第二話「七転八起の笑みこぼし」


 場所は函館。時代は明治、維新の記憶。
 乾いた北の大地を踏みしめて、加州清光は深く息を吐いた。緊張と、確かな高揚感で心臓が熱く脈打っている。風になびいた赤い襟巻に付けられている桜花の飾りが、陽の光を反射してきらきらと輝いた。
「……どきどきしますね」
 傍らで控えていた秋田藤四郎が、加州と同じように頬を赤く染める。こちらもやはり怖気づいた様子はなく、初陣に心が浮き立っているらしい。
「やっぱり、俺らって刀なんだよね。戦場に出ると気持ちが昂るっていうか」
 呟いた加州に、気を紛らわせようと秋田は簡単な質問をする。
「加州さんは、僕が来る前に出陣したことがあるんですか?」
 邪気の無い顔で問われ、加州は苦笑混じりに頬を掻いた。あの時のことは、正直あまり思い出したくない。
「……顕現してすぐに、一度だけね。単騎出陣、初期刀の通過儀礼なんだって。負けるところまで含めて、殆どの初期刀が必ず通る道だってさ」
 苦笑いの表情で告げられて、気まずいことを聞いたかと秋田は慌てて謝罪する。
「す、すみません」
 頭を下げる秋田に、加州は笑って彼の頭を撫でた。
「別に、あれは必要なことだったからね。怪我をすることで、手入れの仕方を学ぶって目的もあったし」
 加州は前方に広がる大地を見やった。自分たち以外に人影のない荒野に、赤い点が見える。
 忙しなく動き回るその赤を見て、加州は小さく嘆息した。
「……まあ、怪我したところで元気そうな奴もいるけど」
 赤い点は、よく見ると小さな少年の姿をしていた。敵の姿を探しつつ、人の身体を堪能して走り回る度に赤い短髪が風に揺れる。
 人間同士の戦場から離れた場所に敵の姿を見つけた瞬間、
「あいぜーん! 戻っといでー!」
 部隊長の加州に呼ばれて、少年の姿をした刀剣男士――愛染国俊は勢い良く振り返った。
 金色の瞳を輝かせ、全速力で駆け寄ってくる愛染の姿に、加州は思わず秋田が顕現した時を重ねる。そして自分も顕現した瞬間は、あんな目をしていたのだろうかと思いを馳せた。
 全力で走ったせいで息を切らしている愛染を、加州は笑いながらたしなめる。
「戦の前に体力使い果たしてどうすんのさ」
 膝に両手をついて肩で息をする愛染は、顔を上げて満面の笑みを浮かべた。
「へへっ。人間の身体が面白くってさ、つい調子に乗っちまった」
 愛染の額には玉のような汗が浮かんでいる。それを右腕で荒々しく拭う彼に、加州が淡々と尋ねた。
「それで、敵の姿は見えた?」
 短時間ですっかり調子を整えた愛染は、「おうよ!」と胸を張って応える。
「短刀が二体の鶴翼陣だったな。ま、二体で陣形も何もないけどさ」
「こちらは三振りですから、数の上では有利ですね」
 即座に秋田が冷静な分析をして、二人は加州に目を向けた。
 あまり戦の経験がないと言っていた秋田の顔は、しかし歴戦の猛将のように引き締まっている。愛染の目も、戦場に着いた時から変わらずに爛々と輝いていた。
 どちらも士気は充分に高まっているようだ。
 頼もしい二振りの姿に、加州は少しだけ笑みをこぼす。
「じゃあ、こっちは魚鱗陣で行こうか。……くれぐれも無茶はしないように」
 出された指示に頷いて、秋田と愛染は加州と共に走り出した。
 敵は、加州が想定していたよりもずっと近くにいた。濛々と土煙を巻き上げて接近し、一撃で切断する。たった一振りでの初陣から三日目、出陣がないからと鍛錬を怠ったことはない。
 必然とはいえ、敗北を喫した戦を思えば尚更だ。
「オーラオラオラァ!」
 雄叫びを上げて剣を振るうのは爽快だった。斬り伏せられた敵は霧散し、風に乗って青空に消える。まるで最初から存在していないようだった。
