明日の匂い

 静かな部屋に、リズミカルな軽い音が鳴った。
 加州が顔を上げると、電子レンジのタイマーが切れて庫内が暗くなっていた。
「お、出来たかな? ……あちち」
 そう言って電子レンジの扉を開け、中に入っている耐熱容器を取り出した。
 ほわりと漂う甘いミルクの匂いが部屋に立ち込め、鍋掴み代わりの手袋越しに加州の両手をじんわりと温めていく。
 加州は備え付けのミニキッチンに移動して、同時に沸かしておいたお湯をマグカップへ注いだ。
 零さないよう気を付けながら慎重に熱湯を注ぐと、テーブルに用意しておいたティーバッグを二つ摘まんで中に入れ、コップと同じデザインの蓋を被せて少し蒸らす。
 一分ほど待って蓋を開け、湯気に注意しつつティーバッグを何度か優しく揺らす。袋は取り出さず、先に温めておいた耐熱容器のミルクをゆっくりと移していった。
 湯気が何重にも立ち昇り、加州はそれを封じ込めるようにマグカップへ再び蓋をした。
「これで良いんだよね」
 手順が合っているかを確かめるように取り出したメモを見て、「そうだ、これもあったんだった」と慌てて立ち上がり戸棚からカゴを取る。
 グラニュー糖の袋やはちみつの小瓶、マシュマロのパックが詰められたカゴをテーブルに置くと、良いタイミングで堀川が戻ってきた。
「ただいま、今日も寒いね。あれ、なにしてるの?」
 戦帰りだと一目でわかる戦装束姿の堀川は、テーブルの上に並ぶ二つのマグカップと甘いものの詰まったカゴに、大きな瞳を丸くして加州を見つめた。
「お帰り。今日も寒いからさ、ミルクティー作ってみたんだ。俺、今日非番だったし、昼のテレビでちょうどミルクティーの作り方やってて」
 説明しながら立ち上がって堀川へ抱き着いた加州に、堀川は帰宅の挨拶として頬へ軽くキスを落とす。
 刀を床に置いて腕の防具を外し、加州と二人で炬燵に入りながら、籠の中身に手を伸ばした。
「これ、ミルクティーに入れるの?」
 マシュマロの袋を手に取り尋ねると、加州は笑顔で頷いた。
「ん、なんかクリーミィな泡立ち? とりあえず美味しくなるんだって」
 加州はカゴの中から他の袋も取り出して、「グラニュー糖はコクが出るとか、はちみつは喉に良いとか……」と楽しそうに堀川へ説明する。
 その様子が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれているように思えて、思わず堀川は微笑みながら加州の頭を撫でた。
「なんか清光くん、僕のお嫁さんみたいだね」
 その言葉に、加州は少しだけ不服そうに唇を尖らせる。
「俺だって一応男なんですけどー」
「はいはい、分かってるよ」
 というか刀の身で性別の概念があるのも不思議な話なんだけど、という言葉は飲み込んで、堀川は卓上のマグカップを両手で引き寄せた。
 二つあるマグカップは、それぞれ加州の刀紋と堀川の刀紋が描かれて、赤と青に塗り分けられている。
「これ、もう飲んで良いの?」
 蓋を薄く開け、溢れ出す湯気で指先を暖めながら聞いた堀川へ、加州は頷きながらカゴを差し出す。
「せっかく用意したんだからどれか入れてよ。堀川、甘いの苦手だよね? はちみつが良いかなぁ」
 返事を待たずにはちみつの瓶を開ける加州。食器棚からスプーンを出してすくい、堀川のマグカップに少しずつ投入していく。
 艶々と光る金色の液体が牛乳と混ざり合い、柔らかく調和していくようだった。
「はい、完成! 熱いから、火傷しないようにね」
 スプーンを抜いてカップを差し出した加州に、堀川は礼を言って受け取り口を付けた。
 甘いミルクに濃厚なはちみつが合わさって、予想してよりもずっと飲みやすい味わいだ。
「わ、美味しい。清光くん初めて作ったんだよね? 上手だね」
 褒められて、加州は頬を赤らめながらもはにかんで首をすくめた。
「別に、テレビ見てレシピ通りに作っただけだし」
 照れを隠すように加州もカゴをあさり、「俺はマシュマロ~」と歌うようにマシュマロの袋を破る。
 一つ、二つとカップに入れてはちみつ用に使ったスプーンで混ぜ、マシュマロは徐々にその姿を崩していった。
「ん、確かに美味しいかも……ちょっと熱いけど、ぽかぽかする」
 相好を崩し、へらりと頬を緩める加州に、堀川も目を細めてまた一口カップへと口を付ける。
 二人のマグカップはあっという間に空になり、それでも立ち上がって片付ける気力は起こらず、肩を寄せ合ったままだらだらとした時間が流れる。
「明日は清光くんが出陣だよね。で、僕が非番」
 ふと呟いた堀川に、加州が頷いて眉を下げた。
「そうだね。あー、明日も寒いんだろうな。やだなぁ」
 ため息を零した加州に、堀川がなだめるように髪を梳いた。
「じゃあ、明日は僕がミルクティー作るよ。それ楽しみに頑張れない?」
 唇を尖らせていた加州は、「……じゃあ、頑張る」と眉を下げたままでふにゃりと笑った。
「入れるものも、ちょっといろいろ試してみようかな……生姜をスライスしたのとか、ジンジャーティーみたいにならないかな」
 顎に手を当てて早速思案し始めた堀川に、加州は苦笑して抱き着いた。なあに、どうしたの? と笑う堀川の困ったような声が耳に心地良い。
「んー。堀川といるだけで、明日が来るのも楽しみになるなって思っただけ」
 肩に埋めて呟いた声は堀川に届いたのかどうか、加州は確かめることもしないまま目を閉じて堀川の体温を感じていた。
 嗅ぎ慣れた堀川の香りにほのかに混ざる甘いミルクティーの匂いまでもが、加州の心を暖めていくようだった。
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