ハッピーハッピーレイニーデイ
「うわ、」
買い物袋を両手に下げた後藤は、万屋の自動ドアを出た先の景色に思わずしかめ面で空を見上げた。
どんよりとした鉛色の雲が空一面を覆い、太陽はおろか、雲の切れ間すら見つからない。
一塊の巨大な暗雲が垂れ込める様を見て、後藤の後ろからドアを通った物吉も「わぁ……」と呆然とした表情で声を漏らした。
「凄い曇り空ですねぇ」
「雨、降りそうだよなぁ……。傘は持ってきてねぇし、釣りは……二百数十円じゃ、傘は買えねぇよな」
会計時に受け取った小銭の残金を思い出し、深い溜息を吐く後藤。
物吉は荷物を深く抱え直し、店の軒先から顔を出してみた。途端に一粒の雨が彼の鼻先に当たり、それを皮切りにして耳を覆いたくなるほどの豪雨が降り始める。
「わっ、本当に凄い雨」
慌てて顔を引っ込めた物吉に、壁際へと身体を寄せた後藤が足元へ袋を置きながら首を傾げる。
「にしても、珍しいこともあるんだなぁ。お前がいれば、いつもは幸運の加護があるってのに」
からかうような口調で冗談交じりに笑う後藤へ、物吉もつられて笑いながら隣に立った。
雨の音があまりにも響いているので、肩が触れ合うほどの距離感でようやく互いの声が聞こえるくらいだった。
「幸運っていうのは、必ずしも分かりやすいものであるとは限りませんからね」
どこか含みのある物言いに、後藤は頬を掻いて小首を傾げる。明るめの茶髪と紫のメッシュが揺れて、表情は少し怪訝なものになった。
「お前にとっては、この雨が幸運ってことか?」
問いかけられ、物吉は爽やかな笑みを見せた。
土砂降りの雨に視界が遮られた灰色の世界で、物吉だけが発光しているかのように笑顔が輝いている。
「何事も捉え方次第ということですよ」
そう言って正面を向いた物吉は、薄い笑みをたたえて真っ直ぐに前を見ている。
色素の薄い髪は、いつもなら陽の光を反射して煌めいているが、今は湿度の高い風景の中で落ち着いた雰囲気を纏っている。
淡い栗毛と金髪の中間のような癖毛の中で、一房だけ濃い橙色に染まっている部分が、風もないのに微かに揺れた。
「たとえば、この土砂降りのせいでボクと後藤君は本丸に戻れず、不本意な足止めを食らっているわけですけれど」
唐突に物吉が白い指をぴんと立てた。両腕で抱えている紙袋から真っ赤な林檎が覗き、物吉の瞳が後藤の方を向く。
「ボクは案外、嬉しいんですよ。二人とも傘を持たないで来てしまって、こんな土砂降りなのにお店で新しい傘を買うお金もなくて」
言葉通り実に嬉しそうな表情で人差し指をくるくる回す物吉に、後藤が「はあ?」と眉を寄せた。
「なんだそれ。全然意味わかんねぇ」
率直な感想を投げる後藤へ、物吉は緩く口角を上げて「ふふふ」と笑う。
「わかりませんか? 後藤君と二人きりで話す理由が出来て、嬉しいって言ってるんです」
長い睫毛を瞬かせ、ぐっと顔を近づける物吉。至近距離で微笑まれて、後藤の顔が一瞬で耳まで赤くなった。
猫の目に似たツリ目が丸く見開かれ、半端に開いた口から動揺の言葉が零れ落ちる。
「なっ……それは、」
面白いほど分かりやすく狼狽えた後藤へ、物吉は微笑したまま言葉を続けた。
「……後藤君は、この雨、どう思いますか?」
淡い桃色がかったオレンジ色の瞳は、降りしきる雨を映して宝石のように光っている。
「俺、は……」
ごくりと唾を飲み込み、後藤が震える口で答えようとしたとき。
二人の会話を掻き消さんばかりに降り続いていた雨が、突然弱まり出した。
耳朶を打つ滝のような豪雨は徐々に雨足を弱め、しとしとと未練がましい残雨を落として、やがて完全に止んだ。
思わず二人が軒先から外に出ると、先ほどまでの曇天が嘘のように澄んだ青空が見えた。