 血の一滴、涙の一滴も流れはしないのが、不気味でもあり、どこか夢幻のようにも見える。
 それを見送って、加州は後方で戦う二振りのもとに走った。加勢のつもりだったが、加州に負けず気迫のこもった叫び声に足が止まる。
「どおりゃっ!」
「ここです!」
 自分自身でもある短刀を振り回し、鋭い一撃を放つ二人。その刃は敵の頭部と胴体を的確に貫いて、敵は先程の個体と同様に塵と化す。一欠片の血肉も残らなかった。
 敵が空の彼方へ溶けるのを見届けて、加州は静かに納刀した。倣って、秋田と愛染も自らの刀を鞘に納める。
「後は、もう一か所だったっけ」
 加州が、敵の消えた道の先を見る。空から、十二面体の賽が降ってきた。五角形の面に一つずつ十二支が刻まれているそれは、ころころと転がって寅の文字を上にした状態で止まった。
 それと同時に示された方角の先で空気の流れが変わり、加州たちは素早く視線を向ける。
「あっちか」
 愛染が待ちきれないと言いたげに口角を上げた。
 出陣前に主と打ち合わせた通りなら、この先が大将――いわゆるボスといったところだ。
 加州は刀の柄に手をかけ、前方を見据えたまま地を蹴った。秋田と愛染もそれに続く。
「最後まで油断せずに行くよ!」
「はい!」
「おう!」
 残された賽は音もなく地面に溶けて、ひっそりと合戦場から離脱する。
 そこからすでに遠く離れた加州は、新たな戦場で酷薄な笑みを浮かべた。よどんだ空気の発生源では、異形の者がこちらに気付いた様子だった。
「お前がボスってやつかよ」
 加州の声に秋田と愛染が相手の陣形を察知し、音もなく抜刀する。加州は踊るように眼前の敵へと斬りかかった。狙われた獲物は、反撃すら出来ずに一瞬で葬られる。
 一滴の血も流さずに霧消した敵を見送る加州の背後に、二体目の敵が迫っていた。まるで拘束されているかのように手を後ろへ回し、胸だけを奇妙に突き出している。脇差だ。
 見ずとも感じる殺気に背筋をなぞられ、反射的に身体を逸らす。脇差が放った斬撃が結った黒髪にかすり、はらはらと数本が風に舞った。
「加州さん、大丈夫ですかっ!」
 秋田が敵と加州の間に割って入り、引き離すように脇差へと重い一撃を食らわせる。心配の言葉で援護されて、加州も刀を構え直した。
「髪だけだから平気。さっさと片づけようか」
 じりじりと距離を詰め、相手との間合いをはかる。
 長いようで短い膠着状態を破ったのは、敵の方からだった。人の身を模した上半身を支える蜘蛛のような足で這うように迫り、加州ではなく愛染へと唐突に進路を変える。
 虚を突かれた愛染の無防備な腕に、深い傷が刻み付けられた。一瞬の間を置いて、真っ赤な血が流れる。垂れた深紅が地面に落ち、赤い染みを作った。
「……ってぇなぁー」
 顔をしかめ、愛染の口から噛み締めるような呟きが漏れる。
「愛染!」「愛染くん!」
 ほぼ同時に加州と秋田が声を上げ、加州は敵の刃を薙ぎ払い、秋田は愛染の身を案じて走り寄る。だが、愛染の口元は楽しげに弧を描いていた。
 青空に映える赤い短髪を振り乱し、握る刃を陽に煌めかせて、愛染は天高く吠えた。
「ぶっとばーす!」
 胸部を目がけて目にも止まらぬ速さで突き出された刃が、寸分違わず的へ吸い込まれる。
 敵の脇差は恨みがましげに眼を鋭く細め、陽の向こうへと砕けて散った。
「……終わったね。愛染、傷は大丈夫?」
 周りを確認して刀を納めると、加州は愛染を気遣って声を掛けた。
「こんなの掠り傷だぜ!」
 強がりではなく心から笑って見せた愛染だったが、
「無理は良くないよ」
「痛っ!」
 加州が腕に触れた途端、目尻に涙を浮かべて悲鳴を上げた。
「戦の怪我は手入れで治る傷だけど、人の身体は意外と脆いんだからね」
