花咲く朝に

 穏やかな平日の午後。
 いつもと変わらずニートな日々を送っている六つ子のもとに、珍しい客が訪れた。
「おーい、いるダスかー?」
 特徴的な気の抜けた声で、玄関の戸を叩く音がする。誰が出る? なんて相談をする間もなく六つ子の五男、松野十四松が部屋を飛び出して廊下を走った。全力疾走からの長距離ジャンプで玄関の戸を開ける(ぶち破る)と、そこに立っていたのはデカいパンツがトレードマークのデカパンだった。
「こんにちは、デカパン博士!」
「はい、こんにちはダス」
 礼儀正しく挨拶を交わし、十四松はデカパンの持っている小さな袋に気付いて首を傾げた。色も形も同じ小袋は、全部で六つある。
 その視線を受けて、デカパンは袋を持つ手を十四松に差し出した。
「実は、君たちにお願いがあるんダス」
 柔和な笑みを浮かべるデカパンに、十四松は躊躇いなくその袋を受け取りながらオウム返しに尋ねた。
「お願いっすかー?」

 六つの小袋で高速お手玉をしながら部屋に戻ると、出る前と同じ光景が広がっていた。
 寝転んで漫画を読む長兄の松野おそ松と、鏡で己の髪形をチェックする次男の松野カラ松。
 困ったような顔で求人雑誌を見る三男の松野チョロ松と、親友である猫と戯れる四男の松野一松。
 六男であり末っ子である松野トド松は、楽しそうにスマホをいじっている。
「ただいマッスルマッスル!」
 十四松は部屋の中心に置かれている机に小袋の中身を開けた。重くも軽くもない袋の中から出てきたのは、まったく同じ形をした種のようなものが一つの袋につき一つ。合計六つのそれに一番に反応したのは、長男のおそ松だった。
「なんだ? それ」
 カラ松とチョロ松も、それぞれ手持ちの鏡と雑誌をひとまず置いて机に集まる。
「花の種だって! デカパン博士が持ってきた!」
 部屋の隅で猫と遊んでいる一松が、「花の種?」と怪訝そうに眉をひそめる。
 何故か十四松は胸を張って、誇らしげな表情でデカパンからの『お願い』を伝えた。
「この種、俺たちが育てるんだって!」

 唯一直接話を聞いた十四松の説明が恐ろしく要領を得ないもので、結局五人の兄弟のうち誰も意図を汲み取ることが出来なかった為、仕方なくチョロ松はデカパンに電話をかけた。
 二度目の説明にも嫌な顔をすることなく教えてくれたデカパンによると、つまりはこういうことらしい。
「えっと、この種は最初はみんな同じ形をしてるんだけど、育てる人によって違う植物に成長するんだって。だから、六つ子の僕らにそれぞれ一つずつ育ててもらって、どんな風に変わっていくのか教えてほしいって」
 十四松が三十分かけても伝わらなかった事項を、一分もかけずに簡潔に述べるチョロ松。
「えー、俺たち実験台かよ」
 めんどくせーとあからさまに嫌そうな顔をするおそ松の横で、カラ松とトド松は意外に乗り気な様子を見せていた。
「ふっ……花を育てるとは、なかなか優雅な午後じゃないか」
「お花って女の子にあげると喜ばれるんだよねー。ぬいぐるみとか小物と違って、枯れたらすぐに捨てられるし」
 イタイ兄貴とドライモンスターな弟を横目に、一松も一つの種を手に取った。膝上の猫が「なにこれ」と言いたげにちょっかいを出すのを「駄目だよ」と制しながら、種をつまんで気だるげに眺める。
「皆で育てまっしょい!」
 満面の笑みを見せる十四松に、まぁ普段から常に暇人のニートであることだし、ちょっとした暇潰しには良いかと、五人は二つ返事で頷いた。
 物置から人数分の鉢植えを持ってきて、それぞれ決めた自分の種を蒔く。そのままだと自分たちですら見分けがつかないので、目印に名前を書いた。
「美味い物が育つといいなー」
「え、食べること前提?」
 おそ松とチョロ松のやりとりの横で、トド松は鉢植えを写真に撮っている。名前を書き終えた鉢植えは、六人とも日当りのいい場所に横並びで置いた。

 そして、それから一週間が経った。
 最初に芽を出したのは、おそ松の種だった。
「さっすが俺! カリスマレジェンド!」
 はしゃぐ長男に続くように、次の日はカラ松、その次の日はチョロ松と、次々に植物は芽を出した。
「……」
 ただ一つ、一松の種を除いては。