「……どうやら、通り雨だったみたいですね」
残念そうに苦笑する物吉に、後藤は安堵と脱力とで何だか気が抜けた心地になった。
ほっと胸を撫で下ろすと同時にどっと疲労感を覚えつつ、気分を切り替えるように背を伸ばして足元へ置いていた買い物袋を持つ。
「ほら、また降り出さないうちにとっとと本丸に戻ろうぜ。……本丸までの帰り道も、俺とお前の二人きりで話せるだろ」
努めて何でもない風に言ったつもりだったが、無意識で頬が赤くなってしまう。
赤面した顔を見られたくなくて顔は逸らしていたが、自分の一言で物吉が喜んでいるのが見なくても伝わってきた。
「別に、本丸で誰と一緒に居ようが気にせず話しかけていいんだぜ?」
本丸への帰路を辿りながら、そんな言葉を口にする後藤。
「後藤君は兄弟が多いですから、特に短刀の皆さんと一緒にいらっしゃるときは少し遠慮してしまうんですよね……あ、後藤君も短刀でしたね」
「チビどもに比べりゃ、俺や薬研たちはデカいからなぁ」
すっかり普段通りの距離感で会話を交わしつつ、物吉は両腕に抱きしめている荷物を持つ手に力を込めた。
(幸運は考え方次第、とは自分で言いましたけど)
すっかり晴れた空の下、あちらこちらに出来ている水溜りを避けながら歩いて、物吉は内心で一人ごちる。
(後藤君の本心を知ることと、知らないこと、どちらがボクにとっての『幸運』なんでしょうかね)
声に出さない呟きは物吉の中でひっそりと消えて、答えを出す代わりに物吉はとっておきの笑顔で後藤へと笑いかけた。
「また二人で買い出ししましょうね」
「いいけど……次は、ちゃんと傘持ってくからな」
呆れた表情でまだ僅かに頬を赤くしている後藤に、物吉は満足げな笑みで頷いた。
(――今はこれだけでも、ボクにとって一番のしあわせです)
買い物袋を両手に下げた後藤は、万屋の自動ドアを出た先の景色に思わずしかめ面で空を見上げた。
どんよりとした鉛色の雲が空一面を覆い、太陽はおろか、雲の切れ間すら見つからない。
一塊の巨大な暗雲が垂れ込める様を見て、後藤の後ろからドアを通った物吉も「わぁ……」と呆然とした表情で声を漏らした。
「凄い曇り空ですねぇ」
「雨、降りそうだよなぁ……。傘は持ってきてねぇし、釣りは……二百数十円じゃ、傘は買えねぇよな」
会計時に受け取った小銭の残金を思い出し、深い溜息を吐く後藤。
物吉は荷物を深く抱え直し、店の軒先から顔を出してみた。途端に一粒の雨が彼の鼻先に当たり、それを皮切りにして耳を覆いたくなるほどの豪雨が降り始める。
「わっ、本当に凄い雨」
慌てて顔を引っ込めた物吉に、壁際へと身体を寄せた後藤が足元へ袋を置きながら首を傾げる。
「にしても、珍しいこともあるんだなぁ。お前がいれば、いつもは幸運の加護があるってのに」
からかうような口調で冗談交じりに笑う後藤へ、物吉もつられて笑いながら隣に立った。
雨の音があまりにも響いているので、肩が触れ合うほどの距離感でようやく互いの声が聞こえるくらいだった。
「幸運っていうのは、必ずしも分かりやすいものであるとは限りませんからね」
どこか含みのある物言いに、後藤は頬を掻いて小首を傾げる。明るめの茶髪と紫のメッシュが揺れて、表情は少し怪訝なものになった。
「お前にとっては、この雨が幸運ってことか?」
問いかけられ、物吉は爽やかな笑みを見せた。
土砂降りの雨に視界が遮られた灰色の世界で、物吉だけが発光しているかのように笑顔が輝いている。
「何事も捉え方次第ということですよ」
そう言って正面を向いた物吉は、薄い笑みをたたえて真っ直ぐに前を見ている。
色素の薄い髪は、いつもなら陽の光を反射して煌めいているが、今は湿度の高い風景の中で落ち着いた雰囲気を纏っている。