 そう言い聞かせ、地面に膝をつき愛染の血の汚れを拭ってやる加州。その横に立つ秋田が、敵の消えた大地に桜が舞うのを見て口を開いた。
「加州さん、あれは……」
 秋田が言い終わらないうちに、どこからともなく降る桜の中で影が姿を現した。
 風に揺れる白髪に、明度の低い紺色の洋服。獣のようにも見える金色の瞳を持った少年は、足元に五匹の仔虎を従えている。
 加州と秋田、愛染の視線を受けて、彼は恥ずかしそうに頬を染めた。
「僕は、五虎退です。あの……しりぞけてないです。すみません。だって、虎がかわいそうなんで」
 五虎退と名乗った少年――もとい刀剣男士が微笑むと、桜が彼を隠すように舞い上がり、淡く白い光と共に包み込んでしまった。
 その光が散ってしまう頃には、五虎退の姿はどこにもなかった。
「な、なんだ?」
「今のは……」
 驚く愛染と秋田の隣で、愛染の手当てを終えた加州が膝の土汚れを払って立ち上がった。
「とりあえず、この合戦場はこれで終わりみたいだし、本丸に帰ろうか」

 本丸の天気は、昨日と同じく快晴だった。本丸紋の描かれた門扉が開き、三人が帰還する。
 大怪我こそしていないものの、戦帰りというのが一目で分かるくらいにはぼろぼろだ。
「あー、疲れた。ただいまー」
 汚れた戦装束の埃を払う、気怠げな加州の声が響く。迎えに出たこんのすけに、加州は刀を肩に担いだ格好で戦果を報告した。
「ボスは倒したけど愛染が怪我しちゃったから見てあげて。俺も一緒についてった方が良い?」
「いえ、手入れ部屋には私が案内しましょう。加州様と秋田様は内番着に着替えを。それから、愛染様の部屋の前でお待ちください」
 こんのすけの言葉に、加州は秋田と共に手を振って本丸の中へ入っていく。
 その背中を見送り、こんのすけは愛染へと向き直った。彼の腕が血に染まっているのを見て、能面のような無表情に近い顔に、少しだけ笑みを見せる。
「お疲れさまでした。ご活躍でしたね」
 へへっと鼻の下を人差し指で擦り、愛染は少し照れたような、それでいて誇らしげな表情で笑った。
 それから一人と一匹は、一階奥の手入れ部屋へ移動した。本体の手入れだけでなく、身体も休められるようにと布団も準備されている和室の広間だ。
 室内は、何振りかが同時に手入れへ入っても気兼ねないように襖で仕切られている。
「はやく部屋の場所覚えないとなー。この本丸の見取り図とかないのか?」
 戦装束と自分自身の本体をそれぞれ専用の修復用木箱と桐箱に入れて、手入れ用の寝間着に着替え、もぞもぞと布団に入る愛染。こんのすけが枕元に腰を下ろす。
 愛染の問いに、こんのすけは首を傾げて考えた。
「本丸の間取りはパソコンに記録してありますから、目に付く場所に貼っておきましょうか」
(パソコン……。絡繰りか)
 この時代には奇怪な物があるもんだ、と声に出さずに思いつつ、愛染は落ち着きなく布団の中で寝返りを繰り返す。ふかふかの布団は気持ちが良いが、まだ戦の興奮が静まらなかった。
 壁に掛けられた時計が、カチカチと規則的に秒針を鳴らしている。見上げると、文字盤には四角い枠がはめられていて、現在時刻とは別に十数分の時間が表示されていた。時間は、一秒ずつその数字を減らしていく。
 数が零になったら手入れ終了だと、こんのすけが教えてくれた。
 やがて表示が零になり、手入れが終了すると、愛染は勢い良く跳ね起きた。
「手入れ完了ですね。廊下を曲がって右に行ったところが愛染様の部屋ですから、まずは普段用の服――内番着に着替えてきてください。加州様と秋田様が部屋の前でお待ちのはずです」
「ん、分かった。ありがとな、こんのすけ」
 こんのすけが木箱から戦装束を出して渡すと、受け取った愛染は、こんのすけの頭をわしゃわしゃと撫でた。桐箱から本体を取り出して手入れ部屋を後にする。
