春の嵐
四月。松野家の六つ子は、晴れて高校生となった。
「いやー、入学式長かったな! 俺途中から寝ちゃってたよー」
「しっかりしてよ、おそ松兄さん。僕たち今日から高校生なんだよ?」
「チョロ松はしっかり者だな。このままじゃチョロ松が長男になってしまいそうだ」
「いや、カラ松兄さん次男だよね? なに弟を兄にしようとしてんの」
同じクラスに振り分けられた三人がいつもの調子で話しているところに、別のクラスになった弟たちがやってくる。
「クラス離れたね(クソ松だけ離れれば良かったのに)」
「兄さん、心の声が見えてまっせ!」
「十四松兄さん、それどういう原理?」
同じ顔が六つ、とはいえ表情や格好の違いによってそれなりに個性が確立されている六つ子は、高校生となってもそれまでと変わらない騒がしい日々の幕を開けた……、かに思えた。
しかし、変化は唐突に訪れた。
「おーい、カラ松~」
帰りのホームルームが終わり、おそ松は鞄を手にカラ松の席へと寄った。
「はやく帰ろーぜ」
だがその声にカラ松はにべもなく首を振る。
「すまない、今日から演劇部の稽古があってな」
「はぁ? 演劇部って、兄ちゃん聞いてないよ?」
「この間、夕飯の時に話しただろう」
まぁ、テレビに夢中で聞いてなかったようだが。
しれっと言われ、おそ松はやや拗ねた表情で窓際の席のチョロ松に声をかける。
「チョロ~、お前は何もないよな?」
ところが、チョロ松もその問いをへの字口で否定した。
「僕を暇人代表みたいに言うのやめてくんない? 僕は風紀委員会の集まりだから」
連続で断られて撃沈したおそ松に、チョロ松は念を押すようにして追撃する。
「ちなみに、一松は飼育委員会の集まり、十四松は勧誘された野球部の体験入部、トド松は家庭科クラブの活動だからね。ドライモンスター以外は、みんな夕飯の時に報告してるから」
「ん? じゃあ、トド松のはどこで知ったんだ?」
カラ松のもっともな質問に、「クラスの女の子たちが話してたよ」と返答するチョロ松。そんな二人のやり取りも、とどめを刺されたおそ松の耳には入っていない。
深く落ち込んだオーラを出す長男に、チョロ松は呆れた声で腰に手を当てる。
「っていうか、おそ松兄さんもなにか部活とかに入れば良いじゃん」
それだけ言って教室を後にしたチョロ松に続き、カラ松もウインクと共にその場から去っていく。
「では、俺も行くぜブラザー。また家で会おう」
一人残されたおそ松はしばらく床にうずくまっていたが、やがて不気味な笑い声を発しながら立ち上がった。
「あいつら……見てろよ」
「……なんか、寒気した」
「大丈夫? 一松兄さん。風邪?」
ぶるっと身震いした一松に、トド松がマスクを手渡した。十四松は一足先に野球部へと向かっている。
「んー、風邪じゃないとは思うけど……トド松はこれから料理教室なんだっけ」
「家庭科クラブね。一松兄さんは飼育委員だったよね」
「猫がいないのは予想外だったけど、入っちゃった以上は後に引けないからね」
「普通、高校で猫は飼わないから」
和やかな会話を交わしながら廊下を歩く二人の後ろに、怪しい人影がある。しかし、二人はその気配にまったく気づいていない。
「じゃあ、また後でね。兄さん」
そう手を振って一松と別れ、家庭科室に入ったトド松に、その影は音も無く忍び寄った。
演劇部の稽古の、十分休憩。
名があり、それなりに目立つ役を貰ったカラ松は、汗を拭いながらスポーツドリンクを取り出した。発声練習、筋力トレーニングと、演技以外のところでも予想外に体力を使うが、性にあっていたようでやりがいがあり、彼は張り切っていた。
一気に半分まで飲み干したスポーツドリンクを鞄にしまうと、ちょうどのタイミングでスマートフォンが鳴った。高校の入学祝いに買ってもらったそれは、兄弟からラインが来たことを示している。
『おそ松兄さんに気を付けて』
開いた画面には、末弟からの簡潔なメッセージ。個人では無く、兄弟六人のグループで来ている。
「おそ松に……?」
謎のメッセージに首を捻りつつ、休憩終了の掛け声にカラ松はスマホをしまい立ち上がる。舞台に戻った彼を、忠告の人物が待っていた。
軽快なメロディに、チョロ松は慌ててスマホを操作した。これから風紀委員の会議だというのに、電源を切り忘れていたらしい。
風紀委員が風紀を乱してどうすると自分を律しつつ、まだ会議は始まっていないので、少しだけの確認のつもりで画面を開く。
『兄貴が来る』
グループラインに発信されているのは、次男のメッセージだった。次男が兄貴と呼ぶからには、おそ松が来るということだろう。
またろくでもないことをしているのか、とチョロ松は溜息を吐いたが、ここは風紀委員の会議室である視聴覚室だ。委員が集まり会議が始まれば施錠される。
