 突然意味も分からずに呆れられて加州が鼻白むと、今度は和泉守が廊下の先から顔を出した。
「兼さんは……瞳も羽織も浅葱色で、これ以上ないくらいに新選組! って感じですよね」
 和泉守を見て真剣な表情で言った堀川に、和泉守も「なんだなんだ、急にどうした」と怪訝な顔をした。
「や、ちょっとね」
「懐かしい色の話をしてたんですよ」
 そう言って堀川と大和守はにこにこと笑い、もう一度空を見上げる。
 二人の青い瞳に青い空が映り、白い雲が横切って、だんだら模様のような影を落とした。
1/1ページ