 手入れ部屋からそう遠くない部屋の前で、加州と秋田が待っていた。
「ろくに部屋の説明もしないまま戦に出たからね」
 ちょいちょいと手招きする加州。その隣で秋田も楽しそうに笑っている。二人とも、戦の時とは違う服に着替えていた。
 二人に部屋を教えられ、愛染は自室の障子を開けた。薄暗く静まり返った部屋に入り、壁のスイッチを押して明かりを点ける。一人で過ごすには充分な広さの和室には、文机などの調度品が一通り揃っていた。
「まあ、だいたいのことは説明しなくても分かると思うけど。昨日までは俺と秋田の二人だけだったから、俺たちは二人で近侍室に泊まってたんだけど、今日からは自室があてがわれるんだって。愛染の内番着はこれね」
 加州が、箪笥の前に置かれている洋服を示す。さっそく着替え始めた愛染は不服そうに口を尖らせた。
「こっちには愛染明王いないんだな」
「愛染明王? えっと、愛染くんの戦着に描いてある……」
 秋田が愛染の戦装束を見ると、着替え終わった愛染は戦装束を広げて自慢した。
「これが愛染明王。格好良いだろ!」
「とっても強そうですね!」
「へへっ、オレには愛染明王の加護が付いてるんだぜっ」
 和気藹々と話し合う二人の間に、見ていた加州が割って入る。
「はいはい、戦着は箪笥にしまっておいてね。着替え終わったら主のところに行くよ。戦場で新しい刀にも会ったし、そっちも迎えに行かないと」
 加州が両手を叩いて二人の話を切り上げると、愛染は「忙しいんだなー」と言いながら戦装束を箪笥にしまった。
 部屋の照明を切って、加州を先頭に廊下を歩き、主の部屋へ向かう。
「そういや、オレ本丸のことよく知らないんだよな」
 ふと思い出したように、きょろきょろと辺りを見回す愛染。秋田も、興味深げにその視線を追いかけた。
「そうですね……。僕は愛染くんより先に来ましたけど、まだまだ知らないことが多いです」
「一階は厨とか居間、広間の他に風呂場とかあったでしょ? あれ以外は殆ど男士用の部屋になるらしいよ。しばらくは顕現した順で、大広間なんかは五、六振りくらいがまとめて使うのかも」
 加州が言って、「それでは、これからもたくさんの仲間が来るんですね」と秋田が嬉しそうに笑った。
 一階の廊下を進み、階段を上がると、すぐに審神者の執務室がある。隣は近侍室で、さらにそれを挟んで隣は審神者の私室、秋田や愛染が顕現した鍛刀部屋と続く。
「主、来たよ」
 執務室の前で加州が声を掛けると、さして待たずに襖が開いた。
 しかし、顔を出したのは加州たちの主ではなく、こんのすけだった。
「部屋の確認は出来ましたか?」
 こんのすけに尋ねられて、愛染は大きく頷いた。
「加州と秋田に教えてもらったから大丈夫だぜ」
 なら良かったと笑うこんのすけに、加州が口を尖らせる。
「またこんのすけ? 主は?」
「主様は本日もご多忙でして。不服でしょうが、どうか私めで我慢くださいませ」
 不満げな感情を隠すことのない加州に、へりくだりながらもさらりと流すこんのすけ。それをにこにこと見ている秋田。
 出来たばかりの本丸らしいが、とても仲が良いんだなと、愛染は笑みを零した。
「これから、合戦場で出会った刀剣男士を迎えます。男士はこちらの部屋に待機しています」
 こんのすけが示したのは、鍛刀部屋の方だった。
「戦場の出会いは鍛刀と違って特殊ですから。敵を倒すことによって得た仲間、ドロップとも言うのですが……合戦場を連れ歩いたり、一時帰還するわけにもいきませんので、鍛刀部屋へ自動的に送られる仕組みになっております」
 あくまでもこの本丸の場合ですが、と付け加えて、こんのすけは鍛刀部屋を見た。
