君の姿と愛言葉
モノクマという謎のロボットに閉じ込められてから、もうどれくらいの日が過ぎたのだろう。
学園内という閉鎖空間で暮らしていると、時の流れが遅くなったように感じる。
超高校級の文学少女と呼ばれる女子高校生、腐川冬子は、自室で溜息を吐いた。
彼女が向かっている机の上には、書きかけの原稿用紙が散らばっている。高校生にしてベストセラー作家である腐川は、殺し合いという非日常的過ぎる空間においても、書くことをやめてはいない。
とは言え外にも出れない生活に息が詰まり、最近は少しスランプ気味だった。
一向に進まないペンを置き、何となく机の片隅に置いてある桔梗の花に目をやる。ついこの間、倉庫にあったものを持ってきたのだ。
暗い紫色の花だが、腐川はこの花を気に入っていた。
「そうだ、そろそろ水をやらなくちゃ」
そう呟き、気分転換も兼ねて、腐川は部屋を後にした。
自室から出た瞬間、ちょうど廊下を歩いていたらしい人物にぶつかり、腐川は尻餅をついた。
「ちっ……」
ぶつかった相手――超高校級の御曹司である十神白夜は、体勢を崩してはいないものの、腐川を見て忌々しげに舌打ちする。
「びゃ、白夜様! すすすすみません!」
挙動不審なほど平謝りする腐川に苛立った様子を隠そうともしない十神は、ふと開きっ放しのドアの向こうに見える原稿用紙の束と紫色の花を目にして、馬鹿にするように鼻で笑った。
「……桔梗か。地味なお前には似合いの花だ」
自分に好意を寄せている人間にそう言い捨てて、十神は足早に立ち去っていく。
廊下には、床に座り込んだまま肩を落とす腐川だけが残された。
腐川の前を去った十神は、その足で図書室に向かった。暇潰しに本でも読もうかと思ったのだ。奥の書庫には国家機密の文書もある。そこを探ればこの学園についても分かるのではないかという狙いもあった。
扉を開くと、室内には苗木誠と霧切響子の二人が居た。
「あ、十神クン!」
十神に気付いた苗木が、笑顔で声をかける。
「高瀬舟、か……。高校生にもなって、まだそんなものを読んでいるのか」
馬鹿にした物言いの十神に、しかしもう慣れている苗木は頬を掻く。
「一応、一般的な高校の課題図書なんだけどな……」
その隣で同じように読書をしている霧切が、本から顔を上げた。
「貴方も読書?」
頷いて肯定した十神は、彼女の手にある本のタイトルに目をとめる。
「花言葉……?」
「ええ。腐川さんにお勧めの本を尋ねたら、この本は色々な花言葉が載っているからって」
文学少女が小説ではなく花言葉の本を勧めたのは、女性は花言葉の類が好きだからだろうか。
十神は花言葉になど興味は無いが、先ほど腐川の部屋で見かけた桔梗の花を思い出し、目を細めた。
「そういえば、腐川さんは部屋に花を飾っているらしいわね。確か……桔梗、だったかしら」
霧切の言葉に、苗木が感心したような声を上げる。
「書く小説も恋愛系らしいし、女の子って感じだね」
しかし十神はつまらなさそうに腕を組んだ。
「桔梗のどこが女の子らしいものだ。地味なだけの花だろう」
すると霧切は、首を振って本をめくった。
綺麗なカラーイラスト付きのページに、桔梗についての説明が載っている。
「キキョウ科キキョウ属、原産地は東アジア。紫や青紫、白い花が咲く。中国では昔から根が漢方薬として用いられている」
すらすらと読み上げる霧切に、それぐらい知っているとでも言いたげな表情で、十神は眉を寄せる。そんな十神を意に介さず、霧切は言葉を続けた。
「花言葉は……愛着・深い愛情」
そして、本をパタンと閉じる。
「腐川さんは確かに、この花のようにあまり華やかでは無いし、自己主張もしない。けれど、この花と同じように深い愛情を持っている。私は、そう思うけど」
「……何が言いたい?」
十神の怒気がこもった声にもひるまず、霧切はきっぱりと言い切る。