淡い栗毛と金髪の中間のような癖毛の中で、一房だけ濃い橙色に染まっている部分が、風もないのに微かに揺れた。
「たとえば、この土砂降りのせいでボクと後藤君は本丸に戻れず、不本意な足止めを食らっているわけですけれど」
唐突に物吉が白い指をぴんと立てた。両腕で抱えている紙袋から真っ赤な林檎が覗き、物吉の瞳が後藤の方を向く。
「ボクは案外、嬉しいんですよ。二人とも傘を持たないで来てしまって、こんな土砂降りなのにお店で新しい傘を買うお金もなくて」
言葉通り実に嬉しそうな表情で人差し指をくるくる回す物吉に、後藤が「はあ?」と眉を寄せた。
「なんだそれ。全然意味わかんねぇ」
率直な感想を投げる後藤へ、物吉は緩く口角を上げて「ふふふ」と笑う。
「わかりませんか? 後藤君と二人きりで話す理由が出来て、嬉しいって言ってるんです」
長い睫毛を瞬かせ、ぐっと顔を近づける物吉。至近距離で微笑まれて、後藤の顔が一瞬で耳まで赤くなった。
猫の目に似たツリ目が丸く見開かれ、半端に開いた口から動揺の言葉が零れ落ちる。
「なっ……それは、」
面白いほど分かりやすく狼狽えた後藤へ、物吉は微笑したまま言葉を続けた。
「……後藤君は、この雨、どう思いますか?」
淡い桃色がかったオレンジ色の瞳は、降りしきる雨を映して宝石のように光っている。
「俺、は……」
ごくりと唾を飲み込み、後藤が震える口で答えようとしたとき。
二人の会話を掻き消さんばかりに降り続いていた雨が、突然弱まり出した。
耳朶を打つ滝のような豪雨は徐々に雨足を弱め、しとしとと未練がましい残雨を落として、やがて完全に止んだ。
思わず二人が軒先から外に出ると、先ほどまでの曇天が嘘のように澄んだ青空が見えた。
「……どうやら、通り雨だったみたいですね」
残念そうに苦笑する物吉に、後藤は安堵と脱力とで何だか気が抜けた心地になった。
ほっと胸を撫で下ろすと同時にどっと疲労感を覚えつつ、気分を切り替えるように背を伸ばして足元へ置いていた買い物袋を持つ。
「ほら、また降り出さないうちにとっとと本丸に戻ろうぜ。……本丸までの帰り道も、俺とお前の二人きりで話せるだろ」
努めて何でもない風に言ったつもりだったが、無意識で頬が赤くなってしまう。
赤面した顔を見られたくなくて顔は逸らしていたが、自分の一言で物吉が喜んでいるのが見なくても伝わってきた。
「別に、本丸で誰と一緒に居ようが気にせず話しかけていいんだぜ?」
本丸への帰路を辿りながら、そんな言葉を口にする後藤。
「後藤君は兄弟が多いですから、特に短刀の皆さんと一緒にいらっしゃるときは少し遠慮してしまうんですよね……あ、後藤君も短刀でしたね」
「チビどもに比べりゃ、俺や薬研たちはデカいからなぁ」
すっかり普段通りの距離感で会話を交わしつつ、物吉は両腕に抱きしめている荷物を持つ手に力を込めた。
(幸運は考え方次第、とは自分で言いましたけど)
すっかり晴れた空の下、あちらこちらに出来ている水溜りを避けながら歩いて、物吉は内心で一人ごちる。
(後藤君の本心を知ることと、知らないこと、どちらがボクにとっての『幸運』なんでしょうかね)
声に出さない呟きは物吉の中でひっそりと消えて、答えを出す代わりに物吉はとっておきの笑顔で後藤へと笑いかけた。
「また二人で買い出ししましょうね」
「いいけど……次は、ちゃんと傘持ってくからな」
呆れた表情でまだ僅かに頬を赤くしている後藤に、物吉は満足げな笑みで頷いた。
(――今はこれだけでも、ボクにとって一番のしあわせです)
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