「新しい仲間ねぇ」と目を細める加州に、愛染が不思議そうな顔をする。
「どうかしたのか?」
 無邪気な質問に、加州は呆れ気味に答えた。
「あのね、そもそも今日は出陣する予定なんてなかったんだよ。鍛刀だけして、戦に出るのは明日以降の予定だったわけ。だけど鍛刀で呼ばれた愛染が『戦に行きたい』って言ったから、予定変更して出陣したの」
 その答えに愛染は気まずそうに苦笑いで頭を掻き、秋田が加州をなだめるように言った。
「えっと、僕たちは刀ですから。戦に出たくなるのはしょうがないですよ」
 加州は両腕を軽く組んでわざとらしく頬を膨らませる。
「別に怒ってるわけじゃないけど、新しく来た刀が愛染みたいに好戦的だったらどうしようかと思ってるだけ。何度も出陣で予定が狂うのは困るからさ」
(……戦場に出たがるかはともかく、好戦的と言えば加州様も負けてないと思いますがね)
 こんのすけが胸中で呟いて、それを口には出さず微笑んだ。
「先ほど顕現された刀は、それほど戦好きという性格ではありませんよ。どちらかと言えば、気が弱いくらいですかね……。勿論、頼もしい刀ではありますから、安心してください」
「ふうん? ま、良いや。とっとと開けちゃうよ」
 言って、加州が鍛刀部屋の襖に手を掛けた。
 和室の明かりは既に点いていて、柔らかな照明は顕現時の白い光を思い起こさせる。部屋の中心に置かれた大きな桐の箱を開けると、白い鞘に黒い水玉模様が印象的な短刀があった。
 どこに仕舞っていたのか、こんのすけが鍛刀御守を出して加州に渡す。加州がそれを短刀の本体に当てると、途端に御守が光を放ち、刀はみるみるうちに人の姿へ変わっていった。
 ふわふわした白い髪が揺れ、困ったように眉を下げた表情で、少年の容姿を持つ短刀――正座していた新たな刀剣男士は、ふらりと立ち上がった。
「あっ改めて、僕は五虎退といいます。五虎退吉光……粟田口の短刀です。えっと、これから、よろしくお願いします」
 彼は太腿に指先を揃えて、ぺこりと頭を下げる。五虎退の足元には五匹の仔虎が控えていて、目線の近いこんのすけに近づいては匂いを嗅いでいた。
 愛染の口が「……吉光?」と小さく呟くと、五虎退は花のほころぶような笑みをこぼした。「はい。粟田口吉光という刀工に打たれたので」
 僕と同じ刀派ですね、と秋田がはしゃいだ声を上げ、加州は「知ってるの?」と愛染に問いかけた。愛染が、鼻の下をこすりながら答える。
「前の主さんの縁で、吉光の名を持ってる剣と一緒にいたことがあってさ」
 ほう、と皆が興味深そうな顔をして、こんのすけが「こほん」と咳払いをする。
「五虎退様ですね。私はこの本丸の管狐、こんのすけと申します」
 仔虎に嗅がれても動じないこんのすけが頭を下げ、五虎退は薄くそばかすの浮いた顔を赤く染める。彼は動揺して辺りを見回したが、
「俺は初期刀の加州清光。よろしくね、五虎退」
 頼もしく微笑みながら差し出された、爪紅の塗られた手で握手を求められ、
「僕は秋田藤四郎です。初めて兄弟が来てくれて嬉しいです!」
 淡い桜色の髪を持つ兄弟刀に優しく笑いかけられ、
「オレは愛染国俊! 実はオレも今日この本丸に顕現したばかりなんだ。よろしくなっ!」
 快活な自己紹介と共に眩しい笑顔を向けられて、
「……は、はいっ! よろしくお願いしますっ」
 歓迎されているらしいと肌で感じ、頬を緩ませて、加州としっかり握手を交わしたのだった。

 四人に増えた一行は部屋を出て、こんのすけは男士に指示を出した。
「私は今から主様と本丸の間取り図を作りますので、その間に皆様は五虎退様の案内をお願い致します。部屋は愛染様のお隣で……厨や浴場など、本丸の中を一通り回りましたら、居間に集合してください。庭には私も同行しますので」
