月夜に跳ねる歌


 うだるような暑さはいつのまにかすっかりと鳴りを潜め、眩しい日差しを懐かしく思い出す十月の宵。
 いつもより早い時間に夕餉を終えた今剣は、厨の方が何やら賑やかだと気付いて、ひょっこりと顔を出しました。
「……あれ、まだおりょうりですか?」
 割烹着姿の歌仙兼定と堀川国広、エプロン姿の燭台切光忠が同時に振り向きます。歌仙の腕には丸い容器が抱かれていて、中には白く粘度の高そうな生地が入っています。
「ああ、今夜は十五夜だからね。月見団子を作っているんだよ」
「夕食のときに、今日はお団子があるから腹八分目にしておきなさいと言ったろう? 聞いていなかったのかい?」
 最初に燭台切が言って、少し呆れた様子で継いだ歌仙の言葉に、今剣は「すみませーん……岩融とはなすのにむちゅうで」と苦笑いで舌を出しました。そして、「でもだいじょうぶです! おだんごなら、いくらでもおなかにはいりますから!」と得意げに胸を張ってみせます。
「ぼくも、なにかてつだいましょうか?」
 聞きながら三人の前を横切り、流し台で手を洗う今剣。答えを聞く前からすでにやる気のようで、歌仙は「まったく」と困り眉ながらも笑みをこぼし、燭台切と堀川に視線をやりました。ややあって、堀川が歌仙の持っている容器を見ながら口を開きます。
「じゃあ、この生地の分、僕と丸める作業をしましょうか。歌仙さんと燭台切さんには次の生地を作ってもらって」
 流れるような提案に、燭台切は「うん、そうだね」と頷いて賛成します。歌仙も笑顔で首肯しました。
「じゃあ、よろしく頼めるかな」
 燭台切が立っている場所を今剣と交代し、歌仙も新しい調理器具を出しながら、にっこりと笑いかけました。
「神様にお供えするものだからね、しっかり頼むよ」
 今剣は「まかせてください!」と頼もしい笑みを見せて、堀川と二人で、月見団子の形を整える作業に入りました。

「ひい、ふう、みい、よ……じゅうろく! これでぜんぶですね」
 穏やかな空気の厨に、今剣の溌剌とした声が響きます。
 歌仙から受け取った生地を台の上に広げ、棒状に伸ばして十六等分し、手のひらで一つ一つ丸める作業を始めて十数分。台の上には、大きな団子がちょうど十六個並びました。手の大きさが少し違う二人ですが、ときどき自分の作っている分を見せ合って相談しながら作ったので、どれも綺麗に同じような形と大きさをしています。
「うん、良い感じにできましたね」
 堀川も満足げに微笑んで、棚から蒸し器を取り出しました。今剣が洗ったさらしの布巾を広げて、丸めた団子を等間隔に配置して蓋をします。
「あとは三十分か四十分くらい蒸して、ちょっと冷ましたら完成かな」
 一仕事終えた堀川の言葉に、今剣が「そんなにまつんですか」と驚いた声を出します。しかし、それを聞きつけた歌仙が不敵に笑って言いました。
「今のは神様にお供えする分だからね。これからは僕たちが食べる分を作っていくよ」
 彼の腕には、すでに二回目の生地が入った銀のボウルが抱かれています。中身は、いま今剣と堀川が蒸し器に入れた分よりも、明らかに多くなっていました。
「一人当たり、少なく見積もっても五から十個……本丸の男士は九十振りだから、だいたい四百五十から九百個かな」
「出されたら出されただけ際限なく食べる刀も多いし、多めに作っておいて大丈夫だろう。さ、手を止めている暇はないよ。三十分四十分なんてあっという間だからね」
 燭台切と歌仙のやり取りに、今剣がわたわたと次の生地を受け取り、再び団子の成形作業に取り掛かります。
「今度は大きさを揃えなくても構わないよ。小さければ短刀たちが食べやすくなるし、大きくても岩融や肥前たちが平気で食べるだろうしね」
 歌仙の助言に耳を傾けて頷きつつ、今剣は一生懸命に生地を丸めては蒸し器に並べて団子作りに励むのでした。

 やがて「そろそろ良いんじゃないかい?」と歌仙が言い、今剣と堀川は団子作りの手を止めました。堀川が、最初に蒸しておいた蒸し器を火から下ろし、今剣が充分に注意しながら蓋を取ります。