今回は他人事だな、などと余裕を持っていたが、数秒後に現れた二人の人物によってそれが甘い考えだったことをチョロ松は身を持って痛感した。
『バカ襲来。他のとこ気を付けて』
チョロ松のメッセージを見て、一松はそれを見なかったことにしようと電源を落とした。それまでのメッセージから察するに、バカとは間違いなくおそ松のことだろう。
風紀委員であるチョロ松ですら襲撃を免れなかったのだから、今から自分がどうしたところでおそ松のことを止められはしない。
諦めの良い四男は、飼育委員会の会議場所である生物室の後方の席で、机上の鞄に顔を埋めた。ほどなくして他クラスの委員や担当の教師が集まり始める。
「では、これから飼育委員の会議を始めま――っ!?」
生物室前方の扉が開き、進行役の生徒の声が上ずるのを聞きながら、一松はこれで委員会議が破綻してお開きにならないかななどと考えていた。
ブーブーとバイブレーションがラインの着信を知らせるが、校庭で野球に夢中になっている十四松はそれに気が付かない。
「満塁ホームラン!」
肩慣らしにと始めたバッティングで次々とホームランを放つ十四松に野球部の部員が期待と興奮で沸き立つ中、ヒットしたボールの一つが十四松の鞄めがけて飛んで行ってしまった。
「っ、スマホ!」
先日、兄弟で揃って買ってもらったスマホの存在を思い出して、直撃していないことを祈りながらスライディングで駆け寄る。買ってもらったばかりで壊したりなんかしたら大変だと、慌ててスマホをタッチした。
幸いボールは当たっていないようで、十四松はほっと胸を撫で下ろす。そのとき、ようやくラインの新着メッセージに気が付いた。
『長男の襲撃終了。十四松気を付けて』
順番的に自分の一つ上の兄が発したメッセージを見たのと同時に、グラウンドで何かが破裂する音が響いた。
もうもうと立ち込める砂煙を見ながら、十四松はラインにメッセージを残す。
『手遅れっしたー!』
その日の夜。
「この、バカ長男が!」
チョロ松は、丸めたノートで机を叩いた。
机の上に筆記具と原稿用紙を広げていたおそ松が、不服そうに口を尖らせる。
「お前らが兄ちゃん構ってくんないのが悪いんだろー!」
彼の手元にある原稿用紙には、大きく赤ペンで反省文と書かれていた。提出期限は明日まで。
「だからって、弟を襲撃する奴があるか!」
怒鳴り散らすチョロ松の隣で、トド松も眉を吊り上げている。
「ほんと、びっくりしたんだからね!」
それを取りなすように、カラ松が間に入って二人を制した。
「まぁまぁ、ちょっと落ち着くんだブラザー」
「落ち着いてられるかボケーっ!」
火に油を注ぎ、三男に叩かれる次男。涙目になる彼の後ろで、猫と戯れている一松がニヤリと笑った。
「俺のとこは実害なかったからいいけどね」
その横で、十四松が笑顔のまま首を傾げる。
「兄さん、なにしでかしたんすかー?」
無垢な弟の視線を受けて、おそ松は説明した。
「まずはトド松のところ行って、でも俺料理とか出来ねぇから材料ぶちまけちゃってさ」
「料理できないなら何で来たの!」
「だって女の子いっぱいだったし~」
悪びれない長男を、トド松が目をかっぴらいたトッティ顔で睨み付ける。
「俺のところに来たのは……」
「演劇とか派手で楽しそうだと思ったんだけど、すぐ部外者ってつまみだされちゃったな」
けらけら笑うおそ松に、カラ松はやれやれと首を振る。
「で、そのあと先生に課題出してないのバレて逃げ回って、追い詰められて視聴覚室の窓から入ったってわけ」
「あのせいで僕まで怒られたんだからね!」
チョロ松は窓から乱入してきたおそ松がそのまま反対側の窓から駆けて行った光景を思い出し、こめかみに青筋を立てる。
「で、逃げてるうちに生物室入っちゃって」
「進行役の三年生を跳ね飛ばしたよね。おかげで会議がすぐ終わって嬉しかったけど」
一松は怒った様子もなく淡々と言う。
「そうそう。それで、最終的に十四松がいた校庭でボールを割ったんだ」
「五個くらい、まとめてパーンって! 兄さんすっげー!」
「いや、逆にどうしたらそんなに割れるんだよ!」
無邪気な十四松の横から、チョロ松の鋭いツッコミが入る。
「本当さ、おそ松兄さんは高校生になっても落ち着かないよね」
トド松の言葉に、おそ松は鼻の下をこすりながら笑う。
「でも、楽しかったろ? 明日からも行ってやろうか?」
「「絶対来ないで! てか来んな!」」
見事に重なって響いたチョロ松とトド松の叫びを聞き流しながら、おそ松は反省文で作った紙飛行機を飛ばす。
春の嵐は、あと三年間は続きそうだ。
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