 三日が経って、一週間が過ぎて、さらに一か月経った。
 他の兄弟たちの芽が成長して花や実をつけても、一松の種だけは未だに芽すら出さなかった。
 それでも一松は根気よく水をやっていたが、そのうち世話をするのも馬鹿らしくなってきて、ある日を境に面倒を見るのをやめた。
「どうせ、土の中で腐ってんじゃない? 俺みたいにさ」
「……」
 自虐的に呟いて笑う一松の後ろ姿を、カラ松が心配そうな表情で見ていた。

 一松が植物の世話を放棄してから一週間。
「あー……ねむ」
 冬はトイレが近くなる。まだ早朝(午前八時)だというのに、目が覚めてしまった。
 布団から這い出ると、一松は自分の隣で寝ていたはずのカラ松がいないことに気が付いた。日課のランニングにでも行っているのだろうか。寝ぼけ眼の一松は、兄の不在にたいした興味も持たずトイレに向かった。
 用を足し終え、欠伸を噛み殺しながら廊下を歩いていると、一松はふと物音に気付いて歩を止めた。階下から、水の流れる音がする。ついでに、なにかのメロディも。
 階段を下りて音のする方へ進み、庭に人影を見つけた。
「……なにしてんの、クソ松」
 低音で声をかけると、ご機嫌に鼻歌を歌っていた人影の肩がビクッと跳ねた。
「い、一松……? もう起きたのか?」
 恐る恐る振り向いたカラ松の手には、皆で使い回している緑のジョウロ。足元には――、一松の鉢植え。
 それを視認して目を見開いた一松に、カラ松は青ざめた表情で言い訳を始めた。
「い、いや、土が乾きっ放しで、さすがに可哀想だと思ってな……お節介だとは思ったんだが」
 弟相手に必死で弁解するカラ松に、一松の眉間のしわが深くなる。
「わかってんならすんなよ。そういうの、マジで余計なお世話」
 冷たく言い放つと、カラ松は悲しそうに肩を落とした。
「すまなかった……ただ、このまま枯れてしまうのは勿体ない気がして」
 その言葉に、部屋に戻ろうとしていた一松の足が止まった。
「……勿体ないって、なに」
 振り返らずに尋ねる一松に、カラ松はおずおずと答える。
「お前が育てる植物なら、きっと綺麗な花が咲くだろう。それが芽も出せずに枯れてしまうのは、惜しい気がしてな」
「俺が育てたところで、どうせゴミみたいな花しか咲かないでしょ。綺麗な花なんて、咲くわけない」
 実際、芽すら出ないままだし。
 言葉と心の中で毒づいて、一松は振り向きざまにカラ松を睨み付けた。
 しかし、
「……そんなことはないぞ」
 先ほどまで怯えていた次男の姿は、そこには無かった。
 彼は、これだけは譲れないとでもいうかのように堂々と一松を見返している。
「お前は俺の自慢のブラザーなんだから、お前のだって綺麗な花が咲くに決まっている。それに、お前は生き物に対して面倒見が良いからな」
 どこか誇らしげに言う兄に、一松は僅かに目を丸くして、口を閉じたまま溜息を吐いた。
(……面倒見が良いのは、あんただろ)
 声に出せない思いを、足蹴りでごまかす。
「痛っ! なんで蹴るんだ一松っ!」
 再び目尻に涙を浮かべるカラ松。実の兄を足蹴にした一松は、いつもと同じ見下した目線でカラ松を見下ろした。
「クソ松のくせに」
「なにが!?」

 数日後。
 小さな鉢植えに、小さな紫色の花が咲いた。
 土いじりで手を汚したカラ松が、嬉しそうに声をあげる。
「見ろ、一松! 咲いてるぞ!」
 軍手をしてジョウロを持ってきた一松は、額に汗を浮かべながら、ぱちくりと目を瞬いた。
「これは、スミレだろうか……あとでトド松に調べてもらおう」
 花に詳しくないカラ松が弟のスマホを当てにするのを聞きながら、一松は自分の鉢植えの前にしゃがみこんでそれをじっと見つめた。
「……」
 震える腕でジョウロから水を注ぐと、小さな花は水滴を受けて瑞々しく揺れる。
「……クソ松」
 一緒になってしゃがんで花を見ているカラ松を呼ぶと、「ん? どうしたブラザー?」とやけに弾んだ声が返ってきた。
 一松は数秒口を閉ざして、思い切って一息に告げた。
「あ、ありがと……っ」
 耳まで真っ赤にして発せられたその声はあまりにも小さくて、けれど普段からぼそぼそと喋る一松の、精いっぱいの言葉だというのは充分に伝わってきて。
「……あぁ!」
 花咲く朝に、カラ松は満面の笑みを浮かべた。
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