 途端に、空中に広がった蒸気が二人の頬を優しく暖めました。見ただけでわかるほど柔らかく蒸しあがった団子に、今剣が「わぁ……!」と頬を紅潮させます。心なしか、厨中に甘い匂いまで漂っているような気がしました。
 堀川は菜箸を使って団子を手早く取り出すと、十六個あるうちの一つを指先でつまみました。ふうふうと息を吹きかけて冷ましたそれを割ってみると、中までつるりと透明度が高く、ばっちりと蒸されているようです。「うまくできましたね」
 嬉しそうな今剣に笑みを返し、堀川はその団子を彼の口に押し込んでやります。「!」今剣は驚いた表情で目を瞬かせ、「やわらかいけど、あじがないです」と正直な感想を漏らしました。平和な光景に、歌仙と燭台切が口角を緩めます。
 用意しておいた大皿の上に残りの十五個を並べて、今剣と堀川はうちわで勢いよくあおいでいきます。小さなうちわでぱたぱたと風を送り、数分もすると、団子の表面には美しいつやが出ました。
「じゃあ、この三方(さんぽう)に乗せて、縁側に持って行ってくれるかな。そう、一番広い大広間の、向こう側の縁側だよ」
 料理台の下にあらかじめ準備していたらしい、穴の開いた板付きの台座を出して、歌仙が指示を出します。今剣は堀川と一緒にまず団子を台へ三列に乗せて、一段目は九個、二段目は二列で四個、三段目に二個、合計で十五個の団子を積み上げました。
「ぼくがもっていきますね」
 次々に蒸しあがる団子にてんてこ舞いの厨で、今剣が三方を手に声を上げます。
「転ばないよう、気を付けてね」
 燭台切に優しい声で送り出されて、今剣は「はいっ!」と元気よく厨を後にしました。

 廊下に出ると、紺色の夜空に浮かぶ月が、本丸を見下ろすように輝いていました。丸く黄金色をした望月に見惚れ、いけないいけない、お団子を運ばなくてはと今剣は長い廊下を歩き出します。
 縁側ではすでに五虎退と薬研がススキを飾っていて、仔虎たちがちょっかいを出そうとするのを、鳴狐のお供とがいさめていました。白山のお供も、傍でススキを見張るようにたたずんでいます。
 月見団子を乗せた三方を持って現れた今剣に、庭に出ていた刀剣男士が集まってきました。
「見事な月見団子だな」
「おいしそうですね……!」
 覗き込んでくる面々に「これは、おつきさまようのおだんごなんですよー」と言いながら、今剣は三方を縁側の月光がよく当たる場所へ置きます。
 ちょうどそのとき、廊下の向こうから堀川がやってきました。腕に大量の団子が盛られた大皿を抱えて、彼は開け放った障子から大広間に入って大皿を机に下ろし、「皆さんで食べる分は、歌仙さんと燭台切さんがまだまだ作っていますからね」と他の男士に声をかけます。何人かの男士は、二人を手伝ってくるかと厨に向かいました。
 三方を見栄え良く飾り付けた今剣は、縁側から改めて満月を見上げます。煌々と神秘的な光を放つ丸い月を見て、彼は静かな童歌を口ずさみました。
「……うさぎ、うさぎ、なにみてはねる」
「十五夜お月様、見て跳ねる」
 振り返ると、大広間から出てきた堀川がにこりと笑っていました。今剣は不思議そうに尋ねます。
「どうしてうさぎなんでしょう」
 純粋な疑問を浮かべる今剣に、堀川は満月を見つめたまま答えます。
「月の表面をよく見ると、白っぽい模様みたいなものがありますよね。あれが昔の人には、餅をつくうさぎに見えたそうですよ。それで月にはうさぎが住んでいると言われていたとか」
「なるほど……おだんごをおそなえするのも、うさぎがもちをついているからですか?」
「いや、それはどうも古米を消費するためとか、神様に穀物がたくさんとれたことを感謝するためとか、いろいろあるみたいですね」
「おつきみはへいあんのころからやっていましたけど、おつきみだんごは、はじめてみました」
「月見団子は、江戸時代の後期にできた文化らしいですよ」