 またもどこから取り出したのか、こんのすけは優先的に案内してほしい場所が書かれたメモを加州に渡す。代わりに用の済んだ鍛刀御守を受け取り、彼は審神者の執務室に入っていった。
「了解~。じゃあ、行こうか」
 メモを受け取り、加州は皆に声を掛けると一階へ足を踏み出した。五虎退の仔虎は、主人が歩くと素直についてきた。
 最初に向かったのは、五虎退に与えられた部屋だった。愛染の時と同じく、最低限の家具と内番用の洋服が用意されている。
「まずは内番着に着替えようか」
 加州が言って、五虎退は箪笥前の内番着を手に取って見る。
「なんか、秋田の服と似てんなぁ」
「そうね。同じ刀派だから揃えてるのかも」
 愛染と加州の会話を聞きながら、五虎退は戦装束を脱いで洋服に袖を通した。ボタンなどの留め具や装飾のないシンプルな作りのため、一人でも簡単に着られそうだ。
 ただ、胸元の紐を結ぶのは思ったよりも難しく、
「僕がやってあげます!」
 秋田が張り切ってリボン結びを手伝った。
 五虎退が着替えている間、手持無沙汰の仔虎たちは暇そうに欠伸をしていたが、そのうちの一匹が風呂敷の中に仕舞われていた筆に興味を示した。
「こら、駄目だよ」
 加州が首根っこを掴むと、仔虎は逃げようとじたばたもがく。
 着替え終わった五虎退に「虎くん、加州さんの言うことはちゃんと聞いて」とたしなめられて、しゅんと彼の足元に隠れてしまった。
「さて、まずは一階から案内するかな」
 部屋を出て、加州を先頭に二列になって廊下を歩く。五虎退の部屋の隣は愛染の部屋で、更にその向こうは秋田、加州の部屋だと教えられた。
 そして三階の執務室や審神者の私室の間に近侍室があり、第一部隊の隊長に選ばれた者は、近侍となることも教えられる。
 一行は一階の奥から順番良く回る。
 手入れ部屋の次は倉庫に洗濯場、それから浴室に居間に厨、広間に玄関と、それぞれの持つ役割も説明しながら本丸を一周する。
「裏には厩とか畑用の空き地とか、あと稽古用の武道場もあるんだけど、まだ内番やってないから俺もよくわかんないんだよね。庭に行くとき案内してもらえると思うから、居間で待ってようか」
 一周し終わった加州たちは、居間の卓袱台の前に座った。秋田は正座で加州の隣に座り、愛染は腰を下ろして胡坐を組む。五虎退は正座で、仔虎たちを膝や自分の隣に座らせた。
 それから数分も経たないうちに、こんのすけが三階から降りてきた。風呂敷を首に巻いて、結び目からは丸められた用紙が数本飛び出ている。
「本丸の間取りを描いた紙を印刷したので、居間に貼っておきましょう。早く覚えたい方は、各自の部屋に貼っても良いですよ」
 風呂敷を下ろしたこんのすけに、加州は紙を一枚とって広げた。簡単に描かれた歩なる内の見取り図は、文字に不慣れな加州たちにも分かりやすい、シンプルなものだった。
 居間の壁に紙を貼り出して、加州は四隅をこんのすけの持ってきたセロハンテープで留める。
 そして秋田たちの方へ振り向き、
「近侍室にも貼っておいた方が良いかな。俺は自室にも貼るけど、欲しい人いる?」
「お願いしますっ」「じゃあオレもー!」「僕も、お願いします」
 全員にねだられて笑いながら配った。
「これから来る全男士の部屋に、あらかじめ貼っておいた方が良いかもね」
 加州が言って、こんのすけが頷いた。
「さて。配ったところで何ですが、これから外を見に行きますので、紙は机に置いていきましょうか」
 四人は紙を卓袱台に纏めて置き、紙が動かないよう上にセロハンテープの台を載せた。
 加州たちは、玄関で靴を履き替えて外に出た。玄関を出ると、石の小道が一本延びていて、離れた門まで続いている。石畳の上を歩き、こんのすけによる本丸案内が始まった。
