口実、口に果実

 師走に入って三日も過ぎると、雪は降らないまでも、身体の芯から冷えるような寒さだった。
 新撰組所縁の男士たち用にあてがわれた和室で、加州清光は襟巻に顔を半分以上埋めて身震いした。
「さむ……半纏だけじゃ足りないって」
 言葉通り、綿の入った厚手の半纏を着ている加州は、両手を擦り合わせて部屋の中心に据えられている炬燵へ入る。
 机の上には大きめの籠が置いてあり、色鮮やかな蜜柑がこんもりと積まれていた。
「はぁー、炬燵あったかい。……眠くなるんだよなぁ」
 ぬくぬくとした炬燵の暖かさに身を委ね、恍惚とした表情で目を閉じる加州。天板に額を預け、鼻腔をくすぐる柑橘系の香りに身も心もリラックスしていると、唐突に頬へ冷たいものが当てられた。
 ひやりとした感触に、まどろんでいた加州の意識は一瞬で覚醒した。
「うひゃっ」
 思わず声を上げて慌てて跳ね起きると、悪戯っぽい顔で笑う堀川国広の姿があった。その手には小ぶりな蜜柑を持っている。
 柔らかくて少し冷たい感触の正体は、机上の籠から取ったものらしい。
「ごめん、あんまり気持ち良さそうだったから」
 くすくす、微笑みと含み笑いを半分ずつ混ぜたように笑う堀川へ、加州は頬を赤く染めて唇を尖らせる。
「びっくりさせないでよね」
 言いながら端に寄り堀川が座れるくらいのスペースを取って、炬燵の裾を持ち上げると、堀川は加州の隣に腰を下ろして距離を詰めた。
 二人の肩が密着して、どちらからともなくお互いに深く寄りかかり合う。
「でも、清光くんが僕に気付かなかったからさ。炬燵に突っ伏してて顔も見えなかったし」
 持っていた蜜柑を剥きながら言う堀川に、加州も籠から一つ取って何となしにもてあそぶ。
 爪紅をしているので積極的に剥くことはしないが、むにむにと揉んで手遊びにちょうど良い。
「今日、なんか特別に寒くない? 冬本番っていうか、昨日までと冷え込み方が違う感じ」
「そうだね。そろそろ雪が降るのかも」
 たわいない会話を交わしながら、加州は堀川の横顔をじっと見つめる。
 色白な肌に大きな瞳、小さいが形の整った唇。
 脇差だけに打刀の加州よりも幼い雰囲気だが、しっかり者の顔つきには安心感がある。
 着ているのは内番用のジャージだけで、見ている加州の方が寒く感じる軽装だった。
「堀川さぁ、ジャージだけって寒くない? 襟巻、貸そうか?」
 襟巻に指をかけて緩め、視線を重ねて問いかけると、堀川は柔らかく笑って頷いた。
「あまり寒くは感じないけど、せっかくだから半分こしようか」
 そう言うと同時に加州の襟巻を本人よりも手際よく解き、半分ずつ巻き直した堀川へ、加州は先ほどよりも更に顔を赤く染めて頬を緩めた。
「恋人巻きって言うの? 良いね、これ」
 満足げな声を漏らす恋人へ、堀川は剥き終わった蜜柑の一房を彼の唇へと押し当てた。
 白いスジが残る、瑞々しい果肉が加州の唇に触れて、加州は赤い舌を覗かせながら蜜柑を口内へとおさめた。
「甘い?」
 尋ねる堀川に「ん」と肯定を返し、もぐもぐと咀嚼して僅かに眉を寄せる。
「俺、スジ嫌いなんだよね」
 苦々しげな顔をする加州へ、堀川は「でもスジにも栄養があるらしいよ? ビタミンとか……清光くん、そういうの気にするんじゃない?」と小首を傾げた。
「まあ、栄養とか美容効果は嬉しいけどさ、なんか食べづらい……食感が嫌」
 ティッシュ箱を引き寄せて吐き出そうとする加州へ、突然、堀川が肩を叩いた。
「なに?」と振り向いた加州の唇に、今度は蜜柑よりも柔らかく温かいものが押し当てられる。
 目を見開いた加州の舌を、堀川の舌が何度か往復してなぞっていく。
 二人の舌は先端だけが浅く絡まり合い、深くはないものの湿度の高い接吻に、加州は却って目眩がするようだった。
「っ、」
 声にならない息をこぼし、加州が身をよじったところで、口付けは始まりと同じくらい突然に終わった。
 唇を離した堀川は、茹でだこのように赤面して口をパクパクさせている加州にからかうような笑みを浮かべる。
「清光くんがどうしてもスジ嫌だっていうなら、僕がこうやって食べてあげるね」
 加州の口から舌で奪い取ったスジを飲み込み艶めかしく笑う恋人へ、加州は両手で顔を隠して悶絶しながら炬燵へ伏せる。頭から湯気でも出そうな気分だった。
「……馬鹿」
 羞恥に上ずった声は天板に吸い込まれ、しかし聞き逃さなかったはずの堀川は聞こえないふりをして二つめの蜜柑を上機嫌で剥き始めた。
 それを剥き終えるまでの間、スジを食べるか食べないか、加州の思考回路はぐるぐると熱に浮かされたように回り続けていた。
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