 すらすらと答える堀川に、今剣が「堀川はものしりですね」と頬を緩めます。そして、「あ、そういえば」とさらに首を斜めに傾げました。
「さっきの、うさぎうさぎのうたですけど……つきにみえるもようがうさぎなのに、どうしてうたでは『じゅうごやおつきさま、みてはねる』なんでしょうか? つきにすんでいるうさぎが、おつきさまをみてはねるというのは、へんじゃないですか?」
 赤い瞳を、月の光にきらめかせて問う今剣。この問いかけには、さすがの堀川も「確かにそうですね……」と顎に手を当てて考え込みます。
 二人はしばし真面目な顔つきで黙考し、二人きりの縁側は静寂に包まれました。やがて、堀川が先に口を開きます。
「……昔話で、竹取物語というものがありましたよね」
「たけのなかから、おひめさまがうまれるはなしでしたっけ」
 聞き返した今剣に「そうです」と頷き、堀川は月を見上げながら続けます。
「あのお姫様は、実は月の国からやってきた、月の住人であるお姫様でしたよね。もしかしたら童謡のうさぎも、本当は月で生まれたうさぎで、何らかの事情で地面に落ちてしまって……月に帰りたがっている様子を歌ったものだったりするのかもしれませんね」
 淡い月光に目を細めて語る堀川の横顔を、今剣はきょとんとした顔で見つめます。丸い瞳でぱちくりと瞬きをして、「……なるほど」と神妙な声音で納得したように呟きました。
「そうおもうと、なんだかかわいそうですね」
「まあ、単なる童歌ですから」
 堀川が慰めるように言い、今剣はどこか遠い目をします。
「あいたいなかまにあえないのは、さみしいですよね」
 満月の光を見て、堀川の顔に視線を移した今剣の目は、堀川に同意を求めているようでもありました。
「堀川も、そういうきもち、わかりますよね」
 思っていたことをそのまま尋ねられて、堀川の心臓がどきりとします。
「……そうですね。もう会えない人たちのことを思うと、どうしても寂しくなることはありますよ」
 今剣の眉が下がり、彼はしょんぼりと擬音が聞こえそうなほどに肩を落とします。
 そんな今剣に、堀川がふっと表情を和らげました。
「でも、今は以前ほど寂しくないですよ――この場所でも、大切な仲間ができましたから」
 堀川が言ったのとほぼ同時に、廊下の先から何人分もの足音が聞こえてきました。
「ほらほら、お団子のお通りだよ」
 大皿を抱える歌仙の後ろに、徳利や焼酎の瓶を持った日本号が続きます。
「月見なら、酒は必須だよなぁ」
「君たちは年がら年中、何かにつけて酒を飲んでいるじゃないか」
 苦々しい顔をする歌仙ですが、
「月は、水面や酒に映る姿を愛でるのも風流なんだろう?」
「…………君に雅を説かれるとは」
 したり顔の日本号に、実に悔しそうに唇を噛んでいます。
「お団子、みたらしにあんこと……あと何があったっけ?」
「ボク、砂糖醤油がいいなぁ。あ、燭台切さんならずんだも作ってそうだよね」
 加州と共に大皿を運ぶ大和守へ、乱がはしゃいで言いました。
 にわかに活気づいた大広間を見て、堀川が今剣に優しく笑いかけます。
「もしうさぎが地上に落ちてしまっていても、今の僕らみたいに、新しい場所でたくさんの新しい仲間と出会えていたら良いですね」
「……そうですね。ぼくも、そうおもいます」
 元気を取り戻した今剣は、縁側から降りて庭先に駆け出しました。
「堀川はいいことをいいますね。堀川も、ぼくにとってたいせつななかまですよ!」
 両手を大きく広げ、夜空に向かって飛び跳ねる今剣に、堀川も満面の笑みを浮かべました。
 今剣の白い髪が夜風になびき、深紅の瞳は星屑を宿して輝いています。
 小柄ながらも満月に届きそうなほど高く飛びあがる姿は、月と現世を自在に行き来する白兎のようにも見えて、堀川はその後ろ姿にうさぎの童歌を重ねて微笑みました。
 秋の夜長には宴の声が響き、夜はゆったりと更けていきました。
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