「姿形だけでその全てを判断するのは愚かだという話よ。人も花も、実際に関わってみなければ本質なんて分からないわ」
その言葉を聞いた十神は、見下した表情で吐き捨てた。
「あいつの本性などただの殺人鬼だ。お前たちもジェノサイダーを見ただろう」
「それは違うよ」
唐突に、それまで傍観していただけの苗木がそう呟いた。
「ジェノサイダー翔だけが、腐川さんの全てじゃないと思うよ。もし彼女がただの殺人鬼なら、たくさんの女性の心を掴む小説なんて書けないと思うし」
苦笑しながらも説得力のある事を言う苗木に、十神はしかめっ面で黙り込む。
やがて彼は、そのまま一言も発することなく図書室を後にした。
「あ……」
自室に向かう途中、腐川と十神がぶつかった廊下で、彼女は十神の存在に気付いた。十神も、ほぼ同時に腐川の姿を視認する。
いつもならば奇声を上げて十神に近づく腐川だが、この時は顔を伏せてすぐに自分の部屋へ駆け込んでいった。
あからさまに避けられて、流石に苛立った十神は、鍵をかけられる前に扉のドアノブに手をかける。
その素早さと鬼気迫る表情は、他の人間が見たら「殺人か?」と勘違いしてしまいそうなものだったが、幸いにもそれを見ている者は誰もいなかった。
腐川の部屋は、原稿用紙と本で埋め尽くされた雑然とした部屋だった。
部屋の主である腐川は、追いかけられた喜びと困惑が混ざった複雑な思いで十神を見上げている。
「あの……白夜様?」
緊張からか紅潮した頬に、しかし十神の心が動くことなどない。
そもそも逃げられた事に腹が立って、衝動的に追いかけてしまっただけなのだ。十神は腐川に対して、特に言いたいことも、言うべきことも無かった。
二人の間に、気まずい沈黙が落ちる。先に口を開いたのは、十神の方だった。
「……さっきは、悪かったな」
ぶっきらぼうな口調と尊大な態度ながら、彼を少しでも知る人間ならばその一言に仰天することだろう。実際、学園内で誰よりも十神を見てきた腐川は、驚きのあまり口を半開きにして目を見開いている。
「も、もしかしてさっき頭でも打ちましたかっ?」
そんなことを口走る腐川に、十神の眉間のしわが深くなる。
慌てて口を抑える腐川の肩越しに、彼女の机が見えた。
水をやったらしい、水滴のついた桔梗の花が、無機質な部屋にアクセントとして飾られている。よく見れば、机の上には書きかけの原稿用紙があった。ひたすらに文字で埋められているそれは、何枚……何百枚あるのか数える気がうせるほど大量だ。
この学園に閉じ込められている間だけで、どれほどの小説を書いたのだろうか。
「……腐っても、文学少女というわけか」
そんな十神の台詞に、腐川は意図を掴みきれないまま照れた仕草を見せる。
「あ、あたしは……これぐらいしか、出来ないので……」
彼女らしく卑屈な言葉だが、十神はそれには触れずに独り言のように呟いた。
「桔梗の花は……少なくとも、お前に相応しい花だな。見た目だけではなく、中身も」
「え……え?」
上手く真意を汲み取れない腐川に背を向けて、十神は入ってきた扉から出ていく。
部屋から出る直前、彼は振り向きながら一言だけ言葉を残した。
「お前なら、意味くらい知っているだろう。後は自分で考えろ」
素っ気なく言って、十神は自室に戻っていった。
一人呆然と立ち尽くす腐川は、桔梗の花言葉を思い出す。
「愛着、深い愛情……」
口に出してみるとなんだか気恥ずかしくなって、彼女は真っ赤な顔でぶんぶんと激しく頭を振った。それでも顔がにやけるのを止められない。
十神がどういう意味を持ってこの花言葉と自分を繋げたのかは分からない。けれど、自分が彼に抱く深い愛情が少しでも伝わった気がして。
腐川はいつまでも頬を緩めていた。
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