「この正門は、いろんな時代や地域に通じる入口であり、帰り道でもあります。主様が行先を設定すると、商店街に通じたり、出陣先や他の施設に繋がったりもします。それを設定できるのは主様だけですので、男士の皆様は普段は近付かないようにお願い致します。御用の際には、主様か私に声を掛けてください」
 門は、傍目には何の変哲もない。とても大きくて横幅があり、門扉に本丸紋が描かれている以外には普通の門だ。
「行先の変わる門ですから、どことも繋がっていない状態で通ると時空の狭間に飲みこまれてしまうかもしれません。もしもその状態で、行った先で大怪我でもしたら大変です。最悪は、帰ってこられなくなる可能性もあります」
 そう締めくくると、五虎退が怯えた表情で一匹の仔虎を抱きしめた。
「凄いですけど……こ、怖いです」
 心なしか青ざめている彼に、こんのすけは五虎退を安心させるように微笑んだ。
「意地悪で脅かしているわけではないのですよ。確かに、使い方を間違えれば危険な物は多いです。でも、正しく使えばとても便利な物ですから」
 こんのすけの言葉に、加州も五虎退の頭をぽんぽんと撫でてやる。
 一行はぞろぞろと本丸の敷地内を回る。広々とした庭を横切った先に、空き地と小さな建物があった。畑の後ろには厩舎がある。
「今は未だ人数が少ないですが、もう少し増えたら内番も始めなくてはいけませんね」
「内番って、畑と馬の世話に手合わせでしょ? 皆、手合わせしたがるだろうなぁ」
 加州は顎に手を添えて見通しを立てる。
 戦友ともなる馬はともかく、空き地を耕すなど刀のすることじゃないだろう。現に、愛染は苦々しい表情をしていた。
「畑当番って地味じゃねぇ?」
「内番に地味も派手もないでしょ。ついでに、祭りもないからね」
 加州が愛染の口癖を真似すると、愛染は「手合わせがあるだろ!」と期待を込めた眼差しで加州を見つめた。
「だめだめ、こういうのは持ち回りなんだから。そうでしょ、こんのすけ」
 矛先を向けられたこんのすけは、わざとらしく困ったように「そうですねぇ」と笑いながら唸った。
「農作業は人間が生きていくために重要な仕事ですから。腹が減っては戦が出来ぬと、昔から言うでしょう?」
 諭すように言われて、愛染は「しょうがねぇなぁ」と、溜息を吐きながらも納得したように呟いた。
 その横で、五虎退がおずおずと手を挙げた。
「あの、良かったら畑当番は僕にさせてくれませんか?」
 いかにも主張の弱そうな五虎退の意外な言葉に、加州が「えっ」と声を漏らす。
「愛染のこと気にしてるんなら大丈夫だよ? 言ったけど、当番は持ち回りだから」
 すると五虎退は優しげな目で空き地を見て、
「僕、畑仕事には向いていると思うんです……!」
 その目を自信ありげに輝かせた。
 秋田も、興味津々といった様子で空き地を見ている。
「どんな動物がいるんですかね」
 どうやら未知の生き物との出会いに胸を躍らせているらしい。
 少なくとも畑当番を率先して希望する者が二人いることに安堵して、加州は、こんのすけに今日これからの予定を尋ねた。
「それで、午後はどうするの?」
 同時に、きゅ~っと何かがしぼむような音が鳴り響いた。頭に疑問符を浮かべた加州が音の出所を探ると、顔を真っ赤にした五虎退が、両手でお腹の辺りを押さえていた。
 それに続き、今度は地響きの如く重い音が鳴る。
「……へへっ」
 見ると、愛染が赤面して鼻の下を擦っていた。
「なんか腹の中が空っぽみたいな感覚なんだけど、これが『腹が減っては』ってやつか?」
 愛染の言葉に、こんのすけは顔を上げて空を見た。太陽は、そろそろ青空の一番上まで届きそうだ。
「そろそろ昼食の時間でしたね」
 こんのすけは皆に向き直って指示を出した。
「主様が昼食を用意して下さっているはずですので、皆様は居間に集まってください。手洗いうがいを忘れずに、仔虎たちも玄関にタオルを用意していますので、しっかり足を拭いてから上がってくださいね」
 そう言い残し、先に本丸へ去って行くこんのすけに、残された加州たちは五虎退の仔虎を手分けして抱きながらのんびりと玄関へ歩いた。
 玄関先で、加州は仔虎を五虎退に渡して先に靴を脱ぎ、仔虎たち用のタオルを取った。仔虎をしっかり捕まえて、一匹ずつ足を拭く。
 使ったタオルを纏めて洗濯場に持って行き、言われた通り手洗いとうがいを済ませ、四人と五匹は居間に戻る。
「うがいって難しいですね……。飲んじゃいそうです」
「こういうのは慣れるしかないよね」
 言いながら、加州はセロハンテープを持って紙を全員に配り直す。
「まだご飯出来てないみたいだし、先に本丸の見取り図、部屋に貼ってこよっか」
「そうですね」
 そして四人は全員分の部屋と近侍室を回って、本丸の見取り図を貼る作業を行った。それを終えて居間に戻ってくると、ちょうどこんのすけが四人を呼びに来たところだった。
「昼食の準備が出来ました。配膳のお手伝いをお願いします」
「今日の昼ご飯って何?」
 厨を覗く加州に、彼らを引き連れたこんのすけが説明する。四人が足を踏み入れた厨房には、温かく食欲をそそる香りが満ちていた。
「鮭や肉そぼろ入りのおにぎりに、野菜炒めと卵焼きです。主様は執務室でいただきますので、皆様は居間でお召し上がりください」
 作り立てだと見ただけでわかる料理の数々が、フライパンや大皿に用意されている。どれも色鮮やかだが、それを作ってくれたのであろう審神者の姿はどこにもない。
「えー、主は一緒じゃないんだ」
 残念そうな加州に、秋田が「食べ終わったら、主君にご馳走様でしたって、皆で言いに行きましょうね」と元気づけるように言った。
「ご飯かー、楽しみだなぁっ!」
「良い匂いです……!」
 初めての食事となる愛染と五虎退は、各自のお盆を持って棚から食器を出し、こんのすけや加州から食事について教えてもらう。五虎退の仔虎には、専用のフードが用意されていた。
 配膳が済んで全員が食卓に着き、加州がいただきますと号令をかける。仔虎はこんのすけの隣に並んで、五虎退に『待て』をしつけられていた。
 食事が始まると、愛染は臆せず肉野菜炒めに挑んだ。肉と野菜を口いっぱいに頬張った彼の表情が、ぱあっと太陽が照るような晴れやかな笑みに変わる。
 皿ごと食べかねない勢いでかき込み、むせて咳き込む愛染に、加州が呆れながら水の入ったコップを渡して背中をさすってやった。
 初めての食事に戸惑いつつ、愛染の様子を見ていた五虎退も、意を決して恐る恐るおにぎりを齧ってみた。その目が一瞬で煌めいたのを見て、加州と秋田は顔を見合わせて微笑み合った。
 食事が終わっても学ぶことはたくさんある。ごちそうさまでしたの声を揃えてから、加州と秋田で食器を洗い、全員で歯磨きをした。
「歯磨きしないと虫歯になるからね」
 口をすすいだ加州の言葉に、愛染が歯ブラシを動かしながら尋ねる。
「戦の傷は手入れで治るけどさ、虫歯とかは治ったりしないのか?」
 加州はタオルで手を拭きながら簡潔に答えた。
「治せないこともないんだろうけど、資源を無駄に使うわけにいかないでしょ。うちはただでさえ出来立ての本丸なんだし、節約しないと」
「ふーん。まあ、そりゃそうか」
 愛染はコップを手に口をすすぎ、何回かペッと吐き出して歯磨きを終える。加州と秋田は、こんのすけに呼ばれて何やら話を始めた。
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